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レッドマン
『レッドマン』は、1972年4月24日から10月3日まで、日本テレビ系の子供番組『おはよう!こどもショー』内で放送された、円谷プロダクション制作の特撮コーナードラマ、及び主人公の名である。 放映時間は1回当たり5分間、月曜から土曜の朝7時30分頃 - 7時35分頃放送。1話完結。94話から99話のみ連作。全138話。 『ウルトラファイト』と同様、レッドマンと怪獣が戦う格闘番組である。『おはよう!こどもショー』がマンネリ化対策として大幅リニューアルする際、当時の第二次怪獣ブームに便乗する形で企画された。『ウルトラファイト』との違いは、番組に一切ナレーションが入らないことと、本編の前後で怪獣おじさん(朝戸鉄也)が登場して怪獣の解説をしていたことが挙げられる。 「レッドマン」の名称は、これまで『ウルトラマン』『ウルトラセブン』などの企画時に用いられていた仮名称から譲り受けられたものである。 登場怪獣は『帰ってきたウルトラマン』に登場したものを中心にしつつ、他の円谷プロ作品に登場した怪獣も登場している。 野山や砂浜、撮影当時はまだ豊富に残っていた造成地などを主なロケ地としている。背の高い草藪の中や波打ち際で戦う場面がたびたびあるなど、レッドマンも怪獣も見た目は等身大で映っているにもかかわらず、設定上ではどちらも巨大とされているため、格闘シーンには重々しい効果音が入る。 再放送は長らく行われず、映像メディアもLD-BOXのみという状態だったが、CS放送のチャンネルNECOでは2013年4月13日より、本放送当時の関係者やその回の登場怪獣の簡単な紹介も挿入しながら再放送された。また、作中ではレッドマンの新規スーツのアクションシーンも放映された。 円谷プロの公式YouTubeチャンネル「ウルトラチャンネル」でも2016年3月31日より、毎週月曜日から金曜日まで1話ずつ配信されている。この配信開始からまもなく、インターネット上では「赤いあいつ」「通り魔」などと呼ばれるようになり、大きな話題となった。 2013年に『ウルトラマン』が「最も派生テレビシリーズが作られたテレビ番組」としてギネス世界記録に認定された際には、本作も『ウルトラマン』の派生作品の1つに数えられている。 レッド星雲のレッド星からやってきた平和を愛する戦士。身長42メートル、体重3万トン。 その名の通り全身が赤を基調としており、顔や胸・背中の模様や手袋・ブーツ・ベルトが銀色で意匠されたデザインとなっている。頭部は清朝の暖帽をかぶっているウルトラマンのようなルックスで、耳は独楽の上にアンテナ状のものが立った形状になっている。 番組の構成上、怪獣が街中に出現して悪さをする場面がなく、冒頭で野原などを徘徊している怪獣を発見したレッドマンが猛然と挑みかかり、戦闘開始となる。そのため、レッドマンが一方的に襲いかかっているようにしか見えない場面も見られた。それゆえ、レッドマンはファンから「赤い通り魔」との異名をとっており、これは円谷プロの公式エイプリルフールネタでも使用されている。また、レッドマンには台詞が存在せず、「イヤッ」「トォーッ」といった掛け声と必殺技の名前(「レッドアロー!」など)を発するのみで番組が進行する。 2013年にチャンネルNECOで放送された際には、「怪獣たちが次々と襲い、地球を守るために戦っている」というようなナレーションが流れている。 格闘を主とした肉弾戦を得意とする。戦法として、怪獣をパンチやキック、投げ技で弱らせたうえ、レッドナイフやレッドアローなどの武器でとどめを刺すことが多く、光線などの必殺技はあまり使われなかった。怪獣に馬乗りになってレッドアローで滅多刺しにする、レッドナイフで首をはねる、怪獣の頭部を何度も地面に叩きつけた後に頸椎をへし折る、怪獣を崖から投げ落とすなど、フィニッシュのバリエーションは多彩である。決着後は倒した怪獣を見下ろすように仁王立ちし、胸を張ってやや上方を見上げるのが通例とされ、勝利のポーズとして右手を高く掲げることがある。 作中では過剰な攻撃性を表していた。以下に数例を示す。 戦う意志が無く、逃げようとしている怪獣に対して「レッドファイト!」と叫び、無理やり戦闘を仕掛ける。 すでに倒れて動かなくなっている怪獣に、とどめとしてレッドアローを突き刺す。数体いる場合には、念入りに1匹ずつ突き刺す。 すでに決着がついたにもかかわらず、戦いのダメージで動けない怪獣を崖っぷちまで引きずっていき、そこから(レッドフォールで)投げ落とす。 この作品における怪獣は戦闘で倒されても爆発や消滅などはせず、死体はその場に残るという特徴がある。そのため、怪獣の死体を放置したままレッドマンがその場を立ち去る(レッドアローなどの武器もそのまま置いていく)という場面が、ラストシーンとして多用された。 設定上は空を飛ぶことが可能だが、戦闘終了後は徒歩で去っていく描写が多い。 これらの演出は、本作が全編にわたって16ミリフィルムで撮影されたことから、当時主流であった特撮パートを35ミリフィルムで撮影して行う光学合成が出来ず、光線技が使えなかったという事情による。子供を飽きさせないようにパターンを変えて表現していた結果、フィニッシュがややエスカレートしていった面もあったと、本作がキャメラマンとしてのデビュー作となった大岡新一(後に円谷プロダクション代表取締役社長)は語っている。しかし大岡の工夫によって、最終盤・137話の一度限りではあるものの、スーパーインポーズの技術を利用して光線を合成することに成功している。 レッドパンチ、レッドキック レッドマンの基本戦法。ヒットした際の効果音から威力はかなりのものと推測され、強烈な打撃のみで怪獣を倒すこともあった。レッドキックは跳び蹴りや前転するようにして敵の目の前で倒立し、同時に顔面を蹴るというアクロバティックな技でとどめを刺すことが多かった。 レッドチョップ 怪獣の頭部へ打ち下ろしの手刀を叩き込む。ジャンプなどの予備動作で落差を付ける場合が多い。レッドキックとこの技は、繰り出す際に「レッドチョップ!」「レッドキック!」という専用の掛け声がある。 レッドアロー アローと名付けられているが、いわゆる手槍である。石突が十字架の形をしている。戦闘の最中にどこからともなく取り出す。手に持った状態で相手を突き刺す、投擲武器として用いるなど、汎用性が高い。また、至近距離からの投擲では、怪獣の胴体を2体まとめて串刺しにするほどの驚異的な貫通力を誇る。また、刺さると爆発する(本体は残る)こともある。 造形物は『帰ってきたウルトラマン』のウルトラクロスの流用。 レッドナイフ 大型のナイフで、短剣と呼べるほどのサイズである。先端に向かって刀身の幅が広がる独特の形状をしており、レッドアローと同じくどこからともなく取り出す。レッドアローほど凝った造形ではないが殺傷能力は抜群であり、先端から「レッドショット」として弾丸を発射することも可能。また、レッドアローと同じく投擲武器として用いる場合もあり、レッドナイフが命中した部分は発火炎上する。初期は2本使用していたが(2013年再放送時にもそう解説された)、後に3本目も登場している。 レッドフォール 怪獣を頭上に高々と持ち上げ、投げ落とす技。その場に投げ落とす場合と、崖から谷底へ落とす場合がある。主に虫の息となった怪獣へのとどめに使用するが、ゼットンのような強敵には打つ手無しと見たのか、半ば強引に谷底へ叩き落として勝負をつけてしまったこともある。 レッドサンダー 腕先から発射する破壊光線。使用したのは第137話でシュガロンに放った1回のみ。 分身 第136話で使用。2人になってグドンとビーコンと戦った。 当初は既存の怪獣だけでなく新怪獣も出る予定だった。以下の三怪獣は設定画が存在する。 猛毒巨虫 ビッグライガー 体長:55メートル 翼幅:46メートル 体重:1万5000トン 暗黒星雲のR星出身。 侵略ロボット スフィンガー 体長:48メートル 体重:5万トン ミッド星人が作った地球侵略用ロボット。 豪炎怪獣 グレイガス 身長:52メートル 全長:75メートル 体重:3万4000トン アリゾナの地底に生息。口から火炎を吐く。 プロデューサー:近藤恒彦 監督:大塚莞爾、安藤達己 助監督:布施修、石田徹 撮影:大岡新一、佐藤和美 照明:伊藤裕二、田中謙二 操演:岸浦秀一 音楽:山下毅雄 制作:円谷プロダクション BGMは主題歌のインストゥルメンタル版のほか、『ミラーマン』で本編未使用となった楽曲を流用している。 主題歌「レッドマン」 作詞:藤公之介 / 作曲:山下毅雄 / 編曲:広瀬雅一 / 歌:子門真人(東宝レコード DS-1003) メロディーが異なるNGバージョンが存在し、『子門真人 ヴォーカル・コンピレーション SONGS FOR HEROES〈桃盤〉』(1998年、日本コロムビア)に「レッドマン(タイプB)」として収録されている。「タイプB」では、2番以降も1番の歌詞が繰り返し歌われている。 イメージソング「夕陽のレッドマン」 作詞:藤公之介 / 作曲:山下毅雄 / 編曲:広瀬雅一 / 歌:子門真人(東宝レコード DS-1003) レッドマンを演じた久須美護が撮影途中に腕を骨折したため、後半のレッドマンは代役が演じている。136話における分身時には、左側の腰を落としてしっかり構えている方を久須美が演じている。 怪獣おじさん:朝戸鉄也 レッドマン:久須美護 怪獣:野武士の会 サブタイトルは存在しない。 4月27日はストライキ、9月25日は田中角栄首相の中国訪問の報道特別番組のため放送休止。 10月4日には最終回として第14話を再放送。 放送当時の資料は一部散逸しているため、正確な放送期間が公式の記録として残されておらず、一時期は放送回数さえ不明だった。現在公表されている放送期間は、のちに『ウルトラマンAGE』(辰巳出版)で円谷プロ作品年表を作る際に、新聞の記述や当時の視聴者の証言などから編集部が「信頼性が高い」と判断した情報を基にしたものだが、この年表自体、新たな情報が得られるたびにそれを検証したうえでの修正が繰り返されたものである。 1996年に、バンダイビジュアルより「レッドマン メモリアルボックス」として全話がレーザーディスクでソフト化されている。DVDは『円谷プロ特撮ドラマDVDコレクション』(2016年2月16日創刊、デアゴスティーニ)の115号 - 122号に収録される予定。 本作は長期に渡ってネガフィルムの所在が不明となっていたため、1980年代に発売された書籍では、「リバーサルフィルムにて撮影されたためにネガが存在せず、ニュープリントは絶望的である」と紹介してあるものも存在する。しかし、1990年代になって、LDセット「流星人間ゾーン パーフェクトファイル」の映像特典として収録する「行け!ゴッドマン」のネガを探していた東宝社員により東京現像所で「おはよう!こどもショー」名義で全話のネガが保管されているのが確認された。[要出典]ただし、オープニング映像が発見されていない。 ネガフィルムの発見に数年ほど先駆けて円谷プロの保管庫からモノクロのラッシュフィルム数本が発見され、これによってネガの存在が推測されることとなった。このラッシュフィルムは、ハミングバードより『ウルトラマンタロウ』のLDソフトが発売された際、新規に主題歌のカラオケをBGMとして付けたうえで最終14巻の映像特典として収録されている。 2016年3月よりYoutubeの円谷プロ公式チャンネルで再配信が開始されたことを機会に、本作の(2016年時点からすると)唐突で残虐ともいえるレッドマンの戦いぶりが注目を集めるようになり、「赤い通り魔」などと呼ばれて人気を博するようになる。これを受けてTシャツやLINEスタンプなどが発売されたり、本作の資料や撮影に使われたレッドマンのマスクなどを展示するイベントが企画されるなどしている。 「赤い通り魔」などと呼ばれて盛り上がっている状況について、円谷プロ社長となった大岡は「(殺戮の限りを尽くすという見方でそこだけフォーカスされることについて)そんなつもりで僕らは撮っていたわけじゃないから、「なぜだろう?」「何がウケているのかな?」っていうのは正直感じますよ」とコメントしている。また『レッドマン』の新作を見たいという声に対しては、今では悪者みたいなテイストで作るのは無理だとして「レッドマンはそれなりに何か特性を持ったヒーローでいてほしいとなると、作り方はものすごく難しい」とコメントしている。 唐沢なをきは本作を「シンプル極まりない、いわばオフィシャルな怪獣ごっこ」「突っ込みどころが固まって一本の番組になったような作品」と評して、これがネットでみんなでわいわい騒ぎながら見るのにぴったりなパーティームービーとして認知されているとしている。 ^ a b c d 全怪獣怪人 上 1990, p. 166 ^ a b 『宇宙船SPECIAL '70年代特撮ヒーロー全集』 監修 金田益実、朝日ソノラマ、1998年5月30日、120頁。ISBN 4-257-03533-1。 ^ a b c 円谷プロ全怪獣図鑑 2013 ^ a b 円谷プロ画報 2013, p. 96. ^ a b 全怪獣怪人 上 1990, p. 167 ^ 『メーキング・オブ・円谷ヒーロー・1』 講談社〈講談社X文庫〉、1987年、112頁。 ^ 円谷プロ公式YouTubeチャンネル「ウルトラチャンネル」 ^ 『メーキング・オブ・円谷ヒーロー・1』 113頁。 ^ “赤い通り魔? 異色の特撮『レッドマン』に中毒者続出”. R25. 2016年5月7日閲覧。 ^ “『ウルトラマン』がギネス世界記録「最も派生テレビシリーズが作られたテレビ番組」に認定!”. 円谷ステーション. 2013年9月14日閲覧。 ^ これはルーツとなった作品『ウルトラファイト』でウルトラセブンが行っていたポーズであり、そこからの流れである。 ^ a b 特撮秘宝vol.4、237-241頁。 ^ 円谷プロ画報 2013, p. 99. ^ 『別冊映画秘宝 特撮秘宝』Vol.4、洋泉社、2016年8月27日、 244頁、 ISBN 978-4-8003-1005-7。 ^ 特撮秘宝vol.4、.234頁。 ^ 『ウルトラアンソロジー 円谷プロの世界』(1995年、ファンハウス)のライナーノーツにおける作品データでは、放送回数を不明としている。 ^ 『超人画報』竹書房、1995年の92頁では放映期間を「1972(昭和47)年4月3日~9月29日』、『全話数不詳』としている。 ^ 『メーキング・オブ・円谷ヒーロー・1』 114頁。 ^ 『説明なしで怪獣をオーバーキルする通り魔ヒーロー「レッドマン」が怖すぎる YouTubeのリバイバル配信で人気が再燃 - ねとらぼ』2016年04月20日、同年10月14日閲覧。 ^ 『「レッドマン」「レッドファイト」Tシャツがコスパより発売決定!7/24(日)「Wonder festival2016[夏」にて先行発売開始!]』円谷プロダクション、2016年07月11日、2016年10月14日閲覧。 ^ 『赤いあいつ『レッドマン』がまさかのLINEスタンプになって登場!LINEのトーク画面でレッドファイト!』円谷プロダクション、2016年08月30日、2016年10月14日閲覧。 ^ 『ネットで話題の赤いあいつ「レッドマン」が中野ブロードウェイにやってくる!「赤いアイツ展~Exhibition Of REDMAN~」11/17(木)~28(月)開催!』円谷プロダクション、2016年10月11日、2016年10月14日閲覧。 ^ 特撮秘宝vol.4、231頁。 『全怪獣怪人』上巻、勁文社、1990年3月24日。C0676。ISBN 4-7669-0962-3。 大石真司、江口水基・島崎淳・間宮尚彦 『円谷プロ全怪獣図鑑』 小学館、2013年、66頁。ISBN 9784096820742。 『円谷プロ画報』第1巻、竹書房、2013年。ISBN 978-4-8124-9491-2。 『別冊映画秘宝 特撮秘宝』vol.4、洋泉社、pp.12-13.231-246、2016年。ISBN 978-4-8003-1005-7。
レッドマン
仮面ライダーストロンガー
仮面ライダーシリーズ > 仮面ライダーストロンガー 『仮面ライダーストロンガー』(かめんライダーストロンガー)は、1975年(昭和50年)4月5日から12月27日まで、毎日放送制作・TBS系列にて毎週土曜19:00 - 19:30(JST)に全39話が放送された、東映制作の特撮テレビドラマ作品、および作中で主人公が変身するヒーローの名称。 「仮面ライダーシリーズ」第5作目。TBS系列となって初の作品であり、第1期昭和仮面ライダーシリーズ最終作である。 単純明快な作品とすることが目指され、西部劇のような放浪劇となっているのが特徴である。レギュラー登場人物はシリーズで最も少ない。 前作品『仮面ライダーアマゾン』までの仮面ライダーシリーズは、関東地方などではNET(現:テレビ朝日)系列で放送されてきたが、制作局の毎日放送が「腸捻転」解消のために朝日放送とネットチェンジした。そのため、本作品は関東地方などではTBS系列での放送となった。そして、TBS側の意向により、『アマゾン』に代わる新番組が急遽制作されることとなった。 東映の平山亨は「5人の仮面ライダーが活躍する」という案を毎日放送側に提示したが、仮面ライダーシリーズを初代『仮面ライダー』から担当してきた毎日放送編成局映画部長の庄野至は、「ヒーローは1人であるべき」とし、これに反対した。このため、従来通り仮面ライダーは「ストロンガー」という単独ヒーローとなった。没となった「5人ライダー」の企画案であるが、これはそのまま後のスーパー戦隊シリーズの礎となる『秘密戦隊ゴレンジャー』の設定に生かされることとなった。 「『X』『アマゾン』ときて、正直手詰まりな感じがあり、ヒーローものとしての原点に立ち帰ろうと思った」と語る平山が次に提示したのが、「単純明快、痛快明朗」を目指した『仮面ライダースパーク』だった。仮面ライダーには「改造電気人間」という視覚的に訴えかける新要素を設定。しかし「スパーク」という名称は商標登録されていたため、「ストロンガー」に変更された。各地を放浪するというアイデアは前作『アマゾン』の初期案である『ドラゴンライダー』の初期設定を踏襲しており、デザイン画にも共通性が見られる。 また、「私たちも仮面ライダーごっこがしたい」という女の子たちの意見を聞いた平山の発案により、シリーズ初の変身ヒロイン・電波人間タックルの登場も決められた。タックルも当初は女性仮面ライダーとして提案されていたが、5人ライダー案と同様に毎日放送側から却下された。 敵方のキャラクター「奇っ械人」にもストロンガーの「改造電気人間」同様に、「改造スプリング人間」「改造ガス人間」など、明快な特徴がもうけられていたが、これを1話限りの登場で描ききることは難しかったらしく、切り捨てられた。 本作品は当初、全52話(4クール)での終了を予定していた。だが、初回視聴率が振るわなかった上に数字は下降を続け、それまでとは逆に関西の視聴率が関東を下回るまでに至った。これは放送時間が30分早まったため、日没の遅い関西で子供たちの帰宅時間と合致しなくなったからである。 毎日放送は6月から「番組強化キャンペーン」を展開したものの、結局本作品をもって仮面ライダーシリーズの終了を決定した。これは、毎日放送の左近洋一らの、「人気のある内に終わらせよう」との意向によるものである。 「有終の美を飾りたい」との毎日放送側の計らいによって、最終話(第39話)は藤岡弘以下、歴代の仮面ライダーが素顔で全員客演し、原作者の石森章太郎も山田稔と共同で監督を務めるという布陣となっている。各俳優のスケジュール調整には相当な無理があったらしく、揃っての撮影は1日のみであった。7人の仮面ライダー全員が素顔で揃ったのはこれが最初で最後であった。予告では「仮面ライダー最終回」とアナウンスされ、シリーズの最終回を強調されていた。本作品の撮影終了後、仮面ライダーシリーズ終了記念パーティーが開催された。 終了後も土曜19時台では引き続きMBS制作によるテレビ番組の放送が継続され、NET系時代末期に穴埋めとして放送された後、視聴者から再開要望が多く寄せられていた『まんが日本昔ばなし』が本作品の後番組に充てられ、『クイズダービー』『8時だョ!全員集合』とともに、1970年代後半から1980年代前半におけるTBS系土曜ゴールデンタイムの看板番組として定着することになる。毎日放送・東映・石ノ森章太郎による特撮ヒーロー路線は、金曜19時台の『宇宙鉄人キョーダイン』に引き継がれた。 本作品にてひとつの区切りを迎えた仮面ライダーシリーズであるが、番組終了から4年後に『仮面ライダー (スカイライダー)』でシリーズを再開、その後も幾度かの紆余曲折を経て2000年以降の『平成仮面ライダーシリーズ』まで継続することになる。 大学生・城茂(じょう しげる)は、悪の組織ブラックサタンの秘密を知ったことで殺された友人・沼田五郎(ぬまた ごろう)の仇を討つため、自ら進んでブラックサタンのアジトに乗り込む。そして、苦痛に耐えながら改造手術を受けて電気人間となった。自己催眠装置によって脳改造を免れて大首領への宣誓の場で反旗を翻した茂は、電波人間に改造された岬ユリ子(みさき ゆりこ)を救出し、ともにアジトから脱出に成功。 以後、茂は仮面ライダーストロンガー、ユリ子は電波人間タックルとして、各地をさすらいながらブラックサタンの奇械人と戦う。旅の途中、仮面ライダーアマゾンまでの歴代ライダーとともに戦った立花藤兵衛が加わり、3人旅となった。 ブラックサタンを壊滅させたストロンガーとタックルだったが、デルザー軍団が出現。デルザーの改造魔人を前にユリ子が命を落とし、ストロンガーはブラックサタンの科学者だった正木陽一郎(まさき よういちろう)博士によって再改造されて改造超電子人間にパワーアップした。 そして、世界各地から歴代ライダーが次々と日本に帰国。ストロンガーは彼らとともに、デルザーとの最終決戦に臨む。 城 茂(じょう しげる) / 仮面ライダーストロンガー 本作品の主人公。改造当時22歳。城南大学アメリカンフットボール部時代の親友・沼田五郎を改造手術の失敗で死亡させられ、ブラックサタンを仇敵として狙う。 第1話では登場直後から既に仮面ライダーストロンガーとなっており、不敵に奇械人の前に立ち塞がる。自身の改造については第2話に回想として語られており、「天涯孤独で大学を出ても将来がないのなら、世界一強くなって、悪事を働きたい」と自らブラックサタンに改造人間被験者として志願。改造人間適正テストに合格して改造手術を施されるが、事前に用意していた自己催眠装置により脳改造を免れ、自我意識を保つことに成功した。改造が行われた地は「悪魔山」という奇械人改造用アジトでユリ子とも、そこで出会った(第13話)。 斜に構えたニヒルな性格で、初対面の立花藤兵衛を「オッサン」呼ばわりする荒っぽさを見せながらも、奇械人を手玉にとるような言動や作戦を駆使する策士の面も見せていた。演じていた荒木しげるの要望もあり、次第に礼儀正しい面を見せるようになり、先輩ライダーのことを「先輩」と呼び、彼らと会話する際の一人称は「俺」ではなく「僕」を使うこともあった。 常時、絶縁体でできた黒い手袋を両手に着用。変身前でも手袋を外すことにより簡易な「電タッチ」や「電ショック」が使用可能。もちろん、その電気を帯びている手で、むやみに他人や物に触れることは禁物である。ちなみに着用している「S字シャツ」はオートバイ協力会社である「スズキ」のレーシングチームのユニフォームである。 デザイン画は前作『仮面ライダーアマゾン』の初期案であったドラゴンライダーと共通するイメージで描かれている。 岬ユリ子(みさき ユリこ) / 電波人間タックル 改造当時17歳。城茂と同じく登場時からタックルとして確立されているが、明確な改造シーンは描写されていない。兄の守と共にブラックサタンに拉致され、改造手術を受けていたが、第2話でブラックサタンのアジトに拘束されていたところを脱走中のストロンガーが発見、脳改造の直前に救出されて共にアジトを脱走。ブラックサタンと敵対する反逆者となって茂と共に戦った。本人は至って負けず嫌いな性格で、茂とは手柄をめぐって口ゲンカが絶えない関係であったが、第30話の藤兵衛の独白により、内心では茂の足手まといになることを疎ましく思っていたことが明らかにされた。 改造前の過去の経歴については、守という兄がいたこと以外は作中において語られることはなかった。平山亨の小説では、「フランス・ニース生まれの16歳。父は貿易商で母は登山家。上高地・徳本峠山中で守と共にブラックサタンに拉致された」とある。 一定のポーズと共に「エイッ!ヤー!トー!」という掛け声を発しながら変身する(キーワード略式でも変身は可)。 第30話でデルザー軍団のドクターケイトの致死性の毒液を浴びて瀕死の重傷を負い、余命幾許もない事を悟る。この事実を藤兵衛だけに打ち明け、自ら煎れたコーヒーを茂に振舞いつつ、自らの夢を語る。そしてストロンガーの危機に必殺技ウルトラサイクロンを発動。仇敵・ドクターケイトを葬るが、それは諸刃の剣であり、茂への想いを胸に短い生涯を閉じる。 プロデューサーの平山亨による構想案では、死後にストロンガーと藤兵衛による再改造で蘇るという展開も存在した。 前作までに登場した仮面ライダーたち。デルザー軍団を追って海外から次々と帰国し、第35話のV3を機にストロンガーと共闘。 本郷猛 / 仮面ライダー1号 アメリカから帰国。 一文字隼人 / 仮面ライダー2号 インドから帰国。 風見志郎 / 仮面ライダーV3 エジプトからマシーン大元帥を追って帰国。 結城丈二 / ライダーマン ギリシャからヨロイ騎士を追って帰国。 神敬介 / 仮面ライダーX スペインからヨロイ騎士を追って帰国。 アマゾン(山本大介) / 仮面ライダーアマゾン アマゾンから帰国。 立花藤兵衛 第3話より登場。ブラックサタンの存在を知り、茂やユリ子に協力する。『X』や『アマゾン』の時とは違い、新しい仮面ライダー(ストロンガー、タックル)と対面しても驚いた描写はなかった。茂からは「オヤジさん」、ユリ子からは「おじさん」と呼ばれている。7人ライダー全員から「オヤジさん」と呼ばれ、最後まで仮面ライダーの父親的な立場を演じた。 人間の耳から脳内に侵入し、肉体を乗っ取る恐るべき怪虫サタン虫を使って全人類支配を企む秘密結社。ブラックサタン大首領によって統括され、世界中に支部を持つなど組織としては原点回帰的な側面を持つ。構成員は改造手術の後、忠誠の誓いを立てる。また儀式を行う際は白、または黒の三角頭巾の長衣をまとう。 第13話では「奇械人の墓場」に『仮面ライダーV3』のデストロン怪人ピッケルシャークの姿が見られたほか、第17話でのタイタンの復活の儀式には『仮面ライダーX』のGOD悪人軍団であるアリカポネが奇械人に交じって参列していた。 第26話で、大首領に用済みとされて怒ったジェネラルシャドウが起こしたクーデターにより、組織は内部分裂をおこして壊滅状態に陥った。更にブラックサタン大首領はストロンガーによって倒され同時に本部も爆発、ブラックサタンは壊滅した。しかしジェネラルシャドウは自身の故郷である「魔の国」から、ブラックサタン大首領すら戦慄させる恐るべき軍団を呼び寄せていた。 ブラックサタンのアジトの中心部は2008年にバンダイから発売された「ライダー昭和名鑑」で、「ストロンガーとタックルの秘密!」(第2話のサブタイトル)という彩色済みディスプレイモデルとして再現された。ストロンガーがブラックサタン戦闘員を倒したところを再現しており、アジト内のオブジェなども細密に再現されている。 ブラックサタン大首領 最高幹部だけが入れるアジトの部屋内で声で指令を発する。タイタンやデッドライオンの組織直系幹部を重用し、外様であるジェネラルシャドウはあまり信用していないため、一度戦死したタイタンを復活させている。 その正体はすべてのサタン虫を統括する巨大なサタン虫。瞬間移動能力を備え、腕に神経毒を持っている。ドクロの口からは高熱の炎を吐く。デッドライオンからサタンのペンダントを入手したストロンガーの侵入を許してしまい、デルザー軍団の出現を察知して逃亡を図るが、ストロンガーの電パンチと電キックを食らって倒された。 デザイン画では、巨大なサタン虫が頭部になっているデザインとなっていた。 他作品での活躍 パチンコ『仮面ライダーフルスロットル』 声 - 関智一 闇のショッカーの大幹部として登場。テレビシリーズのブラックサタン大首領に多くの骸骨を付けたような外見をしている。演じる関智一は、『スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号』でショッカー首領、『平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊』でバダン総統など、平成仮面ライダーシリーズで納谷悟朗が演じたキャラクターの後任を担当している。 タイタン ブラックサタン日本支部の初代大幹部。普段は謎の紳士「Mr.タイタン」として行動し、前線で戦闘員や奇械人を指揮する。移動の際は運転手を使わず、自らフォルクスワーゲンを運転する姿が見られた。 一つ目タイタン・百目タイタンともに、指揮をとる際は黒の三つ揃いのスーツに白いスカーフ(第3話以降は白い手袋も)、ストロンガーと直接対決した際は黒革のつなぎにブーツを着用。第20話ではポンチョを着て登場した。 Mr.タイタン 人間態。スリーピース・スーツ姿に薄い色のサングラスを常用したダンディな紳士で、煙草ホルダーで紙巻き煙草を常に吹かしている。冷徹な性格で、潔癖症の気が見られ、他者と接触しただけで背広をとりかえている。 戦法としては合理主義者で、配下を捨て駒としか見ておらず、任務遂行を最優先とし仲間の犠牲も厭わない。しかし、任務遂行のためであれば自ら茂を引きつける役を買って出たり、奇械人に対しても「ブラックオートバイ部隊」などを差し向けて援護することも度々ある。そういった姿勢ゆえ、首領からの信望は厚い。策士でもあり、茂に対して高額報酬と幹部の地位を見返りに、ブラックサタンへの誘い入れを試みたことがある。変装が得意で、焼きトウモロコシ屋の姿で監視を行なったこともあった。 字幕テロップはシリーズ通して「謎の紳士 / タイタン」とされ、第17話や第21話で「百目タイタン」と名乗る場面はあるが、ストロンガーやジェネラルシャドウからも劇中一定して自他称併せて「タイタン」と呼ばれていた。 一つ目タイタン 第1 - 13話に登場した「改造火の玉人間」。黒い頭部の中央にその名の通り巨大な一つ目が付いている。前線で戦うことも多く、「火の玉スカーフ」などの火炎技のほか、リボルバー状の「タイタン破壊銃」も用いる。また、電キックを跳ね返す「キック返し」という技も持つ。エネルギー源はマグマであるため、急激な温度変化に弱い。目玉を壁などに貼り付け、監視に用いる。 最終決戦を期して、第13話で体内のマグマを通常の8万度から3倍の24万度に上げた。ストロンガーの技をことごとく跳ね返しストロンガーを窮地に立たせるが、海中に投げられて急激に体を冷やされ、マグマを噴き出しながら水蒸気爆発を起こし爆死する。オカルティストであり、打倒ストロンガーの呪いを込めた黒魔術の儀式を執り行うこともあった。 黒を基調としたデザインは組織のイメージカラーを体現したものである。 百目タイタン 第17 - 23話に登場。ブラックサタン「呪いの棺の儀式」により、タイタンが強化復活したもの。元の一つ目に加え、頭部全体を十数個の目が覆っている。ストロンガーと同等かそれ以上の力を持つ。「ファイヤーシュート」などの火炎技のほか、返し技を多く持ち、ストロンガーの電気技を跳ね返す。性格としては以前と変わっておらず、雇われ者のシャドウと反目し最高幹部の座を争い、人質を取ったり部下を捨て駒にするなど目的のために手段を選ばない行動も変わらず。最終決戦前に、「地底王国の魔王」との身分が明らかにされた。 後に自らを以前の30倍の強さに強化して自身の故郷である地底王国でストロンガーに挑むが、無理なパワーアップのため両肩のエネルギー回路からマグマが噴出してしまう。そこにストロンガーダブルキックを受けて致命傷を負い、マグマの谷でストロンガーと握手にみせかけて道連れにしようとするが失敗。ブラックサタンの栄光を讃えながら全身からマグマを噴き出しつつ谷底のマグマへ転落、爆死した。 『仮面ライダードライブ』第27話と第28話に登場したシーカーロイミュードは、百目タイタンをオマージュしている。 他作品での活躍 漫画『仮面ライダーSPIRITS』 魂の無い怪人としてバダンに再生される。 パチンコ『仮面ライダーフルスロットル』 敵の大幹部として、一つ目タイタンが登場。 デッドライオン 第24 - 26話に登場。大首領との謁見が唯一許されているブラックサタン最高幹部。大首領からの信頼も厚く、その証拠に組織の最高機密が隠されているサタンのペンダントを所有している(このことがジェネラルシャドウ離反のきっかけとなった)。 右腕のデッドハンドを用いた技を多く使う。また、鬣は投擲する事もできる。設定では、鬣から強風を放ち、尻尾からは火の玉爆弾を放つ。 部下として活動したのは奇械人アルマジロンだけだが、タイタンやシャドウのように指示や援護を行うのではなく直接アルマジロンと共同戦線を行っている。アルマジロンと共に茂を罠にかけるが失敗した挙げ句サタンのペンダントを奪われてしまい、第26話でブラックサタンのアジトに向かうストロンガーを迎え撃つ。しかし戦闘中に突如姿を消し、その後は一切登場しなかったため、ブラックサタン壊滅後の消息は不明。 鈴木生朗による台本によると、ストロンガーの電キックに倒された後、残された左手が首領の下へと飛んでいくという展開が描かれていた。しかし山崎大助監督の意向で台本に変更が加えられ、デッドライオンの最期の過程はカットされることになった。ブラックサタンの壊滅とデルザー軍団の到来という濃厚な内容の第26話が、それ以上詰め込みすぎになるのを避けたためと思われる。 登場時期が僅かな間だったためかテレビマガジンデラックス『決定版 全仮面ライダー超百科』や『決定版 オール仮面ライダー 完全超百科』等の書籍では組織構図に大幹部としての紹介が載せられていない。 他作品での活躍 漫画『宇宙の11 仮面ライダー銀河大戦』 マーダー帝国に再生された幹部に交じって登場。魔神提督と暗闇大使と共にマーダーマシン02でライダーを迎え撃つ。 漫画『仮面ライダーSPIRITS』 ブラックサタン壊滅後も生き残った残党として登場。 ジェネラル・シャドウ ブラックサタン日本支部の二代目大幹部。 奇械人または奇っ械人(どちらも読みは「きっかいじん」)は、ブラックサタンの擁する改造人間。人間性の徹底的な欠如が特徴で、シリーズ従来の怪人に比べて外見がメカニカルになっている。本体であるサタン虫を耳などから人間の体内へ進入させて肉体を相手と同化し、寄生して人間を操ることができる。 怪人自ら人間に抱きついてサタン虫を人間に寄生させ、「奇械人、乗り移り」の叫び声で人間に憑依することができる。乗り移られた相手は、耳たぶに黒い「★」印が浮き出る。乗り移った奇械人が死んでも、乗り移られた人間が死ぬというようなことはなかった。 企画段階では怪ボーグという名称で、戦闘員の中から優秀な者が改造されるという設定であった。ガンガルやワニーダの下半身が戦闘員と同様の黒タイツ姿となっているのはこの設定の名残とされる。 サタン虫 髑髏と蜘蛛を掛け合わせた灰色の不気味な姿の怪虫。人間の耳の穴から脳髄に入り込み、その人間を意のままに操る。奇械人の体内にも棲んでいる。秘密結社ブラックサタンはこのサタン虫を多数繁殖させており、これを使って人間を支配するのが目的である。企画書でも列記されている演出ポイントとして、サタン虫が人間に寄生する場面が、レントゲン写真風に不気味で印象的なものとして描かれた。 第10話では、全く同じ見た目の虫が「ガンマー虫」として登場し、サタン虫と同様の描写が行われた。 石森章太郎によるデザイン画では頭部が髑髏状になっており、ブラックサタン大首領の造形に活かされている。 ブラックサタン戦闘員 全身が黒ずくめの恰好で、目だけが飛び出て黄色く、頭頂部左右に耳上の突起がある。茂は「ネズミども」と呼んだことがある。シャドウに切断処刑された際の死体の断面は機械が露出している。他の仮面ライダーシリーズの戦闘員のように、覆面を脱ぐと人間の素顔が現れるという描写はないが、人間の姿に「変身」することはある。 背中に爆弾を装備して自爆攻撃を行うなど使命のために生死を厭わない。全員「サタン虫」を体内に宿している。倒された戦闘員は肉体が消滅し、サタン虫の死骸だけが残る。 「ブラックオートバイ部隊」として、無線によりタイタンが命令を下すオートバイ部隊も編成した。儀式の際には三角頭巾をつけた白ずくめの長衣を見につける。また、第22 - 23話ではタイタン配下の白装束の戦闘員「死の使い部隊」として登場、隊長は銀の装束を着ていた。 ブラックサタン壊滅後、組織に見切りをつけたジェネラル・シャドウが自身の故郷である「魔の国」から呼び寄せ創設した新組織。不吉を象徴する数字、13の魔人たちによって構成される。結成初期にはシャドウを含む8人のメンバーが集結し、後に残りのメンバーが参戦することになる。シンボルマークは「蛇」を「d」に見立てたもので、ジェネラルシャドウ以外は全員このシンボルのついたベルトを着用している。 デルザー軍団のメンバーは、主に世界的に有名な魔物の子孫や不死者が、さらに改造された者たちで構成されている。ブラックサタン大首領ですら戦慄するほど実力は凄まじく、全員がショッカーからブラックサタンの大幹部クラスと同等の実力を持ち、さらにストロンガーの主力エネルギーである電気エネルギーを吸収かつ跳ね返せるため、初期のストロンガーの能力ではほとんど歯が立たなかった。組織の規模は決して大きくはないが、実力はブラックサタン以前の歴代の秘密結社を凌駕する過去最強の戦闘力を誇る。 最大の特徴は明確なリーダーが存在せず、組織内のヒエラルキーが基本的に存在しないこと。登場時にジェネラルシャドウが実力主義に基づき「ストロンガーを倒した者がリーダーとなる」というルールを提唱。全員賛同のもと、団員同士の激しい競争が繰り広げられたが、ストロンガーが超電子人間にパワーアップしたことから、たちまち形勢を逆転され、ジェネラルシャドウが呼び寄せた第一陣の改造魔人たちはほぼ壊滅状態になる。しかし、エジプトから軍団の実権者・マシーン大元帥率いる第二陣が来日すると、大元帥はジェネラルシャドウの指揮権を剥奪、仮面ライダー打倒よりも従来の侵略活動に重きが置かれるようになる。日本各地で破壊活動を開始するが、ストロンガーや、世界各国から帰国した6人ライダーの活躍によって次々に作戦を阻止された。第39話で、立花藤兵衛を人質にとって再生怪人たちとともに7人ライダーに最終決戦を挑んだが、全員が倒される。その直後、軍団の背後に存在していた大首領が現れて7人ライダーと対決するが「わしは地球を捨てて宇宙の果てに帰る」と言い残して自爆。組織は壊滅した。 企画段階での仮称はダーク・エンジェルスであった。 下記の魔人のほか、ジェットコンドルがデルザー軍団の魔人として構想されたが未登場に終わった怪人。漫画『仮面ライダーSPIRITS』で魔人の1人として登場した。同じく未登場の、名称不明の貝型怪人とともに『仮面ライダー激闘ファイル』にてそのデザインが確認できる。石森によるラフデザインではドラキュラ伯爵やミミズミイラといったキャラクターも検討されていた。 デルザー軍団大首領(岩石大首領)とジェネラル・シャドウについては、それぞれの個別記事を参照。 デルザー軍団大首領(岩石大首領) デルザー軍団の真の支配者であり、同時に7人ライダーが戦ってきた秘密結社(ショッカーからブラックサタン)をも支配していた黒幕。最終話で姿を現した。 ジェネラル・シャドウ デルザー軍団の結成の立役者であり暫定的リーダーを務める。 ジェネラルシャドウの計画に賛同し日本に集結し組織を乗っ取った改造魔人たち。ブラックサタンのクーデターではジェネラルシャドウがリーダーを務めていたものの、各改造魔人は大幹部クラスの同格であるがゆえに互いの対抗意識が強い。さらにストロンガー抹殺を条件にしたリーダーの座を巡る争いの要素が加わったため、日本列島を難なく滅ぼせる歴代最高の戦力を誇る組織が、同時に最低の結束力しか持たないという皮肉な状態に陥ることとなった。 鋼鉄参謀 「フィンランドの黄金魔人」の子孫である、デルザー軍団最初の刺客。 鋼鉄の鎧を身に纏い、巨大な鉄球を振り回す。策謀を好む卑劣な性格の改造魔人がほとんどの軍団内で、真正面からの堂々とした正攻法の戦いを尊ぶ武人肌の人物。そのために荒ワシ師団長とは仲が悪い。シャドウには一目置いているようであるが、自他とも認めるその実力の自負心からやや傲慢で自信過剰な面があり、他の団員に対して高圧的に見下すような振る舞いをするためドクターケイトとも折り合いが悪い。体がとても頑丈で普通の攻撃ではビクともせずストロンガーを苦しめた。鋼鉄の装甲で電気技のエネルギーを逆流させて、ダメージを跳ね返す。また怪力の持ち主でそのパワーはストロンガー以上。 攻撃の際に「スティールッ!」といった独特の掛け声を発する。弱点は酸性物質。最期はストロンガーにケイトの酸性毒ガスを浴びせられて弱体化したところに電キックを受け、爆死。ストロンガーを最も苦しめた魔人の一人であった。 その他の登場作品 漫画『宇宙の11 仮面ライダー銀河大戦』 マーダー帝国に再生された幹部達の中でジャーク将軍と共に残る。以前のように鉄球を振るってストロンガーを追い込む。 荒ワシ師団長 「竜巻魔人エキム」の子孫にして、「砂漠の死神」と恐れられた破壊師団の長である怪鳥の魔人。 軍団でも特に卑怯・姑息な性格で、常に他者を陥れることを目標として狡猾な作戦を用いることしか考えが無いため、鋼鉄参謀とは犬猿の仲。十字軍の戦士を思わせるような衣装に身を包み、アジトには双頭の鷲が掲げられている。 戦斧と盾が武器で、背中の翼を用いて空を飛ぶ。 まず、茂を鋼鉄参謀の下から奪い、電気を通さぬ絶縁体の網で捕獲した彼を水中で処刑しようとしたが、水の中では絶縁効果が及ばないことに気づかず脱出されてしまう。 ストロンガーとの戦闘でも、網同様に水中に弱い事を看破され形勢が逆転、水中エレクトロファイヤーで爆死。デルザー軍団初の戦死者となった。 最終話にて大首領により奇械人と共にデルザー魔人の中で唯一復活させられ、ライダーたちに挑むが、歴戦の戦士たちにはかなわず爆死した。 ドクターケイト 「妖花アルラウネ」の子孫にして、東ドイツの毒殺部隊の長である魔女の魔人。 猛毒作りの達人というだけでなく全身が毒の塊で、体に触れただけでも相手を死に至らしめる。他にも尖端から猛毒腐食液を噴射する杖や相手の動きを封じるマントを武器として、頭からは浴びた者の筋肉の動きを止めて、猛烈な痺れを起こすケイトガスを放出する。巨大なケイトウ(鶏頭:ヒユ科植物のハナケイトウ)に姿を変えたり、ケイトガスを発するケイトウ状の毒花を作り出すことも可能。 ストロンガーの電キックが通じない体質だが、植物の魔人であるため火には極端に弱い。初登場時にブラックサタン乗っ取りに成功したシャドウの手柄を素直に認めた以外は、荒ワシ師団長同様狡猾な面しか見せなかった。また非常に残酷かつ執念深い性格で、ストロンガーとの戦いを妨害した鋼鉄参謀への報復としてケイトガスを放つ毒花を用いてストロンガーを援護し、結果的に鋼鉄参謀を死に至らしめた。更に同性のユリ子に対しては敵意を剥き出しにし、致命傷を負わせた上に残酷な口調で死の宣告を行った。結果的にこれがタックルに相討ちの決心を固めさせたとも思われ、彼女の命と引き換えの大技・ウルトラサイクロンで倒された。 ドクロ少佐 「幽霊騎士」の子孫にして、イタリア忍者軍団「DDD団」のボスである髑髏の魔人。 ストロンガーの実力を見定めてから戦おうとするなど、知謀に長けている。また、ドクターケイトに共闘を申し出たり、自身を妨害した岩石男爵との決着よりもストロンガー抹殺を優先するなど、他の魔人と異なり内紛を避ける傾向がある。甲高い不気味な声で笑うのが特徴。大鎌を武器とし、鎌を駆使した「ドクロ火炎」「ドクロ機関砲」など武装も多彩であるほか、瞬間移動する「火炎隠れ」、五体を分割して襲いかかる「ドクロ分体」などの暗殺忍術、更に格闘術にも長けており、その実力はシャドウからも「デルザー軍団きっての殺し屋・切れ者」と高く評価され、互いを認め合っていた。ドクロ忍び集団と呼ばれる配下の戦闘員たちはドクロ少佐によって鍛え上げられており、「ホネッ」という奇声を発する。 ストロンガーを強化した正木博士を殺害するも、最期は超電子人間に初変身したストロンガーの超電子ドリルキックで頭を飛ばされて爆死した。 怪人の声が、後の話に登場した時には変わっているということは多いが、ドクロ少佐はたった1話の中で声が変わっている。 デザイン画の段階では、狼長官のコスチュームで描かれていた。 岩石男爵 「スフィンクス」の子孫。変な訛りで喋るのが特徴。自身の配下の戦闘員に罰としてトレーニングを施すなどの体育会系な人物。 岩で出来た岩石棍棒が武器。硬い身体と強靭なパワーを持ち、岩石でできた身体を組み変えることができる。体の岩をこねて作った粘土で、本物に似た人形を作り出す「岩石粘土細工」や、体の岩を敵に投げる岩石弾という技を持つ。また、巨大な石を纏い、身を守ったり、姿を隠す岩隠れと呼ばれる技を持ち、岩隠れのまま敵を押し潰す岩石落としという技もある。鋼鉄参謀ほどではないものの割合正攻法で攻めて来た。また、非常に重く頑丈な身体を誇り、それを活かした敵への頭突きや圧し掛かりも得意としている。 しかし頭は良くないために狼長官のクーデター計画に利用され、シャドウには「救いようのない単細胞・柄の悪さ」、茂には「まぬけの岩石男爵」とまで言われた。 最期は超電子ドリルキックで断頭され、胴体を超電三段キックで破壊されて爆発四散した。配下の戦闘員ともども「イワー(岩)」と言う奇声を発する。 デザイン画の段階では、ドクロ少佐のコスチュームで描かれていた。 狼長官 「狼男」の子孫にして、諜報機関SDの長官を務める軍団きっての策略家。 また唯一人間の姿(「浅野」と名乗る歯科医の男)に化けた魔人でもある。投げるとブーメランのように手元に戻る指揮棒と口から取り出す歯型爆弾を武器にしている。 プライドの高い性格で先祖に誇りを持ち、ジェネラルシャドウを成り上がりと蔑み、シャドウに代わって自らが軍団のリーダーになろうと画策。岩石男爵やストロンガーを利用してシャドウ抹殺を図るも失敗。満月の夜には満月の誓いの儀式を行なうことで不死身になり、ストロンガーの超電スクリューキックと超電三段キックをものともしなかった。プラズマエネルギーを操り満月プラズマ光線でストロンガーを圧倒したが、月が雲に隠れた一瞬を突かれ、超電稲妻キックを受け爆死した。頭部の網のような飾りは電気の粒子(プラズマ)のデザインとされている。 狼男の肖像画 狼長官のアジトに掲げられている、狼長官の祖先「狼男」の肖像画。狼長官の願いに応じて喋りだし、様々な助言を与える。劇中では満月の夜に子供を生贄に捧げれば、プラズマエネルギーが最高潮に達して強大な力を得られるということを伝授した。 その他の登場作品 『全員集合!7人の仮面ライダー!!』 暗黒大将軍によってブラックサタンの奇械人と共に甦って、再登場する。 隊長ブランク 「フランケンシュタインの怪物」の子孫にして、ブランク狙撃隊の隊長。軍団結成の初期のメンバー最後の一人。妙な片言で喋る。 ナイフを発射するライフルを武器とし、優れた狙撃手であり恐るべき怪力の持ち主だが、岩石男爵同様賢くはなく、さらに自制心が低いため茂の策謀に翻弄されチャージアップ前のストロンガーに苦戦している。 最期は奇襲作戦で岩石爆弾の攻撃によりストロンガーを圧倒するもチャージアップされ、超電急降下パンチを受けた後に投げ飛ばされて爆死。 デザイン画での名称は隊長フランケンシュタインであり、上半身の色は赤色であった。 ヘビ女 シャドウの片腕と呼ばれる蛇の改造魔人。ジェネラルシャドウを「シャドウ様」と呼ぶ。新戦力として呼び寄せられた。デルザー軍団内では唯一、名前の肩書部分が称号や地位・階級を表すものではない。 左手がメカニカルなヘビの頭になっていて、その口から火花を出して攻撃できるほか、自身もヘビに姿を変えたり、噛み付いた相手をヘビ人間に変えて操る催眠術も使える(ヘビ人間にされた者は額にある赤い鱗をはがせば元に戻る)。また自身が吸血を行った相手に毒液を注入する能力や、電気エネルギーを吸い取るマントを持つ。 最期はV3の援護を受けたストロンガーの超電大車輪キックに敗れ去った。シャドウとは深い信頼関係で結ばれており、彼女の死に酷くショックを受けた。 角や髪などが異なる別のデザインが存在している。また、『激闘ファイル』内で岩佐陽一は同時期に放送されていた『アクマイザー3』第31話に登場するゴルゴーンとの類似性を指摘している。 その他の登場作品 『全員集合!7人の仮面ライダー!!』 暗黒大将軍によってブラックサタンの奇械人と共に甦って、再登場する。 海外で猛威を振るい、歴代の仮面ライダーと激闘を繰り広げていた魔人たち。第一陣の壊滅直後、日本列島に襲来して組織を再編。地震発生装置によるダム破壊やコンビナート爆破を行い、首都壊滅などの破壊活動に重点を置き、日本壊滅侵攻計画を発動する。 当初の番組の企画では、4クールからは改造魔人に代わって「半機械人間」が登場する予定だったが、3クールでの終了が決まったために敵キャラクターの交替劇も大幅に凝縮された。そのため、第二陣のデルザー魔人を企画の初期案通り半機械人間とする資料と、第一陣同様に改造魔人と表記する資料がある。 『仮面ライダー1971-1984』では総称を後期デルザー軍団と記載している。番組が1年間の放送を予定していた段階では、ジェネラル・シャドウが軍団内の内紛で殺され後任と交代する予定であった。 マシーン大元帥 末期のデルザー軍団を統率した最強の魔人。エジプトから襲来してきたミイラの血を引く魔人で、古代エジプト王家の棺に眠る形で神戸港に上陸した。エジプトでV3と交戦経験があったと思われる。 1号ライダーのライダーキックやV3のV3キックの直撃に耐えるほど強靭。頭部にレーザー砲を持ち、三角状の魔のピラミッド・レッドバリヤーで相手を閉じ込める。さらに、相手の足に付着して固まって自由を奪い、体内の水分を奪う赤い液体を駆使する。改造人間をも撃ち殺す黄金の機関銃を装備している。 軍団きっての実力者であり、シャドウはその姿を見ただけで恐れ慄いたほどで、着任後はシャドウから実権を奪ってデルザー軍団のリーダーとなった。シャドウのことは高く評価しており、シャドウから指揮権を奪ったとはいえ、シャドウを追放したり、処刑するようなことはせず、シャドウが妨害工作を行った際には、シャドウの意思を尊重し、仲間内での処刑の代わりにストロンガーとの最後の決闘を許可するという寛大な面を見せた。 磁石団長とヨロイ騎士を率いて破壊活動を行うが、彼らを追って日本に帰国してきた歴代ライダーとストロンガーの猛攻に苦戦する(この時、ヨロイ騎士から仮面ライダー1号、2号のことを伝えられたが「そんなものは伝説だ!」と一蹴する描写がある)。最終決戦で仲間をすべて失い、体内の自爆装置を起動させて、ストロンガーを道連れにしようとするが、電パンチで殴り飛ばされてしまい、「デルザーは不滅」と言い残して爆死した。 『激闘ファイル』内では、劇中未登場だった武器(頭部と同デザインの武器)が掲載されている。 その他の登場作品 映画『平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊』 バダンの幹部として登場。声は関智一が演じている。 ゲーム『ガイアセイバー ヒーロー最大の作戦』 ショッカーの大幹部として登場。ザンジオーを率いて各国の首脳を誘拐する。 磁石団長 マシーン大元帥が南米のアマゾンから呼び寄せた魔人。掛け声は「シャーイ」もしくは「シャークゥ」。 大元帥の腹心の魔人で、金属を自由に吸い寄せて溶かし燃やし尽くしたり機械を狂わす強力な磁力「マグネットパワー」や磁力によって金属を引き寄せたり、ストロンガーのメカニズムを狂わせる「吸引マグネット」を操る。武器は取り付けることで相手を引き寄せるミニ磁石。短気で粗暴な性格で、主に破壊活動を行った。シャドウのことは見下しているが、一度は油断したせいかストロンガーに追い詰められそうになった為、シャドウに「口ほどでもなかった」と馬鹿にされ恥ずかしがる一面も持つ。作戦遂行能力は高く、ジャンボジェット機の墜落も一時は成功を収め、ヨロイ騎士とともに「地震発生装置」を使って行った富士ダム破壊は完全に成功し、同時にV3とライダーマンを捕獲している。ストロンガーとは3度までも対戦したが何れも敗走もしくは捕獲された。ヨロイ騎士共々再生能力を持っており、一度はストロンガーの超電投げを受けてヨロイ騎士と激突させられ、倒されたかに見えたが、後に自身の再生能力によって共に復活を果たす。 最終決戦にて再生怪人やヨロイ騎士とともに、7人ライダーによって倒された。 『激闘ファイル』で岩佐陽一は「鎖帷子をモチーフにしていることがわかる」と書いている。 ヨロイ騎士 マシーン大元帥がヨーロッパから呼び寄せた、古代バイキングの血を引く魔人。ギリシャやスペインでライダーマンやXライダーと戦っていた。掛け声は「カチュウ」。 大元帥の腹心の魔人で剣技に秀で、武器は細く長い長剣と太く短い短剣の二刀流の使い手であり2本の剣を交差させ「高速熱線」を発する。当初は磁石団長と二面作戦を取っていたが、結束するライダーたちの強力さに共同作戦に移行する。ストロンガー・V3・ライダーマンを捕えた時、Xライダーとアマゾンライダーを捕らえて全ライダー生け捕りを提案した磁石団長に対し、1号・2号の存在を促しているなど、冷静沈着かつ勇猛果敢な性格で、主に作戦を妨害しようとするライダーたちを迎撃した。マシーン大元帥同様にシャドウのことを高く評価しており、シャドウがストロンガーとの戦いで戦死した際は仇をとる発言をした。 最終決戦にて再生怪人や磁石団長とともに、7人ライダーによって倒された。2号を除いた全ライダーとの対戦経験を持つ。 『激闘ファイル』で岩佐陽一は「銃士のコスチュームをモチーフにしていることがわかる」と書いている。 デルザー軍団戦闘員 各改造魔人に付き従う兵士。黒ずくめの全身タイツのコスチュームは共通しているが、顔にはそれぞれの上官を象徴するデザインの面を付けている。 大幹部クラスの改造魔人直属の戦闘員だけに、並みの戦闘員以上の戦闘力を有する。鋼鉄参謀の戦闘員は鎖が武器、荒ワシ師団長の戦闘員は空を飛べる。ドクロ少佐の戦闘員は忍法を使い、岩石男爵の戦闘員は上司同様、岩隠れを使用可能。隊長ブランクの戦闘員は上司同様のライフルが武器で、ヘビ女の戦闘員はヘビに変身できる。狼長官の戦闘員は槍が武器で、満月に似た黄色い円盤に変形する。マシーン大元帥の戦闘員はマシンガンが武器で、磁石団長の戦闘員には科学者タイプもおり、馬蹄型の武器を使用する。 第33話のみ登場したシャドウの配下の戦闘員は上面から撮影されているため、仮面の型は明確されず、ストロンガーとも戦わなかった。 ヘビ女配下とマシーン大元帥配下の戦闘員は、本編に先駆け第32話からの新エンディング映像から登場した。 城茂が変身した姿でカブトムシをモチーフとした改造電気人間。黒いマスクと赤い角が特徴。電気人間の名の通り、体内に強力な高性能発電装置を備えており、そこから生み出される電気を用いた技を得意とする。コイル状に形成された高圧電流が流れる両手・コイルアームは右手がプラス電極、左手がマイナス電極になっており、これを接触させることで体内の発電装置を作動させて変身する(そのため、茂は変身前も常に手袋を着用している)。身体にある赤いラインはアースの役割りを果たす。変身直後のエネルギー量は凄まじく、カブトアースが変身直後に余剰な電波を火柱のように放出するアーク・フラッシュ現象が生じる。ブーツは普段は絶縁体となっているが、電キックの際には伝導体となる。 変身後に決め台詞が存在し、口上の長さから第5話以降では一部のフレーズが省略されるケースもあった。バージョンとしては、高所から敵を見降ろして一気に述べる口上と、戦闘員相手に殺陣(戦闘)を行いながら述べるバージョンがある。 デザイン・造型 マスクはそれまでの仮面ライダーの特徴だった「垂れた卵型の複眼」を廃した新造形となっている。だが、独特の大きな複眼「ビッグアイ」は、設定上は270度の広視界を持つとされるものの、実際の演者にとっては見づらいものだった。多くの穴があけられていても、視線が通るものは1つだけだからである。第1クールでは穴が放射状であったが、第2クールでは穴が山形になっているものが主に用いられるようになる。バイクアクション時やトランポリンアクション時は、視界確保のために穴が大きめのタイプが使用されている。 角はラテックス製。 アメリカンフットボールのプロテクターを模した胸の赤色の「カブテクター」にはS字のマークが付いている。これはストロンガーの頭文字であるが、デザイン上はスーパーヒーローの元祖であるスーパーマンを意識している。 決定デザインでは、ベルトのバックルは角と同じ形状であった。第1回撮影会でのNGスーツでは肩部のパーツがなく、第2回撮影会ではベルトの下に赤い模様が存在した。 スーツアクターの中屋敷哲也は、視界の悪さのほか、大きい角や肩のプロテクターも演じにくいものであったと証言している。 能力・技 ストロンガー電キック 空中前方宙返りとともに電気エネルギーを体に集中・赤熱化させ、キックと共に10万ボルトの高電圧を注ぎこむ必殺技。 空中で静止しているように見えるほど、滞空時間が長い。正確にクリーンヒットせずとも触れただけで瞬時に体内のメカをショートさせてしまうため、鋼鉄製の奇械人には絶大な威力を発揮する。 強化されたタイタンやデルザー軍団の改造魔人には、通用しないどころか放った自身がダメージを受ける等、苦戦を強いられることが多かったが、ケイトガスの効果で弱体化した鋼鉄参謀との戦いでは決め手となった。再改造後は、改造魔人を倒すとまではいかなくても通用するようにはなった。 ダブルキック 空中で1回転してから開脚蹴りを放つ。主に同時に2人の戦闘員を倒す際に使用する。 ストロンガーダブルキック 第23話で使用したダブルキックの強化版。高速で空中前方3回転し、電キック同様にエネルギーを集中してからダブルキックを放つ。百目タイタンのエネルギー放出部分である両肩目掛けて蹴り、致命傷を負わせた。 スクリューキック きりもみ回転しつつキックを放つ。 エレクトロキック アームを擦り合わせて電気エネルギーを充填して蹴りを入れる。対デッドライオン戦で使用。 反転キック けん玉の要領で両足をそろえてキックする技。 ドリルキック 第38話でデルザーのアジトに閉じ込められた1号・2号を救出した。 電パンチ 敵を殴りつけると同時に、1万ボルトの高圧電流を敵に叩き込む。 ウルトラパンチ 電パンチの強化版。体を回転させ、その遠心力でパンチを放つ。 電チョップ チョップとともに、高圧電流を敵に叩き込む。 エレクトロファイヤー アームを擦り合わせて作り出した電気エネルギーを、導電体を通して離れた敵に流す。変身前も手袋を外すことで簡易型を使用可能。 スカイライダー客演以降は同技を繰り出す際「電ショック」と呼称している。 『全員集合!7人の仮面ライダー!!』で立花藤兵衛が最終決戦の様子を子ども達に伝える際、同技の手振りで「エレクトロウォーターフォール」と呼称していた。 水中エレクトロファイヤー 水を伝導体にして、水中や海中で繰り出すエレクトロファイヤー。奇械人エレキイカを怯ませた他、荒ワシ師団長を倒した技でもある。 電タッチ アームを擦り合わせて電気エネルギーを充填してから敵に触れ、対象を加熱させる。簡易「電タッチ」は手袋を外すことで変身前も使用可能。 電ショック スパークさせた両手で敵に触れ、打撃と同時に電流を注ぐ。オープニング主題歌のフレーズに登場しているが、作中での使用頻度は低い。 電気ビーム 指先から放電する。第30話では木の棒に放って火をつけ、火に弱いドクターケイトの顔を焼いた。 水中電気ビーム 水を伝導体にして、水中で放つ電気ビーム。荒ワシ師団長の絶縁体網を破壊した。 電気ストリーム エレクトロファイヤーの派生技。腕を水中に突き入れて、数百万アンペアの電流の渦を発生させ、あらゆる物質を分解する。奇械人ゴロンガメとクラゲ奇械人を倒した他、第7話では川の水を蒸発させ、隠れていた奇械人ワニーダを発見した。第23話でも繭になった奇械人ケムンガから脱出を図る際、孵化すれば脱出できると判断して使用。奇械人ドクガランへ孵化させつつ脱出に成功したが代償として変身が解除してしまう。 エレクトロウォーターフォール エレクトロファイヤーの応用技。地面から吹き上げる強力な高圧電流の滝。第9話でカマキリ奇械人を倒すも第13話の強化タイタンには効かなかった。 エレクトロサンダー 超高圧の電流を空中に発射し、雷雲を呼び寄せて人工的に落雷を起こさせる。奇械人ハゲタカンを倒した。 反転ブリーカー 敵の頭を下にして足をつかんでジャンプし、垂直落下して脳天逆落としを決める。鋼鉄参謀に対して使用。 電気マグネット 右腕に電気を集める事で磁力を発生させる事で自らを電磁石に変え、敵の武器などを引き寄せる。 反磁力線 強力な反磁力線を作りだし、金属を押し戻す。「電気マグネット」とは逆の効果があり、高速で落下するジェットコースターをも押し返す威力がある(第3話)。 マグネットパワーチェンジ 自らの磁極を変える技。磁石団長に対して使用。 電気分解 自分の身体を電気的に分解する。火葬場から脱出する時に使用。 ライダービデオシグナル 一種の記憶再生装置。記憶した映像をスロー再生し敵の動きを分析する。カブトショック(触覚)の額のランプによる能力で、ビッグアイで捉えた映像を記録し、空中に投影する。 カブトキャッチャー カブトショックにある黄色いY字の部分によるレーダー装置。特殊赤外線や音波を発する索敵能力があり、変身前でも使用可能。また遠距離用だけではなく、分身する敵の本体を見抜くことも可能(第4話,第38話)。 ストロンガーバリヤー(ストロンガーバーリヤ) 電磁波によって防御幕を作る。 磁力扇風機 磁力線の渦を発生させる、敵の攻撃を防ぐ。奇械人モウセンゴケの溶解液を防御した。 エレクトロチャージ 熱や水分を電気に変換することで、自身のエネルギーにする技。変身前でも使用可能。 バッテリーショート 奇械人、戦闘員用ではなく、敵の乗用車に使用。バッテリーをショートさせ機能停止にさせる技。主にブラックオートバイ部隊戦で使用。 カブトローサンダー カブトローからの放電で敵を倒す。主にブラックサタンの「ブラックオートバイ部隊」戦で使用。変身前も使用可。 第31話から登場。最強の改造魔人集団デルザー軍団から重傷を負わされた茂が、ブラックサタンの科学者だった正木洋一郎博士から超電子エネルギーを発生させる超電子ダイナモを身体に埋め込まれたことにより、電気人間の100倍のパワーを発揮する超電子人間となった姿。チャージアップストロンガーとも表記される。 通常のストロンガーを遥かに凌ぐ驚異的なパワーを持ち、今まですべての電気技が通用せず、苦戦することが多かったデルザーの改造魔人をも遥かに凌駕し、一撃で倒すほどのパワーを持つ。チャージアップ形態になってからは、超電子ダイナモの影響からか通常状態のストロンガーも強化されたらしく、苦戦することが多かったデルザー軍団と互角に戦えるようになり電気技も効くようになった。ただし、超電子の使用には1分間という時間制限があり、これを超えるとバラバラに自爆してしまう危険性を持つ。また、超電子状態での技の使用は従来の10数倍のエネルギーを消費する。チャージアップ時の外見は、カブテクターに銀色のラインが入る、カブトショック(額の角)が銀色に変化する、ビッグアイの色が微妙に変化するなどの違いが見受けられる。「チャージアップ」の掛け声とともに一定のポーズを取ると、胸のSポイントが回転し、余剰エネルギーが放出される。 デザイン・造型 ストロンガーのパワーアップ形態は企画段階から検討されていた。石森によるラフデザインでは角の展開や肩からせり出す電気カッターなどのギミック案が存在し、前者は後年『仮面ライダーアギト』で採用されている。 マスクは新規造形で、角はアルミ板を貼り合わせて作られた。撮影会の時点では胸部の銀のラインが存在しなかった。 必殺技 超電子ドリルキック 右足を軸にして身体をドリルのように回転させ、キックとともに超電子エネルギーの電撃を注ぎこむ。ドクロ少佐と岩石男爵の首を跳ね飛ばした。 第38話のジェネラルシャドウとの最終決戦では「超電ドリルキック」と呼称し、倒すまでには至らなかったがシャドウを怯ませている。 『仮面ライダー (スカイライダー)』第21話ではチャージアップせずに繰り出し、ネオショッカーのクラゲロンを撃破した。 超電スクリューキック 両足を軸にして体をスクリュー状に回転させて見舞う、超電子ドリルキックの簡易版。狼長官をこの技で怯ませた隙に部下に捕らわれた少女を救い出した。 超電三段キック 3回敵を蹴る(岩石男爵戦)タイプと、三段跳びの後で1回敵を蹴る(狼長官戦)タイプがあるが、後者は満月の光を浴びて不死身となった狼長官には効果が無かった。 超電稲妻キック 空中で大の字になって側転し、落雷とともに稲妻エネルギーを得たキックをする最強の技。威力が高い分、エネルギー消費も著しい。狼長官戦で決め技になった他、ジェネラルシャドウとの最終決戦では相討ちの恰好ながらそれを葬った。 超電大車輪キック 空中で大の字になって側転しながら、急降下し蹴りを見舞う。ヘビ女を倒した。 超電逆落とし スペシャル版では「超電竜巻落とし」と呼称されている。敵を捕えてジャンプし、空中で回転させてから落下させる脳天逆落とし。磁石団長に使用。 超電ジェット投げ 相手の両足首をつかんで振り回しジャイアントスイングをしたあと、投擲する。磁石団長を、Xライダーやアマゾンの投擲技で投げ飛ばされたヨロイ騎士にぶつける際に使用。 超電急降下パンチ ジャンプの後真下にいる敵に向かって急降下し、パンチ3連発を浴びせる技。相手の体が胸あたりまで地面にめり込むほどの威力がある。隊長ブランク戦で使用し、その後で地面にめり込ませた後、首根っこを掴んで投げて倒した。 カブトロー 全長:2100ミリメートル 全高:1100ミリメートル 重量:200キログラム 最高出力:1200馬力 最高時速:300キロメートル(落雷時:1010キロメートル) ジャンプ力:200メートル 電気エネルギーで動くストロンガー専用のバイク。ブラックサタンが製作したという設定も一部の書籍で語られているが、詳細は明らかではない。大気中の静電気を吸収しているため、基本燃料補充は不要で、無限の航続距離を誇る。バッテリーには5万Vの電気が蓄えられていて、緊急時にはストロンガー=城茂のエネルギー補充もバッテリーから伸びるジャンプケーブルによって充電が可能(第35話)。また、ストロンガーの意思での遠隔操作が可能。カウル部から光線カブトローサンダーを放ったり、カブトロージャンプと呼ばれるジャンプ技もある。 撮影車両 撮影用にオフロード用、オンロード用(スズキ・GT380)、アクション用(スズキ・ハスラー250)の3台が用意された。マフラーの色や形、フェンダーの色や取り付け位置、テールカウルの有無など車体ごとに細部が異なるが、作品中では、あくまでも一台のバイクとして扱われている。設定上は、巡航時に電気の吸収効率を上げるためスクープコイルの並ぶテールブームを伸長するとされる。 アクション用はバイクスタントの熊沢敏明の意見が元になって導入された軽量のトライアル用で、OPのウィリー場面などで特性が遺憾なく発揮されていたが、第6話の撮影中に誤って車両の真下で火薬が爆発・大破したため、以後登場していない。後半では、バックミラーが取り付けられている。 番組企画書にはオートバイアクション重視のため無駄な装飾を省くことが盛り込まれており、熊沢も「オートバイの原型を留めているので、シリーズの中では、もっとも走りやすかった」と証言している。ただ、熊沢は前述の爆発事故で一時心停止状態に陥って入院を余儀なくされたため、クマサワオートカンパニーのメンバーが後任に当たった。 石森による検討用デザインでは、プロペラのついた翼を装備して飛行するという案も存在したが、ハードでスピーディなバイクアクションを目指すためスマートなデザインに変更された。 『仮面ライダー (スカイライダー)』時に新造されたが、前照灯が塗られていない。 『仮面ライダー (スカイライダー)』 第20・21話、第27・28話、第38話、第52・53・54話(最終回)、劇場版に登場。第38話と第52・53・54話(最終回)では素顔で登場し、大人びた台詞回しが多いなど人間として成長した部分が見られた。第20・21話での声優は池水通洋、第27・28話での声優は朝戸鉄也、劇場版での声優は島田敏。 かつてのトレードマークだったS字のハイネックは着用しておらず、スーツ姿を披露。また、変身前は市販のバイクを使用している。同じ名前である叶茂が登場するため、谷やブランカの面々からは「城君」や「城さん」と呼ばれている。 第20・21話でクラゲロンを追って東南アジアから帰国。スカイライダーのもとに現れた際に決め台詞を披露し、口調もオリジナルに近いものとなっている。筑波洋(スカイライダー)に迫るクラゲロンの暗躍を悟っており、影から助言を与えて救っていた。スカイライダーが必殺のスカイキックが効かないクラゲロン、サイダンプの2人に追い詰められた際に姿を現す。スカイライダーのために特訓相手となり、大回転スカイキックを伝授した。 第27・28話と劇場版では7人ライダー揃って帰国。第27・28話ではヒルビランや怪人II世と戦い、スカイライダーを特訓した。劇場版ではネオショッカーが銀河王と結託したことをいち早く知り、アマゾンライダーとともにスカイライダーの応援に駆け付けて大戦車を撃退した。 第38話でアリコマンド養成所の情報を聞き付けて帰国し、ガマギラスと戦った。 第52・53・54話では一文字隼人(2号ライダー)よりも先に帰国し、両親の有耶無耶な現状に苦しむ洋を諭した。アリコマンド養成所で追い詰められたスカイライダーを援護し、協力して養成所を壊滅させた後、単身でアジトに向かう中でネオショッカーの罠によって負傷したが、その際に洋の母・寿子と出会って母子再会のきっかけを作った。7人ライダー集結時には、サブリーダー的役割を果たしている。8人のパワーを結集させて大首領を宇宙に運んだ後、宇宙の果てに散った(『スーパー1』の時代に人工衛星を利用して地球に帰還したとされている)。 『仮面ライダースーパー1』 劇場版にのみ登場。声優は朝戸鉄也。 『仮面ライダーZX』 TVスペシャルに登場。 『仮面ライダーBLACK RX』 第41話から第47話(最終回)に登場。第44話の声優は桑原たけし。アフリカ大陸の南半分をクライシス帝国から守っていた。 『仮面ライダーディケイド』 『劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー』に登場。台詞はない。冒頭のライダー同士の戦いでは、同じカブト虫がモチーフで電気(サンダー)を使う仮面ライダーブレイドと戦い、「エレクトロファイヤー」も披露。終盤ではディケイドを助けるため、大ショッカーと戦った。 ネット版の第1話にも登場し、タックルを仮面ライダーに認定するよう、門矢士(ディケイド)や光夏海とともに東映に陳情しに行くが、そこで衝撃の事実を知ることとなる。 HERO SAGAでは「ストロンガーの世界」の茂と、「別の世界」の茂が登場。「ストロンガーの世界」の茂の正体は、デルザー軍団の首領(岩石大首領)だった。 『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』 声優は関智一。ショッカーに苦戦する1号・2号、電王とNEW電王、オーズを助けるため、他のライダーとともに登場。再登場したジェネラル・シャドウとの絡みはなかった。 HERO SAGAでは本郷猛(1号ライダー)や電王を助けるため、他のライダーとともに登場。 『仮面ライダーフォーゼ』 『仮面ライダーオーズ/OOO』とのクロスオーバー作品『仮面ライダー×仮面ライダー フォーゼ&オーズ MOVIE大戦MEGA MAX』に登場。声優は、石川英郎。「伝説」の7人ライダーのリーダー的存在として登場。『幕開け』では、中東北部A国で財団Xが送り出した戦闘員軍団と戦い、1号ライダーからアマゾンとともに『風都 暗躍する陰謀』ではコアメダルにされるも、『MOVIE大戦MEGA MAX』ではオーズの手で復活を果たし、テラー・ドーパントと戦った。 『仮面ライダーウィザード』とのクロスオーバー作品『仮面ライダー×仮面ライダー ウィザード&フォーゼ MOVIE大戦アルティメイタム』でも、宇宙仮面ライダー部の部室に写真と名前が登場。 スーパーヒーロー大戦シリーズ 『仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦』 声優は関智一。冒頭でゴーカイレッドと戦い、ゴーカイレッドがゴーカイチェンジしたニンジャレッドに敗れ、V3、ライダーマン、Xライダー、アマゾン及び他のライダーとともに、時空の狭間に消された。だが、終盤で他のライダーやスーパー戦隊とともに復活し、大ショッカーや大ザンギャックと戦った。 『平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊』 声優は関智一。同じカブトムシがモチーフである仮面ライダーカブトと戦った。高速移動能力の「クロックアップ」に「エレクトロファイヤー」で対抗し、「電キック」を決めようとするも、「クロックアップ」と「ライダーキック」の合わせ技で倒され、ロックシードと化した。終盤で復活して地下帝国バダンと戦い、平成ライダーとの最終決戦では同じカブトムシがモチーフの仮面ライダー剣と戦った。 『スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号』 声優は関智一。歴史改変の影響でショッカーライダーになっていたが、最終決戦では1号と2号が復活したことで洗脳が解け、ショッカーに立ち向かった。 岬ユリ子が変身するテントウムシ(ナナホシテントウ)をモチーフとした改造電波人間。電波エネルギーを動力として戦うほか、ブラックサタン奇械人や戦闘員の進撃をいち早く察知する描写が多い。 脳改造に伴う強化手術前にストロンガーに救出されたため、その戦闘能力は低く、戦闘員には太刀打ちできるものの奇械人には歯が立たず、ピンチに陥ることも多かった。設定上は「強化手術が完了していれば、パワー面でやや劣るもののストロンガーに匹敵する強さの改造人間のはずだった」とされている。ジャンプ力は垂直跳びで3m。 変身後も基本的にユリ子役の岡田京子が演じているが、岡田は殺陣に不慣れであったため、激しいアクションシーンは大野剣友会の清田真妃が代演することもあった。 シリーズでの位置付け シリーズ初の正義側の女性戦士であり、ストロンガーと共に戦いオートバイを操ることや一部資料では「仮面ライダータックル」と記述されたことから、女性仮面ライダーの先駆け的存在とも評されるが、正規に仮面ライダーとしてはカウントされていない。 番組プロデューサー平山亨が小説の形で発表した設定では、「仮面ライダーの一人ではなく、城茂のパートナーとして葬りたい」という茂の意思で仮面ライダーの名は贈られなかったと説明されている。漫画作品『仮面ライダーSPIRITS』では、城茂が「ユリ子を仮面ライダーではなく普通の女性として弔いたい」と語っている。 技 電波投げ 電波エネルギーを衝撃波に変換し放ち、両腕を交互に上下する事で、敵を触れることなく投げ飛ばす。 この演出は、演じた岡田京子が殺陣に不慣れだったために岡田勝が考案したもの。 ウルトラサイクロン 相手の肩に両手刀を当てて動きを封じ、電波エネルギーを振動波に変換し、相手の体内に注ぎ込んで相手の細胞組織を破壊する技。だが、共振作用によって自身にも同様のダメージを受けるため、諸刃の剣となり、これを使用したことによりタックル本人も絶命した。 設定では、戦闘用改造人間として完成されたタックルなら、自在にこの技を操れる予定だった。 エネルギー集中 ストロンガーとの合体技。タックルとストロンガーのエネルギーを一つにする。21話で百目タイタンに時限爆弾付きの鮫ヶ島基地から脱出する際に使用。 テントロー 全長:1980ミリメートル 重量:150キログラム 最高時速:250キロメートル ユリ子/タックルの黄色い専用オートバイ。ライト上部の触覚状アンテナから大気中の電波を吸収して走行するため、カブトローと同様に航続距離は無限で、市販のオートバイへの変形機能もなくユリ子の変身前・後問わず使用されている。カブトローに比べ性能は劣るものの、軽量且つ小回りが効き高い操作性を誇る。また、タックルの意思での遠隔操作が可能。 第4話では、奇械人ゴロンガメに操られた藤兵衛が運転した。 デルザー軍団登場の第27話以降は登場しなくなり、ユリ子は藤兵衛のジープに同乗して行動している。 撮影車両のベースは明確になっておらず、『仮面ライダー大全集』ではハスラー250、『仮面ライダー画報』ではスズキTS125と推測している。 撮影会でのNG版では触覚状のアンテナが付けられていなかった。 『仮面ライダーディケイド』 ネット版の第1話に登場。ストロンガーの「タックルを仮面ライダーに認定してほしい」という主張を聞いた士と夏海は、東映の「ライダー認定事務局」へと陳情に向かうが、ライダー認定事務局局長は当のタックルであった。スーツに入っていたのは、小野友紀。 『仮面ライダーW』と『ディケイド』のクロスオーバー作品『仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010』では、『仮面ライダーディケイド 完結編』の主要人物の1人としてタックルが登場。演じたのは広瀬アリス。姓名も「岬ユリ子」ではなく「岬ユリコ」と表記され、別世界の住人で原典のタックルとはパラレルワールドの関係である。 『スーパーヒーロー大戦Z』 同作品のスピンオフネットネットムービー『スーパーヒーロー大戦乙!〜Heroo!知恵袋〜あなたのお悩み解決します!』第1話「スーパーヒーローのお悩みその1〜仮面ライダーアクセル編〜出しっぱなしの布団の謎」の中に登場。小宮有紗が演じている。 映像作品以外 『仮面ライダーZX』 山田ゴロによる漫画版では、時空魔法陣の力によって復活。ヤマアラシロイドの部下として、ストロンガーやZXと戦う。 漫画『仮面ライダーSPIRITS』 第3部で銀のドクロの力によって復活したが、ユリ子本人が復活した訳ではなく魂を持たない別個体としてである。ジェネラルシャドウの部下としてストロンガーと戦い、ウルトラサイクロンを決めて再び自爆してしまうことになった。『SPIRITS』第1部ではユリ子の「平和な世界になったら茂と2人で遠い美しい場所へ行きたい」という夢を叶えるため、茂が再び戦いに身を投じている。また、テントローは藤兵衛の手で保存されていたが、藤兵衛たちがBADANの攻撃から逃げる時に使用され、最後はストロンガーの超電子ウルトラサイクロンから藤兵衛達を守る形で大破した。 城茂 / 仮面ライダーストロンガー(声):荒木茂 岬ユリ子 / 電波人間タックル(声):岡田京子 第1話 - 第30話 謎の紳士(Mr.タイタン) / タイタン:浜田晃 立花藤兵衛、立木藤太郎博士(20話):小林昭二 デッドライオン:辻村真人 ジェネラルシャドウ:柴田秀勝 鋼鉄参謀・マシーン大元帥:市川治 荒ワシ師団長:安原義人 ドクターケイト:曽我町子 ドクロ少佐:沢りつお → 八代駿 → 山下啓介 岩石男爵:山下啓介→沢りつお 狼長官:峰恵研→安原義人 隊長ブランク:辻村真人 ヘビ女:瀬能礼子 磁石団長:沢りつお ヨロイ騎士:池水通洋 ブラックサタン大首領、デルザー軍団大首領(岩石大首領):納谷悟朗 ナレーター:中江真司 ※参考文献:『仮面ライダー大図鑑(5)』(バンダイ・1992年)、『仮面ライダーX アマゾン ストロンガー大全』(双葉社・2004年) 結城信太郎:人見きよし (1) 山根:高原駿雄 (2) 山根マリ:戸川京子 (2) 北村支配人:山岡徹也 (3) トミイ:手塚茂夫 (4) 三杉:日吉としやす (5) 守戸:打越正八 (5) 松本義江:村松美枝子 (6) 堀文夫:長谷川誉 (6) 堀トシ子:中真千子 (6) ドライブインのマスター:江幡高志 (7) 大木高平:大前均 (7) 三田:中村孝雄 (8) 田川:神田隆 (8) チャーリー石黒:チャーリー石黒 (9) 天堂市長:最上龍二郎 (9) 神父:岩城力也 (9) 等々力博士:田島義文 (10) 等々力妙子:森秋子 (10) カザール国王:大月ウルフ (11) マリア王女:鈴木真代 (11) 映画監督:天草四郎 (11) 銀行強盗役の俳優:団巌 (11) 大和田一郎(クモ奇械人):はやみ竜次 (12) 大和田鉄平:永井柳太郎 (12) 岬守(奇械人エレキイカ):倉石功 (13) 凶悪殺人犯(奇械人メカゴリラ):丹古母鬼馬二 (14) 黒木博士:外山高士 (15) ヒロシ:神谷政浩 (16) 村野元平:小島三児 (17) 青田:大林隆介 (18) 老人(奇械人電気エイ):明石潮 (18) きく江:竹口安芸子 (21) 一郎:工藤知章 (21) 杉本:林家珍平 (27) 所長:河合弦司 (27) チエ子:君嶋清美 (28) ミネオ:神谷政浩 (29) 京子先生:近江佳代 (29) 正木洋一郎:小笠原博 (31) 少年:藤本正則、庄野たけし (32) 浅野歯科医(狼長官):片山滉 (33) チヨコ:菅原由美 (34) 千造:富士乃幸夫 (35) 万助:水原仗二 (35) 山根:田川勝雄 (36) 風見志郎 / 仮面ライダーV3(声):宮内洋 (35, 37, 39) 神敬介 / 仮面ライダーX(声):速水亮 (36, 39) アマゾン(山本大介) / 仮面ライダーアマゾン(声):岡崎徹 (36, 39) 結城丈二 / ライダーマン(声):山口暁 (37, 39) 本郷猛 / 仮面ライダー1号(声):藤岡弘 (38, 39) 一文字隼人 / 仮面ライダー2号(声):佐々木剛 (38, 39) 青年紳士タイタン役の浜田晃は、撮影の中盤から怪人態のスーツアクターを兼任するようになった。ただし高度なアクションは大野剣友会の千代田恵介が担当している。 仮面ライダーストロンガー:中屋敷鉄也 仮面ライダーストロンガー(代役)、仮面ライダーX、磁石団長:新堀和男 仮面ライダーストロンガー(トランポリン)、仮面ライダーアマゾン:湯川泰男 電波人間タックル:岡田京子 電波人間タックル(アクション):清田真妃 電波人間タックル(アクション):栗原良二 仮面ライダー1号:橋本春彦 ライダーマン、奇械人、岩石大首領:中村文弥 タイタン:浜田晃 タイタン:千代田恵介 ジェネラルシャドウ、仮面ライダーV3、怪人:河原崎洋夫 ジェネラルシャドウ(トランポリン)、荒ワシ師団長、ドクロ少佐、狼長官、ヨロイ騎士、怪人(トランポリン)、戦闘員:上田弘司 怪人、ブラックサタン大首領:小沢章治 奇械人、デッドライオン、鋼鉄参謀、ドクターケイト、岩石男爵、隊長ブランク、マシーン大元帥、デルザー軍団大首領(岩石大首領)、戦闘員:石塚信之 ヘビ女:湯浅洋行 技斗は、高橋一俊が『秘密戦隊ゴレンジャー』を受け持つことになったため、第3話より岡田勝が担当した。 美術も八木功から前澤範に交替した。 原作:石森章太郎 連載:テレビマガジン、たのしい幼稚園、テレビランド、冒険王  企画:平山亨、阿部征司 脚本:放映リスト参照 監督:放映リスト参照 音楽:菊池俊輔 助監督:福島孔道、松本喜隆、真川敏夫、高橋正治 技斗:大野剣友会(高橋一俊、岡田勝) 効果:松田昭彦、高松孝宣(イシダサウンド) 制作:毎日放送、東映 菊池俊輔が全ての歌とBGMを作曲・編曲した。 「仮面ライダーストロンガーのうた」 (SCS-250) 作詞:八手三郎 / 作曲・編曲:菊池俊輔 / 歌:水木一郎 当初、オープニングには「見よ!!仮面ライダーストロンガー」が予定され、子門真人による録音も済んでいたが、それがNGになったことにより急遽用意された楽曲。そのため、従来の作品では作詞はオープニングを石森章太郎、エンディングを八手三郎が担当していたが、本作品では両方八手担当となった。本曲をアレンジしたBGMは一切制作されていない。「見よ!!仮面ライダーストロンガー」は水木一郎の歌唱で録り直され、挿入歌として使用された。一方、子門版「見よ!!仮面ライダーストロンガー」は当時は音盤化されなかったが、後年になってCDに収録された。 子門真人によるカヴァーヴァージョンが子門のコンピレーションCDに収録されている。 池田鴻によるカヴァーヴァージョンも存在する。 2006年には声優・関智一が自身のCD『関智一の勝手に祝うライダー35周年!』でカヴァーしている。 映像は第32話から変更され、SEも録り直された。 第3、5、7 - 9、11、14 - 16、18、23話では挿入歌として使用された。 「きょうもたたかうストロンガー」(第1 - 31話) (SCS-250) 作詞:八手三郎 / 作曲・編曲:菊池俊輔 / 歌:水木一郎、堀江美都子 シリーズの主題歌としては初となる、男女ペアでの歌唱となった。 第1・2話では子門真人と堀江が歌うヴァージョンが使用されたが、第3話より水木と堀江によるヴァージョンに差し替えられた。 なお、YouTubeでの配信では第1話のみエンディングテーマが省略されている。 第4、10、12話では挿入歌として使用された。 「ストロンガーアクション」(第32 - 39話) 作詞:石森章太郎 / 作曲・編曲:菊池俊輔 / 歌:水木一郎、堀江美都子 第17話では挿入歌として使用された。 「見よ!!仮面ライダーストロンガー」 作詞:石森章太郎 / 作曲・編曲:菊池俊輔 / 歌:子門真人 主題歌(上記)を参照。 「見よ!!仮面ライダーストロンガー」 作詞:石森章太郎 / 作曲・編曲:菊池俊輔 / 歌:水木一郎 「ストロンガー絵かきうた」 作詞:石森章太郎 / 作曲・編曲:菊池俊輔 / 歌:堀江美都子、コロムビアゆりかご会 「ストロンガーかぞえうた」 作詞:赤井圭 / 作曲・編曲:菊池俊輔 / 歌:水木一郎、堀江美都子 「胸にかがやくSマーク」 作詞:赤井圭 / 作曲・編曲:菊池俊輔 / 歌:堀江美都子、コロムビアゆりかご会 「ぼくらの兄貴 城茂」 作詞:中瀬当一 / 作曲・編曲:菊池俊輔 / 歌:水木一郎 「それゆけタックルちゃん」 作詞:中瀬当一 / 作曲・編曲:菊池俊輔 / 歌:堀江美都子、コロムビアゆりかご会 「カブトローブギ」 作詞:能見佐雄 / 作曲・編曲:菊池俊輔 / 歌:水木一郎、堀江美都子 「ワッハッハ!作るぞ恐怖の国を」 作詞:土井信 / 作曲・編曲:菊池俊輔 /歌: こおろぎ'73 「戦え!七人ライダー」 (第36話) 作詞:八手三郎 / 作曲・編曲:菊池俊輔 / 歌:水木一郎、堀江美都子 その他、旧シリーズから以下の曲が挿入歌として使用された。 「俺は立花藤兵ヱだ」(第4話) 「セタップ!仮面ライダーX」 (第36話) 「仮面ライダー賛歌」 (第38話) 「戦え!仮面ライダーV3」 (第39話) 「レッツゴー!!ライダーキック」 (第39話) 『仮面ライダー (スカイライダー)』 城茂/仮面ライダーストロンガーが登場。 『仮面ライダーBLACK RX』 BLACKの続編。終盤に仮面ライダーストロンガーが登場。 『全員集合!7人の仮面ライダー!!』 本作品の最終回の翌週にテレビ放映されたスペシャル特番。デルザー軍団のベルトをし、再生奇械人や再生デルザー改造魔人たちと共に仮面ライダーショーを乗っ取って子供を誘拐して身代金を得ようと企む、「暗黒大将軍」という謎の人物が登場する。 『10号誕生!仮面ライダー全員集合!!』 『仮面ライダーZX』のテレビスペシャル。 『仮面ライダーストロンガー』(1975年(昭和50年)7月26日公開) 東映まんがまつりの一編として第7話のブローアップ版を上映。放送番よりも4分間短縮されている。 ポスターなどの宣材に本作品の写真が用いられていないことから、書籍『仮面ライダー怪人大全集』では何らかの事情により本作品が急遽追加されたものと推測している。 2003年(平成15年)12月5日に発売された「仮面ライダー THE MOVIE BOX」および、2006年(平成18年)3月21日発売の「仮面ライダー THE MOVIE Vol.3」に収録されている。 『仮面ライダー 8人ライダーVS銀河王』 『スカイライダー』の映画作品。仮面ライダーストロンガーが登場。 『仮面ライダースーパー1』 『仮面ライダースーパー1』の映画作品。仮面ライダーストロンガーが登場。 『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』 『仮面ライダー電王』と『仮面ライダーオーズ/OOO』の映画作品。仮面ライダーストロンガーとジェネラルシャドウと岩石大首領が登場。 『仮面ライダー×仮面ライダー フォーゼ&オーズ MOVIE大戦MEGA MAX』 『仮面ライダーフォーゼ』と『仮面ライダーオーズ/OOO』の映画作品。仮面ライダーストロンガーが登場。 『仮面ライダー×仮面ライダー ウィザード&フォーゼ MOVIE大戦アルティメイタム』 『仮面ライダーフォーゼ』と『仮面ライダーウィザード』の映画作品。仮面ライダーストロンガーが写真と名称のみ登場。 『仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦』 仮面ライダーシリーズとスーパー戦隊シリーズの映画作品。仮面ライダーストロンガーが登場。 『平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊』 仮面ライダーシリーズとスーパー戦隊シリーズの映画作品。仮面ライダーストロンガーが登場。 『スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号』 仮面ライダーシリーズとスーパー戦隊シリーズの映画作品。仮面ライダーストロンガーが登場。 『仮面ライダー×スーパー戦隊 超スーパーヒーロー大戦』 仮面ライダーシリーズとスーパー戦隊シリーズの映画作品。仮面ライダーストロンガーが登場。 ビデオ(VHS、セル・レンタル共通)は全10巻が東映ビデオよりリリースされている。 1996年(平成8年)11月21日から1997年(平成9年)7月21日にかけてLDが東映ビデオより発売された。全5巻の各2枚組で各巻8話(Vol.5のみ7話)収録。 2003年(平成15年)10月21日から2004年(平成16年)1月21日にかけてDVDが東映ビデオより発売された。全4巻の各2枚組で各巻11話(Vol.4のみ1枚・6話)収録。Vol.4の初回生産分には、9巻分(X全3巻・アマゾン全2巻・ストロンガー全4巻)を収納できるBOXが付属していた。 2008年(平成20年)7月21日発売の「石ノ森章太郎 生誕70周年 DVD-BOX」に第1話が収録されている。 冒険王掲載版 1975年4月号 - 1976年1月号。作画はすがやみつる。詳しくは新・仮面ライダーを参照。 テレビランド掲載版 1975年4月号 - 1976年1月号。作画は土山よしき。 別冊テレビランド掲載版 1975年4月号。作画は土山よしき。 テレビマガジン掲載版 1975年4月号 - 5月号(作画は石川森彦)、1975年6月号 - 1976年1月号(作画は成井紀郎)。 特別編「決死戦七人ライダー」では、阿蘇山にて世界各地からやって来た怪獣(巨大なサル・ジャンボコング、自由の女神、タロス、トロイの木馬、ロック鳥、スフィンクスの6体)と仮面ライダーが戦う。 最終回「7人ライダー最後の大決戦!」では岩石大首領を倒した後に7人ライダーはその命を落とし、過去に助けた宇宙人たちによって蘇生手術を受け、元の人間に戻る。 たのしい幼稚園掲載版 1975年5月号 - 10月号。作画は石川森彦。 おともだち掲載版 1975年5月号 - 12月号。作画は細井雄二。 『かえってきた7人ライダー』 テレビマガジン仮面ライダーと人気まんが号(1978年9月増刊)に掲載。作画は土山よしき。 『仮面ライダー』テレビランド連載版 1978年より徳間書店「テレビランド」誌で『仮面ライダー』から『仮面ライダーストロンガー』までのストーリーが新作漫画として連載された。作画は山田ゴロ。『仮面ライダー (スカイライダー)』の制作決定に伴い連載されたもので、その後も『スカイライダー』から『仮面ライダーZX』まで連載が続いた。ストロンガー編は1979年9月号、10月号に連載。 『仮面ライダーSPIRITS』 作画は村枝賢一。 第1部第十一話・第十二話 彷徨(さすらい)の雷鳴(前編・後編)が、ストロンガー主役編となっている。また、第3部ではテレビシリーズに未登場だったジェットコンドルが登場している。 『S.I.C. HERO SAGA』 「MASKED RIDER DEN-O EDITION -1971年4月3日-」 『仮面ライダー電王』の小説作品。仮面ライダーストロンガーが登場。 「MASKED RIDER DECADE EDITION -ストロンガーの世界-」 『仮面ライダーディケイド』の小説作品。城茂/仮面ライダーストロンガーと岬ユリ子/タックルとデルザー軍団と岩石大首領が登場。 『仮面ライダーEVE-MASKED RIDER GAIA-』 原作者の漫画作品『仮面ライダー』の続編。仮面ライダーストロンガーと岩石大首領が登場。 ぱちんこ仮面ライダー フルスロットル 2015年に京楽産業.よりリリース。1号からBLACKまでの歴代ライダーをフィーチャーしているが、ストロンガーはメインキャラとして扱われている。 CS放送 東映チャンネル:2006年4月 - 8月、2008年8月 - 12月、2012年1月 - 5月、2014年4月 - 8月 2008年の放送時のみ「アンコールアワー」枠にて、それ以外はいずれも「石ノ森章太郎劇場」枠にてそれぞれ放送。 ネット配信 東映特撮 YouTube Official:2012年8月20日 - 12月30日、2015年12月26日 - 2016年5月14日 東映特撮BB:2014年10月31日 - 11月30日 東映特撮ニコニコおふぃしゃる:2018年3月18日 - 12月9日 仮面ライダークウガ以降の作品は、本作品とは物語がつながっていないが、デザインや設定などに様々な影響が見られる。 『仮面ライダークウガ』 主役ライダーのクウガのデザインモチーフに、1号ともに使用されている。野中剛によるラフ案の中には、ストロンガーの顔が落書き的に描き込まれているものも存在する。また、カブトムシ型怪人であるゴ・ガドル・バが電気を吸収してパワーアップし電撃を纏って必殺キック「ゼンビビ・ゲゲブ」(作中の古代語表記。日本語訳すると「電撃キック」)を放つ。 『仮面ライダーアギト』 主役ライダーのアギトが必殺技を放つ際、「クロスホーン」と呼ばれる角を展開するギミックは、石ノ森章太郎の筆によって描かれたチャージアップ・ストロンガーのNG案を現代風にアレンジしたものである。また、ハイドロゾアロード ヒドロゾア・イグニオはマシーン大元帥をデザインモチーフとしている。 『仮面ライダー剣』 主役ライダーのブレイドが、カブト虫をデザインモチーフとし、電撃系の技を使うというストロンガーのイメージを持つ。また、劇中に登場したジェリーフィッシュアンデッドはジェネラルシャドウを、改造実験体・トライアルGはブラックサタン大首領をそれぞれデザインモチーフとしている。 『仮面ライダーフォーゼ』 主人公如月弦太朗の名前の元ネタにストロンガーが使われている。如月弦太朗をローマ字にした「GENTAROU KISARAGI」の中に「STRONGER」の文字が全て入っている。また『MOVIE大戦MEGA MAX』のフォーゼ編では弦太朗がストロンガーに扮しており、MOVIE大戦編ではストロンガーとフォーゼが直接対面もした。 『特捜最前線』 第70話「スパイ衛星が落ちた海!」に「ブラックサタン」という名の暴走族が登場し、荒木しげる演じる津上刑事がブラックサタンの名前を口にしているシーンがある。この回の脚本を担当した長坂秀佳によると、本作品を意識したネーミングではなく、偶然の一致によるものだったという。また、第351話「津上刑事の遺言!」は津上刑事が生前独自に捜査していた轢き逃げ事件を特命課のメンバーが解明していく内容であるが、この回に登場する轢き逃げ犯を演じたのは浜田晃である。 『瀬戸の花嫁』 アニメにてデルザー軍団の改造魔人のパロディキャラが登場し、著作権侵害で告訴され映像を修正する事態が起きた(一部はオリジナルキャストを起用している)。 『20年だョ!全員集合』 本作品が始まる4日前の4月1日に同局で放送された開局20周年特別番組に、ストロンガーおよび主演の荒木茂、岡田京子が出演し、メインのザ・ドリフターズと共演した。その後、同じドリフの『8時だョ!全員集合』の4月12日放送分にもゲスト出演している。 ^ a b c 5人ライダー案や女性ライダー案は事前協議の段階で没案となったため文書としては残されていない。 ^ 初期台本ではタイトルが確定しておらず「仮面ライダー◯◯◯◯◯」となっており、第2話台本では役名が「仮面ライダースパイク」と記述されていた。 ^ 作中では、第1話で冒頭からブラックサタンの作戦を妨害する茂とユリ子の行動が描かれ、第2話でストロンガーとタックルの誕生の経緯が描かれるという、倒叙法の手法がとられている。 ^ 身寄りがないため、生年月日は不明。 ^ 動機となった親友・沼田の死についての描写も直接ストーリーにはなく、設定として語られるのみ。 ^ 『仮面ライダーX』第21話で青年アポロガイストが着ていた物の流用。 ^ 当初、タイタンの正体を明かさずに茂らの前に人間態で登場したため。 ^ 資料によっては、一ツ目タイタンと記述している。 ^ 王国員は、ブラックサタン戦闘員と同じ姿だった。 ^ 第24話登場のハサミガニはジェネラルシャドウの指揮下にはなく、デッドライオンの着任が間に合えば彼の指揮下に入る予定であったことがブラックサタン大首領のセリフから覗える。また奇械人ハサミガニ自身もそのセリフを踏まえ、自分がもうすぐ着任する大幹部の指揮下にあるとジェネラルシャドウに発言している。 ^ 書籍『仮面ライダー怪人大全集』では、改造人間ではなく機械生命体であると記述している。 ^ 実際に伝承の残っている魔物ではなく、オカルト研究家佐藤有文の著作が初出。 ^ 初台詞は沢りつおだが、それから数カット後に八代駿の声になっている。 ^ 書籍によっては、名称をオオカミ長官と記載している。 ^ 書籍『全怪獣怪人 下巻』では、ヘビの精の改造魔人と記載している。 ^ 書籍『仮面ライダー怪人大全集』では、光速熱線と記述している。 ^ ドクターケイトの戦闘員は花型、ドクロ少佐の戦闘員はドクロ型、オオカミ長官の戦闘員は満月型。 ^ 『仮面ライダー (スカイライダー)』客演時は、戦闘員を1人倒すごとに一節を述べていた。 ^ 石森によるラフデザインでも「仮面ライダータックル」と表記されており、当初は仮面ライダーとして考えられていたとされる。 ^ 公式な女性仮面ライダーの登場は、本作品から27年後の劇場作品『劇場版 仮面ライダー龍騎 EPISODE FINAL』における霧島美穂=ファムで初めて実現。 ^ 1990年代の書籍では「女性仮面ライダー」と記述している。 ^ 書籍『仮面ライダー怪人大全集』では、「200キロメートル」と記述している。 ^ エンディング映像では清田が担当した。 ^ 奇械人ガンガル、奇械人オオカミン ^ サソリ奇械人、奇械人モウセンゴケ、カマキリ奇械人、奇械人ハゲタカン、奇械人カメレオーン、クモ奇械人、奇械人エレキイカ ^ 奇械人ゴロンガメ、奇械人トラフグン、クラゲ奇械人 ^ 奇械人ワニーダ、奇械人メカゴリラ、クワガタ奇械人、奇械人ブブンガー、コウモリ奇械人、奇械人電気エイ、奇械人毒ガマ、奇械人アリジゴク、サメ奇械人、奇械人ケムンガ、奇械人ドクガラン、奇械人ハサミガニ ^ 関はその後『レッツゴー仮面ライダー』と『スーパーヒーロー大戦シリーズ』でストロンガーの声を演じた。 ^ 挿入歌では『仮面ライダーアマゾン』で子門真人と山上万智子によるデュエットがあった。 ^ インスト版が特番『全員集合!7人の仮面ライダー!!』のエンディングテーマとして使用された。 ^ 元々は前作『仮面ライダーアマゾン』の挿入歌として制作された曲で、本作品で初使用となった。 ^ 書籍によっては、名称を奇械人(奇っ械人)モウセンゴケと記載している。 ^ 書籍『仮面ライダー怪人大全集』では、声優は不明と記述している。 ^ 書籍『'70年代特撮ヒーロー全集』では、名称をハゲタカーンと記載している。 ^ 書籍『仮面ライダー怪人大全集』では、辻村真人と記述している。 ^ アリカポネ、カマキリ奇械人、奇械人ハゲタカン、奇械人メカゴリラ。 ^ 書籍によっては、名称を奇っ械人デンキエイと記載している。 ^ 奇械人ドクガラン、奇械人ブブンガー、クワガタ奇械人、コウモリ奇械人。 ^ カマキリ奇械人、奇械人ハゲタカン、奇械人ブブンガー、コウモリ奇械人、奇械人電気エイ、奇械人毒ガマ、奇械人ケムンガ。その他にもキバ男爵の兜やクワガタ奇械人、奇械人アリジゴク、奇械人ドクガラン、『仮面ライダーV3』からのウォーターガントドは頭のみ登場している。 ^ 書籍『全怪獣怪人 下巻』では、名称を復活デルザー軍団と記載している。 ^ サメ奇械人(声:市川治)、奇械人アリジゴク(声:大野剣友会)、カニ奇械人(声:大野剣友会)、奇械人メカゴリラ(声:沢りつお)、奇械人ブブンガー(声:大野剣友会)、荒ワシ師団長(声:池水通洋)。 ^ 同時上映の『秘密戦隊ゴレンジャー』『がんばれ!!ロボコン』もテレビシリーズの短縮版が上映された。 ^ 第1、2、4、5話でのクレジット表記は「つっぱしれ!仮面ライダーストロンガー」だった。 ^ エンディングクレジットでは第1話から水木と堀江の歌唱とされていた。子門ヴァージョンのレコード用フルサイズも録音されていたが、当時は発売されなかった。 ^ 使用は第32話からだが、エンディングでの主題歌クレジットが変更されず、第36話まで先代のままとなっていた。 ^ オープニング表記は市川治。奇械人ブブンガーと入れ替わっている。 ^ オープニング表記は山下啓介。クワガタ奇械人と入れ替わっている。 ^ オープニング表記は安原義人。奇械人電気エイと入れ替わっている。 ^ オープニング表記は沢りつお。コウモリ奇械人と入れ替わっている。 ^ オープニング表記は「荒わし師団長」 ^ オープニング表記は32話、33話とも峰恵研 ^ a b c d e 映画大全集 1993, pp. 100-101, 「MASKED RIDER REALISTIC ALBUM 仮面ライダーストロンガー」 ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 大全集 1986, pp. 146-147, 「仮面ライダー作品展開 仮面ライダーストロンガー」 ^ a b c d e f 怪人大画報 2016, pp. 236-241, 「『仮面ライダーV3』-『仮面ライダーストロンガー』フォトセッションアルバム」 ^ ストロンガー大全 2004, pp. 196 - 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仮面ライダーストロンガー
立花藤兵衛
仮面ライダーシリーズ > 仮面ライダー > 立花藤兵衛 仮面ライダーシリーズ > 仮面ライダー (漫画) > 立花藤兵衛 立花 藤兵衛(たちばな とうべえ)は、仮面ライダーシリーズに登場する架空の人物。シリーズの重要なキャラクターの一人である。 『仮面ライダー』から『仮面ライダーストロンガー』までのシリーズに登場し、小林昭二が演じた。 当初は本郷猛のオートバイにおける師であり、スナックのマスターという役どころである。そのため、「立花さん」や「マスター」と呼ばれていたが、後に「親父さん」と呼ばれるようになった。レーシングクラブや少年仮面ライダー隊では「会長」とも呼ばれている。「おやっさん」とも呼ばれているが、これは劇中で使用された呼び名ではなく、本郷役の藤岡弘の癖のあるイントネーションで「親父さん」がそう聞こえることから、後に愛称として定着したもの。『仮面ライダーアマゾン』では挿入歌として、小林昭二の歌唱による「俺は立花藤兵ェだ」が制作され、『仮面ライダーストロンガー』の第4話で使用された。 城北大学出身で、本郷や風見の先輩でもある。 シリーズによって以下のように職業や立場を変えながら、歴代仮面ライダー及びその戦いに協力した若者たちの後見人として、彼らを物心両面から支えていた。 『仮面ライダー』 第1話 - 第13話:スナックアミーゴのマスターで立花レーシングチームのオーナー。 第14話 - 第73話:立花オートコーナー経営者で立花レーシングクラブ会長。 第74話 - 第98話:少年仮面ライダー隊会長(レーシングクラブは存続しているらしいが、それについての描写はない)。 『仮面ライダーV3』:少年仮面ライダー隊会長(隊長兼務)。スポーツ用品店「セントラル」を経営しているが、レース活動は継続している。 『仮面ライダーX』:コーヒーショップ「COL」のマスターであるが、レース活動は継続している。 『仮面ライダーアマゾン』:レーサーとして現役復帰。特に店を持たないが、エンジニアも兼業しているらしい。 『仮面ライダーストロンガー』:無職。レーサー候補生を探す旅の途中でストロンガー=城茂と知り合う。 上記のほか、テレビスペシャル2本(『全員集合!7人の仮面ライダー!!』と『不滅の仮面ライダースペシャル』)でナビゲーター役を演じている。 エンジニアとしての高い技術を持ち、『仮面ライダー』では本郷や滝和也と共同で新サイクロン号を開発したほか、『アマゾン』では高坂教授が持ち帰った古代インカ文明の設計図を元にジャングラーを完成させている。トレーナーとしても有能で、歴代仮面ライダーの訓練に協力し、その能力はショッカー側からもイカデビルのコーチ役として招請されるほど高い評価を受けている。格闘の心得もあり、自ら戦闘員と戦うこともある。 制作関連 『仮面ライダー』の初期企画案『十字仮面(クロスファイヤー)』にて本郷の腹心として藤堂権兵衛が設定され、伊上勝による検討脚本「怪奇蜘蛛男」にて名前が立花藤兵衛に改められた。この時点では『柔道一直線』などに出演していた高松英郎が配役されていた。 実際に起用された小林昭二は、『ウルトラマン』と『キャプテンウルトラ』の公開引継ぎ会にて前者に出演していた小林と後者のプロデューサーを勤めていた東映の平山亨が出会ったことに端を発しており、平山は小林の人間性や子供番組に対する姿勢に共感し、『仮面ライダー』での起用に至った。 平山によると、『スカイライダー』の企画段階及び番組中盤で志度敬太郎を演じていた田畑孝の病気による降板の際に立花藤兵衛を再登場させようと出演を依頼したが、演者の小林は藤兵衛役を卒業したいと言ってその依頼を断り、以降の作品には登場していない。また、「功績を認められてICPOに加入した」と設定した雑誌[要文献特定詳細情報]もあったが、『真・仮面ライダー 序章』での石ノ森章太郎へのインタビュー[要文献特定詳細情報]では、「ライダーたちに関わればまた手助けしてくれるでしょうが、それまでの出会いの多くも偶然ですから、また会えるかどうかわかりませんね」と語っている。 藤兵衛が劇中で使用するシガーパイプは、小林の私物であった。 第1話から登場。スナック「アミーゴ」を経営する傍ら、本郷猛のレーシングトレーナーも務める。 第14話から「立花レーシングクラブ」を設立する。 第74話より「少年仮面ライダー隊」を組織する。 第1話から登場。前作に続いてライダーを支援し、特訓の補助や精神的なアドバイスをしている。本作ではスポーツショップ「セントラル・スポーツ」(第46話では立花スポーツ店)を経営する傍ら、引き続き少年ライダー隊の会長も務めており、滝が渡米したことで隊長も兼任(隊員からは「会長」と呼ばれている)。 第5話から登場。デストロン壊滅後、元々の稼業の1つであった喫茶店「COL」を新たに開業。束の間の平和な日々を過ごしていたが、COLでGODによる幼稚園バス消失事件を報じるラジオを聴いていた際、神敬介と知り合う。また、トンネル近くで涼子によって罠にはめられそうなところを敬介に助けられた。その後、崖で倒れて気絶したところを敬介と水城霧子によってCOLに運ばれ、風見志郎=V3に続くライダーである敬介のことを知ると、敬介に協力してショッカーから都合4度目の新たな戦いに参加することになる。 志郎の去った後からデストロンノイローゼに悩まされていたため、敬介と初めて会った際にはカイゾーグである敬介をデストロンの怪人と疑った。 経緯や素性は前組織から情報を引き継いだGOD設立時より知られており、GOD総司令からも「要注意人物」とされていた。父親を失った敬介にとっては信頼できる存在で、歴代ライダーたちからも慕われている。劇場作品で5人ライダーが揃った時にも、大きく喜ぶ様子が描かれていた。 第3話から登場。以前のように店は経営しておらず、自身がバイクレーサーとして活動していた。 オフロードレースに出場中、カマキリ獣人に襲われるがアマゾンに救われる。前作『X』同様にアマゾンの変身を目の当たりにし、瞬時に「仮面ライダー」と認めた。それ以後は第4話でジャングラーを製造するなど、アマゾンを支援するようになり、彼とともにゲドンやガランダー帝国と戦う。高坂博士とも知り合いで、岡村まさひこやりつ子のことも知っていた。 第5話では、警察に誤認逮捕されたアマゾンの身元引受人を買って出た。戦いが終わった後はアマゾンをバイクレーサーにしようと考え、育てている。 第3話から登場。ブラックサタンの存在を知り、城茂や岬ユリ子=タックルに協力する。『X』や『アマゾン』とは違い、ストロンガーとタックルと対面しても驚いた描写はなかった。茂からは「オヤジさん」、ユリ子からは「おじさん」と呼ばれている。 以前とは違って定住せずにジープで茂やユリ子の旅に同行しており、ライダーの協力者というよりはコメディーリリーフ的要素がやや強くなっている。そのため、無茶をしては人質にされることもあったが、的確なアドバイスや戦闘員とも互角に戦うことに関しては、以前と変わっていない。ユリ子の死後からは従来のようにライダーの頼れる父親役として活躍した。 ブラックサタン壊滅後は茂らとともにひと時の平和を味わうが、デルザー軍団の鋼鉄参謀にストロンガーがまったく敵わない様子を見て、デルザーに驚異を感じる。ドクターケイトの毒に侵されたユリ子の身を案じながらも、茂にはこのことは伏せるようにユリ子から頼まれる。ユリ子の死後、ユリ子の墓前でデルザー打倒を誓う。 ストロンガーの強化を経て次々と帰国する歴代ライダーの取りまとめ役も担当し、デルザー壊滅後は長い戦いが終わったことを悟った。7人ライダー全員から「オヤジさん」と呼ばれ、最後まで仮面ライダーの父親的な立場を演じた。 ゲーム『仮面ライダーV3』 PlayStation版『仮面ライダーV3』に登場。ライダーの特訓に付き合うだけでなく、デストロン怪人や自分自身の特訓も行う。ストーリーモードでプレイヤーキャラクターとなることはないが、1Pモードや対戦モードでは一定条件を満たすとプレイヤーキャラクターとなり、怪人を倒すことも可能である(ただし、1Pモードの個人エンディングは存在しない)。使用する技については、仮面ライダー (プレイステーション版)を参照。 漫画『仮面ライダーSPIRITS』 『仮面ライダーZX』を描く作品で、容貌も役どころもテレビ版に準じたキャラクターとして登場。ユリ子の死を理由として、デルザー壊滅を最後に戦いへの参加を拒んだと設定され、第1部第十一話・第十二話では神奈川県三浦市内でバイクショップの立花レーシングクラブを経営し、茂と共に生活しながら、ユリ子の墓守をしていた。滝と再会し、バダンとの戦いに巻き込まれたのを機に再び立ち上がり、ZXと歴代ライダーの戦いを支援する。テレビ版では谷源次郎とは旧知という設定があったが、本作では初対面という設定である。 第3部では主に志郎に同行。四国での戦いでは、良に「特訓」をつけて新必殺技の開発に協力した。四国での戦いが終わった後は、変身不能によって不利な状況に陥っている志郎を支える一方、静岡で再生ブラックサタンと戦う茂をサポートした。緑川ルリ子が海堂博士に「ABSシステム」を届け、滝が大破したZXのマシンを届けた時には村雨邸に待機しており、現在は滝と共に神奈川の自身の店に戻っている。ZXのマシンを修理すべく、かつてダブルライダーの愛車として保存しておいた改造サイクロン(ダブルライダーのそれぞれ無事だった部品を合わせた「2個1」の物)のエンジンを頼りに修理を始めるが、緊急を要するので突貫で修理するためには谷源次郎の応援や協力を必要としている。 『仮面ライダー THE FIRST』では、オートバイショップ「立花レーシング」の経営者という設定。本郷猛の身に変化があったことを見抜き(改造人間にされたことまで気付いたかどうかは不明)、自ら製作したものの並の人間には使いこなせないマシンサイクロン1号を託した。 劇中では言及されていないが、公式設定では一文字隼人が使用するサイクロン2号も藤兵衛の手によるものである。演じるのは宮内洋。 1号から仮面ライダーBLACK RXまでの歴代の仮面ライダーや、地獄大使ら悪の幹部らを2頭身にデフォルメしたアニメ作品『仮面ライダーSD』にも登場した。テレビ版のキャラクターをデフォルメした容貌で、声も小林本人が担当している。 映画『仮面ライダー1号』ではすでに故人であるために藤兵衛は登場しないが、孫娘の立花麻由が登場する。なお、ネオサイクロン号が隠されていた立花モータースの駐車場で本郷が拾い上げる写真(写真の素材は『仮面ライダー』第53話〈新1号が初登場した回〉のもの)には、本郷と共に生前の藤兵衛が写っている。 『劇場版 仮面ライダー響鬼と7人の戦鬼』 『仮面ライダー響鬼』の劇場版。テレビ版『響鬼』でライダーたちをサポートしている人物・立花勢知郎(ヒビキは「おやっさん」と呼んでいる)の、戦国時代における先祖。演じるのは立花勢知郎と同じ下條アトム。魔化魍に襲われる村の主で、代々生贄を魔化魍に差し出してきたが、村を訪れた鬼たちの力を借りることを決意する。 『スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号』 後述の原作版と同じく本郷家の執事という設定で登場。本郷家に立ち寄った桜井侑斗に地下室を見せるが、そこにあったのはショッカー首領の意識が宿った電子頭脳であり、立花もヒルカメレオンが化けた姿に過ぎなかった。 小説『S.I.C. HERO SAGA』 「MASKED RIDER DEN-O EDITION -1971年4月3日-」 『劇場版 仮面ライダー電王&キバ クライマックス刑事』の後日談。2008年の段階では健在であったが、ネガタロスと電王たちの騒動に巻き込まれてしまう。現在でも自身の不注意で本郷がショッカーに拉致・改造されてしまったことを悔やんでおり、ネガタロスを追って着いた1971年4月3日で、本郷を助けるために飛び出してしまう。その結果、本郷猛が改造人間にならなかった歴史を生んでしまい、オーナーとともにそれを修正することとなる。 「MASKED RIDER DECADE EDITION -ストロンガーの世界-」 「ストロンガーの世界」の人物として登場。容姿の似た門矢士を「ストロンガーの世界」の城茂と誤認しており、士が変身したディケイドをいつもの茂とは違う様子と認識している。普通の人間だが、ジムニーで岩石大首領に立ち向かう勇敢さを持ち、士が初めて他人を「さん」付けして呼んだ人物でもある。 「KAMEN RIDER OOO EDITION -OOZ-」 『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』の後日談。名前のみ登場。火野映司 / 仮面ライダーオーズが、先輩ライダーたちのことを調べようと彼が作ったデータベースで調べていた。 仮面ライダー 原作者の石ノ森が執筆した『仮面ライダー』では、本郷家の執事として登場した。本郷猛の父の代から本郷家で働き、猛を「ぼっちゃま」と呼んで仕えている。猛の秘密を承知し、戦いをサポートしている点はテレビ版と変わらないが、猛を主人として執事の立場に徹しているため、叱咤激励したりコーチ役を務めたりすることはない。猛の願いで管理していた本郷家の財産をつぎ込み、その地下に仮面ライダーの戦いを支援する巨大な研究所を建設した。猛の戦死後もその研究所を管理し、新たな仮面ライダー・一文字隼人を支援している。頭が禿げ上がり、口ひげをたくわえた老人という容姿の点でも、テレビ版とは大きく異なっている。 仮面ライダーアマゾン 石ノ森が執筆した『仮面ライダーアマゾン』では、漫画『仮面ライダー』と同じ容姿で登場するが、登場する仮面ライダーはアマゾンのみのため、関係性は不明である。 仮面ライダーEVE-MASKED RIDER GAIA- 早瀬マサトによる小説作品。石ノ森が執筆した『仮面ライダー』の続編ゆえに同一の役どころで登場し、主人公の門脇純・仮面ライダーガイアをはじめとする歴代仮面ライダーの戦いをサポートしている。第二次世界大戦中に妻と生き別れになったという、オリジナル設定も付加されている。 その他にも仮面ライダーシリーズのコミカライズ作品は多数あるため、多くの漫画家にその姿が描かれているが、ページ数が限られアクション主体になる幼年誌の掲載作品では登場しないケースもある。 以下は、主要キャラクターとして登場した作品。どちらも、「容貌は石ノ森版」「性格や役どころはTV版」となっている。 すがやみつるのコミカライズ 『冒険王』に執筆した『仮面ライダーストロンガー』を除く歴代仮面ライダーのコミカライズに登場。 山田ゴロのコミカライズ 『テレビランド』に執筆した『仮面ライダー』に登場。 小説 仮面ライダー 喫茶アミーゴのマスターであり、緑川家の使用人という漫画版とテレビ版の設定を組み合わせたような設定となっている。 KIKAIDER00 新聞記者にスカルマン(正体は仮面ライダー)は人類の平和の為に戦っているのだと説いている。 仮面ノリダー アミーゴのマスターであり、ノリダーこと木梨猛のよき理解者である。かつては科学特捜隊のキャップだったらしい。店を訪れた有名人のサインを店内に飾ったりとミーハーな一面もある。店が休みの時はちびっこハウスに通い先生の真似事をしている。 仮面ノリダーV2 新たなノリダー・一文字マモルにV2サイクロンを提供。またニワカながらもゲロコウモリの攻撃で負傷したマモルに応急処置を施した。 小林昭二 『仮面ライダー』から『仮面ライダーストロンガー』までの作品だけでなく、『仮面ライダーSD』では声を担当。『とんねるずのみなさんのおかげです』でのパロディー『仮面ノリダー』『仮面ノリダーV2』や、『ウルトラマンゼアス・パロディ篇』にも登場。 没後の作品『仮面ライダー1号』には写真で登場。 宮内洋 『仮面ライダー THE FIRST』。宮内洋は『仮面ライダーV3』にて主役の風見志郎 / 仮面ライダーV3を演じ、先の小林昭二とも共演している。 下條アトム 『劇場版 仮面ライダー響鬼と7人の戦鬼』で立花勢地郎の先祖として登場。 井手らっきょ 『スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号』で担当。※ ヒルカメレオンの変装。 『仮面ライダー』 第1話から第13話までマスターとして経営していたスナック。14話で立花レーシングクラブの事務所に改装される。 『小説 仮面ライダー』 立花藤兵衛が経営する店として「喫茶アミーゴ」という店が登場。 『仮面ノリダー』/『仮面ノリダーV2』/『ウルトラマンゼアス・パロディ篇』 中目黒に構えている喫茶店。ジョッカーの大運動会男が仕掛けた時限爆弾によって全壊するが、翌週で新築した際に地下にノリダーの秘密基地が置かれた。 『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』 歴史が変わった後の2011年において、元の歴史ではクスクシエがあった場所に、廃墟化した「スナックアミーゴ」が登場する。 『劇場版 仮面ライダードライブ サプライズ・フューチャー』 泊進ノ介が逃亡中、「アミーゴ」と書かれた看板が登場している。 『仮面ライダー』 第14話より登場。立花レーシングクラブの拠点となっているオートバイ用品店。後に少年仮面ライダー隊本部となる。 『仮面ライダー1号』 立花レーシングの看板が登場。その駐車場跡地に、ネオサイクロンが保管されていた。 セントラルスポーツ 『仮面ライダーV3』第3話より登場。表向きはスポーツ用品店だが、奥に少年仮面ライダー隊本部が設けられている。 COL 『仮面ライダーX』第5話より登場。立花が少年仮面ライダー隊解散後に開店した喫茶店。住居であり敬介との連絡場でもあるCOLは、アポロガイストなどが人間態で乗り込むなどGODにも知られていたため、店内が戦場になることもあった。そのため、店が怪人に荒らされた際には「GODに修理代を請求しよう」と息巻く場面が見られた。所在地は多摩区生田町である。 立花 麻由 映画『仮面ライダー1号』に登場。立花藤兵衛の孫。詳しくは仮面ライダー1号 (映画)#登場キャラクターを参照。 如月 恭子 小説『仮面ライダーEVE-MASKED RIDER GAIA-』に登場。立花藤兵衛の妻の孫。詳しくは仮面ライダーEVE-MASKED RIDER GAIA-#仮面ライダーの協力者と関係者を参照。 ^ 敬介・近隣住民・GODには「立花コーヒーショップ」とも呼ばれる。 ^ 原作漫画および続編の『EVE』では、本郷家の地下には本郷猛の頭脳が眠っていた。 ^ a b 『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』では、「スナックアミーゴ」が登場。続編の『KAMEN RIDER OOO EDITION -OOZ-』では立花藤兵衛のデータベースが登場。 ^ アミーゴの名称は、ロケで使用した店舗の名称をそのまま使用している。 ^ カード図鑑 1997, p. 213, 「No.158 藤兵衛ってどんな人?」. ^ a b c 大全集 1986, pp. 130-133, 「仮面ライダーは、こうして誕生した」 ^ 大全集 1986, p. 149, 「仮面ライダー[スカイライダー]」 ^ 仮面ライダー怪人大画報 2016, p. 188, 「仮面ライダー スタッフ・キャスト人名録 2016年版」. ^ 「『仮面ライダー』ロケ地探訪」『全怪獣怪人』下巻、勁文社、1990年11月30日、473頁。C0676。ISBN 4-7669-1209-8。 ^ 超辞典 2011, p. 484. ^ 大全集 1986, p. 190, 「仮面ライダー人物名鑑 仮面ライダーX」. 『創刊15周年記念 テレビマガジン特別編集 仮面ライダー大全集』 講談社、1986年5月3日。ISBN 4-06-178401-3。 木下正信 『仮面ライダー 仮面ライダーV3 カード完全図鑑』 竹書房、1997年5月31日。ISBN 4-8124-0300-6。 『仮面ライダー超辞典』 監修:石森プロ・東映、双葉社、2011年7月24日。ISBN 978-4-575-30333-9。 『宇宙船別冊 仮面ライダー怪人大画報2016』 ホビージャパン〈ホビージャパンMOOK〉、2016年3月28日。ISBN 978-4-7986-1202-7。 スズキ・ジムニーLJ20型 - 『X』『アマゾン』『ストロンガー』での愛車。
立花藤兵衛
サドラ
帰ってきたウルトラマンの登場怪獣 > サドラ サドラは、特撮テレビ番組『帰ってきたウルトラマン』をはじめとする「ウルトラシリーズ」に登場する架空の怪獣。別名は岩石怪獣。英字表記はSADOLARまたはSADOLA。 『帰ってきたウルトラマン』放映当時から、書籍によってサドラーとサドラの2つの名前で呼称されていたが、『ウルトラ怪獣大百科』での紹介以降は後者が正式名称とされている。 『帰ってきたウルトラマン』第3話「恐怖の怪獣魔境」に登場。 身長:60メートル 体重:2万4,000トン 出身地:霧吹山 霧に覆われて絶壁に囲まれているために転落事故が頻繁に起こるうえ、竜伝説があり魔の山と言われる霧吹山に生息する怪獣。体色は茶色。両腕のハサミは鋭い刃を持ち、鋼鉄をも切り裂く。身体の数十本の関節は自由に曲げられる。設定では尾から猛毒を噴き出すとされる。 潜伏には絶好の条件下にある霧吹山へ入り込んだ人間を襲っており、調査に訪れたMATの加藤隊長をも襲うが、ハサミを攻撃されて退く。その後、鉢合わせたデットンと戦い、ウルトラマンジャックとの対戦の際には連携して2体でジャックを追い詰めるが、デットンを倒された直後に八つ裂き光輪で首を切断され、倒される。 スーツアクター:遠矢孝信(ノンクレジット) 初代『ウルトラマン』では「ウルトラマンと戦う怪獣は1話につき1体だけ」と決められていたため、『帰ってきたウルトラマン』では初めて2匹以上の怪獣が協力してウルトラ戦士と戦う回となった。 着ぐるみは撮影終了後、『ウルトラマンタロウ』放送当時の『小学三年生』1973年9月号のプレゼント企画にて、20個のパーツに分割されて抽選の対象となった。 デザインは池谷仙克が担当。企画段階ではサソリの怪獣として設定されており、デザイン画に記された名称は「サソラー」だった。 造形は開米プロが担当。開米プロは東宝特美が制作したアーストロン・タッコング・ザザーンの改修として参加し、第3話から造形を本格的に担当した。 『ウルトラマンメビウス』では、霧吹山の霧はサドラ自身が発生させているという設定が追加された(後述)。 大伴昌司の構成による『ウルトラ怪獣入門』では、「弱い者いじめが、大すきな、ひきょうな怪獣だ」と紹介されていた。 『帰ってきたウルトラマン』の挿入歌「怪獣音頭」の歌詞では、冷凍怪獣のように紹介されている。 『レッドマン』第26、28、第116 - 120、122、125 - 127、131、133、134話に登場。使用されたスーツは撮影用。[要出典] 第26話:ダンガーを倒すが、レッドマンが現れ、レッドナイフで胸を刺されて倒される。 第28話:ゴーストロンに倒される。 第116話:シュガロンとともにレッドマンと戦うが、レッドチョップで倒される。 第117話:グドン、ザゴラスとともにレッドマンと戦うが、レッドナイフを刺されて倒される。 第118話:イカルス星人、グドン、ザゴラスとともにレッドマンと戦うが、レッドナイフで倒される。 第119話:イカルス星人、グドン、ザゴラス、シュガロンとともにレッドマンと戦うが、レッドナイフで倒される。 第120話:ドラキュラスとともにレッドマンと戦うが、レッドキックで倒される。 第122話:ビーコンとともにレッドマンと戦うが、レッドキックで倒される。 第125話:イカルス星人、ドラキュラスとともにレッドマンと戦うが、レッドキックで倒される。 第126話:ビーコン、バット星人とともにレッドマンと戦うが、レッドナイフ、レッドショットの連続攻撃で倒される。 第127話:ビーコン、バット星人とともにレッドマンと戦うが、レッドアローで倒される。 第131話:レッドキックで倒される。 第133話:コダイゴンとともにレッドマンと戦うが、レッドアローで胸を刺されて倒される。 『ウルトラマンメビウス』第5話「逆転のシュート」、第8話「戦慄の捕食者」に登場。 体長:60メートル 体重:2万4千トン 出身地:霧吹山 『帰ってきたウルトラマン』に登場するサドラの別個体。GUYSのドキュメントMATにデータが記録されている。ボガールに復活させられた後、体表から揮発性の分泌液を出し、強力なジャミング効果を持つ霧の電磁セクリションフォッグを発生させる。また、霧吹山へ入り込んだ家族連れのハイカーたちを伸縮できる腕の先にあるハサミの重層ベローズピンチで襲い、全員まとめて捕食する。この個体をはじめ『メビウス』に登場する個体らは、両耳にサメのロレンチーニ器官と同じような生体電流感知器官を持っており、それによって霧の中でも正確に相手を認識できる。 霧吹山でGUYSと交戦した1体目はその直後にボガールに捕食され(捕食の件は第6話の記録映像の分析で確認されるが、それに先んじてマリナは第5話で断末魔の声を聞いている)、2体目が都市部に出現してアベックや女子高生たちを次々と捕食し、霧をまといながらの攻撃でGUYSやメビウスを翻弄するが、ガンローダーのベンチレーション・ボルテクサーに霧を吹き飛ばされたところをメビュームシュートで倒される。しかし、さらに3体目と4体目が出現してエネルギーの切れたメビウスに襲いかかろうとしたところ、突如現れたハンターナイト ツルギにそれぞれナイトシュートの一撃で倒される。 第8話では5体目が山中に出現してボガールに捕食されるが、画面に映るのは腕の部分のみである。 スーツアクター:末永博志 造型は品田冬樹が担当。体形は初代のそれから曲がった首の先に頭があるものにアレンジされたうえ、体表から分泌液を出すという設定に基づき、身体の蛇腹の感覚が広めにとられている。伸びた状態の腕も別に1本作られている。スーツは足が短く動きにくいが、第5話監督の髙野敏幸はそれを逆手に取り、電磁セクリションフォッグや重層ベローズピンチなどの設定を上手く活かすことができたと述べている。 DXウルトラコクピット版『ウルトラマンメビウス外伝 超銀河大戦』に登場。 怪獣墓場で眠っていたが、アークボガールによって目覚めさせられ、GUYSに襲いかかる。 『ウルトラギャラクシー大怪獣バトル』第1話「怪獣無法惑星」、第5話「ベラルゴシティの罠」、第6話「もう一人の怪獣使い」に登場。 身長:60メートル 体重:2万4,000トン 惑星ボリスにて出現。テレスドンと激闘を繰り広げるが、そこに突如レッドキングが乱入し、三つ巴の戦いとなる。最後はレッドキングに首を絞められ、泡を吹いて絶命する。 第5話では、ベラルゴシティで暴れる複数体が出現。ケイトが操るファイヤーゴルザに戦いを挑んだが、ファイヤーゴルザのマグマパンチや強化超音波光線で全滅する。 第6話でも大群で出現し、ペンドラゴンに襲いかかるが、ワイバーンミサイルの斉射で一掃される。 スーツアクター:末永博志 着ぐるみは『ウルトラマンメビウス』で使用した物の流用。眼が赤色に塗り直されている。[要出典] オープニングではドラゴリーと対決している。 映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』に登場。 ウルトラマンベリアルのギガバトルナイザーの力で怪獣墓場から復活し、ベリアルに操られる怪獣軍団の1体として怪獣墓場でウルトラ戦士やレイの怪獣たちを迎え撃つ。主にリトラと戦い、その後も軍団の中では長く残るが、ウルトラマンゼロのゼロスラッガーによって他の怪獣共々倒される。 また、初代サドラが百体怪獣ベリュドラの右角を構成する怪獣の1体、『ウルトラマンメビウス』の登場個体が胴体を構成する怪獣の1体となっている。 着ぐるみは『ウルトラギャラクシー大怪獣バトル』までに使用された物の流用。[要出典] 『ウルトラゾーン』第1話のコントパート「怪獣転校生」に登場。 身長:60メートル 体重:2万4千トン 有名中学校に毎年合格者を出す私立小学校の6年1組に転校生としてやってくる。 また、第7話アイキャッチでは、テープカットをする様子が書かれている。 声は山本匠馬が担当。 着ぐるみは『ウルトラマンメビウス』以降の流用。[要出典] 『ウルトラマン列伝』内のアクションドラマ『ウルトラゼロファイト』第1部「新たなる力」に登場。 バット星人グラシエが怪獣墓場から蘇らせた怪獣軍団の1体。グドン、テレスドン、ベムラーと共に出現し、怪獣墓場を訪れたウルトラマンゼロを襲うが、グドン共々ストロングコロナゼロの格闘に瞬殺され、爆死する。 『ウルトラマンギンガS』第4話「強さの意味」に登場。 身長:14センチメートル - 60メートル(最大) 体重:150グラム - 2万4千トン(最大) アンドロイド・ワンゼロがモンスライブし、ウルトラマンビクトリーと対決。ショウが敵から得た力であるスパークドールズの使用に迷いを抱いていたために力を発揮できないことに乗じ、霧に隠れて腕を伸ばしての攻撃で優位に立ち、加勢したギンガとの対決でも尻尾攻撃やハサミで手こずらせるも、ギンガストリウムのウルトラショットで倒される。 その後、スパークドールズはショウが前述の理由から受け取りを拒んだためにヒカルの手に渡っており、終盤でグドン(SD)に襲われたレピを助ける際にウルトライブし、スパークドールズそのものに悪意はないことをショウに教えたため、最終的には彼の手に渡っている。 スーツアクター:力丸佳大 能力は『ウルトラマンメビウス』での設定を継承している。第4話監督の石井良和は『メビウス』に助監督として参加しており、サドラの腕の操作も行っていた。 『ウルトラマンタロウ』第25話のイメージイラストでは、エンペラ星人が3万年前に光の国を襲来した際の怪獣軍団の中に姿を見せている。 映画『新世紀2003ウルトラマン伝説 THE KING'S JUBILEE』では、ウルトラマンキングの誕生日を怪獣たちと共に祝福する。 『ウルトラゾーン』のアイキャッチでは、テープカットをはさみで行っている姿が描かれている。 『ウルトラマンギンガ』では、「ダークスパークウォーズ」に参戦しており、その際異形の手のモノによってスパークドールズに変えられる。 データカードダス『大怪獣バトル ULTRA MONSTERS』の拡張第1に技カードとして登場。スキルは「魔境の霧」。 2009年のHONDA「ステップワゴン スパーダ」のCMでは、スパーダを恐れて他の怪獣と共に道を空ける役で出演している。 漫画『ウルトラマン超闘士激伝』では、ザム星人が率いるエンペラ陸軍の闇闘士となっている。玩具のみで漫画本編には登場していないが、復刊された単行本第4巻にてイラストが描き下ろされている。 漫画『ウルトラマンSTORY0』では、小型肉食恐竜似のアレンジが加えられたデザインとなっている。第11話に3体が登場し、ウルトラマンに生きたまま捕縛されるが、その直後にバルタン星人によって殺害される。 漫画『大怪獣バトルウルトラアドベンチャー』では、第2話で山形を襲撃する。また、過去の惑星ボリスに生息していた怪獣としても登場する。 ^ a b c d 白書 1982, p. 172, 「帰ってきたウルトラマン 怪獣リスト」 ^ a b c d 画報 上巻 2002, p. 98 ^ 白書 1982, pp. 114、171、172. ^ a b c d ウルトラ怪獣大全集 1984, p. 34, 「帰ってきたウルトラマン 全怪獣」 ^ 『全怪獣怪人』上巻、勁文社、1990年、264頁。ISBN 4-7669-0962-3。 ^ a b c 大辞典 2001, p. 149 ^ a b c 円谷プロ全怪獣図鑑 2013, p. 47 ^ a b c d e f g キャラクター大全 2015, pp. 24-25, 「EPISODE-3 恐怖の怪獣魔境」 ^ 『円谷プロ画報』第1巻、竹書房、2013年、212頁。ISBN 978-4-8124-9491-2。 ^ 「ウルトラ小ネタ博物館」『学年別学習雑誌で見る昭和子どもクロニクル1 ウルトラ博物館』 秋山哲茂、小学館、2003年12月20日、32頁。ISBN 4-09-387482-4。 ^ a b 『大人のウルトラマン大図鑑 第二期ウルトラマンシリーズ編』 マガジンハウス〈MAGAZINE HOUSE MOOK 大人のウルトラシリーズ〉、2014年1月25日、96頁。ISBN 978-4-8387-8882-8。 ^ a b c d 宇宙船152 2016. ^ 『帰ってきた帰ってきたウルトラマン』(辰巳出版、1999年)p.42・p.91より。 ^ 『ウルトラ怪獣入門』 円谷プロダクション監修、小学館(小学館入門百科シリーズ15)、1971年9月10日、130頁。ISBN 4-09-220015-3。 ^ a b “hicbc.com:ウルトラマンメビウス 怪獣図鑑”. 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BCXS-0910  監督インタビュー 石井良和 ^ 『ウルトラゾーン公式ガイドブック』(ミリオン出版、2012年、ISBN 978-4-81-302189-6) ファンタスティックコレクション(朝日ソノラマ) 『不滅のヒーローウルトラマン白書』 朝日ソノラマ〈ファンタスティック・コレクション・スペシャル〉、1982年12月31日、初版。雑誌コード:67897-80。 『ウルトラマンメビウス アーカイブ・ドキュメント』 宇宙船編集部 編、円谷プロダクション 監修、朝日ソノラマ〈ファンタスティックコレクションNo.∞〉、2007年6月30日。ISBN 978-4-257-03745-3。 てれびくんデラックス愛蔵版(小学館) 『ウルトラ怪獣大全集』 小学館〈てれびくんデラックス愛蔵版〉、1984年9月10日。ISBN 4-09-101411-9。 『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE超全集』 小学館〈てれびくんデラックス愛蔵版〉、2009年12月23日。ISBN 978-4-09-105129-5。 『ウルトラマンギンガS超全集』 小学館〈てれびくんデラックス 愛蔵版〉、2015年2月3日。ISBN 978-4-09-105148-6。 『ウルトラマン大辞典』 監修 円谷プロダクション、中経出版、2001年12月21日。ISBN 4-8061-1556-8。 『ウルトラマン画報 光の戦士三十五年の歩み』上巻、竹書房/ブレインナビ編、竹書房、2002年10月4日。ISBN 978-4-8124-0888-9。 『ウルトラゾーンオフィシャル完全ガイド』 監修 円谷プロダクション、扶桑社、2012年8月11日。ISBN 978-4-594-06640-6。 大石真司、江口水基・島崎淳・間宮尚彦 『円谷プロ全怪獣図鑑』 円谷プロダクション監修、小学館、2013年3月11日。ISBN 9784096820742。 『キャラクター大全 帰ってきたウルトラマン パーフェクトファイル』 講談社 編、講談社〈キャラクター大全〉、2015年10月15日。ISBN 978-4-06-219562-1。 「70's円谷怪獣リスペクト検証 栄光の怪獣王国、狂乱のデザイン史 [第1回] 池谷仙克が生んだ端正な異形たち」、『宇宙船』vol.152(SPRING 2016.春)、ホビージャパン、2016年4月1日、 pp.80-83、 ISBN 978-4-7986-1218-8。 ウルトラ怪獣一覧 帰ってきたウルトラマンの登場怪獣 ウルトラマンメビウスの登場怪獣
サドラ
ショッカー怪人
仮面ライダーシリーズ 仮面ライダー > ショッカー > ショッカー怪人 仮面ライダーシリーズ登場怪人一覧 > 仮面ライダーシリーズ第1期登場怪人一覧 > ショッカー怪人 ショッカー怪人(ショッカーかいじん)は、特撮テレビドラマシリーズ「仮面ライダーシリーズ」の作品に登場する架空のキャラクターの総称である。 オリジナルは特撮テレビ番組『仮面ライダー』に登場。秘密結社ショッカーの尖兵として悪事を働き、仮面ライダーと戦う悪役である。 従来の怪獣や異星人とは異なる「怪人」という概念を確立し、『仮面ライダー』の人気を支える要素の一つとなった。 基本的に実在の生物・植物を人間と融合させた姿を持っており、「蜘蛛男」「キノコモルグ」「トリカブト」「ミミズ男」などモチーフとなった生物からネーミングされている。仮面ライダー自身もショッカーに「バッタ男」として改造されて誕生したという経緯がある。実在の生物以外にも、古代生物(ザンブロンゾ、プラノドン)、架空の古代生物(ピラザウルス、ユニコルノス)、UMA(スノーマン)、無機物(ゴースター)、ミイラ(エジプタス)など、さまざまな素材による怪人も登場している。 『仮面ライダー』テレビシリーズの各話に新規怪人が登場する。 怪人たちはおおむね脳改造を受けてショッカーに忠実な操り人形となっているが、自ら望んで改造手術を受けた者も存在する。全世界の人間の全てのデータがインプットされたショッカー・コンピュータによって主に必要に応じた優秀な人材や改造人間に適した素材を選出し、その中でも特に優秀な能力を持つ者だけが改造人間となり、それと同時に各支部と作戦の陣頭指揮を任される幹部格の栄誉を与えられる。当初は改造素体は知力や体力が並外れた人間が条件だったが、後にそれらが特に優れているわけではない一般市民が改造された例もある。 多くの怪人はショッカーのマークを象ったエンブレムが付いたベルトを着用している。ベルトがない怪人も少数ながら存在するが、再登場する際にはベルトを着用する場合がある。第67話のギリザメス以降、金色のエンブレムが付いた白いベルト・ゴールドショッカーベルトを着用している対ライダー用特殊能力を備えた強化怪人が登場するようになった。 初期の怪人はライダーに倒されると溶解して死体が消失していたが、多くの怪人は死と同時に爆発して完全に粉砕される。これは機密保持のためベルトのバックル部に仕込まれた自爆装置が作動するからとされる。中には倒されても死なず人間の姿に戻り、さらに脳改造の影響から解放された者もいる。 怪人は戦闘員を引き連れることはあっても、複数の怪人同士で徒党を組むことはあまりない。これは、怪人が油断せずに本来の能力を完全に発揮できたなら、単独でも仮面ライダーを打倒できるはずだからである。しかし地獄大使編後半に入ると、シードラゴン、ウニドグマの任務に見られる怪人の量産や改造人間の大量製造計画によって戦力の補充を画策したりするようになった。なお1体の怪人の製造コストは、時間にして1週間、金額換算でジャンボジェット機1台相当かかるという。 再生怪人 改造人間は第10話でコブラ男が蘇生されて以来何度か同一の怪人が登場し、大規模な作戦には複数投入されることもある。これらについては再生手術や呪術などで実際に生き返っている場面があったりするものの、同一個体ではなく新たに作られた同型の怪人と解釈される場合もある。こうした「再生怪人」は初登場時ほど活躍せずにあっさりと敗退することが多いが、過去の映像を視聴する手段のない『仮面ライダー』放映当時の児童にとっては、怪人の再登場それ自体が喜ばしいことだった。番組側での扱いは低く、スチール写真の存在しないものも多い。 デザイン・造型 ショッカー怪人のデザインは、エキスプロダクションの三上陸男や高橋章が主に担当した。原作者である石森章太郎によるデザイン原案が存在しているものもあるが、石森が多忙であったため描かれたのは最初期のみに留まった。 当時、怪獣の着ぐるみの造型は、針金で起こした人型にウレタンスポンジを巻いていく方法が主流だったが、三上は限られた予算と時間の中で作業を間に合わせるため、耐久性が低く現場では避けられがちだったタイツを素材に採用し、生地の上に直接装飾を施していくことにした。タイツはスーツアクターの体形を明瞭に反映するうえ、初期のマスクは中から眼がのぞくようになっていたため、人間らしさを強烈に打ち出し、怪獣とは違う「怪人」という概念を確立させた。方向性を模索していた第2クールでは全身を覆う造形やブーツではなく足を造形したものなど怪獣的なフォルムを取り入れていたが、高視聴率を維持するようになってからは巨大怪獣ものとの差別化を明確にし、第3クール(ゾル大佐編)以降は人間的なフォルムへと回帰している。第5クール(地獄大使編)以降では、造形とスーツアクターの目の位置をずらしたものや左右非対称なデザインが多くなっている。高橋はデザインの描き方について、動物の「らしさ」を拡大解釈して「何が武器になるか」「何が面白いか」ということを考え、色については子供が夢中になるような派手な色使いにしたと述べている。 ベルトのデザインはチャンピオンベルトをイメージしている。高橋は、ベルトの造型は当時エキスプロダクションに参加していた彫刻家の池田宗弘によるものであると証言している。初期はバックルがFRP製であったが、後に激しいアクションに耐えられるようラテックスのものが用いられた。 美術予算は1話あたり約6万円であったのに対し、怪人は武器なども含め1体あたり約8万円用意されており、高橋は「怪人に関しては余裕があった」と述べている。 ショッカーのアジト内部は、毎回メインとなる怪人のモチーフとなった動物がデザイナーの高橋章によって、壁面に描き下ろされていた。時間がないため図面はなく、ぶっつけ本番で描いていたという。 制作関連 放送当時、石森プロが怪人のデータを取りまとめた『資料・仮面ライダー』を制作し、出版社や玩具企業などに配布され書籍や仮面ライダースナック付属の仮面ライダーカードなどの情報源として用いられた。この資料は映像ではなく台本を元に制作されたため、映像作品の内容とは異なる記述が多く存在している。「吸血蝙蝠男」や「死神カメレオン」など映像と異なる名称や別名・肩書もこれに記されている。 番組の人気上昇に伴い、番組途中から参加した出版社や玩具メーカーを対象とした「怪人撮影会」が催されるようになった。これにより、旧1号編の怪人と戦う仮面ライダー2号や複数の怪人と同時に戦う仮面ライダーなど、本編の特写とは異なる独自の図版が関連書籍やカードなどの玩具に用いられた。第3クール末頃からは石森プロや講談社が本編スチールを撮影するようになったことから縮小されていった。 ザンジオー カミキリキッド 初登場時点でショッカーの怪人とされた怪人(別作品のキャラクターが映画でのみショッカーの怪人と定義された例は含まない)。 ワニ男 石森章太郎による初期の検討用デザインで描かれた怪人。 『たのしい幼稚園』1972年4月号掲載の漫画版に登場し、『たのしい幼稚園新案カード 仮面ライダー図鑑』でも紹介された。 ヒドラーゲン 第4クール初期用に書かれたNG脚本「怪人ヒドラーゲン」に登場する怪人。『たのしい幼稚園新案カード 仮面ライダー図鑑』で紹介された。後年、小説『S.I.C. HERO SAGA MASKED RIDER EDITION -仮面ライダー #99-』に登場した。 マクロファンガス 『たのしい幼稚園新案カード 仮面ライダー図鑑』で紹介された怪人。後年、小説『S.I.C. HERO SAGA MASKED RIDER EDITION -仮面ライダー #99-』に登場した。 イソギンチャーゲル、どくバラおんな 『たのしい幼稚園新案カード 仮面ライダー図鑑』で紹介された怪人。 サメおとこ、タコおとこ 『たのしい幼稚園新案カード 仮面ライダー図鑑』で紹介された怪人。 バッファローおとこ、きくおんな、ファイアマン 『たのしい幼稚園新案カード 図鑑ぼくらの仮面ライダー』で紹介された怪人。 かっぱおとこ、くじゃくおんな 『たのしい幼稚園新案カード 図鑑ぼくらの仮面ライダー』で紹介された怪人。 かかいじんモスキート 『たのしい幼稚園新案カード 図鑑ぼくらの仮面ライダー』で紹介された怪人。 いっかくじゅうおとこ 『たのしい幼稚園新案カード 図鑑ぼくらの仮面ライダー』で紹介された怪人。 『ウルトラマンVS仮面ライダー』 ショッカー怪人だけでなく、怪獣も登場。 毒サソリ男 『仮面ライダー THE FIRST』 ホッパー1 ホッパー2 スパイダー バット コブラ スネーク 『仮面ライダー THE NEXT』 『仮面ライダーV3』のキャラクターに該当するキャラクターも所属。 ホッパーVersion3 シザーズジャガー チェーンソーリザード ショッカーライダー 精神体(幽霊) / 風見ちはる 別の精神体(幽霊) 『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』 ショッカーグリード 『スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号』 仮面ライダー3号 チーターカタツムリ 『dビデオスペシャル 仮面ライダー4号』 仮面ライダー4号 アリマンモス 『仮面ライダー×スーパー戦隊 超スーパーヒーロー大戦』 ショッカー首領三世 / 大蜘蛛大首領 石ノ森章太郎による漫画作品 石川森彦の漫画作品 基本的にはテレビシリーズに近い設定となっている。クワガッターやスカラベなどのオリジナル怪人も登場 『たのしい幼稚園』分の怪人 わにおとこ - 「たのしい幼稚園」昭和47年4月号掲載分に登場。 ドブネズラー - 「たのしい幼稚園」昭和47年5月号掲載分に登場。 ダイガー - 「たのしい幼稚園」昭和47年6月号掲載分に登場 タガメマン - 「たのしい幼稚園」昭和47年8月号掲載分に登場。 スカラベ - 「たのしい幼稚園」昭和47年9月号掲載分に登場。 しかおとこ - 「たのしい幼稚園」昭和47年10月号掲載分に登場。 バラランガ - 「たのしい幼稚園」昭和47年11月号掲載分に登場。 『別冊たのしい幼稚園』分の怪人 シーラカンス - 「別冊たのしい幼稚園」昭和47年9月号掲載分に登場。 『ディズニーランド』分の怪人 クワガッター - 「ディズニーランド」昭和47年7月号掲載分に登場。 サイギャング - 「ディズニーランド」昭和47年9月号掲載分に登場。 ギラーコオロギ - 「ディズニーランド」昭和47年10月号掲載分に登場。 アブゴメス - 「ディズニーランド」昭和47年11月号掲載分に登場。 イモリギャラン - 「ディズニーランド」昭和47年12月号掲載分に登場。 すがやみつるの漫画作品 『テレビマガジン』分の怪人 アリカバリ - 「テレビマガジン」昭和46年12月号掲載分に登場。 エイキング - 「テレビマガジン」昭和47年1月号掲載分に登場。 トドギラー - 「テレビマガジン」昭和47年2月号掲載分に登場。 イソギンチャック - 「テレビマガジン」昭和47年3月号掲載分に登場。 カメストーン - 「テレビマガジン」昭和47年4月号掲載分に登場。 ギリーラ - 「テレビマガジン」昭和47年5月号掲載分に登場。 うみへび男 - 「テレビマガジン」昭和47年6月号掲載分に登場。 カブトロング - 「テレビマガジン」昭和47年7月号掲載分に登場。 セミミンガ - 「テレビマガジン」昭和47年8月号掲載分に登場。 カミキリキッド -「テレビマガジン」昭和47年9月号掲載分に登場。 エレキボタル - 「テレビマガジン」昭和47年10月号掲載分に登場。 『冒険王』分の怪人 フクロウ男 - 「冒険王」昭和47年6月号掲載分に登場。 カブトロング - 「冒険王」昭和47年7月号掲載分に登場。 セミミンガー - 「冒険王」昭和47年8月号付録掲載分に登場。 イカデビル - 「冒険王」昭和47年9月号掲載分に登場。 カミキリキッド - 「冒険王」昭和47年夏休み特大号掲載分に登場。 『別冊冒険王』分の怪人 テンペスト - 「別冊冒険王」昭和47年夏季号掲載分に登場。 細井雄二の漫画作品 『おともだち』分の怪人 アブゴメス - 「おともだち」1973年1月号に登場。 山田ゴロの漫画作品 テレビランド版 くも男 - 『テレビランド』1978年10月号付録掲載の「仮面ライダー誕生!!」に登場。 こうもり男 - 『テレビランド』1978年10月号付録掲載の「仮面ライダー誕生!!」に登場。 カブトロング - 『テレビランド』1978年10月号付録掲載の「仮面ライダー誕生!!」に登場。 ゲバコンドル - 『テレビランド』1978年11月号掲載の「戦えWライダー!!」に登場。 『仮面ライダーSPIRITS』『新 仮面ライダーSPIRITS』 大コウモリ怪人 / ペトレスク神父 『仮面ライダーSPIRITS』第1話に登場。ショッカーの残党。 大コウモリ怪人による吸血人間 『仮面ライダーSPIRITS』第1話に登場。 ペトレスク神父(大コウモリ怪人)が教会の中で増やしていた吸血人間。スパイクなどが被害に遭った。 第二期強化改造人間 『新 仮面ライダーSPIRITS』第1話から始まる過去編に登場。ショッカーが作り出したショッカーライダー。 『仮面ライダー1971-1973』 『仮面ライダーEVE-MASKED RIDER GAIA-』 漫画版『仮面ライダー』の続編。ビッグマシンは、漫画版から引き続き登場。 門脇 純一郎 / ジェイド カメレオン怪人 ネコ怪人 蜻蛉の少年 ビッグマシン カマキリ怪人 クモ怪人 コウモリ怪人 ワニ怪人 オオワシ怪人 カニ怪人 『仮面ライダー 戦闘員日記』『仮面ライダー 戦闘員日記2』 テレビシリーズと同名の個体も登場するが、同じ個体かは不明のため、こちらに記載する。 クモ男 - 『戦闘員日記』に登場。 サソリ男 - 『戦闘員日記』に登場。 ハチ女 - 『戦闘員日記』『戦闘員日記2』の両方に登場。 イカデビル - 『戦闘員日記2』に登場。 ^ 毎日放送による『仮面ライダー』第3クール以降の企画案では、敵怪人が従来の怪獣と異なり動植物の特徴を持っていることが、当時の動物ブームに乗って番組の人気の一因になったものと分析している。 ^ 劇中設定でのエジプタスは「火を吐く怪人」だった。4000年前の改造人間を蘇らせたものと解釈する文献もある。 ^ これは伝説上の生物や無機物からも怪人を開発できる死神博士の技術の高さとして解釈されているが、実際には「怪人のモチーフになりそうな動植物のネタが尽きてきたから」と阿部征司が述べている。 ^ 第55話のゴキブリ男。 ^ 映画『仮面ライダー対じごく大使』のエイキングなど。 ^ 田口勝彦の証言によると、せっかちな性格の山田稔が、怪人の死体が溶解してゆくテンポの悪さを嫌って、倒されると爆発するという演出を発案したという。 ^ 第17話のピラザウルス、第84話のイソギンジャガー、第88話のネコヤモリ、第96話のサボテンバットなど。 ^ a b c d e f g h i j 作中で名前は呼ばれないため、便宜上の仮名称。ヤモゲラス・モグラング・ドクガンダー(成虫)・ナメクジラ・プラノドン・ハエ男はテレビシリーズと同じ姿をしているが、同一の能力かは不明。 ^ テレビシリーズのジャガーマンとは容姿が異なる。 ^ 大全集 1986, p. 131, 「仮面ライダーは、こうして誕生した」. ^ 大研究 2007, pp. 26-27. ^ 仮面ライダー1971-1984 2014, p. 30. ^ 別冊宝島 2015, pp. 42-43、96. ^ 大全集 1986, p. 136, 「仮面ライダー[一文字ライダー]」. ^ 「怪人研究室」、『仮面ライダー 悪(ショッカー)の系譜』樹想社、ISBN 4877770496[要ページ番号] ^ OFM 特1 2005, p. 9. ^ OFM Vol.2, p. 18. ^ 怪人大画報 2016, pp. 168-171, 「仮面ライダーを育てた三賢人II 運営の賢者 阿部征司」. ^ 大全 2000, p. 53, 「THE SUPER WEAPON OF SHOCKER 1」. ^ 超辞典 2011, p. 269. ^ 超辞典 2011, p. 398. ^ a b 100のひみつ 2009, p. 56. ^ OFM Vol.2, p. 30, 和智正喜「仮面ライダー 監督紳士録 [第7回]山田稔」 ^ 100のひみつ 2009, p. 52. ^ 怪人大全集 1986, p. 182. ^ PCソフト「仮面ライダー作戦ファイル」などの記述。 ^ OFM Vol.10, p. 23, 月村了衛「再生怪人という悦び」. ^ a b c d 仮面ライダー1971-1984 2014, pp. 88-89, 「石森プロ制作 怪人データ」 ^ 宇宙船SPECIAL 1998, p. 16. ^ a b c d 怪人大画報 2016, pp. 50-61, 「『仮面ライダー』美術監督対談 三上陸男×高橋章」 ^ OFM Vol.6, pp. 27 - 28. ^ 仮面ライダー1971-1984 2014, pp. 74-77、81. ^ 仮面ライダー1971-1984 2014, pp. 74-77、86. ^ 仮面ライダー1971-1984 2014, pp. 108-110, 「デザイン画の世界4」 ^ a b c d OFM Vol.3, p. 30, 杉田篤彦「匠たちの肖像 『仮面ライダー』を支えたスタッフたち 第3回 高橋章」 ^ 仮面ライダー1971-1984 2014, pp. 30-31, 「デザイン画の世界I」 ^ 映画大全集 1993, pp. 120-121, 構成 西村祐次「仮面ライダー造形写真集 I」. ^ a b OFM Vol.2, pp. 27-29, 「特集 キャラクター撮影会」 ^ a b 怪人大画報 2016, pp. 34-49, 「仮面ライダーvs怪人軍団 EXCELLENCE GALLERY」 ^ 大全集 1986, p. 135, 「仮面ライダー[本郷ライダー]」 ^ 変身ヒーロー画集 2004, p. 53 ^ a b 仮面ライダー1971-1984 2014, pp. 138-139, 「コミカライズ作品解説」 ^ a b c d e f 大図鑑 5 1992, p. 94, 「怪人原案の宝庫・たの幼新案カード」 ^ a b c d e f 怪人列伝 2011, pp. 76-77, 「「新案カード」の素敵な怪人たち」 ^ OFM Vol.2, p. 32, 杉田篤彦「匠たちの肖像 第7回 阿部征司プロデューサー」. ^ a b c d 怪人大画報 2016, p. 60 ^ 徳間書店文庫「仮面ライダー」1巻(「仮面ライダー誕生!!」1号・2号・V3・ライダーマン編) 原作・石ノ森章太郎 まんが・山田ゴロ ISBN 978-4-19-780501-3 の008ページにシルエットが登場。姿が登場するのは009ページから。名前が登場するのは、033ページ。 ^ 徳間書店文庫「仮面ライダー」1巻(「仮面ライダー誕生!!」1号・2号・V3・ライダーマン編) 原作・石ノ森章太郎 まんが・山田ゴロ ISBN 978-4-19-780501-3 の029ページにシルエットが登場。姿が登場するのは030ページから。 ^ 徳間書店文庫「仮面ライダー」1巻(「仮面ライダー誕生!!」1号・2号・V3・ライダーマン編) 原作・石ノ森章太郎 まんが・山田ゴロ ISBN 978-4-19-780501-3 の049ページから登場。名前が登場するのは、050ページから。 ^ 徳間書店文庫「仮面ライダー」1巻(「仮面ライダー誕生!!」1号・2号・V3・ライダーマン編) 原作・石ノ森章太郎 まんが・山田ゴロ ISBN 978-4-19-780501-3 の088ページに名前とシルエットが登場。姿が登場するのは089ページから。 『完全復刻 仮面ライダー大百科【全5巻】』勁文社、1998年10月10日。ISBN 4-7669-3071-1 『仮面ライダー大百科』〈完全復刻 仮面ライダー大百科〉、[1978年]。 『仮面ライダーコレクターズ・ボックス』朝日ソノラマ〈宇宙船文庫 特別版〉、1998年5月。ISBN 4-257-76459-7 平山亨 『私の愛したキャラクターたち』〈仮面ライダーコレクターズ・ボックス第4巻〉。 大全集シリーズ(講談社) 『創刊15周年記念 テレビマガジン特別編集 仮面ライダー大全集』 講談社、1986年5月3日。ISBN 4-06-178401-3。 『創刊15周年記念 テレビマガジン特別編集 仮面ライダー怪人大全集』 講談社、1986年10月10日。ISBN 4-06-178402-1。 『テレビマガジン特別編集 劇場版シリーズ第10作「仮面ライダーZO」公開記念 仮面ライダー映画大全集』 講談社、1993年6月10日。ISBN 4-06-178415-3。 『仮面ライダー超全集 1号・2号・V3・ライダーマン』 小学館〈てれびくんデラックス愛蔵版〉、1992年3月10日。ISBN 4-09-101427-5。 『仮面ライダー大図鑑 5 MASKED RIDER STRONGER:ALL EPISODES』 バンダイ〈ENTERTAINMENT BIBLE.44〉、1992年5月30日。ISBN 4-89189-221-8。 『仮面ライダーカード』 堤哲哉 編、日本文芸社、1993年11月25日。ISBN 4-537-02386-4。 『仮面ライダーV3カード』 堤哲哉 編、日本文芸社、1998年7月25日。ISBN 4-537-02642-1。 木下正信 『仮面ライダー 仮面ライダーV3 カード完全図鑑』 竹書房、1997年5月31日。ISBN 4-8124-0300-6。 『仮面ライダー大全』 岩佐陽一 編、双葉社、2000年7月14日。ISBN 4-575-29121-8。 『仮面ライダー画報』 竹書房/スタジオ・ハード編、竹書房、2001年9月25日。ISBN 4-8124-0783-4。 『仮面ライダー熱闘伝』 新潮社、2003年7月16日。ISBN 4-10-790017-7。 石ノ森章太郎 『石ノ森章太郎 変身ヒーロー画集 -Before 1975-』 ジェネオン エンタテインメント、2004年3月24日。ISBN 4-89452-797-9。 『仮面ライダー大研究』 TARKUS 編、二見書房、2007年6月5日。ISBN 978-4-576-07090-2。 『仮面ライダー怪人列伝 1号 2号 V3編』 安藤幹夫 編、竹書房、2011年5月2日。ISBN 978-4-8124-4542-6。 『仮面ライダー超辞典』 監修:石森プロ・東映、双葉社、2011年7月24日。ISBN 978-4-575-30333-9。 『仮面ライダーの常識』 [監修]東映、双葉社、2012年8月12日。ISBN 978-4-575-30446-6。 『語れ!仮面ライダー』 KKベストセラーズ〈ベストムックシリーズ〉、2013年12月26日。ISBN 978-4-584-20497-9。 『日経エンタテインメント! 仮面ライダー1号2号スペシャル』 日経BP社〈日経BPムック〉、2013年2月1日。ISBN 978-4-8222-7558-7。 キャラクター大全(講談社) 『仮面ライダー大全 昭和編 AD1971-1994』 講談社編、講談社〈キャラクター大全〉、2011年7月27日。ISBN 978-4-06-216993-6。 『仮面ライダー 1号・2号編 仮面の男パーフェクトファイル』 講談社編、講談社〈キャラクター大全〉、2014年3月20日。ISBN 978-4-06-218825-8。 『仮面ライダーV3編 不死身の男パーフェクトファイル』 講談社編、講談社〈キャラクター大全〉、2014年7月18日。ISBN 978-4-06-219005-3。 『僕たちの「仮面ライダー」怪人ランキング』 宝島社〈TJ MOOK〉、2014年9月28日。ISBN 978-4-8002-3083-6。 『仮面ライダー1971-1984 秘蔵写真と初公開資料で蘇る昭和ライダー10人』 講談社 編、講談社、2014年11月20日。ISBN 978-4-06-218566-0。 『仮面ライダー』 監修 東映・石森プロ、宝島社〈別冊宝島〉、2015年10月28日。ISBN 978-4-8002-4622-6。 「仮面ライダー 1号・2号・V3・ライダーマン総特集」、『別冊宝島』第2394巻、2015年10月28日、 ISBN 978-4-8002-4622-6。 『宇宙船別冊 仮面ライダー怪人大画報2016』 ホビージャパン〈ホビージャパンMOOK〉、2016年3月28日。ISBN 978-4-7986-1202-7。 特撮全般書籍 『全怪獣怪人』下巻、勁文社、1990年11月30日。C0676。ISBN 4-7669-1209-8。 怪獣VOW 『怪獣VOW』 監修 怪獣VOWプロジェクト、宝島社、1994年11月15日。ISBN 4-7966-0880-X。 『帰ってきた怪獣VOW』 監修 怪獣VOWプロジェクト、宝島社、1995年8月15日。ISBN 4-7966-0981-4。 『宇宙船SPECIAL ’70年代特撮ヒーロー全集』 監修 金田益実、朝日ソノラマ、1998年5月30日。ISBN 4-257-03533-1。 雑誌 『宇宙船』朝日ソノラマ 「天本英世インタビュー」、『宇宙船』Vol.21、1984年12月1日、 38 - 39頁。 平山亨「わがショッカーよ永遠なれ!」、『宇宙船』Vol.30、1986年6月1日、 29 - 33頁。 『KODANSHA Official File Magazine 仮面ライダー』講談社。 『Vol.1 仮面ライダー1号』、2004年7月9日。ISBN 4-06-367086-4。 『Vol.2 仮面ライダー2号』、2004年10月8日。ISBN 4-06-367092-9。 『Vol.3 仮面ライダーV3』、2004年8月10日。ISBN 4-06-367088-0。 『Vol.6 仮面ライダーアマゾン』、2004年8月25日。ISBN 4-06-367089-9。 『Vol.9 仮面ライダースーパー1』、2004年9月10日。ISBN 4-06-367090-2。 『Vol.10 仮面ライダーZX』、2004年10月25日。ISBN 4-06-367093-7。 『特別版 Vol.1 ショッカー』、2005年9月22日。ISBN 4-06-367099-6。 『特別版 Vol.2 ショッカー / ゲルショッカー』、2005年9月22日。ISBN 4-06-367150-X。 『仮面ライダーマガジン』講談社 「テレビマガジンクラシックス 完全復刻『本郷猛のなぞとひみつ100』」、『仮面ライダーマガジン』Spring '09、2009年4月27日、 41 - 56頁、 ISBN 978-4-06-379345-1。 「テレビマガジンクラシックス 完全復刻『ショッカー100のひみつ』」、『仮面ライダーマガジン』Summer '09、2009年8月8日、 41 - 56頁、 ISBN 978-4-06-379365-9。 『週刊 仮面ライダー オフィシャルパーフェクトファイル』デアゴスティーニ・ジャパン 『週刊 仮面ライダー オフィシャルパーフェクトファイル』1号、2014年10月21日。 「怪人図鑑 ブラック将軍」、『週刊 仮面ライダー オフィシャルパーフェクトファイル』15号、2015年1月17日、 SHEET 83-A。 『東映ヒーローMAX』VOLUME 53(2016 WINTER)、辰巳出版、2016年3月10日、 ISBN 978-4-7778-1651-4、 雑誌コード:66117-07。
ショッカー怪人
アイアンキング
『アイアンキング』は、1972年(昭和47年)10月8日から1973年(昭和48年)4月8日まで毎週日曜日19:00 - 19:30に、TBS系で放送された宣弘社製作の特撮テレビ番組(全26話)、および作品中に登場する変身ヒーローの名称である。1958年(昭和33年)2月から続くTBS・日曜の『タケダアワー』17作目だが、当時の番組宣伝用ハガキにはカルビー製菓などのスポンサー名も存在する複数社提供だった。 かつて大和朝廷に滅ぼされた少数民族の末裔・不知火一族が、日本の現体制を転覆させるべく巨大ロボットを操り、破壊活動を開始した。この危機に際し、国家警備機構は腕利きだが当局上層部の意向に逆らいがちなエージェント・静弦太郎と、彼のサポート役として霧島五郎を不知火一族の討伐に向かわせる。 五郎は普段、ドジでマヌケで暇さえあれば水をガブガブ飲んでいるが、その正体は国家警備機構の津島博士が極秘裏に開発したサイボーグであり、水を動力源とする巨大戦士・アイアンキングへの変身能力を持っていた。五郎は弦太郎が危機に瀕した時には変身して助太刀するが、弦太郎は五郎がアイアンキングであることを知る由もない。 弦太郎と五郎はさまざまな人々との出会いと別れを繰り返しながら戦いの旅を続けた末に不知火一族を倒し、さらに怪獣型ロボットを操るテロ組織・独立幻野党や、宇虫人(昆虫型宇宙人)タイタニアンとの戦いに身を投じてゆく。 前々番組『シルバー仮面』に続き、宣弘社が制作した特撮ヒーロー番組である。『シルバー仮面』を担当した佐々木守が本作品にも参加し、全話の脚本を執筆した。実制作も『シルバー仮面』と同様に日本現代企画が担当した。 『シルバー仮面』がヒーロー番組としては重い内容であった反省から、本作品では弦太郎と五郎の能天気な凸凹コンビの珍道中を基本とし、コミカルなやりとりや軽快なアクションが志向されたが、敵組織に「権力闘争に敗れた反体制派」が存在したり、多くの人を守るためには1人の命を犠牲にするのもやむなしという、反権力的な立ち位置の佐々木らしい「権力(弦太郎は国家公務員である)の非情さ」など、その世界観は特撮ヒーロー番組としては異彩を放っている。また、佐々木は「主人公と組織の距離が近いと怪獣(=事態)に対するリアクションや台詞回しなども組織の一員としての紋切り型なものが多くなってしまい、演じる役者もつまらないだろうと思ったので、主人公側は組織から極力遠ざける設定にした」と後年に述懐している[要出典]。敵は佐々木が唱えていた「日本原住民」の思想がかなり反映されており、佐々木の反天皇制の思想もストーリーに組み込まれている部分もある。 主演を務めたのは放映当時、歌手・俳優としてアイドル的な人気を誇っていた石橋正次と、吉永小百合の相手役として数々の日活作品で活躍した浜田光夫という、ヒーロー番組としては異色かつ豪華な組み合わせである。石橋は本作以前に『君たちは魚だ』(1972年4 - 8月放映)への出演で佐々木脚本とは縁があり、「オファーがあった時は『ヒーローものなんて…』と思ったが、脚本を佐々木さんが書くと聞いたので出演した」と後年に述懐している。また、「佐々木が全話を担当すること」を出演の条件としたとされる。 浜田と佐々木は1970年に佐々木の作品であるテレビドラマ『お荷物小荷物』に出演して以来の交友があり、石橋は「経験豊富な浜田さんが共演者だったから、自分はのびのびやれた」と語っている。 この他本作品は夏純子、大川栄子、岡崎友紀、坂口良子など、当時の人気女優や女性アイドルがゲスト出演しているのも特徴である。これについて宣弘社社長の小林利雄は「かなり話題にはなったものの、製作会社としては逆に辛かった」と述べている。 田村はそれまではスポットでの監督参加が多かったが、本作品で初めてパイロットを務めた。これについて、田村は『シルバー仮面大全』では佐々木守に全話執筆を依頼する代わりに要望された旨を述べているが、『宣弘社フォトニクル』では『シルバー仮面』での働きを橋本洋二に認められたためとしている。 本作品はいわゆる変身ヒーローものらしからぬ雰囲気を多数持っているが、特撮ヒーロー番組の爛熟期を迎えていたことから、類似作品との区別を図り、他にも多くのパターン破りを行なっている。その最も象徴的な一例が、「物語の主人公は番組タイトルのヒーロー・アイアンキング(霧島五郎)ではなく静弦太郎である」というもので、この「ヒーローは主人公のピンチを救う相棒、しかも主人公は相棒の真の姿を知らない」という設定は、本作と同じ宣弘社製作、タケダアワー枠のヒット作『隠密剣士』における「秋草新太郎(主人公)と霧の頓兵衛(相棒)」の関係をヒントにしている。 アイアンキングには「水をエネルギー源としているが、その消耗が激しいために活動時間が短い」という弱点が設定されており、設定上の活動可能時間は1分間である。このため、シリーズ序盤(特に第1話から第10話までの不知火一族編)では、弦太郎の助っ人として登場したはずのアイアンキングが逆にピンチに追い込まれてしまい、弦太郎の反撃によってひとまずその場を凌ぎつつ、再戦時に弦太郎とともに敵組織の怪獣やロボットを撃退するという展開が多く見られた。これは視聴者に生身のヒーローという親近感を持ってもらうことや、「1回の放送でアイアンキングを2回登場させることにより、見どころの多さをアピールする」という効果を考えての設定であり、第15話までは敵にとどめを刺すのは必ず弦太郎だった。 第16話のトラギラス戦では、戦闘中に弦太郎が気絶してしまったため、初めてアイアンキングが単独で敵を倒している。これ以降は「弦太郎とアイアンキングが互いに支援しながら敵と戦うが、最後に敵怪獣やロボットを倒すのはアイアンキングの役目」という特撮変身ヒーロー番組の王道的なストーリー展開も多く取り入れられた。ただし、アイアンキング自身については劇中で「新しい必殺技を習得した」あるいは「強化改造を受けた」などの明確な描写が特になく、唐突に新しい光線技を駆使するなどして感覚的にパワーアップを示唆するにとどまっていた。また、「主人公のピンチを救う相棒」という設定は始終一貫していた。 擬斗を担当した高倉英二は、アクションについて『シルバー仮面』でのノウハウを活かしつつ、石橋が新国劇出身であったことから時代劇の要素を取り入れており、「不知火族編」では特にその要素が強い。 『シルバー仮面』から続く裏番組『ミラーマン』(フジテレビ系列)との視聴率争いでは、初回が『ミラーマン』開始以後のタケダアワーの視聴率で最も高い12.7%を記録し、第5話では『ミラーマン』の13.4%に対して本作品が16.1%で逆転した。しかし、『ミラーマン』の後番組として開始されたロボットアニメ『マジンガーZ』は、第1話で本作品の9.9%を上回る16.8%を記録したうえ、第10話以降は20%台に至り、本作品は大きく引き離される結果となった。 静弦太郎(しずか げんたろう) 主人公。設定年齢23歳。国家警備機構の「密使」と呼ばれる凄腕のエージェントで、黒のテンガロン・ハットにウエスタン風の服装がトレードマーク。アイアンベルトという鞭や剣のように変形する武器を駆使して、たとえ巨大なロボット相手でも臆することなく立ち向かい、その抜群の運動能力で巨大怪獣やロボットを倒す実力がある。 普段は陽気で人懐こく美人に弱い若者だが、「日本転覆をたくらんでいる組織の壊滅」という任務のためには、内心では葛藤しつつも露悪的に振る舞ったり、時に非情な判断も辞さない。それは周りを利用したり切り捨てるだけでなく、時には自分の生命をも顧みない。同時に有事の際に個人的心情を優先したり、現実から目を逸らしたきれいごと、非合理的な行為には嫌悪感を見せている。その為、血も涙もない人間と誤解される。 アイアンキングについての情報は与えられていたが、最終回までその正体が相棒の五郎だとは想像もしていなかった。全話を通じてギターをつま弾きながら歌うシーンがたびたびあり、童謡や歌謡曲などバリエーションに富んでいた。 設定では、津島研究所の前に捨てられていた孤児であり、置手紙によると父の名は弦之助、母の名は小枝という。 霧島五郎(きりしま ごろう) 国家警備機構の一員で、登山家風の格好をしたサングラス着用の青年。設定年齢28歳。弦太郎を身近でサポートするべく派遣された。劇中では語られていないが、設定では「登山中の落雷事故で死亡したが、津島博士によってアイアンキングに変身する能力を与えられて蘇生した」とされており、当時の小学館の学年別学習雑誌の記事など、掲載誌で解説されていた。 弦太郎とは対照的にドジで間抜けな三枚目だが妙に馬が合い、弦太郎のことを「弦の字」の愛称で呼ぶ。初期は敵に囲まれてもほとんど活躍しなかったが、物語が進むにつれて戦う場面も増え、道中で迫り来る敵組織の軍勢を前に2人で掛け合い話を繰り広げつつ丁々発止で切り結ぶ様子が散見された。しかし、たまにドジを踏んで弦太郎を困らせることもある。人情家でお人好しのため、弦太郎の非情すぎる判断を躊躇なく非難することもあるが、その判断で敬遠された彼をフォローすることもあり、心中を察していないわけではない。 弦太郎はもちろん、国家警備機構の関係者でも五郎がアイアンキングであることを知る者は少ない。ただし、弦太郎の前で時折自分がアイアンキングだと示唆する言葉はこぼしている。アイアンキングから五郎の姿に戻った際には、ことあるごとにエネルギー源の水をガブガブ飲んでいる。第4話ではジュースやコーラ、第19話では雪を、第20話では水を飲む代わりにツララをしゃぶっており、水分であれば水そのものでなくてもエネルギー源となる。ただし、第3話では海水を飲んでしまい、「海水飲んだら喉が痛いよ〜」とのたうち回る。 武器として、光線銃・キュロットガンを使用する。 名前や「登山中に遭難し、その後変身能力を得る」という設定などは、市川森一による『シルバー仮面』の初期プロット『大仮面』の主人公・真山五郎/大仮面から引き継いでいる。 藤森典子(ふじもり のりこ) 第19話から登場。ろくに本部に帰還せず、報告もしてこない弦太郎と五郎に怒った国家警備機構がお目付け役として派遣した。優秀だが真面目過ぎて融通の利かない性格で、任務以外ではお調子者の2人に振り回され、「テンコ」というあだ名までつけられてしまう。 第20話で村人たちの正体(タイタニアン)を暴くために使用したスペクトルグラスというアイテムを、以降は弦太郎や五郎も使用している。 津島博士(つしま はかせ) 国家警備機構の科学者で、天涯孤独の身だった弦太郎の義親にして恩師。そして、五郎をアイアンキングとして蘇生させた人物である。 第1話から第10話まで登場。頭領・不知火太郎を首領とする、二千年前(古事記・日本書紀の記述に従えば垂仁天皇治世の頃)に大和朝廷に征服され歴史から抹消された日本の先住民族の末裔たち。全員が黒で統一されたヘルメットと衣装をまとっている。 現代の日本政府を「大和政権」と呼び、先祖代々の怨念を晴らすため、太郎の指揮する実働部隊「不知火十人衆」が、不知火バッヂと呼ばれる炎の形をしたコントローラーを使い、各自の巨人型ロボットを操作。体制打倒を目指したテロ活動を行なう。コントローラーを破壊されるとロボット本体が機能停止して自爆してしまうことが多く、これが原因で弦太郎に倒された者も多い。 活動拠点は山中に隠されており、付近の村民の中にも不知火族はいるが、村民全体が不知火族というわけではない。弦太郎と五郎はこれを割り出す任務も担っている。 不知火太郎(しらぬい たろう) 不気味な服装を身にまとった不知火十人衆の長。二刀流の剣の達人で、「馬鹿め!」を口癖とする。 高村ゆき子(たかむら ゆきこ) 第1 - 6話に登場。不知火一族との戦いに巻き込まれた高山植物の研究者として、静弦太郎・霧島五郎と一緒に旅することになった。弦太郎・五郎らに協力してはいたが、微妙な不審さも初期段階から示唆されていた。 「不知火十番目の影」としての正体は不知火一族でも知る者は少ない。時に人質として一族に接近して情報を流すが、しだいに弦太郎に惹かれていく。 当初は、彼女が不知火一族最後の刺客として巨大ロボットを操り、弦太郎と五郎に戦いを挑む予定で、武神の埴輪をモチーフとした専用ロボットのデザイン画も描かれていた。しかし演じた森川が、撮影中の事故で火が髪や衣装に燃え移ったことによる恐怖心から「これ以上続けたくない」と直訴したために製作側がやむなく降板を認め、ゆき子が戦うエピソードは変更せざるを得なくなった。 雑誌『小学二年生』に連載された漫画版では、ゆき子がゴールドファイアーに変身して戦うという展開になっている。 不知火十人衆 ゆき子以外は順一郎から順九郎の名で呼ばれ、一人一人にロボットが与えられている。付近の村民から、市長に至るまで周囲に網を張り巡らせていた。コスチュームのラインの色は各々異なっている。 第10話から第18話まで登場。不知火族壊滅直後に現れた「幻兵団」の別名を持つ革命集団で、頭にターバンを巻き曲刀を持つなど、僧兵風ともアラビア風ともつかない無国籍調の服装を身にまとっている。 幻の月光をリーダーとする「幻十二人衆」が中核メンバー。不知火族との関係は不明だが、彼らも日本の体制を「大和政権」と呼び、髑髏バッヂと呼ばれる、ドクロの形をしたコントローラーで「鋼鉄の同志」と称する怪獣型ロボットを操り、体制転覆を図る。弦太郎によれば女性は参加させない方針らしい。 速やかに作戦行動に移す実行力と戦略性を持ち、東京など都会への進攻は多い。日本政府の国際社会での信用を落とすために要人を狙った作戦も展開する。霧島五郎=アイアンキングであることを見破り、「第2のアイアンキング」投入の可能性さえも予期し、五郎を拷問して、アイアンキングの弱点を吐かせようと試みたこともある。 幻の月光(まぼろしのげっこう) 独立幻野党のリーダー。17話で、霧島五郎とアイアンキングの関係に気づいた。 幻十二人衆 幻の月光直属のメンバー。睦月を筆頭にメンバー全員が陰暦月の名前になっている。リーダーである幻の月光の命令の下、作戦部隊長として行動。各々が所有する怪獣ロボットを駆使して、破壊活動を行う。それぞれが色の異なるシャツを着用している。 第18話から第26話まで登場。独立幻野党壊滅直後に現れた7人組の異星人で、タイタニアン1号をリーダー格として、2号から7号が存在する。地球を植民地にするためにやってきた侵略者。 巨大化して昆虫怪獣に変身するため、宇宙人ならぬ宇虫人と名付けられており、略称として虫人も用いられる。人間の体を乗っ取り、思い通りに操る能力がある。終盤では五郎に憑依しアイアンキングを操り、都市破壊を行わせている。 メンバー全員が黒いハット、赤マント、白いマスクを着用。この形態で巨大化した後、宇虫怪獣という昆虫怪獣に変身する。 地球に前線基地を作っているが、基本はUFOのカモフラージュであるため、作戦失敗の際はUFOで逃亡する。このため、前線基地の場所は作戦毎に移動する。 基本的に人類の科学力を見下しているが、現金輸送車を襲い大量の資金を得て、科学者から高額で殺人ガスの化学式を買い取ろうとしたり、前線基地を作るために調達した10億円を使いマンションを丸ごと買い上げたりするなど、人間くさいところもみられる。アイアンキングを最も苦しめた軍団である。 タイタニアン1号 タイタニアンのリーダー。部下たちとは異なり、宇虫怪獣には変身しなかった。 国際警備機構の津島博士が製作した巨大戦闘用ロボット。登山中の落雷事故で落命し、変身用システムを組み込まれて蘇生した霧島五郎が変身する。身長45メートル、体重5万トン。 五郎が「アイアンショック!」という掛け声とともに一定のポーズを取ることにより変身。五郎がつねに被っている登山帽は津島博士愛用の「ターニングハット」と呼ばれるアイアンキングに変身するためのアイテムで、五郎のアクションとともに帽子についたバッジからアンテナが伸び、アンテナから発する霧状の蒸気に包まれながら巨大化し変身を完了する。 水をエネルギー源としており、活動時間はわずか1分。エネルギーの消費具合は胸と首筋と額に輝くカラータイマー状の発光器官がひとつずつ消えてゆく。具体的には活動を開始してから30秒で胸のアイアンスター、50秒で首筋のキングスター、1分を過ぎると額のショックスターが点灯し始める。ショックスターが消灯するとエネルギーを使い果たして強制的に五郎の姿に戻ってしまう。この「1分間」のタイムリミットが語られるのは不知火一族編のみであり、中盤以降は「アイアンキングの体の水分が無くなるまで」とされている。最終回前後編では、タイタニアンに操られたアイアンキングが、かなり長時間活動している。 劇中では地上で格闘戦を繰り広げることが多かったが飛行能力も有しており、第10話で弦太郎を乗せて不知火一族との決戦に挑んだほか、最終話で弦太郎をアシストするなどの活躍も見せている。 デザイン・造形 デザインを担当した池谷仙克によると、頭部はシルバー仮面と同様に西洋甲冑のデザインを継承しているが、銀色を主体とした初期デザインに対し、ボディーの色を児童受けする赤にするよう注文が付き、不本意ながら赤を取り入れたデザインにしたという。 第1話に登場する敵ロボット「バキュミラー」は当初アイアンキングのデザイン案として挙げられていたものがNGとなり、それを惜しんだ池谷が一部手直しして流用したものである。 アイアンキック ジャンプして空中回転の後に繰り出すキック技。放つ時は専用の映像バンクが入る。アイアンキングの代表的な技であり使用頻度は高い。 書籍「玩具人生」では、唯一名称がある技と記している。 破壊光線 初使用は第7話のモンスターバード戦。中盤以降に多用された必殺技で、手から放つビーム光線。リング状に放ち、切断武器としても使用。パワーアップした最終話では両手から放った。 その他、第12話で使用した手刀型の光線など、多彩な光線を使用する。 熱光線 第18話で初使用。一定のポーズを取ってエネルギーを集中させ、辺りまで真っ赤に染めるほどの赤い光を全身から発した後、発射される熱線。一撃で怪獣ロボットを吹き飛ばす。 プロデューサー:橋本洋二(TBS) 、小林利雄 プロデューサー補:田村正蔵、小林哲也 脚本:佐々木守 監督:田村正蔵、外山徹、福原博、枝川弘、ゆあさのりあき 特技監督:鈴木清、山本正孝、高野宏一 音楽:菊池俊輔 撮影:鈴木清、小川大次郎、大岡新一 照明:小池一三、清原昭二 美術:池谷仙克、桜井克彦 記録:小山三樹子 編集:小出良助 操演:塚本貞重 美粧:保坂輝子 助監督:安倍貞雄、小倉昭夫ほか 撮影助手:房前満男 照明助手:森谷清彦 制作担当:鈴木道朗 視覚効果:兵藤文造 擬斗:高倉英二、若駒冒険グループ 録音:日本録音センター 合成技術:日本エフェクトセンター 音響効果:石田サウンドプロ 衣裳:大和衣裳 現像:東京現像所 制作協力:日本現代企画 制作:TBS、宣弘社 静弦太郎:石橋正次 霧島五郎:浜田光夫 高村ゆき子:森川千恵子(第1 - 6話) 藤森典子:右京千晶 (第19 - 26話) 不知火太郎:堀田真三 (第1 - 10話) 幻の月光:村松克己 (第10 - 18話) タイタニアン1号の声:依田英助 (第18 - 26話) タイタニアン2 - 6号の声:丸山詠二 (第19 - 24話) アイアンキング(スーツアクター):加藤寿、久保田鉄男 ロボット・怪獣(スーツアクター):永野明彦、甲斐武、伊奈貫太、車邦秀、永倉洋ほか 予告ナレーション:伊海田弘 出典:岩佐陽一 2001, p. 104, 「アイアンキング 全GUEST CHARACTER FILE」 不知火順一郎:阿部希郎 (第1話) 順一郎が変装した老婆:田中筆子 (第1話) 不知火順二郎:滝波錦司 (第1・2話) 不知火順三郎:伊海田弘 (第1 - 3話) 不知火順四郎:秋元羊介 (第1・2・4話) 俊夫:原田仲郎(第3話) 不知火順五郎:花木章吾 (第5話) テキ屋:里見たかし (第5話) 不知火順六郎:久野聖四郎 (第6話) 不知火順七郎:飛世賛治 (第6話) 不知火順八郎:加藤寿[要出典] (第6・7話) 不知火順九郎:三浦忍[要出典] (第6 - 8話) 加寿子:関かをり (第7話) よし子:星光子 (第8話) よし子の兄:古川義範(第8話) キャンプの少女:岡崎友紀 (第9話) 京子:志摩みずえ (第10話) 幻の睦月:徳川清 (第10・11話) 幻の如月:峰村銀 (第10・11話) アッサム国の王女・カトリーヌ:テレサ野田 (第11話) 玲子:夏純子 (第12・13話) フラッシャー教授:ヘンリー・ソーレン (第12話) 幻の弥生:小坂生男 (第12話) 幻の卯月:三井恒 (第12・13話) 助手:杉山渥典(第12話) 幻の皐月:松沢勇 (第13話) 福永美千子:松木聖 (第14話) 福永博士:高杉哲平 (第14話) 幻の水無月:高品正弘 (第14話) 幻の文月:新井一夫 (第14話) かず子:京春上 (第15話) 幻の葉月:芹昌郎 (第15話) 江崎祥子:水沢有美 (第16話) 幻の長月:京極潔 (第16話) 堀川真琴:田代千鶴子 (第17話) 幻の霜月:武田正信 (第17話) 幻の神無月:大宮幸悦 (第17話) 大沢純子:大川栄子 (第18話) 幻の師走:江夏宏城 (第18話) 津島博士:伊豆肇 (第19・26話) 鈴木先生:伊海田弘 (第20話) 坂本美子:桜井マリ (第21話) 坂本博士:佐野哲也 (第21話) 山崎:島川定朗 (第22話) 堀口純子:坂口良子 (第23話) 渋沢博士:斎藤英雄 (第23話) 旅館の番頭:田村正蔵(第23話) 不動産屋:里見たかし (第24話) 少年:塩谷翼 (第24話) タイタニアン7号:声・増岡弘 (第25・26話) 漁師:大宮幸悦(第25話) 防衛隊の隊長:依田英助 (第26話) オープニングテーマ:「アイアンキング」 エンディングテーマ:「ひとり旅」 作詞:佐々木守 作曲:菊池俊輔 歌:子門真人 最終回では2番・3番の後、エンドロールの1番という順番で変則フルコーラスが流れた。 オリジナル音源は、当時はアモンレコード(ディスコメイトレコードの前身)が販売権を独占していた。そのため、日本コロムビア、東芝音楽工業(現:ユニバーサル ミュージック EMI R/EMI RECORDS)、CBS・ソニー(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント)、東宝レコードの4社はオリジナルと同じ子門の歌唱によるカバー音源を制作した。さらに子門は、放送終了後の1984年にもユピテルレコードの「ダンス教材レコード」(監修:睦哲也)でも歌唱している(演奏:ユピテル・グランド・オーケストラ)。 子門以外によるカバーは黒沢裕一の歌唱でポリドール(現:ユニバーサル ミュージック)が、中野幹郎の歌唱で」テイチクが制作した。 「ひとり旅」の締めくくりは当初「ルルル ルルル ルルル」となるはずだったが、他社の風邪薬を連想させるため、スポンサーである武田薬品工業(タケダ)に配慮し、「ル」を「ラ」に変更した。 本編の中でほぼ毎回、静弦太郎が歌うシーンがあった。主に唱歌・叙情歌(「山男の歌」「月の沙漠」「ゴンドラの唄」など)だが、石橋正次のシングル曲を歌うこともあった。第9回では「雪国へおいで」が、第25回、最終回では「お嫁にもらおう」が使用されている。 参照宇宙船SPECIAL 1998, p. 136 1972年12月31日は『第14回輝く!日本レコード大賞』のため休止。 主に小学館の学年別学習雑誌にて連載。掲載誌は概ね『シルバー仮面』と同じだが、変身ブームの主要視聴者層が低年齢であることから別冊少年サンデーへの掲載は見送られた。 小学館BOOK - 1972年11月号-1973年2月号 作画:かたおか徹治 幼稚園 - 作画:新宅よしみつ 小学一年生 - 1972年11月号-1973年5月号 作画:さいとうあきら、1973年1月増刊号 林ひさお 小学二年生 - 1972年11月号-1973年4月号 作画:かたおか徹治 小学三年生 - 1972年11月号-1973年4月号 作画:時里信一 小学四年生 - 1972年11月号-1973年4月号 作画:こんどう雅人 小学五年生 - 1972年12月号-1973年4月号 作画:今道英治 小学六年生 - 1972年12月号-1973年4月号 作画:槻間八郎 ※絵物語 のちに(1985年 - 1986年)再放送を行ったテレビ埼玉では、放送が第25話「アイアンキング大ピンチ!」で打ち切られ、最終回の第26話「東京大戦争」が未放送となった。「アイアンキング大ピンチ!」はアイアンキングがタイタニアンに憑依されて町を破壊し続けるシーンで終わるエピソードである。そのため、結果として「ウルトラマンが町を破壊する最終回がある」という誤謬が視聴者を通じて都市伝説まがいの形で広まっていた。原因となったテレビ埼玉での25回終了は局に抗議が多数寄せられ、これにより以降テレビ埼玉での特撮番組の再放送が事実上タブーとなったという説もある[要出典]。 この件について、岡田斗司夫はTV bros連載のコラム『オタクの迷い道』第55回において、「オタク界に伝わる怖い話」として「池田憲章が最終回のオリジナル16mmフィルムを借りっぱなしで返却を忘れていたのが原因で放映がキャンセルになった」という旨の説を書いていた。 1990年12月1日に東宝よりLD-BOXが発売。このBOXのみ主役二人による新番組告知の挨拶映像が収録されている。 1998年12月18日に全話収録のLD-BOXがビームエンタテインメントより発売された。 1999年12月18日に発売トランスワールドエンタテインメント・発売協力ニューライン・販売ビームエンタテインメントより全9巻のVHSが単巻およびボックスで発売された。 2001年3月25日に発売トランスワールドエンタテインメント・発売協力ニューライン・販売ビームエンタテインメントよりDVD-BOXが発売。同日より5月25日まで2巻ずつ単巻も発売された。全7巻。 2006年4月5日にジェネオン エンタテインメントよりDVD-BOXが発売。バラ・キズ・スクラッチ等の補修が施されているのはこのBOXのみ。 2011年6月24日にハミングより単巻DVDが発売。全6巻。デジタルウルトラシリーズを手掛けたデジタルウルトラプロジェクトの監修によるリマスターが行なわれている。 2013年12月25日から2014年1月24日にかけてハミングより単巻Blu-rayが発売された。全6巻。 2007年11月6日にアメリカのBCI Eclipse社から「Iron King: The Complete Series」(全6枚)が発売された。その後、同社の業務停止により廃盤となったが、販売権を受け継いだMill Creek Ent.から2010年3月9日に廉価盤(全4枚)が発売された。 ノンマルト ^ 佐々木は石橋が要望したことについては知らず、全話を執筆する予定はなかったが楽しんで書いているうちにひとりで書いてしまったと述べているが、石橋は佐々木に直接要望したと述べており、監督の田村正蔵も他の脚本家を参加させないという条件でオファーしたと述べている。 ^ 劇中で弦太郎が着用しているポンチョのような衣裳は石橋の母が差し入れたもので、石橋が撮影時にも脱がずにいたところ、そのまま衣裳として採用された。 ^ これらの武器は、演じる石橋正次が得意としていたことから取り入れられた。 ^ これは演じる石橋正次が人気歌手であったことによるサービス描写であり、第1話を除き選曲は石橋による。石橋自身はこのシーンの必要性に疑問を感じていたという。 ^ 擬斗を担当した高倉英二は、弦太郎との対比であえてトリッキーなアクションをつけたと述べている。 ^ 『全怪獣怪人 上巻』では、名称を不知火族と記載している。 ^ 企画書では「変身ロボット」と記述していた。『’70年代特撮ヒーロー全集』では、「巨大サイボーグ」と解説している。 ^ 劇中未呼称。 ^ 池谷は、完成デザインについて「ウルトラマンの親戚みたいにしか見えない」と述べている。 ^ 『シルバー仮面 アイアンキング レッドバロン大全』では、破壊光線とは別の技としている。 ^ ビデオリサーチ調べ(関東地区) ^ 『全怪獣怪人 上巻』では、名称をゴールドファイヤーと記載している。 ^ このテレビ埼玉による本作の再放送は、プリントを局が入手できなかった回は未放映となり、他に第七話、第九話、第十二話が未放映。[要出典] ^ 実際に、テレビ埼玉では2016年4月に「仮面ライダードライブ」の再放送を始めるまで、特撮番組の再放送がなされていない(東名阪ネット6や5いっしょ3ちゃんねるで共同製作したオリジナルの特撮ヒーロー番組は当然のことながら放送している)。[独自研究?] ^ “Twitter / やまだじゅんけい@kechinbouzoukei:”. 2017年10月9日閲覧。 ^ 全怪獣怪人 上 1990, p. 188. ^ a b c 宇宙船SPECIAL 1998, p. 100 ^ a b c d e 石橋春海 2014, pp. 78-81, 「1972 アイアンキング」 ^ a b c d 宣弘社フォトニクル 2015, pp. 34-35, 「アイアンキング」 ^ a b c d e f g h 玩具 1 2000, p. 55. ^ フォトニクル 2015, p. 2. ^ 切通理作『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社 1993年)増補改訂版(宝島社文庫 2000年)増補新盤(2015年 洋泉社) ^ a b c 岩佐陽一 2001, pp. 106-110, 「RESPECT 石橋正次」 ^ a b 岩佐陽一 2001, pp. 114-121, 「RESPECT 佐々木守」 ^ 「追悼 佐々木守」『宇宙船YEAR BOOK 2007』 朝日ソノラマ〈ソノラマMOOK〉、2007年4月20日、86頁。ISBN 978-4-257-13096-3。 ^ a b 宣弘社フォトニクル 2015, pp. 36-38, 「アイアンキング対談 浜田光夫 石橋正次」 ^ a b 岩佐陽一 2001, pp. 134-137, 「RESPECT 田村正蔵」 ^ 岩佐陽一 2001, pp. 111-113, 「RESPECT 浜田光夫」 ^ 巨大ヒーロー大全集 1988, p. 231. ^ a b フォトニクル 2015, pp. 88-89, 「武田薬品提供資料 特撮大活劇シリーズ アイアンキング(仮題) 企画案」 ^ 全怪獣怪人 上 1990, pp. 188 - 189. ^ 『超人画報 国産架空ヒーロー40年の歩み』 竹書房/イオン編、竹書房、1995年11月30日、99頁。C0076。ISBN 4-88475-874-9。 ^ a b c 岩佐陽一 2001, pp. 82-83, 「アイアンキング 企画書再録」 ^ a b 巨大ヒーロー大全集 1988, p. 145. ^ a b c 宣弘社フォトニクル 2015, pp. 44-47, 「インタビュー高倉英二」 ^ a b 「クール解説『ミラーマン』の軌跡 第2部・そして終焉へ」『ミラーマン大全』 白石雅彦 編著、双葉社、2004年2月20日、pp.134-137。ISBN 4-575-29652-X。 ^ 「第1章 マジンガーZ 企画の胎動から完成まで」『魔神全書 MAZINGER BIBLE』 監修 ダイナミックプロ、双葉社、2002年1月25日、39頁。ISBN 4-575-29324-5。 ^ フォトニクル 2015, p. 58. ^ 玩具 1 2000, p. 56. ^ フォトニクル 2015, p. 60. ^ 「小学二年生」などの、アイアンキングを特集した付録小冊子でもこの解説記事が掲載されていた[要文献特定詳細情報]。 ^ a b 岩佐陽一 2001, pp. 84-85, 「アイアンキング MAIN CHARACTER FILE」 ^ a b c d e f 玩具 1 2000, p. 57. ^ DVD『シルバー仮面フォトニクル2』 2015年12月18日発売 発売元-デジタルウルトラプロジェクト DUPJ-137 pp.86-87 「プロット『大仮面』」 ^ 全怪獣怪人 上 1990, p. 189 ^ 玩具 1 2000, p. 58. ^ a b c d 岩佐陽一 2001, p. 95, 「RESPECT 池谷仙克 PART II」 ^ フォトニクル 2015, p. 44. ^ 巨大ヒーロー大全集 1988, p. 173. ^ 石橋春海 2014, pp. 78-79, 「制作現場「アイアンキング」 あのとき私は 田村正蔵 制作・監督(当時)」. ^ フォトニクル 2015, p. 65. ^ a b c フォトニクル 2015, pp. 84-85, 「アイアンキング 漫画原画」 ^ フォトニクル 2015, p. 42. ^ フォトニクル 2015, p. 46. ^ フォトニクル 2015, pp. 4、88. ^ a b フォトニクル 2015, p. 5 ^ a b c 岩佐陽一 2001, pp. 86-87, 「アイアンキング 国家警備機構 超兵器図鑑」 ^ 『宇宙船』vol.28(朝日ソノラマ・1986年2月号) p.34 ^ 岩佐陽一 2001, p. 105, 「アイアンキング ON AIR LIST」. ^ フォトニクル 2015, p. 90, 「番組データ」. ^ 全怪獣怪人 上 1990, p. 190. ^ 「毎日新聞」で判明[要文献特定詳細情報]。 ^ 巨大ヒーロー大全集 1988, p. 179. ^ a b c 岩佐陽一 2001, p. 144, 「シルバー仮面 アイアンキング スーパーロボット レッドバロン コミカライズの世界」 ^ 「'98TV映画特撮LD・ビデオ&CD」『宇宙船YEAR BOOK 1999』 朝日ソノラマ〈宇宙船別冊〉、1999年5月1日、64頁。雑誌コード:01844-05。 ^ 「'99TV・映画 特撮DVD・LD・ビデオ&CD」『宇宙船YEAR BOOK 2000』 朝日ソノラマ〈宇宙船別冊〉、2000年4月20日、62頁。雑誌コード:01844-04。 ^ a b c 「綴込特別付録 宇宙船 YEAR BOOK 2002」、『宇宙船』Vol.100(2002年5月号)、朝日ソノラマ、2002年5月1日、 169頁、 雑誌コード:01843-05。 ^ a b c 岩佐陽一 2001, p. 122, 「アイアンキング VISUAL SOFT CATALOG」 ^ “BD アイアンキング / ハミング”. 2014年8月9日閲覧。 『テレビマガジン特別編集・巨大ヒーロー大全集』 講談社、1988年9月25日。C8774。ISBN 4-06-178410-2。 『全怪獣怪人』上巻、勁文社、1990年3月24日。C0676。ISBN 4-7669-0962-3。 『宇宙船SPECIAL ’70年代特撮ヒーロー全集』 監修 金田益実、朝日ソノラマ、1998年5月30日。ISBN 4-257-03533-1。 『玩具人生』第1号、音楽専科社、2000年8月4日。 『シルバー仮面・アイアンキング・レッドバロン大全―宣弘社ヒーローの世界』 岩佐陽一 編、双葉社、2001年8月10日。ISBN 978-4575292626。 石橋春海 『伝説の昭和特撮ヒーロー 宣弘社全仕事』 コスミック出版〈COSMIC MOOK〉、2014年7月9日。ISBN 978-4-7747-5934-0。 フォトニクルシリーズ(デジタルウルトラプロジェクト) DVD『アイアンキングフォトニクル』 2015年5月22日発売 発売元-デジタルウルトラプロジェクト DUPJ-131 DVD『宣弘社フォトニクル』 2015年9月18日発売 発売元-デジタルウルトラプロジェクト DUPJ-133
アイアンキング
ショッカーライダー
仮面ライダーシリーズ 仮面ライダー > ゲルショッカー > ショッカーライダー 仮面ライダーシリーズ登場怪人一覧 > 仮面ライダーシリーズ第1期登場怪人一覧 > ショッカーライダー ショッカーライダーは、特撮テレビドラマシリーズ「仮面ライダーシリーズ」の作品に登場する架空のキャラクターである。 オリジナルは特撮テレビ番組『仮面ライダー』に登場。シリーズ初の仮面ライダーの偽物であり、悪の仮面ライダーの元祖ともされる。 ショッカーライダーの原点は石森が描いた漫画版に登場する「12人の仮面ライダー」であると紹介されることもあるが、テレビ版プロデューサーの阿部征司はこれを否定している。しかし、後年の作品では漫画版とテレビ版へのオマージュとして登場しているものもある。 第91話 - 第94話に登場(2号以降は第93話より)。 身長:180 - 185センチメートル 体重:70 - 75キログラム 出身地:不明 アジト:筑波山近くの石切り場 鳴き声(叫び声):ギィィィ 弱点:連携の悪さ スーツアクター - 大杉雄太郎、中屋敷哲也、河原崎洋夫 ゲルショッカーが仮面ライダーの設計図をもとに作り上げた仮面ライダー新1号と同型の改造人間で、1号から6号の全6体が存在する。本物とは異なり手袋とブーツは黄色。また、マフラーの色も全員異なり、眼の周囲が黒く縁取られている。本郷猛の声帯機能を持っており、彼と同じ声を出すことも可能。 本物の仮面ライダーと同じ身体能力を有するうえ、指先から弾丸を発射したり、つま先に隠し短剣を仕込むなど、怪人としての特殊武器も備えている。それぞれ独自の特殊能力も有しているという設定だが、劇中では使われなかった。 ゲルショッカーの活動を妨害するアンチショッカー同盟を壊滅させることと、彼らが手に入れた首領の正体が記録されたコンピューターテープを強奪することが使命である。No.1とNo.2が活動した後、第93話で6人全員が姿を現す。第94話で、首領がいるとされる筑波山へやってきた新1号・新2号を全員で待ち伏せしたが、新1号・新2号の新技ライダー車輪を受け、互いに空中で激突して全滅する。 改造人間としての基本性能は本物の仮面ライダーと同等でも、自己の強さに慢心せず常に鍛錬を重ねてきた彼らとは、技の精度で差が開いていた。また、ショッカーライダーは6人とも互いを信じていないため、新1号と新2号のように力を合わせることができない。そういった理由から、人数の優位も活かせずに敗れたとされる。 初登場時は「にせ仮面ライダー」と表記されていた。各個体名は、第93話では「No.◯」と名乗っているが、第94話のオープニングクレジットでは「◯号」と表記している。前者はアフレコ時のアドリブによるもので、正式な表記は脚本での表記である後者とされる。 スーツはそれぞれ新1号の予備スーツを流用したもので、3号と6号のスーツはビニールレザー製である。 ショッカーライダーの登場は、年末年始での視聴率低下対策として導入されたものである。この時期、毎日放送は次作『仮面ライダーV3』の準備に注力していたため、内容は東映側の主導で決定された。仮面ライダーの偽物という案は、メインライターの伊上勝によるものである。プロデューサーの阿部征司は、ショッカーライダーありきの展開ではなく、伊上が得意とする秘宝争奪戦の中で動かしやすいキャラクターとして創作されたものであったと述べている。 ショッカーライダー1号 声 - 池水通洋 マフラーの色は黄。口から火炎を吐くことができる(劇中未使用)。第92話では、新1号のライダーキックと同等のライダーキックを披露している。 仮面ライダー新1号がムカデタイガーとの相打ちを経て生死不明になった際に招聘され、ハエトリバチとの性能テストを経て実践に投入される。新1号に成りすまして少年仮面ライダー隊本部に現れ、滝和也に同行してアンチショッカー同盟からテープを受け取り破壊しようとしたところ、生きていた新1号にテープを奪い返されるが、ハエトリバチと共闘して一度は新1号を破ることに成功する。その後、テープを破壊しようとするが、エイドクガーから命令変更を伝えられ、滝と立花藤兵衛に自身が本物であると信じこませるため、エイドクガーと戦う芝居をする。しかし、エイドクガーが持ち帰ったテープは偽物であったため、アンチショッカー同盟へ入り込んでコンピューターを破壊するが、南米から本物のテープを持って来た一文字隼人に正体を見破られる。一文字が変身した仮面ライダー新2号と戦い、ともに崖下へ落ちて爆破する。その後、No.2からNo.6とともに新1号・新2号と戦う。 ショッカーライダー2号 声 - 市川治 マフラーの色は白。本編ではライダーニーブロックも使いこなしている。体から毒煙(毒ガス)を放つことが可能(劇中未使用)。 エイドクガーと共に少年仮面ライダー隊本部へ潜入し、駆け付けた本郷を撃退して少年仮面ライダー隊のスタッフを拉致する。その後、No.1とNo.3からNo.6とともに新1号・新2号と戦う。 ショッカーライダー3号 声 - 大野剣友会 マフラーの色は緑。爆雷(地雷)を操作する(劇中未使用)。 ショッカーライダー4号 声 - 倉口佳三(ノンクレジット) マフラーの色は青。地割れ(地震)を起こすことができる(劇中未使用)。 ショッカーライダー5号 声 - 倉口佳三(ノンクレジット) マフラーの色は紫。放電攻撃を行える(劇中未使用)。 ショッカーライダー6号 声 - 富士乃幸夫(ノンクレジット)、辻村真人(ノンクレジット) マフラーの色はピンク。溶解液を噴射する(劇中未使用)。 ゲーム作品 PS用ゲーム『仮面ライダー』 声 - 池水通洋 操作できる隠しキャラクターとしてショッカーライダーNo.1が登場。投げ技「にせライダーきりもみシュート」を使う。 漫画作品 『仮面ライダーSPIRITS』 時空魔方陣により復活した6体 他のゲルショッカーの怪人が京都府に出現する中、地獄大使率いられて東京都に出現する(作中での地獄大使の発言から、ショッカーが製作したものをゲルショッカーに再編成された際に接収されたことが示唆されている)。テレビシリーズで未使用だった、口から火炎を吐ける(1号)、爆雷を内蔵している(3号)、溶解液を噴射する(6号)といった各ショッカーライダーに付加された能力が使用されている。最後は1号とZXによるライダー車輪で倒される。 体から毒煙を放てる(2号)、地割れを起こせる(4号)、放電攻撃を行える(5号)といった漫画でも未登場となった各能力は、オフィシャルファイルマガジンの6体揃った「怪人戯画」で描かれている。 第二期強化改造人間 『新仮面ライダーSPIRITS』第4話から登場。暗黒組織による当時の最高の開発技術粋を結集して生み出された最初の集大成である第一期強化改造人間「本郷猛」をプロトタイプとし、「偉大なる計画」の過程で生み出された第二期仮面ライダー。本郷の脱走後に仮面ライダー1号の戦闘データを基として開発されたため、身体能力は仮面ライダー1号を超える。仮面ライダー2号こと一文字隼人もこのメンバーに選ばれていたが、脳改造前に助け出される。一文字以外の5人もキックボクシング・レスリング・中国拳法・剣道と身体的に優れた人間(身体の扱い方に熟知している人間)が素体となっている(あと1人は、ライフルの達人である)。人間態の風貌や体格は仮面ライダー2号を演じていた大野剣友会の高橋一俊、中村文弥、飯塚実、中屋敷鉄也、岡田勝の創生期メンバーをモデルにしている。容姿は仮面ライダー旧2号そのものだが、後期ショッカーライダー同様にCアイに隈取りがあることや、グローブの形状や体型、髪の毛が露出していない(ただし、この番外編においては2号も髪の毛は露出していない)など微妙な違いがあり、ライフルのショッカーライダーのサングラスに隠れた目は、仮面ライダーのCアイのように人間態の時点ですでに複眼化している。本人たちの話によれば、さらなる強さを得るために望んで改造を受けた模様。5人の数と能力で本郷と、改造された肉体に不慣れな一文字を追い詰めたが、5人のうち3人は戦術の腕を上げた本郷によって倒され、もう1人も一文字の決死の機転によって倒される。最後に残ったライフルのショッカーライダーも、ショッカーと戦う決意を固めた一文字のライダーパンチによって粉砕される。 小説作品 『S.I.C. HERO SAGA KAMEN RIDER OOO EDITION -OOZ-』については、『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』の後日談のため、平成ライダーシリーズ関連作品を参照。 『S.I.C. HERO SAGA MASKED RIDER EDITION -Missing Link-』 『仮面ライダー』の第13話と第14話の間の話。旧2号を含めた12体のショッカー製のショッカーライダーが登場している。 単行本の解説ではショッカーライダーNo.1 - No.6も『仮面ライダー』本編のものとは別の存在とされている。彼らと違い、バックルには弱点である風車を保護するショッカーエンブレムを模したバックルを付けている。また、肩などにある銀色のラインも仮面ライダー2号と同じ1本である。さらに、小型の拳銃やショットガン(S.I.C.vol.12ハカイダー付属の物と同じ)を持ってダブルライダーに戦いを挑んだ。彼らにはサイクロン号の代わりに、ショッカータンクが専用のマシンとして与えられている。 ショッカーライダーNo.1(マフラー:黄色) ショッカーライダーNo.2(マフラー:白) ショッカーライダーNo.3(マフラー:緑) ショッカーライダーNo.4(マフラー:青) ショッカーライダーNo.5(マフラー:紫) ショッカーライダーNo.6(マフラー:桃) ショッカーライダーNo.7(マフラー:橙) ショッカーライダーNo.8(マフラー:灰色) ショッカーライダーNo.9(マフラー:黒) ショッカーライダーNo.10(マフラー:銀) ショッカーライダーNo.11(マフラー:金) ショッカーライダーNo.12(マフラー:赤) 身長:175 - 190センチメートル 体重:65 - 80キログラム パンチ力:3トン キック力:10トン ジャンプ力:一跳び15.00メートル 走力:100メートルを5.0秒で走る 全員がナノロボットで改造された上級戦闘員。オリジナルのホッパーである2人はショッカーを裏切っているが、彼らが改造人間の中でも高い潜在能力を秘めていたことから、ホッパータイプが次期主力改造人間として採用され、ホッパーの量産型となるショッカーライダーが生み出された。2号とは色違いの特殊強化服とマスクを着用。V3のように正式なナンバリングは施されていないが、デザイン上のコンセプトは「1号・2号からV3への過渡期」とのこと。 チェーンソーリザードの尖兵として、どの戦闘にも常に6人1チームで登場。メンバーの負傷や死亡に際しては、その都度新たなメンバーが補充され(身長・体重が一定していないのはそのため)、各々に明確な個人の意志は存在していない。能力は一般戦闘員を大きく上回り、ダーツ型爆弾といったオリジナル・ホッパーにはない武器も装備するが、オリジナルとの戦闘経験量の違いや量産化仕様に伴う性能劣化など、単体の戦闘力では1・2号におよばず見劣りする。耐久性も劣っており、1号のパンチをパンチで受け止めた際には腕の骨が外に飛び出したほか、2号によって背骨を踏み折られた者もいる。しかし、基本スペックを集団戦闘でカバーするため、6対1の戦いではオリジナルを圧倒する驚異的な連携攻撃により、本郷を2回も追い詰めた。バイクを操る能力にも長けており、XR250、XR250モタード、XR400を駆り、サイクロンで逃走する本郷と壮絶なバイクチェイスを展開した。 ショッカーアジトであるレストランでは、ナノロボット散布を妨害する1号、2号を迎撃。2大怪人(シザーズジャガーとチェーンソーリザード)と共に各3対1の戦いでダブルライダーを追い詰めるが、V3の加勢やダブルライダーの見切りによって次第に形勢を逆転され、最後はダブルライダーの手によって全滅する。明確な個性は描かれず、色やデザインは全員共通となっており、他の怪人の指揮下で行動する、死傷者が出てもその都度新たな個体が投入されるなど、戦闘員のような扱いになっている。使用するマシンもサイクロンを模したものではなく、戦闘員用のもの(ショッカーバイク)と同じ。 本作ではゲルショッカーではなく(石ノ森漫画版と同様に)ショッカーの所属である。スーツは1号と同じくセパレートタイプ(上着とパンツが別れている)だが、2号同様に肩や肘のアーマーは生地の内側につけられており、1号と2号の中間のようなスタイルだった。仮面は1号2号と同じデザイン(触角状のアンテナの形状が異なる)。6人とも仮面やプロテクター部分・グローブとブーツのカラーリングが金色系のオリーブドラブ色で、複眼はダークグリーン、マフラーは黄色で統一されている。仮面に2号と同じデザインの白の塗り分けがある。 映画『スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号』 オリジナルとは関係なく、ショッカーに洗脳された仮面ライダーの総称として用いられている。劇中ではBLACK(劇中RXと同一人物という設定)、ファイズ、ゼロノス、マッハ以外のV3からドライブまでの主役ライダーの他、カリス、ギャレン、レンゲルが洗脳されていた。 詳しくは、スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号#関連用語・装備・戦力を参照。 『dビデオスペシャル 仮面ライダー4号』 映画『仮面ライダー3号』の後日談。『仮面ライダー3号』同様の用法で使用されている。こちらは各作品の主役ライダーではなく、王蛇、サソード、ダークキバ、バロンの4名で構成されている。 詳しくは、スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号#登場戦士・怪人(dビデオスペシャル)を参照。 小説『S.I.C. HERO SAGA KAMEN RIDER OOO EDITION -OOZ-』 映画『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』に登場したショッカーグリードが変身した個体として登場。なお、映画『レッツゴー仮面ライダー』劇中、1号と2号が洗脳されショッカーの兵士となっているが、『仮面ライダー3号』と異なりショッカーライダーとは呼ばれていない。 ゲーム『仮面ライダー クライマックスヒーローズ フォーゼ』 仮面ライダー1号のミッションボスとして、ショッカーライダーNo.1が戦闘員を引き連れて登場。 ゲーム『オール仮面ライダー ライダージェネレーション』 6体とも幹部格(中ボス)として登場。ステージ2‐2「霧への誘い」、2‐6「驚異の科学」に登場。 ゲーム『オール仮面ライダー ライダージェネレーション2』 前作同様、6体とも幹部格(中ボス)として登場。ステージ4‐4「襲・撃・包・囲」、6‐2「怪・人・行・進」、A‐14「残・党・怪・人」にて登場。 コンパチヒーローシリーズには、仮面ライダーのライバルキャラクターとして、ライダーキラーという悪役が登場。一部の作品では、一文字隼人が正体など、ショッカーライダーとの共通点も存在する。 『スーパーヒーロー作戦 ダイダルの野望』 ショッカーの改造人間(地獄大使の配下)として登場。『ダイダルの野望』ではショッカーの後、デストロンが出現することになっていて、ハサミジャガーによりショッカーライダーが処刑されるシーンが存在する。 にせサイクロン(にせ新サイクロン号)とも呼ばれるショッカーライダー専用マシンで、仮面ライダーが乗る新サイクロン号とほぼ同じ外観・性能を持つ。相違点はフロントカウルと車体後部の側面に入っている黄色のライン。劇中ではNo. 1のみが使い、第92話では新1号の新サイクロンと激しいバイクチェイスを展開した。また、第93話でも使っているが、新2号とのバイクチェイスの末に破壊されている。 もともとショッカー科学陣が改造した仮面ライダーの同型をゲルショッカーが投入するのは当然としても、サイクロン号の性能までコピーされたことは仮面ライダーにとって悩みの種であり、さらなる高性能マシンの研究を要求されることになったという。 撮影では、ショッカーサイクロンの登場に際して2台目の新サイクロン号が制作されたが、書籍によって「ショッカーサイクロンが新車である」とするものと「新1号用が新車になり、従来の新サイクロン号がショッカーサイクロンに流用された」とするものの2説がある。その後、ショッカーサイクロンが新2号用の新サイクロン号へ流用されたという点はどちらの説でも共通している。 名称は脚本ではショッカーサイクロンと記述している。第92話の脚本では、本物の仮面ライダーだと思い近づいてきた子供をショッカーライダーがショッカーサイクロンで跳ね飛ばすという描写が存在した。 『新 仮面ライダーSPIRITS』に登場。 一文字を含めた第二期強化改造人間用にショッカーが用意したバイク。エンブレムは立花レーシングクラブの物ではなく、ショッカーマークのレリーフが施されている。6台あった中の1台をルリ子が立花と滝を乗せて持ち帰っている。 小説『S.I.C. HERO SAGA MASKED RIDER EDITION -Missing Link-』に登場。 全長:2440cm 全幅:1200cm 全備重量:660t 最高速度:60km/h ショッカーが11人のショッカーライダーにサイクロン号の代わりに与えた戦車。800mm滑空砲1門を備え、チタンとセラミックによる複合装甲で覆われている。360度旋回する熱線映像装置により、自動照準を可能とする。 乗員は通常砲手と操縦手の2人を要するが、射撃管制能力のある改造人間が乗ればその限りではない。劇中ではかなりの数が登場して仮面ライダー1号に襲いかかったが、上からの攻撃に弱く、1号と2号のダブルライダーキックですべて破壊された。 後発の作品に登場する仮面ライダーの偽物にはショッカーライダーを踏襲して黄色いマフラーやブーツなどを着用しているものがいる。 ニセスカイライダー 『仮面ライダー (スカイライダー)』第48話に登場。ネオショッカーの怪人ドロリンゴが変身した姿。ショッカーライダーを髣髴とさせる黄色いマフラーとブーツを着用している。 ロボットスーパー1 『仮面ライダースーパー1』第37話に登場。ショッカーライダーを踏襲し、黄色いマフラーを着用している。 トライアルF 『仮面ライダー剣』に登場するキャラクター。ショッカーライダーを踏襲したデザインとされている。 一文字隼人 石森が描いた漫画版では、ショッカー側の12体の仮面ライダー敵のうちの1体として登場。『新 仮面ライダーSPIRITS』や小説『S.I.C. HERO SAGA MASKED RIDER EDITION -Missing Link-』では、ショッカー製のショッカーライダーの1体として登場。 デストロンライダー 小説『S.I.C. HERO SAGA MASKED RIDER V3 & RIDERMAN EDITION -RIDERMAN ANOTHER AFTER-』に登場したヨロイ元帥が変身した姿。V3の姿や一部の能力を模している。 ショッカーグリード 『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』が初出のキャラクター。小説『S.I.C. HERO SAGA KAMEN RIDER OOO EDITION -OOZ-』では、ショッカーグリードがショッカーライダーへと変身している。 ^ a b 敵組織(漫画ではショッカー)が制作した仮面ライダー1号と同タイプの敵キャラクターという設定などは同じものの、漫画『仮面ライダー』ではショッカーライダーの名称は使われていない。 ^ a b 資料によってはNo.2の数値を「身長:172センチメートル、体重:65キログラム」、それ以外を「身長:180センチメートル、体重:70キログラム」と記述している。 ^ 資料によっては「世界各地」と記述している。 ^ 資料によってはロケット弾・ミサイル(ミサイル弾)と記述している。 ^ それらは、後年の漫画『仮面ライダーSPIRITS』やゲーム『スーパー特撮大戦2001』『スーパーヒーロー作戦 ダイダルの野望』で再現されている。 ^ 書籍『仮面ライダー大全』では2号がリーダーと解釈している。 ^ 書籍『仮面ライダー大全』では大野剣友会と記述している。 ^ サブタイトル『7人の仮面ライダー』の第二期仮面ライダー5人と本郷と一文字、さらに本編(テレビ版『仮面ライダー』)で登場した6人と合計すると、原作萬画の『13人の仮面ライダー』になる。 ^ リーダー格のサングラスのライフルのライダーが高橋、キックボクシングのライダーが中村、一番体格の良いレスリングのライダーが飯塚、長身の中国拳法のライダーが中屋敷、鋼の木刀を持つ剣道のライダーが岡田に当たる。 ^ 最初に倒されたのがレスリングのショッカーライダーで、仮面ライダー1号のライダーキックを受けて左腕を切断されて助命を願ったため、ライフルのショッカーライダーに射殺される。2人目が剣道のショッカーライダーで、仮面ライダー2号によるショッカーサイクロンの遠隔操作で体当たりされ、絶命する。キックボクシングと中国拳法のショッカーライダーは巧みなバイク操作でジャンプした仮面ライダー1号を追ってジャンプしたが、運転を誤ってバイク同士ごと接触・自滅する。そして、最後にライフルのショッカーライダーは2号のライダーパンチで絶命する。 ^ 12体のショッカーライダーのうち1人が一文字という設定は、漫画版『仮面ライダー』から。 ^ 作例ではNo.7だけがショッカーバックルを付けていなかった。 ^ 後のサイクロンと違ってメーターなどの計器類がほとんど無く、全自動とリモコンの切り替えスイッチが見受けられる。 ^ 常識 2012, pp. 114-115, 「仮面ライダーのニセモノってどんなヤツ」. ^ a b c d 常識 乱世激闘篇 2013, pp. 130-135, 「黄色いマフラーはフェイクのしるし? ニセライダーたちの軌跡」 ^ 常識 2012, pp. 46-47, 「悪の仮面ライダーってどんヤツ?」. ^ 大全集 1986, p. 139. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y OFM 特2 2005, p. 31, 「大怪人図録 PART II ネコヤモリ/カナリコブラ/ネズコンドル1号/ネズコンドル2号/ムカデタイガー/ショッカーライダー(1号-6号)」 ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab 超辞典 2011, p. 398 ^ a b c d e 怪人大画報 2016, pp. 168-171, 「仮面ライダーを育てた三賢人II 運営の賢者 阿部征司」 ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 怪人列伝 2011, pp. 160-162, 「ショッカーライダー(1号-6号)」 ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 怪人大画報 2016, p. 164, 「にせ仮面ライダー ショッカーライダー1号-6号」 ^ a b c d e f g h i j k l m n 大全 2000, p. 223, 「ゲルショッカーの誇る改造人間・その全容」 ^ a b c d e f g h i j k l 画報 2001, p. 51 ^ a b c d e 大全 2000, p. 115, 「ショッカー&ゲルショッカー全怪人声優&鳴き声リスト」 ^ a b c d e f g h 仮面ライダーカード 1993, pp. 141-157, 「第1部 ライダーカード・コレクション」 ^ a b c d e f g h カード図鑑 1997, pp. 137-149, 「第I章 仮面ライダーカード完全図鑑」 ^ カルビー『仮面ライダースナック』付属仮面ライダーカードNo.448「ショッカーライダーの弱点」。 ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v キャラクター大全1号・2号編 2014, pp. 122-123 ^ a b c d e f g h i 怪人大全集 1986, p. 53, 「ショッカーライダー(No.1-No.6)」 ^ カルビー『仮面ライダースナック』付属仮面ライダーカードNo.408・No.426・No.452 ^ カルビー『仮面ライダースナック』付属仮面ライダーカードNo.408・No.422・No.423・No.425・No.446・No.448 ^ a b c d e f g h 超全集 1992, p. 74, 「ゲルショッカー怪人図鑑」 ^ OFM 特2 2005, p. 31. ^ カルビー『仮面ライダースナック』付属仮面ライダーカードNo.425「なぜライダーはつよい!」 ^ カルビー『仮面ライダースナック』付属仮面ライダーカードNo.426「ふたりのライダーの弱点」 ^ 大全集 1986, p. 49. ^ a b c d e f カルビー『仮面ライダースナック』付属仮面ライダーカードNo.427・No.453 ^ 鶯谷五郎他『仮面ライダー THE NEXT公式ブック 21st CENTURY MASKER WORLD』(CAST-PRIX PREMIUM編集部・和田谷洋子・橋本学編、ジャイブ、2007年 ISBN 978-4-86176-450-9) ^ 「宇宙船vol.120特別付録 宇宙船 YEARBOOK 2008」、『宇宙船』vol.120(2008.春号)、ホビージャパン、2008年4月1日、 別冊pp.34-35、 ISBN 978-4894256934。 ^ オールライダー&全怪人昭和 2013, p. 105. ^ a b 大研究 2007, p. 248, 「94 にせライダーの非道ぶりを描くNGネタとは?」 ^ 超辞典 2011, pp. 398、570. ^ カルビー『仮面ライダースナック』付属仮面ライダーカードNo.417 ^ カルビー『仮面ライダースナック』付属仮面ライダーカードNo.491 ^ a b 画報 2001, p. 90, 「COLUMN 05 ライダーマシーン徹底比較」 ^ a b キャラクター大全1号・2号編 2014, pp. 78、149 ^ 大全集 1986, p. 99, 「翔の戦士」. ^ 僕たちの「仮面ライダー」怪人ランキング 18ページより。 大全集シリーズ(講談社) 『創刊15周年記念 テレビマガジン特別編集 仮面ライダー大全集』 講談社、1986年5月3日。ISBN 4-06-178401-3。 『創刊15周年記念 テレビマガジン特別編集 仮面ライダー怪人大全集』 講談社、1986年10月10日。ISBN 4-06-178402-1。 『仮面ライダー超全集 1号・2号・V3・ライダーマン』 小学館〈てれびくんデラックス愛蔵版〉、1992年3月10日。ISBN 4-09-101427-5。 『仮面ライダーカード』 堤哲哉 編、日本文芸社、1993年11月25日。ISBN 4-537-02386-4。 木下正信 『仮面ライダー 仮面ライダーV3 カード完全図鑑』 竹書房、1997年5月31日。ISBN 4-8124-0300-6。 『宇宙船SPECIAL ’70年代特撮ヒーロー全集』 監修 金田益実、朝日ソノラマ、1998年5月30日。ISBN 4-257-03533-1。 岩佐陽一 『仮面ライダー大全』 双葉社、2000年7月14日。ISBN 4-575-29121-8。 『仮面ライダー画報』 竹書房/スタジオ・ハード編、竹書房、2001年9月25日。ISBN 4-8124-0783-4。 『KODANSHA Official File Magazine 仮面ライダー』(講談社) 『特別版 Vol.2 ショッカー / ゲルショッカー』、2005年9月22日。ISBN 4-06-367150-X。 『仮面ライダー大研究』 TARKUS 編、二見書房、2007年6月5日。ISBN 978-4-576-07090-2。 『仮面ライダー怪人列伝 1号 2号 V3編』 安藤幹夫 編、竹書房、2011年5月2日。ISBN 978-4-8124-4542-6。 『仮面ライダー超辞典』 監修:石森プロ・東映、双葉社、2011年7月24日。ISBN 978-4-575-30333-9。 仮面ライダーの常識(双葉社) 『仮面ライダーの常識』 [監修]東映、双葉社、2012年8月12日。ISBN 978-4-575-30446-6。 『決定版 オール仮面ライダー&全怪人超百科〈昭和編〉』 講談社、2013年5月24日。ISBN 978-4-06-304836-0。 『仮面ライダーの常識 乱世激闘篇』 [監修]東映、双葉社、2013年12月8日。ISBN 978-4-575-30604-0。 『仮面ライダー 1号・2号編 仮面の男パーフェクトファイル』 講談社編、講談社〈キャラクター大全〉、2014年3月20日。ISBN 978-4-06-218825-8。 『僕たちの「仮面ライダー」怪人ランキング』 宝島社〈TJ MOOK〉、2014年9月28日。ISBN 978-4-8002-3083-6。 『仮面ライダー』 監修 東映・石森プロ、宝島社〈別冊宝島〉、2015年10月28日。ISBN 978-4-8002-4622-6。 『宇宙船別冊 仮面ライダー怪人大画報2016』 ホビージャパン〈ホビージャパンMOOK〉、2016年3月28日。ISBN 978-4-7986-1202-7。
ショッカーライダー
仮面ライダーV3
仮面ライダーシリーズ > 仮面ライダーV3 『仮面ライダーV3』(かめんライダーブイスリー)は、1973年(昭和48年)2月17日から1974年(昭和49年)2月9日まで、毎日放送・NET系で毎週土曜19:30 - 20:00(JST)に全52話が放送された、MBS・東映制作の特撮テレビドラマ作品。 「仮面ライダーシリーズ」の第2作で、前作『仮面ライダー』の直接的な続編。テレビシリーズのほか、劇場版が「東映まんがまつり」の中で公開された。仮面ライダー1号・2号の後を継ぐライダー3号・V3と、ショッカーやゲルショッカーに続く第3の組織・デストロンの戦いを描く。前作の勢いを受け継ぎ、頂点を迎えていた変身ヒーローブームの大きな牽引役を果たした作品であり、主人公の強いキャラクター性とも相まって歴代シリーズ中でも知名度が高い。視聴率も平均で関東20.2%、関西27%を記録したほか、制作局である関西圏の毎日放送ではシリーズ最高視聴率である38%を記録し、その記録はいまだにシリーズでは破られていない。 オープニングにおいて、他の東映作品(『変身忍者 嵐』や『超人バロム・1』)で主演俳優(あるいはヒーローのアフレコをしている声優)がタイトルバックで作品名を絶叫するのに影響され、本シリーズでも本作品よりそれが採用されており、次作『仮面ライダーX』と『仮面ライダーストロンガー』まで踏襲されることになる。 仮面ライダー3号の登場は元々、「少年仮面ライダー隊の発足」や「ショッカーに代わる新組織登場」と併せ、前作の2年目後半の番組強化策として検討されていたものであり、当初は前作で1号・2号に協力していたFBI捜査官・滝和也がライダー3号となる予定だった。だが、少年仮面ライダー隊が好評を得たことから3号登場案は温存され、次番組の主人公として違う人物がライダー3号として登場することとなった。 新番組として立ち上げられた『仮面ライダーV3』は、1号・2号の能力を併せ持つ仮面ライダーV3と動植物に機械を加えたデストロン怪人の対決という構図により番組の強化を体現し、「26の秘密」を巡る縦軸のストーリー展開や前後編形式の導入など、ドラマ性の拡大による前作との差別化にも重点が置かれた。その一方、前作に登場していた立花藤兵衛や少年仮面ライダー隊を継続して登場させることにより、前作からの連続性も維持している。 プロデューサーの平山亨による企画案では『マスクライダー』『ライダー仮面』『ライダーマン』、その後の制作会議では『仮面ライダー3』『仮面ライダーX』などのタイトルが検討されていた。 競合番組の多い4月の改編期より前に新ヒーローを登場させて視聴者の支持を獲得したいという毎日放送の戦略により、改編期とは関係のない2月半ばに番組が開始されることとなった。 風見志郎を演じた宮内洋が後年にインタビューで語ったところによれば、撮影で使った火薬の量は彼の要望もあって前作の3倍におよんだうえ、四国のとある島で使った際には「爆発で島にヒビが入った!」と観光協会から、神奈川県の海中で使った際には「爆発のせいで魚がいなくなる!もう来ないでくれ!!」と漁業組合から、それぞれクレームがあった。そのため、スタッフは年中いろんなところに謝っていたそうである。 仮面ライダー1号・2号の活躍によって悪の組織ゲルショッカーは壊滅し、世界に平和が戻ったかに見えた。しかし、生きていたゲルショッカー首領は密かに新組織・デストロンを結成して再び世界征服に乗り出すと、目撃者を容赦なく抹殺していた。 1号こと本郷猛の大学の後輩・風見志郎はある夜、デストロンの悪事を目撃したため、命を狙われるようになる。また、そのアジトを見つけた珠純子を助けたため、怪人・ハサミジャガーが風見家を襲撃し、両親と妹は志郎の目の前で殺害される。怒りに燃えて復讐を誓った志郎はそのための力を得ようと1号・2号に自分の改造を願うが、改造人間の悲哀を誰よりも知る彼らに拒否される。しかしその後、志郎はデストロンの罠に落ちた1号・2号を助けようとして瀕死の重傷を負う。1号・2号は彼の命を救うために改造手術を施し、第3の仮面ライダー「V3」として復活させる。こうして、V3とデストロンとの死闘の幕が切って落とされた。 以下、作品の展開に合わせてストーリーを解説する。 第1話 - 第12話 V3誕生編。「26の秘密」と呼ばれる必殺技や特殊能力を戦いの中で解き明かしていくという謎解きの展開、前作のゲルショッカーの「合成怪人」というコンセプトをさらに推し進めた機械と生物の合成による怪人との戦い、合成怪人が2体登場する前後編ストーリーが特徴。 しかし、V3の苦戦と「26の秘密」の解明につながるという展開が、V3は弱いというイメージを印象づけてしまうなどの問題が発生し、軌道修正が行われた。 第13話 - 第30話 デストロン初代幹部・ドクトルGが登場する。合成怪人との戦いというコンセプトは変わらないが、「26の秘密」を解明する展開は削除され、1体の怪人が登場する1話完結ストーリーが中心となる。ドクトルGの存在感、劇場版と同時進行する第20話・第21話の四国ロケ、第19話と第22話の静岡県ロケ、劇場版での1号・2号との競演、第22話 - 第24話の怪談シリーズ、第27話・第28話での前作の大幹部たちの復活、志郎のパートナー・佐久間ケンの登場など、多くのイベントが盛り込まれた。 第31話 - 第40話 視聴率にもかげりが見えてきたことで怪奇性の強化を図るべく、デストロンと結託した怪人部族の長であるキバ男爵とツバサ大僧正を登場させた。それぞれ5話ずつ短期間の登場となったのは、タイアップしている月刊幼年誌向けに月1回話題を提供する意図による。これに伴い、怪人コンセプトも合成怪人から単一の生物怪人に戻しているが、各部族ごとに特徴を大きく取り上げると共に、呪術的な意味合いを加えていた。短期間内の幹部怪人との決戦、1号・2号・V3の共闘(第33話・第34話)、原点を見直す意図による前作エピソードのリメイク(第39話 - 第42話)など、様々な試みが行われた時期でもある。 第41話 - 第52話 怪人部族との結託は一段落し、最後の大幹部・ヨロイ元帥の登場によってデストロンのイメージは初期に近くなる。さらに、ヨロイ元帥の陰謀によってデストロンを追われた元科学者という過去を持つサブヒーロー・ライダーマンこと結城丈二の登場による三つ巴のドラマなど、最後まで多くの話題が提供され続けた。 仮面ライダーとその協力者たち。個別に項目の存在するキャラクターの詳細は各項目を参照。 風見志郎 / 仮面ライダーV3 本作品の主人公。城南大学・生物学部の学生であり、本郷猛の後輩。 結城丈二 / ライダーマン デストロンの元科学者で幹部候補だった青年。ヨロイ元帥の裏切りに遭い、ライダーマンとなる。 本郷猛 / 仮面ライダー1号、一文字隼人 / 仮面ライダー2号 前作の主人公。本郷は城南大学生化学研究室における志郎の先輩でもある。本作品より、オープニングタイトルで「仮面ライダー1号」「仮面ライダー2号」と表記されている。 ゲルショッカーを壊滅させた後、本郷は城南大学の生化学研究室の研究者、一文字はカメラマンと、それぞれ日常生活に戻っていたが、志郎がデストロンによる殺人事件を目撃してから、彼が何度も命を狙われたことに不安を募らせる。第2話でカメバズーカの自爆とともに行方不明となっていたが、第21話でオーストラリアにて生き延びていたことが判明する。その後、劇場版や第33話・第34話で帰国してV3と共闘した。 児童誌では、映像での登場に先駆けてV3と1号・2号が共闘する特写が1973年6月号に掲載された。 立花藤兵衛 前作に引き続きライダーを支援し、特訓の補助や精神的なアドバイスをしている。本作品ではスポーツ用品店「セントラル・スポーツ」(第46話では「立花スポーツ店」)を経営する傍ら、引き続き少年ライダー隊の会長も務めており、日本を去った滝和也の代わりに隊長も兼任している。隊員たちからは「会長」と呼ばれている。 珠純子(たま じゅんこ) ハサミジャガーのアジトを偶然目撃して襲われていたところを志郎に助けられ、彼の家族を巻き込んで死なせたという自責の念から戦いに参加する。趣味はテニスと絵画。少年ライダー隊では通信係を担当しつつ、志郎に対する好意も垣間見せる。第11話・第12話ではストーカーの黒田雄二(ドリルモグラに改造される)に狙われ、その事件の最中にV3の正体に疑惑を抱いたが、立花と志郎が一芝居打ったことで疑惑は消えた。それ以降も志郎=V3の戦いの支えとなって活躍した。 毎日放送プロデューサーの左近洋一は、本作品放送時に誕生した次女に「純子」と名付けた。 珠シゲル(たま しげる) 第4話から登場した純子の弟で、少年ライダー隊の通信係。隊の中心的な存在であり、純子とともにV3の戦いをサポートする。 少年仮面ライダー隊 制服は赤いブレザーに変更され、ヘルメットやペンダントもV3をモチーフにして赤が多くを占めるデザインに一新された。旧本部は第2話でハサミジャガーに破壊されたため、第3話より「セントラル・スポーツ」の店裏にカモフラージュした本部が再建された。本部に入る時は、ボウリングの球を所定の位置に変えてからペンダントを照射し、横の紐を引く。 公募による少年隊員の出演が行われ、四国ロケでは多数のエキストラが公募されるなど、視聴者参加の場としても活用された。放送前の第3回撮影会では、シゲル以外にも劇団ひまわりの子役が演じる少年仮面ライダー隊員が参加していたが、作中には登場しなかった。 佐久間ケン(さくま ケン) 第29話から登場。インターポールのデストロン専門捜査機関「デストロンハンター」の一員で、ナンバーは5号。第30話でデストロン改造人間製造工場の襲撃に成功するが、ドクトルGに仲間たちを殺され、唯一V3に救われて生き残った。志郎を「先輩」と呼び、彼の弟分的な存在となった。 夏期以降の強化策として、当初は「不知火」という名で『仮面ライダー』の滝和也を目指して設定されて導入されたが、あまり活躍はせず第37話以降は登場しなくなった。 村枝賢一による漫画『仮面ライダーSPIRITS』では、『V3』に登場しなくなってから『仮面ライダーZX』までの作中時間の経過を反映して年齢を重ねた容姿となり、インターポールの本部長として10人ライダーの戦いをサポートする姿が描かれている。 ゲルショッカー壊滅後にショッカー・ゲルショッカーを支配していた首領が新たに結成させた秘密結社。ショッカー、ゲルショッカー以上の戦力と科学力で世界征服を企む。怪人は機械と動植物を融合させた機械合成怪人となり、幾度となくV3を苦しめた。後半はキバ一族・ツバサ軍団・ヨロイ軍団といった世界各地の部族と手を結び、V3と死闘を繰り広げた。各部族が操る怪人たちはショッカー怪人同様に動植物の怪人たちで構成されており、機械合成怪人とともにショッカーやゲルショッカーの怪人はもちろん、(第1話・第2話・第33話・第34話の客演状況から)仮面ライダー1号・2号でさえも苦戦させる能力を持つ。組織のマークはサソリをモチーフにしている。 最終決戦でプルトンロケットによる日本壊滅をたくらむもライダーマンの捨て身の行動で阻止され、さらに最終作戦であるD作戦もV3に阻止される。そして、デストロン本部を急襲したV3により首領は倒されて本部が大爆発を起こし、デストロンは壊滅した。 名称は「破壊」を意味する「DESTROY」に由来し、プロデューサーの平山亨による企画案では「デストロイヤー」という名称であったほか、「デストロー」という案も存在した。 デストロン首領 前作でショッカー、ゲルショッカーを支配していた首領と同一の存在。旧組織の時と同じく姿は見せず、サソリをかたどった像から声を送って幹部や怪人たちに命令を下すが、これには無線受信器が内蔵されていたため、V3にアジトを知られることとなる。 ドクトルG/カニレーザー 第13話から登場する、「G作戦」によって秘密裏に来日したドイツ支部から日本支部に招聘された初代日本支部長で、作中に登場した唯一のデストロン生え抜きの大幹部。元ナチスの軍人で、悪魔の頭脳を持つ男とも呼ばれる。怪人態は、機械合成怪人のカニレーザー。 キバ男爵 第31話から登場。アフリカのコンゴ川上流域に数百年栄えるという悪霊崇拝の宗教「ドーブー教」の大魔術師にして、ドーブーを信奉する「キバ一族」の長。ドクトルGの死後、日本支部2代目大幹部としてデストロンの第2次攻勢の指揮を取るべく来日した。1日1回は血を見ないと気が済まない残忍な性格の持ち主だが、部下の怪人の死を悲しんだりその葬式を立てたりするなど、非常に部下思いな慈悲深い性格でもある。 仮面ライダー1号・2号も一目置くほどの呪術の使い手でもあり、戦いの前には怪しげなドーブーの儀式を行なう。獣の皮から作られた衣を着て、頭にはマンモスの頭骨をかたどった兜を被り、マンモスの牙でつくられたダイヤよりも硬い槍を武器として戦う。儀式の際には、タキシードを着ることもあった。 雑誌掲載用の撮影会の時点では、兜に下顎がついており、青いアンダーウェアは着用していなかった。 吸血マンモス 身長:199cm 体重:89kg 出身地:ロシア・シベリア地方 一族の怪人をV3と駆けつけた1号・2号によって次々倒されたため、第35話にて政治・経済・文化の重要人物を改造してコントロールする日本頭脳改造作戦を成功させるべく変身した姿。右手が人間の腕、左手がマンモスの足になっている。 鼻から血を吸って相手を溶かすことができ、牙から火炎弾、小型ミサイル、鼻の穴から出す血の霧・猛毒、一撃で地震を引き起こすほどの怪力でV3に挑む。最後はV3回転三段キックによって元の姿に戻り、「キバ一族、ついに滅ぶ!」とキバ一族の滅亡を呟き、爆死した。 キバ男爵以降の幹部怪人体は、当初は怪人として登場しつつ、最後の戦いで幹部の正体であるとの描写がされている。 プロデューサーの平山亨の著作など[要文献特定詳細情報]では、以下のような劇中で語られないプロフィールが設定されている。 元はロシア帝国の男爵で、当時はシベリアに住んでいた(本名は特に設定されていない)。 同じ帝政ロシアの貴族出身の陸軍将校で、後にゲルショッカー大幹部となったブラック将軍とも当時から面識があり、ロシア革命以後共にアフリカ大陸に渡った仲でもあった。 ブラックがゲルダム団に入った際に別行動をとり、ケニアで邪悪な呪術を研究。後に「ドーブー教」という暗黒宗教の魔術師となって、デストロンに招かれた。 ツバサ大僧正 第36話から登場。キバ一族全滅直後に現れたチベットに伝わる邪教「まんじ教」の教祖であり、飛行能力を持つ怪人によって構成された「ツバサ軍団」を率いる3代目大幹部。 黒い服を纏った老人で、顔に翼を模した赤い仮面を着けている。自在に伸びる髪と、袖の下から出す超音波が武器で、風速60mの風を起こす。先端に水晶のついた杖を持ち、吸血コウモリを操る能力を持つ。一族特有の飛行能力を過信したため、特訓を積んだV3の前に敗北を重ねてしまう。色々な呪術を得意としている冷酷無比な性格の持ち主。その一方、戦闘員を実験台にして成功した際には、笑いながら奇妙な踊りをするお茶目な一面を持つ。 雑誌掲載用の撮影会の時点では、手袋はつけず、首飾りなどの装飾品も作中と異なるものであった。 死人コウモリ 身長:213cm 体重:63kg 出身地:地中海を見下ろす大寺院 第40話にて、人間を操るヒマラヤの悪魔という細菌で首都地区中の団地に住む人間を使い、暴動を引き起こすために変身した姿。 飛行能力を持ち、鉤爪が武器。また、腰にある無数の威嚇用吸血蝙蝠を操る。空中でV3を高速回転させて投げ飛ばす「V3キラー」で一度はV3を倒すが、V3の新必殺技「V3マッハキック」によって翼を折られ、その正体を現した後は死期を悟って棺の中に入り、デストロンの繁栄を願いつつ自爆した。 最終話では、死人コウモリが再生怪人の1人として登場する。 平山の著作など[要文献特定詳細情報]では、以下のような劇中で語られないプロフィールが設定されている。 200年前のヨーロッパ生まれで、元はキリスト教の牧師だった(本名は特に設定されていない)が、極端な反思想を唱えたためにローマ正教から迫害され、地中海の断崖にある大寺院に200年近く幽閉された。その後、1万匹のコウモリと共に人間の生き血を啜りながら驚異的に生き延びたとされ、身に付けた超能力で脱出してチベット高原でまんじ教を開く。 最終話の脚本では、死人コウモリではなくワナゲクワガタが登場する予定であった。 ヨロイ元帥 第41話から登場。ツバサ軍団壊滅後に現れた「ヨロイ一族」の長にして、デストロン最後の4代目大幹部。独特の口調で、デストロンのことを「デーストロン」と呼称する。「結果がすべて」という信条のもと、失敗を犯した者は配下の者ですら始末してきた。 デストロンの科学者・結城丈二のことを自分の地位を脅かすと見なして危険視しており、彼に反乱の濡れ衣を着せて抹殺をもくろむ。しかし、失敗したことで結城は造反者・ライダーマンになってしまう。 旅客機を墜落させるレーザー砲を装備した兜に加え、全身にはモンゴル特産の金属製で、血塗られたように赤い鎧を着用しており、そのエッジ部分は鋭利な刃物になっている。戦闘では左腕に持った、新幹線をも砕く硬度の鉄球を武器として戦う。 第47話では、ライダーマンをおびき寄せる目的で、結城に差出人住所を明記した年賀状を送った。 ザリガーナ 身長:179cm 体重:87kg 出身地:モンゴル奥地の砂漠 第51話・第52話に登場。ヨロイ元帥の正体であるザリガニの怪人。 発火性の泡と左手の鋏、背中の甲羅を割って相手に飛ばす「甲羅崩し」を使う。東京壊滅用のプルトンロケットの実験を目撃した人間を地中から出現し、殺害していたが、プルトンロケットを破壊されたため、最終話で邪魔なV3や少年ライダー隊を再生怪人を使って壊滅させるD作戦を決行する。 V3と戦って左腕の鋏を折られたうえ、V3フル回転キックに敗北して元の姿に戻る。逃走して首領に命乞いするも見限られ、通信機の爆発に巻き込まれる形で処刑された。ショッカーのゾル大佐から先代のツバサ大僧正までの歴代大幹部が、首領や組織に対する忠誠を活動の基本としていたのに対し、彼は常に自分の保身と組織内部での出世しか眼中になかった点が、大きく異なっている。 当初はキバ男爵やツバサ大僧正と同様、5話前後となる第46話での降板が予定されていた。しかし、設定では結城との関わりが深いので降板させることができなくなり、最終話まで登場することになった。オープニングでは「ヨロイ元師」とクレジットされていた。 前述のように結城との関わりが深いことから、他の3幹部と比較すると本作品を原案とした後年のメディア作品に登場することが多い。 平山の著作など[要文献特定詳細情報]では、以下のような劇中で語られないプロフィールが設定されている。 モンゴルの英雄であるジンギスカンの子孫で、祖先の夢だった世界征服を果たすために蒙古砂漠に独自の地下帝国を建設し、ヨロイ一族を組織するが、デストロンの力の前に屈する。 日々殺戮をせねば安眠できないという殺人嗜好者で、その残虐性と行動力から首領からの信任も厚かった。 石ノ森によるラフデザインでは名称はヨロイ騎士(鬼士)となっており、鎧武者風のデザインであった。 犬神博士 第11話・第12話に登場。ドクトルGが日本支部に着任する前、首領が全幅の信頼を置いていた科学者チーフ。純子に横恋慕する黒田雄二を怪人ドリルモグラに改造したうえ、司祭として呪いの指輪を通じての「デストロン結婚式」を執り行うオカルティストでもあった。V3との乱闘中、ドリルモグラと一緒に逃げようとしたところをV3に引きずり出され、殴られて倒された。 魔女スミロドーン 第34話に登場した、「キバ一族」の母なる魔女。キバ男爵の祈祷により100万年の眠りから目覚めた。姉小路と名乗る。人間態ではキバ男爵の知り合いと称して本郷に猛毒塗りの呪いの人形を贈り付けたり、彼の病院に行った藤兵衛を閉じ込めたりするなどの巧みな作戦をとった。バイカーの衣服を着て牙の形をしたバイク(牙型マシン)を乗りこなす。 原始タイガー 身長:185cm 体重:65kg 出身地:ケニア草原 魔女スミロドーンが変身する、サーベルタイガーの怪人。 怪人態での戦闘能力はライダー単体より上である。針金状の毛を持つ体での体当たりを得意とする。口から吐く炎と高熱性の猛毒を持つ牙や爪を駆使してライダーたちを苦しめたが、最後はライダートリプルパワーで倒された。 怪人態では男性の声質となり、人間態でも男性よりの口調である。『CR仮面ライダーV3』では一人称が「俺様」である。 第43話以降のエンディング映像にも登場している。 脚本での名称は原始虎。 機械合成怪人とは、ゲルショッカーの合成怪人をさらに発展・改良させた怪人である。生物と道具・武器を掛け合わせた能力を持ち、そのパワーは生物同士を掛け合わせた能力を持つゲルショッカー怪人を大幅に上回っている。体の中に機械があるため、動きが鈍いのが弱点。第13話以降は幹部であるドクトルGの指揮のもと、活動する。 プロデューサーの平山亨による企画案では、ラマ密教の秘法による外科手術が基になっていると記述されていた。 派手な武器を持つ機械合成怪人は人気が高まっていったが、それに伴い怪人の武器や作戦が秘密結社らしからぬ過剰に派手なものに変化していき、これを危惧した平山は初期のショッカーのようなシンプルなイメージに方向転換した。 ハサミジャガー 身長:194cm 体重:86kg 出身地:アタカマ砂漠 第1・2話に登場。ハサミとジャガーの機械合成怪人。組み合わせるとハサミのようになる両手の刃が武器で、刺殺した人間を溶解させる。ハサミの付け根が弱点。 カメバズーカと同時期に「東京都全滅作戦」を実行。悪事の一部始終を目撃した志郎を何度も狙い、家族を本人の目の前で斬殺。V3のV3回転ダブルキックに倒される。2号とは顔を合わせていないと同時に戦っていない。 放送開始前の第1回撮影会ではブーツが黄色であった。たてがみもテレビシリーズよりも少なく、第3回撮影会で増量された。 劇場版の脚本では再生怪人の1体として登場が予定されていた。 リメイク映画『仮面ライダー THE NEXT』に登場するシザーズジャガーは、ハサミジャガーをモチーフとしている。 『スーパーヒーロー作戦 ダイダルの野望』 『ダイダルの野望』ではショッカーの後、デストロンが出現することになっているため、ハサミジャガーによりショッカーライダーが処刑されるシーンが存在する。 パチンコ『仮面ライダーフルスロットル』 闇のV3に変身する素体として登場。 カメバズーカ 身長:175cm 体重:63kg 出身地:太平洋の名もない島 第1・2話に登場。バズーカ砲とカメの機械合成怪人。連続で千発発射が可能な背中のバズーカ砲と特殊金属製の堅固な甲羅が武器。頭と手足を収納することで隠密の活動が可能となる。鈍い動きが弱点。 ハサミジャガーと同時期に「東京都全滅作戦」を実行。体内に内蔵された原子爆弾を起爆させようとするが、ダブルライダーにより海上で爆発した。V3とは顔を合わせているが戦っていない。 石ノ森章太郎のラフデザインを高橋章が立体デザインになおした怪人。『冒険王』73年2月号では、バズーカトータスという名称で紹介されていた。 鳴き声は演じ方に悩んだ峰恵研に相談を受けた沢りつおが考案した。 劇場版の脚本では再生怪人の1体として登場が予定されていた。 映画『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』 ショッカーが活動している時期ではあるものの、ショッカーグリードとともに登場。背中のバズーカ砲でデンライナーを破壊する。 PV『KAMEN RIDER V3』 デストロン戦闘員とともに登場。 映画『平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊』 バダンの怪人として登場。仮面ライダーZOと戦った。 映画『スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号』 ブラック将軍を護衛する怪人としてシュバリアンやザンジオーとともに登場。 TVSP『手裏剣戦隊ニンニンジャーVS仮面ライダードライブ 春休み合体1時間スペシャル』 声 - 関智一 『仮面ライダー3号』のプロローグ。ショッカーの怪人として登場。真実に近づいた泊進ノ介と伊賀崎天晴たちを殺すべく現れ、最終決戦時にはショッカーブルブルに加勢する。仮面ライダーマッハが放ったヒットマッハーマゼールで背中のバズーカを暴発させられ、倒される。 ゲーム『SDザ・グレイトバトル 新たなる挑戦』 ショッカーステージの中ボスとして登場。 ゲーム『ヒーロー戦記 プロジェクト オリュンポス』 海底都市で登場。強化型のカメバズーカ改も登場する。 テレビバエ 身長:174cm 体重:50kg 出身地:アマゾン川 第3話と第4話に登場。ハエとテレビの機械合成怪人。両目からの催眠光線と殺人電波が武器。また、目のテレビで写した映像を中継する機能を持つ。 イカファイアとともに作戦を実行。催眠光線により東京中の人々を洗脳しようとするが、イカファイアとともにV3に敗北。 石ノ森章太郎のラフデザインを高橋章が立体デザインになおした怪人。 ゲーム『SDザ・グレイトバトル 新たなる挑戦』 ブラックサタン戦闘員と共に第5話の溶岩地帯の雑魚敵として登場。 イカファイア 身長:210cm 体重:75kg 出身地:沖縄周辺のサンゴ礁 第3話と第4話に登場。イカと火炎放射器の機械合成怪人。V3の戦闘を見て生み出された改造人間で、口から吐くファイア墨やエネルギーを消す砂、左腕の鞭が武器で、鞭を外すことで火炎放射器となる。また、体の吸盤で相手のエネルギーを吸い取る。声を自在に変えられる能力を持つ。 マシンガンスネーク 身長:165cm 体重:53kg 出身地:与論島 第5話に登場。ヘビとマシンガン(機関銃)の機械合成怪人。コブラやマシンガンに変化する右手や猛毒を持つ牙や舌が武器であるほか、ヘビへの変身能力を持つ。ただし、体には弾丸が詰まっているため、鈍重である。 石ノ森章太郎のラフデザインを高橋章が立体デザインになおした怪人。 ハンマークラゲ 身長:178cm 体重:94kg 出身地:若狭湾 第5話と第6話に登場。クラゲとハンマーの機械合成怪人。左手からの電流、右手のハンマーと鋼鉄鎖分銅がついたチェーンハンマーが武器。 ナイフアルマジロ 身長:159cm 体重:51kg 出身地:ブラジル 第7話と第8話に登場。アルマジロとナイフの機械合成怪人。堅固な皮膚と体を丸めた後、体当たりをする弾丸鋼鉄球、右手の伸縮自在のナイフが武器。また、鼻からは発狂ガスを噴射する。 劇場版の脚本では再生怪人の1体として登場が予定されていた。 ノコギリトカゲ 身長:160cm 体重:66kg 出身地:ブラジル 第7話と第8話に登場。トカゲと電動ノコギリの機械合成怪人。デストロン初の女性怪人である。鋼鉄製の牙と右手の電動ノコギリが武器。また、頭にある角によって超能力を操るが、弱点はノコギリの付け根で、頭脳戦が苦手。 八木功によると、ノコギリの市松模様は素材のバスマット(お風呂マット)の模様が浮き出たとのことだが、田﨑竜太と寺田克也は回転がわかるようにと予想していた。 リメイク映画『仮面ライダー THE NEXT』に登場するチェーンソーリザードは、ノコギリトカゲをモチーフとしている。 レンズアリ 身長:170cm 体重:59kg 出身地:アンデス山脈 第9話と第10話に登場。アリとレンズの機械合成怪人。目から5000℃の破壊熱線を放ち、左手の万力を武器に戦う。また、ドリル状の両足で地中を掘り進む。 八木功によれば、目を開きフラッシュを焚くギミックには苦労させられたという。 カミソリヒトデ 身長:180cm 体重:70kg 出身地:九州・佐伯湾 第9話と第10話に登場。ヒトデとカミソリの機械合成怪人。右手の刃部分にデストロンマークがあるカミソリが武器で、折られたとしてもすぐに復元が可能。また、胸から発火性の泡を放つ。 TVSP『10号誕生!仮面ライダー全員集合!!』 バダンのコピー怪人として登場。10人ライダーと闘うが、時空破断システムに巻き込まれる。 スーツはアトラクション用のもので、偶然残っていたため、登場することとなった。 ピッケルシャーク 身長:175cm 体重:70kg 出身地:メキシコ湾 第11話と第12話に登場。サメとピッケルの機械合成怪人。右腕のピッケルが武器で、強烈な光を伴った1万ボルトの電流を放つピッケルフラッシュという技を持つ。 ドリルモグラ 身長:200cm 体重:79kg 出身地:桜島 第11話と第12話に登場。モグラとドリルの機械合成怪人。正体は珠純子に付きまとっていた(後年におけるストーカー)、黒田雄二。犬神博士により作られた改造人間で、珠純子と結婚しようとたくらむ。頭部の回転するドリルが武器で、背中が弱点 ジシャクイノシシ 身長:185cm 体重:50kg 出身地:アマゾン流域 第13話に登場。イノシシと磁石の機械合成怪人。電磁バリアを生成できる強い磁力を持つ左手のスーパー磁石で、ジシャクバリアを張る。磁力の範囲外となる背中が弱点。時速300kmで突進するイノシシダッシュと呼ばれる突進攻撃を持つ。 スーパー磁石で新幹線破壊を企て、V3と応戦。その間にドクトルGを日本に上陸させる「G作戦」を実行する。 ガマボイラー 身長:135cm 体重:79kg 出身地:九州・唐津湾 第14話に登場。ガマ(カエル)とボイラーの機械合成怪人。ボディにはデストロンマークが記されている。胸からの溶解ガスや、死に際に噴出する相手のエネルギーを奪う泡状の体液が武器。 バーナーコウモリ 身長:167cm 体重:48kg 出身地:アマゾン河流域 第15話に登場。コウモリとバーナーの機械合成怪人。口から7000℃の火炎を吐く。また、翼によって風速3千mの風を起こす。 鳴き声は、関連書籍では「アームー」と表記されるが、「あンぶりー」とする説もあり、『OFFICIAL FILE MAGAZINE 仮面ライダー』では後者がコウモリからコウモリ傘を発想しての「アンブレラ」に由来するものと推測している。演じた八代駿は『仮面ライダー大全』112頁のインタビューで「傘の怪人で「あんぶれらー」と鳴いたものがある」と述べており、『OFFICIAL FILE MAGAZINE 仮面ライダー』ではこれはバーナーコウモリを指したものと推測している。 ミサイルヤモリ 身長:180cm 体重:80kg 出身地:アフリカ 第16話に登場。ヤモリとミサイルの機械合成怪人。保護色で姿を消す能力や、人間を窒息させる吸盤を持つ。背中の大型ミサイルと左腕の小型ミサイルが武器。 ミサイルを使い、石油コンビナートを爆破する「D-18計画」を実行しようとするが、V3回転フルキックの前に倒される。 スプレーネズミ 身長:180cm 体重:59kg 出身地:北アルプス山中 第17話と第18話に登場。ネズミとスプレーの機械合成怪人。右腕の10mまで伸びる伸縮自在のパワーアームとマウスカッターが武器で、ペストに酷似した新種の病原菌のデビルスプレーを噴射する。 クサリガマテントウ 身長:211cm 体重:77kg 出身地:志賀高原 第17話と第18話に登場。テントウムシと鎖鎌の機械合成怪人。腰から放つテントウミサイルと、左手にあるトゲ付き鉄球が付いたスネークチェーンと脇腹にあるライフル・わきばら銃が武器で、3千ボルトの電流を流す。体内にスネークチェーンの予備を格納している。 ハリフグアパッチ 身長:168cm 体重:58kg 出身地:フィジー海 第19話に登場。魚雷とハリセンボンの機械合成怪人。全身に生えている爆破するトゲ・シビレトゲ、左肩から放つフグ魚雷と鼻から噴射する毒液が武器。 元々は『仮面ライダー』で「凶悪!フグアパッチ!!ショッカー島の決斗」にショッカー怪人として登場予定だった。 ギロチンザウルス 身長:175cm 体重:65kg 出身地:高知県 第20話と第21話に登場。恐竜とギロチンの機械合成怪人。口から吐く火炎と右腕のギロチンが武器。また、左腹の断頭台で敵の首を固定する。 ドクバリグモとともに、SS装置の催眠音波を使った「四国占領作戦」実行のため、それを組み立てるのに必要な深沢博士を捕えようとする。 ドクバリグモ 身長:165cm 体重:53kg 出身地:群馬県 第20話と第21話に登場。クモと注射器の機械合成怪人。右手にある注入された人間を操るコントロールビールスが入った注射器が武器だが、自分にも害がある。全身にしびれ毒が付いたトゲが生えている。また、毒蜘蛛への変身能力を持つ。ビールスの血清は左脇腹にある。 ギロチンザウルスとともに、SS装置の催眠音波を使った「四国占領作戦」実行のため、それを組み立てるのに必要な深沢博士を捕えようとする。 ウォーターガントド 身長:192cm 体重:50kg 出身地:江ノ島海岸 第22話に登場。トドと水中銃の機械合成怪人。口から吐くグロブタンガスを原料とした毒ガスと水中銃が武器。 プロペラカブト 身長:172cm 体重:61kg 出身地:ニューギニア 第23話に登場。カブトムシとプロペラの機械合成怪人。正体は志郎の旧友・黒田狂一。活動エネルギー源は女性の血液で、右手のプロペラと左手のヘラ、口から吐く毒液が武器。また、プロペラは投擲武器としても使用が可能。 ゴキブリスパイク 身長:168cm 体重:49kg 出身地:三浦海岸 第24話に登場。ゴキブリとスパイクの機械合成怪人。口から吐く1m以内の人間に高熱伝染病を起こす特殊細菌と右腕のスパイクが武器。 カマキリメラン 身長:170cm 体重:62kg 出身地:千葉県・行川アイランド 第25話に登場。カマキリとブーメランの機械合成怪人。体にあるトゲと左手の鎌、10キロメートル先にいる人間の首を落とすことができる右肩の殺人ブーメランと触角のノコギリが武器。鎌とブーメランをこすり、特殊な音を発する事で、デストロンレインジャー部隊と交信する。 ミイラビールスを貯水タンクに撒き、都民のミイラ化をしようとする「ミイラ作戦」に従事する。 ヒーターゼミ 身長:163cm 体重:55kg 出身地:エジプト 第26話に登場。セミとヒーターの機械合成怪人。喉を渇かせる特殊音波と全身の灼熱化、指先からの小型ミサイルが武器。セミへの変身能力を持つ。 「ミイラ作戦」実行のため、ミイラビールスの血清を作ることができる田口博士の娘・田口晴美を名乗り、V3に近づく。 ワナゲクワガタ 身長:170cm 体重:80kg 出身地:オーストラリア 第27話と第28話に登場。クワガタムシと鉄輪の機械合成怪人。相手の首にかけて絞殺する鉄輪と左腕からの煙幕と、吸った人間を呼吸困難にさせる猛毒ガス・ギラードガンマーが内包されたガス弾が武器。また、角からもギラードガンマーを吐く。 5大幹部が指揮する「日本全滅作戦」のサポートを任務することとなる。 最終話の脚本では死人コウモリではなくワナゲクワガタが登場する予定であった。 カメラモスキート 身長:168cm 体重:51kg 出身地:ネバダ山脈 第29話に登場。蚊とカメラの機械合成怪人。左眼にあるカメラで撮影した人間への変身能力や虚像の投影能力を持つほか、ミニモスキートを操ることも可能。ドリルのように回転する手が武器。 「キバ族」とも。キバ男爵が率いる怪人軍団。全員がキバを持っているのが特徴で機械合成怪人を凌ぐパワーを持ち、V3や1号・2号を苦しめた。ドーブー教を行動原理としており、祈祷や魔術によって怪人たちに力を与える。 ドクロイノシシ 身長:179cm 体重:67kg 出身地:ニューギニア 第31話に登場。イノシシの改造人間。巨大な牙状の槍・猛毒牙、左手にあるダイヤモンドより硬い鉤爪、触れた相手を白骨化させる牙が武器。また、時速500キロメートルで走ることも可能。 オニビセイウチ 身長:177cm 体重:66kg 出身地:北アメリカ 第32話に登場。セイウチの改造人間。生き血を飲んだ相手に変身する能力や、鬼火を操る能力、人間を腐らせる人魂ガスを口から吐く技がある。時速200kmで泳ぐ事が可能で、水中戦を得意とするが、陸上は苦手である。 第43話以降のエンディング映像にも登場している。 名称は鬼火セイウチと漢字表記される場合もある。企画段階での名称はヒトダマセイウチであった。 ユキオオカミ 身長:175cm 体重:69kg 出身地:北極 第33話に登場。オオカミの改造人間。噛んだ相手を狼人間(獣人)に変える能力や、志郎をも凍らせた強力な冷気ウルトラブリザードが武器。 殺人光化学スモッグにあてると爆発する光線を使った作戦を実行しようとする。 第43話以降のエンディング映像にも登場している。 「ツバサ族」「ツバサ軍団」とも。ツバサ大僧正が率いる怪人軍団。ほぼ全員が飛行能力を持っているのが特徴であり、空中戦に慣れていないV3を大いに苦しめた。チベットに伝わるまんじ教が行動原理。 火焔コンドル 身長:185cm 体重:80kg 出身地:浅間山火口 実行作戦:「日本乗っ取り作戦」。 第36話に登場。コンドルの改造人間。口からインカの呪われた火を吐き、妨害電波を発することも可能。また、ミサイル弾となっている爪も武器である。 第43話以降のエンディング映像にも登場している。 名称は火炎コンドルと表記される場合もある。 コダマムササビ 身長:156cm 体重:65kg 出身地:東北地方・寒村の山 第37話に登場。ムササビの改造人間。牙や爪に仕込まれ、触れた人間をムササビに変えるムササビ毒を持つほか、手首から毒ミサイルを放つ。 実行作戦:「ムササビ作戦」 毒を受けた人間をムササビ型の死骸に変えることができ、ムササビに化けて滑空する。 名称は木霊ムササビと漢字表記される場合もある。 ドクガーラ 身長:169cm 体重:66kg 出身地:ビルマ 第38話に登場。蛾(毒蛾)の改造人間。口からはナイフを放ち、羽根からは毒鱗粉を放つ。また、人を白骨化させる毒蛾を操ることも可能。 資料によっては、名称を殺人ドクガーラと記載している。 バショウガン 身長:169cm 体重:59kg 出身地:ボルネオ 第39話に登場。芭蕉の改造人間。伸縮自在のツルや溶解液が武器。また、カエンバショウへの変身能力もある。 実行作戦:「保存人間計画」 飛行能力を持たない植物怪人であるが、これは登場する第39話が『仮面ライダー』第4話のリメイクであったため、ストーリーの都合から植物怪人が必要であったことによる。平山による展開案では、フクロウをモチーフとした怪人の登場が予定されていた。 『全怪獣怪人 下巻』では、名称を人喰いバショウガンと記載している。 ヨロイ元帥が率いる怪人軍団。「ヨロイ族」や「ヨロイ軍団」とも称される。強固な防御力とパワーを併せ持った怪人が多いのが特徴であり、その多くが鎧のように硬い皮膚を持っている。これまでのデストロン怪人を上回る戦闘力を持ち、V3やライダーマンを苦しめた。 ヨロイ一族の後はトゲ族の登場が予定されていたが、ヨロイ元帥の続投が決まり、最後までヨロイ一族が登場することとなった。カメレオンは軟体族、サイタンクはツノ一族、オニヒトデとシーラカンスキッドはヒレ一族、カメレオンはトゲ一族の怪人としてデザインされていた。 ガルマジロン 身長:215cm 体重:87kg 出身地:南米アマゾンのジャングル 第41話に登場。アルマジロの改造人間。正体は志郎の友人・高木裕介。鱗から放つ人間を溶かす毒液と右手の鉤爪、手足の付け根にある鋭い毛とボウガンが武器。また、甲羅のトゲによるガルマジロンバック攻撃と呼ばれる技を持つ。 カタツブラー 身長:165cm 体重:87kg 出身地:南ベトナム 第42話に登場。カタツムリの改造人間。口からは粘着液を吐き、堅固な殻を使った渦巻き攻撃や、体内に卵を産みつけ、そこから孵ったカタツムリによって人間を操る能力を持ち、マンションに住む人間を操った。また、自己催眠能力や巨大なカタツムリへの変身能力を持つ。 カマクビガメ 身長:170cm 体重:65kg 出身地:カマクビ島 第43話と第44話に登場。カメの改造人間。口から毒ガスを吐き、子亀爆弾が武器。また、首を長く伸ばしたり、1トン近くまで体重を増加させることが可能。 デストロンを脱走した結城やその助手を追い、助手たちを皆殺害した。 サイタンク 身長:158cm 体重:90kg 出身地:ネパール 第45話と第46話に登場。サイの改造人間。500tのものを持ち上げる怪力と、両肩の相手を消し去る角と発射することが可能な頭部が武器。 優秀な子どもたちを攫い、デストロンの幹部候補生の養成が使命。 パチンコ『仮面ライダーフルスロットル』 闇のライダーマンに変身する素体として登場。 シーラカンスキッド 身長:180cm 体重:80kg 出身地:アフリカ東海岸 第47話に登場。シーラカンスの改造人間。口から風船状の泡爆弾を吐き、指先からは催眠ガスを放つ。シーラカンスへの変身能力を持つ。 結城を捕え、にせ結城丈二及びデストロンライダーマンに変身し、少年仮面ライダー隊の本部に時限爆弾を仕掛けようとした。 デストロンライダーマン シーラカンスキッドがライダーマンの姿に変化した姿。その後、にせ結城丈二に変身した。右手から毒ガスを噴射する。 アジトでV3に殴られたシーラカンスキッドが屋外へ逃走する際には、足元で倒れているデストロンライダーマンが映っている。本来はその後にアジトへ再び逃げ込んだシーラカンスキッドがデストロンライダーマンに変化し、追ってきたV3に本物の結城のふりをしてあざむくという筋書きであるため、映像面では矛盾が生じてしまうこととなった。 オニヒトデ 身長:170cm 体重:102kg 出身地:与那国島 第48話に登場。ヒトデの改造人間。分裂し、敵の攻撃を無効化する能力や溶解液を吐く吸血ヒトデを操る能力を持つ。また、腹部にある口の牙で敵に噛み付いたり、巨大なヒトデへの変身能力を持つ。 東京都皆殺し作戦を実行した。 カメレオン 身長:180cm 体重:89kg 出身地:メキシコ 第49話に登場。カメレオンの改造人間。改造人間の制御能力を狂わせるバタル弾を発射するバタルガンや周囲に同化する能力が武器。 吸血カメレオン 身長:180cm 体重:89kg 出身地:メキシコ 第50話に登場。カメレオンが強化改造された姿。伸縮自在の吸血舌が武器で、口から吸血鬼化させる毒ガスを吐く。 血を吸われた人間を吸血鬼化する能力が加わり、みどり学園の子供を吸血鬼化させる。 デストロンの主戦力である一般兵士。白いサソリ模様の黒い全身タイツ服と、ドクロをイメージした白い模様の黒いマスクを着用する。人間への変身能力もある。 3.0の視力、100mを9.8秒の走力、6倍のジャンプ力など常人の5倍の体力を持ち、ゲルショッカー戦闘員以上の戦力を誇る。 ショッカー時代と同様、デストロンバックルにはショッカー同様、自爆機能が内蔵されている。キバ男爵配下の戦闘員は上腕部に2本のキバが交差したマークが入っており、トーテムポールへの変身も可能。ツバサ大僧正配下の戦闘員はこの装束の袖に長いフリンジを装着しており、空を飛べる。 マスクの白い縁取りの目の部分が尖っていないタイプの戦闘員もいる。左肩の部分のデザインが通常と異なる戦闘員も存在する。腰にはカッターナイフなどや毒矢、銃などの飛び武器を装着している場合がある。 用済みとなった戦闘員は処刑されたり、怪人などの実験台にされたりする。年齢を問わず能力の高い者はごく普通の男性が改造され、デストロンに拉致された男性が戦闘員に改造・脳改造されるなどして洗脳されている。改造の際には改造液を体内に注射して戦闘員化させるほか、洗脳して戦闘員化させることでデストロンに服従させる。『仮面ライダーV3カード』では、悪の細胞を培養して作り上げた人造人間と記述している。 放送開始前の第1回撮影会では、手袋とブーツが黄色であった。 デストロンレインジャー部隊 V3抹殺のために特別に訓練された戦闘員のエリート部隊。「人間ザル」の異名を持つ。服装は通常戦闘員との差異は見られない。第2部隊も存在し、警察官に変身して風見を襲った。 科学者班(白戦闘員、科学者戦闘員) 黒いサソリ模様の白い全身タイツ服、赤い模様の白マスク、すその長い診察衣(白衣)を着用している。しかし、診察衣を着用しない場合やデストロンベルトを着用しない場合がある。スカウト、人質脅迫、金銭報酬などで集められており、優秀な科学者やその助手で構成されている。 結城丈二はここの筆頭的存在であり、助手も何人かマスクを脱いで素顔で登場した。当時の児童書では、結城がタイホウバッファローを製造しているカットも存在する。 女戦闘員 敵の陽動や拉致などの補助的な任務を遂行。第41話のみ戦闘に参加した。 第41話では黒のレオタード姿に赤いパレオを着用していたが、第49話でデストロンに拉致された少女ジュンは、通常戦闘員と同様の黒タイツ姿で登場した後、風見に助け出される。 レーサー地獄部隊 一流のレーサーが改造液を注入され、戦闘員として洗脳されたオートバイ部隊。普段はレース・ウエアに身を包んでいるが、戦闘時に戦闘員の姿となる。人工衛星用の核物質を強奪する。還元液によって元の姿に戻る。 首領親衛隊(親衛隊員) 首領の身辺を警護するエリート部隊。軍服を着用、通常戦闘員と同じマスクの上に制帽をかぶる。第48、51、52話に登場。 幹部 黒ずくめの三角頭巾に長衣を着用した一団。第1話での本郷の生前葬やデストロンパーティーに参加している。また、デストロン裁判での結城の処刑決議時には、同様の衣装を纏った最高幹部が登場している。 その他の作品での登場 『劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー』 大ショッカーの戦闘員として登場。同作品ではショッカー戦闘員も大ショッカーの戦闘員として登場している。 『仮面ライダーオーズ/OOO』 第28話(仮面ライダーシリーズ通算1000回記念話)で、元ショッカー戦闘員・千堂院の欲望から生み出された戦闘員軍団に混じって登場している。正体はヤミー(『オーズ』の怪人)。 風見志郎 / 仮面ライダーV3(声) - 宮内洋 立花藤兵衛 - 小林昭二 珠純子 - 小野ひずる 珠シゲル - 川口英樹 デストロン首領(声) - 納谷悟朗 ナレーター - 中江真司 ドクトル・ゲー - 千波丈太郎 キバ男爵 - 郷鍈治 ツバサ大僧正 - 富士乃幸夫 ヨロイ元帥 - 中村文弥 佐久間ケン - 川島健 本郷猛 / 仮面ライダー1号(声) - 藤岡弘 一文字隼人 / 仮面ライダー2号(声) - 佐々木剛 結城丈二 / ライダーマン(声、一部はスタント) - 山口暁 ※参考文献:『仮面ライダー大図鑑(3)』(バンダイ・1991年)、『仮面ライダーV3大全』(双葉社・2001年) 風見達治 - 加賀邦男 (1) 風見綾 - 真咲美岐 (1) 風見雪子 - 関口英利子 (1, 50) 作業員 - 篠田敏夫 (1) 神父(ハサミジャガー) - 永井柳太郎 (2) 関三郎(テレビバエ) - 山田禅二 (3) 敏夫 - 石井政幸 (4) 村山博士 - 山岡徹也 (5) 西崎道子 - 前田通子 (5, 6) 西崎ツトム - 小松陽太郎 (5, 6) 堀川守 - 藤江喜幸 (5, 6) 堀川節子 - 村井美恵 (6) 河井三郎 - 池田忠夫 (7, 8) 河井タダシ - 染谷利貴 (7, 8) 京子 - 真木沙織 (7, 8) 山本(ナイフアルマジロ) - 内田嵐 (7) 謎の女(ノコギリトカゲ) - アイ・モニカ (7, 8) 屋敷の主(レンズアリ) - 北九州男 (10) 中原博士 - 杉山俊夫 (11) 黒田雄二(ドリルモグラ) - 高山彰 (11, 12) 犬神博士 - 花巻五郎 (11, 12) 吉村秀夫 - 練木二郎 (13) 陽子 - 田所陽子 (13) ドライバー - 奥村公延 (13) ジョージ・カマモト - 団巌 (14) 岡島博士 - 有馬昌彦 (15) 岡島珠美 - 泉陽子 (15) 怪しい男(バーナーコウモリ) - 中田博久 (15) 井村耕作 - 宇南山宏 (16) 神父 - 鈴木志郎 (17) 高瀬ユリ子 - 堀越光恵 (17, 18) 市村明雄 - 堀部隆一 (17, 18) 佐々木 - 川上大輔 (17, 18) 中村有三 - 長沢大 (19) 深沢秀雄 - 二瓶秀雄 (20, 21) 塚本 - 斉藤真 (20) 健一の姉 - 森桃江 (20, 21) 早瀬タカオ - 皆川良光 (22) 黒田狂一(プロペラカブト) - 中山克己 (23) 黒田幸子 - 山田圭子 (23) 伍木(ゴキブリスパイク) - 山下則夫 (24) 老婆・しげ - 田中筆子 (24) 大里博士 - 上田忠好 (24) 工藤健二 - 奥野建明 (25) 工藤俊一 - 高島稔 (25) 登山パーティー - 山田貴光、木下陽夫、新海丈夫 (25) 田口晴美(ヒーターゼミ) - 水木正子 (26) 死神博士 - 天本英世 (27, 28) ブラック将軍 - 丹羽又三郎 (27, 28) ゾル大佐 - 宮口二郎 (27, 28) 地獄大使 - 潮健児 (27, 28) 伊藤正太郎 - 渡辺一矢 (27) 伊藤正一 - 鈴木志郎 (27) 田所 - 田島義文 (29, 30) デストロンハンター - 高田裕史〈4号〉(29)、山西道広〈1号〉(30) ほか 宮田トシ子 - 斉藤浩子 (31) トシ子の両親 - 長沢大、上田みゆき (31) 伊藤 - 中井啓輔 (32) 寒川博士 - 三島耕 (33) 寒川弓子 - 菅沢恵美子 (33) 魔女スミロドーン(原始タイガー) - 山崎知子 (34) 宮本経済長官 - 湊俊一 (35) 中田科学局長 - 南川直 (35) 修行僧(火焔コンドル) - 佐藤京一 (36) 井沢局長 - 河合弦司 (36) 田村昭景 - 見明凡太朗 (37) 学者 - 団巌 (37) 安藤 - 平凡太郎 (38) 安藤ツヨシ - 小塙謙士 (38) 山田正子 - 津々井和枝 (39) 山田修一 - 松田洋治 (39) 小川辰夫 - 松坂雅治 (40) 小川清志 - 奥野建明 (40) 山下喜作 - 綾川香 (41) 高木裕介(ガルマジロン) - 三井恒 (41) 川田亜沙子 - 佐々木順子 (42) 川田美沙子 - 粟屋芳美 (42) 須藤 - 高田裕史 (42) 片桐二郎 - 平野康 (43) 片桐幸江 - 井上真彩子 (43, 44) ブラックサンタ(サイタンク) - 藤沢陽二郎(45, 46) 津村ひろし - 高橋仁 (45, 46) 津村めぐみ - 東啓子 (45, 46) 津村定吉 - 徳大寺伸 (45, 46) マサト - 久保木利貴 (48) エツ子 - 駒沢とよこ (48) ジュン - 北原和美(49) 紳士風の男(カメレオン) - 石川敏 (49) 須藤健一 - 半藤浩 (50) 木村先生 - 服部マリ (50) 西岡保 - 打田康比古 (51) デストロン医師 - 小倉雄三 (51) V3役は中屋敷鉄也が主に担当したが、第1話・第2話のみ前作から引き続き1号を演じた。 ライダーマン役はアクション以外の多くを変身前と同じく山口が演じ、アクションでは数名が担当した。 トランポリンは前作ではJACが担当したが、本作品以降は大野剣友会がトランポリンも担当することとなった。 仮面ライダーV3(メイン)、仮面ライダー1号(第1話・第2話) - 中屋敷鉄也 仮面ライダーV3(1,2話のみ)、ライダーマン(スタント) - 中村祐 仮面ライダーV3(トランポリン) - 佐藤巧 ライダーマン(アップ) - 山口暁 ライダーマン(スタント)、仮面ライダー2号 - 河原崎洋夫 ライダーマン(スタント) - 千代田恵介 仮面ライダー1号、ライダーマン(スタント)、怪人 - 新堀和男 怪人 - 岡田勝 ハサミジャガー - 小林貞夫 怪人 - 池田力也 カミソリヒトデ - 石塚信之 ガマボイラー、原始タイガー - 中村文弥 ユキオオカミ - 渋谷秀美 『V3』制作当時の生田スタジオは多数の作品を手がけるようになり、監督陣は流動的であった。メイン監督の山田稔は第31話・第32話と第41話・第42話も担当する予定であったが、実際には第27話・第28話を最後に『イナズマン』へと移動した。奥中惇夫は第3話・第4話を担当したのみで『ロボット刑事』へ、前半のローテーションを担った田口勝彦は『どっこい大作』へとそれぞれ移動している。後半は『ロボット刑事』を終えた内田一作と折田至がメインを務めた。 第9話・第10話の脚本は、映画『不良番長』シリーズの監督である内藤誠とその助監督である佐伯俊道が共同執筆した。内藤は息子が仮面ライダーのファンであったことや、テレビドラマ『ゴールドアイ』で宮内洋がゲスト出演した回の監督を務めていたことなどから、プロデューサーの平山亨や阿部征司に執筆を申し出た。 第49話の脚本は助監督の長石多可男が担当した。このストーリーは、長石が他の助監督らと生田スタジオに泊まりこんだ際に酒の席で挙がった話が基になっている。 原作 - 石森章太郎 連載 - たのしい幼稚園、テレビマガジン、冒険王、おともだち、テレビランド 企画 - 平山亨、阿部征司(東映) 脚本 - 伊上勝、鈴木生朗、島田真之、内藤まこと、佐伯俊道、滝沢真理、塚田正熙、海堂肇、長石多可男、平山公夫 音楽 - 菊池俊輔 監督 - 山田稔、奥中惇夫、塚田正煕、田口勝彦、折田至、内田一作 技斗 - 高橋一俊(大野剣友会) 撮影 - 川崎龍治、原秀夫 照明 - 太田耕治 美術 - 八木功、島田定信(エキスプロダクション) 仕上音響 - 映広音響 録音 - 太田克己 編集 - 菅野順吉、池原文雄、武中昭世 選曲 - 武田正彦 効果 - 協立効果 記録 - 増田美代子、紀志一子 助監督 - 長石多可男、福島孔道、高橋正治、鈴木隆志、平山公夫、梅田味伸 進行主任 - 大里俊博、大竹昭男、伊藤隆造、斉藤正勝、古泉雅 制作担当 - 佐久間正光 衣裳 - 東京衣装 現像 - 東映化学 トランポリン - 三隅修 (JAC)、佐藤巧(大野剣友会) オートバイ協力 - 鈴木自動車 制作 - 毎日放送、東映 「戦え! 仮面ライダーV3」 作詞:石森章太郎 / 作曲・編曲:菊池俊輔 / 歌:宮内洋、ザ・スウィンガーズ (SCS-192) オープニング映像はライダーマン編となる第43話から全面変更されたが、結城丈二/ライダーマンに関する描写はなかった。 「少年仮面ライダー隊の歌」(第1 - 42話) 作詞:八手三郎 / 作曲・編曲:菊池俊輔 / 歌:水木一郎、コロムビアゆりかご会 (SCS-192) 「走れハリケーン」(第43 - 最終話) 作詞:能見佐雄 / 作曲・編曲:菊池俊輔 / 歌:子門真人、コロムビアゆりかご会(KKS-4076) 作詞の能見佐雄は、毎日放送プロデューサー左近洋一の変名である。原稿では石井照子との連名であった。 オープニングとエンディング同様、作・編曲はすべて菊池俊輔。「デストロン讃歌」、「V3のマーチ」、「V3アクション」、「仮面ライダー讃歌」の冒頭には効果音とセリフが入っている。ライダーマンのテーマ「ぼくのライダーマン」は本作品の劇中でも使用されたが、『仮面ライダーV3』のLPレコード(KKS-4076)はすでに発売されていたため、次作『仮面ライダーX』のLPに収録された。 「仮面ライダー讃歌」 作詞:田中守、丘灯至夫 / 作曲・編曲:菊池俊輔 / 歌:子門真人 「不死身の男」 作詞:島田真之、丘灯至夫 / 作曲・編曲:菊池俊輔 / 歌:水木一郎 「V3アクション」(第52話) 作詞:石森章太郎 / 作曲・編曲:菊池俊輔 / 歌:子門真人 「V3の一人歌」 作詞:田中守、丘灯至夫 / 作曲・編曲:菊池俊輔 / 歌:水木一郎 「V3のマーチ」 作詞:伊上勝、丘灯至夫 / 作曲・編曲:菊池俊輔 / 歌:水木一郎、コロムビアゆりかご会 「デストロン讃歌」 作詞:土井信 / 作曲・編曲:菊池俊輔 / 歌:日本合唱協会 「V3の子守唄」 作詞:中瀬当一、丘灯至夫 / 作曲・編曲:菊池俊輔 / 歌:井上裕子 「ぼくらの仮面ライダーV3」 作詞:中瀬当一、丘灯至夫 / 作曲・編曲:菊池俊輔 / 歌:コロムビアゆりかご会 「ぼくのライダーマン」(第51話) 作詞:田中守 / 作曲・編曲:菊池俊輔 / 歌:コロムビアゆりかご会 作詞は東映プロデューサー平山亨の変名である田中守名義となっているが、実際に作詞したのは平山の妻であった。平山の妻は作品はほとんど見ておらず、企画書からのインスピレーションで執筆したという。 毎日放送(キー局) 北海道テレビ NETテレビ 名古屋放送(1973年4月から) 広島ホームテレビ 九州朝日放送 青森放送:月曜 18:00 - 18:30 IBC岩手放送:土曜 18:00 - 18:30 東北放送:日曜 9:00 - 9:30 秋田放送:金曜 18:00 - 18:30 山形放送:月曜 17:30 - 18:00 福島テレビ:木曜 19:00 - 19:30 山梨放送:土曜 18:00 - 18:30 新潟放送:日曜 10:00 - 10:30 長野放送:水曜 18:00 - 18:30 テレビ静岡:土曜 19:00 - 19:30 石川テレビ放送:日曜 18:00 - 18:30 北日本放送:水曜 17:15 - 17:45 福井テレビジョン放送:月曜 18:00 - 18:30 名古屋放送:日曜 19:00 - 19:30 (1973年3月まで) 山陰放送:火曜 18:00 - 18:30 岡山放送:土曜 17:00 - 17:30(半年遅れ) 山口放送 :木曜 18:00 - 18:30 四国放送:木曜 18:00 - 18:30 瀬戸内海放送:金曜 19:00 - 19:30 愛媛放送:火曜 18:00 - 18:30 高知放送:土曜 18:00 - 18:30 長崎放送:火曜 18:00 - 18:30 熊本放送:月曜 18:00 - 18:30 テレビ大分:日曜 10:00 - 10:30 宮崎放送:水曜 18:00 - 18:30 南日本放送:月曜 18:00-18:30 沖縄テレビ放送:火曜 19:30 - 20:00 カルビースナック 仮面ライダーV3 仮面ライダーV3カレー 理研ビタミンから発売されたレトルトカレーであり、初のテレビキャラクターを用いたカレー商品であるとされる。切手を模したシールV3切手が封入された。 各キャラクターの詳細などについては、登場人物の節や各登場人物の項目(風見志郎や結城丈二など)を参照。 いずれも東映ビデオより発売。 ビデオ(VHS、セル・レンタル共通)は全14巻がリリースされた。全話収録だが、当初は傑作選の予定だったため、収録順は放送順と一致していない。 1993年8月25日にLD-BOXが発売された。 2000年5月21日から9月21日にかけて単品のLDが発売された。全7巻の各2枚組で各巻8話(Vol.7のみ1枚・4話)収録。 2002年12月6日にDVD-BOXが発売された。 2007年10月21日から12月7日にかけて2007年10月公開の『仮面ライダー THE NEXT』の公開を記念して単品のDVDが発売された。全9巻で各巻6話(Vol.8、Vol.9は5話)収録。1 - 3、4 - 6、7 - 9はそれぞれ同時リリースされた。 2008年7月21日発売の「石ノ森章太郎 生誕70周年 DVD-BOX」に第1話が収録されている。 2018年4月11日から8月8日にかけてBlu-ray BOXが発売。 『仮面ライダーX』 風見志郎/仮面ライダーV3が登場。 『仮面ライダーストロンガー』 風見志郎/仮面ライダーV3と結城丈二/ライダーマンが登場。 『仮面ライダー(スカイライダー)』 風見志郎/仮面ライダーV3と結城丈二/ライダーマンが登場。 『仮面ライダーBLACK RX』 BLACKの続編。終盤に仮面ライダーV3とライダーマンが登場。 『仮面ライダーオーズ/OOO』 デストロン戦闘員が登場。 『全員集合!7人の仮面ライダー!!』 『仮面ライダーストロンガー』のテレビスペシャル。風見志郎/仮面ライダーV3と結城丈二/ライダーマンが登場。 『10号誕生!仮面ライダー全員集合!!』 『仮面ライダーZX』のテレビスペシャル。風見志郎/仮面ライダーV3と結城丈二/ライダーマンが登場。 『烈車戦隊トッキュウジャーVS仮面ライダー鎧武 春休み合体スペシャル』 『烈車戦隊トッキュウジャー』と『仮面ライダー鎧武/ガイム』のテレビスペシャル。仮面ライダーV3が登場。 『仮面ライダーV3』(1973年3月17日公開) 東映まんがまつりの一編として第2話を上映。 『仮面ライダーV3対デストロン怪人』(1973年7月18日公開) 東映まんがまつりの一編として公開。 同作品とテレビシリーズ第20話・第21話は同時進行で四国ロケが行われている。テレビシリーズとの関係は特に設定されていない。 上記の2作品とも2003年12月5日発売の昭和の仮面ライダーシリーズの映画作品を収録した「仮面ライダー THE MOVIE BOX」および、単品では2006年発売の「仮面ライダー THE MOVIE VOL.2」に収録されている。 『五人ライダー対キングダーク』 『仮面ライダーX』の劇場版。風見志郎/仮面ライダーV3と結城丈二/ライダーマンが登場。 『ジャッカー電撃隊VSゴレンジャー』 V3がヨーロッパで鉄面男爵と戦っていたという設定で、写真とBGMが使われた。 『仮面ライダー 8人ライダーVS銀河王』 『スカイライダー』の劇場版。仮面ライダーV3とライダーマンが登場。 『仮面ライダースーパー1』 『仮面ライダースーパー1』の劇場版。仮面ライダーV3(声は宮内が担当)とライダーマンが登場。 『仮面ライダー THE NEXT』 新解釈によるリメイク作品。新解釈の仮面ライダーV3が登場。 『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』 『仮面ライダー電王』と『仮面ライダーオーズ/OOO』のクロスオーバー作品。仮面ライダーV3(声は宮内が担当)とライダーマン、カメバズーカが登場。 『劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー』 『仮面ライダーディケイド』をメインとしたクロスオーバー作品。仮面ライダーV3とライダーマン、新解釈の結城丈二が登場。 『仮面ライダー×仮面ライダー フォーゼ&オーズ MOVIE大戦MEGA MAX』 『仮面ライダーフォーゼ』と『仮面ライダーオーズ/OOO』のクロスオーバー作品。仮面ライダーV3とライダーマンが登場。 『仮面ライダー×仮面ライダー ウィザード&フォーゼ MOVIE大戦アルティメイタム』 『仮面ライダーフォーゼ』と『仮面ライダーウィザード』のクロスオーバー作品。仮面ライダーV3が名前のみ登場。 『仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦』 スーパーヒーロー大戦シリーズ第1作。仮面ライダーV3とライダーマンとドクトルG/カニレーザーが登場。 『仮面ライダー×スーパー戦隊×宇宙刑事 スーパーヒーロー大戦Z』 スーパーヒーロー大戦シリーズ第2作。仮面ライダーV3が登場。 『平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊』 平成ライダー15作品記念のクロスオーバー作品。仮面ライダーV3とライダーマンが登場。 『スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号』 スーパーヒーロー大戦シリーズ第3作。仮面ライダーV3とライダーマンが登場。 本作品が制作されていた時点で、原作者石森章太郎による漫画版『仮面ライダー』の連載はすでに終了しており、原作者自身による本作品のコミカライズ作品は存在しない。他方、放映当時から石森プロ所属の漫画家を中心に、多くの作家によるコミカライズは行われている。 テレビマガジン掲載版(すがやみつる、1973年3月号 - 1974年2月号) 立花藤兵衛や珠純子など味方側のレギュラーは一切登場せず、V3とデストロンとの戦いにしぼって描かれた。オイルショックによる掲載誌のページ減により1974年2月号をもって連載が打ち切られ、V3とライダーマンが和解して共闘を誓い合うところで話は終了している。 冒険王掲載版(すがやみつる、1973年3月号 - 1974年3月号) テレビシリーズに準じた展開であるが、個々のエピソードや怪人の性格付け等は独自のもの。幼年誌に比べてページ数に余裕があったため、レギュラーキャラクターや敵幹部もテレビ同様に活躍し、別冊付録では100ページを越える長編も執筆された。デストロンとの最終決戦まで描かれて終了した。 別冊冒険王掲載版(すがやみつる、1973年春季号・4月号 - 1974年2月号) すがやによるスパナサンゴのほか、読者考案のノコギリトンボ、エイジェットなどのオリジナル怪人が登場。 テレビランド掲載版(久留米東、1973年3月号 - 5月号 → 暁俊二、1973年6月号 → 松本めぐむ、1973年7月号 - 1974年2月号) テレビに準じた展開。立花藤兵衛らによる戦い以外のドラマも描かれている。松本版では、結城丈二が珠純子と幼馴染であるなどの独自設定が用いられた。 テレビマガジンと同様の事情で1974年2月号をもって打ち切りとなり、ライダーマンの誕生で話は終了。翌月の『仮面ライダーX』で立花藤兵衛がデストロンとの決戦を回想する形で物語に区切りをつけている。 たのしい幼稚園掲載版(石川巨人、1973年5月号,6月号,1974年3月号) 別冊たのしい幼稚園掲載版(石川のりひこ、1973年3月号 - 9月号) おともだち掲載版(細井雄二、1973年3月号 - 1974年3月号) ディズニーランド(石川巨人、1973年3月号 - 10月号 → すがやみつる、1973年11月号 → 石川巨人、1973年12月号 - 1974年3月号) オリジナル怪人 イカファイヤージュニア すがやみつるの漫画作品に登場。イカファイヤーの息子で、少年の姿で登場しV3に救われるが、その背後をとり自分ごとイカファイヤーに焼かれる。イカファイヤーがV3により火口に落とされたことで自らも、火口の中へ入っていく。 大巨人G すがやみつるの漫画作品の第7回に登場。「冒険王」1973年9月特大号ふろく「テレビコミック」収録。ドクトルGがニューヨーク・モスクワ・アフリカ・オーストラリアの各支部から怪人を呼び寄せ、それを合体した姿。 『仮面ライダー 1号・2号・V3・ライダーマン総特集』では「合体改造人間」と呼ばれている。 『仮面ライダー』テレビランド掲載版(山田ゴロ) 1978年より徳間書店「テレビランド」誌で『仮面ライダー』から『仮面ライダーストロンガー』までのストーリーが新作漫画として連載された。『仮面ライダー (スカイライダー)』の制作決定に伴い連載されたもので、その後も『スカイライダー』から『仮面ライダーZX』まで連載が続いた。 この連載は後に全9巻の単行本にまとめられているが、第1巻後半からライダーマン編を含む第3巻まで(ライダーマン編も含むと第4巻まで)がV3編となり、大きなウエイトを占めている。また、ライダーマン編は第4巻1冊分のページ数が費やされ、結城丈二の前半生について独自の物語が展開された。病母を抱えた貧しい少年・結城丈二がデストロンに見込まれ、やがて科学者として成功しながらもヨロイ元帥に裏切られライダーマンになるまでの物語が独特のテイストで描かれている。山田はラジオの身の上話コーナーを聴いて発想したと述べている。 『仮面ライダーSPIRITS』・『新仮面ライダーSPIRITS』(村枝賢一) 風見志郎/仮面ライダーV3と結城丈二/ライダーマンが主役のメンバーとして登場。『新仮面ライダーSPIRITS』からは珠純子や珠シゲルなども登場。 発売元は東映ビデオとバンダイナムコゲームス(旧バンダイレーベル、旧バンプレストレーベル)による。 『仮面ライダー作戦ファイル2』 1995年発売。PC用のCD-ROM。Windows、Macintosh両方で発売された。『仮面ライダー』のシミュレーションゲーム、『仮面ライダー作戦ファイル』の続編。本編の映像や画像が盛り込まれた図鑑と、新怪人の製作シミュレーション・ゲームが主な内容。風見志郎の声を宮内洋、大首領の声を納谷悟朗が務めている。 『仮面ライダーV3』 2000年9月18日にプレイステーション用の3D格闘アクションゲームとして発売。製作はKAZe。システムは1998年に発売された格闘ゲーム『仮面ライダー』(以下「前作」)に準じているが、キャラクター数や隠し要素は増えている。 前作の音声は主に以前収録された音声によるライブラリ出演であったが、同作品の音声は一部を除き新規に収録された。 ストーリーモードは、番組の内容に沿ったストーリーの他、ライダーマンが主役の「ライダーマン編」、1号・2号が主役の「仮面ライダー編」もある。特別編は条件を満たさないとプレイできない隠し要素だが、前作のセーブデータが同じメモリーカードにあれば、最初からプレイできる。声の出演などについては、仮面ライダー (プレイステーション版)を参照。 『仮面ライダー 正義の系譜』 2003年11月27日にPlayStation 2用のアクションアドベンチャーとして発売。制作はバンプレスト。V3とライダーマンが登場し、V3/風見志郎は宮内が声を担当している。 仮面ライダー クライマックスヒーローズ フォーゼ 2011年12月1日にプレイステーション・ポータブルとWii用のヒーローアクションとして発売。製作はエイティング。クライマックスヒーローズシリーズ第4弾より昭和シリーズと共に参加。V3(ライダーマンはアシスト系のみ)が登場。 コンパチヒーローシリーズ 1990年代から発売されているクロスオーバー作品シリーズ。ゲーム機種はそれぞれの作品による。『ウルトラマン』や『ガンダム』と共に共演。『グレイトバトル』シリーズやスポーツなどの作品に登場する。 『仮面ライダーフォーゼ 超バトルDVD 友情のロケットドリルステイツ』 『仮面ライダーフォーゼ』の超バトルDVD(オリジナルDVD)。仮面ライダーV3とライダーマンとデストロン怪人が写真のみ登場。 CS放送 東映チャンネル…1999年9月 - 2000年3月、2001年1月 - 5月、2004年8月 - 2005年2月、2010年9月 - 2011年3月、2012年9月 - 2013年3月、2018年1月 - 2001年の放送時のみ「ミッドナイトアンコール」枠にて、他はいずれも「石ノ森章太郎劇場」枠にて放送。 東映特撮 YouTube Official」…2011年8月1日 - 2012年1月29日、2014年11月29日 - 2015年5月30日 東映特撮ニコニコおふぃしゃる…2016年1月31日 - 2017年1月22日 CRぱちんこ仮面ライダーV3(京楽産業.、2013年) 『S.I.C. HERO SAGA』 「MASKED RIDER V3 & RIDERMAN EDITION -RIDERMAN ANOTHER AFTER-」 本作品の小説作品。 「MASKED RIDER EDITION -仮面ライダー #99-」 『仮面ライダー』の小説作品。『V3』の前日談で、仮面ライダーV3やデストロン怪人が登場。 「MASKED RIDER DEN-O EDITION -1971年4月3日-」 『仮面ライダー電王』の小説作品。仮面ライダーV3とライダーマンが登場。 『仮面ライダーEVE-MASKED RIDER GAIA-』 原作者の漫画作品『仮面ライダー』の続編。仮面ライダーV3とライダーマンが登場。 『KIKAIDER00』 『人造人間キカイダー』から派生した小説作品。V3がゲスト出演。 ^ プロデューサーの平山亨によるプロットでは、瀕死の重傷を負った滝を本郷猛が改造手術を行うというもので、本作品でのV3誕生経緯とほぼ同じものとなっている。その他、3号はアンドロイドとする案も存在した。3号登場案は本作品に先送りとなったが、この案を基にした仮面ライダー3号の登場する漫画が『別冊たのしい幼稚園』1972年10月号に掲載された。 ^ 本作品での4号ライダー登場案でも、平山は滝を4号として登場させる案を検討していた。 ^ お蔵入りになった「仮面ライダー3号」は、2015年に出自などの設定を大幅に変更し、映画『スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号』に登場することとなった。 ^ このほか、『ウルトラライダー』『ライダーA』『新仮面ライダー』『ニュー仮面ライダー』『キングライダー』などの案が存在したとされる。 ^ 第17話・第18話、四国ロケ編の第20話・第21話は初期同様に2体の怪人による前後編である。 ^ 本作品以降の仮面ライダーシリーズでも歴代ライダー客演はしばしばあるが、前作の大幹部たちが復活して勢揃いするのは、仮面ライダーシリーズでは本作品のみである。 ^ 書籍『全怪獣怪人 下巻』では、「城北大学」と記載している。 ^ 書籍『仮面ライダー大全集』では、結託部族への移行は、次作『仮面ライダーX』に登場するGOD機関結成のための時間稼ぎであったと解釈している。 ^ 飛行することで人間の頭部に噛み付く。 ^ 『仮面ライダーストロンガー』において、劇中の肝試し用の小道具や奇械人墓場に流用されている。 ^ ただし、実際のロシア帝国の貴族の爵位は、公爵と伯爵のみで、男爵は存在しない。 ^ その際に左腕を失ったかのような演出がされている。 ^ 書籍によってはイカスミガスと記述している。 ^ 書籍によってはハンマー・チェーンと記述している。 ^ 書籍によってはハサミと記述している。 ^ 書籍『仮面ライダー怪人大全集』では、殺人粉末、書籍『全怪獣怪人大辞典 上巻』では、発火性の毒粉と記述している。 ^ 書籍『全怪獣怪人大辞典 上巻』では、蒸気と記述している。 ^ 書籍によっては溶解液と記述している。 ^ 書籍『全怪獣怪人大辞典 上巻』では、人間腐食白骨化ガスと記述している。 ^ 書籍によっては殺人細菌ガスと記述している。 ^ ツバサ一族登場時の撮影会では、トランポリンを用いた撮影も行われ、飛行能力を強調していた。 ^ 書籍『全怪獣怪人大辞典 上巻』では、捕獲根と記述している。 ^ 書籍によっては粘性の蔦と記述している。 ^ 書籍によってはデストロンガスと記述している。 ^ ヨロイ元帥役の中村文弥は、「ライダーマンはしょっちゅう顎の形が変わった」と証言している。 ^ 書籍『仮面ライダー怪人大全集』では、岡田勝と記述している。 ^ ハリフグアパッチ、ウォーターガントド ^ 書籍『仮面ライダー怪人大全集』では、池田力也と記述している。 ^ カメバズーカ、テレビバエ、イカファイア、マシンガンスネーク、ハンマークラゲ、ナイフアルマジロ、レンズアリ、ピッケルシャーク、ジシャクイノシシ、バーナーコウモリ、ミサイルヤモリ、クサリガマテントウ、ギロチンザウルス、ウォーターガントド、プロペラカブト、ゴキブリスパイク、カマキリメラン、ヒーターゼミ、ワナゲクワガタ、カメラモスキート、カニレーザー、ドクロイノシシ、オニビセイウチ、吸血マンモス、火焔コンドル、コダマムササビ、ドクガーラ、バショウガン、死人コウモリ、ガルマジロン、カタツブラー、カマクビガメ、サイタンク、シーラカンスキッド、オニヒトデ、カメレオン、ザリガーナ ^ イカファイア、ノコギリトカゲ、ドリルモグラ、スプレーネズミ、ドクバリグモ ^ 挿入歌の作詞者「中瀬当一」は阿部の筆名である。 ^ 平山と阿部の共同筆名である。 ^ 書籍『仮面ライダー怪人大全集』では、八代駿と記述している。 ^ 再生ドクダリアン(声 - 沢りつお)、再生シオマネキング(声 - 西崎章治)、再生イモリゲス(声 - 峰恵研)、再生ウニドグマ(声 - 辻村真人) ^ 『仮面ライダー』第4話「人食いサラセニアン」のリメイク。 ^ 『仮面ライダー』第31話「死斗(しとう)!ありくい魔人アリガバリ」のリメイク。 ^ 『仮面ライダー』第3話「怪人さそり男」のリメイク。 ^ 『仮面ライダー』第2話「恐怖蝙蝠男」のリメイク。 ^ 再生オニビセイウチ(声 - 八代駿)、再生バショウガン(声 - 西崎章治)、再生死人コウモリ(声 - 山下啓介)。 ^ オープニング表記は「松田洋二」。 ^ オープニング表記は「高田裕」。 ^ 番組テロップでは「斗え! 仮面ライダーV3」。 ^ 第43・44話までのクレジットは「少年仮面ライダー隊の歌」。 ^ オープニング表記は辻真人。 ^ 第11話のみオープニング表記なし。 ^ オープニング表記は八代駿で、ウォーターガントドと出演回が入れ替わる形で登場。 ^ オープニング表記は沢りつお。ハリフグアパッチと出演回が入れ替わる形で登場。 ^ オープニング表記は山下敬介(山下啓介)。 ^ オープニング表記はスミロドーン ^ オープニング表記は市川治。 ^ オープニング表記は辻村真人。 ^ 第1話 ^ 第2話 ^ 第17話 ^ 第26話 ^ 第32話 ^ 第3話など ^ 仮面ライダー1971-1984 2014, p. 162, 「2章 シリーズ2「仮面ライダーV3」」. ^ a b 仮面ライダー1971-1984 2014, pp. 122-127, 「1章シリーズ1「仮面ライダー1号・2号」」 ^ a b 大全集 1986, pp. 138-139, 「仮面ライダー一号[再改造]」 ^ 仮面ライダー1971-1984 2014, pp. 128-131, 「1章シリーズ1「仮面ライダー1号・2号」幻の3号ライダーが活躍」 ^ 仮面ライダー1971-1984 2014, p. 125, 「新組織の出現」. ^ 仮面ライダー1971-1984 2014, pp. 127、193」. ^ 小松芙未 (2014年12月14日). “仮面ライダー3号が存在した!3・21ドライブと対面!- シネマトゥデイ”. 2014年12月14日閲覧。 ^ a b c d e f 大全集 1986, pp. 140-141, 「仮面ライダー作品展開 仮面ライダーV3・ライダーマン」 ^ a b c 仮面ライダー1971-1984 2014, p. 184, 「仮面ライダーV3制作コンセプト」 ^ a b c 仮面ライダー1971-1984 2014, pp. 180-183, 「V3企画書」 ^ 仮面ライダー1971-1984 2014, p. 185, 「平山亨氏番組制作用ノート3」. ^ 怪人大画報 2016, pp. 168-171, 「仮面ライダーを育てた三賢人II 運営の賢者 阿部征司」. ^ 「仮面ライダーV3」秘話を宮内洋が激白!爆発で島にヒビが入った!! - 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旧:日本高速フェリー時代、当時の東京-宇久井港那智勝浦-高知航路で撮影に使われている。 来島どっく(撮影が行なわれた) 仮面ノリダーV2 - フジテレビ系『とんねるずのみなさんのおかげです』にて放送された、本作品のパロディドラマ。 風見しんご - 芸名の由来は風見志郎から。なお、当初の芸名は「風見慎吾」。 登米市 - 石ノ森章太郎の故郷である登米市中田町石森に新しくできた公園にV3の立像とベルトを模したモニュメント、そして除幕式直後にとった宮内の手形がある。除幕式には宮内のほかに、石森プロと東映の関係者、そして数々の石森特撮番組を手がけた平山亨も参列した。 Kamen Rider V3 Home Page
仮面ライダーV3
仮面ライダーZX
仮面ライダーシリーズ > 仮面ライダーZX 『仮面ライダーZX』(かめんライダーゼクロス)は、1982年(昭和57年)から1984年(昭和59年)まで、主に雑誌にて展開された特撮作品、および作中で主人公が変身するヒーローの名称。「仮面ライダーシリーズ」第8作である。 本作は雑誌連載を中心にラジオやイベントなど様々な形での展開が行われ、仮面ライダーZXを主人公とするテレビシリーズは実現しなかったものの1984年1月のテレビスペシャル『10号誕生!仮面ライダー全員集合!!』での映像化を果たすまで、約1年半続いた。また、「仮面ライダー10号制作委員会」という形でファン有志が意見を提出し、その制作や展開にファンサイドの大きな協力があったことも特徴である。 主に雑誌展開のみという作品の性格上、バンダイは本作の玩具展開を行わなかった。1982年に発売した旧サイクロン・ハリケーン・カブトロー・スカイターボのプルバックゼンマイ式のプラモデルにヘルダイバーも予定されたが、未発売に終わっている。その後、『仮面ライダーBLACK RX』終了後のソフビシリーズとして初めて商品化された。セイカノートからはぬりえやらくがきちょう、アルミ製弁当箱や水筒等も発売されていた。 1981年10月に『仮面ライダースーパー1』が終了した直後、仮面ライダーシリーズの終了を惜しむファングループ有志の主催で、「仮面ライダー復活祭」が開催された。このイベントは、東映大泉撮影所の試写室を会場として、数本のテレビ作品を上映しつつ歴代シリーズの出演者や関係者と語り合う形式のものであり、ビデオソフトが未発売かつ関係者とファンが交流する機会も少なかった当時としては破格の内容だった。その場で、特別ゲストとして招かれていた原作者・石ノ森章太郎はもう一度新しい仮面ライダーを作ることを、ファンに向けて公約する。同席していたプロデューサー・平山亨は各方面に働きかけ、翌日には講談社の『テレビマガジン』の田中利雄編集長が協賛を申し出る。まもなく、徳間書店の『テレビランド』や秋田書店の『冒険王』も加わって各誌連携でグラビア展開を行うことが内定し、日本コロムビアは主題歌製作を、東映営業事業部推進室は造形物の製作を申し出た。 1982年初頭には、平山による仮題『仮面ライダー10号』の企画書がまとめられた。当初からテレビ放映は前提とされず、児童誌でのグラビアで展開する作品であることは決まっており、仮面ライダーや怪人のスーツは東映映像事業部のアトラクションショー扱いで制作された。テレビランドの同年8月号では『10号誕生!その名はZX(ゼクロス)』が公開されるとともに、名称が公募される。同年8月15日にはラジオ番組『オールナイトニッポン』で「仮面ライダースペシャル」が放送され、向ヶ丘遊園で「仮面ライダーゼクロス」という正式名称が発表された。採用者に送られるはずだった賞金100万円は、「ZX(ゼットエックス)」と応募した複数人で分配された。ただし、カナ書きの「ゼクロス」という応募作品は無く、「ゼットエックス」では語呂が悪かったため石森により修正された。また、同日には菅田俊が主演を務めることも発表された。 当初の予定では金子光伸が主演となるはずだったが、金子が役者を辞めて定職に就いたことに安堵していた父親の猛反対にあって頓挫した。そこで『スーパー1』のオーディションで最終選考に残っていた菅田を平山が呼び、出演実現にこぎつけた。菅田はそのオーディションの際に4 - 5時間も待たされたうえ、子供番組を馬鹿にしていると誤解され叱責された挙げ句、帰されるという屈辱的な目に遭っているが、今回は平山の熱意に触れてわだかまりなく出演を引き受けた。なお、パンチパーマ頭という当時の菅田の風体が後年にはインターネットなどで話題に挙がることとなるが、この髪型はヤクザ映画『制覇』の出演直後に本作へ呼ばれたためである。 アクションは、雑誌連載版ではこれまでのテレビシリーズを担当した大野剣友会に代わり、剣友会を退会した高橋一俊率いるビッグアクションが担当した。TVSP版では再び剣友会が担当し、歴代シリーズに携わった多くのメンバーが参加した。 平山による最初期の企画案では成長した仮面ライダーファンを対象にしたハードな内容となっており、10号は改造人間ではなく大型バイクを駆る仮面の男という設定で、巨大企業に家族と恋人を奪われた男の復讐譚であった。復讐譚の要素は完成作品にも活かされている。 かつて地球で猛威を振るったショッカーをはじめとする歴代暗黒組織を裏から操っていた、最強の暗黒組織・バダンが活動を始めた。ブラジルの大学に通っていた大学生・村雨 良(むらさめ りょう)はバダンに囚われて脳以外の99%を改造され、パーフェクトサイボーグとなってしまう。 事故により自我を取り戻した良は処刑されそうになるが辛くも基地から脱出し、自分と同じくバダンに囚われて殺害された姉・村雨 しずかの敵を討つため、バダンの放った怪人たちと戦う。そして、戦いの中で先輩の9人ライダーと出会った良は、仮面ライダー10号に当たる仮面ライダーZX(かめんライダーゼクロス)として迎え入れられる。 村雨 良(むらさめ りょう)/仮面ライダーZX 演:菅田俊 ブラジルの大学に通っていた日本人の青年。姉とのアマゾンへの遊覧飛行中に拉致され、バダンの世界征服実現のために新聞記者の姉を殺され、自分も改造人間にされてしまう。改造後は優秀なバダンの歩兵として活動していたが、事故をきっかけに自我を取り戻し逃走、バダンに復讐を誓う。 しかし先輩ライダーたちとの交流の中で、復讐のためでなく平和のために戦わなければならないことを悟り、正義の戦士・仮面ライダーZXとしてバダンに立ち向かうことを決意する。 海堂 肇(かいどう はじめ) 演:柄沢英二 良の大学の恩師で、良の父の親友でもある生化学研究者。バダンにさらわれる。 一条 ルミ(いちじょう ルミ) 演:三宅友美子 生化学研究家一条博士の一人娘。父をバダンに殺されたため、海堂博士に育てられている。海堂博士とともにバダンにさらわれる。 9人ライダー 歴代仮面ライダーのプロフィールについては以下のリンク先を参照。 仮面ライダー1号 仮面ライダー2号 仮面ライダーV3 ライダーマン 仮面ライダーX 仮面ライダーアマゾン 仮面ライダーストロンガー スカイライダー 仮面ライダースーパー1 村雨良が変身した姿。全身の99パーセントを機械化したパーフェクトサイボーグと設定されている。 歴代ライダーのような体術を駆使した技は少ないが、豊富な特殊能力を活かしたトリッキーな戦法を得意とする。攻撃武器を全身に数多く装備し、撹乱・秘密行動を得意とするため、忍者ライダーの異名も持つ>。また、設定では歴代ライダーより次世代の核融合炉を動力源としており、全身に数十万個のサーボモーターを内蔵しているため、ライダーマンとスーパー1を同時に相手してチェーンの引き合いを行った際には互角以上に渡り合った。 脚部にジェットエンジンを持ち、60メートルのジャンプ力を持つ。完全な飛行能力は持っていないが、このジェットエンジンを使うことによって、ある程度の空中機動が可能である。 変身ポーズは雑誌連載版のものは長くて複雑であったことから、TVSP版では短縮版が用いられた。 デザイン・造形 デザインは仮面ライダーV3をモチーフとしている。前作『仮面ライダースーパー1』で人気を得ていたメカニック性を引き継ぎつつ、ボディは左右非対称というスーパー1までのライダーとは異なる珍しいデザインである。赤を基調とした全身にマフラーと眼が明るい緑、マスクは上半分が赤で3本の黒いモールドが入り、顎部分や胸部から腰部、グローブとブーツ、そしてベルトが銀というカラーリングになっている。 当初のマスクは、マジックミラーになっている口元の最上段で視界を得る形となっていたが、第3回撮影会以降は両目の間に覗き穴が加えられた。テレビスペシャルでのマスクは、雑誌連載でのものとは形状が異なっている。 胸パーツは、アップ用のFRP製と、アクション用のラテックス製が存在した。 十字手裏剣(別名:十方手裏剣) 両肘に装着された手裏剣。体内で高速生成されるために連射も可能。射出時に伸びる刃部分は、ダイヤモンド以上の硬度を持つ。 『仮面ライダー大戦』では、変身前の姿でメガ・リバースマシンを破壊したように見えたが、バダン総統に正体を看破されていたため、すでに入れ替えられたダミーを破壊するだけに留まっている。 電磁ナイフ 左大腿部のスリット内に縮められた状態で格納されている短剣。電磁波により高熱を帯び、高い磁力を持ち、銃弾の軌道をも変えることが可能。十字手裏剣と同様の硬度に鋭い切れ味と発電能力を併せ持っており、刺した相手を高圧電流でさらに圧倒することが可能。 マイクロチェーン 両手の甲のシャッター内に格納されている鉤爪付きの超細スチールワイヤー。ウインチ機能も持っており、最大1トンの物体を牽引することが可能。また、鉤爪部分の破壊力も非常に高く、建物の壁はもちろん怪人の身体を貫き、さらにZX本体からの5万ボルトの高圧電流を流せるほか、ムチのようにも使える。 衝撃集中爆弾 両膝に装着されている特殊爆弾。外見は十字手裏剣と同じデザインだが、刃はない。ZX本体からの指令電波で、爆発の方向や威力を自在に操作することができるため、至近距離から爆発の巻き添えにならずに一撃で怪人を葬り去ることも可能。 虚像投影装置 ベルトの正面バックルに内蔵。自らの立体映像を何もない空間に映し出すことが可能。何体もの同時投影もできるため、撹乱や脱出時に使うことで効力を発揮する。 『仮面ライダー大戦』では、この装置で暗闇大使に化けていた。 煙幕発射装置 両上腕部と大腿部の付け根に内蔵。相手のレーダーやアンテナを撹乱できる煙幕を上腕部スリットから噴出する。虚像投影装置と併せて使うことで、その効力は倍増する。 ZXキック ZX版ライダーキックで、ZXの必殺技。変身ポーズの最初の部分と同じく、左腕を右斜め下、右腕を右斜め上へ伸ばすポーズを空中で取ることで全身が赤く発光し、そのまま敵へ急降下してキックを撃ち込む。 ZXイナズマキック ZXキックの強化版で、ZXの最強技。ZXキックのポーズから赤い雷と共に、破壊力の倍増したキックを撃ち込む。連続で放つ「爆発蹴り」と呼ばれる発展技もあり、ヤマアラシロイドと再生怪人軍団を倒した。 ZXイナズマスカイキック 安土じょう(金山静夫)版『仮面ライダーZX』第6回に登場し、トカゲロイドに対し使用。加速したヘルダイバーからZXジャンプをして、ZXイナズマキックをする技。 ZXパワーキック 安土じょう(金山静夫)版『仮面ライダーZX』第7回に登場し、アメンバロイドに対し使用。 ZXスプリングキック 山田ゴロ版漫画『仮面ライダーZX』第11回に登場し、ヤマアラシロイドに対しその鎗を使って使用。 ZXダブルキック 安土じょう(金山静夫)版『仮面ライダーZX』第2回に登場し、カニロイドとドクガロイドに対し使用。 ZXファイヤーキック 安土じょう(金山静夫)版『仮面ライダーZX』第9回に登場し、バラロイドに対し使用。 ZXパンチ ZX版ライダーパンチ。 ZXジャンプ ZX版ライダージャンプ。 ヘルダイバー 重量:140キログラム 最高時速:600キロメートル バダンの科学班によって開発されたZX専用のバイク型2輪戦闘車。雑誌連載第4回より登場。特殊金属でできた頑強で軽量な車体を誇り、核融合原子力エンジンを搭載しているほか、飛行・水中用にハイドロジェットエンジンも内蔵している。タイヤのトレッドパターンを変える機能も有し、荒れ地の走行から水中航行まで可能。 フロントカウルの両側には、新サイクロン同様にカッターとしても使えるウイング、下部には1秒間に100発もの実弾を連射できるレーザーバルカンが装備されている。資料によっては、バルカンから発射されるのは文字通りレーザー光弾とするものもある(レーザーバルカンはマンガのみの使用。)。 制作関連 デザインは原田吉朗によるもの。デザインは新サイクロン号をモチーフとしている。 ベースマシンは『仮面ライダースーパー1』のブルーバージョン初期型と同じレース用モトクロッサーで、書籍では輸出用のスズキ・ハスラー250と記載している。撮影用車両は1台のみであった。 企画段階では『スーパー1』と同様に高速戦用と重戦用の2台のバイクを使い分ける構想だったほか、バイクを格納できるUFO的な航空機「Trino-invisible」を使用する案も存在した。 特番での良のバイクは、菅田の私物が使用された。こちらもスズキ・ハスラーであるが、排気量は125ccと小ぶりである。 カタナ 『仮面ライダーSPIRITS』にて登場。村雨良が改造前(記憶喪失前)から使用していたオンロードバイク。カタナは愛称で、正式名称は「スズキGSX-750S3」。 素顔で登場した作品は◎を付記。 『仮面ライダーBLACK RX』 声 - 桑原たけし 第41話から第47話(最終回)に登場。サハラ砂漠を中心にアフリカ大陸の北半分をクライシス帝国から守っていた。 地球侵略を阻止するために駆け付けるが、戦闘時は特に目立った活躍はなく、台詞も少なかった。 映画『劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー』 声 - 吉野正裕 初の映画出演となる。ライダーバトルでは仮面ライダー龍騎と戦い、逃げ込んだミラーワールドの鏡を衝撃集中爆弾で破壊するという、忍者ライダーらしい戦い方を見せた。勝敗は明らかにされておらず、龍騎のドラグセイバーによって斬られる映像で終わっている。 終盤には、大ショッカーに苦戦するディケイドを助けるために駆け付ける。 『ネット版 仮面ライダーディケイド オールライダー超スピンオフ』 声 - 野島健児 「クイズ!ディケイドを数えろ!!」のラストに光写真館を訪れ、平成の10号ライダーと認められたディケイド(門矢士)に、同じ「10号ライダー」ということでZXの人形を用いて自身とディケイドの共通点を語るが、門矢士から「一緒にするな!!」と言われてしまった。 映画『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』 歴史改変の影響で存在が消されたが、人々の思いによって復活を果たす。 ショッカーに苦戦する1号、2号、電王、NEW電王、オーズを助けるために他の仮面ライダーたちと共に駆け付け、タイガーロイドと戦っている。 映画『仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦』 終盤で他の仮面ライダーたちやスーパー戦隊たちと共に駆け付け、大ショッカーや大ザンギャックと戦った。 映画『平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊』◎ 地下帝国バダンのメガ・リバース計画を阻止すべく暗闇大使に化け、中盤まで他の仮面ライダーたちの前に姿を現さなかった。敵が真の目的を発動する時に正体を明かすが、バダン総統には見破られていた。その後、変身してバダンと戦い、平成ライダーたちとの最終決戦は同じ10号ライダー繋がりのディケイドと戦った。その後、ディケイドの本心を見透かすような言葉をかけている。 映画『スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号』 ショッカーライダー(歴史が変わったことでショッカーに洗脳された仮面ライダー)として登場。 漫画『仮面ライダー11戦記』 変わり身の術も使用。ガイストライダー戦ではマイクロチェーンを駆使した後、合同技ライダーサザンクロスキックに繋げた。 漫画『宇宙の11 仮面ライダー銀河大戦』 RXを含める他の仮面ライダーたちとともに、マーダー帝国と闘う。 ゲーム『ガイアセイバー ヒーロー最大の作戦』 諜報活動を行うサポート役として登場。 漫画『仮面ライダーSPIRITS』 村枝賢一による本作の漫画。ZX自体の設定には村枝による新解釈がなされており、必殺技も原作の撮影における制約にとらわれないゆえに使い勝手が上がっている(マイクロチェーンの場合、原作では分銅鎖のようだったが本作ではスラスター付きとなっており、敵怪人を貫通する勢いで射出される)。また、それを活かした漫画独自の必殺技も登場する。 第二次世界大戦後、生き残っていたナチス残党が南米で立ち上げた秘密結社。地下都市バダン・シティーを拠点に暗躍する。9人ライダー(1号からスーパー1)の活躍によって壊滅した秘密結社(ショッカーからジンドグマ)を裏で支配していたとされ、その科学力・戦力ともに歴代組織を凌駕する過去最強クラスである。 大幹部・暗闇大使による指揮のもと、時空を超越することでエネルギーと物質を交換し、あらゆる物体を消滅させる時空破断システムを使用し、歴代の秘密結社が成し遂げられなかった世界征服の野望を掲げる。 TVSP版のみ登場。バダン帝国の真の支配者であり、同時に9人ライダーが戦った全ての秘密結社を影で支配していた真の黒幕。 バダン帝国唯一の大幹部。雑誌連載版では第3回より登場。ショッカー大幹部・地獄大使の従弟であり、バックルがバダンの紋章と兜の額部分に角がある事を除いて外見が似ている。演者も地獄大使を演じた潮健児である。 地獄大使を嫌悪しており、劇中で仮面ライダー1号に「おのれ、地獄大使!」と間違えられた際には「地獄大使だと?あんな奴と一緒にするな!」と激怒する一幕を見せた。 強電圧の電磁ムチと左手のカギ爪を武器とする。また、体内には時空破断システムのコントロール装置がある。 サザングロス 雑誌連載第13回に登場。TVSP版では未登場である。サザエの能力を持ったUFOサイボーグ。 暗闇大使の真の姿。通常怪人の10倍の力を誇り、身体の殻にミサイル砲を備える。また、左手の鉤爪や右手の電磁鞭が武器。身体は外殻を外して2段階に変形する。自分自身が時空魔法陣でもある。 劇中未公開の設定 本名は「ガモン」。サンフランシスコのスラム街出身で、サンフランシスコでの幼少時からフランス領インドシナでのゲリラ戦線に至るまで、後の地獄大使である「ダモン」の影武者を務めてきた。しかし、ガモンは常にダモンに利用される立場だったうえ、ゲリラ戦の中で出会った初恋の女性・ミノンさえダモンのほうを愛していた。 有能さを見込まれてショッカーからスカウトを受けたガモンはダモンにも話を持ちかけるが、ゲリラ仲間の裏切りに遭ってミノンともども死亡する。ガモンとダモンはショッカーによって改造人間として蘇生させられるもののミノンまでは生き返らず、ダモンへの反発心が頂点に達したガモンは行方をくらまし、やがてアマゾンの奥地に隠れ潜んだナチス残党と組んでバダンを作り上げる。 暗闇大使となったガモンは、ショッカー大首領が歴代の組織や大幹部を使い捨てていく様子を陰から見つめるうちに、自分が逃げた理由がダモンへの憎悪だけでなく、大首領に関われば破滅すると本能的に感じていたからだと悟る。しかし、結局は大首領の思念から逃れきることができず、「あんな奴と同じにはならんぞ」と思っていた地獄大使と同様の末路をたどることになる。 制作関連 石森によるラフデザインでは新地獄大使という仮名で、双子の弟と記されていた。 スーツは新規造形。 その他の登場作品 細井雄二版漫画『仮面ライダーZX』 地獄大使と軋轢がある様子はなく、彼の最期に「名誉の戦死」という言い方をする。 山田ゴロ版漫画『仮面ライダーZX』 第12回では裏切り者のタイガーロイドを処刑する。第13回では自分自身を時空魔法陣へ変えてその力で空間を自在に操り、何も無い場所から雷や岩を生み出して10人ライダーを苦戦させるが、時空魔法陣の自爆キーで自爆する。なお、時空魔法陣の威力は「銀河系のひとつやふたつあっという間にチリにできる強力なもの」とされている。 安土じょう(金山静夫)版『仮面ライダーZX』 バダンにあっても類を見ない冷酷な人物とされる。第12回ではサザンクロスに変身し、ZXと戦う。ZXイナズマキックが通じないほどの強度を誇り、腕をバズーカや刃物に変えて攻撃する。だが、殻の無い顔の部分を十字手裏剣で攻撃され、敗走する。第14回では変身せずに片腕を電磁ムチのように使い攻撃するが、ZXの攻撃で腕を失い、総統に処分される。 漫画『宇宙の11 仮面ライダー銀河大戦』 マーダー帝国のゴッド将軍の指揮下の再生幹部の1人として登場。デッドライオンや魔神提督と共に、マーダーマシンの2号機へ搭乗する。 ゲーム『SDザ・グレイトバトル 新たなる挑戦』 この作品では地獄大使と対立しておらず、先に悪事に嫌気が差してプレイヤーの味方となった彼が世話になっている礼として、ENを回復してくれる。 『仮面ライダーSD』 グランショッカーの八鬼衆の一人として登場。 『仮面ライダーSD マイティライダーズ』 冷静で部下想い。地獄大使と正反対と言われる。 『仮面ライダーSD 疾風伝説』 最終決戦に登場。地獄大使と共同戦線を張って1号・2号と戦う。 『仮面ライダーSD 出撃!!ライダーマシン』 EPISODE8「MIDNIGHT TOWN」に登場。カジノで立花藤兵衛から借りた金を踏み倒した後、飛行船のようなメカでZXとレース戦を演じる。 映画『平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊』 演 - 菅田俊 『仮面ライダーSD』などのアニメ作品以外では、映像作品での初の客演。外見は『ディケイド』の劇場作品でデザインが一新された地獄大使同様、黒い鎧をまとっている。 何らかの独自の目的で、仮面ライダーが敗北した際に出現するレジェンドライダーロックシードを収集する。実はZX / 村雨良が変装していた姿であったが、バダン総統にはすでに正体を見破られていた。正体を明かした後、収集したレジェンドライダーロックシードと鎧武の力を介して一時的にヘルヘイムの森に避難させていた全ライダーを呼び戻す。 小説『S.I.C. HERO SAGA MASKED RIDER ZX EDITION -ドラゴン・ロード-』 地獄大使に憑依され、無茶な作戦を繰り広げたあげく、宿敵ZXを作らされてしまう。 トラの能力を持ったUFOサイボーグで、ZXに継ぐ優秀なサイボーグ兵士とされている。雑誌連載では第12回に登場。TVSP版では良の親友・三影英介が変身する。 鋭い牙による噛み付きや、背中の大砲タイガーボンバーとベルトの両脇に備えたマシンガンによる銃撃を得意とする。主砲は伸縮可能で、毒ガスを放つこともできる。 背中が弱点で、接近戦を苦手とする。 TVSPでは背中の大砲が0.7秒の連射速度であることをZXに見抜かれ、一瞬の隙を突かれる。 造形はレインボー造型企画の品田冬樹が担当。大砲部分は同社の小松義人が手掛けた。品田は自信作であると語っている。 スーツアクターは、ZXを担当した城谷光俊によれば山口仁が通して担当する予定だったが、TVSP版でZXと絡むシーンだけはその前に山口が捻挫してしまったために急遽、渥美博が担当することとなった。しかし、タイガーロイドを担当した当時の山口は身長が185センチメートルくらいあったため、渥美が担当したタイガーロイドは10センチメートルくらい低くなってしまい、それは映像で見ても分かると思ったという。 その他の登場作品 山田ゴロ版漫画『仮面ライダーZX』 第12回に登場。時空魔法陣を使って昔の科学者や芸術家を蘇らせようとする計画に賛同していたが、それが嘘だと知って組織を裏切り、時空魔法陣の自爆キーをZXに渡したあと、暗闇大使により処刑される。 映画『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』 ショッカーと同盟組織の会議に参加。終盤はZXと戦った。 映画『仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦』 大ショッカーの怪人軍団の一員として登場。 映画『平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊』 声 - 稲田徹 地下帝国バダンの幹部怪人として登場。仮面ライダー抹殺の任を帯びてライダーたちを追撃する。仮面ライダーファイズアクセルフォームの「クリムゾンスマッシュ」を受けて爆死した。 安土じょう(金山静夫)版『仮面ライダーZX』 第11回に登場。クローンロイドを人質に使い、ZXと戦う。 漫画『仮面ライダーSPIRITS』 改造前にインターポール捜査官・三影英介として滝和也とともに立花藤兵衛や城茂(ストロンガー)のもとを訪れ、その際にニードル(ヤマアラシロイド)を通じてバダンと接触。タイガーロイドへの改造後、ZXとともに1号・2号に立ち向かう。 小説『S.I.C. HERO SAGA MASKED RIDER DEN-O EDITION -1971年4月3日-』 ネガタロスによって1971年に連れてこられる。 ゲーム『特撮冒険活劇 スーパーヒーロー烈伝』 科学者を捕え時空破断システムを作り出していたバダンの怪人として登場。三門砲などの技を使用する。最初の対戦ではヒーローたちから上手く逃げるが、バダンニウムの受け取り場所を書いた地図を落としてしまう。 『仮面戦隊ゴライダー』 トーテマが作り出した怪人の一体として登場。モグラロイドやヤマアラシロイドと仮面ライダーエグゼイドと戦うが、アナザーアギト・バロン・マリカが来たことで戦況が一変し、バロンの「スピアビクトリー」で爆死した。 雑誌連載第11回に登場。 雑誌では歴代の悪の組織の再生怪人軍団を率いる怪人軍団長として登場。 全身の針を武器とし、背中の針から生成した槍を使用する。また、口からは毒液を吐く。人間から吸い取った血液を媒介として、過去の悪の組織の怪人を復活させる。 その他の登場作品 登場作品によってはタイガーロイドと並ぶバダンの重要キャラクターとして描かれることがある。 小説『仮面ライダーZX オリジナルストーリー』 この作品では神代地列という人物が変身。 山田ゴロ版漫画『仮面ライダーZX』 第11回に登場。再生された電波人間タックルを使い、変身を封じる。 『平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊』 声 - 鈴村健一 右半身が黒、左半身が赤に塗り分けられた新デザインで登場する。 地下帝国バダン幹部怪人の筆頭格。体毛を矢のように変化させ、対象に向けて高速で飛ばす。地下世界から抜け出したシュウを追い、幹部を率いて地上に現れる。劇中未使用だが、口から毒液を吐くこともできる。 安土じょう(金山静夫)版『仮面ライダーZX』 第10回に登場。プロフェッサーによって作られた最強の改造人間として登場。ZXイナズマキックを受け付けない体とされていたが、守られていない胸を攻撃され、敗北した。 『仮面ライダーSPIRITS』 この作品ではニードルという人物が変身。 『仮面ライダーゴースト』 声 - 宇垣秀成 第24話に登場。『仮面ライダー大戦』時と同じ姿であるがショッカー怪人という設定で、ベルトのバックルもショッカーのものとなっている。骨戦闘員たちを率いて遊園地の観客たちを針で吸い取っていたところ、駆けつけたゴーストに『動物戦隊ジュウオウジャー』の風切大和 / ジュウオウイーグルが加勢したこともあり、彼らに骨戦闘員たちをすべて倒された果てに追い詰められて同時攻撃で倒され、観客たちも元に戻った。なお、ゴーストやイーグルをショッカーへ勧誘するなどのコミカルな立ち回りの果てに敗北する姿は、それを眺めていた元ショッカー怪人・ウルガがショッカーを見限るきっかけになっており、映画『仮面ライダー1号』の前日譚でもあることが示唆されている。 『仮面戦隊ゴライダー』 トーテマが作り出した怪人の1体として登場。タイガーロイドやヤマアラシロイドと仮面ライダーエグゼイドと戦うが、アナザーアギト・バロン・マリカが来たことで戦況が一変し、エグゼイドの「ゲキトツクリティカルストライク」で爆死した。 バダンの科学によって改造された初期型の改造人間。 クモロイド 雑誌連載第2回に登場。TVSP版には未登場。 ハエトリグモの能力を持った強化兵士。巨大な複眼部にはさまざまなメカが内蔵されている。象をも一瞬で殺す猛毒が仕込まれたトゲ付きの糸と腕のカッター爪を武器とし、ジャンプ力も優れている。蜘蛛男のデータを基に製作された。 書籍『仮面ライダー怪人大全集』では、捕獲用の怪人と推測している。 書籍『仮面ライダー大全集』では、『仮面ライダー』の蜘蛛男を意識したものと推測している。 その他の登場作品 細井雄二(秋津わたる)版漫画『仮面ライダーZX』 アマゾン基地の司令長官として登場で、総統から「KR1」とも呼ばれている。良の姉・しずかを殺し、良の怒りをかう。小型のクモを操り、海堂博士とルミを人質にとり、動けば動くほど食い込む「くも糸しばり」や相手のエネルギーを奪う「どくぐもばり」でZXと戦う。 山田ゴロ版漫画『仮面ライダーZX』 ZXの脱走により、地底都市バダンシティを爆破し日本に移動する。小型のクモを操るが、ZXの衝撃集中爆弾に敗れる。 安土じょう(金山静夫)版『仮面ライダーZX』 ZXを追い、日本に現れる。溶解液と腕の刃物を武器として戦う。敗北後の自爆の間際、ZXに対して「JUDO」と呼んでいる。 『仮面ライダーSPIRITS』 この作品では、グィン将軍という人物が変身。ガモン共和国で仮面ライダー2号と戦う。 ドクガロイド 雑誌連載第3回に登場。 飛行能力を持ち、毒鱗粉や催眠術などを武器とする。また、人食い毛虫を操る。暗闇大使とともにZXを襲撃した。 平山によるストーリー原案では女性怪人であった。 その他の登場作品 細井雄二(秋津わたる)版漫画『仮面ライダーZX』 公園などで連続殺人をしていたところをZXに見つかる。 山田ゴロ版漫画『仮面ライダーZX』 ZXと同じくアマゾン基地にいた同僚。人間に毒蛾を寄生させ毒蛾を増やそうと目論む。 安土じょう(金山静夫)版『仮面ライダーZX』 第2回に登場。第1回で小型の蛾を使い良や海堂の様子を見ていた。その後、海堂博士やルミを人質としてZXと対決、片腕を失ったところ、カニロイドの援護に助けられるが、カニロイドともども倒される。 『仮面ライダーSPIRITS』 この作品では、プワゾン(フレイ・ボーヒネン)という人物が変身。スイスでスカイライダーと戦う。 カメレオロイド 雑誌連載第4回に登場。TVSP版には未登場。 槍に変化する長い舌とハサミ状の右手を武器とする。また、体色を変化させる事も可能で、尻尾固めと呼ばれる技もある。320度もある広い視界で、後方からの攻撃も対応できる。 石森によるラフデザインではガメレロイドという名称であった。 その他の登場作品 細井雄二(秋津わたる)版漫画『仮面ライダーZX』 子供を実験に使用し、カメレオロイドと同じ姿に変えてしまう。 山田ゴロ版漫画『仮面ライダーZX』 良の姉・しずかに化ける。 安土じょう(金山静夫)版『仮面ライダーZX』 人間態は少年。はねられたように見せかけ、ルミに連れられ海堂医院内に潜入。 『仮面ライダーSPIRITS』 この作品では、ラ・モールという人物が変身。日本で、組織を脱走した仮面ライダーZXと戦う。 ジゴクロイド 雑誌連載第5回に登場。 蟻地獄の中に潜み、頭部の角で相手に襲いかかる。戦闘時は腕にハサミ型のアタッチメントを装着する。専用のバイクを持ち、ZXのヘルダイバーと対決する。 デザインは最初期に描かれたものと推測されており、石森によるデザイン案には従来の怪人風のものや『人造人間キカイダー』のダークロボットのような大型のものなどが存在した。 その他の登場作品 山田ゴロ版漫画『仮面ライダーZX』 暴走する少年ともどもZXを狙う。 安土じょう(金山静夫)版『仮面ライダーZX』 第4回に登場。良の小学校以来の親友の難波が改造された姿。 『仮面ライダーSPIRITS』 この作品では、暗闇大使の体から作り出されたという設定。日本で、組織を脱走した仮面ライダーZXと戦う。 カマキロイド 雑誌連載第6回に登場。 大鎌や左胸にある毒ガスボンベからの毒ガスを武器とし、手足のバネを用いて樹上から攻撃を行う。右手からのワイヤー・カマキロイド・スパイラルが武器。 その他の登場作品 山田ゴロ版漫画『仮面ライダーZX』 円盤から人間を溶かす雪を降らす作戦を実行。 安土じょう(金山静夫)版『仮面ライダーZX』 第5回に登場。バダンを裏切り、悪魔谷で反陽子砲の実験をする暗闇大使を倒させようとするが、暗闇大使に策を見破られていたため、仕方なくZXと対決する。技は、腕のカマのほかに自分も死ぬ「カマキリスパイラル」 『仮面ライダーSPIRITS』 この作品では、暗闇大使の体から作り出されたという設定。日本で、組織を脱走した仮面ライダーZXと戦う。 バダンの科学によって改造された新型の改造人間で、設定では時空魔法陣で強化されている。 スーツには変形ギミックが導入された。プロデューサーの平山亨はスーツアクターの目を出すことも要望していたが、トカゲロイドとアメンバロイドのみに終わった。造形はレインボー造型企画の新人であった品田冬樹が担当した。 ヤマアラシロイド トカゲロイド 雑誌連載第7回に登場。 元・バダン親衛隊。首を伸ばして口から火炎を吐き、襟巻を巨大化させることで反射板として機能させ、火炎を集中させる。雑誌では再生怪人軍団(カメレオロイド・ジゴクロイド・カマキロイド)を率いる。刃物状の鱗が武器。 その他の登場作品 山田ゴロ版漫画『仮面ライダーZX』 裏切り者始末すると、その場にいたZXと対決する。 安土じょう(金山静夫)版『仮面ライダーZX』 第6回に登場。海堂博士とノーベル賞を競い合った山下博士によって改造された怪人。能力は、高速移動を可能とする「高速装置」。技は火炎放射の「トカゲファイヤー」。 『仮面ライダーSPIRITS』 この作品では、サラマンダーという人物が変身。南米で仮面ライダーアマゾンと戦う。 アメンバロイド 雑誌連載第8回に登場。 ガランダー帝国のゲンゴロウ獣人とネオショッカーのタガメラスを参考にして造られた。腹部の補助足を伸ばすことができ、取り外して武器とすることもできる。足の関節には機関銃やミサイルを装備する。また、口は針状になっており、突き刺すことで人間の体液を吸う。 その他の登場作品 山田ゴロ版漫画『仮面ライダーZX』 第8話に登場。V3に化け、ZXとスーパー1をおびき出す。 安土じょう(金山静夫)版『仮面ライダーZX』 第7回に登場。海堂博士に化け背後からZXを襲う。 『仮面ライダーSPIRITS』 この作品では、アスラという人物が変身。月面で仮面ライダースーパー1と戦う。 タカロイド 雑誌連載第9回に登場。TVSP版では時空破断装置製作用のバダニウム84を運搬する。 ツバサ一族の戦闘データを基に製作された。全長7メートルの翼を装着するギミックを持ち、音速での飛行が可能。爆弾にもなる羽根手裏剣や青龍刀を武器とする。 その他の登場作品 山田ゴロ版漫画『仮面ライダーZX』 第9話に登場。羽根を使い、脱走者やライダーを襲う。 安土じょう(金山静夫)版『仮面ライダーZX』 第8回に登場。クローンロイドを使いZXを罠にはめるが、脱走されそれが基地を探るためのZXの演技だったとわかると、暗闇大使に見放される。 『仮面ライダーSPIRITS』 この作品では、ベガという人物が変身。エジプトで仮面ライダーV3と戦う。 バラロイド 雑誌連載第10回に登場。 人間の血をエネルギーとし、蔓や発狂ガスを武器とする。 花びらを展開した巨大な造形物も制作された。 その他の登場作品 山田ゴロ版漫画『仮面ライダーZX』 第10話に登場。バラやしきでXライダーを捕え、1号とZXをおびき寄せる。 安土じょう(金山静夫)版『仮面ライダーZX』 第8回に登場。ZXやルミをバラやしきに招き、罠にはめる。 『仮面ライダーSPIRITS』 この作品では、ロッサという人物が変身。スペインで仮面ライダーXと戦う。 過去の秘密結社の怪人をコピーしたもの。 カミソリヒトデと獣人大ムカデのスーツはアトラクション用のものを使用しており、偶然残っていたため登場することとなった。 カミソリヒトデ(仮面ライダーV3) - TVSPのみ登場。 ガメレオジン(スカイライダー) - TVSPのみ登場。 カマキリガン(仮面ライダースーパー1) - TVSPのみ登場。 ヤマアラシロイドが怪人軍団長として率いたコピー怪人の怪人軍団。 獣人大ムカデ(仮面ライダーアマゾン) 奇械人カメレオーン(仮面ライダーストロンガー) - 雑誌のみ登場。 クモンジン(スカイライダー) - 雑誌のみ登場。 カガミトカゲ(スカイライダー) - 雑誌のみ登場。 カメレキング(仮面ライダースーパー1) バダンの下級戦闘員。雑誌連載第2回より登場。短剣を武器とする。マスクにドリルのように横に尖った耳が印象的[独自研究?]。白衣を着た者もいる。 過去の作品の戦闘員とは異なり、胸や肩に装甲が付けられているのが特徴である。 その他の登場作品 『平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊』 地下帝国バダンの戦闘員として登場。 『烈車戦隊トッキュウジャーVS仮面ライダー鎧武 春休み合体スペシャル』 『仮面ライダー大戦』のプロローグ的な作品。地下帝国バダンの戦闘員として登場。 『仮面ライダーSPIRITS』 この作品では、小島秀範(ジュクの秀)という人物が、三影に頼みこみバダンの一員になった際の戦闘服として登場。 「ドラゴン・ロード」 作詞:石ノ森章太郎 / 作曲:菊池俊輔 / 編曲:吉村浩二 / 歌:串田アキラ 「FORGET MEMORIE'S」 作詞:八手三郎 / 作曲:菊池俊輔 / 編曲:吉村浩二 / 歌:串田アキラ 2曲ともZXの名前が決まる前に制作・録音されたものであるため、歌詞の中にZXの名前は登場せず、レコードのジャケットにも「仮面ライダー10号」と記されていた。 1982年(昭和57年)8月号から雑誌展開開始。 1982年8月14日、「オールナイトニッポンスペシャル 仮面ライダー10号誕生記念・石森章太郎のオールナイトニッポン」放送。「仮面ライダーZX」のタイトルが発表され、ラジオドラマが放送された。仮面ライダーZX(村雨良)の声は神谷明が演じた。 1982年8月15日、向ヶ丘遊園で「仮面ライダー10号ネーミング発表会」開催。村雨良の変身ポーズが初公開され、串田晃によりイメージソング「ドラゴンロード」も披露された。高橋一俊の殺陣によるステージショーも行われ、9人の歴代仮面ライダー、TV特番には登場しないゴッド破壊工作員やドグマファイター、クモロイドらも登場した。 1982年8月22日、同様のイベントが宝塚ファミリーランドでも開催された。 1983年(昭和58年)9月号で雑誌展開終了。 1984年(昭和59年)1月3日、テレビスペシャル『10号誕生!仮面ライダー全員集合!!』を放映。 1998年、風塵社から『平山亨叢書 仮面ライダーZX』発行。雑誌展開時にバックグラウンドストーリーとして平山が考えていた物語が1冊にまとめられたもの。 『テレビマガジン』『テレビランド』などの雑誌の1982年(昭和57年)7月号にイラスト掲載によるネーミング募集が行われ、各誌の同年8月号から翌年9月号までグラビア写真によるストーリーが掲載された。 村雨良を菅田俊、バダンの大幹部暗闇大使を潮健磁が演じた。当初は名前が決定していなかったため、同年9月号までは「仮面ライダー10号」と紹介された。 第7回と第13回(最終回)の撮影会で9人ライダーが出演し、その他にもV3・スカイライダー・スーパー1が単独で参加している。 新規製作のバダン怪人は、アクションを必要としないために凝った造形のものが多い。そのほか当時現存していたアトラクション用の旧作怪人(クモンジン、奇械人カメレオーンなど)が再生怪人として活用された。 1982年から1983年にかけて、以下の3誌に連載された。2004年に『仮面ライダーZX』のタイトルで1冊にまとめて出版されており、その収録順に説明する。 テレビマガジン版(秋津わたる〈細井雄二〉)1982年8月号から1983年1月号(全6回) テレビランド版(山田ゴロ)1982年8月号から1983年8月号(全13回) 冒険王版(金山静夫〈安土じょう〉)1982年9月号から1983年10月号(全14回) 第1回では、村雨良のバダンからの脱走、姉しずかの死、海堂博士・一条ルミとの合流までが共通して描かれている。バダンについては、南米でUFOを使っていたという点は共通しているが、安土版のみナチスについて言及されていない。 平山亨によると、「仮面ライダー復活祭」の翌日にテレビマガジンの田中編集長(当時)から東映テレビ部に電話があり、その中で「従来通り、3社相乗りで、月に1回の撮影会」と「3誌での連載」を申し込まれた。平山は慌てたが、田中から「石森プロ、渡辺部長、3誌ともOKサインを出している」と言われ、喜んで承諾した。 細井雄二(秋津わたる)版 テレビマガジンで連載。 第1回が細井雄二名義で、第2回以降は秋津わたる名義となっている。第1回は別冊付録に掲載されており、全128頁という厚さだった。第1回が誕生編で、第2回 - 第4回は1話完結、第5回と第6回は前後編となっている。下記の二作と違い、サブタイトルがついている。9人ライダーは、第1回のイメージシーンのみ登場。 暗闇大使は第3回で登場し、「ショッカーの地獄大使の影の存在」と説明されている(第5回では「いとこどうし」とも)。第5回でガラガランダが出現し、第6話で狼男とイカデビルも登場するが、彼らはショッカーの3大幹部ではなくその素体の科学者(マーダー、プラガ、ヘッツァー)だった。「ライダー1号2号を造った最高の頭脳」と自負して「それを生かせる最強の軍団」とバダンを見込み、暗闇大使に共闘を申し入れる。3対1でZXの弱点を突くも敗北し、3怪人は爆発。ZXとバダン(暗闇大使)の決着はつかないまま終わる。 山田ゴロ版 テレビランドで連載。 暗闇大使は第3回から登場、第6話までは1話完結。第7回から9人ライダーが登場し、時空魔方陣を巡ってZXと共闘する。第11回ではタックルが蘇生し、城茂と再会する(作中では「シゲル」)。シゲル以外の8人ライダーは、変身後の姿しか登場しない。 安土じょう(金山静夫)版 冒険王で連載。 連載時は金山静夫名義であったが、単行本では安土じょう名義で記載している。当初は読みきり形式であったが、誌面リニューアルによりページ数が減少し、連続形式に変更された。 暗闇大使は第7回から登場。死んだはずの姉・しずかが第6回から登場するのが特徴。9人ライダーは登場しない。 安土はプロットを読んでドラマとして作り込めると感じ、石ノ森章太郎の漫画版『仮面ライダー』を意識したシリアス路線とした。歴代仮面ライダーの登場については元々考えていなかったとしている。 漫画作品オリジナルの怪人 カニロイド 石ノ森章太郎のラフスケッチに描かれている。 山田ゴロ版漫画『仮面ライダーZX』 第3回に登場。海辺の老人が正体で、化学部隊のカニロイドと名乗る。 安土じょう(金山静夫)版『仮面ライダーZX』 第2回に登場。クモロイドが失敗し、ドクガロイドが作戦に移っている事を知らせる際、シルエットで登場している。その後、ZXと戦うドクガロイドを助けるが、ドクガロイドともども倒される。 漫画『仮面ライダーSPIRITS』 この作品では、暗闇大使の体から作り出されたという設定。日本で、組織を脱走した仮面ライダーZXと戦う。先の山田ゴロ版と同じく人間態は老人。 細井雄二(秋津わたる)版漫画『仮面ライダーZX』 ガラガランダ、イカデビル、オオカミ男 ショッカーの残党(マーダー、プラガ、ヘッツァー)が変身したもの。詳しくは、それぞれの個別記事を参照。 山田ゴロ版漫画『仮面ライダーZX』 先述のカニロイドも登場。 再生岬ユリ子/再生電波人間タックル バダンの時空魔法陣の力で復活した電波人間タックル。 安土じょう版漫画『仮面ライダーZX』 先述のカニロイドも登場。 クローンロイド 死んだはずの良の姉・しずかのクローンを改造したもの。 メカ・デストロイヤー クローンロイドを人質に取る。 各キャラクターの動向については、各客演情報を参照。 『仮面ライダーBLACK RX』 仮面ライダーZXが登場。 『烈車戦隊トッキュウジャーVS仮面ライダー鎧武』 『烈車戦隊トッキュウジャー』と『仮面ライダー鎧武』のテレビスペシャル。コンバットロイドと本作オリジナルのバダン怪人モグラロイドが登場。 『仮面ライダーゴースト』 第24話にヤマアラシロイドが登場。 各キャラクターの動向については、各客演情報を参照。 『劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー』 『仮面ライダーディケイド』の映画作品。仮面ライダーZXが登場。 『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』 『仮面ライダーオーズ/OOO』と『仮面ライダー電王』の映画作品。仮面ライダーZXとタイガーロイドが登場。 『仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦』 仮面ライダーシリーズとスーパー戦隊シリーズの映画作品。仮面ライダーZXとタイガーロイドが登場。 『平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊』 仮面ライダーシリーズの映画作品。村雨良 / 仮面ライダーZX / 暗闇大使、ヤマアラシロイド、タイガーロイド、戦闘員のコンバットロイド、バダン総統が登場。 『スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号』 仮面ライダーシリーズの映画作品。仮面ライダーZXとコンバットロイドが登場。 小説『S.I.C. HERO SAGA』 「MASKED RIDER DEN-O EDITION -1971年4月3日-」 HERO SAGAの『仮面ライダー電王』の小説作品。タイガーロイドが登場。 「MASKED RIDER ZX EDITION -FORGET MEMORIE'S-」 本作の小説作品。 漫画『仮面ライダーSPIRITS』 村枝賢一による本作の漫画。『仮面ライダーZX』を中心に過去の仮面ライダーたちのTVシリーズや設定資料などを元に、オリジナルストーリーを付け加え2001年から連載中。TVシリーズ終了後のライダーたちのストーリーを序章とし、ZX誕生へとつながるストーリーとなっている。「ZX」(ゼクロス)に「最後の者」という意味が設定されている。 『特撮冒険活劇 スーパーヒーロー烈伝』 仮面ライダーZXとタイガーロイドが登場。 『MASKED RIDER LIVE&SHOW 〜十年祭〜』 仮面ライダーZXが登場。 ^ 書籍『仮面ライダー大全集』では、東映側の提案に石森が賛同したと記述している。 ^ TVSP版での名前は村雨しずか。 ^ 資料によってはメカニック忍者と記述している。 ^ 書籍によっては、万力と記述している。 ^ TV特番では短縮されたポーズが使われたため、フルサイズでの変身ポーズはこのイベントのみの公開。 ^ 同時期に、同誌で『かいけつカッコマン』を連載していたため。 ^ 仮面ライダー1971-1984 2014, p. 450. ^ a b c d e f 映画大全集 1993, pp. 110-111, 「MASKED RIDER REALISTIC ALBUM 仮面ライダーZX」 ^ a b c d e f g h i j 大全集 1986, pp. 152-153, 「仮面ライダー作品展開 仮面ライダーZX」 ^ a b 仮面ライダー1971-1984 2014, p. 467, 「10号ライダープロジェクト進行報告」 ^ a b c OFM10 2004, pp. 14 - 15. ^ a b c 全怪獣怪人 下 1990, p. 107 ^ 仮面ライダー1971-1984 2014, pp. 472-473, 「10号ネーミング募集」. ^ a b 仮面ライダー1971-1984 2014, p. 457, 「ネーミング発表会スチール」 ^ 『仮面ライダーアートコレクション ヒーロー編』メディアワークス、2003年7月、p.88。ISBN 4-8402-2373-4 ^ a b 仮面ライダー1971-1984 2014, pp. 476-477, 「ネーミング発表イベント」 ^ 魂II 2003, p. 99. ^ OFM9 2004, pp. 16 - 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[COMPLETE+]』 辰巳出版、2011年4月25日。ISBN 978-4-7778-0905-9。 『仮面ライダー超辞典』 監修:石森プロ・東映、双葉社、2011年7月24日。ISBN 978-4-575-30333-9。 『決定版 オール仮面ライダー&全怪人超百科〈昭和編〉』 講談社、2013年5月24日。ISBN 978-4-06-304836-0。 『仮面ライダー1971-1984 秘蔵写真と初公開資料で蘇る昭和ライダー10人』 講談社 編、講談社、2014年11月20日。ISBN 978-4-06-218566-0。
仮面ライダーZX
ショッカー
仮面ライダーシリーズ > 仮面ライダー > ショッカー ショッカーは、特撮ドラマ『仮面ライダーシリーズ』の作品に登場する架空の組織である。本項では、同シリーズの中で「ショッカー」の名称を持つ組織や、2013年に立ち上げられた「ショッカープロジェクト」についても記述する。 『仮面ライダー』テレビシリーズ第1話 - 第79話に登場した、世界征服を企む謎の国際的秘密組織。 蜘蛛男やサボテグロンやキノコモルグなど、力や体力に優れた人間に改動植物や果ては菌類の能力を移植して洗脳した怪人を中心に構成されており、彼らを正体不明の首領が指揮して世界各地でさまざまな犯罪や破壊工作を行っている。ナチス・ドイツの人体改造技術や人材を多く受け継いだ残党組織でもあり、世界各地に支部を持つ。 首領の所在と姿は秘密になっており、各ショッカー基地においてシンボルである鷲のレリーフから声で指令を発している。その際は首領の声に合わせ、レリーフ上のランプが点滅する。第34話では、首領の所在地がアンデス山中であるらしいことが示唆されている。初期は首領自身がショッカーと呼ばれていた。 当初、ショッカー日本支部では怪人が「幹部」として直接に首領の命令を受け、配下の戦闘員とともに作戦行動を行っていた。死神カメレオンやサボテグロンのように指揮能力や作戦立案能力に秀でた指揮官型の怪人や、トカゲロンやサボテグロンなど組織内での地位の高さをうかがわせる怪人も存在していたが、ゾル大佐が日本支部指揮官として着任して以降は、ショッカー日本支部の作戦は首領の信任を受けた大幹部が怪人や戦闘員を指揮して実行していくことになる。 しかし、数々の作戦を仮面ライダー1号・2号にことごとく阻止され、ゾル大佐、死神博士、地獄大使といった名だたる大幹部たちも次々に倒される。これを受け、首領が地獄大使の死亡後にアジトを爆破してショッカーを放棄したため、ショッカーは事実上の壊滅を迎える。しかし、首領はショッカーに代わる新組織「ゲルショッカー」を密かに準備していた。 二次作品や後発の作品では世界観が異なるため、設定にも相違点が見られるが、「首領」などの首謀者を頂点とし、主に改造された怪人や戦闘員が所属していることが共通している。 創作経緯 ショッカーの存在は、『仮面ライダー』の最初期企画『マスクマンK』の時点で設定されていたが、敵組織は1クールごとに入れ替わるという想定であった。 続く企画案『仮面天使(マスク・エンジェル)』では悪徳事業家・石神大造が悪役となっていたが、その後『十字仮面(クロスファイヤー)』にて再びショッカーが敵役に設定され、石神の要素を引き継いだクロード黒原が登場していた。さらに伊上勝による検討脚本「怪奇蜘蛛男」で組織の尖兵となる改造人間が登場した。 漫画『スカルマン』を下敷きとした『仮面ライダースカルマン』で、首領や幹部が姿を見せず闇のベールに包まれた組織というイメージが加味され、完成作品に至った。 ショッカー首領 声:納谷悟朗 ショッカーを組織した存在。普段は多く基地のレリーフから声で大幹部や怪人たちに命令を送っている。 大幹部(ショッカー日本支部長) 大幹部の設定は劇中ではあまり描かれず、書籍などの設定によるものが多い。また、書籍によっては前身の設定が異なるものがある。 ゾル大佐 演 - 宮口二郎 第26話以降登場。ショッカー日本支部初代大幹部。 死神博士 演 - 天本英世 第40話以降登場。ショッカー日本支部2代目大幹部。 地獄大使 演 - 潮健児 第53話以降登場。ショッカー日本支部3代目大幹部。 怪人 人間と動物や植物を併せたような改造人間(例外となる個体も存在する)。 ショッカー戦闘員 怪人の配下で作戦の実行にあたる最下級の構成員。現場で作戦行動や仮面ライダーへの集団攻撃、怪人の戦とう補助を、ほぼ毎回担当している。 ゲストキャラクターを改造したショッカー怪人については、ショッカー怪人を参照。 幹部 大幹部・最高幹部のゾル大佐・死神博士・地獄大使については、それぞれの記事を参照。 ゾル大佐が日本支部に着任する以前は、大幹部ほどの実権を持たない下級幹部が首領を補佐して怪人を指揮することがあった。また、ゾル大佐が着任して大幹部が日本支部の指揮を執るようになってからも、下級幹部が現場指揮や作戦の立案に当たるケースがある。 マヤ 演 - 真理アンヌ 第16話・第17話に登場。ピラザウルスの改造と作戦指揮を担当する。バスの乗客に紛れてピラザウルスの実験に立ち会うが実験は失敗し、新たな改造素材としてプロレスラーの草鹿昇を誘拐する。草鹿に対して毎朝新聞の記者を名乗ってカメラに仕込んだ毒矢を使うが、このカメラを持っていたことによって一文字隼人に正体を知られることとなる。プロレスの試合に覆面レスラーとしてピラザウルスを送り込み、自らも会場で作戦を指揮するが、最期はボディーガードの戦闘員たちが会場から逃げ出す観客たちの対応に追われている隙を衝かれ、マリたちにガスマスクを無理矢理外され会場内に突き飛ばされ、ピラザウルスが仮面ライダーを倒すために噴射した毒ガス「死の霧」に巻き込まれて死亡する。 軍服姿の幹部 演 - 飯塚実 第34話に登場。日本列島分断計画に使用する核爆弾を輸送する。仮面ライダー2号の妨害にあい、ガマギラーとともにセスナ機で逃亡しようとするが、ライダージャンプによってセスナ機ごと爆死する。 日本以外の支部長・幹部 メキシコ支部の幹部であるサボテグロンについては、該当記事を参照。 狼作戦に参加した幹部たち 演 - エンベル・アルテンパイほか 第39話に登場。ゾル大佐が「狼作戦」を記念するパーティーと称して各国支部から招集した中堅幹部たちで、いずれも軍服姿である。パーティー時は赤い覆面を着用している。そのうち1人は、FBIが解読した暗号通信から来日情報を知られ、ヘリで飛来したところを待ち伏せていた一文字隼人と滝和也に襲われ、ヘリで逃走するも隼人に気絶させられ墜落する。パーティーそのものはゾル大佐が隼人らを誘き寄せるための罠であったが、隼人が仕掛けた時限爆弾で、アジトもろとも全滅する。 モハメッド 演 - ウィリー・ドーシー ショッカーモロッコ支部長。第67話に登場。 ハンフリー ショッカージブラルタル支部長。第67話に登場。 ヤン 演 - A・モロズ ショッカーシンガポール支部長。第67話に登場。 チャン・フォーティ ショッカー香港支部長。第67話に登場。 科学者 死神博士・科学者戦闘員については、それぞれの記事を参照。 ハインリッヒ博士 演 - A・ウンガン / 声 - 市川治 第6話・第7話に登場。ナチスの鉄箱の開け方を知っており、カメレオン男と共にナチスの財宝を探る一方、仮面ライダーの弱点を突き止めてライダー殺しの罠を張る。元ナチスの老科学者。 綾小路律子(あやのこうじりつこ) 演 - 新井茂子 第10話に登場。コブラ男の再改造を担当する生物学者。綾小路生物研究所で犬猫を高値で買い取り、コブラ男の復活に必要な動物の血液を集め、持ち込んだ人間も戦闘員の素材として捕らえる。研究所を探っていた古賀刑事を捕らえ、他の捕虜とともに改造コブラ男に処刑させようとするが仮面ライダーに妨害され、改造コブラ男の誤射した火炎を受けて顔に火傷を負う。アジトに戻り改造コブラ男を叱責するが、大首領から見限られ改造コブラ男によって処刑される。 峰信太郎(みねしんたろう) 演 - 佐々木功 第81話に登場。ゲルショッカーに捕らわれていたショッカー科学者の1人。1年前に伝染病の研究のために南米に渡り行方不明になっていた。 ショッカー科学者を解放するというブラック将軍を訝しみ、サソリトカゲスの酸欠ガスで処刑されそうになるが事前に隠し持っていたガスマスクで難を逃れ、逃亡する。その間にガニコウモルと相打ちになった本郷猛を助けており、本郷が峰医院を襲ったサソリトカゲスから妻を助けた後、少年仮面ライダー隊本部に身を寄せる。 怪人トレーナー 第68話でイカデビルのトレーナーとなった立花藤兵衛については、該当記事を参照。 ハリケーン・ジョー 演 - 原田力 第16話・第17話に登場。ショッカー怪人軍団のトレーナーだが、改造人間ではない。マヤの護衛やサタンマスクの影武者も務める。2号がマヤを追跡してきた際やピラザウルスと戦っている際に2号と戦っている。サタンマスクに扮して隼人を陽動し戦うが、滝に正体を暴かれる。滝とも戦いを挑もうとする場面でカットされるが、その勝敗は最後まで描かれていない。 熊木(くまき) 演 - 高木二朗 第68話に登場。藤兵衛の旧友。マスク無し、ショッカーベルト装着の黄色い骨マークに青い全身タイツ、黒のグローブにブーツといった骨戦とう員の制服姿で現れた。ショッカー怪人イカデビルのトレーナーを務めており、藤兵衛に協力を求める。ショッカーを裏切って藤兵衛を逃し、共に脱走しようとするが、戦闘員によって刺殺され死亡する。 毒ガス兵器 使用頻度が高い。 ジャーマンガス 第4話に登場。ナチスが使用したとされる毒ガス。サラセニアン配下の戦闘員を追う本郷猛に使用された。書籍『仮面ライダーSPIRITS 超絶黙示録』では第52話のデッドマンガスと同種の化学兵器とみなされている。 デッドマンガス 第52話に登場。ギルカラスが使用するガンマGを含んだ毒ガス。人間同士を殺しあわせる効果のほか改造人間の機能を低下させる効果を持つ。 書籍『仮面ライダーSPIRITS 超絶黙示録』では第4話のジャーマンガスと同種の化学兵器とみなされている。 アンドロガス 第67話に登場。改造人間の機能を低下させる効果を持ち、改造人間の肉体組織を破壊させる効果を持つ赤いガス。ショッカー世界会議で、出席者の代わりに置かれたライダー破壊人形から放出され、1号を苦しめた。またライダー破壊人形の1体には98話に登場するショッカー首領と同じ赤い頭巾と赤いマントが着用されている。 細菌兵器 蝙蝠男のビールス(新型ビールス) 第2話に登場。蝙蝠男が使用したビールス。人間に噛みつくことで注入されると、隈取りのような模様が浮かび上がり、対象を自在に操ることが可能となる。翼の爪から血清が分泌され、それを使うしか治療することができない。 アマゾンの呪い 第31話に登場。アリガバリの体内に保有されている細菌。伝染性があり、耐性がない人間は溶かされ、耐性がある人間はアリガバリに操られる。培養のために蟻を食べ続けなければならない。 ウルフビールス 第39話に登場。 爆弾 核爆弾を作る能力も持っている。 メキシコの花 第15話に登場。サボテグロンが使用するサボテン型の爆弾。見た目はサボテンと変わらないが、トゲそのものが鋭敏な信管となっており、これに触れたものは爆発してしまう。 信管のスイッチはサボテグロン自身のコントロールによる操作が可能で、サボテグロンは爆破の成功を「メキシコの花が散った」と称する。ショッカーの日本支部の地下アジトに大量に運び込まれたが、サボテグロンの自爆によって、アジトごと爆破してしまう。 自動小銃 ショッカーが独自に開発。 190型自動小銃 第27話で紹介。有効射程距離1500m・24連発。 205型自動小銃 第27話で紹介。有効射程距離2000m・32連発。赤外線スコープ付き。 特殊感覚装置 第8話に登場。影村メガネで販売された眼鏡に、この装置が付けられていた。蜂女の背中の羽根から放たれる催眠音波を受信し、装置が搭載されている特殊眼鏡を装着したものを操る。 特殊眼鏡 耳のフレーム部分で蜂女の指令を受信し、レンズ部分に蜂女の姿が映し出される。このメガネを装着すると取り外すことができず、蜂女によって毒ガス工場へと導かれる。 仮に工場を脱出し、眼鏡を外しても工場の場所を思い出させないために、一時的な記憶喪失状態になる様仕掛けられている。 特殊イヤリング 音波のみで対象を操り、ルリ子を操った。 コバルト120 第59話に登場。コバルト60の10倍以上の放射能を持つ放射性物質。ミミズ男の放射能作戦のために日本に持ち込まれたが、移送中の事故により紛失してしまう。 ショッカー潜水艦 第59話ではコバルト120の輸送に使用。 死神博士専用潜水艦 第61話では死神博士が日本に訪れる際に使用。艦橋部の砲門からは自衛隊機を一発で木っ端微塵にするロケット弾を撃ち出す大砲を装備している。 輸送機 第62話と第78話に登場。 電波攪乱装置 第71話に登場。全ての電波の周波数に対応しており、あらゆる通信網を妨害し、都合の良いように操作して大混乱させようとした。 支部 日本支部 歴代支部長は、ゾル大佐・死神博士・地獄大使。 メキシコ支部 サボテグロンやアブゴメスがいたとされる海外支部。 中近東支部 ゾル大佐や毒サソリ男がいたとされる海外支部。 スイス支部 死神博士やスノーマンがいたとされる海外支部。 東南アジア支部 地獄大使がいたとされる海外支部。 ニューギニア支部 ドクダリアンの元となった人喰い花があった海外支部。 エジプト支部 エジプタスのミイラがあった海外支部。 アフリカ支部 イソギンチャックやサイギャングがいたとされる海外支部。 南米支部 死神博士が派遣され、ナマズギラーやモスキラスがいたとされる海外支部。 モロッコ支部、ジブラルタル支部、シンガポール支部、香港支部 第68話の会議に支部長が登場。書籍『仮面ライダー 悪の系譜』では会議自体がショッカーの罠だったため、実在が疑われている。 アジト 初期のアジトは各怪人ごとにモチーフとなった動植物などの図柄が描かれている。後期のアジトは2階建てとなり、赤と黒を基調とした内装である。 初期のセットはエキスプロダクションの三上陸男によるもので、毎回の図柄は高橋章が描いていた。予算が少ないためSF的なイメージを追求することは避けられ、ショッカーレリーフを中心に舞台的なイメージで構成している。このことが結果的にショッカーの呪術的イメージを強調することとなった。 後期のセットは映画『仮面ライダー対ショッカー』で用意され、映画と並行して撮影された第46話で先行登場し、第5クール以降に用いられた。後期のセットで怪人ごとの図柄がなくなった理由について、エキスプロダクションの八木功は「手が回らなくなったため」と証言している。高橋は2階建てにしたのは失敗であったと述べており、監督の山田稔からも意味がないと指摘されていたという。 「アジト」という呼称は当時活動していた極左暴力集団の影響によるものである。 琵琶湖 第6話に登場。 霧が岳・天狗岩付近 第18話に登場。 室蘭半島沖 第19話に登場。海底にアジトがある。 富士山麓・本杉山 第20話に登場。 千葉県滑川アイランド 第61話に登場。 東京天文台 第68話に登場。地下に改造人間のトレーニングセンターがある。 施設 第18話ではミサイル基地・第73話では海底都市・第77話では地下秘密飛行場を作る計画があったが、仮面ライダーの活躍によって計画は失敗。 秘密飛行場 第34話に登場。 「ショッカーの野望」 - 「レッツゴー!!ライダーキック」のアレンジ曲。 「オー!ショッカー」 『仮面ライダー』第71話と第92話で使用。 作詞:田中守 / 作曲・編曲:菊池俊輔 / 歌:幹和之、サニー・シンガーズ 「悪魔のショッカー」 『全員集合!7人の仮面ライダー!!』で使用。 作詞:伊上勝 / 作曲・編曲:菊池俊輔 / 歌:サニー・シンガーズ 「秘密結社 ショッカー」 石森章太郎(石ノ森章太郎)の作品でのショッカー。 『仮面ライダー』 『週刊ぼくらマガジン』及び『週刊少年マガジン』で連載。日本政府にもつながりを持つなど巨大な組織を思わせるが組織構造は不明。一文字(仮面ライダー)がテレビで『仮面ライダー』を見るシーンが登場する。 ビッグマシン 声 - 渡部猛(まんがビデオ) 原作漫画『仮面ライダー』での幹部クラスのキャラクター。「大幹部」という呼称は登場しないが、ビッグマシンの指揮した作戦に近いものを『仮面ライダー対じごく大使』で地獄大使が指揮している。 『たのしい幼稚園』『ディズニーランド』版 比較的テレビに近いストーリーだが、『たのしい幼稚園』版にはモゲラマンやディプロカウルスなどオリジナル怪人も登場。 絵コンテ漫画『仮面ライダー』 古代遺跡の発掘や古代文明(オーバーテクノロジー)の研究を行う組織とされているが、詳細は不明。古代遺跡を発掘しオーバーテクノロジーを手に入れようとする。風谷(仮面ライダー)がテレビで『仮面ライダー』を見るシーンが登場する。 首領はラストで巨大な光源のように描かれ、主人公から「総統(ボス)」と呼ばれるのみ。 ブロッケン・ハイム 絵コンテ漫画『仮面ライダー』での幹部クラスのキャラクター。 重力制御装置 絵コンテ漫画『仮面ライダー』で登場する巨大兵器。 『キミは仮面ライダーをみたか?!』 フリーメーソンの流れを汲む組織とされている。首領としてショッカーボスという大人の声を持つ少年が描かれている。 雁狩先生 『キミは仮面ライダーをみたか?!』での幹部キャラクター。ショッカー日本支部首領とされている。 鉄面教授 『キミは仮面ライダーをみたか?!』での幹部キャラクター。ショッカー日本支部Aプロジェクト幹部とされている。 石川森彦の漫画作品 「石川宜彦(石川のりひこ)」「石川巨人」などの名義で掲載。基本的にはテレビシリーズに近い設定となっているが、クワガッターやスカラベなどのオリジナル怪人も登場。 すがやみつるの漫画作品 基本的にはテレビシリーズに近い設定となっている。 山田ゴロの漫画作品 活躍を見せるのは「仮面ライダー誕生!!」と「戦えWライダー!!」のみ。ただし、「力とわざのV3登場!!」ではゲルショッカーとともにドクトルGの口から名前のみ登場。 細井雄二(秋津わたる)の漫画作品 科学者 『テレビマガジン』版『仮面ライダーZX』に登場。ショッカー残党の科学者3人。 マーダー/ガラガランダ プラガ/イカデビル ヘッツァー/狼男 村枝賢一の漫画作品 『仮面ライダーSPIRITS』 過去の組織として名前が登場。その後、BADAN配下の再生組織として登場。主に東京都を含む関東地方に出現し、首都の奪還を目的としている。この他、Xライダー救出のために1号と2号が要塞サザンクロスに潜入した際にもモスキラスとシオマネキングが地獄大使に率いられて登場しており、これまでの再生怪人と一味違うことを知らしめた。 『新 仮面ライダーSPIRITS』 『仮面ライダーSPIRITS』の続編。本編以前を描いた番外編(一文字隼人が改造される経緯を描いた作品)に登場。 本編では前作同様、再生組織として登場。1号と再生怪人軍団が相見えた後、第6話でダブルライダーと交戦。その後、デルザー軍団の活動が本格化した一方、岩石男爵を撃破した1号を時空魔法陣により海底のショッカー基地に召喚し、追跡してきたZXや五郎と交戦している。 ショッカー基地が海面に浮上すると、地獄大使配下の怪人軍団と暗闇大使の操る怪人軍団が入り乱れる乱戦となり、最終的に地獄大使(ガラガランダ)が暗闇大使の手に掛かり死亡。その後、ゾル大佐(狼男)と死神博士(イカデビル)もライダー1号・2号の「ライダーパンチ」「ライダーきりもみシュート」の連携によって撃破され、組織は再び壊滅した。 柴田ヨクサルの漫画作品 『東島丹三郎は仮面ライダーになりたい』という作品で登場。当初は、仮面ライダーがテレビ番組と放送された世界に、「偽ショッカー」が登場していたが、次第にその世界には「ショッカー」が実在することが明らかになっていく。 正式名称は、「Sacred Hegemony Of Cycle Kindred Evolutional Realm」。 戦闘員は「戦斗員」とも表記され、ガスマスクを付けており、科学班員はその上から黄色い防護服を着用している。怪人は通常は人間の姿で社会に潜伏し、任務遂行時に変身する。また、変身後の姿は仮面ライダーと同様に、各人専用の戦闘服と仮面を身に付けた状態として扱われている。 『THE NEXT』に登場する怪人は『仮面ライダーV3』に登場するデストロン怪人のリメイクであるため、「身体(戦闘服)と一体化した武器を持つ」というデストロン怪人の特徴を持っている。 首領・幹部 『仮面ライダー THE FIRST』では、若い男女のショッカー幹部(演:辺土名一茶、佐田真由美)のほか、『仮面ライダー』の死神博士の映像を流用する形で天本英世の映像が使用されている(声は丸山詠二による吹き替え)。 『仮面ライダー THE NEXT』では、先の3人の幹部は登場せず、ショッカー首領から指令が送られている。ショッカーライダーの投入により、戦闘員が戦闘に参加する機会は激減している。 大ショッカーやスペースショッカーなどの複合組織は下記参照。ショッカー戦闘員の詳細については、ショッカー戦闘員を参照。 『仮面ライダーオーズ/OOO』 鴻上光生が企画した映画『仮面ライダーオーズ対ショッカー』(劇中劇)の敵組織としても登場しており、こちらは火野映司を仮面ライダーに改造した悪の組織という設定になっている。 『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』 デンライナーに乗って2011年から来たアンクが落としたセルメダルをブラック将軍が回収する。作品中ではこれが原因で、その後における『仮面ライダーシリーズ』の歴史が大幅に変わってしまった。メダルを研究することでショッカーグリードの誕生に成功したショッカーは1号・2号を敗北させ、勢力を拡大する。歴史が変わった後の2011年では歴代の悪の軍団と結託し、世界中を支配する最大の悪の勢力となっている。 首領 ショッカー首領/岩石大首領 大幹部 ブラック将軍/ヒルカメレオン 各組織大使 『スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号』 ゲルショッカーに交代することなく1973年2月10日(『仮面ライダー』最終話の本放送日)まで存続していた。1号・2号に壊滅させられたが、その直後にショッカー戦士・仮面ライダー3号が現れて1号・2号を倒してしまう。作品中ではこれが原因で歴史が大幅に狂い、歴史が変わった後の2015年ではショッカーが世界中を支配している。スピンオフ作品『仮面ライダー4号』では3号から連なる新たなショッカー戦士・仮面ライダー4号が誕生することとなる。 首領 ショッカー首領 ライダーロボ(『仮面ライダー3号』) もう一人の乾巧/仮面ライダーファイズ(シグナルレジェンド)(『仮面ライダー4号』) 大幹部 ディー博士(『手裏剣戦隊ニンニンジャーVS仮面ライダードライブ』) ブラック将軍 / ヒルカメレオン / 立花 藤兵衛(たちばな とうべえ) 追田 現八郎(おった げんぱちろう) / チーターカタツムリ 『仮面ライダー1号』 この作品では、テレビシリーズにおいてショッカー首領が倒されて以降も残党が世界各地で悪事を働いており、半世紀近くに渡って仮面ライダー1号 / 本郷猛と戦い続けているという設定になっている。#ノバショッカーも参照。 幹部 地獄大使以外の幹部や首領については劇中触れられていない。 地獄大使(演:大杉漣) 『仮面ライダー×スーパー戦隊 超スーパーヒーロー大戦』 現実世界で倒されたが、ゲーム世界に生きていた怪人たち。 首領 ショッカー首領三世 / 大蜘蛛大首領 幹部 『仮面ライダー 1971-1973』 原作漫画同様、日本政府にもつながりを持つ。 「G素体」と呼ばれるゲルショッカー怪人に相当する怪人や「Dチーム」と呼ばれるデストロン怪人に相当する怪人も登場する。 完結編『流星1973』では、ショッカーとは別にGOD機関の「アポロ」という幹部が登場している。 幹部 「大使」 / 田中一郎 「大佐」 / フランツ・フェルディナンド 「博士」 「将軍」 「蛇姫」 / 楠木美代子 御子柴徹 『S.I.C. HERO SAGA』 MASKED RIDER EDITION -Missing Link- - 仮面ライダー2号の誕生を描いた作品。 MASKED RIDER EDITION SPECIAL EPISODE -脱出- - 仮面ライダー1号の誕生を描いた作品。 MASKED RIDER EDITION -ここより永遠に- - 仮面ライダー1号が首領の正体に近づこうとする作品。 MASKED RIDER DEN-O EDITION -1971年4月3日- - 仮面ライダー1号の誕生を描いた作品。『仮面ライダー電王』とのクロスオーバー作品。 『仮面ライダーEVE-MASKED RIDER GAIA-』 漫画『仮面ライダー』の続編。ショッカー、そして、それに続くデストロンなどの後続組織はすでに壊滅している。 『仮面ライダーSD』およびコンパチヒーローシリーズは下記参照。 『仮面ライダー 正義の系譜』 1972年や『仮面ライダーV3』『仮面ライダーBLACK』『仮面ライダーアギト』それぞれの時代に、ショッカーやゲルショッカーの幹部・怪人が蘇っている。 ショッカーの名を冠したグランショッカーが登場するが、関係性が示されたのは下の例のみ(あとは、原作でのショッカーのメンバーが所属している程度)。 『仮面ライダーSD 疾風伝説』 グランショッカーの前身となる組織。1号の戦った過去の組織として名称のみ登場。1号とショッカーの戦いはビッグウォーと呼ばれ、重力兵器が使用された結果、世界は荒廃し1号もかなりのダメージをおってしまう。 『仮面ライダーSD マイティライダーズ』 魔神大首領こと死神博士がかつてのショッカー幹部とされる。1号・2号との戦いがどういった顛末を迎えたか、グランショッカーの創設経緯は明らかになっていない。 コンパチヒーローシリーズは、主に特撮版(テレビシリーズ)『仮面ライダー』での構成を元にしているため、『仮面ライダー』での幹部の誰か(主に地獄大使)がメンバーに含まれている。 #ショッカーイーグルスも参照。 『ヒーロー戦記 プロジェクト オリュンポス』 コンパチシリーズの作品。ゾル大佐と死神博士と地獄大使が在籍。 ショッカー壊滅後、ネオ・ショッカーが登場。「新たなショッカー」という意味でこの名が用いられており、『スカイライダー』のネオショッカーとは異なり、ショッカーの残党や死神博士が組織したものとなっているなど、ショッカーとの関係性が明確化されている。 デストロン・GOD機関・ゲドン・デルザー軍団がほぼ同時期に出現し、バダンとネオ・ショッカーが敵対関係にあるなどテレビシリーズの組織の関係性とは異なる。 『ガイアセイバー ヒーロー最大の作戦』 コンパチシリーズの作品。地獄大使と暗闇大使が在籍。マシーン大元帥が最高幹部であり、首領はゲームオリジナル怪人のエージェント。 『スーパーヒーロー作戦 ダイダルの野望』 コンパチシリーズの作品ではなく関連作品。死神博士と地獄大使が在籍。首領の正体は異世界より現れた真帝国ダイダルの帝王ダイダス。 本作では、死神博士がプロフェッサーKとなって犯罪組織テンタクルを率いるなど、仮面ライダーシリーズ以外の組織との関係も描かれている。 このほか、本来はゲルショッカーに所属するブラック将軍やショッカーライダーが登場。ブラック将軍はショッカー壊滅後、最終章でゲルショッカーを率いて仮面ライダーと戦った。 『特撮冒険活劇 スーパーヒーロー烈伝』 コンパチシリーズの作品ではなく関連作品。ゾル大佐と死神博士と地獄大使が在籍。 『仮面ライダーZX』のバダンに暗闇大使ではなく、地獄大使が在籍するなどの差異がみられる。 『仮面ライダー』の舞台版となる『仮面ライダー 戦闘員日記』『仮面ライダー 戦闘員日記2』に登場。タイトルの通り、戦闘員を主人公にしたスピンオフ作品。 新潟支部や東京総本部などの都道府県ごとに支部がわかれている。 大幹部 ドクトルG 演 - 千波丈太郎 『戦闘員日記』に登場。 ドクトルC 演 - 千波丈太郎 『戦闘員日記2』に登場。新潟支部の大幹部。 ドクトル 演 - 千波丈太郎 『戦闘員日記2』に登場。東京総本部の大幹部。 戦闘員 詳しくはショッカー戦闘員を参照。 戦闘員15号 - 『戦闘員日記』に登場。 戦闘員48号 - 『戦闘員日記』『戦闘員日記2』に登場。 長老(演 - 中屋敷哲也) - 『戦闘員日記2』に登場。 ゲルショッカー 『仮面ライダー』第80話より登場するショッカーの後継組織。 大幹部のブラック将軍や関係者のD博士は、平成仮面ライダーシリーズではショッカーの大幹部として登場。 デストロン 『仮面ライダーV3』における敵組織。ゲルショッカー同様、ショッカー首領が作り上げた組織。 大幹部のドクトルGは、舞台版『戦闘員日記』ではショッカーの大幹部として登場。 デルザー軍団 『仮面ライダーストロンガー』における敵組織。岩石大首領がショッカーやゲルショッカーやデストロンなどデルザー軍団までの組織を統率していたことが明かされる。『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』ではショッカー首領と岩石大首領が同一の存在として扱われている。 ネオショッカー 『スカイライダー』における敵組織。ショッカーとの組織的なつながりは不明で、後にバダンがその関係を間接的に示唆した程度。 バダン帝国 『仮面ライダーZX』における敵組織。ナチス残党が最初に組織した暗黒組織で、このバダン帝国こそがジンドグマまでの歴代組織を統率していた上部組織であることが明かされる。 バダン総統は歴代の全ての組織を裏で操っていたと明かされ、バダン大幹部の暗闇大使はショッカー大幹部の地獄大使の従兄弟とされ、役者も同じ潮健児が演じている。 スマートブレイン 『仮面ライダー555』に登場。『仮面ライダーEVE-MASKED RIDER GAIA-』で、主人公(門脇 純/仮面ライダーガイア)の専用マシン「クルセイダー」に、SMARTBRAINのロゴが描かれている。 大ショッカー 『仮面ライダーディケイド』関連作品に登場。詳しくは#大ショッカーを参照。 スーパーショッカー 『仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010』に登場。ディケイドやオールライダーによりテレビシリーズ・『オールライダー対大ショッカー』と立て続けに敗れた大ショッカーの残党が集まって結成された新組織。 ゾル大佐(鳴滝)がディケイドを倒すために大ショッカーに所属していた各世界の怪人達から、より優れた能力を持つ精鋭を纏め上げて再構成した。大首領の座は空席であり、最高幹部のスーパー死神博士(光栄次郎)が最終決定権を持つ。シンボルはSを模した双頭の鷲。 スペースショッカー 『仮面ライダー×スーパー戦隊×宇宙刑事 スーパーヒーロー大戦Z』に登場。ショッカー残党が『宇宙刑事シャリバン』の敵、宇宙犯罪組織マドーと結託。魔法の力を与えられ独自の魔法陣を使用する。 シャドームーンが首領的存在として最終決定権を持ち、マドーより受けた魔力で強化再生したスペースイカデビルとスペース蜘蛛男、宇宙鉄人キョーダイン(グランダイン・スカイダイン)が大幹部となる。初代ショッカーからゾディアーツまでのシリーズ怪人で構成されており、初代ショッカー出身の改造人間が主だった小隊長の役割を担う。 ノバショッカー 映画『仮面ライダー1号』と小説『仮面ライダーゴースト』に登場。詳しくは#ノバショッカーを参照。 『仮面ライダーSD』関連作品に登場する組織。『仮面ライダーSD』のメディアミックス作品ほぼ全てに登場しているが、作品自体がそれぞれ世界観のつながりを持っていないため、その設定は各作品で異なる。 魔神大首領(正体は死神博士)を中心に、八鬼衆(地獄大使・ドクトルG・アポロガイスト・十面鬼・ジェネラルシャドウ・暗闇大使・シャドームーン・ジャーク将軍の8人)と呼ばれる、『RX』までのかつての組織の大幹部級のメンバーで構成されている。 『疾風伝説』 八鬼衆以外にもテレビシリーズでは大幹部だった死人コウモリ・荒ワシ師団長・吸血マンモス・ドクターケイト・一つ目タイタンなどもメンバーとなっている。 『マイティライダーズ』 他の作品と異なり、ゴルゴムはグランショッカーとは別の組織として登場。テレビシリーズ『仮面ライダーBLACK』同様、仮面ライダーBLACK・シャドームーンともに創世王候補だったが、2人とも無能だったために追放された過去がある他、テレビシリーズとは異なり三神官は最終的に仮面ライダーBLACK RXを認め、ライダーの味方となっている。そのため、作中登場するグランショッカーの怪人のうちゴルゴム怪人らしき怪人は他の怪人と比べて少ない。 『グランショッカーの野望』 北海道エリアをジャーク将軍、東北エリアを十面鬼、関東エリアをシャドームーン、中部エリアをアポロガイスト、近畿エリアを地獄大使、中国エリアを暗闇大使、四国エリアをジェネラルシャドウ、九州エリアをドクトルGがそれぞれ支配している。 『出撃!!ライダーマシン』 大幹部は八鬼衆ではなく、ゾル大佐・死神博士・吸血マンモス・ヨロイ元帥・アポロガイスト・ゼロ大帝・鋼鉄参謀・百目タイタン・暗闇大使・シャドームーンの10人。 映画『仮面ライダー1号』 世界征服の方向性の違いにより本家ショッカーを抜けた怪人たちが立ち上げた、この映画における「もうひとつのショッカー」。本家が「暴力」で世界を征服することを嗜好するのに対し、ノバショッカーは「経済」を手中に収めるという形で世界を実質的に征服する事を目的としており、本家よりも実利的な悪の組織になっている。#『仮面ライダー1号』も参照。 『小説 仮面ライダーゴースト 〜未来への記憶〜』 年表に起こった出来事が含まれているほか、ネットワーク関連企業「ディープコネクト」の眼魔の計画にも資金援助していた可能性が描かれている。 『仮面ライダーディケイド』関連作品に登場。いくつものライダー世界の怪人たちが集結して構成されている。 シンボルは大首領の仮面ライダーディケイド(門矢士)を示すDCDの文字を刻んだ双頭の鷲。『スーパーヒーロー大戦』では、初代ショッカーを連想する地球を掴む鷲に替えられている。 本編開始以前 幼少期に並行世界を渡り、世界を繋ぐ橋を創る能力に目覚めた士に目を付けた何者かが「仮面ライダー同士の力が呼び合い世界を融合させ、やがて全てが消滅する」と吹き込み、組織を結成させる。 その真の目的は怪人軍団による平行世界への侵略・征服であり、士の手で世界の守護者である仮面ライダーを倒させる手筈だったが、2008年(本編開始の1年前)に消息不明となったため、計画に大きな誤差が生じた。 『仮面ライダーディケイド』テレビシリーズ 士が姿を消した1年の間(2009年)に、彼が残した橋を用いて元GOD機関所属の大幹部・ガイ(アポロガイスト)が平行世界の怪人組織・種族に協力体制を持ちかけ、断られれば戦力で強引に傘下に付かせるという方法をとって勢力を拡大させていく。劇中描写ではクライシス帝国が脅迫を交えた交渉の末、結託を了承。 ゲドン首領・十面鬼ユム・キミル、ファンガイアの女王・ユウキ(ソーンファンガイア)などが、各々の軍団指揮権を残したうえで大幹部の称号を与えられている。 『オールライダー対大ショッカー』 門矢家の執事、月影ノブヒコ / シャドームーンが士の妹、門矢小夜(大神官ビシュム)を懐柔し、謀反を決行。士を組織誕生の裏に隠された真実を突き付けた上で追放し、自らを創世王と称す。 死神博士(光栄次郎)・地獄大使・ジャーク将軍の3大幹部やキングダークらが月影に付き、組織は再編成された。 また、組織の私物として「大ショッカーオリジナル」というビールが存在する。 『オールライダー対しにがみ博士』 セブン-イレブンで死神博士になってしまった光栄次郎やシャドームーン、十面鬼ユム・キミルなどが一部のオールライダーと戦う。 『スーパー戦隊ヒーローズ』 『スーパーヒーロー大戦』と連動したソーシャルゲーム。 黒十字王によって自身がライダーを倒す際に快感を求めていることを気付かされた門矢士が、黒十字王とともにスーパー戦隊シリーズや仮面ライダーシリーズの敵を復活させていく。 スーパー戦隊の活躍で士は正気に戻るが、復活した怪人たちが大ショッカーや大ザンギャックを結成していたため、事態の収集に当たることとなる。 『スーパーヒーロー大戦』 打倒スーパー戦隊を掲げる士が帰還したことで再び蜂起し、ゴーカイレッドのキャプテン・マーベラス率いる大ザンギャックと大規模な勢力争いを開始する。 実際は大ザンギャックと結託しており、ライダーと戦隊の潰し合いを狙い、それぞれディケイドとゴーカイレッドを組織の頂点として君臨させ、両組織による「ビッグマシン計画」を完成させようと目論む。しかし、士とマーベラスは両組織が手を組んで何かを企んでいるのを調べるため、自ら組織の頂点に立った。ライダーと戦隊の決戦の際には、ショッカー・ザンギャック連合という団体組織名が登場した。 全滅した幹部勢も過去に倒された数人が復活し、ドクトルG(鳴滝)やグリードとヤミー、ドーパントをはじめとする新規加入者を交えて整えられる。 ゲーム『グレイトバトル フルブラスト』 シャドームーン・アポロガイスト(後にスーパーアポロガイスト)・ショッカーライダーなどが所属。 『ぱちんこ仮面ライダーフルスロットル』に登場する敵組織。ショッカーからデルザー軍団までの怪人で構成される組織。 幹部クラス ブラックサタン大首領 メカ地獄大使 エンペラーダーク 大十面鬼 7人の闇のライダー 闇の1号 闇の2号 闇のV3 闇のライダーマン 闇のX 闇のアマゾン 闇のストロンガー コンパチヒーローシリーズというウルトラシリーズ・ガンダムシリーズ・ゴジラシリーズとの競演作品に登場。本来はショッカーに所属していない怪人もメンバーになっている。 『バトルベースボール』 一つ目タイタン・地獄大使・ハチ女などが所属。 『バトルドッジボール 闘球大激突!』 シャドームーン・イカデビル・ガラガランダなどが所属。 『バトルドッジボールII』 ガラガランダ・シャドームーン・ライダーキラー・GOD戦闘員などが所属。 東映が2013年に立ち上げたプロジェクト。東京と関西に分かれて活動を行っており、東京では3名、関西では2名がそれぞれ活動している。2013年5月26日に行われた「ショッカー人員募集オーディション」には、約1600名が集まった。 2013年7月24日には、公式テーマソング「SSS〜Shock Shocker Shockest〜」 (SHOCKER GIRLS) がリリースされた。 2013年7月 - 9月には、期間限定で品川プリンスホテルクラブexと和歌山マリーナシティにおいて「ショッカーの秘密基地」が開催された。 2014年には、エイプリルフールに「東映の公式サイトをジャックする」と予告したほか、参加型謎解きゲーム「阻止せよ!!ショッカー秘密作戦」が開催された。 各種イベント襲撃作戦も実行しており、2013年8月5日には美人時計の乗っ取り作戦を実行したほか、同年8月17日にはサッカーJ1リーグの湘南ベルマーレVSジュビロ磐田(Shonan BMW スタジアム平塚)の襲撃作戦も実行した。 ^ 3万5千Hzの高周波のため、常人には聴こえない。 ^ 高橋が参加した時点でセットはほぼ完成していたが、高橋の意見により壁の渦巻き模様が加えられた。 ^ 高橋は、アジトのセットが最も美術予算をかけていると証言している。 ^ 通常では、1972年3月という壊滅後の時期。2周目から使用可能となる桜島カラーでのストーリーでは、1972年1月という活動中の時期。 ^ 本来は『仮面ライダーストロンガー』のデルザー軍団に所属する大幹部。 ^ 本来は『星雲仮面マシンマン』の犯罪組織テンタクルの首領で、死神博士とは別のキャラクター。 ^ 本来は『仮面ライダーV3』のデストロンの大幹部。 ^ 後年の派生作品では、ショッカー首領の設定にネオショッカー大首領と同じ暗黒星雲の出身とされることがある。 ^ 平山亨の掌編では、ショッカー首領が元ショッカーの残党をかき集めてゼネラルモンスターに組織させたとされている。 ^ 『仮面ライダー』のゲルショッカー、『アマゾン』のガランダー帝国、『ストロンガー』のブラックサタン、『スカイライダー』のネオショッカー、『スーパー1』のドグマとジンドグマは除く。 ^ ただしシャドームーンは玩具設定同様ゴルゴム軍団長とされる。 ^ 『アマゾン』のガランダー帝国、『ストロンガー』のブラックサタン、『スカイライダー』のネオショッカー、『スーパー1』のドグマ所属の怪人は除く。 ^ 原作でショッカー所属の怪人が参戦しない作品ではシャドークラッシャーズ(『バトルサッカー フィールドの覇者』など)などの別の組織が登場している。 ^ a b c d e 怪人大画報 2016, pp. 68-69, 「ショッカー」 ^ a b c 大全集 1986, pp. 212, 「悪の軍団 その系譜 ショッカー」 ^ a b OFM 特1 2005, p. 4. ^ 超辞典 2011, p. 395. ^ a b 大全集 1986, pp. 52-54, 「ショッカー」 ^ a b c 大全集 1986, pp. 130-133, 「仮面ライダーは、こうして誕生した」 ^ a b 怪人列伝 2011, pp. 41-43, 「悪魔のレスラー ピラザウルス」 ^ a b キャラクター大全1号・2号編 2014, pp. 38-67, 「仮面ライダー2号 ENEMY」 ^ 怪人大画報 2016, p. 100, 「毒蟇怪人ガマギラー」. ^ 怪人大画報 2016, p. 105, 「鮮血怪人 狼男」. ^ a b キャラクター大全1号・2号編 2014, pp. 82-103, 「仮面ライダー1号(新) ENEMY」 ^ a b 怪人大画報 2016, p. 134, 「怪人 ギリザメス」 ^ a b 画報 2001, p. 30. ^ 怪人列伝 2011, pp. 21-23, 「死神カメレオン」. ^ a b キャラクター大全1号・2号編 2014, pp. 16-25, 「仮面ライダー1号 ENEMY」 ^ 怪人大画報 2016, p. 77, 「死神カメレオン」. ^ 超辞典 2011, p. 599. ^ 樹想社『仮面ライダー 悪の系譜』ISBN 4877770496 p.132より。 ^ 怪人列伝 2011, pp. 26-27, 「残酷 コブラ男」. ^ 怪人大画報 2016, p. 79, 「残酷コブラ男」. ^ 怪人列伝 2011, p. 146, 「怪人 サソリトカゲス」. ^ 怪人大画報 2016, p. 150, 「怪人サソリトカゲス」. ^ 怪人大画報 2016, p. 84, 「悪魔のレスラー ピラザウルス」. ^ 怪人大画報 2016, p. 135, 「怪人イカデビル」. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『仮面ライダー 悪の系譜』23ページより ^ a b 『仮面ライダーSPIRITS 超絶黙示録』117ページより。 ^ 画報 2001, p. 41. ^ 怪人大画報 2016, p. 118, 「怪鳥人ギルガラス」. ^ 超辞典 2011, p. 57. ^ 仮面ライダー大全 2000, p. 53. ^ 画報 2001, p. 31. ^ 超辞典 2011, p. 46. ^ 怪人大画報 2016, p. 97, 「あり喰い怪人アリガバリ」. ^ 『仮面ライダーOFFICIAL DATA FILE』No.2 P.9-10 ^ a b 『仮面ライダーOFFICIAL DATA FILE』No.4 P.7-8 ^ 超辞典 2011, p. 322. ^ a b c 仮面ライダー大全 2000, p. 172. ^ a b c d e f g h i j k l m 『仮面ライダー 悪の系譜』24ページより ^ 『仮面ライダー 悪の系譜』15ページより ^ a b 『仮面ライダー 悪の系譜』16ページより ^ 『仮面ライダー 悪の系譜』18ページより ^ a b c 仮面ライダー総特集 2015, pp. 106-109, 取材・構成 山田幸彦「STAFF INTERVIEW 八木功」 ^ a b OFM1 2004, p. 21. ^ a b c OFM6 2004, pp. 27-29, 杉田篤彦「特集 仮面ライダー造型美術 “異形のマスク”が形作られるまで」 ^ a b c d 怪人大画報 2016, pp. 50-61, 「『仮面ライダー』美術監督対談 三上陸男×高橋章」 ^ 怪人列伝 2011, p. 86. ^ 鈴木美潮 2015, pp. 59-76, 「第三章 悪の組織の変遷」. ^ 柴田ヨクサル念願!本気で仮面ライダーになりたい40歳独身男を描く物語 ^ 平山亨 1986, p. 32. ^ あの秘密結社が新たな作戦を遂行中!? 「ショッカー人員募集オーディションイベント」に1600名が"イーッ"!東映 2013年5月27日(2013年8月6日閲覧) ^ ショッカープロジェクト第4弾、ショッカーの野望を阻止する謎解きゲーム開催2014年5月9日(2015年7月22日閲覧) ^ 美人時計を乗っ取り「イー!」?2013年夏、ショッカーが動き出す~ショッカープロジェクト第三弾開始~ドリームニュース 2013年8月5日(2013年8月7日閲覧) ^ 湘南VS磐田戦 あの秘密結社ショッカーから襲撃予告!スポニチアネックス 2013年7月28日(2013年8月6日閲覧) 『創刊15周年記念 テレビマガジン特別編集 仮面ライダー大全集』 講談社、1986年5月3日。ISBN 4-06-178401-3。 『全怪獣怪人』下巻、勁文社、1990年11月30日。C0676。ISBN 4-7669-1209-8。 木下正信 『仮面ライダー 仮面ライダーV3 カード完全図鑑』 竹書房、1997年5月31日。ISBN 4-8124-0300-6。 岩佐陽一 『仮面ライダー大全』 双葉社、2000年7月14日。ISBN 4-575-29121-8。 『仮面ライダー 悪の系譜』 樹想社 編、樹想社、2003年5月8日。ISBN 4-87777-049-6。 『仮面ライダー画報』 竹書房/スタジオ・ハード編、竹書房、2001年9月25日。ISBN 4-8124-0783-4。 『仮面ライダー熱闘伝』 新潮社、2003年7月16日。ISBN 4-10-790017-7。 『仮面ライダー怪人列伝 1号 2号 V3編』 安藤幹夫 編、竹書房、2011年5月2日。ISBN 978-4-8124-4542-6。 『仮面ライダー超辞典』 監修:石森プロ・東映、双葉社、2011年7月24日。ISBN 978-4-575-30333-9。 『語れ!仮面ライダー』 KKベストセラーズ〈ベストムックシリーズ〉、2013年12月26日。ISBN 978-4-584-20497-9。 『仮面ライダー 1号・2号編 仮面の男パーフェクトファイル』 講談社編、講談社〈キャラクター大全〉、2014年3月20日。ISBN 978-4-06-218825-8。 『僕たちの「仮面ライダー」怪人ランキング』 宝島社〈TJ MOOK〉、2014年9月28日。ISBN 978-4-8002-3083-6。 『仮面ライダー1971-1984 秘蔵写真と初公開資料で蘇る昭和ライダー10人』 講談社 編、講談社、2014年11月20日。ISBN 978-4-06-218566-0。 『仮面ライダーSPIRITS 超絶黙示録』 講談社 編、講談社、2014年11月20日。ISBN 978-4-06-375822-1。 鈴木美潮 『昭和特撮文化概論 ヒーローたちの戦いは報われたか』 集英社、2015年6月30日。ISBN 978-4-420-31071-0。 『仮面ライダー 1号・2号・V3・ライダーマン総特集』2394、宝島社〈別冊宝島〉、2015年10月28日。ISBN 978-4-8002-4622-6。 『宇宙船別冊 仮面ライダー怪人大画報2016』 ホビージャパン〈ホビージャパンMOOK〉、2016年3月28日。ISBN 978-4-7986-1202-7。 雑誌 『宇宙船』朝日ソノラマ 平山亨「わがショッカーよ永遠なれ!」、『宇宙船』Vol.30、1986年6月1日、 29 - 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ショッカー
ダイヤモンド・アイ
『ダイヤモンド・アイ』(ダイヤモンド アイ)は、1973年(昭和48年)10月5日から1974年(昭和49年)3月29日までNET(現・テレビ朝日)系各局で毎週金曜日19:30 - 20:00の時間帯に於いて全26話が放送された、NET、東宝制作の特撮テレビ番組。および、作品内に登場するヒーローの名称。 映像上のタイトルは『ダイヤモンド・アイ』だが、週刊少年サンデー連載漫画のタイトルや、朝日ソノラマから発売されたレコードジャケットなどに『光の戦士 ダイヤモンド・アイ』と表記されていることから、資料によってはこのタイトルで記載しているものもある。 前世魔人と呼ばれる怪人の陰謀に対するフリーの記者、雷甲太郎と彼の指輪から現れるヒーロー、ダイヤモンド・アイの戦いを描く。『愛の戦士レインボーマン』に続く川内康範原作、NET・東宝制作のヒーロー番組である。 この番組は変身ブームの中で制作されたが変身ヒーローものではなく、主人公は雷甲太郎とダイヤモンド・アイの2人である。これは前作『愛の戦士レインボーマン』との差別化を図ると同時に、生身の人間の活躍を描くことで子供たちに純粋な心と人間の勇気を伝えることを目的とし、「変身ヒーロー」ではなく「献身ヒーロー」と銘打っている。 『愛の戦士レインボーマン』など川内康範原作ヒーローに共通する社会性の強い作風が特徴である。物語には当時のオイルショックや公害問題などを反映しており、敵組織も架空団体を用いて資金調達を行うなど現実的な悪を描いている。 後半では、前世魔人の支配者であるキングコブラこと源海龍の娘であるヒメコブラこと蘭花が登場。ヒメコブラが中心となり人間の心を悪に染めて暴れさせてしまう悪魔の薬ドリームXおよび頭脳改造マシンを用いての日本人を奴隷化させる作戦が展開され、前世魔人の非道さが強調された。その前世魔人との熾烈な戦いを描く中で、前世魔人の長としての使命感と初恋の人である甲太郎との愛との間で苦悩する蘭花の悲哀も描かれた。 ダイヤモンド・アイのデザインや一部キャラクターの名称など、川内原作の漫画『黄色い手袋X』(作画桑田二郎)を基にしている。ただし、企画者である衛藤公彦は2作品の共通点についてはメインライターである伊東恒久が知っているのではないかと述べており、伊東自身は『黄色い手袋X』と本作とは密接な関係はなかった記憶であると述べている。また、主人公である雷甲太郎は『七色仮面』の主人公である蘭光太郎から、登場キャラクターであるカボ子と五郎に関しても『月光仮面』の登場キャラクターであるカボ子と五郎八から採られたものではないかと書籍では指摘されている。 新聞記者・雷甲太郎(らい こうたろう)、通称「ライコウ」は、政界を揺るがすとある汚職事件を追っていたが、関わる政治家の意を受けた上層部からの圧力により記事を差し止められ、憤りのあまり辞表を叩きつけてフリーランスとなり、事件を追い続ける。だが、圧力の影には「前世魔人」と呼ばれる怪物たちの姿があった。絶体絶命の状況でダイヤの神「ダイヤモンド・アイ」と出会い命を救われたライコウは、その義侠心に惚れ込んだアイから申し出られた助太刀を「自分の力だけでやりたい」と一度は断るが、彼に「私の力が必要になる時が必ず来る」と言われ、アイを普段は封じてあるダイヤ「アラビアの王」付き指輪を託される。こうしてアイは、ライコウが自分の力だけでは好転できない事態に追い込まれた時、彼がダイヤを光にかざして呼びかけるとライコウのもとへ現れ、共に戦うこととなった。 なお、アイの「外道照身霊破光線」を浴びると、人間に化けている前世魔人の正体が明らかになる。その際、アイと前世魔人が繰り広げる「汝の正体みたり! 前世魔人○○!」「ウウー、バレたかー」のやり取りが、毎回の定番となった。 雷 甲太郎(らい こうたろう) 本作の主人公で通称ライコウ。27歳。第1話時点では「週刊ジャパン」所属のルポライターだったが、同話における大沢山剛造取材に際して上層部から圧力をかけられ、1か月間の取材停止命令を受けたことを契機に「週刊ジャパン」を退社してフリーになる。その後も大沢山の追跡を続け、絶体絶命の危機から救ってくれたダイヤモンドアイに「アラビアの王」を託され、彼を召喚できる唯一の人間となる。 幼い頃にパイロットだった父を亡くし、母・勝子からは平和のために働いて死んでいった父を見習うよう教育を受けたため、非常に強い正義感の持ち主である。法の網を掻い潜る社会悪にはペンで、前世魔人に対してはその拳で臆することく立ち向かっていく。空手の使い手であり、世界有数の殺し屋たちと素手で、しかも互角に戦う一介のジャーナリストらしからぬ超人振りを発揮し、劇中では四角蹴りなる技すら披露している。また、オートバイの腕もセミプロ級であり、第8回東日本200マイル耐久モトクロスレースでは優勝候補の1人であり、愛用のオートバイ「サンダー号」を取材と戦闘の両面で駆使する。その一方、出前のカレーライスの肉の数が減ったことをぼやくなど、庶民的な感覚の持ち主でもある。 物語後半では源海龍の娘・蘭花と心の交流を持つようになり、彼女を悪の道から救うべく尽力するようになる。 カボ子 ライコウの仲間の1人。22歳。スナック・サンダーを五郎と共同経営している。特技は大型のトランプを用いたトランプ占いで、的中率は高い。トランプ投げの名手でもあり、前世魔人一味とはこれを駆使して戦う。 本名は高柳ミユキといい、幼い頃両親を亡くした後に高柳財閥の養女になるが、高柳夫妻に実娘の真理子が生まれたことから養父と養母の間に軋轢が生じ結果として別居、そのことに責任を感じて名前を捨て、高柳の家を離れたことが第24話で判明している。 第5話からかけている黒縁メガネがトレードマークで、眼鏡を外すとかなりの美人である。本作と同じ川内康範原作の『月光仮面』『黄色い手袋X』にも、同名の女性が登場する。 企画段階では五郎の恋人であるという設定もあった。 五郎 ライコウの後輩でカメラマン兼アシスタントである太めの青年。スナック・サンダーを開店してからは同店のマスターも務めている。26歳。 三枚目の役割だが、第25話では前世魔人一味の頭脳改造工場を爆破するという、大殊勲を立てている。 海藤警部 ライコウの顔見知りの警部で、東京警察署に勤務している。政治犯の追跡や殺人捜査、現金輸送など幅広い事件を担当している。 息子も刑事であり、麻薬ルートを深追いした結果、殺害された過去を持つ。そんな息子の面影をライコウに重ねており、彼を思いやるがゆえに頑固な態度をとることが多い。娘は刑務所官に嫁いでいるが、その娘婿は18話でドリームXで洗脳されて暴徒化している。 早川編集長 「週刊ジャパン」の編集長。ライコウがフリーとなった後も情報提供するなどの協力を続けている。 モンちゃん 第1話で大沢山の部下・西田がライコウを襲撃した際に右足を負傷した少年。 フーコ モンちゃんの姉で大沢山の税理士・中村の事務所に勤務していた。中村の死後はスナックサンダーの手伝いもしていた。 大沢山剛造 財界の黒幕。ダイヤマニアとしても著名であったが源海龍に殺害される。 大沢山京子 大沢山の娘で、大沢山の死後は養護施設「みどりの園」の保母として勤務していた。 北見八郎 大沢山を敬愛していた「アジアの子供が手をつなぐ会」の秘書。総裁の口車に乗せられてライコウが大沢山の死の元凶であると思い込んでいたが、やがて総裁が源海龍と同一人物であることを知り源海龍に立ち向かおうとするが凶弾に倒れた。 ブルーダイヤアラビアの王から出現する全能の神の使い。 アイリングを光にかざし、「アイよーっ!」と、その名を呼ぶとアイはライコウの危機を救いに現れる。その登場回数は全26話中、32回(一話で複数回呼ばれることもあるため登場回数と話数は一致しない)。後半ではライコウの相談事に呼び出されることもしばしばあった。アイはこの世の悪霊全てを打ち滅ぼすまで、元のダイヤに戻れぬ宿命であるという。 武器として先端にダイヤをあしらったステッキを右手に持つ。剣のように用いることもあるほか、必殺技のロイヤル・パンチやステッキ光線を放つ。 空を飛ぶこともでき、光の玉となって移動することもある。 光の無い所ではその力を失う。しかし実際には、ライコウがアイを呼び出す際に、奇跡的に一瞬光を見つけた暗闇の中でも平然と闘っている時が多い。 ステッキを奪われると力を失う。ステッキを手放すことによる弱体化が顕著すぎるため、書籍「レインボーマン大全」ではステッキは分身的存在と推測している。 大きな音、寒さ、熱に弱い。 光が無いと戦えない一方、光が強過ぎると逆に力を失う。 など、弱点が多い。 デザイン・造形 キャラクターデザインは前作『レインボーマン』に続き岡迫亘弘が担当した。 ダイヤが目ではなく額にあるデザインも描かれたが、目をダイヤにすることが川内側の条件であったため不採用となった。 撮影用スーツは、初期は濃い青色である。 外道照身霊波光線 両眼から発射される粒子状の青い光線。人間に化けた前世魔人の変身を強制的に解除させる技である。 「外道照身霊破光線! 汝の正体みたり! 前世魔人○○!」「ばぁれたかぁ〜」のアイと前世魔人とのやりとりは、これは原作者である川内により「歌舞伎のように敵もこう、大見得を切って“うーぬ~! ばあれたかあっ!!”とやって見せるのはどうかね」と発案されたものである。 怨霊逃散洗霊光線 左手から発射される光線で、前世魔人の魔力を消去するために使用される。最終回では、蘭花を前世魔人から人間に転生させた。 ステッキ光線 ステッキから発射される光線。基本的に牽制に使われ前世魔人を倒すほどの破壊力はないが、戦闘員レベルの魔人なら倒せる。 ダイヤ礫(ダイヤつぶて) ダイヤモンドを取り出し、「ダイヤ礫!」と叫んで相手に投げつけると、命中と同時に爆発しダメージを与える。このほか「光の道」、「飛行リング」に変化させることも可能。 正義の風 「正義の風!」と叫びながらマントで相手を仰ぐような動作をすると、突風が起きて相手を吹き飛ばしてしまう。 ロイヤル・パンチ 「外道死ね!」、「外道消えろ!」などと叫び、「ロイヤルパンチ!」の掛け声とともに光弾となったダイヤを放つ技。一撃で前世魔人を木っ端微塵にしてしまう。また一度狙った相手をどこまでも追いかけていく特性もある。アイの必殺技であるが、杖や剣などで打ち返されることもあった。 悪霊世界に巣食う魔人の一族。設定では前世で人間や十二支の動物になれなかった魑魅魍魎の化身であるとされる。 ほぼ全ての魔人が人間に化ける能力を持っており、長であるキングコブラも香港暗黒街の王・源海龍を始め、いくつもの顔を持つ。世界征服の手始めとして全アジアの征服を目論んでおり、軍資金調達を目的としたハリケーン作戦、続いてアジアを征服する為の兵士を作るドリームX作戦を実行する。 同種族が繰り返し登場し、名前も姿形も全く同一である。設定ではそれぞれケラリン族などの部族であるとされる。 第8話より、前世魔人が登場する際に前世魔人の名前がテロップで表示されるようになり、特に大幹部の場合「前世魔人ヒメコブラ!!」という形で感嘆符まで付くようになった。 源海龍(げんかいりゅう)/前世魔人キングコブラ 表向きは香港の貿易商だが、裏の顔は香港暗黒街の支配者。目的はアジア征服であり、そのために後述するハリケーン作戦をはじめとした数々の活動でその軍資金を肥やしている。13の顔を持つ男と呼ばれる変装の名人であり、劇中でも「アジアの資源を調べる会」のダン会長や、「アジアの子供が手をつなぐ会」の総裁になりすまして暗躍する。 その正体は前世魔人の王キングコブラである。 武器は剣と両肩のコブラが吐き出す爆弾(鎖に変化して相手を拘束することもできる)で、剣はアイの必殺技ロイヤルパンチを打ち返すこともできる。。第9話では槍も使用する。黒雲を呼ぶ能力もあり、これでアイのエネルギーである光の供給を断つことも可能。現世で倒さない限り不死身であり、いざとなるとアイの手の出せない悪霊界に逃げ込んで身の安全を保つ。一度だけだが、馬頭人や牛頭人を再生させる能力も見せた。 源海龍としては沈着にして大胆不敵な知性派だが、キングコブラになると言動・性格共にかなり剽軽になってしまう。後述する蘭花に対しては自分の後継者としての自覚を常々促していたが、一人娘ということもあって甘い態度をとることも多い。 蘭花(らんか)/前世魔人ヒメコブラ 14話から登場した源海龍の一人娘、前世魔人の王女で本作の実質的なヒロインというべき存在。パリに留学していたが、ダイヤモンドアイとの戦いで重傷を負った父に呼び寄せられ、彼に代わって前世魔人の指揮を執る。右手のコブラから赤い糸を吐いたり、コブラの中に敵を吸い込む技を用いる。また「怨霊の闇」という暗黒を作り出して、アイへの光の供給を絶つこともできる。 淑やかであるがプライドが高く、母親が人間であるが故か、非情になりきれない優しい心の持ち主で、弱者を巻き込んだり利用することに強い忌避感を感じており、敵であるライコウに心惹かれることに苦悩する。 彼女の善悪の狭間での葛藤や、悪の呪縛からの解放までの道程が物語後半の大きな縦糸となる。 キルト/前世魔人オニカブトン 14話から25話に登場した、源海龍および蘭花の参謀を務める最高幹部。人間態は眼鏡をかけた知的な紳士だが、部下を爆薬を装着して特攻させることも辞さない冷酷な男。時には蘭花に対して苦言や皮肉を発することがあり、彼女を介さず独自に作戦を行うこともある。 前世魔人になっても首に紫のスカーフを巻く洒落者で、カブト虫を思わせる角が生えている。キングコブラやヒメコブラを治療する役目と能力を持つ。 ケロキャット その名の通り猫に似た姿を持つ前世魔人。劇中に登場した者は全て女性であり、内2人は前世魔人一味の幹部である。 猫マスク 6,7話に登場した、仮面にボディスーツ、マント姿の女殺し屋。ゲララチン族のドリルの妻でもあり、夫の仇討ちを兼ねてライコウとアイの命を狙う。変装を得意としており、カボ子や交通事故の被害者に化けている。6話では手間のかかる誘拐などしないと発言していたが、7話ではカボ子を誘拐している。 鞭使いであり、人間態・前世魔人両方で武器として用いる。 朱玉 2話から13話に登場した源海龍の片腕というべき美女。変装を得意とする行動派で、数々の暗殺や証拠隠滅を成功させている凄腕。 前世魔人としては鎖につないだ回転鋸とロイヤルパンチを防御する盾を武器として用いる。 魔倫 蘭花の側近を務める美女で、武器は青いマニキュアを塗った爪。部下には冷酷である反面、蘭花の身を思いやるが上に彼女に振り回されることもある。 23話でのアイとの決戦では、刺叉・ブーメラン・槍の三種の武器を駆使して戦った。 モージンガー 一つ目の牛の前世魔人。 西田 第1話に登場。大沢山の部下。前世魔人としての武器は剣と姿を自由に消す能力。 殺し屋ホーク 第10話に登場。神父姿の殺し屋で、アイの抹殺とエルドニア国への援助金2億ドルを強奪するのが使命。モンちゃんを人質に取り、光の射さない「地獄トンネル」の中にアイを誘き出し、「呪いの輪」と呼ばれる鼻輪で彼を拘束することに成功した。脱出に成功したアイを「呪いの輪」で再び窮地に追い込むが、海藤警部とモンちゃんにきりきり舞いさせられる羽目になってしまう。 マッド 第17話に登場。ハチマキに軍服という格好。「日本をよくする会」に社会に不満を持つ若者を集め、ドリームXで洗脳・凶暴化させて集団で暴れさせる。突進とホーン爆弾が武器。アイに敗れたあとは、人間態・前世魔人の姿両方で腕を包帯で吊るしていた。 サタンバット 2本の角、蝙蝠に似た翼、餓鬼の如き肋骨と膨らんだ腹の悪魔のような前世魔人。唯一飛行能力を持つ種族。 口から火炎と爆発する針を放ち、翼で突風を起こす。 陳 第2話に登場。 陶 第8話に登場。陳の兄。 コンドル 第14話に登場。殺し屋。 キルトの部下 第18話に登場。 ゲラン 第21話に登場。殺し屋。 ヒトデツボ 真っ赤な髪に緑の肌、膨らんだ腹は壺状になっており、臍に当たる部分は海星そっくりである。この臍からガス等を噴出する。 片目のタイガー 第3話に登場。 貂 第8話に登場。片目のタイガーの妹。 百田 第15話に登場。百点塾の塾長。 デムラ 第20話・第21話に登場。 ドグラ 第26話に登場。殺し屋。 ケラリン 青い肌で常に笑ったような表情が特徴の前世魔人。河童のような頭をしており、これを撫で回す動きをする。 鋭い爪やナイフを武器とする。 マシンガンのジョー 第4話に登場。 殺し屋サターン 第11話に登場。 K-12号 第25話に登場。 ワレアタマ 頭部の赤い割れ目が特徴の前世魔人。 首切ジャガー 第5話に登場。 バイパー 第9話に登場。源海龍の部下。 蘭花の部下 第15話に登場。 西田 第16話に登場。 ゲララチン ハサミムシに似た形態で、亀のような甲羅を持つ昆虫型前世魔人。 ドリル 第6話に登場。殺し屋。 ウルフ 第12話に登場。殺し屋。 蘭花の部下 第15話に登場。 源海龍の部下 第19話に登場。 ガムロ 第22話に登場。 キルトの部下 第24話に登場。 牛頭人・馬頭人 前世魔人の戦闘員で、人間態では赤い覆面に黒い衣装を纏うことが多い。骨状の棍棒を武器として用いており、拳銃など武装していても外道照身霊波光線を浴びるとこれに戻ってしまう。 劇中では単に前世魔人と呼ばれている。 デザイン画では「牛魔人」「馬魔人」と称されていた。 アラビアの王 時価10億円のブルーダイヤ。 エルドニア国 スナック・サンダー ドリームX ハリケーン作戦 企画:衛藤公彦 原作:川内康範 プロデューサー:片岡政義(NET)、山本悦夫(東宝) 監督:高瀬昌弘、六鹿英雄、山田健 脚本:伊東恒久、田村多津夫 特技監督:真野田陽一 音楽:池多孝春 撮影:田島文雄 照明:大野晨一 美術:朝生治男 録音:坂田通俊 助監督:中村孝昭 編集:清水邦夫 殺陣:渡辺高光 (第1話〜第13話まで担当)、上西弘次、宇仁貫三 制作主任:寺本巌 特殊撮影:志賀邦利 特殊美術:鈴木ますみ 操演:中代文雄 特技助監督:増子正美 衣裳:京都衣裳株式会社 効果:協立効果 現像:東京現像所 連絡担当:中川与志雄 ユニットマネージャー:新野悟 協力:愛企画センター、萬年社 制作:NET、東宝 オープニングテーマ - 「ダイヤモンド・アイ」 作詞:川内康範 / 作曲・編曲:池多孝春 / 歌:ヤング・フレッシュ エンディングテーマ - 「ライコウマーチ」 作詞:川内康範 / 作曲・編曲:池多孝春 / 歌:ロイヤル・ナイツ 主演の大浜は前作『愛の戦士レインボーマン』のオーディションにも参加していた。 雷甲太郎:大浜詩郎 カボ子:黒沢のり子 五郎:福田悟 海藤警部:玉川良一(第1、2、4、10、18話) 早川編集長:久野四郎(第1、3、5、14、16、20、26話) 雷勝子:菅井きん(第1、14話) 大沢山京子:青木英美(第2 - 7、9、11 - 13話) 大沢山剛造:神田隆(第1 - 4話) モンちゃん:簾内滋之(第1、2、5、6、10、15、19、23話) 北見八郎:谷岡行二(第5 - 11話) 朱玉 / ケロキャット:真山知子(第1 - 13話) 蘭花 / ヒメコブラ:隅田和世(第14 - 26話) キルト / オニカブトン:片岡五郎(第14 - 21、24、25話) 魔倫 / ケロキャット:吉田未来(第16、17、19、23話) 源海龍 / キングコブラ:南原宏治(第1 - 14、19、21、26話) ダイヤモンド・アイ:熊谷巌(第1、3、5、7、9、11、13話)、田尻陽一郎(第2、4、6、8、10、12、14 - 26話) ダイヤモンド・アイの声:池水通洋(第1 - 7話)、野田圭一(第8 - 26話) 前世魔人:橋本春彦、二家本辰巳、有川兼光、遠矢孝信、古館剛志、岩下純二ほか ナレーター:中江真司 参照宇宙船SPECIAL 1998, p. 144 週刊少年サンデー 1973年43号 - 1974年13号 橋本勝己 小学一年生 1973年7月号 - 1974年3月号 制野秀一 小学二年生 1973年7月号 - 1974年4月号 森藤よしひろ 小学三年生 1973年7月号 - 1974年3月号 かたおか徹治 小学四年生 1973年8月号 - 1974年3月号 居村真二 小学五年生 1973年7月号 - 1974年2月号 森藤よしひろ 小学六年生 1973年7月号 - 1974年2月号 時里信一 テレビランド 1973年10月号 - 1974年4月号 長谷川清俊 1995年6月に7枚組のLD-BOXが発売。 2003年3月21日に全話収録のDVD-BOXが発売。 2016年1月20日に「東宝DVD名作セレクション」の第6弾として単巻のDVDが全4巻で発売。 関東圏:NETテレビ(現:テレビ朝日):金曜 19:30 - 20:00 北海道:北海道テレビ 青森県:青森テレビ 秋田県:秋田放送 岩手県:岩手放送(現:IBC岩手放送) 山形県:山形テレビ 宮城県:ミヤギテレビ:水曜 18:00 - 18:30 福島県:福島中央テレビ:水曜 18:00 - 18:30 新潟県:新潟総合テレビ 長野県:信越放送 山梨県:山梨放送 富山県:北日本放送 石川県:北陸放送 福井県:福井放送 静岡県:静岡放送 中京圏:名古屋放送 関西圏:毎日放送 鳥取県・島根県:日本海テレビ 岡山県:岡山放送 広島県:広島ホームテレビ 山口県:山口放送 徳島県:四国放送 香川県:瀬戸内海放送 愛媛県:南海放送 高知県:テレビ高知 福岡県:九州朝日放送 長崎県:長崎放送 熊本県:テレビ熊本 大分県:大分放送 宮崎県:宮崎放送 鹿児島県:南日本放送 沖縄県:琉球放送 ^ ダイヤはブルーダイヤ「エジプトの星」とも言われる。 ^ 本作では、前世魔人に変身後も変身前の俳優・女優がそのまま、前世魔人の声優を務めており、監督の演出技量や俳優・女優の個性も相まって、シリーズが進むに連れて「バレたかー」の口上が、「バレたかバレたかー(ゲララチン)」「あ、こりゃまたバーレーたかー(オニカブトン)」のように徐々に大げさなものへ変化していった。 ^ 会場に駆けつけた母に一喝されてリタイアし、彼女に尻を叩かれて説教される姿を他社の記事として書かれてしまう。 ^ 企画段階では正義のステッキという名称があったが、劇中では名称は呼ばれない。 ^ 雑誌『宇宙船』vol.152では、アニメ演出家の奥田誠治が担当したと記述している。同書によれば奥田は川内原作の『正義を愛する者 月光仮面』に参加した縁から起用されたとされる。『特撮秘宝』vol.3の岡迫のインタビューでは、岡迫が手掛ける前にラフデザインが存在したとの証言もある。 ^ 撮影会のものとは形状が異る。 ^ 『’70年代特撮ヒーロー全集』では、名称をモウジンガーと記載している。 ^ 1974年4月号は総集編。 ^ 第12話。 ^ a b 大全 2002, pp. 154-155. ^ 大全 2002, p. 160. ^ 『超人画報 国産架空ヒーロー40年の歩み』 竹書房 / イオン編、竹書房、1995年11月30日、114頁。C0076。ISBN 4-88475-874-9。 ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae 宇宙船152 2016, pp. 106-111, 「宇宙船Archives ダイヤモンド・アイ」 ^ a b c 大全 2002, p. 118. ^ 『全怪獣怪人』下巻、勁文社、1990年11月30日、153頁。C0676。ISBN 4-7669-1209-8。 ^ 大全 2002, p. 64. ^ a b 大全 2002, p. 119. ^ a b c d e f g h i j k l m 大全 2002, p. 120. ^ a b c d e f g h i j 大全 2002, p. 121. ^ 大全 2002, p. 116. ^ a b c d 大全 2002, p. 122. ^ a b 特撮秘宝3 2016, pp. 184-187, 取材・文 中村哲「INTERVIEW『レインボーマン』『ダイヤモンド・アイ』キャラクターデザイン岡迫亘弘」 ^ 大全 2002, p. 108. ^ 大全 2002, p. 148. ^ 大全 2002, p. 124. ^ 大全 2002, p. 115. ^ a b 大全 2002, p. 123. ^ a b c d e 大全 2002, p. 125. ^ 宇宙船SPECIAL 1998, pp. 116、144. ^ a b c d e 大全 2002, p. 126. ^ 大全 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ダイヤモンド・アイ
ドクトルG
仮面ライダーシリーズ 仮面ライダーV3 > ドクトルG 仮面ライダーシリーズ登場怪人一覧 > 仮面ライダーシリーズ第1期登場怪人一覧 > ドクトルG ドクトルG(ドクトルゲー)は、特撮テレビドラマ『仮面ライダーV3』に登場するキャラクター。敵組織デストロンの大幹部であり、それ以降の仮面ライダーシリーズの作品にも登場している。ここでは、怪人態であるカニレーザーについても記述する。 身長:185cm 体重:65kg 『仮面ライダーV3』第13話から第30話登場。 「G作戦」によって秘密裏に来日したドイツ支部から日本支部に招聘された初代日本支部長で、本編に登場した唯一のデストロン生え抜きの大幹部。悪魔の頭脳を持つ男と呼ばれる。元ナチスの軍人。 その性格は一見冷酷かつ尊大だが、独自の騎士道精神と哲学を持っていて、戦いと破壊することが進歩を生むという倫理観が彼の行動原理となっている。戦闘能力が高く、通常怪人の3倍の力を持つため、怪人に変身しなくてもV3と互角以上に渡り合う。使用する武具には、デストロンのシンボルであるサソリの紋様が刻まれている。作戦にはGマークを壁に刻んだりして用いる。また、人喰いカニを操ることもできる。 V3を「仮面ラァーイダV3」と呼ぶ。これは役に個性を持たせようとした演者・千波丈太郎が歌舞伎の見得を元に考案した演出である。当時の児童誌では、「日本に来たばかりであるため、日本語が上手に話せない」という設定であった。 復活したショッカー・ゲルショッカーの大幹部4人と共に「ギラードガンマー」を用いた日本全滅作戦を行う際は東京を担当。だが、個々のプライドの高さから協調性は低く、作戦には失敗し、自分以外の4幹部も戦死してしまう。 デストロンハンターによって改造人間製造工場を破壊されたことで、首領の信頼を失ってしまい、名誉挽回を賭けてカニレーザーとなり、V3に最後の戦いを挑んだ。 武具 斧 刃にサソリ毒が塗られており、触れただけで敵を倒せる。柄には電磁誘導装置が組み込まれており、投げれば200メートル先の標的にも命中する。 盾 仮面ライダーV3のキックもはじく。表面のサソリ紋様からは猛毒「ルガー」を噴射する。 剣 一族に伝わる家宝のひとつ。竜の血で鍛えたといわれ、50万ボルトの電流を放つ。 短剣 一族に伝わる家宝のひとつ。投擲武器として用いる。 鎧 表面に電流を帯びており、触れた者は感電する。呪文を唱えることで丈夫な体となる。赤い部分は人間の血で染め上げられている。 兜にはサソリが造形されているが、単なる飾りではなく、命令することで敵を襲わせることができる。 ブーツには拍車が仕込まれており、2回かかとを踏むことで飛び出す。 下に着ている布は、特殊なもので耐熱・耐寒機能を備えている。 劇中未公表の設定 4世紀から続くドイツ名門貴族の生まれ。54歳。一族は優秀な人物を多く輩出してきたが、ときどきマッドサイエンティストが生まれたこともあったという。 若いころはライン河沿いの「サソリ屋敷」と呼ばれる古城に住み、サソリとともに暮らしながら毒の研究をしていた。かつては妻がいたが、サソリの研究のため殺害した。城の周りにはドクトルGがサソリ毒で命を奪った人々の骨が散乱していた。 第2次大戦中はナチスに所属し、エルヴィン・ロンメル将軍の下で活躍して、残虐さで勇名を轟かせたという。 ナチス崩壊後にデストロンの一員となり、チベットの幹部養成所で訓練を受けていた。そして、チベット産の猛毒「ルガー」を生み出した。顔以外を改造している。 制作関連 デザイン画では、学者という設定から縁なしの眼鏡をかけ、口ひげを生やした姿であったが、千波は自身の顔がわからなくなることからこれらに反対し、千波の意向で眼の周りを黒く塗るメイクでの表現とした。 千波は、ドクトルGの撮影で最も覚えていることとして、初登場シーンで棺桶から立ち上がるのに苦労したことを挙げている。ラメで作られた鎧であるため、千波は鎌倉ロケの際での暑さなどの苦労を語っている。 『仮面ライダーSD』 八鬼衆の1人として登場。蠍を模した戦車スコーピオンGTに搭乗する。 『仮面ライダーSD マイティライダーズ』 グランショッカー一の科学者と言われる一方、珍発明も見せる。 『仮面ライダーSD 疾風伝説』 最終決戦に登場。ボウガン部隊の指揮も執る。 『仮面ライダーSD グランショッカーの野望』 九州の侵攻を担当。津波を起こす装置を作った桜島博士を捕える。 漫画『仮面ライダー11戦記』 ガイストの主幹の1人として再生される。敗れた怪人を始末するなど、非情さは健在。しかし、独断専行でネオキングダークを動かして計画を潰えさせ、自身が大首領に死をもって償わされる。 漫画『仮面ライダーSPIRITS』 BADANが復活させた魂(生前の記憶)を持たない再生怪人として登場。再生された機械合成怪人軍団を率いている。高知県において、捕らえた人々にサタンニウムを採掘させていた。 カニレーザーに変身してV3と戦うが、26の秘密「レッドボーンリング」によって倒される。 舞台『戦闘員日記』 戦闘員を育成するショッカーの幹部として登場。仮面ライダー2号との戦闘を繰り広げる。演じたのは本作品と同じく千波丈太郎。 『仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦』 門矢士 / 仮面ライダーディケイドを敵視する謎の男性・鳴滝が変身した大ショッカーの副首領。原典と同様、仮面ライダーのことを「仮面ラーイダ」と独特のイントネーションで呼び表す。一方、鎧のデザインはサソリの意匠を取り入れて黒く立体的にリメイクされており、武器だった斧と盾の形状も変化している。 鳴滝は以前、『仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010』の『仮面ライダーディケイド 完結編』でショッカー幹部のゾル大佐にも変身していたが、何故彼が昭和仮面ライダーシリーズの悪の幹部やその怪人態に変身できる理由について説明はない。一説では、ガイアメモリやライダーカードに類する、特定の対象への変身を可能とするアイテムを使用したのではないかと推測されている。 『仮面ライダーV3』第30話に登場。 身長:176cm 体重:51kg 出身地:ドイツ ドクトルGが「悪魔の戦士の精霊の儀式」を経て変身した、カニとレーザー光線銃の機械合成怪人。頭部や左肩の爪、頭頂の鋏、左腕の大型の鋏や変身前から続いて戦斧や剣を用いる右腕も含めたそれらの表面を覆う棘の形状からも、ドクトルGがモチーフとしていたサソリより、カニに近い容姿となっている。 変身前から続いて用いる戦斧・剣・盾のほか、新たな武器としてメガホン状の額から放つレーザー光線と口から吐く溶解泡でV3を苦しめるが、V3きりもみ反転キックを受けて敗北する。最後はドクトルGの姿に戻り、いさぎよく敗北を認めてデストロンの不滅とV3への別れの言葉を告げ、爆死した。 サソリがモチーフのドクトルGがカニの怪人となるという不可解さについては、制作側に多くのクレームが寄せられたほか、演者の千波も疑問に思っていた。根本的な経緯は判然としないが、シナリオライターが考えてきた案をそのまま使用したらカニになっていたそうである。 放送前にはカニレーザーの紹介をメインとした雑誌掲載用のミニ撮影会が催され、以後放送途中での新怪人撮影会が恒例となった。撮影会では、本編では使用していないドクトルGの短剣を構えるカットも存在した。 カニレーザーとしてのみ登場した作品 『宇宙の11 仮面ライダー銀河大戦』 マーダー帝国に再生され、最初からカニレーザーの姿で登場。ゼロ大帝や悪魔元帥と共にマーダーマシン01に搭乗する。 『スーパーヒーロー大戦』にてデザインがリメイクされており、名前の通りカニを全面的に意識した姿となっている。 『仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦』 大ショッカーの幹部として登場したドクトルGの怪人態。変身前から用いる戦斧のほか、盾を所持していた左腕が変化した鋏と頭部から放つレーザー光線が武器。特にレーザー光線は最大の武器であり、その威力は仮面ライダーたちを圧倒するほどである。最終決戦では、ディケイド、龍騎、ブレイドが使用した天装戦隊ゴセイジャーのゴセイカードの力でレーザー光線を跳ね返され、ディケイドら3大ライダーの「トリプルライダーキック」を受けて敗北し、鳴滝の姿に戻って次元の壁の彼方へ消えた。 原典では「カァーバラァー」という鳴き声だったが、本作品では「ガニガニ」になっている。 カニレーザーとしてのみ登場した作品 『仮面ライダーフォーゼ スペシャルイベント 天ノ川学園高等学校 春の学園祭スペシャル』 『スーパーヒーロー大戦』と同様、大ショッカーの幹部として登場。デストロン怪人だけでなく、ショッカー怪人やゾディアーツも率いてフォーゼやV3と戦う。 『ネット版 仮面ライダーウィザード イン マジか!?ランド』 「仮面ライダー刑事(デカ)」第3話に登場。ブイさん(仮面ライダーV3)の仇とされるデストロンの生き残りで指名手配犯。実はブイさんに何度も取り逃がされている。 『仮面戦隊ゴライダー』 壇黎斗 / 仮面ライダーゲンムが作り出したゲームの世界の怪人として登場。 千波丈太郎 - 『仮面ライダーV3』『戦闘員日記』 奥田達士 - 『仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦』 沢りつお - 『仮面ライダーV3』(カニレーザー) 岡田勝 - 『仮面ライダーV3』(カニレーザー) ^ a b 大全集 1986, p. 213, 「悪の軍団 その系譜 デストロン」 ^ a b 全怪獣怪人・上 2003, p. 97. ^ 怪人大全集 1986, p. 62, 「ドクトルG」 ^ 小田克己、村枝賢一『仮面ライダーをつくった男たち : 1971・2011』講談社、2011年11月、p.226。ISBN 978-4-06-376192-4 ^ a b c 怪人大全集 1986, p. 217, 「仮面ライダー STAFF CAST SPONSOR インタビュー 千波丈太郎」 ^ a b c d e f V3大全 2001, p. 80, 「仮面ライダーV3資料館①ドクトルGひみつ30」 ^ a b c d e f g h i j k OPF 151 2017, p. 22. ^ 怪人大全集 1986, p. 194, 「仮面ライダー怪人設定画集」. ^ 超辞典 2011, p. 538. ^ a b V3大全 2001, pp. 76-79, 「RESPECT 千波丈太郎 デストロン日本支部初代大幹部・ドクトルG役/俳優 JHOTARO SENBA INTERVIEW」」 ^ 講談社の書籍『仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦超百科』の記述より[要ページ番号]。 ^ OPF 64 2016, p. 14. ^ a b c V3大全 2001, pp. 71-75 ^ 『仮面ライダーをつくった男たち : 1971・2011』p.227 ^ a b 怪人大画報 2016, pp. 211-223, 「『仮面ライダーV3』-『仮面ライダーストロンガー』フォトセッションアルバム」 ^ 怪人大全集 1986, p. 69, 「カニレーザー」. 大全集シリーズ(講談社) 『創刊十五周年記念 テレビマガジン特別編集 仮面ライダー大全集』 講談社、1986年5月3日。ISBN 4-06-178401-3。 『創刊十五周年記念 テレビマガジン特別編集 仮面ライダー怪人大全集』 講談社、1986年10月10日。ISBN 4-06-178402-1。 『全怪獣怪人』下巻、勁文社、1990年11月30日。C0676。ISBN 4-7669-1209-8。 『宇宙船SPECIAL ’70年代特撮ヒーロー全集』 監修 金田益実、朝日ソノラマ、1998年5月30日。ISBN 4-257-03533-1。 岩佐陽一 『仮面ライダーV3大全』 双葉社、2001年5月1日。ISBN 4-575-29235-4。 『仮面ライダー画報』 竹書房/スタジオ・ハード編、竹書房、2001年9月25日。ISBN 4-8124-0783-4。 『全怪獣怪人大辞典(上巻)東映篇』 編集:井上嘉大、英知出版、2003年3月20日。ISBN 4-7542-2016-1。 石ノ森章太郎 『石ノ森章太郎 変身ヒーロー画集 -Before 1975-』 ジェネオン エンタテインメント、2004年3月24日。ISBN 4-89452-797-9。 『KODANSHA Official File Magazine 仮面ライダー』講談社 『Vol.2 仮面ライダー2号』、2004年10月8日。ISBN 4-06-367092-9。 『Vol.4 ライダーマン』、2004年9月24日。ISBN 4-06-367091-0。 『Vol.6 仮面ライダーアマゾン』、2004年8月25日。ISBN 4-06-367089-9。 『Vol.8 スカイライダー』、2004年7月9日。ISBN 4-06-367087-2。 『Vol.9 仮面ライダースーパー1』、2004年9月10日。ISBN 4-06-367090-2。 『Vol.10 仮面ライダーZX』、2004年10月25日。ISBN 4-06-367093-7。 『仮面ライダー怪人列伝 1号 2号 V3編』 安藤幹夫 編、竹書房、2011年5月2日。ISBN 978-4-8124-4542-6。 『仮面ライダー超辞典』 監修:石森プロ・東映、双葉社、2011年7月24日。ISBN 978-4-575-30333-9。 『仮面ライダー1971-1984 秘蔵写真と初公開資料で蘇る昭和ライダー10人』 講談社 編、講談社、2014年11月20日。ISBN 978-4-06-218566-0。 「仮面ライダー 1号・2号・V3・ライダーマン総特集」、『別冊宝島』第2394巻、2015年10月28日、 ISBN 978-4-8002-4622-6。 『仮面ライダー昭和 vol.3 仮面ライダーV3』 講談社〈講談社シリーズMOOK〉、2016年1月2日。ISBN 978-4-06-353569-3。 『週刊 仮面ライダー オフィシャルパーフェクトファイル』デアゴスティーニ・ジャパン 「ドクトルG」、『オフィシャルパーフェクトファイル』64号、2016年1月5日、 13 - 14頁。 「ドクトルG」、『オフィシャルパーフェクトファイル』151号、2017年9月5日、 21 - 22頁。 『宇宙船別冊 仮面ライダー怪人大画報2016』 ホビージャパン〈ホビージャパンMOOK〉、2016年3月28日。ISBN 978-4-7986-1202-7。 カズレーザー - お笑いタレント。芸名はカニレーザーに由来する。
ドクトルG
仮面ライダー (スカイライダー)
仮面ライダーシリーズ > 仮面ライダー (スカイライダー) 『仮面ライダー (スカイライダー) 』(かめんライダー スカイライダー)は、1979年(昭和54年)10月5日から1980年(昭和55年)10月10日までTBS系で、毎週金曜19:00 - 19:30(JST)に全54話が放送された、毎日放送・東映制作の特撮テレビドラマ作品、および作中で主人公が変身するヒーローの名称である。「仮面ライダーシリーズ」第6作に当たる。 本作品の正式な番組タイトルは、シリーズ第1作と同じ『仮面ライダー』(ロゴはオリジナルに一新)であるが、本放送当時より新聞のラテ欄・文献・その他においては第1作目との識別を容易にする目的で、『仮面ライダー(新)』、『仮面ライダー(スカイライダー)』など、カッコ部分を加えた表記が通例的に用いられている。本項目でも便宜上『仮面ライダー(スカイライダー)』表記で統一している。 「仮面ライダー」シリーズは1975年の『仮面ライダーストロンガー』で一度完結したが、1970年代末のSFブームの中で、歴代の日本製特撮ヒーローが子供から大人まで幅広いファンの注目を集めるようになる。その流れの中で登場した新しい「仮面ライダー」が、本作品である。 制作はこれまでのシリーズと同じく東映と毎日放送で、スタッフもプロデューサーに平山亨と阿部征司、監督に本作品へと参加するために同時期の『バトルフィーバーJ』を離脱した山田稔と『仮面ライダーアマゾン』以来の田口勝彦、音楽に菊池俊輔、メイン脚本家に伊上勝、殺陣に大野剣友会、ナレーションに中江真司と、これまでのシリーズを支えてきた顔ぶれが揃っており、基本的に初代の『仮面ライダー』から大きなスタッフ変更はない。平山側からの「ライダーのスーツアクターは大野剣友会の中屋敷鉄也(現:中屋敷哲也)で」との要望を酌み、技斗(殺陣師)にはこれまでのシリーズでスーツアクターと技斗を担当していた岡田勝を迎えた。中屋敷は、ライダーマンを除いて1号からストロンガーまでの全ライダーを演じた経験を持っていた。美術はエキスプロダクションの高橋章、キャラクター造形は同社を退社した三上陸男が立ち上げたコスモプロダクションが担当した。 主役に関しては東映主催による一般公募形式のオーディションが開催され、3786人の応募者の中から新人の村上弘明が選ばれた。また主役オーディションと同時にヒロイン3役のオーディションも開催され、応募者2010名の中から2名が選ばれたが、叶みどり役は該当者なしとなり、養成所の推薦により田中功子が起用された。 撮影所はこれまでのシリーズの拠点だった東映生田スタジオが前年に撤退したため、東映東京撮影所が制作拠点となった。ロケ地も以前は生田スタジオがあった川崎市北部が中心だったが、本作品からは関越自動車道沿いの埼玉県南西部が中心となった。アクションの撮影は、生田スタジオ時代は赤土の多い三栄土木を用いていたが、本作品以降は石の多い場所だったため、岡田はロケ場所探しが難しかったと述べている。 1977年に公開されたアニメ映画『宇宙戦艦ヤマト』のヒットをきっかけとしてアニメなどのリバイバルブームが起こり、『仮面ライダー』や『ウルトラマン』などの特撮作品にも注目が集まっていた。児童向け雑誌『テレビマガジン』では、1978年6月号での特集を皮切りに、仮面ライダーシリーズがカラーページで特集されるようになった。石森プロでは旧作品の上映会を実施し、1979年4月からはTBS系列で第1作『仮面ライダー』の再放送が開始されるなど、本放送当時に視聴者であった青年層を中心に仮面ライダーブームが広がっていった。 プロデューサーの平山はこのブームの動向を分析しており、1978年9月に毎日放送からの要請に応じ、本格的に新たな仮面ライダーの制作に乗り出した。企画に際し、平山は仮面ライダーファンクラブの会合に出席してファンからのアイデアも取り込もうとしていた。 当初、希望していた1979年4月からの放送開始は放送枠が確保できなかったために見送られたが、出版方面が堅調であることや同年正月に後楽園ゆうえんちで開催された仮面ライダーショーが例年の倍以上の集客となったことなどを理由として企画は継続され、同年10月からの放送に至った。 なお、前述したように平山はスタッフに監督の山田と脚本家の伊上らこれまでのシリーズの中心人物を迎えたが、共同プロデューサーであった阿部征司は同シリーズでの達成感や失敗した場合のデメリットなどから新作の制作に否定的であったため、参加を拒否した。 本作品の大きな2つの特徴として、前半の「原点回帰」と後半の「先輩ライダーの客演エピソードの多さ」という点が挙げられる。 当初は「初代」の『仮面ライダー』を意識し、仮面ライダー旧1号をベースにディテールアップした新たな仮面ライダー・スカイライダーと、人間に既存の生物の能力を加えて改造したシンプルな怪人との戦いを主体にしたハードなストーリーが展開された。また、主人公にはそれまでの仮面ライダーと差別化するセールスポイントとして、重力低減装置による飛行能力セイリングジャンプと、専用オートバイ・スカイターボで壁を破る必殺技ライダーブレイクが加えられた。この2点は、再放送の視聴率が低く毎日放送の局長会議が不調に終わったことから旧シリーズにない新要素として導入された。セイリングジャンプのシーンを始めとする本作品の特撮技術には、東通ecgシステムのビデオ合成が取り入れられた。 しかし、原点回帰を意識したがためにやや地味になったストーリーと、主役である仮面ライダーのキャラクター性の弱さのため、期待通りの視聴率は得られなかった(平均視聴率は、関東13.2%、関西14.2%)。また、飛行能力などの新機軸も充分にストーリーに生かすことができず、次第に使用されなくなった。 こうした苦境の中で、多くの番組強化策が行われた。まず、舞台をハンググライダークラブから喫茶店「ブランカ」に移してレギュラーキャラクターを一新し、主人公が仲間達のバックアップを受けて戦うことが強調された。また、ネオショッカーの指揮官を軍人色の強いゼネラルモンスターから派手で陽性な魔神提督に交代させ、コミカルな作戦も取り入れた。 そして第20話からは、歴代の仮面ライダーが次々にゲスト出演する。さらにサブヒーローとして9番目の仮面ライダーとなる「仮面ライダーV9」の登場も予定されたが、ゲストライダー編が好評を得て視聴率が向上したことによりV9の登場は見送られ、次作『仮面ライダースーパー1』の設定の基となった。 東映は前シリーズプロデューサーの阿部征司にも参加を打診し、制作開始前には本作品に否定的であった阿部は何をやってもいいという条件でこれを受諾した。阿部は自身が好む明るく楽しいシンプルなヒーロー像へのイメージの一新を目指し、スカイライダーの配色や主題歌の変更を決定した。 スタッフ面では、監督陣にも新しい人材をという毎日放送からの要請を受けて、シリーズ初参加となる田中秀夫が監督に加わった。また阿部はメイン脚本の伊上勝が行き詰まっていると感じ、伊上を降板させた。 第28話で歴代仮面ライダーの特訓によってスカイライダーはパワーアップを遂げ、より明るい体色にスタイルを一新した。この新たなスカイライダーは、劇場映画『仮面ライダー 8人ライダーVS銀河王』でテレビに先駆けて披露され話題を撒いた。その後も様々な工夫が凝らされ、歴代ライダーの素顔での登場、コミカルな脇役ヒーロー・がんがんじいの活躍、怪談シリーズと銘打たれたホラー色の強い連作など、話題を提供し続けた。伊上に替わりメインライターを務めた江連卓は、「改造された人間がすごい力で敵をやっつける」という内容を嫌い、「人間は肉体の鍛錬や思考を限界まで行って敵に打ち勝つ」ということを伝えるため、主人公を過酷な目にあわせる内容を中心としたと述べている。江連は恋愛要素も盛り込みたいと考えていたが、阿部の賛同は得られず実現に至らなかった。 こうした番組強化の流れの中で、主人公も徐々にキャラクターが定着して魅力を発揮するようになり、当初の予定から若干延長した1年間強の放映となった。それ以降は、村上のスケジュール調整がかなわずに放映を終了し、『仮面ライダースーパー1』に引き継がれた。 7人ライダーがデルザー軍団を滅ぼしてから数年。かつて世界で猛威を振った秘密結社ショッカーの名を受け継ぐ新組織・ネオショッカーが現れた。 城北大学の大学生・筑波洋(つくば ひろし)はハンググライダーの練習中、ネオショッカーの魔手から逃れようとしていた人間改造工学者・志度敬太郎(しど けいたろう)博士を助けた。志度博士は、非情な組織のやり方に良心の呵責に耐え切れずに脱走したのだ。博士を匿う洋だったが、博士を追ってきたネオショッカーの怪人ガメレオジンによって瀕死の重傷を負ってしまう。洋を救うため、博士は洋を改造人間として蘇らせた。復活した洋は、ネオショッカーから人類を守るために戦うことを決意する。変身した洋の姿を見て、博士は洋を「仮面ライダー」と名付けた。 やがて、海外に旅立った志度博士に頼まれ、洋の大学の先輩・谷源次郎(たに げんじろう)が洋に協力することになった。 さらに、世界各地でネオショッカーと戦っていた7人ライダーが帰国。彼らとの特訓によって、スカイライダーはパワーアップした。 筑波 洋(つくば ひろし) / スカイライダー 城北大学の3年生でハンググライダー部員。練習中にネオショッカーに襲われる志度博士を救ったことから事件に巻き込まれ、部の仲間を皆殺しにされ自らも瀕死の重傷を負ったが、ネオショッカーに投降するふりをした志度に改造手術を施され、改造人間として復活した。 明るく勇敢な青年で改造人間になってしまったことを嘆くこともない。また他人への思いやりも強く、自分を改造人間にしてしまった罪悪感に襲われていた志度に、悪と戦う力を与えてくれたことへの感謝を語り、自分のことを庇って死んだ少年怪人ボンゴの墓前で涙を流すなど、心優しい人物像が描かれた。強化スカイライダーとして生まれ変わってからは破天荒な熱血漢という面も加わった。 一方で、かなり機転のきく人物でもあり、第2話で敵の情報共有不足に気づき、ネオショッカーの監察役を演じて誘拐された人間を奪回するなど高い判断力を見せることも多い。季節関係なく普段着を腕まくりする習慣がある。 物語冒頭より3年前に両親と妹を一度に喪うが、両親はネオショッカーに捕らえられていたことを知り、思わぬ形で再会するものの本当に両親を喪ってしまう。 東映プロデューサーの平山亨による初期企画書では、仮面ライダーファンクラブから挙がった「敬」という字とファンから人気の高かった風見志郎にあやかった風村敬太郎という名称であった。 怪人の強さを演出するため、絶体絶命のピンチに陥る展開が多い。 志度敬太郎(しど けいたろう) 人間改造工学の権威。ネオショッカーに協力を強制され逃亡していたところを、洋に救われる。自身のために瀕死の重傷を負った洋の命を救うため、ネオショッカーに協力するふりをして彼に改造手術を施したが、脳改造を故意に省略することにより、洋の自我を保ったまま仮面ライダーとして再生させた。その後、志度ハンググライダークラブを設立し、その会長として洋の戦いを支援した。 第14話で、海外のネオショッカー対策委員会に招請され、谷源次郎に後事を託し日本を離れた。同話では志度の置き手紙が読まれているが、別離のシーンなどは描かれなかった。 企画書では、1号を改造した緑川博士の弟子筋にあたるとされ、当時の児童書[要文献特定詳細情報]にも紹介されていた。 叶みどり(かのう みどり) 志度博士の助手で、志度と共にネオショッカーを脱走して志度ハンググライダークラブの会員となり、スカイライダーとなった洋を助ける。第1話では、どこか陰のあるキャラクターだったが、第2話以降は陽気で多弁な女性として描かれた。第14話の言動を観る限りではスカイライダーが洋であることは知らないらしい。第17話でヤモリジンの攻撃に遭い全治10ヶ月の重傷を負い、長期入院という形で退場した。 杉村ミチ(すぎむら ミチ) 第2話から登場する志度ハンググライダークラブの女性会員だが、第15話を最後に理由なく姿を消してしまう。 野崎ユミ(のざき ユミ) 第3話から登場する志度ハンググライダークラブの女性会員で、みどりの友人。みどりと共に第17話でヤモリジンの攻撃に遭い全治10か月の大怪我を負い、長期入院を余儀なくされるが、第33話で復帰。ナオコ・アキと共に活発な行動を見せる。 飛田今太(とんだ こんた) ボサボサの頭髪に無精ヒゲで関西弁を話すルポライター。初期のコメディリリーフ的存在。毎回、ライダーの戦いをカメラに収めようとするも怪人に急接近されては殴られたり、怪人の顔の恐ろしさに悲鳴をあげて気絶するというだけの役回り。いつも気絶してしまうせいか、作戦のターゲットとなったことはない。第16話を最後に登場しなくなった。 コメディリリーフとして今ひとつ機能しなかったことに加え、演じる東隆明の出演料が主演の村上弘明よりも高かったことが降板の理由であった。 叶 茂(かのう しげる) 第6話から登場するみどりの弟。当初はゲスト扱いだったが14話以降はレギュラーになった。洋を兄と慕い、その洋が変身した仮面ライダーにも強い憧れを抱いているが、洋が仮面ライダーとは知らない。第7話以降のオープニングクレジットより「シゲル」と表記される。 谷源次郎(たに げんじろう) 第14話から登場。喫茶店「ブランカ」のマスターで洋とは大学の先輩・後輩の仲。家族をネオショッカーに殺された過去を持ち、それ以降は谷源次郎を名乗る。本名は不明。ネオショッカー対策委員会のために日本を離れた志度博士に代わり、筑波洋のサポートを務める。洋がスカイライダーであることを知っているが、口外はしていない。その後立花藤兵衛と同様に歴代仮面ライダーの相談役を務めるようになる。劇中でゲスト出演した一文字隼人や城茂を“君付け”で呼ぶなど、立花藤兵衛とは異なる態度でライダーたちに接していた。終盤では髭を生やし始めた。下着は褌を着用。 プロデューサーの平山亨の証言によれば、「仮面ライダー」復活の際に、「立花藤兵衛」としての再登場を固辞した小林昭二が、新たなコーチ役として自身と同じウルトラシリーズの隊長役を演じた俳優である塚本信夫を推挙したことから誕生したキャラクターである。 沼 二郎(ぬま じろう) 第14話から登場の「ブランカ」のバーテンダー。周りからは「沼さん」と呼ばれている。リーゼント頭が特徴で「バカだなあ怒らせちゃって」が口癖。プレスリーのファンで、彼にとっての正装は「プレスリー衣装」らしい。 伊東ナオコ(いとう ナオコ) 第18話から「ブランカ」のアルバイトとして登場する。合気道が得意で、それで戦うこともある。38話で客演した城茂に対しては異性としての関心を寄せていた。たけしという弟がいる。 最終回の脚本では洋への思慕も描かれていた。この展開は次作『スーパー1』の最終話に継承された。 小沢アキ(おざわ アキ) ナオコと共に「ブランカ」のアルバイトとして登場する。大学でバトントワラーをしているらしく、バトンで戦うこともある。怪人の被害に遭うことが多い。オサムという弟とヨウスケというボーイフレンドがいる。 矢田勘次(やだ かんじ) / がんがんじい 第34話から登場。スカイライダーに協力するコミカルなヒーロー。当初は謎のヒーローとして登場していたが、その正体は改造人間ではなく、ヒーローを目指す青年・矢田勘次が自作の鎧を着た姿であることが41話で明かされた。自称「日本一のスーパーヒーロー」。まんじゅうとカレーが好物の関西人。「軍艦マーチ」の替え歌「がんがんマーチ」を歌いながら登場する。スカイライダーをライバル視していたが、やがてよき友人になっていく。大木を引き抜いて振り回すなど、腕力面では並みはずれた強さを示したが、戦力的にはネオショッカーにほとんど太刀打ちできず、怪人たちからは単なる変わり者か、邪魔者程度にしか認識されていない。作戦の邪魔をしても怒鳴られる程度で、殺されかけるどころか攻撃されることすらなかった(ドロニャンゴーのように、立ち去ることを許した怪人すらいる。一文字からも「足手まとい」と評されるほど)。作戦行動中の怪人にぶつかって謝罪するなどのシーンも多数描かれた。しかし、スカイライダーに協力して事件解決に貢献したこともある。移動手段は徒歩またはスクーター。いつも幟を付けている。最終回で洋がスカイライダーであることに気付く。 デザイン画での名称は「強力ゴリガン」。平山による企画書では「ガンガンジー」とカタカナ表記であった。 『週刊仮面ライダーオフィシャルデータファイル』ではヒーローではなく怪人枠で紹介されている[要文献特定詳細情報]。 筑波洋太郎(つくば ようたろう) 人工心臓学の権威だったのをネオショッカーに付け狙われ、協力の要請を続けられていた洋の父。 協力を拒み続けたがためにネオショッカーの手で妻共々交通事故に見せかけて殺されたと思われていたが、ドクターXの言葉で改造人間「FX777(魔神提督)」として生きていたことが明らかになった。しかし、これは罠で魔神提督は別人であり、実際は協力を拒み続けたことで見せしめとして冷凍刑にされていたことが53話で判明した。 筑波寿子(つくば としこ) ネオショッカーに幽閉され大首領の召使いにされていた洋の母。53話では負傷した城茂を助けた。その後、洋と再会。彼女を守りたい故に戦いを離れた洋を叱咤するが、直後ドクロ暗殺隊隊長が放ったボウガンから洋を庇って倒れ、大首領の弱点が右足であることを洋に伝えて息を引き取る。彼女の死は洋の戦線復帰のきっかけとなった。 本作品以前の仮面ライダーシリーズに登場し、日本を守った7人の仮面ライダー。デルザー軍団壊滅後は日本を離れ、世界各地でネオショッカーと戦っていた。そして、ネオショッカーを追って海外から次々に帰国し、第20・21話のストロンガーを機に、スカイライダーと共闘する。 当初は声優のアフレコによる変身後のみの登場だったが、1号ライダーとアマゾンライダーを除いた5人は第31話以降、オリジナルキャストのゲスト出演もあった。また、素顔も含めてゲスト出演したライダーは、いずれも変身ポーズの効果音が変更されている。 詳しくはリンク先を参照(すべての登場話数は放送日程節のリストに記載)。 仮面ライダー1号 - メキシコで戦っていた。 一文字 隼人 / 仮面ライダー2号 - アマゾン、ポリネシア、アラスカで戦っていた。 風見 志郎 / 仮面ライダーV3 - ボルネオやギリシャで戦っていた。 結城 丈二 / ライダーマン - ニューヨークや南アフリカで戦っていた。 神 敬介 / 仮面ライダーX - エジプトで戦っていた。 仮面ライダーアマゾン - 第二の故郷・アマゾンやペルーで戦っていた。 城 茂 / 仮面ライダーストロンガー - 東南アジア(インド)で戦っていた。 世界征服を目論む巨大な秘密組織で、歴代の秘密結社で最初期に猛威を振るったショッカーの名を継ぐ組織だが、直接の関係は不明。 動植物や妖怪をモチーフとした怪人を操り、来るべき食糧危機に備えて世界の人口を3分の1に減らし、残った人間は改造人間として手先に使い世界を支配するのが目的で、中盤からは怪人や兵器などを前面に押し立てた日本征服を展開する。初期では倒された怪人・アリコマンドやその手にかかった犠牲者は、青い光を発しながら蒸発するシーンが随所にあった。初代幹部のゼネラルモンスターが怪人ヤモリジンとして敗北し粛清された後は魔神提督が着任、8人ライダーと死闘を繰り広げた。 シンボルマークは「N・S」の文字を繋げ、かつてのショッカーの如く鷲のように見立てたものが用いられている。 ネオショッカー大首領 「暗黒星雲の帝王」も名乗る、ネオショッカーの支配者。姿を見せることはなく、基地の赤い巨眼を輝かせて指令を下す(第9話から大幹部の玉座が追加され、第34話からは基地全体ごと一新されている)。魔神提督の着任後はあまり指示を送らなかったが、第53話でその姿を現す。 その正体は地球侵略を企むB26暗黒星雲が送り込んできた、竜を思わせる巨大な宇宙怪獣。好物は人間の耳で、長い尾と口からの火炎放射が武器。地震を起こすこともできる。洋の母・寿子を捕らえ、自分の世話係をさせていた。 魔神提督を処刑後、直々に采配を振る。第54話で自ら地球上の酸素をすべて消滅させる酸素破壊爆弾を使って日本征服のためのV作戦を開始し、7人ライダーとの戦いでは彼らを圧倒するが、戦線復帰したスカイライダーに弱点である右足の裏をボウガンで射抜かれ、7人ライダーのキックの前についに倒れる。最期は酸素破壊爆弾とともに上空での自爆を謀るも、8人ライダーのエネルギーを結集させたセイリングジャンプによって宇宙に飛ばされ、大爆発して果てた。 大首領の声はショッカーからデルザー軍団までの大首領と同じ声だが、両者の関係については劇中では語られていない。 劇場版『仮面ライダー 8人ライダーVS銀河王』の準備稿『9人ライダー対銀河大要塞』では、魔神提督ではなく大首領が直接指揮をとるという展開になっており、大首領の正体に触れることも検討されていた。 第54話では、実物大の頭部と足の造形物が用いられた。第54話の監督を担当した奥中惇夫は、普段とは違う画面作りを意図して最後の爆発シーンに合成を加えようと考えたが思うような描写にならず、時間がなくなり爆発を重ねるのみとなった。 書籍『仮面ライダー大全集』では東映作品『仮面の忍者 赤影』のじじごらとのイメージの類似を指摘している。 ゼネラルモンスター 日本支部初代大幹部。火炎放射も可能なステッキ、短剣と左手の鉤爪が武器。人殺しを生き甲斐とする冷酷な人物。普段している眼帯にはヤモリが描かれている。 忠実な部下には鷹揚な面を見せるが権威主義的な性格であり、逆らわれること・茶化されること・無礼な振舞いを非常に嫌う。また、第2話では部下のクモンジンにスカイライダーの存在を教えていなかったため、ネオショッカーの監察役を装ったスカイライダーにアジトへ侵入され、誘拐した人間を奪還されるという秘密性ゆえの大失敗を犯している。秘密性に関しては作戦実行者の怪人とゼネラルモンスターしか秘密を知らない、大首領をも欺く策略を展開してスカイライダーを罠にはめようとする作戦との形で発揮したこともあるが、経験を積んで成長していたライダーに怪人の芝居を見破られ失敗に終わっている。プロフェッサー・ドクの改造手術を受け、ヤモリジンとなる。 当初は黒い軍服を着ており、コスチュームは階級が上がった第9話から一新され、左手が義手化した。怪人製造に並々ならぬ関心を寄せ、改造人間研究者のプロフェッサー・ドク(後述)とは友人である。 書籍等の設定資料[要文献特定詳細情報]より、元・ドイツ国防軍の将校で、ショッカーのゾル大佐と死神博士、デストロンのドクトルGとは面識があり、特にゾル大佐が率いる連隊の副官だったとされている。ただし、ゾル大佐の部下としてかつてはアウシュビッツのガス室管理人ではあったが、隻眼であるのはゾルのように漏れたガスによるものではなく、後年自衛隊の攻撃を受けた際に負傷したためである。 演じる堀田真三は、派手な動きを抑えて不気味さを表現することを意識していたが、うまくいかず悔いが残ったことを述べている。 脚本家の伊上勝によるシノプシスでは、正体怪人はゴリラジンの予定だった。 ヤモリジン ゼネラルモンスターの怪人体。 左腕のヤモリの頭と尻尾を分離・変形させたヤモリムチ、頭部のヤモリの足に似た触角(右)に仕込まれたヤモリ爆弾、手形ミサイルが武器。ヤモリ分身の術を駆使する。 ヤモリ谷での最終決戦でスカイキックを受け元に戻るが、最終作戦でライダーを道連れに自爆しようとした矢先、空から魔神提督が放った光線を受け爆死した。 ヤモリジンは第28話で再生怪人II世部隊の1人として復活したが、ライダーたちの総攻撃の中、1号ライダーのライダーキックで倒された。 その他の登場作品 『仮面ライダー 8人ライダーVS銀河王』 第28話同様、再生怪人II世部隊の一人として登場。黄色いマフラーを付けている。XライダーのXキックで倒される。 魔神提督(まじんていとく) 第17話から登場。南米支部において幾多の実績を上げており、その活躍から二代目日本支部大幹部に着任。劇中ではドクターXによって改造後、アリコマンド養成所々長になり、そこでの働きから大幹部に昇格したとされているが、詳細は不明。 不甲斐ない日本支部の怪人を見限り、海外の支部から呼び寄せた複数の有能な怪人による作戦を展開する。しかしながら多数の意味不明な作戦も同時に行っており、怪人をスカウトする時や作戦を採用する時は独特の判断基準を持つ。 残忍、独裁的で無能者や反対者を嫌う性格ではあるが反面ユーモラスな一面もしばしば見せ、有能な部下は大いに褒めて厚遇する度量も持つ。常に持っている魔神剣(まじんけん)は激怒した時に雷を起こすことも可能(35話)。 ゼネラルモンスターのように怪人体に変身することはなく、そのままの姿で怪人と同等、もしくはそれ以上の戦闘力を持つ。武器は腰に佩いた長剣、毒液を流し込む入れ歯、右腕に仕込んだ機銃四基と溶解毒ガス攻撃などである。また、左腕は取り外すことで遠隔操作できる。傷付いても月光の間で月の光を浴びれば回復し、また、時限爆弾となる心臓は本人いわく「倒されても心臓さえ無事ならば大首領によって復元することができる」らしい。 数々の作戦はあえなく失敗し、終盤では洋の父・洋太郎が改造された姿と偽って精神的に追い詰めた洋を自爆で道連れにしようとするが、あと一歩のところで城茂に計画を看破され失敗。2号ライダー、ストロンガー、スカイライダーの3人のライダーキックの前に敗退。最後通告を受けた後の敗北のため、最期は大首領に見限られ心臓を粉々に握り潰され死亡した。この回で最後の出演となったが、第54話にもオープニングクレジットに表記されたままだった。 その他の登場作品 『仮面ライダー 8人ライダーVS銀河王』 銀河王を賛美しつつ、内心では軽蔑していた。富士山麓地下に基地を設ける。 『ロボット8ちゃん』 本作品と同様に石森原作、東映制作の特撮テレビドラマ。テレビシリーズ第41話にゲスト出演。ただし、病院にいるモブ的な登場であり本作品との関連はない。 その他および各国支部長 第7話において、パリ会議にインド支部長、モスクワ支部長、北京支部長、エジプト支部長、ポーランド支部長が出席。「人間減らし計画」がいずれも順調であると報告している。全員白い覆面をしている。 第18話に5人の裁判員が登場。魔神提督が着任後、プロフェッサー・ドクの死刑判決を下す。1人は判決に戸惑ったため、魔神提督に処刑される。上記の各国支部長と同じく素顔は全員白い覆面をしているが、こちらは額にネオショッカーの赤いエンブレムが入っている。 隊長蛇塚(たいちょうへびづか) 第52話に登場したネオショッカーのアリコマンド養成所所長。コードナンバーはFX-797(劇中では名前で呼称されることはなかった)。軍隊や蛇のような能力を持っており、他の怪人とは異なり最も人間に近い外観をしている。戦闘時は剣を使用したり、左手を熊手状の鉤爪に変形・伸縮させて相手を攻撃する。本人を洋の父親(改造人間「FX-777」)だと疑うスカイライダーを信じ込ませ追い詰めようとするが、コードナンバーを見破られてしまう。FX-777が関東管区司令官に転属していることをスカイライダーに喋るも、最期は救援に駆け付けたストロンガーとの共闘で倒された。 怪人 幹部の指示に従い、作戦を行なう改造人間たち。ガメレオジンからドラゴンキングまでの怪人は頭部に逆三角形の形をした赤いランプが付いている。これは体内メカの異常な熱上昇を防ぐための冷却装置の作動を示すものであり、闘争心が高まり体内メカがフル稼動し始めると点滅する。怪人の死亡時の体温は2000°C。主に動植物の能力を移植されているが、妖怪的な姿をした者もいる。初期の怪人には名前の最後に「ジン」という名が付いていたが、中盤以降はマダラカジンを最後に登場しなくなり名前の最後に「ロン」か「ンガー」と付く怪人が何人かいた他は名前の共通語尾はなくなった。魔神提督の着任後は海外の支部から呼び寄せられた強力怪人が投入された。その中には、歴代ライダーを苦戦させたグランバサーミーなどの強敵もいるが、パワーアップしたスカイライダーと歴代ライダーの活躍で駆逐された。劇場版『仮面ライダースーパー1』の「ドグマ復讐兵団」にはネオショッカーの怪人が含まれている。 怪人の中でも隊長や司令官(オオバクロンは王子、黄金ジャガーは将軍)などの称号を持つ者もいる。黄金ジャガーは実際に将軍の階級にあることが作中で語られている。 デザインは下半身がタイツ姿のシンプルなものがほとんどである。初期の怪人にはショッカー怪人のイメージが反映されている。 戦闘員 アリコマンド 一般の人間を改造し、アリの能力を付与した改造人間。外見は黒いタイツ状の皮膚で全身が覆われ、その額にはアリの改造人間である証としてアンテナ代わりの触角が生えている。腰に巻かれたネオショッカーの紋章をあしらったベルトのバックルは、怪人の金色に対して、下等な改造人間であることを示す銀色である。 通常「ヒャイーッ」または「ケイーッ」という甲高い奇声を上げて意志の表現を行っているが、怪人などとのコミュニケーションの際は必要に応じて人間の言葉を話すことも可能である。ただし時には人間の言葉と奇声が交じり合ってしまうこともある。 身体的には250キロの物体を持ち上げられ、100メートルを5秒で走り、10メートルの跳躍力を持つとされている。特殊能力としては、地中から自由に出現できるアリの能力を与えられている。また、人間に化けて活動することも多く、筑波洋を欺いたこともある(15話)。時には岩石に姿を変えることもあった(1話)。 死ぬとマスクの口の部分から白いガスを吐き、全身が青白く光り溶けて消えてしまう(1話、5話)。例外的に、死後白骨化してしまう場合(33話)や、爆発する場合(34話、44話、47話)もあった。 通常は武器を持たないが、作戦に応じて棒や剣、チェーンなどを与えられる。オートバイテクニックにも優れており、一部隊に456人いるとされる。中には特訓によりスカイライダーと同等のスカイキックを修得した者もいる(47話)が、そのほとんどは怪人の能力の実験台にされたり、役に立たなくなったと判断されると即座に廃棄処分にされる(52話)。 ちなみに、劇中ではアリコマンドの改造・修理過程や育成のための養成所が描かれている(38話・52話)。 怪人1体に20人支給され、36・37話ではドラゴンキング配下の拳法を使用する部隊「闇の戦士団」が登場した。作業の合間に指相撲をして遊んでいるなどお茶目で人間臭い者も存在する(47話)。このほか、玩具[要文献特定詳細情報]のみであるがアリコマンダーと呼ばれる、軍服と軍帽を着用した指揮官らしき存在が設定されている。 ドクロ暗殺隊 第53話 - 第54話(最終話)に登場した大首領直属のアリコマンド部隊(隠密隊)。顔をドクロの面で覆っている。隊長はマントを着用している。 魔神提督亡き後、大首領の命令により洋と母親を襲撃する。通常のアリコマンドよりも戦闘力を上回っている(彼ら曰く「雨のように襲い風のように人を刺す」)。駆け付けた一文字隼人と洋により全滅したかに見えたが、生き残った隊長はボウガンで洋の母を殺害、怒りに燃える洋の反撃により絶命。スカイライダーはこのボウガンで大首領の弱点である右足の裏を射抜く。 巫女集団 第52話 - 第54話(最終話)に登場した大首領直属のアリコマンド部隊。魔神提督(第52話の冒頭シーン)と共に大首領の怒りを静めるために用いられた。主に大首領のために舞いを披露したり、食事など身の回りの世話をすることが主任務。ちなみに巫女とはいえ、全員が男性を改造したアリコマンドである。 この他、29話ではヒカラビーノを祝福するため古代エジプト衣装を着た女性の踊り子が、32話ではなまはげの恰好をして太鼓を叩くアリコマンドも登場していた。 アリコマンド少年隊 第50話に登場した子供のアリコマンド部隊。タガメラスが誘拐した男児(少年)を改造した姿。ただし男児すべてが改造されるのではなく、とくに大人や悪童に険悪感を抱く少年を選抜し、また適性テストで合格者のみ厳選され、不合格者はタガメラスに血や水分を吸い尽くされる(その後の少年の生死は不明)。タガメラスがスカイライダーに倒されると、少年たちは元の人間の姿に戻っていった。 アリコマンド養成所 第38話・第52話に登場したネオショッカーの戦闘員アリコマンドの養成施設。 第38話では、所長の怪人ガマギラスの下、ネオショッカーの科学者ドクター・メデオが若い男性たちにアリコマンドになるための脳改造手術を施していた。ちなみにマコリアインターナショナルという架空の警備会社の募集という形で、若い男性たちを集めていた。ストロンガーとスカイライダーの活躍により、養成所は破壊されている。その戦いの際、感電死したアリコマンドが1名、仮面ライダーたちに盾とされてガマギラスの溶解液を浴びて溶けてしまった不幸なアリコマンドが2名いた。 第52話に登場した養成所は改造後のアリコマンドの訓練施設であった。所長は隊長蛇塚。一人前の戦闘員になるために訓練中のアリコマンドたち(画面上では20人及び蛇塚付きの2人が確認できる)が、激情に身を任せて突入してきたスカイライダーによって攻撃を受けた。一時的に優勢に立ったもののストロンガーが加勢に加わり、形勢が不利になった途端に逃げ出すアリコマンドも多数存在した。 白アリコマンド 白アリの能力を付与した改造人間。怪人製作やライダーの能力分析が主な任務。白いタイツ状の皮膚で全身が覆われており、アリコマンドと同様に額に退化した触角を持っている。 腰に巻かれたネオショッカーの紋章をあしらったベルトのバックルは、やはりアリコマンドと同様に下等な改造人間であることを示す銀色である。 アリコマンドと同様に甲高い奇声をあげて意志の表現を行うが、人語を話すこともある。 筑波洋を改造した際には志度博士が助手として特に手先の器用な白アリコマンドを選んだと当時の児童向け資料[要文献特定詳細情報]に書かれている。 また、戦闘能力は一般のアリコマンドと比較しても、著しく劣っている。 普段はアジト内で活動するが、例外的に40話では怪人オカッパ法師の頭部の皿が乾かないように湿らす専属要員として2名の白アリコマンドが最前線での任務に就いた。やはり無抵抗の状態でスカイライダーに2名とも倒されている。 52話では、頭に銀色の横線がついており、金色のグローブやブーツに赤いマントを着用した者も登場した。 プロフェッサー・ドク 第16話から第18話まで登場した、白タキシード姿の改造人間研究者。スカイキックを分析してゴキブリジンを作り出し、ゼネラルモンスターをヤモリジンに改造した。ゼネラルモンスターの友人であり、彼に対する忠誠心は厚い。彼のスカイライダー打倒計画をサポートしたが、ゼネラルモンスターが倒された後、着任直後の魔神提督により死刑判決を受ける。判決の際抗議したが「無能」との理由により命乞いも空しく、シビレイジンの電気椅子で処刑され、跡形もなく消滅してしまった。 ドクター・メデオ 第38話に登場。仙人のような格好をした科学者で、脳改造が趣味。求人広告で若者たちを集めてアリコマンドにしたり、洋を再改造しようとした。アジトに乗り込んだストロンガーの電ショックにより倒された。 死人博士(しびとはかせ) 第42話に登場。正体はゾンビーダの変身体。黒い帽子に黒マントの姿をしており、杖を使ってゾンビーを操る。 ドクターX 第52話に登場。小児科医院にカモフラージュしたアリコマンドドックでアリコマンドの修理・廃棄を手がけている。かつて筑波洋の改造手術を担当したことがある。 洋、城茂に追い詰められた際に洋の父・洋太郎を「自身が改造した人間の中でも最高の芸術作品」と豪語したことで洋の逆鱗に触れ、制裁を受けた。 掛け声とともに一定のポーズを取ることで、変身ベルトトルネードの風車から風圧エネルギーを取り入れ、スカイライダーに変身する。ジャンプ力は重力低減装置の併用で垂直跳び200m。重力低減装置を使用しない場合は垂直跳び30メートル、幅跳び100メートル、走り幅跳び350メートル。走行速度は時速60kmである。その最大の特徴は、ベルトの両脇に付いた重力低減装置によりセイリングジャンプで滑空飛行が可能な点である。滑空飛行速度時速800キロメートル。滑空飛行可能高度は数千メートル(数キロメートル)。 第28話で先輩ライダー全員の特訓を経て強化した。それに伴い体色が明るい色使いになる。それまでメイン必殺技だったスカイキックに加え、重力低減装置を利用した99種類の空中殺法を編み出した。強化後、セイリングジャンプを使用する描写は見られなくなったが、第49話では映像による具体的描写はないものの、セイリングジャンプを使って危機を脱している。最終話では7人ライダーと組んでセイリングジャンプを使用した。 初期は赤いFマフラーに黒い斑点が複数見られたが、シナリオが進むにつれ、赤単色のみとなった。マフラーはセイリングジャンプ時には翼の役割を果たし、強化後は取り外すことでロープとなるローピングマフラーとなった。また、強化後はベルトのトルネード部分が大型になり、重力低減装置は逆に小型化している。 怪人アブンガーにより、スカイライダーの1日に必要とするエネルギー量(基礎代謝)は10万カロリー(=100キロカロリー)、スカイキックに必要とするエネルギー量は2万カロリー(=20キロカロリー)であると分析されている。 尚、変身前に洋が着ていた服は、変身後には胸の人工強化筋肉と人工強化皮膚の間に収納される。 名称 第1話において志度によって「仮面ライダー」と名付けられ、第20話以降に登場した歴代(先輩)の仮面ライダーからも8人目の仮面ライダーとして認められていた。「スカイライダー」の名は第20話に登場したストロンガーが最初に呼び、以降歴代ライダーはこの呼称を使用している。また、第41話以降はネオショッカーもスカイライダーと呼ぶようになる。 強化前後とも特定の名称は設けられておらず、S.H.Figuartsでは強化前をスカイライダー(強化前)、S.I.C.では強化後を強化スカイライダーとそれぞれ区別して商品化している。「強化スカイライダー」の名称は一部書籍でも用いられている。『宇宙船Archives SPECIAL 仮面ライダー(新)&仮面ライダースーパー1』では、スカイライダー(強化型)と記載している。 デザイン・造形 モチーフはイナゴであるが、放送当時の児童誌等[要文献特定詳細情報]では「バッタの能力を持つ改造人間である」とのみ明記されていた。 デザインは仮面ライダー旧1号を意識しているが、1号よりも生物寄りになっており、この傾向は『仮面ライダーBLACK』や『真・仮面ライダー 序章』にかけて強まっていく。石ノ森が書いた最初期のラフ画では、「仮面ライダー0号」と呼ばれ、「仮面ライダーX」のアポロガイストを彷彿とさせる仮面をつけている。 造形は第1期シリーズのエキスプロダクションからコスモプロダクションに替わったが、マスクの原型製作は第1作と同じく藤崎幸雄が担当した。 マスクは第1期シリーズで主流だった上下分割ではなく前後での分割となり、ラテックス製のアクション用マスクも廃止されFRP製のアップ用マスクでアクションも可能となった。分割の継ぎ目は、マスクのラインで隠されている。覗き穴はマジックミラー式となっている。 放送開始前の撮影会の時点では、胸部と腕部の色やマフラーの模様が異なり、ベルトは未完成であった。 強化後のスーツは、腕がレザー製になった。 アクション 殺陣を担当した岡田勝は、「初代のリメイク」という方向性のため明確な特徴を出せず、空を飛べるという設定もアクションには活かせないため、アクションをどう付けるか悩んだという。 キック(通常) 得意の空手技を応用した鋭いキック。その威力は抜群で、アリコマンドなら一蹴りで吹き飛ばされてしまう。 パンチ(通常) 鋼鉄より硬い拳によるパンチ。その一発で厚さ30センチメートルの鉄板をぶち抜く。破壊力はキックに比べればやや劣るものの、アリコマンドなら一発で倒すことができる。 スカイキック メインの必殺技で、多くの怪人に対する決まり手として使用された。200mの高さまでジャンプし、空中前方宙返りから一気に急降下し、全身のエネルギーを集中させたキックを繰り出すスタンダードな技だが、足のファイティングシューズの働きで破壊力が増幅されている。一度使うとエネルギー充填に0.5秒かかるのが弱点である。 プロフェッサー・ドクの分析では威力は500キロ。設定では「新品のダンプカーを一撃で破壊できる」とのこと。 大回転スカイキック 第21話でストロンガーとの特訓により身に付けた技。通常よりも多く空中前方宙返りを行い、威力を強化している。サイダンプとヒルビランを倒した。 大反転スカイキック 怪人の周りの壁を蹴って飛び回り、一瞬の隙をついてスカイキックを決める。グランバサーミーに大ダメージを与えた。 スカイスクリューキック 空中でのきりもみ回転から前方宙返り、さらにきりもみ回転をした後キックする。ヒカラビーノを倒した。 スカイフライングソーサー 空中で大の字となって回転、その中からスカイキックを決める。99の技の一つであり、ゾンビーダとタガメラスを倒した。 『平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊』では、仮面ライダーカブトを倒した。 スカイ大旋回キック 敵の周りをセイリングジャンプで旋回、一瞬の隙を突いてスカイキックを決める。99の技の一つであり、カガミトカゲを倒した。 スカイダブルキック 敵のキックに自分のキックをぶつけてその力で背面ジャンプして、もう一回キックする。アブンガーを倒した。 スカイパンチ 空中より飛び掛りながらパンチを放つ。 スカイチョップ 空中より飛び掛りながらチョップを放つ。 遠心投げ ジャイアントスイングのように敵を投げ飛ばす技。アリジゴクジンに大ダメージを与えた。 スカイドリル 腕を回転させて壁に穴をあける。主に敵アジトからの脱出時に使用。 スーパーライトウェーブ トルネード(ベルト)から渦状の閃光を放つ。対コウモルジン戦(3話)が初使用。 音波遮断の特性がある。 セイリングジャンプ 重力低減装置を使い滑空する。飛行中は首に巻いたマフラーが伸び、これにより飛行のバランスを取る。最高時速は800kmとされ、スカイターボより劣る。最大飛行高度は10000m。 水平回転チョップ 敵を放り投げた後ジャンプして回転、両手で4連続チョップを繰り出す。ドロリンゴが化けたにせスカイライダーに使用。 風車三段投げ 相手を肩に抱えてきりもみしながら空中へジャンプしたあと、自分を軸に三回回転して、遠心力で敵を放り投げ、落下した敵にパンチを打ち込む。99の技の一つで、キギンガーに大ダメージを与えた。 竹トンボシュート 風車三段投げと似たような技。99の技の一つ。クチユウレイに大ダメージを与えた。 岩石落し 敵を抱え上げてジャンプして、そのまま投げ飛ばして地面に叩きつける。ザンヨウジューに大ダメージを与えた。 ライダータイフーン脳天落とし 飛びかかりながら足で敵の首を挟み、自分の全体重をかけて敵の脳天を地面に叩きつける。リングベアに大ダメージを与えた。 三点ドロップ 空中で怪人の頭と足を同時に抑えこみ、体を反転させて敵の背中に足をかけ、そのまま落下する。グランバサーミーを倒した。 人体二つ折り 怪力を使いアリコマンドを腰から二つ折りにしてしまう技。30話で使用。 必殺空中稲妻落とし 空中でキャッチした敵を脳天から地上に叩き落す。第30話でオオバクロンを倒した。 ライダームーンサルト 敵の体を空中でキャッチ、ムーンサルトをしながら投げ捨て、脳天から地上に逆さ落としにする。ドブネズコンを倒した。 スカイアームドロップ 空中で敵の足を掴み、両腕を自分の足で踏みつけて、そのまま落とす。99の技の一つであり、ガマギラスを倒した。 スカイバックドロップ 空中で敵にバックドロップを決める技。オカッパ法師に大ダメージを与えた。 風神地獄落とし 敵の足を掴んでスクリュースピンで上昇、空中で振りまわした後、頭を地面に激突させる。ミミンガーを倒した。 スカイランニングストーム(スカイライトニングストーム) 敵の両腕を押さえ背中合わせのまま走り、連続して頭を叩きつける。99の技の一つであり、ドロニャンゴーに大ダメージを与えた。 ライダー卍固め(ライダーまんじがため) プロレスで使う卍固めの技。99の技の一つであり、ヘビンガーに大ダメージを与えた。 必殺飛び石砕き 集団で襲ってくるアリコマンドの肩から肩を踏みつけながら走り抜けることでダメージを与える。 念力返しライダースピン 竜巻のように体を回転させて強風を起こし、相手の念力を封じる。 槍渡り陽炎の術 自分の体重をゼロにして槍の上に乗ってしまう忍術。99の技の一つである。対黄金ジャガー戦で使用。 パイルドロップ テレビシリーズに先駆けて劇場版に登場した強化スカイライダーが使用。サドンダスに致命傷を与えた。 全長:2200ミリメートル 全高:1180ミリメートル 重量:300キログラム 最高出力:2000馬力 最高時速:1200キロメートル 総排気量:8000cc スカイライダーの専用バイクで2話より登場。制作者は志度博士。水素エンジンを搭載し、装備されたHVG(高振動発生装置)から発生する超振動波による体当たり技・ライダーブレイクやスカイターボアタックやスカイターボジャンプは強力。無人走行が可能。車体に専用エンブレムがプリントされている。22話では洋の常用バイクから変形するシーンが描写された。後にスカイライダーの強化に伴いチューンナップされた。変身前はTS250 9型。 制作関連 企画段階ではアルバトロスという名称であった。 ライダーブレイクの設定は、スカイライダーが飛行能力を持つため、バイクを移動手段ではなく攻撃手段として描くため取り入れられた。 デザイン・造形 撮影用のベースマシンは370CCのオフロード車である。劇場版で2台目が新調された。予備も含めて3台製作された。 その後、車両は次作『仮面ライダースーパー1』のブルーバージョンに改造されたという説も存在するが、スタントを務めた谷澤実は同じ車種の別の車両であると証言している。 NGデザインでは旧サイクロン号を意識した配色であった。 『仮面ライダースーパー1』 劇場版に登場。声は梶哲也。ドグマ復讐兵団に苦戦するスーパー1を助けるために登場。 本作品の最終回(第54話)で7人ライダーとともに宇宙の果てに散ったが、『スーパー1』の時代に地球に帰還したとされている。 『仮面ライダーZX』 テレビスペシャルに登場。声は梶哲也。 『仮面ライダーBLACK RX』 第41話から第47話(最終回)に登場。声は鳥居賞也。西ヨーロッパでクライシス帝国と戦っていた。「スカイキック」らしき蹴り技を霊界怪人相手に披露したり、高所に潜伏してた敵を「セイリングジャンプ」で発見したことを示唆する描写があった。 漫画『仮面ライダー11戦記』 ネオキングダークとの戦いでは重力低減装置を使って活躍。最終決戦の場に仲間を連れて行った。 映画『劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー』 冒頭のライダーバトルでは仮面ライダーイクサと戦い、セイリングジャンプで攻撃を回避し、スカイキックを放った。終盤では大ショッカーに苦戦するディケイドを助けるため登場。再びセイリングジャンプも使用した。 映画『仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010』 『仮面ライダーディケイド 完結編』の冒頭で空中からディケイド激情態を捜索中に「ディメションブラスト」を受けて炎に包まれて墜落後に爆発、ライダーカード化された。声は赤羽根健治。 映画『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』 ショッカーに苦戦する1号・2号、電王とNEW電王、オーズを助けるため、他のライダーとともに登場。ラストでは登場した全ライダーによるライダーブレイク(オールライダーブレイク)が最終必殺技として使用された。ただし技の掛け声は当時の現役ライダーであったオーズが行なった。 スーパーヒーロー大戦シリーズ 映画『仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦』 終盤で他のライダーやスーパー戦隊とともに大ショッカーや大ザンギャックと戦った。同じ飛行能力をもつ鳥人戦隊ジェットマンや仮面ライダーフォーゼとともに、空への攻撃を仕掛けた。 映画『平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊』 空から攻撃を仕掛け、スカイフライングソーサーで仮面ライダーカブト(ライダーフォーム)を倒すが、仮面ライダーフォーゼ(ロケットステイツ)に敗れ、ロックシードと化した。終盤で復活して地下帝国バダンと戦い、平成ライダーとの最終決戦では冒頭同様、カブトや8号ライダー繋がりの仮面ライダー電王(ソードフォーム)と戦った。声は石川英郎が担当。 映画『スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号』 歴史改変の影響でショッカーライダーになっていたが、最終決戦では1号と2号が復活したことで洗脳が解け、ショッカーに立ち向かった。 筑波洋 / スカイライダー(声):村上弘明 叶みどり:田中功子(1 - 17話) 杉村ミチ:伏見尚子(2 - 15話) 野崎ユミ:巽かおり(3 - 17・33 - 54話) 飛田今太:東隆明(1 - 12・14 - 16話) 伊東ナオコ:鈴木美江(18 - 54話) 小沢アキ:江口燁子(18 - 54話) 沼二郎:高瀬仁(14 - 54話) 叶シゲル:白鳥恒視(6・4・14・16 - 19・21・22・24・26 - 28・33・41・42・44・46・47・51・54話) 矢田勘次 / がんがんじい(声):桂都丸(34 - 54話) ゼネラルモンスター / ヤモリジン(声):堀田真三(1 - 17話) 魔神提督:中庸助(17 - 53話) 志度敬太郎:田畑孝(1 - 14話) 谷源次郎:塚本信夫(14 - 54話) 大首領(声):納谷悟朗 ナレーション:中江真司 高森真一:石井茂樹(2話) 高森健二:鵜川貴範(2話) のぶ子の母親:森愛(3話) さとる少年:新井裕人(3話) のぶ子:神林由香(3話) 上村可也:長谷川真由美(4話) 田代博士:水村泰三(5話) 田代美也子:妃口久美子(5話) 田代絵美:満中志保(5話) 三田雪江:上原美佐(6話) 院長:相馬剛三(6話) 久美子:吉田みどり(6話) 母親:重盛てる江(7話) 満:藤原哲也(7話) 京子:塩月徳子(7話) 村上頭取:佐藤晟也(8話) 三好良一:中田博久(9話) ミスター怪力:団巌(9話) パンチャー鈴木:吉宮慎一(9話) トレーナー:原田力(9話) 三好良次:武田弘樹(9話) 純平:三浦浩史(9話) 純子先生:橘麻記(10話) 神山たくみ:榎本哲也(10話) 明夫:増田忠則(10話) 正彦:根岸智夫(10話) 正夫:長田義嗣(10話) ミツコ:香野なつみ(11話) 平井二郎:平井公彦(11話) タケシ:斉藤真一(11話) 長沼ススム:森宏之(11話) オサム:上村貢(11話) 清水浩夫:藤山浩二(12話) 母親:伊藤慶子(12話) 清水公夫:伊藤としみ(12話) 今井博士:相馬剛三(13話) 子供:小林綾子(14話) 岡田博士:田川勝雄(15話) 三田:長沢大(18話) なぎさの母:中村万里(18話) 三田なぎさ:高梨路子(18話) 野村博士:太刀川寛(19話) 野村トシキ:加藤守夫(19話) 山田助手:片桐次郎(19話) 父親:藤山浩二(20話) 安田弓子:原あけみ(20・21話) 里の子:山本日出一(20話) 金山:相馬剛三(21話) 金山清:杉本司(21話) 井本:鎌田功(21話) シン:野沢勝(22話) みつ子:小林綾子(22話) 風見志郎 / 仮面ライダーV3(声):宮内洋(23・34・35話) 伊東次郎:北村総一郎(23話) 川口博士:南城竜也(24話) 川口さゆり:大久保和美(24話) エルザ:ワニタ・ソマーボルト / (声):菊池紘子(25話) 中学生:内田大嗣(26話) 遠藤先生:橘麻記(26話) 校長:河合絃司(26話) 老巡査:里木佐甫良(26話) 義雄:榎本哲也(26話) 泉田:佐々木一哲(27話) 泉田カオリ:猪又ゆう子(27話) 吉田:柄沢英二(28話) 吉田あきら:猪野塚弘之(28話) 吉田よし子:渡辺直美(28話) 館長:武内文平(29話) ガイド:衣通月子(29話) 看護婦:平野まり(29話) 母親:谷本小代子(29話) 小池先生:久保田民絵(30話) 令子:城山美佳子(30話) ミノル:村田博(30話) ススム:吉田博紀(30話) マスミ:高砂洋子(30話) 京子:浜田友里子(30話) 神敬介 / 仮面ライダーX(声):速水亮(31・32話) ユキ子:野川愛(31・32話) ユキ子と三郎の父:松本朝夫(31・32話) 結城丈二 / ライダーマン(声):山口豪久(33話) アベックの男:杉欣也(33話) 南博士:明石勤(34・35話) 南亜矢子:桜井浩子(34・35話) 一文字隼人 / 仮面ライダー2号(声):佐々木剛(36・37・39・40・53・54話) 上条清子:麻生淳子(36・37話) 上条タケシ:七五三木猛明(36・37話) 城茂 / 仮面ライダーストロンガー(声):荒木しげる(38・52 - 54話) 青年:榎戸一郎(38話) ミス・キレーダ:松香ふたみ(39・40話) 村人:小池幸次(45話) 駐在:夏木章(45話) 浩介:安田勝明(48話) 浩介の母:中真千子(48話) 医師:久遠利三(48話) 筑波寿子:折原啓子(52 - 54話) 筑波洋太郎:加藤和夫(52・53話) 長沼博士:西本裕行(52話) スカイライダー役の中屋敷鉄也は、東映プロデューサーの平山亨から指名されたが、面をつけての芝居に嫌気が差しており『戦国自衛隊』への出演も決まっていたことから思い悩んだが、後輩の仕事を確保するために本作品への出演を決めた。 スカイライダー、仮面ライダー1号、仮面ライダーV3(34-35話の一部):中屋敷鉄也 スカイライダー(31-33話の一部代役)、偽スカイライダー:新堀和男 仮面ライダー1号、仮面ライダー2号:岡田勝 ライダーマン、怪人:赤坂順一 仮面ライダーX(54話)、偽スカイライダー:岩泉芳武 仮面ライダーストロンガー:橋本春彦 スカイライダー(トランポリン)、仮面ライダー1号、仮面ライダー2号、偽スカイライダー、怪人:上田弘司 仮面ライダー2号、仮面ライダーV3、仮面ライダーストロンガー、偽スカイライダー、怪人、がんがんじい:河原崎洋夫 アリジゴクジン:宗方慎一 大首領:石塚信之 本作品、そして次作『スーパー1』で多数の脚本を執筆した土筆勉は、かつて「高田裕史」の名で俳優として活動しており、『ライダー』や『V3』にも端役で出演した経験がある。 原作:石森章太郎 連載:テレビマガジン、テレビランド、たのしい幼稚園、冒険王、おともだち、毎日小学生新聞(26話まで) プロデューサー:平山亨(東映)、阿部征司(東映、18話 - ) 脚本:伊上勝、平山公夫、江連卓、田口勝彦、土筆勉、鷺山京子、鈴木生朗 音楽:菊池俊輔 撮影:小林武治、工藤矩雄、松村文雄 照明:戸塚和夫 美術:高橋章、丸山裕司 助監督:工藤清、大上典保、草間宏之、廣西真人、大野義弘 仕上製作:映広音響 録音:太田克己 編集:菅野順吉 効果:今野康之(スワラプロ) 選曲:茶畑三男 記録:安部伸子、勝原成子、福富京子、伊藤明子、藤本洋子、栗原節子 撮影チーフ(29話より「撮影助手」と表記):松村文雄、斉川仁、川合俊二 照明チーフ(29話より「照明助手」と表記):本田純一、諸星輝男 技斗:岡田勝 装置:内藤靖夫 装飾:大晃商会 衣裳:東京衣裳 美粧:入江美粧 操車:スリーチェイス キャラクター製作:コスモプロ ハングライダー:BIG BARD(1 - 24話) 特撮:矢島企画(1 - 15話) 怪人設定:榊精一郎 合成:チャンネル16 ECG:東通ecgシステム(1 - 19話) 協力:スズキ自動車、新日本国内航空(3 - 17話)、行川アイランド 現像:東映化学 進行主任:小迫進、川上正行 制作担当:佐久間正光 監督:山田稔、田口勝彦、奥中惇夫、田中秀夫、平山公夫、広田茂穂 制作:毎日放送、東映 『組曲 仮面ライダー』と題した前期BGM集(作曲・編曲ともに菊池俊輔)が番組開始時に発売された。これはシリーズで初めて商品化を前提にステレオ録音されたBGM集で、前期オープニングとエンディングや「変身!仮面ライダー」の各アレンジ曲も含まれていた。 番組前期に発売されたセリフ&効果音入り「アクションシリーズ」EPには「燃えろ!仮面ライダー」、「復活 〜よみがえる仮面ライダー」(『組曲 仮面ライダー』序曲)、「変身!仮面ライダー」、「はるかなる愛にかけて」の4曲が収録された。 劇場版『仮面ライダー 8人ライダーVS銀河王』および番組後期では、追加録音されたBGM(編曲は武市昌久)も使用された。CDには『組曲 仮面ライダー』のみのものと、後期BGMを含めたものの両方がある(組曲 仮面ライダー#関連音盤を参照)。武市は後期EDや挿入歌の編曲にも参加した。 第2話以降の恒例となっていたオープニングラストの中江真司によるライダー説明ナレーションは、本作品の前期が最後となった。また第1作『仮面ライダー』と同様に、番組途中でオープニングテーマも変更された。これに伴い映像も刷新され、さらにエンディングも含めて歌詞テロップが表示されるようになった。 オープニングテーマ 「燃えろ!仮面ライダー」(第1話 - 第28話) 作詞:石森章太郎 / 作曲・編曲:菊池俊輔 / 歌:水木一郎、こおろぎ'73 当初、オープニングは「変身!仮面ライダー」に予定されており、テレビサイズの録音もされていたが、パンチ(迫力)不足と言うことで「燃えろ!仮面ライダー」に変更された。そのため、BGMのアレンジ曲も「変身!仮面ライダー」の方が多い。 放送開始前の特番『不滅の仮面ライダースペシャル』における新ライダー紹介コーナーでは「燃えろ!仮面ライダー」と「変身!仮面ライダー」が編集で繋げられて使われていた。ただし、どちらも別テイクでありCD化されている音源ではない。 たいらいさおによるカヴァー・ヴァージョンも存在する。 オープニング映像は石森章太郎が絵コンテを担当した。 「男の名は仮面ライダー」(第29話 - 第54話) 作詞:石森章太郎 / 作曲・編曲:菊池俊輔 / 歌:水木一郎 第29話では挿入歌として使用された。 エンディングテーマ 「はるかなる愛にかけて」(第1話 - 第28話) 作詞:八手三郎 / 作曲・編曲:菊池俊輔 / 歌:水木一郎、こおろぎ'73 「輝け!8人ライダー」(第29話 - 第54話) 作詞:八手三郎 / 作曲:菊池俊輔 / 編曲:武市昌久 / 歌:水木一郎、ザ・チャープス 小林克也による英語の合いの手がイントロに入る。 劇場版『仮面ライダー 8人ライダーVS銀河王』ではささきいさお歌唱版がOPとして使用された。カラオケは水木版、ささき版ともに(イントロとバックコーラスを含めて)同じ音源である。 「変身!仮面ライダー」 作詞:石森章太郎/作曲・編曲:菊池俊輔/歌:水木一郎、こおろぎ'73 主題歌(上記)を参照。 本作品用の歌曲において歌詞に「スカイライダー」が入っているのは本曲と「燃えろ!仮面ライダー」のみ。 「オーオー仮面ライダー」 作詞:八手三郎/作曲・編曲:菊池俊輔/歌:水木一郎、こおろぎ'73、ザ・チャープス 「地平線からやってきた男」 作詞:石森章太郎/作曲・編曲:菊池俊輔/歌:水木一郎 「あれは仮面ライダー」 作詞:石森章太郎/作曲:菊池俊輔/編曲:武市昌久/歌:水木一郎、ザ・チャープス 「いま斗いの陽が昇る」 作詞:石森章太郎/作曲:菊池俊輔/編曲:武市昌久/歌:ささきいさお、ザ・チャープス サビ直前に小林克也による英語の合いの手が入る。 本来、劇場版のために作られた歌で、ささき版「輝け!8人ライダー」とともに劇場版主題歌のシングルに収録されたが、劇中では結局、使用されなかった。 本曲は主題歌・挿入歌LPにも収録されたが、一方、ささき版「輝け!8人ライダー」は劇場版シングルと同ドラマ編LPのみで、主題歌・挿入歌LPには収録されなかった。 主題歌・挿入歌LPには「8人ライダーヒットメドレー」というインスト曲も収録された。これは歴代オープニング曲と「ぼくのライダーマン」および「いま斗いの陽が昇る」のメロディーを繋げたものである(編曲:武市昌久)。同曲は劇場版およびテレビ版後期の戦闘シーンのBGMとして使用されたが、現在でもBGM集ではなく主題歌・挿入歌CDに収録されている。 本作品の放送開始に先駆け、1979年9月8日には放送開始記念の特別番組『不滅の仮面ライダースペシャル』が放送された。 いずれも販売元は東映ビデオ。 ビデオ(VHS、セル・レンタル共通)は全13巻がよりリリースされている。テープ内のタイトルは「スカイライダー」と記されている。 2004年2月21日から6月21日にかけてDVDが発売された。全5巻の各2枚組で各巻12話(Vol.5のみ1枚・6話)収録。 2008年7月21日発売の「石ノ森章太郎 生誕70周年 DVD-BOX」に第1話が収録されている。 『10号誕生!仮面ライダー全員集合!!』 スカイライダーとネオショッカー怪人が登場。 特記の無いものを除き、いずれの作品にもスカイライダーが登場。 『仮面ライダー 8人ライダーVS銀河王』 本作品の映画作品。1980年3月15日公開。 『仮面ライダースーパー1』 『仮面ライダースーパー1』の映画作品。本作品からはネオショッカー怪人も登場。 『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』 『仮面ライダー電王』と『仮面ライダーオーズ/OOO』の映画作品。 『仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦』 『平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊』 『スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号』 『ロボット8ちゃん』 魔神提督が登場。 『仮面ライダーBLACK RX』 BLACKの続編。終盤にスカイライダーが登場。 『S.I.C. HERO SAGA MASKED RIDER DEN-O EDITION -1971年4月3日-』 『仮面ライダー電王』の小説作品。ヘビンガーが登場。 『MASKED RIDER LIVE&SHOW 〜十年祭〜』 スカイライダーが登場。 すがやみつる版 詳しくは新・仮面ライダーを参照。 「テレビマガジン」1979年10月号から1980年10月号まで連載。1980年8月号増刊にも掲載。 石川森彦版 「冒険王」1979年10月号から1980年10月号まで連載。「別冊冒険王」1980年1月号と1980年4月号にも掲載。 山田ゴロ版 「たのしい幼稚園」1980年3月号に掲載。 「テレビランド」1979年10月号から1980年10月号まで連載。他のコミカライズ作品とは異なり、ハングライダー部の後輩である長谷川麻衣子と広瀬というオリジナルキャラクターが登場する。 後に連載された『仮面ライダーZX』の漫画作品に、スカイライダーが登場。 村枝賢一版 詳しくは仮面ライダーSPIRITSを参照。 『仮面ライダーSPIRITS』第十三話・第十四話「約束の蒼空(そら)(前編・後編)」がスカイライダーの主役編となっている。 CS放送 東映チャンネル…2007年2月 - 8月、2009年6月 - 12月、2012年2月 - 8月、2014年6月 - 12月 2009年の放送のみ「アンコールアワー」枠にて、それ以外はいずれも「石ノ森章太郎劇場」枠にて放送。 ネット配信 東映特撮 YouTube Official…2012年12月31日 - 2013年7月7日、2016年5月14日 - 2016年11月19日 東映特撮ニコニコおふぃしゃる:2018年12月16日 - デーモン小暮閣下は、聖飢魔II時代の『夜のヒットスタジオDELUXE』出演時にスカイライダーのベルトを着用していたことがある。ほかにも、スーパー1やBLACKのベルトも着用していた。 本作品以降のゲスト出演はスカイライダーとしてのみの登場で、筑波洋としての出演はなく、村上弘明が仮面ライダーにまつわる仕事を避けているという風評があった。これは、当時所属していた事務所の方針で仮面ライダーに関連する取材等を控えていたという事情がある。実際には関連書籍のインタビューに応じたこともあり、映画『ジュリエット・ゲーム』では劇中でスカイライダーの変身ポーズを行っている。事務所を移籍後は仮面ライダーに関して語る機会も増えている。 『スタジオパークからこんにちは』に出演した際、学生で金がなかったのでよく大野剣友会のメンバー(村上曰く「ショッカーの人」)に食事をおごってもらっていたことなど当時の思い出を語り、その一人であるスカイライダーのスーツアクター・中屋敷哲也(村上と同じ岩手県出身)からの手紙も披露された。また、ファンの電話でのリクエストに応え、変身ポーズを披露した。 2017年には、岩手県PR動画にて村上が『鉄神ガンライザー』の敵幹部キャラ・パッカー大佐と対峙した際に変身ポーズを披露した。 第39話・第40話の行川アイランドでのロケでは、宿泊先で心霊現象が起きた。ゲスト出演した佐々木剛の証言では、自殺したカップルの霊が女性に取り憑き、酔った佐々木が祓ったという。 ^ ファミリー劇場などでは『新・仮面ライダー』、東映チャンネルにおいては「仮面ライダー スカイライダー」と表記することもある。 ^ 次作『仮面ライダースーパー1』も担当することになる。 ^ 最終選考には、『スーパーロボット レッドバロン』の加藤寿や『恐竜戦隊コセイドン』の大西徹也ら特撮作品の出演経験がある俳優も残っていた。 ^ 村上弘明によると「空を飛んで移動できるとバイクに乗る必要性がなく、ライダーの意味がないという意見が出て飛ばなくなった」(鴻上尚史のオールナイトニッポン出演時のコメントより)とのこと[出典無効]。 ^ ライダーブレイクも使用されなくなっており、これについてバイクスタントを務めた谷澤実は「手間がかかるのが原因だったかもしれない」と推測している。 ^ ヒロイン3名の降板について平山亨は、学業などにより遅刻することがしばしばあったためと述べている。 ^ 歴代ライダーの客演回は、2話完結の前後編構成となることが多かった。 ^ 書籍『仮面ライダー1971-1984』では、長期入院のため第23話で降板したと記述している。 ^ 第34話では筑波洋がスカイライダーに変身することはなく、登場ライダーは客演の仮面ライダーV3のみという珍しいストーリーが見られた。 ^ 本作品の放送話数は2年間で98話も放送された『仮面ライダー』に次ぐ、13か月全54話の放送となった。 ^ 妹のことは一切語られなかった。 ^ これは、演者である田畑孝の健康上の理由による降板であり、田畑は本作品の放送期間中に死去している。 ^ 2号ライダー客演時の白兵戦でアリコマンド戦闘員にパンチを見舞ってダメージを与える描写もある(すぐに反撃されているが)。 ^ 当時から関連書籍等[要文献特定詳細情報]で、ショッカーとゲルショッカーの残党が関与しているとの記述も多いが、明確な設定ではない。ゼネラルモンスターが冷凍モルグの棺桶から蘇るような描写は一応ある。書籍『仮面ライダー大全集』では、『ストロンガー』の岩石大首領とネオショッカー大首領との間に直接の関係性はないものと推測している。 ^ 雑誌媒体[要文献特定詳細情報]では「世界の人口を3分の1に減らし悪の王国を建設するのが目的」と書かれた。この設定は後にフェードアウトした。 ^ 第32話に撮影された初期の大神殿を流用されている。 ^ 『仮面ライダーSPIRITS』にはJUDO(大首領)とは別の存在として登場している。 ^ またヤモリジンの姿が明らかになる前の時期の児童誌[要文献特定詳細情報]ではゾル大佐との容姿の類似性から、やはり正体はオオカミの怪人ではないかとの推測が立てられたこともある。 ^ アリコマンドの話。ただし洋を騙して苦しめる罠の一環なので、真偽は不明。 ^ 劇中で実際に発動するシーンが出たのは初期の怪人のみであり、後にその設定が生かされなくなったため、中盤から登場した怪人にはつけられていない。 ^ a b c 指揮官らしき白アリコマンド(52話)とドクロ暗殺隊隊長(53話 - 54話)は、怪人と同じくベルトのバックルは金色だった。 ^ 19話での断末魔の悲鳴、39話での笑い声など。 ^ ショッカー戦闘員のイメージを反映したものとされる。 ^ 52話予告編において先駆けて登場している(51話)。 ^ 当初は「変身!!」、第35話以降は「スカイ…変身!!」。 ^ 「変身」の掛け声を上げればバイクの加速(52話)や前転宙返り(劇場版)での変身も可能である。 ^ 仮面ライダーV3も滑空飛行能力グライディングマフラーが設定されているが、劇中では描かれていない。 ^ この変更は、体色の変化によって飛行シーンのバンクフィルムが使用できなくなったという制作上の事情である。 ^ ただし、48話のにせスカイライダーや、後続のシリーズの客演時では、旧タイプのベルトが使用されていた。 ^ それまでは歴代の仮面ライダーとの共演回のみ他の仮面ライダーと区別する目的で用いられていた。主題歌『燃えろ!仮面ライダー』の3番の歌詞で既に『スカイライダー』の呼称は登場している。放送開始当時の『テレビランド』(徳間書店)[要文献特定詳細情報]に掲載された記事では、ネオショッカーからライダーに救われた人々が「空を飛ぶ仮面ライダー」という事でスカイライダーと呼び始めた、と名前の由来を紹介していた。 ^ 書籍『仮面ライダー大全集』では、名称をライダー大旋回キックと記述している。 ^ 書籍『仮面ライダー大全集』では、竹とんぼシュートと表記している。 ^ 書籍『仮面ライダー大全集』では、名称を必殺空中落としと記述している。 ^ 書籍『仮面ライダー大全集』では、名称を風塵地獄落としと記述している。 ^ 書籍『仮面ライダー大全集』では、名称を念力返しスクリュースピンと記述している。 ^ 書籍『仮面ライダー大全集』『仮面ライダー怪人大全集』では「時速300キロ」、書籍『全怪獣怪人 下巻』では「マッハ2」、書籍『仮面ライダー画報』では「マッハ1.2(平常時の最高時速が300キロメートル)」とそれぞれ記載している。 ^ 「KAMEN RIDER」の「K」をあしらっている。 ^ 書籍によっては、スズキ・ハスラー250と記載している。 ^ 第13話のみ未登場、第17話にもクレジットされているが、未出演。 ^ 役名表記が「沼」としかクレジットされていない。 ^ 当初役者名は「謎の人?」と記され、41話以降では役名表記が「がんがんじい 実は…矢田勘次」となった後で、都丸の役者名がクレジットされた。 ^ 54話にもクレジットされているが、未登場。 ^ 役名表記が「志度会長」(1話のみ「志度博士」)としかクレジットされていない。 ^ 第23話は声のみ。 ^ 『ウルトラQ』や『ウルトラマン』(ともに1966年)に出演していた桜井浩子とは別人。 ^ ドクバチジン、コブランジン、ムササベーダー弟 ^ クラゲロン、マダラカジン、ドクガンバ、グランバザーミー、オオバクロン、トリカブトロン、タコギャング、ドラゴンキング、ガマギラス、オカッパ法師、ゾンビーダ、ミミンガー、アブンガー、タガメラス ^ ガメレオジン、クモンジン、コウモルジン、サソランジン、キノコジン、カマギリジン、ムカデンジン、カニンガージン、サンショウジン、ナメクジン、ハエジゴクジン、アオカビジン、ゴキブリジン、ヤモリジン、シビレイジン、オオカミジン、サイダンプ、コゴエンスキー、ムササベーダー兄、ゾウガメロン、ヒルビラン、ヒカラビーノ、黄金ジャガー、ドブネズゴン、マントコング、キギンガー、ウニデーモン、クチユウレイ、ドロニャンゴー、ヘビンガー、カガミトカゲ、ザンヨウジュー、リングベア ^ クレジットは「はるかなる愛に賭けて」。 ^ オープニング表記では「陣内達行(読み同じ)」。 ^ 現役を含めて同姓同名の女優が3人いるが、時代劇『破れ傘刀舟悪人狩り』(1974年・NET系)にレギュラー出演していた上原美佐である。 ^ 書籍によっては、名称をカマキリジンと記載している。 ^ オープニング表記ではナメクジジン。 ^ オープニング表記では村上伊知郎。 ^ 予告では「怪人ムササビ兄弟と2人の仮面ライダー」。 ^ 書籍『全怪獣怪人 下巻』では、名称をムササベーダーAと記載している。 ^ 書籍『全怪獣怪人 下巻』では、名称をムササベーダーBと記載している。 ^ 演じたのは佐藤達郎、稲葉裕之、町田政則、大蔵晶、溜健二、勝光徳など。 ^ オオカミジンII世(声:永江智明、第27話)、サイダンプII世(声:村越伊知郎)、ドクガンバII世(声:梶哲也)、ジャガーバンII世(声:倉口佳三)、その他(声:池水通洋、村越伊知郎、八代駿)。 ^ オープニング表記ではドブネズラー。 ^ 書籍によっては、名称をにせスカイライダーと記載している。 ^ 全怪獣怪人 下 1990, p. 82. ^ a b c d 映画大全集 1993, pp. 104-105, 「MASKED RIDER REALISTIC ALBUM 仮面ライダー[スカイライダー]」 ^ a b c d 「ヒーローファイル 仮面ライダーシリーズ(昭和)」『甦る!石ノ森ヒーローファイル』 Gakken〈Gakken Mook〉、2013年9月10日、pp.24 - 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仮面ライダー (スカイライダー)
ショッカー戦闘員
仮面ライダーシリーズ 仮面ライダー > ショッカー > ショッカー戦闘員 仮面ライダーシリーズ登場怪人一覧 > 仮面ライダーシリーズ第1期登場怪人一覧 > ショッカー戦闘員 ショッカー戦闘員(ショッカーせんとういん)は、特撮テレビドラマシリーズ「仮面ライダーシリーズ」の作品に登場する架空のキャラクターである。 ここでは、大ショッカー戦闘員やスーパーショッカー戦闘員などの派生作品での別名称のキャラクターについても解説する。 ショッカー怪人の配下で作戦の実行にあたるショッカーの最下級の構成員。現場で作戦行動や仮面ライダーへの集団攻撃を、ほぼ毎回担当している。劇中の扱いでは下っ端であるが、作品を構成する重要なキャラクターであり、『仮面ライダー』をよく知らない人たちは戦闘員の名前を「ショッカー」というのだと思っていることもある。 「イーッ」という独特の掛け声で知られる。当初の掛け声は「トオー」だったが、演じる大野剣友会の若いメンバーには腹に力を入れた発声が難しかったため、アフレコ中に山下啓介がたまたま叫んだ「イーッ」という声をミキシングの太田克己が採用し、一般化した。機材や予算が不足する状況では仕上げの際に効果音をつけることもできなかったため、剣友会のメンバーに「とにかく出てきたら『キェー』って言ってくれ」と頼んでいた、と太田は語っている。また、声優の沢りつおは「声のアイディアもこっちからこうやったら面白いんじゃないか、と言った覚えがある」と述べているが、「昔のことであるしアイディアも皆で出し合ったものだから確かではない」と付け加えている。当時の児童向けの説明では、お互いに元気づけるための掛け声とされた。 なお現実の戦闘員とは『国際的武力紛争において、敵対行為(戦闘行為)に直接参加する権利のある者』を指す。 第1話から第52話までは赤黒に模様分けしたタイツコスチュームのリーダー赤戦闘員と、黒いタイツコスチュームの最下級構成員黒戦闘員が登場した。戦闘員も改造人間であるが、製造法は「人間の体を特別な液につける」という簡単なもの。また、別の設定では人間の細胞を培養して造る合成人間とされる。名前はナンバーで呼ばれており、基本的に消耗品扱いである。初期は怪人との連携攻撃を行うこともあったが、任務の失敗による粛清や怪人の能力の実験台として殺される者も多い。また、所属の怪人が殺されると、戦闘員は運命を共にするかのように怪人と同様の消滅を余儀なくされる。 番組開始当初はベレー帽を着用して素顔に指揮官の怪人に合わせたペイントを施していたが、監督の折田至の発案で途中からアイマスクを被るようになった。2号の登場後はベレー帽を廃し、指揮官の怪人のマークを描いた覆面を被るようになったが、第14話のメキシコ支部ではベレー帽の赤戦闘員が居る。また、作品初期は各怪人に専属するという設定であり、その区別のために胸や額にその怪人を模したマークが付けられていた。死神博士編に入ると、額のマークは鷲を象ったショッカー汎用マークに統一される。作中の描写としても、普通の人間の恰好をした者が覆面を被っていることになっており、本郷や滝が戦闘員から覆面を奪い取って変装する場合もあった。 第15話で捕虜となった黒戦闘員のように、秘密漏洩を防ぐ目的で会話能力をオミットされている個体が存在する。 ショッカー壊滅後、生き残っていた戦闘員は第80話にてゲルショッカーのガニコウモルとゲルショッカー戦闘員によってショッカーに取って変わる新組織に要らなくなったため全員粛清された。白戦闘員としてショッカーに協力を強いられていたが、仮面ライダーの助けによって市井に戻った科学者の例もある。 ショッカー戦闘員も常人以上に強化されており、怪人の補佐、機械操作、通信、拉致、調査などを決行している。しかし仮面ライダーに対しては非力であり、滝和也や立花藤兵衛など、格闘技などで常人以上の能力を持つ者には倒されることがある。 児童誌などの分類は下記のようになっている。名称なども児童誌からで、劇中では明確な分類はされていない。 ベレー帽戦闘員 旧1号時代の戦闘員。第1話 - 第13話に登場。 リーダーである赤いタイツの赤戦闘員を筆頭に黒タイツの黒戦闘員で構成されている。ベレー帽の下は素顔に染料でメイクを行ったもの。各怪人の特徴によりメイクと胸のエンブレムが異なる。書籍『仮面ライダー1971-1984』では、「人間の3倍の戦闘力を持つ」と記述されている。 メイクのデザインは美術の高橋章による。第6話以降はアイマスクを被るようになる。立ち回りの際、汗でメイクが落ちてしまうために変更された。 女戦闘員 第1話、第3話に登場。 マスクペイントにレオタード・網タイツ姿で、首と腰に赤いマフラーを巻いている。誘拐や裏工作が主な任務という設定のため、戦闘シーンはないが、手の先から毒針を発射する。本郷を拉致した時も、蜘蛛男と共に作戦に就いていた。 黒戦闘員 主に2号編で活躍。第14話 - 第52話に登場。 フルフェイスマスクを着けた戦闘員。各怪人のエンブレムを額に有しているが、第46話以降はショッカーエンブレムに統一される。力は常人の1.5倍、あるいは4.5倍。 戦闘員役を演じるのは毎回同じ大野剣友会のメンバーなので、「倒されたのになぜ生きているのか?」と疑問をもたれないよう、監督の折田至がプロレスの覆面を持ってきて「これで隠したらどうか」と提案し、導入された。一方で、美術の高橋はメイクが間に合わなくなるからとも述べている。マスクのサンプルは高橋の妻が内職として制作した。 赤戦闘員 第14話 - 第29話・第32話 - 第34話・第36話 - 第38話・第40話・第42話・第44話・第47話・第48話に登場。 上記のベレー帽戦闘員の赤いタイツにマスクを着けた戦闘員。怪人幹部に次ぐ黒戦闘員の指揮官。第18話辺りから1人程度しか登場しなくなったうえ、ゾル大佐登場以降は登場しても戦闘には参加しなくなり、登場しない回も目立つようになった。死神博士登場以降は、より一層登場頻度が激減する。 白戦闘員(科学者戦闘員) 劇場版『仮面ライダー対ショッカー』ほかに登場。 白覆面にマーキングが緑で、白衣を着た科学班。白衣戦闘員とも呼ばれる。ベルトをしていない。主に怪人の製造、研究を任務とし、戦闘に参加することはほんどない。第74話には、「ドクター」と呼ばれる白戦闘員が登場した。ごく希に人間に変装することもある。アジトや秘密基地の外に出ることは極めて希。第81話では旧白戦闘員はアジトから解放されるが、新しい組織の怪人に処刑されるというくだりがある。その際に戦闘員には珍しく素顔が登場し、普通の人間の姿も見せている。科学班の出身らしく、「機械には強い。手伝おうか」という台詞がある。 新戦闘員(骨戦闘員、黒強化戦闘員、強化黒戦闘員) 第53話 - 第80話、劇場版『仮面ライダー対ショッカー』、劇場版『仮面ライダー対じごく大使』に登場。 タイツの胸の部分に骨模様が入っている以外は黒戦闘員と変わりはないが、かなり強化されている。怪人同様普通の人間態への変身能力も有する。設定では、常人の10倍から15倍の力を持つとされる。赤戦闘員も確認されているが出番は少なく、第67話でアルプス山脈担当として登場するのみ。額のマークはショッカーの象徴である鷲を象った汎用マークに統一。棍やレイピアを武器に仮面ライダーと戦った。オートバイ部隊や火炎放射器を装備した者(第60話)も存在し、登場当初は仮面ライダーと互角の勝負を演じるほどだった。また、第55話前半など、怪人抜きで作戦を遂行していたこともある。劇中では『仮面ライダー対ショッカー』で初登場。その後、テレビ本編でも地獄大使初登場からゲルショッカー結成直前まで登場した。 骨模様が施された理由は夜間の場面でも映えるようにするためで、毎日放送の石井照子の提案に基づく。 個別キャラクター No.3 演 - 石橋雅史 『仮面ライダー』第4話に登場したベレー帽戦闘員。サラセニアンの部下として登場。ナイフを投げて植物園に来ていた本郷猛を攻撃。ナイフを防がれると、ジャーマンガスを出す車で逃走するが、本郷に捕えられてしまう。そのミスでサラセニアンによって養分を吸いとられ、ベルトと服を残したまま跡形もなく消された。 影村 演 - 岩城力也 『仮面ライダー』第8話に登場した赤戦闘員。蜂女の部下として登場。「影村めがね店」の店長で、中高年くらいの男性。普段は人間の姿で暗躍しており、超音波を受信する眼鏡を販売し、それをかけた人間を操ろうとしていた。普通の人間の姿から正体を晒しだす場面がある。最後は上司である蜂女によって、命乞いをしたが通用せず失敗者、能無しとして剣を刺されて消された。 『仮面ライダー THE FIRST』 怪人たちの下に位置し、集団で動く量産性を重視した簡易型改造人間。 常人の3倍の力を持つ。黒尽くめのスーツにガスマスクをつけている。通常の部隊のほか、モトクロスマシン・ショッカー戦斗員バイクに乗るオートバイ部隊、白いスーツの科学班がある。機能停止すると泡となって消える。「イーッ」としか喋らない。 映画公式サイトなどでは「戦斗員」と表記されているが、これは旧作の放送当時、「闘」の字が簡体字である「斗」と表記されることが多かったことに基づく。 『仮面ライダー THE NEXT』 前作と異なり、「戦闘員」と表記されている。黄色い防護服を着用した科学班員も存在しており、シザーズジャガーの指揮下でナノロボットの散布に当たっている。また、ショッカーライダーも戦闘員同様に替えのきく戦闘要員として登場している。 ショッカーが登場するほとんどの作品に登場するため、特筆性のあるものを記述する。 #大ショッカー戦闘員・#スーパーショッカー戦闘員・#ショッカー骨戦闘員(ヤミー)・#スペースショッカー戦闘員もそれぞれ参照。 『仮面ライダーオーズ/OOO』 過去に仮面ライダーによって壊滅された悪の組織という設定で、残党戦闘員の1人・千堂院が登場。千堂院の欲望から生み出された戦闘員ヤミー軍団にも、ショッカー骨戦闘員が混じっている。#ショッカー骨戦闘員(ヤミー)も参照。 千堂院 演 - 村杉蝉之介 『仮面ライダーオーズ/OOO』第27話・第28話に登場。カザリによって、戦闘員ヤミー軍団の宿主として登場。その後、欲望が変化したことでイカジャガーヤミーという別の怪人も生み出すこととなる。 『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』 歴史改変によってショッカーが支配した世界で警察官の姿をしている個体が存在。怪人とともに人々を苦しめる。 『Let's Go RiderKick 2011』 ミュージックビデオに、仮面ライダー1号・仮面ライダー電王・仮面ライダーオーズとともに登場。 『スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号』 赤と黒のつなぎを着たエンジニアの骨戦闘員、白衣を着た科学者タイプの赤戦闘員、骨戦闘員をイメージしたレースクイーンが登場する。 『仮面ライダー1号』 ショッカーが、ノバショッカーと組織が分裂したことでノバショッカー戦闘員と対立。劇中では普通の人間の姿でノバショッカー戦闘員と小競り合いをする描写もある。 『仮面ライダー』の舞台版となる『仮面ライダー 戦闘員日記』『仮面ライダー 戦闘員日記2』に登場(それぞれショッカー戦闘員を主人公とした作品となっている)。 戦闘員48号 演 - 山本剣 主人公。『戦闘員日記』『戦闘員日記2』に登場。『戦闘員日記』では、ドクトルGに育成される若手戦闘員として描かれている。 戦闘員15号 演 - 海老原智彦 『戦闘員日記』に登場。48号の同僚。 長老 演 - 中屋敷哲也 『戦闘員日記2』に登場。ドクトルCが管理する新潟支部の戦闘員として登場。 『ヒーローを作った男 石ノ森章太郎物語』にて、『仮面ライダー』の撮影当時の再現シーンに唐沢寿明たちが演じるベレー帽赤戦闘員が登場する。ただし、史実を元にしたフィクション作品という位置づけからも戦う相手が旧1号ではなく新1号であるなど、実際の当時とは異なっている。 いずれもパロディ色が強い内容となっている。 リクルートB-ing ショッカー戦闘員の心情を描いたCM。『仮面ライダー』の映像が使用されている。 日清 太麺堂々 ショッカー戦闘員が「恋愛レボリューション21」の替え歌に乗せて踊るCM。 ネオファースト生命保険 ショッカー戦闘員が二階堂ふみ演じる妻と生命保険に入るという設定のCM。 『仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー』 ショッカー骨戦闘員が大ショッカーの下級戦士として登場。 大ショッカー戦闘員は、ショッカー戦闘員の残党が大ショッカーによって新たな能力を加えられた者で、武器の短剣には大ショッカーの紋章が書かれている。 体が爆弾化されており、地上での集団行動のほか、足裏からの噴射でミサイルのように特攻するという人間魚雷のような戦法も見せる。また、同作ではデストロン戦闘員も大ショッカー戦闘員として登場する。 『MASKED RIDER LIVE&SHOW 〜十年祭〜』 ショッカー骨戦闘員が大ショッカーの下級戦士として登場。 見習い戦闘員ウー / ガニコウモル / ライオトルーパー 声:森久保祥太郎 『十年祭』オリジナルキャラクター。「見習い」のゼッケンをつけたショッカーの落ちこぼれ戦闘員。ドジな性格で、地獄大使からは幾度となくクビを宣告されかけている。 戦闘員の掛け声「イーッ!」が言えず、どうしても「ウィーッ!」となってしまう。 同じく落ちこぼれのクウガと仲良くなり彼らを助けてしまったことで組織を追われ、ついには洗脳を受けて怪人ガニコウモルとなってしまうが、クウガの歌で我を取り戻し、ライオトルーパーへと転生する。 『仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010』 スーパーショッカーの下級戦士として登場。大ショッカーの戦闘員を強化改造したものとされている。 『仮面ライダーオーズ/OOO』 演 - 近藤春菜(ハリセンボン)、箕輪はるか(ハリセンボン)など ショッカーの残党戦闘員・千堂院の欲望から生み出されたヤミー(『仮面ライダーオーズ/OOO』の登場する怪人)として登場。同話には、ショッカー骨戦闘員のほか、デストロン戦闘員・ドグマファイター・チャップ・魔化魍忍群・ワーム(サナギ体)・レオソルジャー・マスカレイド・ドーパントもヤミーとして登場している。 なお、上述の通り、お笑いコンビハリセンボンが演じた赤いマフラーをした個体も登場するが、誕生直後に疲れをみせ、オーズとの戦闘は無いままとなっている。 『仮面ライダー×スーパー戦隊×宇宙刑事 スーパーヒーロー大戦Z』 スペースショッカーの下級戦士として登場。 初代ショッカーと同じ構成員で、スペースイカデビルの配下には骨戦闘員、スペース蜘蛛男の配下には黒戦闘員と赤戦闘員の2種類が入っている。 ゲルショッカー戦闘員 『仮面ライダー』に登場。その名の通り、ゲルショッカーの戦闘員で、戦力がショッカー新戦闘員の2倍とされている。詳しくはゲルショッカー#ゲルショッカー戦闘員を参照。 デストロン戦闘員 『仮面ライダーV3』に登場。その名の通り、デストロンの戦闘員。上述の通り、『仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー』では、ショッカー戦闘員とともに、大ショッカー戦闘員として登場。詳しくは仮面ライダーV3#デストロン戦闘員を参照。 ノバショッカー戦闘員 『仮面ライダー1号』に登場。その名の通り、ノバショッカーの戦闘員。ショッカー戦闘員がアーマーを付けたようなデザイン。詳しくは仮面ライダー1号 (映画)#ノバショッカーを参照。 蚯蚓男(ミミズ男) 『仮面ライダー 1971-1973』に登場。テレビシリーズ『仮面ライダー』に登場するものとは別のキャラクターで、『仮面ライダー 1972』におけるショッカーの戦闘員として登場。 大蟻男(オオアリ男) 『仮面ライダー 1971-1973』に登場。『仮面ライダー 1973』におけるショッカーの戦闘員として登場。 ショッカーライダー 『仮面ライダー THE NEXT』では、替えがきく戦闘員のような存在として登場する。詳しくはショッカーライダーを参照。 アントロード 『劇場版 仮面ライダーアギト PROJECT G4』に登場。フォルミカ・ペデス、フォルミカ・エクエスは、それぞれ、ショッカー黒戦闘員とショッカー赤戦闘員を意識してデザインされている。詳しくは劇場版 仮面ライダーアギト PROJECT G4#アントロードを参照。 ^ トカゲロン配下の戦闘員のみ(本編映像ではベレー帽タイプに統一されているが)覆面タイプの戦闘員も、スチール写真のみながら存在する。第13話は再生怪人軍団の登場により戦闘員の出番は少なく、トカゲロン配下の戦闘員が付けているトカゲロンのマークも本編の映像では見ることはできない。 ^ 第42話・第44話・第45話を除く。 ^ 第8話を除く。 ^ 書籍によっては毒矢と記述している。 ^ 書籍によってはこのときの戦闘員を「オートバイ戦闘員」と記述している。 ^ 第42話・第44話・第45話を除く。 ^ 書籍『全怪獣怪人 下巻』では、黒戦闘員の2倍と記載している。 ^ 岩城力也は、『仮面ライダー』第52話でもショッカーの関係者として登場している。 ^ 中屋敷哲也は、『仮面ライダー』のテレビ本編でも、第50話や第59話などでショッカーの関係者を演じている。 ^ a b OFM 特1 2005, p. 6. ^ 『仮面ライダーSPIRITS』第7巻、講談社、2005年2月、pp.230 - 231。ISBN 4-06-349195-1 ^ 怪人ランキング 2014, p. 98, 「ランキング寸評 編集部ぶっちゃけ座談会」. ^ a b 怪人ランキング 2014, pp. 6-7, 「第2位 926pts ショッカー戦闘員」 ^ 『仮面ライダーX・アマゾン・ストロンガー大全』双葉社、2004年9月、p.69。ISBN 4-575-29732-1 ^ OFM2 2004, p. 31. ^ OFM3 2004, p. 30. ^ a b 100のひみつ 2009, p. 56. ^ 大全集1986, p. 28, 「挑む男」. ^ a b 怪人大全集 1986, pp. 17、37. ^ a b c d e f g h 全怪獣怪人 下 1990, pp. 44-45, 「ショッカー ゲル・ショッカーの戦闘員たち」 ^ a b 仮面ライダー1971-1984 2014, pp. 25、71 ^ 大全集 1986, p. 34, 「出会い、そして別れ」. ^ 超辞典 2011, p. 397. ^ カード図鑑 1997, p. 111, 仮面ライダーカードNo.303「戦闘員はにんげんか?」. ^ a b 大全集1986, pp. 8-9, 「ライダーパワー」 ^ a b c 仮面ライダー1971-1984 2014, pp. 24-25, 「ショッカー」 ^ a b 怪人大全集 1986, p. 17 ^ 画報 2001, p. 30. ^ a b c 怪人大画報 2016, pp. 50-61, 「『仮面ライダー』美術監督対談 三上陸男×高橋章」 ^ 語れ! 2013, p. 17. ^ 大全集 1986, p. 15, 「戦う男」. ^ a b オールライダー&全怪人昭和 2013, p. 6. ^ 怪人大全集 1986, p. 37. ^ カード図鑑 1997, p. 69, 仮面ライダーカードNo.142「新戦闘員は どのくらい強いか?」. ^ 熱闘伝 2003, p. 117. ^ a b c OFM 特1 2005, p. 7. ^ ケイブンシャの大百科シリーズ[要文献特定詳細情報] ^ OFM1 2004, p. 21. ^ OFM7 2004, pp. 30-33, 高橋和光「特集 毎日放送スタッフ 『仮面ライダー』を育てたTVマン」. ^ 怪人大画報 2016, p. 178, 「仮面ライダー スタッフ・キャスト人名録 2016年版」. ^ オールライダー&全怪人昭和 2013, p. 104. ^ 「週刊 仮面ライダー オフィシャル データファイル」の記述より[要文献特定詳細情報]。 ^ OFM 特2 2005, p. 7. ^ 宇宙船YB 2002, pp. 134、161. 大全集シリーズ(講談社) 『創刊15周年記念 テレビマガジン特別編集 仮面ライダー大全集』 講談社、1986年5月3日。ISBN 4-06-178401-3。 『創刊15周年記念 テレビマガジン特別編集 仮面ライダー怪人大全集』 講談社、1986年10月10日。ISBN 4-06-178402-1。 『全怪獣怪人』下巻、勁文社、1990年11月30日。C0676。ISBN 4-7669-1209-8。 木下正信 『仮面ライダー 仮面ライダーV3 カード完全図鑑』 竹書房、1997年5月31日。ISBN 4-8124-0300-6。 『仮面ライダー画報』 竹書房/スタジオ・ハード編、竹書房、2001年9月25日。ISBN 4-8124-0783-4。 『仮面ライダー熱闘伝』 新潮社、2003年7月16日。ISBN 4-10-790017-7。 『仮面ライダー超辞典』 監修:石森プロ・東映、双葉社、2011年7月24日。ISBN 978-4-575-30333-9。 『決定版 オール仮面ライダー&全怪人超百科〈昭和編〉』 講談社、2013年5月24日。ISBN 978-4-06-304836-0。 『語れ!仮面ライダー』 KKベストセラーズ〈ベストムックシリーズ〉、2013年12月26日。ISBN 978-4-584-20497-9。 『僕たちの「仮面ライダー」怪人ランキング』 宝島社〈TJ MOOK〉、2014年9月28日。ISBN 978-4-8002-3083-6。 『仮面ライダー1971-1984 秘蔵写真と初公開資料で蘇る昭和ライダー10人』 講談社 編、講談社、2014年11月20日。ISBN 978-4-06-218566-0。 『宇宙船別冊 仮面ライダー怪人大画報2016』 ホビージャパン〈ホビージャパンMOOK〉、2016年3月28日。ISBN 978-4-7986-1202-7。 雑誌 『KODANSHA Official File Magazine 仮面ライダー』(講談社) 『Vol.1 仮面ライダー1号』、2004年7月9日。ISBN 4-06-367086-4。 『Vol.2 仮面ライダー2号』、2004年10月8日。ISBN 4-06-367092-9。 『Vol.3 仮面ライダーV3』、2004年8月10日。ISBN 4-06-367088-0。 『Vol.7 仮面ライダーストロンガー』、2004年11月25日。ISBN 4-06-367095-3。 『特別版 Vol.1 ショッカー』、2005年9月22日。ISBN 4-06-367099-6。 『特別版 Vol.2 ショッカー / ゲルショッカー』、2005年9月22日。ISBN 4-06-367150-X。 「綴込特別付録 宇宙船 YEAR BOOK 2002」、『宇宙船』Vol.100(2002年5月号)、朝日ソノラマ、2002年5月1日、 131-170頁、 雑誌コード:01843-05。 「テレビマガジンクラシックス 完全復刻『ショッカー100のひみつ』」、『仮面ライダーマガジン』Summer '09、講談社、2009年8月8日、 41 - 56頁、 ISBN 978-4-06-379365-9。
ショッカー戦闘員
租税
租税(そぜい、英: tax)とは、国や地方公共団体(政府等)が、公共財や公共サービスの経費として、法令の定めに基づいて国民や住民に負担を求める金銭である。現代社会においてほとんどの国が物納や労働ではなく「お金(おかね、その国で使用されている通貨)」による納税方法 (金銭納付) を採用しており、日本では税金(ぜいきん)と呼ばれている。 税制(ぜいせい) 税制(租税制度)は、歳入(財政)の根幹及び政治経済(経世済民)そのものである。商売や契約・取引等の行為及び所得や有形無形の財産などに対して税を賦課することを課税(かぜい)、課税された税を納めることを納税(のうぜい)、徴収することを徴税(ちょうぜい)、それらについての事務を税務(ぜいむ)という。政府の財政状況において租税徴収額を減額することを減税、逆に増額することを増税(ぞうぜい)という。 政府が「お金」の価値を保証することと租税の制度を存続させることとは表裏一体で、日本においては、明治時代の紙幣・債権経済への移行期に地租改正を行い通貨による納税制度を取り入れている。政府が「お金」の価値を保証することは、近世社会以降において治安と並んで国家的機能の重要な働きの1つで、国内的なあらゆる取引における一定の価値および安全性を保証するものである。なお、何よりもまず念頭におかなければならないのは、「税制改革」が法改正であるという事実であり、日本では、昭和63(1988)年、竹下登内閣の元、賛否両論を抱えたまま消費税を3%とする「税制改革法」が採決・施行され、同法に基づき平成元(1989)年に消費税法が施行された。 政府は、国家の基盤的機能を維持するため、個人から生殺与奪の権利を取り上げ、社会的ジレンマや外部性(フリーライダー)を回避する施策を検討しなければならない。租税には、次の4つの機能・効果があるとされている。 公共サービスの費用調達機能 - 「市場の失敗」という言葉に象徴される市場経済のもとでは提供困難なサービス(軍事、国防、裁判、警察、公共事業など)の提供のための費用を調達するための機能。 所得の再分配機能 - 自由(私的財産権の保護)と平等(生存権の保障)は、究極的には矛盾する考え方であるが、今日の多くの国では、いわゆる福祉国家の理念のもと、国家が一定程度私的財産に干渉することもやむを得ないことと考えられている。このような考え方に基づいて持てる者から持たざる者に富を再分配する機能。 経済への阻害効果 - 投資意欲の妨害、生産活動・労働意欲の阻害、消費意欲の低下など、経済が本来あるべき姿を歪め、経済全体に悪影響を与える効果。ジョン・メイナード・ケインズも述べるように、政府が忘れてはならない事として、重い徴税はビジネスなど経済活動を完全に止めてしまうのであり、極端に高い税率ではなく中等の税率こそが政府にとっての最大の税収になる。特に、国富が著しく喪失して景気が悪化している状況での増税による緊縮財政は極めて有害な政策である。 景気の調整機能 - 自由主義経済体制における特殊な調整機能。景気の循環は不可避のものとされるが、景気の加熱期には増税を行うことにより余剰資金を減らし投資の抑制を図る。逆に後退期には減税を行うことにより余剰資金を増やし投資の活性化を行う。これにより、ある程度景気を調節することが可能であるとされる。現代の租税制度は累進課税を採用している租税が国等の主要な財源を占めているため、所得の変動に応じた税率の変動により、景気が自動的に調整されるという効果を有する。この効果は「自動景気調整機能(ビルト・イン・スタビライザー)」と称される。 租税制度に関する一般的な基本原則として、アダム・スミスの4原則やワグナーの4大原則・9原則、マスグレイブの7条件などの租税原則が知られており、それらの理念は「公平・中立・簡素」の3点に集約できる。それらはトレードオフの関係に立つ場合もあり同時に満たされるものではなく、公正で偏りのない税体系を実現することは必ずしも容易ではない。種々の税目を適切に組み合わせて制度設計を行う必要がある。 租税法律主義とは、租税は、民間の富を強制的に国家へ移転させるものなので、租税の賦課・徴収を行うには必ず法律の根拠を要する、とする原則。この原則が初めて出現したのは、13世紀イギリスのマグナ・カルタである。 近代以前は、君主や支配者が恣意的な租税運用を行うことが多かったが、近代に入ると市民階級が成長し、課税するには課税される側の同意が必要だという思想が一般的となり始めていた。あわせて、公権力の行使は法律の根拠に基づくべしとする法治主義も広がっていた。そこで、課税に関することは、国民=課税される側の代表からなる議会が制定した法律の根拠に基づくべしとする基本原則、すなわち租税法律主義が生まれた。現代では、ほとんどの民主国家で租税法律主義が憲法原理とされてる。 租税が課される根拠として、大きくは次の2つの考え方がある。 利益説 - ロック、ルソー、アダム・スミスが唱えた。国家契約説の視点から、租税は個人が受ける公共サービスに応じて支払う公共サービスの対価であるとする考え方。後述する応益税の理論的根拠といえる。 能力説 - ジョン・スチュアート・ミル、ワグナーが唱えた。租税は国家公共の利益を維持するための義務であり、人々は各人の能力に応じて租税を負担し、それによってその義務を果たすとする。「義務説」とも称される。後述する応能税の理論的根拠といえる。 租税制度は仕組みの異なるさまざまな税目から成り立っている。それぞれの税目には長所と短所があり、観点の違いによって様々な分類方法がある。 税負担の尺度となる課税ベースに着目した分類として、所得課税、消費課税、資産課税等がある。OECD諸国における各国平均の課税割合を右に記す。 所得課税 個人の所得に対して課税される個人所得課税(所得税など)と、法人の所得に対して課税される法人所得課税(法人税など)がある。累進課税による特性として、経済自動安定化機能(ビルト・イン・スタビライザー)をもたらすとされる。 所得控除、医療費控除をはじめ、年金貯蓄や住宅投資などに対する優遇措置など、納税者の負担軽減のための様々な制度を導入しやすいことが利点でもある反面、それらの制度が既得権化すると公平性を損なうだけでなく、課税ベースの縮小によって税収調達機能の低下、非効率化といった問題を生じる。また、納税者個々の収入を把握し的確に課税し徴収する必要があるため正確な徴税が行いにくく、この制度を有効に活用するには税務当局の能力の向上が必須となる。このため3つの課税ベースのうちでもっとも開発が遅れ、所得課税が租税全体において大きな役割を果たすのは国家の徴税能力の向上した近代以降のことである。また同じ理由で、納税・徴税者双方に大きな事務的な負担がかかる課税である。このことから、所得課税は先進国の税収において大きな割合を占めることが多いが、発展途上国においてはそれほどの重要性を持たないことが多い。 消費課税 財・サービスの消費に対して課税される。消費税のほか、関税や酒税などが含まれる。控除などによる特別措置の余地が少なく、業種ごとの課税ベース把握の不公平も生じないため、水平的公平、世代間の公平に優れており、広い課税ベースによる安定した歳入が見込める。また所得税に比べて課税対象の把握が納税・徴税者双方にとってわかりやすく、税務当局の能力がそこまで必要ではないことから、特に発展途上国においては消費課税が税収の大半を占めていることが多い。反面、所得全体に占める税負担の割合が低所得者ほど大きくなるため、逆進的な性質を伴う。 資産課税等 資産の取得・保有・移転等に対して課税される。固定資産税や相続税、贈与税などが属する。他者からも明確に把握できる土地や資産を課税対象とすることから徴税が行いやすく、近代以前においては最も中心的な課税であった。また資産を有する富裕層に対しての課税という性格が強いため、所得課税と同じく所得格差の是正の機能を有するとされる。一方であくまでも有資産者に対する税であるため、課税対象が少なく税収の柱にはしにくい面がある。 近年では就労の促進や所得再分配機能の強化等を目的として、所得課税などに対する給付付き税額控除の導入も進んでいる。給付付き税額控除は制度の複雑化や過誤支給、不正受給などの課題を伴う反面、課税最低限以下の層を含む低所得世帯への所得移転を税制の枠内で実現でき、労働供給を阻害しにくい制度設計も可能であることから、格差是正や消費税などの逆進性対策に適するとされる。勤労所得や就労時間の条件を加味して就労促進策の役割を担う勤労税額控除は、アメリカ、イギリス、フランス、オランダ、スウェーデン、カナダ、ニュージーランド、韓国など10か国以上が導入している。子育て支援を目的とする児童税額控除はアメリカ、イギリスなどが採用しているほか、ドイツやカナダなども同趣旨の給付制度を設けている。消費税の逆進性緩和を目的とする消費税逆進性対策税額控除はカナダやシンガポールなどが導入している。 租税は課税権者に応じて国税と地方税に区分できる。子ども手当のような生存保障の支出は、国が全額財源を負担するのが論理的には一貫するが、対人社会サービスなど現物給付については、地方自治体が供給主体となる。国税では富裕層への課税や矯正的正義(応能原則)が重視されるが、所得の多寡を問わないユニバーサリズムの視点からすれば、地方税に関してはむしろすべての参加者が負担する配分的正義(応益原則、水平的公平性)が基準となる。 国税の課税権者は国、地方税の課税権者は各地方自治体となるが、地方税に関する税率などの決定は必ずしも各自治体の自由裁量ではなく、税率の上下限など、国によって様々な形での制約が設けられている。チェコ、デンマー ク、フィンランド、アイスランド、ノルウェー、ポルトガル、スペインといった国々では地方税の税目に対して上限と下限両方の制限が存在し、オーストラリア、ベルギー、フランス、ハンガリー、オランダ、ポーランド、スイス、イギリス、アメリカなどは上限のみが存在する。イタリアの州生産活動税のように、国が定めた標準税率を基準に税率の上下限幅が決められているケースもある。日本では法人課税を中心に税率の上限(制限税率)が設けられているが、直接的に下限を定めた規制は存在せす、法的拘束力の無い標準税率を地方債の起債許可や政府間財政移転制度(地方交付税交付金)の交付額算定と連動させることで、それを下回る税率の選択を抑制する制度設計となっている。上位政府による起債制限と政府間財政移転の双方を背景として地方税率が下方硬直的になっている例は、日本以外の主要国には見当たらず、日本の標準税率制度は国際的にみてもかなりユニークな制度であるといえる。 租税は、特にその使途を特定しないで徴収される普通税と、一定の政策目的を達成するために使途を特定して徴収される目的税とに区分できる。目的税は公的サービスの受益と負担とが密接に対応している場合は合理性を伴った仕組みとなる反面、財政の硬直化を招く傾向があり、継続的に妥当性を吟味していく必要がある。 具体的な商品やサービスの価格を通じて税が納税義務者から消費者に転嫁されることを予定した租税を間接税と言い、それ以外の租税を直接税と呼ぶ(「たばこ税」や「法人税」は両者とも消費者に転嫁されているが、たばこ税は具体的な商品のため間接税となる。法人税は具体的な商品やサービスでは無いため、直接税である。)。。日本の税目では所得税や法人税などが直接税であり、消費税やたばこ税などが間接税である。直接税はオフショア市場の活用により税収が減っている。 数量あたりで税率を定めた税を従量税、価額単位で課される税を従価税という。 納税者の担税力、すなわち租税の負担能力に応じて賦課する立場の考え方を応能課税、公共サービスの受益に応じて課税すべきとする考え方を応益課税という。租税は公益サービスのための財源であることから、少なからず応益課税の要素が内在するが、個別の受益と負担との関係が必ずしも明確でなく、応益負担だけでは成り立たない。地方税は地域住民による負担分任という性格上、応益課税の要素がより重視される。 税の徴収方式としては、申告課税と賦課課税の二つの方式が主な方式となっている。賦課課税方式は各政府が納付義務を持つものに税額を計算して賦課するものであり、申告課税は逆に納付義務を持つものが自ら税額を計算して政府に申告するものである。賦課課税方式は近代までは中心的な徴収方式であったものの、20世紀後半に入ると申告課税が主流の納付方式となった。このほか、いくつかの国家においては納税者への給与等の支払いの際にその雇用者があらかじめ税額相当を天引きしておく、いわゆる源泉徴収が行われている。また、文書に対し収入印紙を貼り付けて納付する印紙納付もある。 租税の歴史は国家の歴史と密接に関連する。極端な増税は、農民など税の負担者を疲弊させ反乱を招き国家の滅亡につながることもあった。歴史的には、労働、兵役やその地方の特産物等による納税が行われた時代があった。例えば万里の長城など歴史的な建造物の多くは、強制的な労働力の徴発より作られたものと考えられている。 租税制度は主に次のような変遷を遂げた。 原始には、神に奉じた物を再分配する、という形を取っていたとされている。社会的分業によって私的耕作や家内工業の発展とともに集団の中で支配者と被支配者が生じ、支配者は被支配者から財産の一部を得るようになった。これには、被支配者が支配者に差し出す犠牲的貢納と支配者が被支配者から徴収する命令的賦課があった。古代の税としては、物納と賦役が主に用いられた。物納は農村においては穀物を主とする収穫が主であり、それに古代においては貴重品であった布や、その地方の特産品を特別に納付させることも行われた。賦役は税として被支配者に課せられる労役のことであり、土木工事などの公共事業や、領主支配地における耕作など様々な形態を取った。 古代エジプトのパピルス文書に当時の農民に対する厳しい搾取と免税特権をもつ神官・書記に関する記述がある。 古代インドのマウリヤ朝では、農民に対し収穫高の四分の一程度を賦課し、強制労働も行われていた。 ローマ帝国の税制の基本は簡潔であり、属州民にのみ課される収入の10%に当たる属州税(10分の1税)、ローマ市民と属州民双方に課される商品の売買ごとに掛けられる2%の売上税(50分の1税)、ローマ市民にのみ課される遺産相続税や解放奴隷税などであった。3世紀のアントニヌス勅令以降は国庫収入が減少し、軍団編成費用などを賄うための臨時課税が行われることもあった。マルクス・ユニウス・ブルートゥスは属州の長官に赴任したとき、住民に10年分の税の前払いを要求した。 古代中国の漢の主要財源は、算賦(人頭税及び財産税)、田租、徭役(労働の提供)であった。 北魏において均田制が成立したのち、これに基づいて北周が租庸調の税制をはじめ、唐でもこの税法を当初は引き継いだ。しかし玄宗期に入ると土地の集積が進み均田制が崩壊し、土地の存在が前提であった租庸調制も同時に崩壊したため、780年には徳宗の宰相楊炎によって両税法が導入された。これは税の簡素化と実情に合わせた変更によって税収を回復させる試みであり、以後明にいたるまで歴代王朝はこの税法を維持し続けた。しかし明代に入ると再び税制の実情とのかい離が起こり、税制は複雑化したため、16世紀末の万暦帝期において、宰相張居正が税を丁税(人頭税)と地税にまとめて銀で一括納入させる一条鞭法を導入した。清代に入ると、丁銀を地銀に繰り込んで一本化した地丁銀制が導入された。 イスラームを国教とするいくつかの王朝では、ズィンミー(異教徒。キリスト教徒・ユダヤ教徒など)に対してジズヤ(人頭税)の徴収が行われた。この方式は7世紀のウマイヤ朝を起源としている。正統カリフ時代には税制はいまだ未整備であったが、ウマイヤ朝期に入るアラブ人以外のイスラム教徒(マワーリー)および異教徒からジズヤとハラージュ(土地税)の双方を徴収することとなった。しかしこの方式はマワーリーからの大きな反発を招き、アッバース革命を招くこととなった。こうして成立したアッバース朝はマワーリーからジズヤの納入義務を撤廃し、またアラブ人のイスラム教徒であってもハラージュの納入を義務付けた。こうして成立したジズヤ(異教徒への人頭税)とハラージュ(全国民対象の土地税)の二本立ての税制は、イスラーム諸王朝の基本税制となって広まっていった。 中世ヨーロッパでは封建制が採られ、土地を支配する封建領主は土地を耕作する農民から貢納を得て生活していた。貢納のほか、領主直営地における賦役農耕も重要な税のひとつであった。その代り、領主は統治者として領民を外敵から守る役割を果たしていた。領主の主収入は地代であったが、私的収入と公的収入が同一となっており、しばしば戦費調達のために臨時収入が課された。その後、領主は戦争や武器の改良、傭兵の台頭によって財政難に陥り、相続税・死亡税の新設や地代を上げる。しかし、それでも賄いきれなくなった領主は特権収入に頼るようになる。 ここで言う特権とは、鋳貨・製塩・狩猟・探鉱(後に郵便・売店)を指し、領主はこの特権を売渡すことで収入を得た。特権収入の発生は実物経済から貨幣経済への移行の一つの表れとみられている。 貨幣経済が発達すると新しい階級として商人階級が生まれる。土地は売買の対象となり、領主と農民の関係は主従関係から貨幣関係へと変質した。貴族は土地の所有と地代収入を失ったため、商人たちに市場税・入市税・営業免許税・関税・運送税・鉱山特権税などを課す。これらは租税と手数料、両方の側面を持っていた。 1624年にはオランダにおいて収入印紙が初めて導入され、17世紀中にはヨーロッパの多くの国家に広まった。 封建末期の貴族たちは商人たちから借金を重ねていたため、遂に徴税権を商人たちに売渡す。この商人たちは租税の代徴を行う徴税請負人として人々から税を徴収したが、増益分は自らの懐に入るため、過剰な租税の取り立てが行われた。特に18世紀のフランスのアンシャン・レジームの下では、3つの身分のうち、第一身分(聖職者)・第二身分(貴族)は免税の特権を持っていた。このため人々の租税に対する不満が高まっていく。 1789年のフランス革命とこれに続く市民革命によってヨーロッパの封建制は崩壊し、立憲君主制が始まった。国家の収入は経常収支としての租税が大半を占めるようになる。また、君主の私的収入と国庫収入が切り離され、租税収入が歳入の中心を占める公共財政が確立し、現代まで続いている租税時代が始まる。またこの時代になると近代化とともに賦役はほとんどの地域において廃止され、労働に対し国家が賃金を払って公共工事などを行うようになっていった。 立憲制とともに租税法律主義も普及し、イギリスの「権利の請願」「権利の章典」などによって確立していく。さらにフレンチ・インディアン戦争による財政難からイギリス議会が英領アメリカ植民地に砂糖法や印紙法、茶税などのタウンゼンド諸法によって次々と課税を試みようとしたことはアメリカ植民地を激昂させ、租税法律主義に由来する「代表なくして課税なし」という有名なスローガンのもとでアメリカ独立戦争を引き起こすきっかけとなった。 1799年、イギリスではナポレオン戦争の戦費を調達するために所得に対して課税が行われた。これ以降、産業革命による資本主義の発達を背景に所得税を中心とした所得課税が世界に普及していく。ただし初期の所得課税は高額所得者に対するもので、税収総額としてはわずかなものであった。 20世紀には、社会主義の台頭や社会権の定着によって、所得税・相続税の累進税率が強化された。しかし、1980年代に入ると企業意欲・労働意欲を高めるために税率のフラット化が行われた。また20世紀も中盤にいたるまで消費課税はある特定の商品のみにかけられるものであったが、1954年に一般的な消費すべてにかけられる付加価値税がフランスにおいて導入され、以降世界各国において導入されるようになっていった。 大部分の政治哲学によると、彼らが必要でありそして社会に益するであるところの活動を集めるものとして税は正当化される。加えて、累進課税は社会での経済的不平等を減少させるのに用いることができる。この見解によれば、現代の国民国家において課税は人口の多数と社会変動に益する。オリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニアによる違った文章の意訳の、この見解のひとつの通俗の表現は、「租税は文明の価格である」である。 クラウドファンディングのような自発的であるよりもむしろ、税の支払いは義務的で法体系による執行であるので、幾らかの政治哲学は権力と弾圧を意味するのを通して租税を課税する政府を非難する、窃盗としての徴税、強要、(もしくは奴隷制度、もしくは財産権の侵害として)、もしくは暴政として見る。 カール・マルクスは共産主義の到来の後に課税は不必要になることを推量し、そして「国家死滅(英語版)」を期待する。中国におけることのような社会主義経済では、大部分の政府の歳入は企業の所有権からの運用だったので、課税は重要でない役割を果たした。そして或る人々によってそれは金銭による課税は必要でなかったことを議論された。 租税選択は納税者が、彼らの各々の租税を割り当てる方法をもって、よりコントロールするであろうことの理論である。もし納税者らが彼らの租税を受け取る政府の仕組みを選択できるならば、機会費用の決定は彼らの部分的な知識(英語版)を寄せ集める。例えば、彼の租税を公立学校においてより割り当てる納税者は公費負担医療においてより少なく割り当てるかもしれない。 ジオイスト(英:Geoist、ジョージスト並びにジオリバタリアン(英語版))は、道義性と同じく経済的効果の両方の理由で、課税は基本的に地代、特にその地価税を徴集すべきであることを宣言する。(経済学者たちが同意する)課税に対して地代を用いることの有効性は、このような課税は渡るつまり脱税することができずかつ死重損失を生じないこと、並びにこのことが土地(英語版)において投機するような動機を除くこと、の事実に従う。それの道義性は、私的所有権は労働の成果(英:products of labour)に対して正当化されるが土地と天然資源(英語版)についてはそうでない、ところのジオイストの前提に基づく。 ラッファー曲線の一つの可能な結果は、一定の値を超えた税率の増大は税収のさらなる増収にたいして反生産的になるであろう、ことである。任意の与えられた経済にたいする仮説的なラッファー曲線はただ見積もることだけができる。そしてこのような見積もりはしばしば論争になる。The New Palgrave Dictionary of Economics(英語版)は、税収最大化の税率の評価すなわち見積もりは、70%の近辺の中間の領域をもって、広く様々であることを報告する。 多くの政府は、歪のない租税によるかまたは或る二重の配当金を与えるものである諸租税を通して、割り当てられるもののところのものを超えたものである歳入を行う。最適課税理論は経済学の分野であって、それは最小の死重費用(英:dead-weight cost)を持つかまたは厚生の意味において最大の効用(英:outcome)を持つように課税をいかに構築するかを考える。 租税はしばしばおおかた税率と呼ばれる、或る割合として課せられる。税率についての議論でのひとつの重要な区別は限界税率(英:marginal tax rate、もしくはmarginal rate)と実効税率(英:effective tax rate)の間の区別である。実効税率は支払われた租税の総計で割ったその支払われた租税の合計である。これに対し限界税率は収入を得た次の円によって支払われたその税率である。 租税負担率 国民所得に対する国税、地方税を合わせた総額の割合。 ^ 税制改革の背景PDF(国税庁HP、中里実(東京大学大学院教授))P274 ^ 『「税と社会貢献」入門 税の役割とあり方を考える』p6-7 伏見俊行・馬欣欣共著 ぎょうせい 平成26年6月1日第1刷 ^ 『「税と社会貢献」入門 税の役割とあり方を考える』p7 伏見俊行・馬欣欣共著 ぎょうせい 平成26年6月1日第1刷 ^ J.M. 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事業所得
事業所得(じぎょうしょとく)は、所得税における課税所得の区分の一つであって、農業、漁業、製造業、卸売業、小売業、サービス業その他の事業で政令で定めるものから生ずる所得(山林所得又は譲渡所得に該当するものを除く)をいう(所得税法26条1項)。 恒常性所得のうち、勤労性所得と資産性所得が結合したものといえる。 事業所得と給与所得を区分するに当たっては以下の点などを総合的に考慮すべきである。 給付の対価が固定されているのか、それとも、利益および損失の引受けがあるのか 業務に反復継続性があるか 独立性があるか、それとも、指揮命令系統へ従属しているか 最高裁判所では、以下のように判示している 事業所得とは、『自己の計算と危険において独立して営まれ、営利性、有償性を有し、かつ反覆継続して遂行する意志と社会的地位とが客観的に認められる業務から生ずる所得をいう』。 給与所得とは、『雇傭契約又はこれに類する原因に基づき、使用者の指揮命令に服して提供した労務の対価として使用者から受ける給付をいう』。 総収入金額 - 必要経費 - 青色申告特別控除額(青色申告者に限る) = 事業所得の金額 となる。(所得税法27条2項) 事業所得は、原則として総合課税である。事業所得の金額が他の所得と合算され、総所得金額として計算される。なお、必要経費が総収入金額を上回れば、事業所得はマイナスとなり、一定の範囲で他の所得と損益通算をすることができる。この点で、給与所得等の所得と比べ、納税者に有利であるともいえる。 なお事業所得であっても、上場株式等の譲渡や先物取引に関わる所得(事業的規模)は申告分離課税とされる。 ^ 最高裁判所第二小法廷判決 1981年4月24日 、昭和52(行ツ)12、『所得税更正決定処分取消』。 ^ 税務大学校講本 ^ 税務大学校講本 ^ 国税庁「No.2250 損益通算」[リンク切れ]  No.1350 事業所得の課税のしくみ(国税庁) 確定申告 家内労働者等の事業所得等の所得計算の特例
事業所得
歳入
歳入(さいにゅう、英: government revenue)とは、ある会計年度における公共部門(中央政府・地方政府・地方自治体等)の収入をいう。近代的な官庁会計制度は、会計年度独立の原則(その会計年度の歳出は、当該年度の歳入をもってまかなうという原則)を基本原則としており、ゆえに会計年度が重視され、1会計年度内の収入を歳入と呼んでいる。 歳入はいくつかの観点で二分されている。一般財源と特定財源とに大別する考えでは、歳出の使途が定められていない歳入を一般財源といい、特定の歳出のための歳入を特定財源(例:日本のガソリン税のような道路特定財源など)という。 自主財源と依存財源に大別する考えにおいては、政府や自治体が自力で獲得している歳入を自主財源とし、他者から貰っている歳入を依存財源(例:日本の地方交付税など)としている。 また経常的な歳入か(経常的収入)、臨時的な歳入か(臨時的収入)で大別する観点もある。 会計年度独立の原則のため、ある歳入がどの会計年度に所属するかは非常に重要な問題である。これについては、収入の原因が発生した時点を重視する発生主義(予算主義)と、収入自体が完了した時点を重視する形式主義(現金主義・決算主義)との2種類の考え方が存在している。実務上は、いずれか一方のみに依存することは考えにくく、日本では状況に応じて折衷的な運用がなされている。 歳入の主要部分は、租税から構成されるのが通常である。その他、使用料・手数料や交付金・負担金、公債(国債・地方債)、通貨発行益などがある。租税法律主義(租税を徴収する根拠は必ず法令に明記すること)に準じて、租税以外の歳入についても必ず法令に根拠を置くことが近代国家では原則となっている。 歳入とは、歳出に充てうるものを指す。すなわち、フローである。よって、公共部門が何らかの財産(不動産など)を取得しても、それは歳出に充てられないものであり、ストックであるため、歳入には含まれない。 日本では、歳入を予算に従って収納するためには、まず調定(ちょうてい)という手続きを行う必要がある。調定とは、歳入が適正であることを示すための手続きであり、当該歳入の所属年度・歳入科目・納入金額・納入義務者・納期限などを調査・決定することをいう。こうして、調定が行われた後、納入義務者に対して納入の請求通知を行う。そして、納入義務者から債務の履行がなされれば、歳入の収納に至ることとなる。 日本では、租税の収納に当たっては、納税者間の公平を期するため、滞納者に対する強力な処分が認められている。例えば、他の債権執行であれば、財産の差押えなどは裁判所の許可を得た上でないと行うことはできないが、租税滞納処分上は、裁判所の許可なしに滞納者の財産を差し押さえることができる。特に租税においては、このように歳入の確保が法令上で措置されている。 財政 歳出
歳入
税率
税率(ぜいりつ)とは、税額を算定するに当たり課税標準に対する割合をさす。 税率は課税要件の一つで、課税標準と共に税額を決定する要件である。税率は課税物権を金額・数量で表現した課税要件と結びつくことで課税要件の金額的側面を形成する。 税率の算出方法には、主に次の2種類の方法がある。 従価税 課税標準が金額で表され、取引価格に所定の税率をかけて税額を算出する。 税率は百分率または分数で表示される。日本の江戸時代の年貢では、40%の税率を「四公六民」のように表現した。 財源としての永続性に欠ける100%以上の税率はほとんど採用されないが、富裕層を対象とする財産税のような、税収よりもある階層の資産の没収を目的とする税の場合は導入されることもある。1946年に日本で導入された戦時補償特別税の税率は100%であった。 従量税 課税標準が数量・件数ごとに定められ、一定単位あたりの税額に基づいて税額を算出する。 単位あたりの金額で表示する。たとえば自動車税では1台あたりの税額。 表面税率 税法が法分譲明示する税率。 比例税率 常に一定の割合で定められる税率。 差率税率 課税標準の大きさに応じて変化するように定められる税率。 逆進税率 課税標準が大きくなるにつれて課税標準と税額との割合が低くなるように定められる税率。 現在では採用されていないが、消費に係る租税(消費税など)は租税負担の逆進性が問題になることがある。 累進税率 課税標準が大きくなるにつれて課税標準と税額との割合が高くなるように定められる税率。 単純推進課税(全額累進課税) 課税標準が大きくなるに従い課税標準全体に一つの高い税率が適用される。 超過累進課税 課税段階の1課税段階前を超過する部分のみ高い税率が適用される。 限界税率 超過累進課税において、各段階ごとに適応される税率。 平均税率(実効税率) 描く課税段階ごとの税率を適用して得られた税額の合計を課税標準全体で除して得られる割合。 地方税には地方自治法によって条例が定める税率に枠を設けている場合がある。 一定税率 異なる税率を定めることを認めない。 標準税率 条例が通常よるべき税率はあるが、財政上特別な理由があるときは異なる税率を定めることができる 制限税率 条例で定め得る税率の上限。 租税 課税要件 納税義務者 課税物件 帰属 課税標準
税率
租税公課
租税公課(そぜいこうか)は、租税及び、公的な負担金である「公課」を総称したものである。類似した概念に「公租公課」があるが、こちらは、租税のうち、法人税等を含まない。 会計上は、費用勘定科目として計上されるものと法人税等として扱われるものがある。 国税庁『No.5300 損金の額に算入される租税公課等の範囲と損金算入時期』-タックスアンサー 2010年10月2日閲覧
租税公課
法定実効税率
法定実効税率(ほうていじっこうぜいりつ、英:normal effective statutory tax rate)とは、課税所得に対する法人税、住民税、事業税の表面税率に基づく所定の算定式による総合的な税率をさす。税効果会計における繰延税金資産、繰延税金負債は、一時差異に法定実効税率を乗じて算定される。 本来であれば、法定実効税率は、法人税率、事業税率、住民税率を単純に合算した合計税率と一致するはずである。しかしながら、第一に、合計税率の構成主体のうち住民税の課税標準額は、課税所得ではなく法人税額を基礎としている(他の2者は課税所得を基礎としている)。第二に、法定実効税率の構成主体のうち、事業税は、支払事業年度の課税所得算定上損金算入が認められている。これら2点を勘案する必要があるため、実際の税負担率は単純合算値よりも小さくなる。 これらをふまえ、数式で表示すると、以下の算定式が導かれる。 合計税率 = 法人税率 + 法人税率 × 住民税率+事業税率(住民税率は、法人税率を乗じた影響にとどまる) 法定実効税率 = 合計税率 - 事業税率 × 法定実効税率(事業税率は、法定実効税率を割り引いた影響にとどまる) 法定実効税率 = 〔法人税率×(1+住民税率)+事業税率〕÷(1+事業税率) 例えば、表面税率が法人税率:30% 住民税率:17.3% 事業税率:9.6%の場合、法定実効税率は以下の数値となる。 法定実効税率 = 〔0.3×(1+0.173)+0.096〕÷(1+0.096)≒40.86% 理論上の法定実効税率と実際に企業の負担する税効果会計適用後の法人税等負担率は、大抵の場合一致しない。その要因は様々であるが、主な要因としては、以下のものがある。 法定実効税率が課税所得を基礎とするのに対し、税効果会計適用後の法人税等負担率は企業会計上の税引前当期純利益を基礎としている。元々両者間では、交際費などの永久差異が一致しないため、差異原因となる。 将来減算一時差異のうち、将来回収される可能性が低く、課税所得と対応させることができないスケジューリング不能な一時差異と判断される場合。繰延税金資産の計上が認められず、評価性引当額として控除されるため、永久差異と同様に両者間の差異原因となる。 日本国外と比較して、日本の法定実効税率は重く、付加価値税・消費税が軽いとする指摘がされている。財務省統計資料によると、日本の法定実効税率は2011年度までが40.69%、2012年度〜2013年度が38.01%、復興特別法人税終了後の2014年度以降は35.64%である。 経団連は、さらなる実効税率引き下げ、ヨーロッパのように法人税から消費税(付加価値税)へのシフトを要望している。なお、アメリカ企業の多くは、多額の繰り延べ税金負債を抱える反面、日本企業の多くは多額の繰り延べ税金資産を持つに過ぎない。アメリカでは税金支払の繰延べが容易であるのに対し、日本の場合は、実質的に税金の先取りがなされており、表面的な実効税率のみに注目して日本がアメリカより税金負担が小さいとは言えない。[要出典] EU加盟国間では、EU法の施行により間接税に関する標準税率を、原則15%以上とすることが求められている(ただし、デンマークを除いて広範囲な軽減税率を実施している)。また、インボイスを義務化している。したがって、租税負担を議論する際は、税引前利益にかかる法人税だけでなく、法人などの付加価値に対する課税である付加価値税(消費税)を含め、総合的に勘案する必要がある。また、高福祉の推進を国策とする国々(北欧等)では、税負担も相応に高くなる傾向があるため、税負担の国際比較を行う際には、各国の福祉・経済政策の両面を考慮する必要がある。 また、EU諸国の間接税は複数税率であり、生活必需品には軽減税率(国によっては0%)が、贅沢品には加重税率が適用され、おおむね5段階となっている。日本において、税負担の実質的軽減のため、消費税の複数税率化を求める声は公明党を中心に成されているが、その最大の障壁は仕入控除の「帳簿方式」である。(「帳簿方式」は「簡易課税制度」とともに、益税の温床である。ただし、現行の簡易課税制度は、事業毎に5種類に区分する必要があるため、事実上の複数税率は導入されているともいえる。[要出典])。 一方、厳しい財政状況の中、さらなる法定実効税率引き下げによる減収を消費税引き上げ等、他の税制により減収を補わなければならなくなるという実情や、引当金制度や外国税額控除等を含めると実際の個別の企業の税負担は低い場合もあり、単純には比較できないという指摘もある。[誰?] また、日本より実効税率の低いフランス・ドイツでは従業員の年金や健康保険等の社会保険料を企業が日本の場合より 多く負担しており、税と社会保険料を含めた企業の負担を計算すると日本の方が低いという事実もあり、実効税率の比較だけで日本企業の負担が諸外国より重いとする主張は明確に誤りだとする議論も存在する。[要出典] ^ 法人所得課税の実効税率の国際比較 : 財務省 ^ 平成23・24年度税制改正の概要 - 経済産業省 企業行動課 ^ 成長戦略の実行と財政再建の断行を求める 〜現下の危機からの脱却を目指して〜 - 一般社団法人 日本経済団体連合会 ^ 法人所得課税の実効税率の国際比較財務省 ^ 付加価値税率(標準税率)の国際比較財務省 ^ 軽減税率 | 政策テーマ別 分かる公明党 | 公明党 ^ http://www.mof.go.jp/genan22/zei001e.htm 法人税 事業税 住民税 税効果会計
法定実効税率
三味線
三味線(しゃみせん)は、日本の有棹弦楽器。もっぱら弾(はじ)いて演奏される撥弦楽器である。四角状の扁平な木製の胴の両面に猫や犬の皮を張り、胴を貫通して伸びる棹に張られた弦を、通常、銀杏形の撥(ばち)で弾き演奏する。 成立は15世紀から16世紀にかけてとされ、戦国時代に琉球(現在の沖縄県)から伝来したもの。他の多くの和楽器と比べ「新しい楽器」である。基本的にはヘラ状の撥を用いるが、三味線音楽の種目により細部に差異がある。近世邦楽の世界、特に地歌・箏曲の世界(三曲)等では「三弦(さんげん)」、または「三絃」と呼称し、表記する事も多い。雅語として「みつのお(三つの緒)」と呼ばれることもある。沖縄県や鹿児島県奄美群島では三線(さんしん)とも呼ぶ。 楽器本体は「天神」(糸倉)、「棹」(ネック)、「胴」(ボディ)から成る。さらに棹は上棹、中棹、下棹の3つに分割出来るものが多く、このような棹を「三つ折れ」という。これは主に収納や持ち運びの便のため、また棹に狂いが生じにくくするためである。分割されていないものもあり、「延棹(のべざお)」と称される。逆に5つ以上に分割できるものもある。 素材には高級品では紅木(こうき)材(インド産)を用いるが、紫檀(したん)、花林(かりん)材(タイ・ミャンマー・ラオスなどの東南アジア産)の棹もある。以前は樫、桑製も多かった。最近一部ではスネークウッドを使うこともある。特殊なものとして白檀(びゃくだん)や鉄刀木(たがやさん)を使うこともある。固く緻密で比重の高い木が良いとされる。胴は全て花林製だが昔は桑、ケヤキのものもあった。上級品では、内側の面に鑿(のみ)で細かな模様を一面に彫り込む。これを「綾杉」といい、響きを良くすると言われている。 革は一般に琉球三線のニシキヘビの皮と異なり、猫の腹を使用していたが、高価な事と生産量の減少により、現在は稽古用など全体の7割程度が犬の皮を使用している。 また津軽三味線は例外を除き犬革を使用する。雌猫は交尾の際、雄猫に皮を引っ掛かれてしまうため雌猫の皮を用いる場合は交尾未経験の個体を選ぶ事が望ましいと言われることもある。実際には交尾前の若猫の皮は薄い為、傷の治ったある程度の厚みの有る皮を使用することが多い。合成製品を使用する場合もあるが、音質が劣るため好まれない。三味線が良い音を出すためには、胴の大きさの範囲内で厚みのある皮を使うことが必須となる。このため牛皮では大きすぎる。小動物で入手が容易な理由で、琉球時代の三線から改変を経て猫や犬が使用され、試行錯誤の末に江戸時代に現在の形が完成された。現在は、猫や犬の皮はほとんどが輸入品である。また、皮以外の棹の材料の紅木をはじめ胴と棹の材料である花林、糸巻きに使用される象牙や黒檀、撥に使うべっ甲なども同様である。 現代では、胴に合成紙を張るなどした簡易版の三味線も製作されている。入門用や、動物愛護を重視する欧米観光客の日本土産として購入されている。 糸(弦)は三本で、絹製。津軽三味線に関しては、ナイロンやテトロン製の糸を用いる事もある。太い方から順に「一の糸」「二の糸」「三の糸」と呼ぶ。それぞれ様々な太さがあり、三味線音楽の種目ごとに使用するサイズが異なる。 通常、一の糸の巻き取り部の近くに「さわり(英語版)」と呼ばれるシタールの「ジュワリ(英語版)」と同種のしくみがある。これは一の糸の開放弦をわずかに棹に接触させることによって「ビーン」という音を出させるもので、倍音成分を増やして音色に味を付け、響きを延ばす効果がある。これによって発する音は一種のノイズであるが、三味線の音には欠かせないものである。「さわり」の機構を持つ楽器は琵琶など他にもあるが、三味線の特徴は一の糸のみに「さわり」がついているにもかかわらず、二の糸や三の糸の特定の押さえる場所にも(調弦法により変化する)、共鳴によって同様の効果をもつ音があることである。これにより響きが豊かになるとともに、調弦の種類により共鳴する音が変わるので、その調弦法独特の雰囲気をかもし出す要因ともなっている。「東さわり」と呼ばれる棹に埋め込んだ、螺旋式のさわりもある。 三味線にあっては、調弦は複数のパターンがあり、曲によって、また曲の途中でも調弦を変化させる。基本の調弦は次の通りである。調弦法が多種あるのは、異なる調に対応するためと、響きによる雰囲気の違いのためである(詳しくは「地歌」を参照)。現在では三味線の調弦に対応したチューニング・メーターも販売されている。 本調子(ほんちょうし) - 一の糸に対し、二の糸を完全4度高く、三の糸をオクターブ高く合わせる。一の糸がCならば二の糸はF、三の糸は高いCとなる。 二上り(にあがり) - 一の糸に対し、二の糸を完全5度高く、三の糸をオクターブ高く合わせる。本調子の二の糸を上げるとこの調子になる事から。沖縄県では「二上げ」とも言う。C-G-Cとなる。 三下り(さんさがり) - 一の糸に対し、二の糸を完全4度高く、三の糸を短7度高く合わせる。本調子の三の糸を下げるとこの調子になる事から。沖縄県では「三下げ」とも言う。C-F-B♭となる。 伴奏する内容に合わせて幾つかの種類がある。一般に、細棹・中棹・太棹に大別される。 長唄三味線:細棹。象牙製の撥を用いる。歌舞伎音楽等で使用。 常磐津三味線:中棹。 清元三味線:中棹。 地歌三味線:中棹。高いポジションを多用するため、棹の胴との接合部が他の三味線とは異なっている。「津山撥」という象牙製の撥を用いる。 地歌の三味線自体は「三弦(三絃)」と呼ばれる事が多い。「三曲」とも呼ばれ、地歌及び箏・胡弓・尺八との合奏に使用。 新内三味線:中棹。爪を用い、立って演奏する「新内流し」が有名。 義太夫三味線:太棹。大きく厚い撥を用いる。浄瑠璃等で使用。 浪曲三味線:太棹。 津軽三味線:太棹。先端が鼈甲製の小ぶりの撥を用いる。津軽民謡の伴奏に使用。 柳川三味線(京三味線):三味線の最も古い形。細棹より更に細い。 三線(サンシン):沖縄県と鹿児島県奄美群島で用いられる。日本本土のものより小型でスケールも短く、インドネシアニシキヘビの皮と、黒檀製漆塗りの棹に特徴がある。撥も本土のものとは異なり、水牛の角で作られた爪(沖永良部島以南)や、竹を薄く削った細い棒状のもの(奄美大島・喜界島・徳之島)で弾く。 ゴッタン:薩摩藩の影響下にあった宮崎県都城市に残る楽器。杉板で作られ、皮を張らずに板張りされている。 これ以外に、大正時代につくられたセロ三味線というものがある。また、近代ではロックバンドなどといった大音量電気楽器との競演のためにピックアップを内蔵した「エレアコ三味線」も製作されている(中村梅雀が製作したものがはじまり)。[要出典] 三味線は楽器分類学上「リュート属」に属し、その中でも胴に長い棹を差し込んだ形状をしており、このような楽器は世界各地に見られ、ギターやシタールも同じ仲間と見なされている。いっぽう同じリュート属でも琵琶やリュートなど棹と胴が一体化もしくはそれに近いものとは別の系統とされる。 楕円形の胴に革を張り、棒状の長い棹を取り付けたリュート属弦楽器は、すでに古代エジプトの壁画に見られる。しかしこれが三味線の直接的な祖先かどうかは分からない。一方同じような楽器が中国秦代にも現れ、やがて奚琴となり、トルコ族によって中東に伝えられてラバーブになった。このラバーブが後に中東及びイラン(ペルシャ)のセタールとなったという説がある(胡弓演奏家・原一男による「擦弦楽器奚琴起源説」)。これは「3つの弦(糸)」の意であり、これが三味線の祖先とされる。のち中国に入り、三弦(サンシェン)が生まれる。 琉球王国と中国(福州)との貿易により琉球にもたらされ、宮廷音楽に採り入れられて三線(サンシン)となった。そのため、沖縄県では「サンシン」と「シャミセン」との二つの呼称が併存している。 16世紀末、琉球貿易により堺に中国の三弦がもたらされ、短期間の内に三味線へと改良された。現存する豊臣秀吉が淀殿のために作らせた三味線「淀」は、華奢なもののすでに基本的に現在の三味線とほとんど変わらない形状をしている。伝来楽器としての三弦は当道座の盲人音楽家によって手が加えられたとされ、三弦が義爪を使って弾奏していたのを改め彼らが専門としていた「平曲(平家琵琶)」の撥を援用したのもそのあらわれである。彼らは琵琶の音色の持つ渋さや重厚感、劇的表現力などを、どちらかといえば軽妙な音色を持つ三味線に加えるために様々な工夫を施したと思われる。とくに石村検校は三味線の改良、芸術音楽化、地歌の成立に大きく関わった盲人音楽家であろうと言われる。 こうして軽重哀楽の幅広い表現可能にした三味線には、江戸時代に入るとすぐ石村検校らにより最初の三味線音楽種目である地歌が生まれる。また語り物である浄瑠璃にも取り入れられ、三味線音楽は「歌いもの」「語りもの」の二つの流れに大きく分かれ、更に分化を繰り返して大きく発展していく。都市の芸術音楽から流行歌、やがて地方の民謡にまで盛んに使われるようになり、様々な近世邦楽をリードし支え、更なる改良が加えられ、日本を代表する弦楽器となった。 日本音楽史上、一般民衆が手にすることの出来た楽器は、神楽の笛、太鼓、鈴であり、ついで三味線であった。 文政年間のオランダの商館長メイランは日本の音楽事情について「楽器の中では三味線が一番ひろく用いられる」と記している。 相手に「調子を合わせて」油断させることを「三味線を弾く」という。スポーツの予選における駆け引きで、本来の実力を隠してライバルを油断させることなど。よく似た表現の「口三味線」は、口で三味線の音色を真似る事から相手を騙す、偽物、虚言という意味。 シャミセンガイは腕足動物門腕足綱無穴目シャミセンガイ科に属する動物。殻を胴、長い尾を棹に見立てたもの。 ナズナ(アブラナ科の植物)の俗名として「ペンペン草」がある。これは果実が三味線の撥に似ているため、三味線音の擬音「ペンペン」を冠したもの。 漁業従業者や釣りの愛好家の間では、疑似餌の材料に使用される猫の皮を「シャミ」と呼ぶ。 三味線橋 東京都中野区にある「なごり橋」。いつもこの近くで三味線の音色がしていたから「三味線橋」の名称になったと言われる。 三味線島 香川県坂出市にある三味線の形をした島。 三味線堀 東京都台東区にあった堀。 ^ a b 高橋栄水公式サイト ^ 動物皮使わない三味線/葛飾の工房開発 合成紙を代用欧米からの観光客に人気『読売新聞』朝刊2018年4月11日(都民面) ^ 三弦-海を越えてアジアから日本へDo楽(朝日新聞ホームページ) ^ 倉田喜弘「民衆歌謡:近世末期から近代への流れ」、『日本の音楽・アジアの音楽』第2巻、東京書籍、1994年、 ISBN 4000103628。 ^ http://tokyotaito.blog.shinobi.jp/%E5%B0%8F%E5%B3%B6/%E4%B8%89%E5%91%B3%E7%B7%9A%E5%A0%80%E8%B7%A1 倉田喜弘「民衆歌謡:近世末期から近代への流れ」、『日本の音楽・アジアの音楽』第2巻、東京書籍、1994年、 ISBN 4000103628。 三木稔『日本楽器法』音楽之友社,1996年,ISBN 4-276-10695-8 石村近江 - 江戸時代の三味線製作者 ワッシー・ヴィンセント・ジュニア - 富士松ワッシーの名で黒人初の名取りとなる。 風が吹けば桶屋が儲かる ジャンジャン横丁 三味線屋の勇次 スコップ三味線 唱歌 (演奏法)(しょうが) 吉田兄弟 浄瑠璃三味線方一覧 三味線楽譜サイト
三味線
一節切
一節切(ひとよぎり)は、日本の伝統楽器。尺八の前身ともいわれる真竹製の縦笛で、節が一つだけあるのがその名前の由来である。 尺八が竹の根本部分を用いるのに対し、一節切は幹の中間部を用いるため、尺八に比べて細径・薄肉である。全長は一尺一寸一分(約34cm)で、尺八と同じように、前面に四孔、裏側に一孔の計五つの手孔がある。音域は尺八よりも狭く、約1オクターヴ半ほどである。 前野良沢や一休宗純、雪舟、北条幻庵なども一節切の奏者として知られている。織田信長に仕えた大森宗勲も名手である。しかし、もともと武家や上流階級の風雅な嗜みとしての趣向が強く、一般市民には普及していなかったことや、より音域が広く音量の大きい普化尺八が普及したこともあって、江戸時代の始まりより徐々に廃れていった。現在、残された楽譜は存在するが、音価(音の長さ)の指定がなくどのような演奏だったのかを再現するのは難しい。 最も有名な一節切としては、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑に受け継がれた『乃可勢(のかぜ)』という名笛がある。 薩摩には、『天吹(てんぷく)』と呼ばれる一節切に似た小型の縦笛が伝わっている。 2012年5月15日、テレビ東京の『開運!なんでも鑑定団』に安土桃山時代の一節切が登場し、150万円の鑑定額がついた。 ^ 尺八(一節切) 文化遺産オンライン ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『大森宗勲』 - コトバンク、2018年5月5日閲覧。 ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus『大森宗勲』 - コトバンク、2018年5月5日閲覧。 ^ 朝日日本歴史人物事典『大森宗勲』 - コトバンク、2018年5月5日閲覧。 和楽器 木管楽器 笛 尺八 乃可勢
一節切
尺八
尺八(しゃくはち)は日本の木管楽器の一種である。リードのないエアリード楽器に分類される。中国の唐を起源とし、日本に伝来したが、その後空白期間を経て、鎌倉時代から江戸時代頃に現在の形の祖形が成立した。 名称は、標準の管長が一尺八寸(約54.5cm)であることに由来する。語源に関する有力な説は、『旧唐書』列伝の「呂才伝」の記事によるもので、7世紀はじめの唐の楽人である呂才が、筒音を十二律にあわせた縦笛を作った際、中国の標準音の黄鐘(日本の十二律では壱越:西洋音階のD)の音を出すものが一尺八寸であったためと伝えられている。演奏者のあいだでは単に竹とも呼ばれる。英語ではshakuhachiあるいは、Bamboo Fluteとも呼ばれる。 真竹の根元を使い、7個の竹の節を含むようにして作るものが一般的である。上部の歌口に息を吹きつけて音を出す。一般的に手孔は前面に4つ、背面に1つある。 尺八に似た楽器として、西洋のフルートや南米のケーナがある。これらは、フィップル(ブロック)を持たないエアリード楽器である。 尺八の起源として有力な説は、前述した『旧唐書』列伝の「呂才伝」の記事によるもので、唐初期の貞観年間(627年 - 649年)に呂才(600年 - 665年)が考案したというものである。 日本には雅楽楽器として、7世紀末から8世紀はじめに伝来した。東大寺の正倉院には六孔三節の尺八が八管収められている。 その後中国では、歌口の傾斜が管の外側にあるタイプの縦笛は断絶し、日本でも雅楽の楽器としての尺八は使われなくなった。 歴史上の空白期間ののち、鎌倉時代になると一節切と呼ばれる縦笛があらわれた。これは、五孔一節で真竹の中間部を用いたものである。また、この一節切は武士の嗜みの一つとして大いに武家社会で流行し、北条幻庵などもその名手の一人として知られ、所蔵の一節切が残っている。田楽法師などの遊芸人の中にこれを吹いて物乞いをする集団が現れた。薦僧と呼ばれる集団がそれで、後に普化宗と結びつき虚無僧となっていく。 一節切は、室町時代に中国から日本に渡った禅僧・蘆安がもたらしたもので、名手といわれた大森宗勲(1570年 - 1625年)が出たのち、急速に広まった。一節切は17世紀後半に全盛を迎えたが、その後急速に衰退した。 江戸時代には、尺八は法器(楽器というよりも法具の意味合い)として普化宗に属する虚無僧のみが演奏するものとされ、それを幕府の法度によって保障されていた。建前上は一般の者は吹いてはならなかったが、実際には尺八をたしなむ者はいた。明治時代以降には、普化宗が廃止されたことにより虚無僧以外の者も演奏するようになった。 普化宗は政府により1871年に解体され、虚無僧は尺八の師匠などに転じた。普化宗廃止後の尺八界の混乱期に活躍した人物に2代 荒木古童(竹翁、1823-1908)がいる。荒木は虚無僧修行中に琴古流豊田古童に師事し、普化宗廃止後も尺八の普及に尽力し、琴古流中興の祖となった。尺八の指孔位置や歌口を改良したことでも知られ、東京を中心に全国に普及させた。その門下である初代川瀬順輔(1870-1959)は近代尺八の祖のひとりと言われ、2代荒木古童や東京音楽学校教授の上原六四郎に師事し、1902年に東京で道場を開いた。 関西では、琴、三味線との合奏である三曲合奏(外曲とも称す)の先駆と言われる近藤宗悦(1821-1867)の宗悦流(現存せず)の中から初世中尾都山が1896年に大阪で都山流を創始した。中尾は独自の工夫新作により自流の曲目を増やし、記譜法、教授法、合奏形式などにも新機軸を打ち出し、近代的な家元制度を整えて短年月のうちに西日本で門弟を増やし、琴古流に並ぶ尺八界の二大流派のひとつに育てた。 1920年代には、箏曲家の宮城道雄と尺八家の吉田晴風(1891-1950)によって、洋楽の要素を取り入れた新しい邦楽を目指す新日本音楽運動が興り、音楽研究家の田辺尚雄,町田佳聲らも同調し、尺八では中尾都山、福田蘭童、野村景久らが参加して邦楽の近代化に寄与した。野村は新進気鋭の尺八奏者・作曲家として古賀正男はじめさまざまな音楽家との共演やラジオ出演、執筆などで注目されたが、1933年に一家四人を殺して金を奪う事件を起こして死刑となり、虚無僧の怪しさから来る悪いイメージを払拭し近代化を進めてきた尺八界を揺るがせ、かつて「法器」であった尺八の精神性を見直す気運を生んだ。 基本的には2オクターブ強である。用いられる頻度は少ないが、倍音を用いてその上の約1オクターブの音を出すことができる。 シンプルな運指においては、陽音階や律音階となる。基本的な運指において、西洋の12音音階すべての演奏が可能である。 現行の尺八は、真竹の根元を使用して作る五孔三節のものである。 古くは一本の竹を切断せずに延管(のべかん)を作っていたが、現在では一本の竹を中間部で上下に切断してジョイントできるように加工したものが主流である。これは製造時に中の構造をより細密に調整できるとの理由からだが、結果として持ち運びにも便利になった。 材質は真竹であるが、木製の木管尺八やプラスチックなどの合成樹脂でできた安価な尺八が開発され、おもに初心者の普及用などの用途で使用されている。 尺八の音色と材質は科学的には無関係とされているが、関係があるとする論争もあった。 尺八の歌口は、外側に向かって傾斜がついている。現行の尺八には、歌口に、水牛の角・象牙・エボナイトなどの素材を埋め込んである。 明治時代以降の西洋音楽の影響により、七孔、九孔の尺八が開発された。このうち、七孔のものは、五孔の尺八に比べれば主流ではないものの使用されている。既存の五孔の尺八に孔を開けることでの改造が可能である。 現行の尺八の管の内部は、管の内側に残った節を削り取り、漆の地(じ)を塗り重ねることで管の内径を精密に調整する。これにより音が大きくなり、正確な音程が得られる。 これに対し「古管」あるいは「地無し管」と呼ぶ古いタイプの尺八は、管の内側に節による突起を残し、漆地も塗らない。正確な音程が得られないため、奏者が音程の補正をする必要がある。古典的な本曲の吹奏では、このひとつひとつの尺八のもつ個性もその魅力となっている。 尺八の手孔をすべて塞いだときの音を筒音と呼ぶ。これはその尺八で出すことのできる最低音である。標準の尺八は、日本の十二律で壱越(D4)の筒音を持つ一尺八寸管である。次いで、春の海などで使用される一尺六寸管(筒音: E4)や、二尺四寸管(筒音: A3)などが使用される。長さのバリエーションは、半音ぶんずつ寸刻みで一尺一寸管から二尺四寸管も存在するが、標準的なものにくらべ使用頻度ははるかにすくない。 尺八はフルートと同じく、奏者が自らの口形(アンブシュア)によって吹き込む空気の束を調整しなければならない。リコーダー(いわゆる「縦笛」)は歌口の構造(フィップル、ブロック)によって初心者でも簡単に音が出せるが、尺八・フルートで音を出すには熟練が必要である。尺八は手孔(指孔)が5個しか存在しないため、都節音階、7音音階や12半音を出すために手孔(指孔)を半開したり、メリ、カリと呼ばれる技法を多用する。唇と歌口の鋭角部(エッジ)との距離を変化させることで、音高(音程)を変化させる。音高を下げることをメリ、上げることをカリと呼ぶ。メリ、カリの範囲は開放管(指で手孔を押さえない)の状態に近いほど広くなり、メリでは最大で半音4個ぶん以上になる。通常の演奏に用いる範囲はメリで2半音、カリで1半音程度)。奏者の動作としては楽器と下顎(下唇よりやや下)との接点を支点にして顎を引く(沈める)と「メリ」になり、顎を浮かせると「カリ」になる。 メリ、カリ、つまり顎の上下動(縦ユリ)、あるいは首を横に振る動作(横ユリ)によって、一種のビブラートをかけることができる。この動作をユリ(ユリ、あごユリ)と呼ぶ。フルートなどの息の流量変化によるビブラートとは異なり、独特の艶を持つ奏法である。 フルートと同じく息の流量変化によるビブラートも使用される。息ユリと呼ぶ。 手孔を、閉 - 半開 - 開 動作を滑らかに行い、さらに、メリ、カリを併用することにより、滑らかなポルタメントが可能である。これをスリアゲ、スリサゲと呼ぶ。音高の上下を細かく繰り返すコロコロというものもある。 口腔内の形状変化や流量変化等により、倍音構成はよく通る音色や丸く柔らかいものなど、適宜変化させることができる。 尺八の吹奏人口についての本格的な調査はされておらず、正確な人口は不明である。推定では3万人程度といわれている。 琴古流は、江戸時代に初代黒沢琴古(1710年 - 1771年)によって創始された。初代は俗名を幸八といい黒田藩の藩士であったが浪人となり、江戸へ出て一月寺、鈴法寺の吹合指南役となった。尺八曲の整理を行い、全36曲の琴古流本曲を制定した。黒沢琴古の名は3代で途絶えたが、琴古流はその後、吉田一調、荒木古童らにより隆盛を築いていく。 琴古流は大小いくつもの組織の総体であり琴古流として統一した組織をもつものではない。 都山流は明治期に初代中尾都山が創始した流派であり、普化宗とは直接のつながりを持たない。宮城道雄と提携し、宮城作曲の尺八譜の公刊を独占したこと、評議員制の導入など中央集権的な組織作りを行ったことなど都山流は尺八界最大の組織となった。昭和50年前後に3派に分裂している。 上田流は、都山流を除名された上田芳憧が1917年に創始した流派である。上田は、五線譜。七孔尺八などを導入し、尺八の近代化につとめた。また、長唄に多く手付けを行った。五線譜の採用は途中で断念したものの、七孔尺八に関しては上田創案のものが現在でも使用されている。 現在は上田流尺八道と称している。 竹保流は、酒井竹保が1917年に創始した流派である。宗悦流の流れを汲み、譜にロツレチではなく、フホウエヤイを用いるフホウ譜を用いている。 尺八で演奏される楽曲は多岐にわたっている。尺八の楽曲分類で大きなウエイトを占めるのは、本曲と外曲という対概念である 。本曲は、「その楽器のみによる楽器本来の楽曲」を意味し、外曲は、「他種目の旋律をその楽器用に編曲した楽曲」を意味する。 もともとの本曲は、普化宗で吹禅に使われた曲を指していたが、1871年の普化宗廃止後は宗教音楽とは無縁な尺八のみの独奏曲や重奏曲も本曲と呼ばれるようになった。これらの比較的新しい本曲と普化宗で吹奏された狭義の本曲を区別するため、後者を特に古典本曲と呼ぶことがある。 江戸時代に虚無僧が吹いた本曲は、琴古流本曲をふくめ、150曲あまりが伝承されている。これらは宗教音楽として成立し、作者、作曲年代ともに基本的に不詳である。弘前の根笹派錦風流、浜松の普大寺の流れをくむ名古屋の西園流、京都の明暗寺の明暗真法流と明暗対山流、博多一朝軒、越後明暗寺、東北地方の布袋軒、松巖軒などの伝承である。 これらの本曲は、托鉢のため諸国を往来した虚無僧により伝播された。全国の寺院で伝承される本曲には同名異曲が多くある。『鈴慕』『三谷』『鶴の巣籠』などは本曲の代表的な曲名であるが、曲によっては10種類以上の旋律の異なるものが伝承されている。 宗教音楽としての本曲は、各地の本曲を収集した黒沢琴古の琴古流本曲、西園流を学び明治期に明暗対山流を興し、明暗教会の再興に尽力した樋口対山(1856年 - 1915年)の系統をはじめ、各地において明治維新後も伝承されたものが現代においても血脈を保っている。 琴古流本曲は、琴古流の始祖である初代黒沢琴古が日本各地の虚無僧寺に伝わる楽曲をまとめ、本曲として制定した36曲である。吹合所の指南役であった初代琴古は、これらの曲の譜字や習曲順の整理を行い、宗教音楽をはなれた琴古流の基礎を築いた。 代表的な楽曲には「一二三鉢返調(ひふみはちがえしのしらべ)」、「鹿の遠音(とおね)」、「巣鶴鈴慕(そうかくれいぼ)」(鶴の巣籠りともいう)などがある。山口五郎によって演奏された本曲「巣鶴鈴慕」は日本の楽曲としては唯一ボイジャーのゴールデンレコードに収録され、ボイジャー探査機に搭載されている。 中尾都山らが作曲した現代曲、尺八独奏曲または尺八二重奏曲をさす。 江戸時代の地歌では三絃(三味線)・箏・胡弓の合奏が行われた。これが三曲合奏である。明治維新以降、胡弓の代わりに尺八が加わることが多くなり、現在では尺八入り三曲合奏の方が一般的に普通に行われる。一部の著述では胡弓入り三曲合奏が無くなったような記述も見られるが、それは全く根拠のない発言であり、現在でも胡弓入り三曲合奏は少なからず行われている。江戸時代にも尺八と箏や三味線の合奏は行われていたと考えられるが、尺八が普化宗の手から離れ合奏が解禁となったのは普化宗廃止後のことである。現在では通常は三曲合奏といえば尺八が入るものを指す。古典的な三曲合奏では、尺八の手付けは三絃の手をベタ付けで尺八向けに編曲したものであった。 こうした三曲の一員としての尺八は、西洋音楽の影響を受けた明治新曲や、春の海で知られる宮城道雄などの新日本音楽を経て、現代邦楽と呼ばれるジャンルを形成するに至った。 三曲系の演奏者のあいだでは、古典的な地歌箏曲を古曲、宮城道雄などの明治期から戦前までの楽曲を新曲、それ以降の楽曲を現代曲と呼ぶこともある。 多くの民謡の伴奏に尺八が使用される。特に追分、馬子唄の伴奏には尺八が多用される。江差追分では、尺八の伴奏が必須となっている。 1960年代から尺八はクラシック音楽の現代音楽で使用されるようになった。1964年にニューヨーク・フィルハーモニックと尺八の横山勝也、薩摩琵琶の流れをくむ鶴田流の琵琶奏者鶴田錦史のために作曲された武満徹のノヴェンバー・ステップスは反響を呼んだ。 1963年村岡実、横山勝也、宮田耕八朗によって作られた、東京尺八三重奏団の第2回演奏会で演奏された三木稔作曲「くるだんど」-奄美の旋律によるカンタータ―を契機として東京尺八三重奏団を発展的に解消し「日本音楽集団」が結成された。創立メンバー、三木稔、長澤勝俊、(作曲)田村拓男(指揮、打楽器)、村岡実、横山勝也、宮田耕八朗(尺八)坂井敏子、宮本幸子(箏)杉浦弘和(三味線)など14名である。1964年に結成された。その後、野坂恵子が入団し三木稔とそれまでの13弦箏を発展させた20弦箏(その後21弦となる)を作り現代邦楽の可能性を広げていった。またこの頃より楽器改良が進み、宮田耕八朗を中心に多孔式尺八(主として7孔)が作られ普及していった。 1964年には山本邦山、横山勝也、青木鈴慕らによって尺八三本会が結成され、「鼎」、「風動」、「尺八三重奏曲」など、多くの尺八合奏曲が委嘱作曲された。 尺八の大衆化を目指し邦楽の世界を離れて歌謡界に進出した村岡実が先駆け、美空ひばりの「柔」、北島三郎の「与作」などの歌謡曲のヒットで尺八が脚光を浴びることになった。 尺八奏者の山本邦山はジャズなど別ジャンルとのセッションも数多く試みた。 現在では、藤原道山、ZAN、中村仁樹、遠TONE音、神永大輔、大山貴善、山口整萌などのアーティストが活躍している。 尺八を製作することを製管といい。尺八の製作者のことを一般的に製管師とよぶ。昔は、尺八は吹くこと・作ることが出来て初めて一人前とされ免状が手渡されていたが、明治頃より次第に専業の尺八製管師が現れだした。専業の製管師のほかにも、尺八奏者がみずから尺八を製作し、本人や弟子が吹く吹料にする場合もある。製管師のなかには、出身流派や師匠と結びついている者もあり、その流派専属の製管師もいる。尺八奏者のなかには、この製管を趣味とするものもいる。 尺八は竹でできているため、気候や室内の乾燥によって割れることがある。また、竹材の採集時期が悪かったもの、油抜きの未熟なもの、天日干しが不十分なもの、保管が劣悪であるものなどは、チビタケナガシンクイムシやカミキリムシなどの虫被害に見舞われることがある。 ^ a b 月渓恒子 「第16章 尺八楽」『日本の伝統芸能講座』 国立劇場・小島美子、淡交社、2008年、384ページ。ISBN 978-4473034892。 ^ 久保田敏子 『よくわかる箏曲地歌の基礎知識』 当道音楽会、白水社、1990年、212ページ。ISBN 9784560036846。 ^ a b 月渓恒子 「第16章 尺八楽」『日本の伝統芸能講座』 国立劇場・小島美子、淡交社、2008年。ISBN 978-4473034892。 ^ 宮内庁. “尺八”. 2008年11月24日閲覧。 ^ 宮内庁. “彫石尺八”. 2008年11月24日閲覧。 ^ 宮内庁. “玉尺八”. 2008年11月24日閲覧。 ^ 宮内庁. “樺纒尺八”. 2008年11月24日閲覧。 ^ 宮内庁. “刻彫尺八”. 2008年11月24日閲覧。 ^ 久保田敏子 『よくわかる箏曲地歌の基礎知識』 当道音楽会、白水社、1990年、213ページ。ISBN 9784560036846。 ^ a b c d 荒木古童(読み)アラキコドウコトバンク ^ a b c 『1933年を聴く:戦前日本の音風景』齋藤桂 エヌティティ出版 (2017)、第1章「尺八奏者・野村景久による殺人 音楽の合理化と精神論」p16-45 ^ 川瀬順輔(初代)歴史が眠る多磨霊園 ^ 中尾都山(読み)ナカオトザンコトバンク ^ 新日本音楽(読み)しんにほんおんがくコトバンク ^ 大橋鯛山. “尺八の物理”. 2008年11月24日閲覧。 ^ 泉州尺八工房. “歌口研究2”. 2008年11月24日閲覧。 ^ 大橋鯛山 (2008年7月18日). “尺八人口”. 2008年11月24日閲覧。 ^ 上参郷祐康「琴古流の始祖 黒沢琴古」、『季刊邦楽』第10号、邦楽社、 12頁。 ^ “尺八 都山流 分裂記録 : 1ページ目 - FC2まとめ” (日本語). summary.fc2.com. 2018年11月5日閲覧。 ^ a b c 月渓恒子 「第16章 尺八楽」『日本の伝統芸能講座』 国立劇場・小島美子、淡交社、2008年、394ページ。ISBN 978-4473034892。 ^ Youtube. 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尺八
箏(そう)は、日本の伝統楽器(和楽器)の一つ。十三本の糸を有するが、十七絃箏など種々の多絃箏がある。箏は一面、二面(いちめん、にめん)と数える。弦楽器のツィター属に分類される。 一般的に、「箏(こと)」と呼ばれ、「琴(きん)」の字を当てることもあるが、「箏」と「琴」は別の楽器である。最大の違いは、箏は柱(じ)と呼ばれる可動式の支柱で弦の音程を調節するのに対し、琴は柱が無く弦を押さえる場所で音程を決める。ただし、箏の柱(箏の駒)は「琴柱」とするのが一般的で(商品名も琴柱)、箏の台は琴台(きんだい)と必ず琴の字を使う。 日本古来からある「こと」は和琴(わごん、やまとごと)と呼ばれ、6本の弦を持つ(まれに5本)。弥生時代から奈良時代の遺跡などに発掘例があり、現在も雅楽に含まれる「国風歌舞」(御神楽など)で演奏される。また、平安時代にはやはり雅楽の楽曲種類の一つである「催馬楽(さいばら)」(在来の民謡などを当時の渡来音楽である雅楽の編成に編曲した管絃伴奏付き歌曲)の伴奏楽器として、和琴が加わることがあった(現在では普通、催馬楽に和琴が加わることはない)。 また、日本の古代音楽を最も古い形のまま現在まで伝承しているとされる恐山などのイタコが、交霊の際に演奏する楽器の一つとしても用いられる(ただし和琴を使うのはごく一部で、一般にイタコが用いる楽器は梓弓が多い)。 アイヌの伝統楽器の箏であるトンコリ(カーとも言う)は、和琴と類似した構造を持つ(ただし弦は5本)。 一方、後述の奈良時代に唐より伝わることになる中国の箏の起こりは、秦の時代(紀元前3世紀頃)に蒙恬(もうてん)という人物が作ったのが始まりとされるが、伝説に過ぎない。 現在日本で広く知られている形の箏は、13本の弦を持ち、奈良時代に唐より伝わり、奈良および平安時代に雅楽の中で用いられた。龍の象徴とされ、現在でも箏の部分の名称として龍頭や龍尾などの名残がある。雅楽で用いられる箏を「楽箏(「がくごと」または「がくそう」)」と呼ぶ。 また奈良・平安時代より独奏楽器(および弾き歌いの伴奏)としても用いられた。これらは『源氏物語』などいくつかの平安文学の中に描写されている。ただし具体的な楽曲は現在残っていない(伝わっていない)。 また龍と対を成していた鳳凰を象徴したハープ型の楽器「箜篌(くご)」は、伝統としては廃絶した。正倉院に断片が宝物として保管され、現代においては復元された複製楽器が演奏されている。また箏と同じツィター属の大型楽器である瑟(「しつ」、まれに「ひつ」とも読む)は正倉院の宝物が24本、中国の古代楽器では25本の弦を持つ。伝説では神がこの瑟を二つに割って、13弦の箏と12弦の箏(別の名がある)が作られたと言われている。これも現在日本の伝統では廃絶したが、現代になって復元された。 平安時代末期から室町時代までにおいては、歴史的な記録が明らかでない。安土・桃山時代には北九州で僧侶の賢順(1574年 - 1636年)により、中国、在来の独奏箏曲、雅楽の箏曲をまとめて「筑紫箏(つくしごと)」が起こった。 雅楽の「楽箏」に対し、近世の箏曲は「俗箏(「ぞくそう」または「ぞくごと」)」と呼ぶ。 前述の筑紫箏を基本として、楽器としての箏および箏曲の基礎を大成させたのが、江戸時代初期に活躍した八橋検校(やつはし・けんぎょう、1614年 - 1685年)であり、特に重要なのは、箏の調弦をそれまでの律音階から、当時民間で一般的になりつつあった都節音階にもとづくものに変えたことである。また多数の作曲をして、ここで現在の箏曲の基本形が整った(一説には、箏曲の基本形の一つである「段もの」と呼ばれるいわゆる変奏曲に類似した形式は、八橋検校が何らかの形で西洋音楽、特にチェンバロの変奏曲に接触したことによって生まれたという)。独奏曲としての箏という楽器を代表する楽曲「六段」(の調べ)は、この八橋検校の作曲によると伝えられる。ちなみに「検校(けんぎょう)」という言葉は当時の盲人音楽家が作る組合制度「当道座」の中で与えられる最高位の名前である。八橋検校の没年となった1685年は、西洋音楽における大きな存在であるバッハや、ヘンデル、ドメニコ・スカルラッティの生年でもある。八橋検校の名は京都の菓子「八ツ橋」の名としても残っており、(生ではなく焼いた、本来の)八ツ橋の形は箏を模している。 八橋検校以降、江戸時代中期の特に重要な箏曲家としては、生田検校と山田検校が挙げられる。まず京都の生田検校が元禄頃、箏の楽器法(調弦および奏法や爪の改良)や楽曲を大きく発展させたといわれる。この流れが現在の生田流系諸派であるが、実際には当時上方にはいくつもの新流派が生まれ、それぞれ独自に爪の改良や楽曲の作曲を行なっていた。現在ではこれらをひっくるめて「生田流」と呼んでいる。生田検校は三味線(地歌)と箏を合奏させた功績が大きいと言われて来たが、これも実際には諸流派でも行なわれたらしい。それからしばらくの間、箏曲は上方を中心に栄えていたが、18世紀後半に山田検校が江戸で浄瑠璃風の歌ものを中心とした楽曲の作曲や楽器の改良を行い、山田流の始祖となった。山田流は江戸を中心に東日本に広まった。こうして幕末までには、西日本では生田流系が、東日本では山田流が盛んに行なわれていた。その他、八橋検校の直接の流れである八橋流が一部に伝えられていた。その他江戸時代の重要な箏曲家として、初期では八橋検校の弟子で生田検校の師匠である北島検校、中期では組歌の作曲で有名な三橋検校、安村検校、後期では京流手事物の地歌曲に複音楽的な箏の手付をした浦崎検校、八重崎検校、光崎検校、また幕末の吉沢検校らがいる。 また江戸時代において、箏は当道制度、つまり盲人音楽家の専売特許であったため、一般人がプロの職業として箏の演奏家になることは認められなかった。このため地歌以外の三味線音楽が歌舞伎や人形浄瑠璃などの視覚的要素を伴う伴奏音楽として発展したのに対し、箏曲は劇場とは関係のない純音楽として発展した。その中心となるものは箏の伴奏付き歌曲である「組歌」と、器楽独奏曲である「段物」であった。そして地歌に合奏することで、多くの地歌曲、ことに手事物をレパートリーとして、大いに発展した。また三味線音楽が遊里との結びつきも持っていて、どちらかといえば三味線が庶民の楽器として普及したのに対し、箏曲は王朝文学に取材したものが多いなど高雅な精神性を持ち、このため武家では「高尚な音楽」として、箏は武家の娘のたしなみ(アマチュア)としてもてはやされた。 明治時代以降は当道制度が廃止され、盲人以外の一般にも箏の演奏が職業として認められた。この頃作曲された作品を「明治新曲」と呼ぶが、西洋音楽の影響はまだ少なく、また当時流行していた明清楽の影響も見られる。ただし国民思潮全般が維新による革新的思想であふれていた時代であり、また盲人以外にも広く箏曲が解放され多数の人間が箏曲界へ参入したこともあって、多くの曲がこの頃作られた。特に大阪において非常に盛んであり、これらを「明治新曲」と総称している。しかしこの頃のレパートリーは現在の奏者にとって満足できるレベルで作曲された楽曲は少ないとされる。ただこの時期独特の清新な雰囲気もあり、西山徳茂都(とくもいち)の『秋の言の葉』、松坂春栄の『楓の花』、菊末検校の『嵯峨の秋』、菊塚与一の『明治松竹梅』などは現在でも良く演奏される。また寺島花野の作品『白菊』など、現在では忘れられかけている佳曲も少なくない。山田流においても『都の春』などの曲が作られている。 大正時代および昭和初期の箏曲には、宮城道雄の名がまずもって挙げられる。西洋音楽の要素を導入した新日本音楽の中心的存在に立ち、箏のみならず邦楽全般の活性化につとめた。特に代表作「春の海」は、尺八(正確には一尺六寸という、尺八より小さい同属楽器)との合奏において、それまでのヘテロフォニックな邦楽の合奏には見られなかった和声的伴奏を駆使し、さらに尺八と交代して主旋律も奏でるといった、邦楽の語法として新しく楽器の性能も十分に駆使した書法により、現在でも箏という楽器を代表する曲の位置を占める。尺八の代わりにヴァイオリンやフルートなどでも演奏される。特にヴァイオリンとの演奏はフランスの女性ヴァイオリニスト、ルネ・シュメーにより広く演奏され、作品はもちろん宮城道雄の名と箏という楽器を世界的に紹介した。また楽器改良や作品の開拓だけでなく、古典作品の復刻や教育活動にも力を注ぎ、それまで主に口承に拠る稽古が主な伝承であったのに対し、楽譜(五線譜、および弦名譜=タブラチュア譜の一種)の普及にもつとめた。宮城道雄は生田流に属する。 この流れは宮城に留まらず三曲界全体の主潮流となり、中村双葉や山田流系の久本玄智、中能島欣一をはじめ、多くの箏曲家が宮城の影響を受けた作品を多数残し、また箏曲家以外でも町田佳聲や高森高山らによって、多くの和楽器を合奏させる作品が多数作られた。 現代の箏は伝統的な流派の伝承(草の根の稽古も含む)はもちろん、クラシック音楽との交流も行われている。具体的には1964年ごろより現代音楽の作曲家の間での「邦楽器ブーム」により、現代音楽に箏を含む邦楽器が広く用いられるようになった。これらの多くは邦楽本来の楽器および演奏法の特色の長所をなるべく活かす形で使われており、このブーム以前の西洋音楽における邦楽器の使われ方として多かった「別に箏でなくてもピアノやハープでも代用できる西洋音楽の書法」とは一線を画する。それに先立って1957年に結成された邦楽四人の会、邦楽器ブーム初期の1964年より活動を続けている日本音楽集団の活動も、現代音楽における重要な邦楽活動として挙げられる。ただし大正・昭和初期の新日本音楽における邦楽界の西洋音楽受容が、和声的な書法で作曲しやすい箏を中心としたのに対し、1960年代の現代音楽界の邦楽受容においては箏は必ずしも主役ではなく、むしろノイズ的書法で作曲しやすい尺八が中心となった。また、吉崎克彦、水野利彦、沢井比河流と言ったような、箏曲演奏家出身の作曲家も人気が高い。 箏とオーケストラのための作品 湯浅譲二 「(八面の)箏とオーケストラのためのプロジェクション・花鳥風月」(1967年) 三木稔 「鳳凰三連・破の曲」「春琴抄・序曲と春鶯囀(しゅんおうでん)」「松の協奏曲」「箏協奏曲第五番」(以上は洋楽器オーケストラとの協奏曲)「コンチェルト・レクイエム」(邦楽器オーケストラとの協奏曲) 伊福部昭 「二十絃箏とオーケストラのための交響的エグログ」(1982年) ソフィア・グバイドゥーリナ In the shadow of the tree 一人の奏者の三面の箏とオーケストラのための(1999年) 西村朗「樹海-二十絃箏とオーケストラのための協奏曲」(2002年) 坂本龍一「箏とオーケストラのための協奏曲」(2010年) 箏独奏のための作品 下総皖一 「箏独奏のためのソナタ」(1938年)西洋音楽系作曲家初の箏独奏曲 三木稔 「天如」(1969年)二十絃箏初の独奏曲 細川俊夫 「箏歌(ことうた)」 望月京 Intermezzi II 箏と室内楽(邦楽器および洋楽器)のための作品 榎戸二幸 「天の恵〜あまのめぐみ〜」(2011年)salzburgでの演奏会(2012年) その他 Kagrra,:日本のロックバンド。和の世界観を基調にしており、メンバーの一人が箏を演奏している。箏を取り入れた楽曲が複数ある。 沢井比河流:上昇の彼方(2003年) 和楽器バンド、華風月、蓮-REN:筝奏者のいぶくろ聖志が所属している。 この音とまれ! - 高校の箏曲部を舞台とした漫画。作中に登場するオリジナル箏曲は作者の身内が主に作曲した(作者のアミューは箏教室を主宰する家庭で育ち、実姉はプロとして活動している)。それらの楽曲を収録したアルバムは、平成29年度(第72回)文化庁芸術祭賞・レコード部門最優秀賞、第32回日本ゴールドディスク大賞・純邦楽・アルバム・オブ・ザ・イヤー優秀賞を獲得している。 主に生田流(いくたりゅう)と山田流(やまだりゅう)がある。外見上の目立った違いは爪の形および楽器を構える姿勢であり、生田流は角爪を用い、この角を有効に使うため楽器に対し左斜め約45度に構える。山田流は丸爪を用い正面に構える。 レパートリーについては、双方の流派が双方のレパートリーを広く扱うため、あまり差異は無い。相対的な比較としては山田流が生田流よりも「歌もの」を多く扱い、生田流は独奏曲において技巧が発達している。楽器の形状(長さ、楽器の膨らみ、音穴、細部の装飾など)は生田流の箏は楽箏(雅楽の箏)の形をかなり残していて、俗箏として改良を加えられた山田流式の方が音量が大きく豊かな音色である為、現在製作されている箏は一部を除いてほとんどが山田流式の箏である。 ただ沖縄、または沖縄の文化を伝えている地域では、八橋流の流れをくむ独自の琉球箏曲が発展・継承されていて、そちらは現在でも生田流式の箏を使っている。それ以外は生田流の奏者でもほとんど山田流式の箏を使用している。調子(調弦)において、一部の調子の名が双方の流派で異なるため注意を要する。(例:生田流の中空調子=山田流の曙調子、生田流の曙調子=山田流の二重中空調子、など) その他ごく少数ではあるが、八橋検校の当時の演奏様式を伝える八橋流、筑紫箏の様式を伝える筑紫流がある。 箏は、前後にアーチのかかった横に細長い板状で内部が中空の胴に、13本の絃を渡して柱(じ)を用いて張り音程を調節し、奏者の右手に嵌めた爪(義甲)によって絃をはじいて音を出し演奏する楽器である。 長さは生田流の本間(ほんげん)と呼ばれる高級なものが6尺3寸(約190cm)、山田流が約6尺(約182cm)である。その他これに前後する長さのものが多数あったが、現在では学校教育用の箏を除けば大部分が山田流の箏である。 正倉院にも箏の残欠が保存されているが、現在のものと造りが異なっており、四枚の板を箱状に張り合わせて作られており、各板はかなり薄い。現代の箏は上面と両側面は一つの材をくり抜いて作り、下面だけ別材を張り合わせる構造であり、このような方法になったのは平安時代と思われる。その後山田検校により改良されたのが、基本的に現在の主流を成す「山田箏」である。本体は桐で作るが、製法により「ベタ」と「刳甲(くりこう)」とがあり、後者が高級品である。かつては富裕層のステイタスとして蒔絵や木画などで美しく装飾されるものが多かったが、やはり山田検校以来、装飾は最低限に抑え、音色を重視するシンプルなものが次第に多くなった。ただし良い音の出る楽器と木目の美しさにはかなり密接な関係がある。 楽器の各部分には、「龍角」「劉眼」「龍手」など、箏を竜に見立てた名称がつけられている。これを題材に書かれた推理小説が島田荘司の龍臥亭事件である。 雅楽の楽箏は両絃と呼ばれるもののうちの一つ(もう一つは楽琵琶)で、管絃や催馬楽で用いられる(舞楽では通常用いられない)。 和楽器では普通絃とは呼ばず「糸」と称する。通常の箏は十三本の糸を有し、奈良時代より変わらないが、江戸時代には更に多絃の箏が作られたこともある。また明治時代以降、十七絃箏をはじめ、種々の多絃箏が作られている。十三本の糸には名称があり、演奏する側の反対側から一、二、三、四と数え、十以降の糸は斗(と)、為(い)、巾(きん)と呼ぶが、筑紫箏では別の呼び方もある。太さには色々なサイズがあり、以前は黄色く染色したものが普通で、稀に青や赤に染めることもあったが、現在では生成りの白が好まれている。糸の構造は他の多くの和楽器糸と同じく、単糸を更に四本撚り合わせ、糊で固めたもの。材質は本来は絹製であるが、俗箏では現在はテトロン製が主流になっている。テトロンは張力が強く、強く張ると余韻が長く、いい音色がでるからである。また、演奏中に切れる心配が無いこと、絹製に比較するとかなり安価であることも普及している要因である。しかし、絹糸の独特の響きを気に入っている奏者も多く、特に擦り爪におけるシュッという音色ははるかに絹の方が良い。楽箏では今でも絹糸が主流である。 爪(義甲)は右手の親指、人差し指、中指の3本の指の腹側に嵌める(人間の手の爪の側ではないことに注意)。雅楽の爪は丸くて小さい。生田流は角爪と呼ばれ、先が広く四角い形をしている。山田流は丸爪と呼ばれ、尖頭の丸形である。この形状の差異により音色が微妙に異なる。この他歴史的に、先の広がった四角形など多少の差異がある。厚みは戦後に移るにしたがって徐々に薄くなってきている。材質は(雅楽を除き)象牙でつくられているが、最近は絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約(ワシントン条約)により象牙の入手が困難のため高騰してはいるが、代用樹脂は学校教育用などに限られている。 柱(じ)は他の弦楽器でいう駒、ブリッジで、糸を支え音高を定め、振動を胴に伝える部品である。楽箏のものは小さく低いが、大音量を求める近代のものは大型になっている。補助的に小型の柱や、最高音弦用の脚部に変化を加えた柱、その他倒れにくくしたりするために工夫が施された特殊な柱なども種々使用される。材質は古くは唐木が多かったが、現在では象牙製が最高とされる。しかし大変に高価であるので、現在は合成樹脂製のものが広く用いられている。その他、以前は鯨骨製のものもしばしば使用された。古いものでは美しい蒔絵が施されたものもある。 単に「新箏」と言った場合、二十絃箏を指す場合が多いが、近年において開発された箏全般を新箏と言う。 宮城道雄の開発した十七絃箏がもっとも有名であり、既に一般化している。合奏で用いられるように特に低音部が良く鳴るように拡張されており、宮城以降の楽曲では広く用いられる。宮城道雄が開発した楽器はほかにも教育用普及楽器の短箏(たんごと)、試験的に作られた超大型楽器八十絃がある。 このほか、現代において作られた箏として1969年に作曲家三木稔と箏曲家野坂恵子が共同開発した二十絃箏(実際は21本の絃がある)、それから二十五絃箏、三十絃箏、三十二絃箏などがある。それぞれ現代の(邦楽系の「現代邦楽」および西洋音楽系の「現代音楽」双方の分野の)作曲家によって新しい音楽作品を作る試みが行われている。特に二十絃箏は多く用いられ、徐々に一般化しつつある。 ちなみに大正琴は発音原理が琴(きん)に属する楽器のため、ここで扱う箏とは基本的分類において異なる。 広島県福山市(全国生産量の7割を生産) 中国の撥弦楽器のうちツィター属のものだけでも時代、地方、様式により多くの種類がある。一般的には(zhēngチェン)と呼ばれる楽器が箏を指す。(字は同じ「箏」の字,但し、簡体字では、「筝」) 現在、伝統音楽に広く使用される物は、古箏(古筝グーチェン)とよばれる。また、琴柱のない古琴(gŭqínグーチン)という楽器も広くつかわれている。 朝鮮には伽耶琴(カヤグム)と呼ばれる12弦の箏があり、前部を膝に乗せ指頭で弾奏する。正倉院に伝わる「新羅琴」はその初期の頃のものと言われる。また、6本の弦と固定フレットを持ち棒(匙)で弾奏する玄琴(コムンゴ)がある。他にレンギョウの枝で擦って奏する7弦の牙箏(アジェン)がある。 箏は楽器分類上ツィター属に含まれることもあり、ヨーロッパでの類似楽器としてはツィターが挙げられる。ツィターはヨーロッパの楽器としては一般的なほうではなく、アルプス地方の民俗楽器(特にオーストリア)として扱われている。他に、フィンランドの民俗楽器カンテレも類似楽器の一つに挙げられる。 箏曲 - 文化庁 日本の伝統音楽:楽器編 - 文化デジタルライブラリー (独立行政法人日本芸術文化振興会) 箏 - 伝統音楽デジタルライブラリー (洗足学園音楽大学) 箏曲とは - 社団法人日本三曲協会 財団法人正派邦楽会 世界で一つだけの文化-筝 筝奏者榎戸二幸のページ ^ “「この音とまれ!」CDが第72回文化庁芸術祭賞のレコード部門優秀賞に”. コミックナタリー (2017年12月27日). 2018年6月1日閲覧。 ^ “FGOサントラと「この音とまれ!」アルバムが日本ゴールドディスク大賞受賞”. コミックナタリー (2018年2月27日). 2018年6月1日閲覧。 ^ “第32回日本ゴールドディスク大賞「純邦楽・アルバム・オブ・ザ・イヤー」”. THE GOLD DISC. 2018年6月1日閲覧。
笙(しょう)とは、雅楽などで使う管楽器の1つ。フリーリード類に属する。同様の楽器が東アジア各地に見られる。中国名・ション (Sheng)。 日本には奈良時代ごろに雅楽とともに伝わってきたと考えられている。雅楽で用いられる笙は、その形を翼を立てて休んでいる鳳凰に見立てられ、鳳笙(ほうしょう)とも呼ばれる。匏(ほう) と呼ばれる部分の上に17本の細い竹管を円形に配置し、竹管に空けられた指穴を押さえ、匏の横側に空けられた吹口より息を吸ったり吐いたりして、17本のうち15本の竹管の下部に付けられた金属製の簧(した:リード)を振動させて音を出す。 音程は簧の固有振動数によって決定し、竹管で共鳴させて発音する。パイプオルガンのリード管と同じ原理である。いくつかの竹管には屏上(びょうじょう)と呼ばれる長方形の穴があり、共鳴管としての管長は全長ではなくこの穴で決まる。そのため見かけの竹管の長さと音程の並びは一致しない。屏上は表の場合と裏の場合があるが、表の場合は装飾が施されている。指穴を押さえていない管で音が出ないのは、共鳴しない位置に指穴が開けられているためである。 ハーモニカと異なり、吸っても吹いても同じ音が出せるので、他の吹奏楽器のような息継ぎが不要であり、同じ音をずっと鳴らし続けることも出来る(呼吸を替える時に瞬間的に音量が低下するのみ)。押さえる穴の組み合わせを変えることで11種類の合竹(あいたけ)と呼ばれる和音を出すことができる。通常の唐楽では基本の合竹による奏法が中心であるが、調子、音取、催馬楽、朗詠では一竹(いっちく:単音で旋律を奏すること)や特殊な合竹も用いる。高麗楽では用いられない。 その音色は天から差し込む光を表すといわれている。 構造上、呼気によって内部が結露しやすく、そのまま演奏し続けると簧に水滴が付いて音高が狂い、やがて音そのものが出なくなる。そのため、火鉢やコンロなどで演奏前や間に楽器を暖めることが必要である。 なお、平安時代の「基経」を笙の「楽祖」とする。「基経」とは、『続群書類従』管弦部所蔵の「鳳笙師伝相承」によれば、藤原基経のことで、その後楽人である豊原家に継承されるが豊原時延・時光父子が源頼義及び息子の源義家・義光に伝授され、後に義光が時光の嫡男である時元に返り伝授されたことが記されている。それを意識したのか、足利尊氏も若い頃から笙を習得し、観応の擾乱後に尊氏に擁立された後光厳天皇も尊氏に倣って尊氏の師である豊原龍秋から笙を取得し、その後歴代天皇の間でも笙を演奏するようになった。 現代では雅楽だけでなく、クラシック音楽の作曲家によって管弦楽や室内楽のなかで、あるいは声楽の伴奏楽器として活用されることもある。 笙より1オクターブ低い音域が鳴る竽(う)という楽器もある。これは雅楽の伝統では一度断絶したものの、正倉院の宝物等を参考に、戦後になって復元された楽器の一つである。現代において蘇演(復曲)された作品や、新作の現代雅楽、例えば黛敏郎の「昭和天平楽」などで用いられている。 中国には北京語でション(shēng)、広東語でサンという、同じ「笙」の字を書く楽器がある。これは日本の笙より大型で、音域は日本の笙の倍以上あり、素早い動きにも対応している。もともと奈良時代に日本に伝わった時点では、日本の笙もパイプのような吹き口が付属していたが、現在ではそれをはずし、直接胴に口をあてて演奏する形に変わっている。 笙は八音では「匏」に属する。 ラオス、タイ王国北東部では笙と同じ原理のケーン(英語版)という楽器があり、一説では、これが中国の笙の原型であると言われる。 音程は竹の長さとは無関係で、吹き口から向かって右側から時計回りに、以下の通りとなる。竹の長さの順位と押さえる指も併せて示す。 竹の長さの順位は、1(最長)・2・3・4・5(最短)と長い順に数字で示している。正倉院の笙には、比も短くして千・也・言と同じ長さにしたものもある。 押さえる指は、L(左手)・R(右手)、1(親指)・2(人差し指)・3(中指)・4(薬指)で示している。右手人差し指は千・比の竹の間の隙間に入れ、下・乙は内側から押さえ、比は指の裏で押さえる。 也・毛は、正倉院の笙(奈良時代の笙)では簧(した)が付けられていたが、現行の笙では通常簧が付けられておらず無音であり、外観を整えるために竹が残されている。この也・毛から「野暮」という言葉が発生したという説もある。伝来当初は也はG6、毛はD#5であったが、現代音楽等では也をA#5、毛をF5として簧を付けた特別仕様の笙が使われることもある。 伝統曲で使われる笙の和音を合竹といい、全部で11種類ある。 「十(双調)」は双調の曲のみに用いられる。「十(双調)」と「行」は5音で構成され、他は6音で構成されている。「十」と「比」を除き、構成音のうち最も低い音の管名が合竹名となっている。行と七の音は全ての合竹で用いられ、逆に言(C#6)の音はどの合竹にも入っていない。乞・一・凢・乙・行・十(双調)の6種は協和音的であり、工・下・十・美・比の5種は不協和音的であるといわれている。 現行の雅楽の演奏では、合竹を変える際には全部の指を一度に移し替えるのではなく「手移り」と呼ばれる一定の順序に従って行われる。 林哲至(外部リンク) 真鍋尚之 宮田まゆみ カニササレアヤコ(外部リンク) タレント 鈴木治夫 - 東京で唯一の笙職人 ^ 『神社有職故実』100頁昭和26年(1951年)7月15日神社本庁発行 ^ 豊永聡美「後光厳天皇と音楽」(初出:『日本歴史』567号(1998年)/所収:豊永『中世の天皇と音楽』(吉川弘文館、2006年) ISBN 4-642-02860-9 P130-151) ^ ぶらり途中下車NTV, 2008年8月9日 ^ 第63回 笙職人 鈴木工房 鈴木治夫フロンティアーズ、2010.0904 簫 笙のページ 至淵境 笙について 雅楽・笙奏者 真鍋尚之のページ 第114回 多摩探検隊「笙職人~3000年の音色をつなぐ~ 」 中央大学FLPジャーナリズムプログラム・松野良一ゼミ
一弦琴
一弦琴(いちげんきん、一絃琴)とは、細長い木製の胴に一本の弦を張った琴で、弦楽器の一種。須磨琴・独弦琴・板琴などともいう。 一般的なものは、胴の長さは110cmくらい、幅は頭部で11cm・尾部で8cmくらい、中間に2か所のくびれがある。胴の表面部には徽とよばれる12個の目印がはめ込まれている。弦は絹糸で作られている。 奏者は左側に尾部を見るようにして頭部の横側に正座して演奏を行う。元々は膝の上に琴を載せて演奏していたが、後には台の上に置いて演奏するようになった。右手人差指に竜爪(短管)と呼ばれる義甲を、左手中指に転管(長管)という管をそれぞれはめて、転管で徽がはめられている感所(勘所)を抑えながら、竜爪で撥弦(弦をはじく)して演奏する。竜爪と転管は、8cmくらいの竹もしくは象牙の管の中間から少し外れた場所から斜め切りにし、短い方を竜爪に、長い方を転管にして用いる。 日本における一弦琴の由来は諸説あって不明である。『日本後紀』によれば、延暦18年(799年)7月のこととして三河国に流れ着いた天竺の人が一弦琴をひいたのが最古の記録であるが、インドのビーナに近いものであったと推定される。「一弦琴の祖」と称される須磨琴については、幕末に松平四山が著した『当流板琴大意抄』によれば、平安時代(9世紀)に在原行平が須磨に流された際に庇の板で琴を作ってつれづれを慰めたとする説を載せているが、同時代の富士谷御杖が著した『北辺随筆』ではこの説を否定している。 中根淑の説では今日知られる一弦琴は寛文年間(17世紀)に中国(清)から伝えられた比較的新しいもので、宝暦から明和年間の頃(18世紀)に河内国金剛輪寺にいた覚峯(麦飯真人と号する)という僧侶が普及させ、中山信敬(備前)・中川蘭窓ら弟子に伝えられた。幕末から明治にかけて大坂で真鍋豊平やその門人である土佐(高知)の徳弘太橆や東京の富田豊春が活躍して隆盛となり、志士たちからは一弦琴の練習を口実に密会を重ねたとされる。だが、その隆盛も短い間であり、高雅で繊細な楽曲に向いていたが余りに地味であったため、明治末期以降衰微して、現在わずかに行われるのみである。 ^ a b c d e f g h i j k l 蒲生『国史大辞典』「一絃琴」 ^ a b c d e f g 三谷『日本史大事典』「一弦琴」 蒲生郷昭「一絃琴」(『国史大辞典 1』(吉川弘文館、1979年) ISBN 978-4-642-00501-2) 三谷陽子「一弦琴」(『日本史大事典 1』(平凡社、1992年)ISBN 978-4-582-13101-7)
一弦琴
鼓(つづみ)は日本特有の伝統的な楽器のひとつで、もっとも狭義には小鼓を指す。砂時計型、または木製、ドラム缶型の胴の両面に革を張ってこれを緒で強く張る。緒は、能楽の世界では調緒(しらべお)または「調べ」という。この緒を締めたり緩めたりすることで音色を調節しながら、一方もしくは両方の革を手または桴で打って演奏する。その形態によって小鼓、大鼓、太鼓、羯鼓などがある。発音については、古代インドの打楽器 dudubhi または dundubhi から出たという説と、中国の都曇鼓(つどんこ)の音から出たという説がある。 鼓はインドで発生し、その後、中国で腰鼓(ようこ)、一鼓(壱鼓)(いつこ)、二鼓、三鼓(三ノ鼓)(さんのつづみ)、四鼓、杖鼓(じようこ)等と多数の種類が発生した。これらは総じて細腰鼓(さいようこ)と呼ばれる。腰鼓は腰に下げる細腰鼓で、日本には7世紀初めに伝わり、呉鼓(くれのつづみ)として伎楽に用いられた。一鼓、二鼓、三鼓、四鼓は奈良時代の日本に、唐楽(とうがく)用として伝わった。後に腰鼓、二鼓、四鼓は絶えたが、壱鼓は舞楽に残り、三ノ鼓は高麗楽(こまがく)で使われている。また中国から日本に伝わった民間芸能である散楽(さんがく)にも鼓が使われており、正倉院蔵の「弾弓散楽図」には、鼓を桴や手で打つ様子が描かれている。こうしたさまざまな鼓が中国から伝来し、やがて小鼓、大鼓(おおつづみ)が日本で成立した。 杖(桴)を使って演奏する杖鼓は、両面の革に異種の材を用いるのが特徴で、胴端の径と革面径ともに大小がある。後に朝鮮半島に伝わってからは大型となった。 本来はリズム楽器であるが、手で打つ奏法と緒を自由に操作することによって数種類の音色を打ち分けることが可能となり、中世・近世以降の邦楽に大きな影響を与えている。演奏の際に掛声を掛けるのが特徴。 和太鼓 羯鼓 調緒 筒美京平 つづら折り
高麗笛
高麗笛(こまぶえ)とは、雅楽で使う管楽器のひとつ。吹き物。高麗楽と、国風歌舞の内の東遊で使われる。ただし東遊の場合は、本来東遊笛を用いるところに代わりに高麗笛を用いている。 高麗笛は竹の管で作られ、表側に6つの孔(あな)を持つ横笛である。西洋楽器のピッコロに似ている。音の高さは龍笛より一音高い。音域はF#5からE7。
高麗笛
琵琶
琵琶(びわ、英語: pipa, 特に日本のものは biwa)は、東アジアの有棹(リュート属)弦楽器の一つ。弓を使わず、もっぱら弦をはじいて音を出す撥弦楽器である。古代において四弦系(曲頚琵琶)と五弦系(直頚琵琶)があり、後者は伝承が廃絶し使われなくなったが、前者は後に中国及び日本においていくつもの種類が生じて発展し、多くは現代も演奏されている。ヴェトナムにはおそらく明代に伝播した四弦十数柱のものが伝承され、ダン・ティ・バと呼ばれる。なお、広義には阮咸(げんかん)や月琴などのリュート属弦楽器も琵琶に含めることもある。 四弦系(曲頚)琵琶は、西アジアのウード、ヨーロッパのリュートと共通の起源を持ち、形もよく似ている。すなわち卵を縦に半分に割ったような形の共鳴胴に棹を付け、糸倉(ヘッド)がほぼ直角に後ろに曲がった形である。五弦系(直頚)琵琶はインド起源とされ、糸倉は曲がらず真っすぐに伸びている。正倉院に唯一の現物である「螺鈿紫檀五絃琵琶」(らでんしたんごげんのびわ、図参照)が保存されている。 実物は現存しないが、サーサーン朝ペルシア遺跡から出土する工芸品の浮彫り装飾などに、琵琶様の楽器がしばしば見られる。糸倉が後ろに曲がり、多くは撥をもって弾奏されており、この「バルバット(英語版)」と呼ばれる楽器が四弦系琵琶やウード、リュートの祖先とされる。これが中国に伝播したのは前漢の頃である。現存する世界最古の四弦琵琶は、今のところ正倉院に保存されている数面の琵琶であると思われる。いずれも奈良時代のものである。また楽譜も正倉院、及び敦煌から発見されている。 現代中国語ではピーパ pípá と発音する。 「琵琶」という言葉は後漢の応劭『風俗通』声音篇に見え、また『釈名』釈楽器によれば胡の楽器で、馬上で演奏するものであるとする。琵琶がいつ中国に伝わったかは明らかでないが、西晋の傅玄「琵琶賦」(『初学記』および『通典』が引く)の伝える伝説によると、秦のときに万里の長城を築く労働者が演奏したとも、前漢の烏孫公主が馬上で演奏できるように作ったともいう。しかし、その記述からすると当時「琵琶」と呼んだものは今の琵琶と異なり、阮咸にあたる楽器だったらしい。北魏時代の敦煌莫高窟壁画に5弦の琵琶が描かれており、現在につながる琵琶はこのころ中国に伝わったもののようである。 唐時代の琵琶は現在の日本の楽琵琶とほぼ同じ形をしており、音楽理論が整備される中で、調弦法も多数定められ、様々な合奏にも用いられ、記譜法も確立し、宮廷音楽から民間音楽まで、合奏、独奏、歌唱の伴奏と広く愛好された。白居易の詩「琵琶行」は有名であり、楊貴妃もよく琵琶を演奏したと言われる。清代に使用された琵琶は唐代までのものとは異なり、日本の盲僧琵琶にやや近い形をしており、弦数は変わらないがフレットはずっと増えて14個を備えていた。撥ではなく、へら状の義甲(ピック)で弾奏する。江戸時代の文政頃、月琴や胡琴等と共に日本に伝来、明治初年頃まで明清楽として流行した。現在も長崎に伝承され、「唐琵琶」と呼ばれている。以後も中国ではこの形のものを使用しており、民間歌謡の伴奏を主にしていたが、20世紀に入り、劉天華(二胡、琵琶演奏家、作曲家・1895年〜1932年)らにより独奏曲が作られ始めた。更に1950年代にこの琵琶を改良して現在の琵琶が作られた。現代の琵琶は4本の金属弦を持ち、31個のフレットで半音階を演奏できる。ギターの奏法が取り入れられ、弾奏には右手の全部の指を使用し、爪か義爪によって音を出す。 古い時代の琵琶の楽譜としては敦煌文書 P.3808 の裏面に記された10世紀以前の楽譜(25曲)と、日本に残された楽譜がある。 ベトナムの琵琶であるダン・ティ・バ(ベトナム語: Đàn tỳ bà / 彈琵琶”、“Đàn”(彈)は弦楽器であることを表す)は、木製で梨型、四本のナイロン弦(以前は絹糸)を持つ。演奏する際にはほぼ垂直に構え、左手の指で頻繁に音色の変化をつける。かつては宮廷で演奏され、現在もフエの皇宮のベトナムの雅楽において演奏される。Tỳ bà hành (漢字: 琵琶行)はカーチューen:Ca trù(漢字:歌籌)という合奏の代表曲である。 琵琶は7、8世紀頃、中国から日本に入った。正倉院の宝物として伝来当時の琵琶が遺されている。半開の扇もしくはイチョウの葉の形に似た撥(棙)で弦(絃)を弾奏するのが特徴。 五弦琵琶、楽琵琶、平家琵琶、盲僧琵琶、唐琵琶、薩摩琵琶、筑前琵琶などの種類がある。それぞれの楽器は特有の音楽を持ち、その世界の中では単に「琵琶」と称される。またこれら異種の琵琶同士が合奏されることはまずない。また、琵琶を主体とした音楽を「琵琶楽」と総称する。 五弦琵琶は奈良時代より中国から伝来した。聖武天皇に献上され、その後、正倉院に収められた螺鈿紫檀五弦琵琶は、世界に残る唯一の古代の五弦琵琶である。この五弦琵琶は、南インド産の紫檀に螺鈿細工をほどこしたもので、インドから中央アジアの亀茲国経由で唐に入り、日本にもたらされたとされる。五弦琵琶が他に見当たらない理由として、音域が四弦琵琶よりも狭く、演奏法も難しかったからだといわれる。 楽琵琶は雅楽で両絃と呼ばれるもののうちの一つ(もう一つは楽箏)で、管絃、催馬楽(さいばら)に用いる琵琶である(舞楽では通常用いられない)。標準的なものとしては日本の琵琶の中で最も大きく、奈良時代に伝えられた唐代琵琶の形をほとんどそのまま現代に伝えている。撥は逆に最も小さい。現在は合奏の中で分散和音を奏しながらリズム的に支える役目をしている。 かつては独奏曲もあり、琵琶の三大秘曲として「楊真操」、「啄木」、「流泉」などが知られたが、現在に伝えられていない。また様々な技法も存在したようである。しかし、これらの曲の楽譜は現存しており、宮内庁楽部楽長多忠麿によって復曲が試みられ、演奏の録音もおこなわれた。 古くから愛された楽器で、文芸作品にもしばしば登場する。吉備真備、蝉丸、平経正など名人、名手といわれた人も多く、また多くの名器が伝えられている。おおらかで豊かな音色を持ち、後世の諸琵琶との大きな違いは、他の楽器との合奏に用いられること、調ごとに調弦法が変わること、「さわり(英語版)」(サワリ)の機構がないこと、左手の押弦が、柱(フレット)の間で絃を押さえる張力を変化させて音程を変える奏法がないこと、また小指まで使用すること、などである。 平家琵琶は楽琵琶から派生したもので、楽器は楽琵琶とほぼ同じつくりだが、小型の物が好まれる。撥は逆にやや大きく、先端の開きが大きい。平家物語をかたるときの伴奏に用いる。平家琵琶を用いた平家物語の語り物音楽を「平曲」と呼ぶ(薩摩琵琶、筑前琵琶にも平家物語を題材とする曲が多数あるが、これらは近世以降に作られたものであり、音楽的には平曲とはまったく違うものである)。伝承によれば、鎌倉時代のはじめ頃に生仏(しょうぶつ)という盲人音楽家がはじめたとされ、曲節には仏教音楽である声明(しょうみょう)の影響がみられる。のち、南北朝時代の盲人音楽家如一とその弟子明石検校覚一(1299年 - 1371年)が改変、整理し、一方(いちかた)流を創始した。いっぽう城玄が創始した八坂流も生まれる。室町時代には能楽と並び広く愛好され、中世日本音楽の代表的存在として並び称される。江戸時代初期には前田検校により前田流が、波多野検校により波多野流が生まれ、前者は江戸を中心に、後者は京都を中心に行なわれた。演奏は当道座に属する盲人音楽家により占有されていたが、江戸時代には晴眼の奏者もあらわれた。しかし地歌や浄瑠璃などの三味線音楽や箏曲の発展と共に次第に下火となり、波多野流は断絶、前田流は江戸時代中期に名古屋の荻野検校によって中興し、この流派のみがこんにちまで名古屋と仙台に伝えられている。演奏者は非常に少ないが、稀に「鱸」「竹生島詣」「那須与一」などを聴く機会がある。雅楽と平曲は絶対音高の音楽であるため、楽琵琶と平家琵琶は絶対音の楽器であり、相対音高の音楽である近世以降の琵琶楽と異なる。 三味線の祖型が日本に伝来したとき、これを初めて扱い現在に近い楽器に改良したのが平家琵琶の演奏家たちであった。そのため、琵琶と同じように三味線を撥で弾くようになった。ただし琵琶と三味線では撥の形状や持ち方に違いがある。また三味線は楽器のみが伝わり楽曲は伴わなかったため、彼らにより新曲が次々に作り出されたが、その際にも平曲の音楽的要素が色々反映されている。 盲僧琵琶は仏教儀式に用いられたもので、盲人の僧侶がこの琵琶の伴奏で経文を唱えていたとされるが、娯楽的な音楽もある。その起源は奈良時代に求められ、早くから盲僧の組織が作られていた。蝉丸もその一人といわれる。大別して薩摩盲僧と筑前盲僧とがあり、室町時代から江戸時代にかけ、平曲の座頭組織である当道座と対立した。 薩摩盲僧琵琶から薩摩琵琶が派生し、また薩摩琵琶および三味線音楽の影響のもと明治20年代に筑前盲僧琵琶から筑前琵琶が派生した。 盲僧琵琶には一定した制がなく、色々なかたちがみられるが、楽琵琶の系統とはやや異なり、近世中国の琵琶に似ているものが多い。細身のものが多く、特に細いものを笹の葉に見立てて「笹琵琶」と呼ぶ。 筑前琵琶では五弦、薩摩琵琶では四または五弦の琵琶が使われていたが、薩摩系の常楽院流の伝書『琵琶由来記』によれば、盲僧琵琶の柱は古くは六弦六柱だったものを四弦四柱に改めたとあり、常楽院には六柱の琵琶が保存されている。6には六波羅蜜、六観音など仏教の命数としての意味があり、六柱琵琶は仏具として全ての盲僧琵琶に使われていたと見られている。 薩摩琵琶は16世紀に活躍した薩摩の盲僧、淵脇了公が時の領主、島津忠良に召され、命を受けて、武士の士気向上のため、新たに教育的な歌詞の琵琶歌を作曲し、楽器を改良したのが始まりと言われる。これまでの盲僧琵琶を改造し、武士の倫理や戦記・合戦物を歌い上げる勇猛豪壮な演奏に向いた構造にしたものである。盲僧琵琶では柔らかな材を使うことが多かった胴を硬い桑製に戻し、撥で叩き付ける打楽器的奏法を可能にした。撥は大型化し、杓文字型から扇子型へと形態も変化した。これにより、楽器を立てて抱え、横に払う形で撥を扱うことができるようになった。江戸時代には「木崎ヶ原合戦」などの合戦を叙した曲が作られて次第に盛んになり、やがて武士だけでなく町民にも広まった。こうして剛健な「士風琵琶」と優美な「町人琵琶」の2つの流れが成立する。江戸時代末期に池田甚兵衛が両派の美点を一つに合わせ、一流を成し、以降、これが薩摩琵琶として現在まで続いている。 薩摩出身者が力を持っていた明治時代には富国強兵政策とも相まって各地に広まり、吉村岳城、辻靖剛、西幸吉、吉水錦翁などの名手が輩出した。また明治天皇が終生愛好し、明治14年5月に、元薩摩藩主・島津忠義邸にて西幸吉が御前演奏をしたことから、社会的な評価がさらにあがり、やがて「筑前琵琶」とともに「宗家の琵琶節」は皇室向けにしか演奏しない「御止め芸」となった。また、永田錦心が出て、洗練された都会的で艶麗な芸風を特徴とする錦心流を打ち立て、これが評判となり全国に普及した。さらに昭和に入ると水藤錦穣が筑前琵琶の音楽要素を取り入れた「錦琵琶」を創始した。楽器も筑前琵琶を取り入れ五弦五柱を持つよう改良された。その後、水藤錦穣と同じく錦心流から出た鶴田錦史が五弦五柱をさらに改良すると共に、音楽的にも新しい分野へ飛躍させた。それまで語りの伴奏として用いられてきた琵琶に器楽的要素を大きく取り入れ、語りを伴わない琵琶演奏、西洋楽器やこれまで協奏することの無かった他の和楽器との合奏、また錦心流を基礎とした琵琶歌の改良、など斬新なアプローチを行った。鶴田錦史の流れを汲む一派を「鶴田流」あるいは「鶴田派」と呼び、近年発展している。 唐琵琶は、清代に民間で流行した琵琶で、その楽曲(清楽)や月琴等多数の楽器と共に文政年間頃日本に伝わったものである。唐琵琶とは日本での呼び名で、唐代の琵琶とは大きく異なるので注意が必要である。細身で胴は槽の材が表面にまで出て枠となり、そこに表板をはめ込む形をとっている。これは盲僧琵琶の多くや筑前琵琶と共通している。弦は四本、フレットは14個あり、撥ではなくへら状の義甲を用いて弾奏する。主に清代の民間楽曲(清楽)を他の楽器と合奏する。著名な曲としては「九連環」「茉莉花」「水仙花」などがある。清楽は以前に伝わっていた明楽と合わせて明清楽と呼ばれ、幕末から明治初期にかけて流行したが、日清戦争の頃急速に下火となり、現在ではわずかに長崎に伝えられている。 筑前琵琶は明治時代中期に橘智定(たちばなちてい)が薩摩で薩摩琵琶を研究して帰り、筑前盲僧琵琶を改良、新しい琵琶音楽を作り出した。琵琶奏者の鶴崎賢定(つるさきけんじょう)や吉田竹子がこの新しい琵琶音楽を広めるのに一役買った。明治29年、橘智定は東京へ進出し、演奏活動を開始して注目を浴びた。そして雅号を旭翁と号し、筑前琵琶 橘流を創始、明治天皇御前演奏をするなど急速に全国に広まった。橘流は創始者である初代旭翁の没後、「橘会」と「旭会」の二派に分かれ現在に至る。また吉田竹子の門下から高峰筑風(高峰三枝子の父)が出て一世を風靡したが、後継者がなくその芸風は途絶えた。筑前琵琶の音楽は薩摩琵琶に比べ曲風がおだやかであり、楽器、撥ともやや小柄である。胴の表板は桐に変わり、音色は薩摩琵琶に比べ軟らかい。調絃も三味線に準ずるようになった。女性奏者に人気が出、娘琵琶としても流行した。また一時期は花柳界にも「琵琶芸者」なるものが存在した。薩摩琵琶では歌(語り)と楽器は交互に奏されるが、筑前琵琶の音楽には三味線音楽の要素が取り入れられており、歌いながら琵琶の伴奏を入れる部分がある。著名な曲としては「湖水渡」「道灌」「義士の本懐」「敦盛」「本能寺」「石堂丸」などがある。筑前琵琶の種類は四絃と、四絃より音域をより豊かにする為に初代 旭翁とその実子である橘旭宗 一世によって考案された五絃があり、五絃の方が全体にやや大きい。撥も五絃用のものの方がやや開きの幅が広く、いくらか薩摩のものに近い。柱はいずれも五柱(四絃五柱、五絃五柱)。この他、高音用の「小絃」、低音用の「大絃」も作られたが、一般的に普及はしていない。 古典的な楽曲だけではなく、独奏、合奏ともに様々な作曲が試みられている。古典のスタイルにのっとった新作もあるが、特に打楽器的効果の強い薩摩琵琶は、しばしば現代音楽にも用いられる。武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」、「エクリプス」などが有名。この他、和楽器オーケストラの中で薩摩琵琶や筑前琵琶が1~2パートを受け持つことも少なくない。また楽琵琶では、新作雅楽曲のパートとしての演奏のほか、奈良時代の楽曲の復元演奏なども試みられている。 盲僧琵琶、薩摩琵琶、筑前琵琶は高いフレット(「柱」と称する)を持つ。それだけ弦を押し込むことができ、張力を変化させることにより音程を調節できる範囲が広い(柱によっては長三度まで)。中国の琵琶がフレットを増やして、楽器としての機能向上によって表現力を高めたのとは逆に、日本の琵琶はフレットを増やさず(場合によっては減らし)、その分演奏者の技倆をできるだけ活かして微妙な演奏を行うことを好んだ。また中国琵琶が金属弦を取り入れているのに対し、日本琵琶は絹糸の繊細な音色を大切にしている。いっぽうリュートが撥を捨て、指頭で弾くことから多音性を発達させ、弦数も増えていったのに比べ、日本の琵琶は逆に撥を大型化して一音にすべてを込め、また打楽器的効果を持たせた。 ^ 杨荫浏 『中国古代音乐史稿』上册、人民音乐出版社、1980年、129-131頁。 ^ 林謙三「琵琶譜新考 特にその記譜法・奏法の変遷について」、『奈良学芸大学紀要 人文・社会科学』第12巻、1964年、 70-85頁。 ^ 河添房江『唐物の文化史 -舶来品からみた日本』11頁 ^ 兵藤裕巳 『琵琶法師:<異界>を語る人びと』 岩波書店〈岩波新書〉、2009年。ISBN 9784004311843。 pp.26-30. ビワ(枇杷) - 楽器の琵琶と関係があるかどうか不明。文献上は楽器より古く、司馬相如「上林賦」に見える さわり(英語版)(三味線) ジュワリ(英語版)(シタール) ・ 日本琵琶楽協会公式HP
琵琶
三弦
三弦(または三絃、さんげん。サンシエン、拼音: sānxiàn。意味は文字通り「三本の弦」)は、中国の伝統楽器で、ロングネックリュートタイプの撥弦楽器である。弦子(シエンズ、xiànzi)とも呼ばれる。日本では中華三味線(ちゅうかじゃみせん)、支那三味線(しなじゃみせん)と呼ばれることもある。 三弦の語は元のころにはじめて使われるようになった。 丸みを帯びた形の胴体(共鳴箱)に蛇の皮を張り、フレットの無い長い棹を持つ。 全長は90cmから120cm程度で、一般的に、南方のものは小さく95cm程度で「小三弦」と呼ばれ、 北方のものは大きく120cm程度で「大三弦」と呼ばれる。 弦は絹糸を使用する。このため、湿度に影響されやすい。 多くの演奏家が、ケース内の湿気を取り除くためケースにシリカゲルを入れる。 秦代の楽器「弦鞀」から変化して成立したとされる。明の楊慎の『昇庵外集』に「今次三弦,始於元時」とあるのが初出で、同書の記述より元代に現在の形になったとされる。 歴史的に歌の伴奏楽器として人気があった。南管や江南糸竹などのアンサンブルで用いられ、戯曲の演奏にも用いられる。現代中国音楽のオーケストラではあまり使われない。一般的に古典的な中国音楽にて使用されるが、現代中国のロックミュージシャン何勇(ハーヨン、Hé Yǒng)が使用したこともある。 琵琶などと比べてオリジナルのソロのレパートリーは少ない。 また、しばしば中国琵琶とテクニックを共有し、中国琵琶のために伝統的に書かれた曲を演奏することがある。 三弦がトレモロ演奏を行っている場合、元の曲は中国琵琶のために書かれた曲であったりする。 異なる役割のためのいくつかのサイズがある(大三弦など)。 大きいものは約三オクターブの音域がある。 三弦が琉球王国に伝来し、宮廷音楽に取り入れられて三線になった。また、さらには16世紀には泉州(現大阪府の南部)の堺へと伝わり、平家琵琶の要素を取り入れるなどの改良を重ねて現在の三味線の原型となった。その後、三線は本土の三味線から逆影響を受けて完成した。 ベトナムのダン・タムも類似した楽器である。 アメリカなど、欧米ではバンジョーに比較される。 また、20世紀になり、四弦のものが開発されている。 胴体の両面には猫の皮ではなく蛇の皮を張る。(沖縄、奄美の三線と同じ) 象牙のバチではなく、人差し指の指先につけたピックで演奏する(沖縄の三線と共通)。現代ではプラスチック製のピックが主流。 音色は三味線より太く、重い(沖縄の三線と共通)。 南方の小三弦は、沖縄の三線と大きさも近いが、北方の大三弦はもっと大きく、音も太い。 調弦法にはいろいろあるが、三味線でいう二上り、三味線の本調子に取ることがよくある。 ^ 楊蔭瀏 『中国古代音楽史稿』下冊、人民音楽出版社、1981年、725-726頁。
三弦
篳篥
篳篥(ひちりき)は、雅楽や、雅楽の流れを汲む近代に作られた神楽などで使う管楽器の1つ。吹き物。「大篳篥」と「小篳篥」の2種があり、一般には篳篥といえば「小篳篥」を指す。 篳篥は漆を塗った竹の管で作られ(現在では安価なプラスチック製のものも作られている)、表側に7つ、裏側に2つの孔(あな)を持つ縦笛である。発音体にはダブルリードのような形状をした葦舌(した)を用いる。 乾燥した蘆(あし)の管の一方に熱を加えてつぶし(ひしぎ)、責(せめ)と呼ばれる籐を四つに割り、間に切り口を入れて折り合わせて括った輪をはめ込む。もう一方には管とリードの隙間を埋める為に図紙(ずがみ)と呼ばれる和紙が何重にも厚く巻きつけて作られている。図紙には細かな音律を調整する役割もある。そして図紙のほうを篳篥本体の上部から差し込んで演奏する。西洋楽器のオーボエに近い構造である。リードの責を嵌めた部分より上を「舌」、責から下の部分を「首」と呼ぶ。 音域は、西洋音階のソ(G4)から1オクターブと1音上のラ(A5)が基本だが、息の吹き込み方の強弱や葦舌のくわえ方の深さによって滑らかなピッチ変化が可能である。この奏法を塩梅(えんばい)と呼ぶ。 雅楽では、笙(しょう)、龍笛(りゅうてき)と篳篥をまとめて三管と呼び、笙は天から差し込む光、龍笛は天と地の間を泳ぐ龍の声、篳篥は地に在る人の声をそれぞれ表すという。篳篥は笙や龍笛より音域が狭いが音量が大きい。篳篥は主旋律(より正しくは「主旋律のようなもの」)を担当する。 篳篥にはその吹奏によって人が死を免れたり、また盗賊を改心させたなどの逸話がある。しかしその一方で、胡器であるともされ、高貴な人が学ぶことは多くはなかった。名器とされる篳篥も多くなく、海賊丸、波返、筆丸、皮古丸、岩浪、滝落、濃紫などの名が伝わるのみである。その名人とされる者に、和邇部茂光、大石峯良、源博雅、藤原遠理(とおまさ)、源俊頼などがいる。特に大石峯良を「篳篥の楽祖」としている。 大篳篥は現行の篳篥(小篳篥)に比べて音域が完全4度低いとされる。 亀茲が起源の地とされている。植物の茎を潰し、先端を扁平にして作った芦舌の部分を、管に差し込んで吹く楽器が作られており、紀元前1世紀頃から中国へ流入した。3世紀から5世紀にかけて広く普及し、日本には6世紀前後に、中国の楽師によって伝来された。大篳篥は平安時代にはふんだんに使用されていた。「扶桑略記」「続教訓抄」「源氏物語」などの史料、文学作品にも、大篳篥への言及がある。しかし、平安時代以降は用いられなくなった。再び大篳篥が日の目を浴びるのは明治時代であった。1878年(明治11年)、山井景順が大篳篥を作成し、それを新曲に用いた。 篳篥の指孔は、表側の7つは吹き口に近い順に、「丁」「一」「四」「六」「凢」「工」「五」、裏側の2つは「丄」「ム」と名づけられている。運指の形もそれぞれの孔名と同じ名称を用いるが、その場合は孔名の指孔を開け、その直前までの指孔を閉じた形を基本とする。全ての指孔を閉じた形は「舌」という。 裏側の「丄」「ム」はそれぞれ左手親指と右手親指が担当する指孔だが、このうち右手親指の「ム」を開けた時の音は構造上は出すことができるが、実際の曲では用いられず、右手親指の「ム」の指孔は実際の曲では常に閉じたままである。そのため実際の楽譜では「ム」以外の9つの譜字が用いられる。 篳篥の音程には寺院の鐘の音が使われる。京都の妙心寺、知恩院の梵鐘の音とそれぞれ決められている。 楽器の音階を決める穴配りと穴あけには高度の製作技術が必要とされる。 穴あけには電動錐は使われない。穴と穴に距離がある楽器ならば素材が割れないので電動錐を使えるが、篳篥は穴の間隔が近く、使う素材は枯れて古く乾燥し、農家の囲炉裏の天井で 300年 - 350年、日々の生活の中で燻(いぶ)されたスス竹であるため非常に堅く割れやすい。 紐巻上げ式で、神社の儀式で神火をおこすときに使われることでも知られる日本古来から使われてきた火熾しの「巻き錐」を使い、割れないように穴をあける。 素材の竹は自然に育ったものなので内径、肉厚がすべて微妙に異なるため、外形の穴の位置を正確に真似ただけでは音階は決まらない。 漆を中に塗って音階を調整する。 製作技術習得者には、音律の習得は技術習得の最初の 6 ヶ月間に集中して習得してしまうことが求められる。 木漆と水を合せて内径をヘラで塗る。乾かして吹いて確認し、音階を調整する。 篳篥に使われている素材は乾ききった古くもろい竹であるため、塗りに失敗すると漆の乾き際に穴から下まで一直線に割れが入る。漆は湿度が高いと急激に固まり(乾き)湿度が低いと固まらない(乾かない)ため、昔の京都でこの作業ができた時期は春は3月末から5月末、秋はさらに短い期間であった。篳篥の内側の漆はこの時期のみ塗ることができ、この時期以外は塗ると割れてしまう、とされた。 篳篥の形は古来から大きさが決まっているので先人の作品が技術向上の参考になる。 管楽器の笙は1尺7寸、13世紀の鎌倉初期までは大きな笙だったがその後は小さくなった。しかし笛と篳篥は昔から長さが決まっているのでそれ以前の昔に作られた名器が参考になる。 舌の材料に用いられる葦は琵琶湖、淀川から採取されることが多い。なかでも淀川右岸の鵜殿で採取される葦は堅さ、締り共に最良とされていた。しかし環境の悪化の影響で材料に使える良質な葦の確保が難しくなっている。 採取した葦は4,5年ほどの年月をかけ、一切の湿気を排除した場所で乾燥させる。園後、拉鋏という専門の道具を用い、火鉢の上にかざして押し潰して平滑にし、先端に和紙を貼り付ける。 舌を磨く際にはムクノキの葉が用いられる。 安倍季昌 『雅楽篳篥千年の秘伝』 たちばな出版。  ^ 『神社有職故実』102頁昭和26年7月15日神社本庁発行 露通し 採桑老の口傳→出手→雅楽
篳篥
八十絃
八十絃(はちじゅうげん)は、宮城道雄が考案した80本の弦を持つ大型の箏である。1929年に開発された。 13本の弦を持つ通常の箏、あるいは同じく宮城道雄の考案による低音の拡張された十七絃に比べ、はるかに幅広い音量と音高を発することができる。その大きさと形状はグランドピアノの本体部分を思わせるものである(2016年現在、宮城道雄記念館に展示されており見学可能。なお、一般的なピアノの弦は88本)。 なおかつピアノには不可能な、箏の伝統的奏法(揺り、突きなど)による音色の変化や、柱の移動による調弦そのものの変更も可能であり、洋の東西を問わず幅広い音楽を演奏する、という意図に基づいて製作された。ただ一度だけ行われた1929(昭和4)年11月の公開演奏(宮城本人による)では、音量が足りないために、当時は一般に入手できずアメリカから取り寄せたマイクロフォンと拡声器による音量の増幅も試みられた。その時に演奏された曲はバッハの「プレリュード」と宮城作曲の「今日のよろこび」(本来は箏と十七絃の合奏曲だが、八十絃の独奏用に編曲)であった。 しかし当時の邦楽・洋楽双方の関係者や聴衆の無理解と酷評に遭い、また演奏自体が非常に難しく高度な技術を求められたため、ほとんど日の目を見ることなく姿を消し、太平洋戦争で焼失した。現在は復元された楽器が存在するが、実際に演奏される場面はほとんど無い。 近年において開発された箏は、先に挙げた宮城道雄の十七絃箏が既に一般化されており、ほかにも二十絃箏、二十五絃箏、三十絃箏、三十二絃箏などがある。 新・クイズ日本人の質問の中で、「宮城道雄の考案したとんでもない琴とは?」というクイズが出され、この琴が紹介されたこともある。 箏 邦楽
八十絃
篠笛
篠笛(しのぶえ)は日本の木管楽器の一つ。篠竹(雌竹)に歌口と指孔(手孔)を開け、漆ないしは合成樹脂を管の内面に塗った簡素な構造の横笛である。伝統芸能では略して「笛」や「竹笛」と呼ばれることも多い。尺八やフルートと同じく「エアリード楽器」に分類される。 なお本項で西洋音楽での音名に言及する場合は英米式(ドイツのHをB、ドイツのBをBb)で表記する。音名・階名表記を参照のこと。 「篠笛」は、竹の割れ止めに藤を巻いて漆を塗る以外ほとんど装飾することなく、竹そのものといった簡素な姿をしている。これは「篠笛」が庶民階級の間で愛好されてきたことが大きな理由であろう。貴族や武家など上流階級が用いた「龍笛」「能管」では、巻き・塗りなど手間のかかる装飾が施されていることが「篠笛」との大きな違いである。 「篠笛」は庶民の楽器であるため、外見(巻きの有無・多少・素材、塗りの程度・色)、指孔の数(「六孔」「七孔」)、長さ、調律の種類(バリエーション)が数多く、日本各地に多種多様な「笛」が存在する。 楽器として見た「篠笛」は横笛の一種であり、洋楽器のフルート属とよく似ている。音階や運指などに違いはあるが、原理的には「フルート」の管を竹にして「キー装置」を取り去り、音孔の数を人間の指の数に合わせ、押さえやすい長さにしたものと考えてよい。(写真2) 【写真2】上からコンサートフルート(C)、尺八(一尺八寸、D、木管7孔)、七孔・唄用篠笛(上から三本調子G、六本調子Bb、八本調子C)、六孔・囃子用篠笛(六本調子)、ソプラノリコーダー(C)、ピッコロ(D)。カッコ内は最低音または基準音。唄用篠笛の基準音は最低音(筒音)ではなく、第一孔を開けた音である。 元来、西洋のフルートも篠笛のような素朴な姿をしていたが、近代的改良を経て現在のような金属製の管にキー装置を備えたものとなっている。 篠笛は、最も素朴な原形を残している横笛の一つであり、現代の楽器としても大変興味深い。 写真のとおり、篠笛はコンサートフルートとピッコロの中間の長さであり、音域もコンサートフルートとピッコロの間に位置するものが大半である。 Cを基準音とする八本調子唄用篠笛の歌口から第一孔までの長さと、C管リコーダーの発音部エッジから管端までの長さがほぼ等しい(28-29cm)。(「共鳴管の長さ」が等しいので、同じ高さの音が鳴る。)コンサートフルート(オクターブ下のCが基本音)の歌口から脚部管先端までの長さ(60cm前後)の約半分なので、コンサートフルートの1オクターブ上の音が鳴るのである。(共鳴管の長さが半分になると、1オクターブ上の音が鳴る。) 参考までに、ピッコロ(D)の共鳴管の長さは約26.5cmであり、尺八(一尺八寸、D)の共鳴管の長さ(約54cm)の半分に近い。この関係も興味深いところである。なお、尺八は縦笛であるから、共鳴管の長さは管の上端(正確には歌口の鋭いエッジ)から下端(管尻)までと考える。 「篠笛」は日本で独自に考案されたものではなく、雅楽の横笛として中国大陸から伝わった「龍笛」が庶民の間にも広まって簡素化したものであろうと考えられている。さらに歴史をさかのぼると、世界中の横笛の元祖は古代インドであると言われている。 現在多く用いられている篠笛の指孔の数は「六孔」「七孔」の2種類で、先祖といわれる「龍笛」は「七孔」であるが、「7穴の篠笛」と「龍笛」の基本音階・内部構造は異なっており、龍笛の装飾を省いたものがそのまま七孔篠笛に変化したとは考えにくい。 歴史学資料としては奈良・正倉院に伝わっている横笛や、宮城県名取市「清水遺跡」(9世紀ごろ、平安時代)、福島県玉川村「江平遺跡」(8世紀ごろ、奈良時代)から発掘された横笛についても研究されているが、音階・構造はそれぞれ少しずつ異なっており、日本の横笛の歴史について統一した見解は得られていない。 後述する唄用篠笛は五代目及び六代目の福原百之助が大正から昭和の初期にかけて開発したもので、「篠笛」という名もその頃五代目福原百之助がつけたものである。 日本で一般的に「お祭の笛」といえば、「篠笛」を意味することが多い。(地域によっては「龍笛」「能管」「神楽笛」その他独自の笛を用いる場合もある。) 和太鼓や鉦などの打楽器と共に用いられ、「祭囃子」「神楽」「獅子舞」の「主旋律」(メロディー)を担当する。旋律といっても、祭囃子用の篠笛は演奏と作成の容易さを優先して指孔が等間隔に開けられているものが多く、邦楽の音階にも洋楽の音階にも当てはまらない。平均律とは異なる微分音を含む音階になる。 民謡や民舞の伴奏には一般に三味線が用いられるが、さらに華やかにするために篠笛・尺八・胡弓・打楽器等を加えて演奏されることも多い。歌いやすさを優先し、三味線・篠笛・尺八は、歌い手の声域に合わせて基準音を変えることが一般に行われる。三味線・胡弓の場合は弦の張力を調節すれば良いが、篠笛・尺八の場合は楽器自体では調節できないので、長さの異なる笛(竹)を数種類用意しておき、持ち替える。 歌舞伎・文楽・日本舞踊等、江戸時代に盛んになった伝統芸能、特に庶民階級を対象にして劇場や屋外の舞台で演じられたものには、「浄瑠璃」(じょうるり)のような「語り」あるいは「唄」と三味線によって、旋律と緩急がはっきりした大衆的な音楽をつけることが一般的であった。本格的な劇場・舞台では、それに「笛(能管・篠笛)」「小鼓」「大鼓」「締太鼓」を加えることが多く、この4種を「お囃子」(邦楽囃子、長唄囃子)と呼ぶ。民謡と同じく、語り手・歌い手の声域にあわせて三味線の調弦を変えるのが一般的である。従って、篠笛は長さが異なるものを何種類も用意しておき、転調の際には曲の途中で持ち替えることもある。 「三味線音楽」の多くの種目はこういった舞台音楽である(地歌など舞台に直接関係しない三味線音楽もある)。単なる伴奏(BGM)ではなく、台詞と解説を含む点が特徴的であり、台詞は語り手(「太夫」たゆう)・唄い手に任されて役者や踊り手は一言も発しないという演目・曲も多い。「語りもの」(浄瑠璃)の代表例としては「義太夫節」「常磐津節」「清元節」等があり、一方「唄もの」の代表例が「長唄」である。(「語りもの」と「唄もの」の区別は明確でなく、「唄もの的な清元節」や「語りもの的な長唄」も作られている。) 特に歌舞伎においては、さらに「下座音楽」(げざおんがく)と呼ばれる演出音楽が発達し、三味線と「お囃子」(前述の4種の楽器)だけでなく、さらに大太鼓や鉦、銅鑼なども加えて演奏される。「お囃子」の4種と、追加された打楽器をまとめて「鳴物」(なりもの)と呼ぶことが多い。この「下座音楽」の演奏者は「黒御簾」(くろみす)という黒いスダレの後ろに隠れ、舞台の役者の様子を覗いながら演奏するので「黒御簾音楽」とも呼ばれる。 舞台音楽は民間にも広まり、演劇や舞踊なしで演奏される機会も多かった。そして民謡や祭囃子など、他の分野の音楽とも相互に影響を及ぼしあい、「お座敷」と呼ばれる宴席で披露するための小曲「小唄」「端唄」が生まれた。このような宴席音楽でも「お囃子」をつけて演奏される場合がある。地方芸妓の唄・三味線・お囃子で立方(舞踊担当の芸妓や舞妓・半玉)が舞い踊る華やかな料亭・遊郭は、庶民の人気を集めた。 近年では「篠笛」による「独奏」「合奏」といった器楽曲も多く作られ、上記の分野以外の和楽器および洋楽器、他国の民族楽器との合奏も盛んに行われている。特に、和太鼓を用いた創作曲を演奏するグループにおいて、篠笛が盛んに用いられている。演歌の伴奏の一員として参加することも多い。 篠竹(雌竹)に歌口と指孔(手孔、指穴)を開け、藤で管を巻き、内面に漆を塗り管内を保護すると同時に鳴りをよくする。現在では藤の代わりにナイロン糸、漆の代わりに合成漆を用いることも多く、入門用の安価な全合成樹脂製(プラ管)篠笛も販売されている。一般的に、竹管は音色と演奏感に優れるが調律が安定せず、プラスチック・木・合竹は比較的調律が安定しているが、竹とは音色・演奏感が異なるとも言われている。 製作者によって指孔の大きさ・配置が少しずつ異なる。塗り・装飾も多種多様である。最も一般的なのが管の左右両端に藤(とう)を巻いた「天地巻き」と、巻きを略した「素竹」の2種で、さらに巻きの多い「総巻き」や、管全体を漆や塗料で塗った「塗り笛」などもある。 篠笛は、指孔の個数と共鳴管の長さ(基本音の周波数)と用途、調律により分類される。指孔は歌口から一番遠いものを第一孔と呼ぶのが一般的である。 指孔(手孔)の個数による分類 指孔の数は6または7であることが多い。前者を六孔(六穴)、後者を七孔(七穴)篠笛と呼ぶ。「みさと笛」などの改良篠笛には指孔の数を増減したものもあるが、そのような改良篠笛については、製作者や商標名で分類したほうが良いであろう。 基本音による分類  「何本調子」という呼び方で基本音/基準音(七孔の場合、第一孔を開放した音)を指定する。指孔すべてを閉じて出す最低音(「筒音」、つつね)は竹と製作者による差が大きいため、基本音とは見なされておらず、楽曲で用いることもまれである。「何本調子」の数が一本小さくなると、基本音が半音低くなり、管はその分長くなる。八本調子がおよそC管、七本調子がB管、六本調子がBb管である。「六本半」のように、洋楽の半音のさらに半分刻みの調律のものも用いられることがある。「一本調子(低F)」から「十三本調子(高F)」までが一般に使用されているが、さらに低音の笛もまれに見られる。「何本調子」の表記に「笨」の字を用いる流派もある(なお、三味線音楽、箏曲・三曲、琵琶においても「何本調子」で基本音を定める慣習があるが、分野によって実際の音の高さは異なっているので注意が必要である)。 【写真3】七孔・唄用篠笛(上)と能管(下)。唄用篠笛は上から三本調子(G、天地巻き)、四本調子(Ab)、五本調子(A)、六本調子(Bb)、七本調子(B、黒塗り)、八本調子(C、素竹)、九本調子(Db)、十本調子(D)。 用途、調律による分類  祭囃子、神楽、獅子舞等、各地の祭礼に古来から用いられてきた篠笛を便宜的に「囃子用」「古典調」と呼ぶ。「囃子用」篠笛は同一径の指孔がほぼ等間隔で並んでおり演奏しやすいが、音階に調律されていないため、三味線等の音階がはっきりした楽器とは合わせにくい。そこで昭和初期に、指孔の位置と大きさを工夫し、邦楽(伝統音楽)の唄物(民謡、長唄等)に合わせやすい「唄用」篠笛が開発された。第三孔を大きくし、幾分歌口に近付け、第一孔を逆に幾分小さくした結果、「唄用」篠笛の音階は、第一孔を開放した音を移動ドにおける「ド」とすると、第一孔と第二孔を開放した音が「レ」、第三孔までを開放した音が「ミ」に近く、以降孔を開放する毎にファ、ソ、ラ、シに近い音になる。西洋楽器との合奏が増えるにつれ、これを更に平均律に近付けた「ドレミ調」篠笛、「みさと笛」(商標)等の「改良型篠笛」も開発されている。改良型篠笛の名称は製作者によって多種多様である。西洋音階の演奏に便利な小穴を追加している製作者もある。 【写真4】六孔・囃子用篠笛(上)と七孔・唄用篠笛(下)。どちらも「六本調子」であるが、調律は異なる。第三孔(右から3つめの指孔)が他の孔より大きいのが「唄用」篠笛の特徴である。 現在、一般的に用いられている篠笛は「囃子用・六孔」「囃子用・七孔」「唄用・七孔」「ドレミ調/みさと笛・七孔/六孔」が大部分である。 篠笛の音域は2オクターブ半程度である。全ての指孔を塞いで出す「最低音」を「筒音」と呼び、「唄用・七孔」篠笛では基本音に対し短三度程度低い音になるのが一般的であるが、製作者・地域によって異なる。基本音からの一オクターブ(低音域)を「呂音(りょおん)」、そのオクターブ上(中音域)を「甲音(かんおん)」、更にオクターブ上の高音域を「大甲(だいかん)音」と呼ぶ。それぞれ音色が異なる。 「筒音」および「呂音」は竹らしく暖かみのある柔らかい音色で、尺八との共通点も感じられる音域である。伝統音楽では叙情的な唄もの音楽(民謡、長唄等)や歌舞伎・文楽(人形浄瑠璃)等の芝居・舞踊を引き立てる役割として用いられる。 「甲音」は一転して澄んだ美しい音色となる。最も「篠笛らしい」音域と言ってよいだろう。「呂音」同様に唄もの・芝居・舞踊の引き立て役として多用されるし、また祭囃子・神楽等の祭礼音楽でも「大甲」と合わせて大変好まれる音域である。 「大甲」は非常に「甲高い」鋭い音で、遠くまで聞こえる派手な大音量である。祭囃子・神楽等の祭礼を盛り上げるのに欠かせない。日本のお祭を象徴する音の一つであろう。 篠笛は「移調楽器」であり、実際に出る音(実音)は管の長さによって異なる。 「何本調子」の数字の大小が基本音(「移動ド」の「ド」)の高低を表す。最も多く用いられる管長の範囲において、各音域の実音の一覧を示す。なお、この表は囃子用(古典調)篠笛には適用できない。 「筒音」は基本音とは見なされず、製作者によって異なるので改めて注意されたい。なお、「大甲」音域で上記より高い音への拡張も試みられている。 篠笛の伝統的奏法を他国の横笛と比較するにおいて最も特徴的なのは、タンギングを行わないことである。そのかわり、同音連続の際は極短時間指孔を開閉操作して「音を打つ」(音を区切る)。例:下記『螢の光』で「ほたるの」の「五」の音の連続等。これは「打ち指」と呼ばれる伝統的演奏技法であり、祭囃子・神楽・獅子舞等の祭礼音楽において特に多用される。祭り笛の音は俗に「ぴーひゃらら」と擬音で表現されるが、「ひゃらら」の部分が「打ち指」技法の特色をよく表している。 基本運指以外の「半音」を出す際には、複雑な指使い(「クロスフィンガリング」)をあまり用いず、指孔の半開や息と歌口の角度(アンブシュア)を微妙に調整して音程を上げ下げする方法のほうが好まれる。音程を下げることを「メリ」、微妙に音程を上げることを「カリ」と呼ぶ(「尺八」の奏法も参照されたい)。西洋音楽でいう微分音に相当する音を用いることも極一般的である。 近年の新作曲では、西洋のフルートやピッコロ同様にタンギング、ビブラートも「現代奏法」として用いられることがあり、その他特殊奏法(ポルタメント、フラッタータンギング、グリッサンド、トリル等)も開拓されつつある。 明治期にハーモニカの数字譜を手本として、数字による記譜が福原流長唄囃子で行われるようになり、他の流派・分野にも広がった。記譜法は流派により異なる。福原流では楽譜は縦書きで、音程は数字(呂音=低音は漢数字、甲音=中高音はアラビア数字)で表し、リズム(拍子)は数字の横に縦線を引いたり音価を延ばすことを示す記号(数字の代わりに斜線を引く)を用いて表現する。ここでいう音程は、西洋音楽の音名ではなく、指と息の操作を指す。それにより基本音からの音程が決まる。つまり、西洋の管楽器で言えば移調楽器であり、「数字譜」もタブラチュアの一種である。近年では五線譜と横書き数字譜が併記されることも多く、この場合は数字譜は音程を簡略に記すのみで、リズム部分は五線譜に任せて省略する場合もある。 福原流の例 『ツキ』 『螢の光』 いずれの譜も1オクターブ上げて演奏することが可能であるが、音色と表情が大きく異なった曲になる。 一方、祭囃子など、祭礼音楽では口承と手真似による伝承が主で、楽譜の使用は一部地域に限られていたが、近年は数字譜・五線譜を補助的あるいは積極的に用いる地域も増えつつある。 なお、五線譜によって記譜する場合、通常は運指「一」の基本音=「C」(移動ド)の移調楽器としてなるべく調号が少ない譜面で表すことが多いが、難解な新作曲の場合は誤解を避けるために実音表記が望ましい。 三木稔 『日本楽器法』 音楽之友社、1996年。ISBN 4-276-10695-8。
篠笛
松本清張
松本 清張(まつもと せいちょう、1909年(明治42年)12月21日 - 1992年(平成4年)8月4日)は、日本の小説家。 1953年に『或る「小倉日記」伝』で芥川賞を受賞。以降しばらく、歴史小説・現代小説の短編を中心に執筆した。1958年には『点と線』『眼の壁』を発表。これらの作品がベストセラーになり松本清張ブーム、社会派推理小説ブームを起こす。以後、『ゼロの焦点』『砂の器』などの作品もベストセラーになり戦後日本を代表する作家となる。その他、『かげろう絵図』などの時代小説を手がけているが、『古代史疑』などで日本古代史にも強い関心を示し、『火の路』などの小説作品に結実した。緻密で深い研究に基づく自説の発表は小説家の水準を超えると評される。また、『日本の黒い霧』『昭和史発掘』などのノンフィクションをはじめ、近代史・現代史に取り組んだ諸作品を著し、森鴎外や菊池寛に関する評伝を残すなど、広い領域にまたがる創作活動を続けた。 “せいちょう”はペンネームで、本名は、“きよはる”と読む。 音読みのペンネームは小説家の中山義秀(「なかやまぎしゅう」、本名の読みは「よしひで」)に倣ったもの。もっとも清張は、「ぎしゅう」が本名であると勘違いをしていた。 編集者は、1950年代中盤まで清張を「きよはる」と読んでいた。 公式発表と実際の出生地について 公式には、福岡県企救郡板櫃村(現在の北九州市小倉北区)生まれとされ、多数の刊行物また北九州市立松本清張記念館によるものを含め、大半の資料の年譜において、小倉生まれとされている。しかし小倉は出生届が提出された場所で、清張自身は1990年の読売新聞のインタビューで「生まれたのは小倉市(現北九州市)ということになっているが、本当は広島なの」と話しており、実際には広島県広島市で生まれたと推察される。また松本清張記念館に展示される清張の幼児期の記念写真の裏や台紙には、広島市内の実在する地名「広島京橋」と、広島市内に実在した写真館の名前がはっきりと記載されている。 この他、清張自身「これまでの作品の中で自伝的なものの、もっとも濃い小説」「私の父と田中家の関係はほとんど事実のままこれに書いた」と記述している『父系の指』の中で「私は広島のK町に生まれたと聞かされた」と書いており、清張研究の第一人者といわれる郷原宏は、私小説に書かれているすべてが事実とは限らないが、ここは誰が見ても事実を曲げる必要のないところであり、しかも単に「広島」と書けばすむところをわざわざ「広島のK町」と具体的に踏み込んだ書き方をしており、記念写真の件と合わせて郷原は「小倉は本籍地で出生地とは考えられない」「清張の出生地は広島」としている。郷原はこの「K町」とは広島駅近くの京橋町(現在の南区)と推定している。 『松本清張の残像』(2002年)の中で、「松本清張は広島生まれ」と指摘した松本清張記念館館長・藤井康栄は「古い一枚の写真は広島生れの傍証となるものかもしれないけれど、だからといって生年月日や出生地などの公式記録を書きかえることはできない。それらは本人が生涯なじみ、確認しつづけたものなのだから」としつつも、2009年に朝日新聞や中国新聞紙上で、清張は広島生まれとしたうえで、清張の戸籍謄本他、全ての公式記録の出生地が小倉になっており、清張本人が出生地の訂正をしなかったものを他人が換えられないと説明している。ただ藤井が「松本清張は広島生まれ」と指摘して以降、清張関連文献に於いて「広島生まれ」と記述するものが増えてきている。日外アソシエーツは2014年刊行の『人物ゆかりの旧跡・文化施設事典』で、松本清張の出生地を「広島県広島市」と記載している。清張自身が「広島で生まれた」と話し、藤井が「松本清張は広島生まれ」と公表したものの、藤井が館長を務める北九州市立松本清張記念館は、清張の出生地が広島であるとの報道について「新説」として触れる一方、現在も「小倉生まれ」との見解をとっている。 清張の年譜の初出は1958年の角川書店『現代国民文学全集27 現代推理小説集』の著書略歴とされるが、以降、年譜関連の記述では出生地を福岡県小倉市(または単に福岡県)と記される。ただ清張はインタビューや自伝的小説と呼ばれる作品の中でも「小倉で生まれた」と発言・記述したことはない。なお『松本清張全集』(文藝春秋)の編纂にあたって、清張が特に年譜の訂正を行わなかったことも指摘されている。この点について郷原宏は「出生の環境を恥じる思いもあって、あえて(年譜を)訂正しなかったのだろう」と考察している。2010年の広島市郷土資料館展示では、清張の広島出身の可能性が、多くの資料により検証されている。               松本米吉(鳥取県米子市)                 ↑                 ↑(養子)                 ↑       田中雄三郎 ┏━━峯太郎(→広島県広島市)  (鳥取県日南町)┃  ┃   ┃          ┣━━┫   ┃          ┃  ┃   ┣━━━━━━━清張         とよ  ┃  タニ             ┃             ┗━━嘉三郎(→東京都杉並区荻窪)                 ┃                 ┃                りう 父・松本峯太郎は鳥取県日南町の田中家出身で、幼少時に米子市の松本家に養子入りした。青年期に広島市に出奔、書生や看護雑役夫などをする。 当地で広島県賀茂郡志和村(現在の東広島市志和町)出身の農家の娘で、広島市内の紡績工場で働いていた母・岡田タニと知り合い結婚。清張の姉2人は乳児のときに死亡している。 年譜では、この後「当時日露戦争による炭鉱景気に沸く北九州に移ったものらしい」と書かれ、この後に清張は生まれたと書かれている。 しかし、読売新聞のインタビューでは、清張自身が「生まれのは小倉市(現北九州市)ということになっているが、本当は広島である。それは旅先だったので、その後、すぐ小倉に行ったものだから、そこで生まれたことになっている」と話している。 妻がひとり。娘は外務省の駐ロシア大使と結婚した。 1909年12月21日とされるが、2月12日ともされる。 実際の誕生日に関しては、松本清張記念館にも展示されている清張の幼児期の記念写真の台紙の裏に、「明治四十二年二月十二日生、同年四月十五日写」と墨書されており、残されている幼児期の他の肖像写真にも、「明治四十二年二月十二日 同年六月二十七日写 松本清治」と書かれている。これらの写真や台紙に記載のある写真館は、広島市内に当時実在したことが確認されている。両親が自分の子の誕生日を二度にわたり誤記する可能性は低いことから、1909年2月12日が清張の実際の誕生日であると推定される。 12月21日という日付は、出生届が受理された戸籍上の誕生日の可能性が高く、広島から小倉に移った両親が、まだ出生届を出していなかったことに気づき、あるいは他人から指摘されて届け出を出した日か、その際、届け出の遅れを吏員に叱責されるのを恐れ、届け出日の数日前を記入した、などの事情が考えられる。 清張は実際には1909年2月12日に広島市で生まれ、2枚目の写真が撮られた同年6月27日までは少なくとも広島に居住、出生届を出したとされる同年、12月21日頃までの間に一家は広島を出て、小倉で同年12月21日頃に出生届を提出、その後、祖父母のいる下関市に移住した、と考えられる。清張は『半生の記』で「広島から峯太郎とタニとが九州小倉に移った事情はよく分からない。(中略)それで、炭鉱景気で繁昌している北九州の噂を聞いて、ふらふらと関門海峡を渡ったのではないかと想像する。明治四十二年十二月二十一日に私が生まれている」と書いている。 清張は自身の過去についてはあまり話さなかったともいわれ出生から作家として世に出るまでの記述は主として『半生の記』を基に作成されている。 1910年、下関市壇ノ浦に転居。家の裏は渦潮巻く海で、家の半分は石垣からはみ出し、海に打った杭の上に載っていた。ここで通行人相手の餅屋を始める。だが3年後に、線路建設のためダイナマイトで火の山麓を崩していたのに巻き込まれる。地滑りのため家が押し潰され、同市田中町に移った。父はあらゆる下層の職業を転々としたが、学問については憧憬を持ち、夜手枕で清張に本を読ませて聞かせた。両親には一人っ子のため溺愛された。11歳まで下関にて育つ。1916年、下関市立菁莪尋常小学校に入学。 1920年、家族で小倉市に移ったため、天神島尋常小学校に転校。小倉に定住したのは小学校5年生の時(10歳〜11歳)と推定される。 古船場町の銭湯の持で暮らし、後にバラック家を借り、そこに住んだ。家の前には白い灰汁の流れる小川があり、近くの製紙会社から出る廃液の臭気が漂っていた。1922年、板櫃尋常高等小学校に入学。両親は大八車を転がす露天商を経て翌年、飲食店を開業した。 1922年に小倉で発行された同人誌『とりいれ』に「風と稲」と題する松本清張名義の詩が掲載されており、これが従来は知られていない少年期の清張作品である可能性が指摘されている。 生家が貧しかったために、1924年、板櫃尋常高等小学校を卒業したのち、職業紹介所を通じ、株式会社川北電気企業社(現在のパナソニック エコシステムズ株式会社の源流)小倉出張所の給仕に就職した。掃除、お茶くみ、社員の使い走り、商品の配達などに携わり、初任給は11円、3年後に昇給して15円であった。この時期、新刊書を買う余裕はなく、本は貸本屋で借りるか、勤め帰りに書店で立ち読みしていた。当初清張が興味を持って読んだのは、旅の本であった。特に田山花袋の紀行文を好み、当初清張は花袋を紀行作家と思っていたほどであった。しばらくして、家業の飲食店の経営がやや楽になり、家が手狭になったので、祖母とともに近所の雑貨屋の二階に間借住まいをする。 やがて文学に夢を託すようになる。この頃から春陽堂文庫や新潮社の文芸書を読み、15、6歳の頃、特に愛読したのは芥川龍之介であった。ほかに菊池寛の『啓吉物語』や岸田國士の戯曲も愛読した。休日には小倉市立記念図書館に通い始め、ここで、森鷗外、夏目漱石、田山花袋、泉鏡花などを読み、新潮社版の世界文学全集を手当たり次第に読み漁った。しかし、当時世評の高かった志賀直哉『暗夜行路』などは、どこがいいのかさっぱりわからなかったという。また、雑誌『新青年』で翻訳探偵小説の面白さに開眼、国内では江戸川乱歩の出現に瞠目、作品を愛読した。 だが1927年、出張所が閉鎖され失職。子供の頃から新聞記者に憧れていた清張は、地元紙『鎮西報』の社長を訪ねて採用を申し入れたが、大学卒でなければ雇えないと拒否された。この頃、一時は繁盛した父の飲食店も経営が悪化、失職中の清張も露店を手伝い、小倉の兵営のそばで、パンや餅などを売っていた。文学熱はさらに高まり、八幡製鉄や東洋陶器に勤める職工たちと文学を通じて交際、文学サークルで短篇の習作を朗読したりした。また、木村毅の『小説研究十六講』を読んで感銘を受けた。 1928年になっても、働き口は見つからなかった。手に職をつける仕事をしたいと考えた清張は、小倉市の高崎印刷所に石版印刷の見習い工となる。月給は10円であった。しかし、本当の画工になれないと思った清張は、さらに別の印刷所に見習いとして入る。ここで基礎から版下の描き方を学び、同時に広告図案の面白さを知った。この頃、飲食店の経営はさらに悪化、一家は紺屋町の店を債権者に明け渡して、ふたたび工場廃液の悪臭がただよう中島町に戻り、小さな食堂を開いた。しかし全く商売にならず、父は相変わらず借金取りに追われていた。印刷所の主人が麻雀に凝って仕事をしなくなったため、清張は毎晩遅くまで版下書きの仕事に追われた。 1929年3月、仲間がプロレタリア文芸雑誌を購読していたため、「アカの容疑」で小倉刑務所に約2週間留置された。釈放時には、父によって蔵書が燃やされ、読書を禁じられた。 1931年に印刷所が潰れ、約2年ぶりに高崎印刷所に戻ったが、博多の嶋井オフセット印刷所(正確には嶋井精華堂印刷所。博多三傑の一人、島井宗室の末裔が経営)で半年間見習いとなった。ポスターの図案を習うつもりだったものの、文字もデザインの一つだからという理由で、もっぱら文字を書かされていた。書を清張に教えたのは、能書家で俳誌「万燈」の主宰者でもあった江口竹亭であった。後の作品中に覗われる俳句趣味・能書家の下地がここで培われた。 その後みたび高崎印刷所に復帰、ようやく一人前の職人として認められた。その頃から広告図案が重視されるようになり、嶋井精華堂で学んだ技術が役立った。1936年11月、佐賀県人・内田ナヲと見合い結婚。ナヲが裁縫を習いに通っていた近所の寺の住職の紹介であった。 高崎印刷所の主人が死去し経営状態が悪化、勤めを続けながら自宅で版下書きのアルバイトをした。将来に不安を感じ、1937年2月に印刷所を退職、自営の版下職人となった。この頃、朝日新聞西部支社(現・西部本社)が門司から小倉に社屋を移転し、最新設備による印刷を開始する旨の社告が載った。版下の需要が増えると見込んだ清張は、支社長の原田棟一郎に版下画工として使ってほしいと手紙を書き、下請け契約を得ることに成功した。1939年に広告部の嘱託、1940年には常勤の嘱託となった。なお1938年に長女、1940年に長男、1942年に次男が誕生している。 1943年には広告部意匠係に所属する正社員となったが、独創性を必要とされない仕事内容で、また身分制度的で実力を評価されない職場環境であり、『半生の記』ではこの時期を「概して退屈」「空虚」と記している。そのような中、清張の楽しみの一つは、図案家仲間との交流であった。仲間と共に年に一回、ポスターの展示会を開き、東京から有名なデザイナーを呼んで審査してもらっていた。もう一つの楽しみは、北九州の遺跡めぐりであった。当時清張の職場の隣席に浅野という校正係がおり、浅野は収集した石器や土器の破片を取り出して清張に見せ、考古学者・森本六爾の話をして聞かせたという。浅野の影響から、休日には各地の遺跡を訪ね歩いた。 やがて教育召集のため、久留米第56師団歩兵第148連隊に入隊、陸軍衛生二等兵として3ヶ月の軍務に服した。その後、1944年6月、臨時召集の令状が届いた。この時は、久留米第86師団歩兵第187連隊に入隊、直ちに歩兵第78連隊補充隊への転属を命じられるが、これはニューギニアへ補充のために送られる部隊であった。 補充隊は朝鮮に渡り、7月4日に竜山に到着、同地に駐屯となった。その後、戦況の変化から同部隊のニューギニア行きは中止となったため、清張は中隊付きの衛生兵として医務室勤務となり、軍医の傍らでカルテを書いたり、薬品係に渡す薬剤の名前を書き入れたりする作業に従事した。12月に陸軍衛生一等兵となる。1945年3月、歩兵第292連隊第6中隊に編入され、4月には歩兵第429連隊に転属した。所属は変わっても衛生兵としての任務は変わらなかった。5月、第150師団軍医部勤務となり、全羅北道井邑に移り、6月に衛生上等兵に進級、終戦を同地で迎えた。 10月末、家族が疎開していた佐賀県神埼町の農家へ帰還、朝日新聞社に復職した。小倉市内の黒原営団(現、黒住町)の元兵器厰の工員住宅に住み、砂津に在った朝日新聞西部本社まで歩いて通勤していた。20坪前後の敷地に一家8人で生活した。しかし当時の新聞はタブロイド版1枚、広告は活字の案内広告だけで、事実上清張の仕事はなかった。会社の給料だけでは生活困難であったため、会社の休日や食糧買い出し制度を利用し、藁箒の仲買のアルバイトを始めた。佐賀地域の農家が副業で作る藁箒を仕入れ、小倉近辺の荒物屋に卸した。当初清張の活動範囲は北九州だけであったが、そのうち広島まで足を延ばし、やがて見本を持って関西方面にまで遠出、空いた時間を使って京都や奈良、飛鳥の古い寺社を見学した。 1948年頃になると、正規の問屋が復活しこのアルバイトが成り立たなくなったため、今度は印刷屋の版下描きや商店街のショーウィンドウの飾り付けなどのアルバイトに従事、また生活費を稼ぐ目的もあって、観光ポスターコンクールなどに応募していた。 木村毅の『小説研究十六講』を座右の書としていたが、もともと作家志望ではなく生活のために勤務中の1951年に書いた処女作『西郷札』が『週刊朝日』の「百万人の小説」の三等に入選。この作品は第25回直木賞候補となった。この年初めて上京。全国観光ポスター公募でも、『天草へ』が推選賞を取った。 1952年、木々高太郎の勧めで『三田文学』に「記憶」「或る『小倉日記』伝」を発表。1953年に「或る『小倉日記』伝」は直木賞候補となったが、のちに芥川賞選考委員会に回され、選考委員の1人であった坂口安吾から激賞され、第28回芥川賞を受賞。 『オール讀物』に投稿した「啾啾吟」が第1回オール新人杯佳作。 同1952年、日本宣伝美術協会九州地区委員となり、自宅を小倉事務所とした。 1953年12月1日付で朝日新聞東京本社に転勤となり、上京する。当初単身赴任となった清張は、まず杉並区荻窪の田中家(田中嘉三郎は清張の父である峯三郎の弟。嘉三郎はすでに死去していたが、その家族が住んでいた)に寄宿した。 翌年1954年の7月に一家が上京、当初は練馬区関町の借家に住んでいたが、3年後の1957年に石神井に転居した。 朝日新聞社勤務時代には歴史書を雑読し、広告部校閲係の先輩から民俗学の雑誌を借りて読んでいた。また樋口清之の考古学入門書を愛読していた。 西部本社勤務時に引き続いて意匠係の主任となったが、1956年5月31日付で朝日新聞社を退社。退社の直接の契機は井上靖からの助言であった。 以後作家活動に専念することになる。1956年9月に日本文芸家協会会員。 1955年から『張込み』で推理小説を書き始め、1957年短編集『顔』が第10回日本探偵作家クラブ賞(現・日本推理作家協会賞)を受賞、同年から雑誌『旅』に『点と線』を連載する。翌年刊行され、『眼の壁』とともにベストセラーとなった。「清張以前」「清張以後」という言葉も出て、「清張ブーム」が起こった。 その後も執筆量は衰えず、、『ゼロの焦点』『かげろう絵図』『黒い画集』『歪んだ複写』などを上梓。執筆量の限界に挑んだ。清張の多作は同時代の作家にとっても驚きであり、種々の憶測も呼んだ。作家の平林たい子は韓国の雑誌『思想界』1962年8月号に「朝から晩まで書いているんですけど、何人かの秘書を使って資料を集めてこさせて、その資料で書くだけですからね。松本と言えば人間ではなく「タイプライター」です」と発言した。これに対し清張は「事務処理をする手伝いの人が一人いるのみで、事実に反する」と反論している。しかしのち、書痙となり、以後口述筆記をさせ、それに加筆するという形になった。 1959年、帝銀事件を題材にして『小説帝銀事件』を発表。帝銀事件は当時すでに最高裁で被告に死刑の判決が下されており、裁判は終わっていた。それを踏まえて改めて事件を「推理」することは、裁判批判を意味した。ただし当時は裁判批判が高まった時期であり、清張が特殊であったわけではない。松川事件に対しては、作家の広津和郎が裁判批判を書き、宇野浩二は「世にも不思議な物語」(『文藝春秋』1953年10月号掲載)を執筆、清張も広津を支援するなどの活動を続けた。 下山事件に関しては、清張は広津や南原繁元東京帝大総長とともに「下山事件研究会」を結成、「推理は推理、真実の追及は別になければならない」として真相究明を訴え続けた。 1959年、『小説帝銀事件』で第16回文藝春秋読者賞。 1960年、ノンフィクション『日本の黒い霧』の連載がはじまる。『日本の黒い霧』は『文藝春秋』の1960年1月号から連載され、第二次世界大戦終結以後、1945年から1952年までの7年間に日本で起こった10の諸事件(下山事件、もく星号墜落事故、白鳥事件、ラストヴォロフ事件、ゾルゲ事件、鹿地事件、松川事件など)に対する清張の推論とその背景が論じられた。同書は連載中から大きな反響を呼び、「黒い霧」は流行語になった。当時はまだノンフィクションが一般的に読まれる時代ではなく、同ジャンル隆盛のもととなった作品の一つとされている。また、『日本の黒い霧』は、すでに連載中から様々に議論を引き起こした。大岡昇平と論争を行った(後述)。 この後清張は、実際の歴史を題材にするにあたって、小説の形式をとったもの(『小説東京帝国大学』など)、評論として書いたもの(『北一輝論』など)、小説ではあるが作中に論文を組み込んでいるもの、等々、様々なスタイルでの記述を試みていく。清張によると、「最初、これ(『日本の黒い霧』)を発表するとき、私は自分が小説家であるという立場を考え、「小説」として書くつもりであった」。 1961年、前年度の高額納税者番付で作家部門の1位に。以降13回1位。杉並区高井戸に転居。直木賞選考委員を務める。『わるいやつら』『砂の器』『けものみち』『天保図録』を発表。 1961年9月の「朝日新聞」に、平野謙が、雑誌『群像』で、清張、水上勉らの社会派推理小説などの中間小説の優れたものが台頭し、純文学という概念は歴史的なものに過ぎない、と述べたことから、伊藤整、高見順などと純文学論争が起こった。福田恒存によれば、同年1月に大岡昇平が井上靖の「蒼き狼」を批判した時から始まっていたもので、大岡はついで、松本清張、水上勉らの中間小説を批評家が褒めすぎるとして批判していた。 1963年、江戸川乱歩の後を受けて日本推理作家協会理事長を務める。1971年には同会長となる( - 1974年)。 1963年11月から1964年1月にかけて古代史の知識を色濃く反映した『陸行水行』を発表。以降、小説に留まることなく、自身の見解をより深く世に問う著作を発表していく。清張は「この小説(『陸行水行』)は、論文として書かれたものでもなければ、私の邪馬台国論を小説化したものでもない。(中略)本にまとまるとかなりの反響があった。そこでこういうものが私の邪馬台国論と思われては困ると思い、その後二年して「中央公論」に『古代史疑』を執筆した」と発言している。 1964年、 初の海外旅行。ヨーロッパ・中東諸国を歴訪。 1964年から週刊文春に『昭和史発掘』(- 1971年)を連載、二・二六事件に至る昭和初期の諸事件を、関係者への取材や史料に基づいて描いた。『昭和史発掘』連載中には、右翼の大物からの抗議もあった。呼びつけられたが、根拠を示して説明すると解放してくれたという。単行本の発行部数は300万部を突破し、清張自身も驚く売れ行きを示した。 二・二六事件に関しては、のちに清張が文藝春秋の出版局長に「資料集はたとえ商売にならなくても、大切なものは世に還元すべき」として資料集も出版された。 他方、安易な清張ブーム追随も多く、1960年代半ばには、トリックも意外性もない社会批判小説・風俗小説が本格推理と銘打たれ乱発される状況となった。推理小説の形骸化に対し、清張は責任監修を務めた叢書「新本格推理小説全集」(読売新聞社・1966 - 67年)の中で、「ネオ・本格」という標語を掲げ、次のように発言している。 1967年 - 『昭和史発掘』『花氷』『逃亡』で第1回吉川英治文学賞、『砂漠の塩』で第5回婦人公論読者賞。同年、江戸川乱歩賞選考委員を務める( - 1975年)。 1968年に邪馬台国を探究した『古代史疑』を刊行して以降、古墳時代を論じる『遊古疑考』、日本神話をめぐる『古代探求』など、古代史に関する評論・随筆も多数執筆されていく。他方、造詣は小説作品にも生かされ、『Dの複合』『巨人の磯』『火の路』などの作品に結晶している。 ベトナム戦争に際して、『ワシントン・ポスト』紙に掲載するベトナム反戦広告募集の呼びかけ人の一人となり、1967年4月3日に掲載された。また、「ベ平連」の中心人物の一人であった鶴見俊輔が清張に資金の不足を訴えた際、清張は「鶴見が驚くほどの額」を寄付した。 1968年、ベトナム民主共和国の対外文化連絡委員会からの招待で2月に北ベトナム各地、およびカンボジアやラオスなどの視察旅行に出発。4月4日、ファン・バン・ドン首相との単独会見に成功した。また帰国後同4月には来日したエドガー・スノーと対談した。 1969年 - カッパ・ノベルス版の発行部数が一千万部を突破。 1970年、『昭和史発掘』などの創作活動で第18回菊池寛賞を受賞。「自分は作家としてのスタートが遅かったので、残された時間の全てを作家活動に注ぎたい」と語り、広汎なテーマについて質の高い作品を多作した。同年、『日本の黒い霧』『深層海流』『現代官僚論』で日本ジャーナリスト会議賞受賞。1971年には『留守宅の事件』で第3回小説現代ゴールデン読者賞(昭和46年上半期)受賞。 1970年代以降には、伝奇小説の大作『西海道談綺』や、奈良時代に材をとった歴史小説『眩人』が書かれた。また邪馬台国ブームが、1970年前後に大きく盛り上がったことを背景に、古代史をめぐる対談・座談会等が、清張を交えてたびたび実施された。清張は、井上光貞東京大学文学部教授や西嶋定生東京大学文学部教授、上田正昭京都大学教養部教授(役職はいずれも当時)といった、学界の第一人者とも交流した。清張の活動は当時の古代史ブームの先導の一つとなった。その関心は日本に留まらず、アジア・中東・ヨーロッパなど広い範囲に及び、のちにベトナム古代文化視察団(団員は騎馬民族征服王朝説で知られる江上波夫東京大学名誉教授など)の団長を務めた。『古代史疑』以降、古代史に関する発言は晩年まで続いた。邪馬台国論争では九州説の立場をとっている。 1974年に高木彬光が推理小説『邪馬台国の秘密』を発表した際、古代史に関する記述をめぐり清張との間で論争が行われた。 池田大作創価学会会長と宮本顕治日本共産党委員長の会談が1974年12月に清張邸で実施され、10年間互いの存在を認め相互に干渉しないことを約束する創共協定(共創協定とも言う)が結ばれていたことが、1975年7月に判明、清張はその仲介役を務めていた(協定は公表とほぼ同時に死文化)。池田大作と清張の初対面は、 『文藝春秋』1968年2月号での対談であり、両者はその後も親交を続けた。文藝春秋の清張担当者であった藤井康栄によれば、清張の大ファンと言う池田大作とも、自宅が当時清張宅のすぐ近くにあった宮本顕治とも、ごく気軽に話せる関係であり、創共協定は偶然の重なりによるものであるという。 1976年、毎日新聞社の全国読書世論調査で「好きな著者」の1位に。以降没年まで8回1位。 東京新聞にて1976年1月1日から1978年7月6日まで邪馬台国期から奈良時代に至る日本古代史の通史『清張通史』を連載。1977年の「邪馬台国シンポジウム」(博多全日空ホテル)では構成・司会者を務めた。江波教授や井上教授が講師として参加、全国から600人以上の聴講者が集まった。なお、西嶋教授は、邪馬台国論争では(清張に近い)九州説論者として知られていた。 アメリカの世界的な推理作家であるエラリー・クイーンを1977年に光文社などと共同で招待し、クイーン(フレデリック・ダネイ)と対談した。クィーン(フレデリック・ダネイ)との対談中、推理小説の基本的な考え方について互いに同意する一方、意見を対立させる局面もあった。クィーンは推理小説の世界ベスト10として、イギリスの推理作家トマス・バークによる「オッターモール氏の手」をあげたが、清張は「意外性のみを狙ったもので動機皆無、普遍性がない」と主張し、論争になった。 なお、アメリカ版『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』において、初めて掲載された日本人推理作家の作品は、清張の『地方紙を買う女』である。クィーンと清張との縁はその後も続いた。クィーンは1967年に起こったジム・トンプソンの失踪事件に関心を持っており、すでに『熱い絹』の執筆に着手していた清張と関心を共有することになった。清張やクィーンの作品を取り上げたテレビドラマ「傑作推理劇場」では、冒頭でクィーンが前説を述べる趣向が取られた。のちに清張はフランス世界推理作家会議で「あなたの作風はクィーンに似ていると思うが?」と質問された際、明確に否定している。 清張は映画・テレビの企画制作を目的として、映画監督の野村芳太郎らと1978年11月に「霧プロダクション」を設立、代表取締役に就任した。同プロダクションは1984年まで続いた。同プロダクションの設立に清張が熱意を示したのは、『黒地の絵』の映画化を強く望んでいたからだとされており、発足前の仮称は「黒地の絵プロダクション」とも報じられていた。 1978年に2度目のイラン訪問、NHKの取材に同行し、翌年『ペルセポリスから飛鳥へ』(日本放送出版協会)を書き下ろし刊行した。取材中には、大地震とパフラヴィー朝の国王退陣を求める反政府暴動に遭遇した。同1978年、 第29回NHK放送文化賞受賞。 1981年の「正倉院展」(東京国立博物館)に際して、東京・京都で開かれたシンポジウムに参加した。この1981年頃には、鑑真をテーマにした歴史小説を『群像』に連載する構想を持っていた。 1982年3月30日、「労組潰し」とも評された国鉄問題について「国鉄の自主再建を願う7人委員会」が発足し、会員として参加した。メンバーは中野好夫・都留重人・大河内一男・木下順二、沼田稲次郎(前都立大学学長)、大河内一男、矢島せい子(国民の足を守る会中央会議)。発足にあたっては、私学会館(アルカディア市ヶ谷)で協議した。清張はこの会について「硬直し、泥沼化していく労使の現状を見ておれない。声なき声を代表して、双方が真剣な気持ちで問題解決に取り組んでくれるようになれば」と述べている。 1983年には19作品、24回の新作ドラマが放送されるなど、視聴率を確保できるとされた清張作品のドラマ化は過熱気味となっていたが、原作のテーマから逸脱した不本意な映像化を防ぐ目的もあり、霧プロダクション解散後の1985年に「霧企画事務所」が設立され、清張は監査役を務めた(2000年に解散)。 1983年インドを訪問、朝日放送の取材に同行し、デリー・マドラス・コルカタなどを歩いた。帰国後に『密教の水源をみる 空海・中国・インド』(講談社)を書き下ろし刊行した。 中国へも同じ1983年に訪問した。北京で周揚・中国文学芸術界連合会主席、馮牧・中国作家協会副主席と会談した。清張は「文学は面白いことが第一。説教調のものでは読者に倦きられる」と主張したが、中国側は「文学作品としての水準が先決」とした。 1984年、『ニュードキュメンタリードラマ昭和 松本清張事件にせまる』(テレビ朝日・朝日放送)を監修。自身毎週コメンテーターとして出演。 1985年にスコットランドやフランスのカルナック列石を、「清張古代史をゆく」の続編の取材のため調査、ヨーロッパ巨石文化の謎に取り組んだ。 1986年以降発掘調査が続く吉野ヶ里遺跡に関してもシンポジウムや講演会に参加した。 1986年に『点と線』の英訳(ペーパーバック版)が発売された際、『ニューヨーク・タイムズ』紙上で、「伝統的なものではあるが、息もつかせぬ探偵小説」として紹介された。 1987年、フランス東部グルノーブルでの第9回「世界推理作家会議」に招待され、日本の推理作家として初めて出席、講演を行った。講演の中で、日本の推理小説作家の作品は、翻訳数が少ないために知られていないが、海外の作品に比べて遜色がないと紹介し、帰国後には、日本の推理小説の真価を海外に知らせるため、外国語翻訳がもっと行われるべきであると主張した。 また、フランスの推理作家・評論家のフランソワ・リヴィエールとの対談において、推理小説には骨格としてアイデア・トリックの独自性が必要であるが、他方単調さを回避するために副主題を伴うべきで、既成事実への疑問追及や既成観念への挑戦がテーマとしてうってつけである、と「ネオ・本格推理小説」を提唱した。 1990年、「社会派推理小説の創始、現代史発掘など多年にわたる幅広い作家活動」で1989年度朝日賞受賞。 時代・歴史小説の執筆は減少傾向を示したが、最晩年には再び時代小説『江戸綺談 甲州霊嶽党』に取り組んでいた。上田正昭京都大学教授によれば、織田信長の比叡山焼き討ちを、延暦寺側から描く作品の構想も持ち、1992年春から取材を開始していた。 他にもグルノーブルの原子力発電所に絡んだ推理長編を構想しており、1992年の年明けに中央公論社の会長・社長を招いて執筆を約束、初夏にヨーロッパを取材する予定であった。グルノーブルに加えて、パリ、リヨン、モンテカルロ、ウィーン、ブリュッセルなどを舞台とする構想だったという。 1992年4月20日、脳出血のため東京女子医科大学病院に入院。手術は成功したが、7月に病状が悪化、肝臓がんであることが判明し、8月4日に死去した。享年82。 遺書には「自分は努力だけはして来た」などと記されていた。遺書の日付は1989年6月10日夜、ヨーロッパ取材旅行の前日となっていた。『神々の乱心』『江戸綺談 甲州霊嶽党』(後者は未単行本化)が絶筆。 法名は清閑院釋文張。 1994年、清張の業績を記念して日本文学振興会が松本清張賞制定。 1998年、北九州市立松本清張記念館が開館。書斎や書庫を再現している。 2004年、テレビ朝日が『黒革の手帖』で、清張作品の映像化を定番化。以後随時、単発大型ドラマを編成。 2009年、北九州市が生誕100年記念事業を実施。1月から12月まで幼少時の滞在地を含む清張ゆかりの全国各地で展開された。 2013年、清張が『日本の黒い霧』で「官憲のスパイ」とした伊藤律の記述につき、伊藤の遺族および渡部富哉が代表を務める「伊藤律の名誉回復する会」から該当話数の出版取り止め要請を受けた文藝春秋は、伊藤の証言の引用とスパイ説を否定する文献への参照を促す注釈を、編集部の文責で入れることを決めた。 2014年、鳥取県日南町の日野上地域振興センターに、松本清張資料室がオープン。 清張の作品は、下の系統図に一部示すように、複数のジャンルにまたがる作品が少なくない。個々の分類に困難な部分も多いが、ここでは図録『松本清張記念館』(1998年、北九州市立松本清張記念館)に基づき、適宜変更・省略した。            [フィクション]←←←←←←←←←←←←←←←←→→→→→→→→→→→→→→→→[ノンフィクション]      [推理小説]     [現代小説]     [評伝的小説]     [歴史・時代小説]     [近現代史]     [古代史]        ┃         ┃          ┃           ┃           ┃         ┃ 1950年    ┃         ┃     或る「小倉日記」伝      西郷札          ┃         ┃             火の記憶          断碑→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→        顔         黒地の絵   小説日本芸譚       無宿人別帳         ┃         ┃       点と線 眼の壁                            かげろう絵図        ┃         ┃       ゼロの焦点 1960年    黒い画集     波の塔      小説帝銀事件→→→→→→→→→→→→→→→→→→日本の黒い霧      ┃       砂の器       時間の習俗  けものみち        象徴の設計      天保図録        現代官僚論       ┃        別冊黒い画集→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→       Dの複合     砂漠の塩      小説東京帝国大学←←←←←←←←←←←←←←←←←←┃       古代史疑        黒の様式 死の枝                                  昭和史発掘       ┃ 1970年    黒の図説                砂の審廷←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←┃         ┃              火の路←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←                           文豪         西海道談綺         ┃         ┃        黒の線刻画       空の城                             ┃       清張通史        禁忌の連歌 隠花の飾り                      眩人←←←←←←←←←←←←←←←←←←← 1980年   熱い絹       迷走地図                               ┃         ┃        歌のない歌集            両像・森鷗外                    ┃         ┃ 1990年   神々の乱心←←←←←←←←草の径←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←┃         ┃ 芥川龍之介や菊池寛の短編小説に若い頃から関心を寄せていた清張は、特に短編小説を好んで執筆した。特に初期はほとんどが短編作品であり、文学的な意味での完成度において、短編作品を高く評価する論者も少なくない。これらの作品ではとりわけ、「何らかの意味で劣等感を抱いたり、社会的に孤立したりしながら、心の底では世の中を見返してやりたいという熱烈な現世欲を抱き、そのためにかえって破滅するような孤独で偏執的な人間像」が好んで取り上げられている。 その後、大きな反響を呼んだ『黒い画集』をはじめ、連作形式での短編発表が続き、清張の創作活動の大きな柱の一つとなった。長編執筆が主体となり、短編の創作量は減少したが、晩年に入っても短編シリーズ『松本清張短篇小説館』『草の径』を発表するなど、最後まで短編創作の試みは続けられた。歴史上の人物に新たな焦点を当てるなど、様々な角度からの創作が行われている。 推理小説に清張がよく親しむようになったのは、川北電気小倉出張所の給仕時代、17・8歳の頃であった。雑誌『新青年』(1920年創刊)に掲載された翻訳小説により探偵小説の面白さを知った、と回想している。小酒井不木らによる翻訳を「むさぼり読んだ」一方、江戸川乱歩の初期作品に傾倒した。他に、牧逸馬が手がけたノンフィクション『世界怪奇実話』に憧れ、犯罪ドキュメントものに興味を持つようになったのは、その影響であると述べている。後に作家となって以降も、牧逸馬の自宅を訪れ、蔵書を一覧し、原資料について質問している。『日光中宮祠事件』、『アムステルダム運河殺人事件』のような作品を書くようになったのは牧逸馬の影響であると述べている。戦後の作品としては、香山滋『怪異馬霊教』の強烈な個性に関心を持ったという。 1961年に出版された『随筆 黒い手帖』では、トリックの尊重や、また本格推理の面白さは肯定するが、限られた数のマニアのみを念頭に、設定や描写の奇抜さを競い合う状況が推理小説の行き詰まりを引き起こしているとして、多くの人々の現実に即したスリル・サスペンスを導入すべきことを訴えた。しかし推理小説に現実性を持たせる主張自体は、清張の独創ではない。古典的な探偵小説の非現実性に対する批判として有名なものに、アメリカの作家レイモンド・チャンドラーの1944年のエッセイ「The Simple Art of Murder(素朴な殺人芸術)」がある。ただし、清張は「推理小説が謎解きの面白さを骨子としている以上、トリックを尊重するのは当然である」とする立場を捨てず、動機の重視など、チャンドラーとは異なる方法へと進んだ。 ほか動機の描写に力を入れることで人間描写を深めた。なお推理小説で人間を描くことについては、清張以前から議論が続けられてきた、古典的な問題である。有名なものは、清張が作家として世に出る際大きな役割を果たした木々高太郎と甲賀三郎による昭和11年-12年の「甲賀・木々論戦」である。また、木々を中心とした新人推理作家グループによる、「探偵作家抜打座談会」(『新青年』1950年4月号掲載)も行われたが、乱歩によれば「探偵小説本格主義打倒の純文学論を高唱したもの」であったという。推理小説に社会性を加えられることなどを主張している。 1962年初め頃、清張は欧米の推理小説に詳しいアシスタント(清張の速記者を務めた福岡隆の親戚)を使い、トリック分類表を作成させた。分類表は江戸川乱歩「類別トリック集成」の形式に倣ったものであり、6つの大カテゴリと各カテゴリ内での分類によって構成され、コナン・ドイル、アガサ・クリスティから乱歩に至る実作例が付されている。大カテゴリは以下の通り。 (1)「犯人(または被害者)の人間に関するトリック」(一人二役など) (2)「他人が出入りした痕跡についてのトリック」(密室など) (3)「犯行の時間に関するトリック」(乗り物、時計、音など) (4)「凶器と毒物に関するトリック」 (5)「人および物の隠し方トリック」(死体の隠し方など) (6)「その他の各種トリック」(童謡殺人、迷路など)。 日本推理作家協会の理事長時代、中島河太郎と山村正夫に委嘱して、国内中心の150例近くを補充したトリック分類表を作成させた。 同時期の水上勉・有馬頼義らの執筆活動もあり、マスメディアは清張たちによる推理小説の新しい傾向を「社会派推理小説」と呼び、週刊誌など当時のマスメディアの発達もあり広く歓迎された。しかし清張は「社会派」の呼称が推理小説に使われることを好まなかった。晩年にも、社会派の呼称は適当ではないと明言している。 1970年代の横溝正史のリバイバルブームに際しては、近年の推理小説に良い作品が少ないことの反映だとして次のように述べた。「いい作品が少ないですね、社会派ということで、風俗小説か推理小説かわからないようなものが多い。推理小説的な意味で言えば水増しだよ。それで、トリックオンリーの探偵小説、たとえば横溝さんのものなど、どんでん返しもあれば意外性もあって、コクがあるでしょう、それで読者に迎えられているんだよ」。 デビュー当初の清張の執筆は歴史小説が中心であり、『くるま宿』『秀頼走路』『五十四万石の嘘』『いびき』など、多くの作品が執筆された。これらの歴史短編では、歴史の片隅でひっそりと消えていく薄幸の人々が好んで取り上げられ、また留置所での拘留経験(→経歴)が反映された『いびき』など、かつての自身の生活経験が色濃く影を落としている作品も見られる。また、清張にとって初の長編小説は歴史小説であった。作家としての知名度が上がり執筆量が激増して以降も、連作時代小説『無宿人別帳』を連載するなど、しばらくは時代・歴史小説が並行して書かれた。 歴史小説に関して「鷗外流に史実を克明に淡々と漢語交じりに書くのが「風格のある」歴史小説ではない。史実の下層に埋没している人間を発掘することが、歴史小説家の仕事であろう。史実は結局は当時の人間心理の交渉が遺した形にすぎない。だから逆に言うと、歴史小説は、史実という形の上層から下層に掘られなければならないことになると思う。歴史小説と史実が離れられないゆえんである」と述べた。 出版社のシリーズ企画から江戸時代を論じた『幕末の動乱』がまとめられたが、その経験を生かす形で大作『かげろう絵図』・『天保図録』が生まれた。 清張は菊池の『日本合戦譚』(1932 - 34年、オール讀物に連載)のモチーフを生かす形で、『私説・日本合戦譚』(オール讀物連載)を執筆している。また、岡本綺堂の『半七捕物帳』を始めとする捕物帳にも関心を寄せていたが、短編集成型の連作として『彩色江戸切絵図』『紅刷り江戸噂』を執筆した。ここでも推理小説と同様、シリーズキャラクターの登場は避けられている(『虎』『見世物師』の文吾は唯一の例外)。 ノンフィクション作品に加えて、中江兆民を論じた『火の虚舟』、山縣有朋を素材とする小説『象徴の設計』、大久保利通から吉田茂・鳩山一郎などを経て1980年に至る宰相論『史観・宰相論』など、主に人物を通して近現代史を再考する取り組みが続けられた。 文藝春秋は、その後も清張に近現代史を素材とした作品を書いてもらう意向を持っていた。頓挫した文藝春秋の企画の一つとして「戦後内閣論」がある。 晩年に至り、ノンフィクションから小説作品に案が変更され、『神々の乱心』の執筆が開始された。 日本近代史専攻の有馬学によれば、『昭和史発掘』中で清張の駆使する史料は、当時の研究者から見ても、相当な水準のブレーンがいなければ集め得ないものであったという。このため種々の憶測も生まれたが、清張は「資料の捜索蒐集は、週刊文春編集部員の藤井康栄が一人であたった」と明言している。 歴史学者の成田龍一と日本文学者の小森陽一は、『日本の黒い霧』と『昭和史発掘』は、清張の戦後歴史学(アカデミズム)に対する批判意識が見出せると述べている。戦後歴史学が、権力対民衆運動の枠組みに縛られ、権力(=天皇)の問題を考察する(=天皇制は封建制の残滓であり日本の遅れの象徴という)イデオロギー構造になっていたのに対し、GHQの謀略という視点を持ち込み、また、法則性に基づいた歴史の発展(=マルクス主義)ではなく、個別ばらばらの事件を追求して背景を探るという発想自体、当時の歴史学にはなく、『日本の黒い霧』の手法が新しいものであったこと、『日本の黒い霧』は天皇をめぐる議論には触れていないため、当時の多くの歴史学者は清張の議論を軽視・無視したが、のちに清張は『昭和史発掘』でファシズムの問題に取り組み、戦後歴史学が、大政翼賛会を念頭に思想統制や治安維持法に代表される上からのファシズムを強調するパターンを取っていたのに対して、清張は下仕官や兵のレベルまで資料発掘・言及する対象を拡大し、二・二六事件で決起した青年将校やA級戦犯に戦争の全ての責任があるのではなく、国民一人一人が戦争への欲望を持ち、下からファシズムを望んでいたことを論証しようとした、と指摘している。 清張の古代史への関心は、北九州中心に各地の遺跡を歩いていた小倉在住時に培われている。清張は「わたしの書く「歴史」ものでは、古代史と現代史関係が多く、その中間が抜けている。人からよく訊かれることだが、これは「よく分からない」点に惹かれているからだろう。古代史には史料が少ないために、現代史は資料が多すぎるがその価値が定まっていないために、どちらも空白の部分がある。「歴史」はやはり推理の愉しさがなくてはならない」と述べている。考古学は創作の初期から重要なモチーフとなり、『断碑』『石の骨』などの短編が書かれた。 清張の提示した仮説に関しては、その後の考古学研究や歴史学研究の成果により、現在では乗り越えられたものもある。しかし、一般の広い関心を喚起し学界に刺激を与えたとして、その着想を高く評価する学界研究者も存在している。井上光貞や上田正昭は、清張が『古代史疑』を発表した時点でこれに高い評価を与えている。この対談にも参加した考古学者の佐原真はのちに、清張の考えそのものには従えないところも多いが、研究者には到底思いもよらないその発想・着想は大いに刺激的であると評している。また清張の古代史論は基本的に文献からの学習に基づいていたが、普通の研究者があまり着目しない明治期以来の古い研究史をも熟読しており、学史の学習が清張を強くしたのではないか、とその特色を分析している。 歴史学者の門脇禎二と考古学者の森浩一は、対談で、清張没後に進んだ三内丸山遺跡の発掘結果により清張説が否定された例もあるものの、当時の政治史中心の学界に対して、国際的な人的交流、貿易史の視点を強調したこと、あるいは朝鮮文化の影響を大きく評価する当時の研究風潮に対して、ゾロアスター教などペルシア文化の影響力を強調したことなどは、学界に大きな刺激となったこと、また清張がいる間は、学者もテレビなどでいい加減なことは言えない雰囲気があったことなどと述懐している。 文藝春秋とは、芥川賞受賞以降、晩年まで密接な関係を持ち続けた。藤井康栄は、清張担当編集者の代表的な人物である。藤井は文藝春秋新社入社後、『別冊黒い画集』シリーズで清張担当となり、『昭和史発掘』関連の取材を行った。以後『松本清張全集』の編集を経て、同社退社後は、北九州市立松本清張記念館の館長を務めている。このほか、藤井康栄の元上司にあたる半藤一利は、同社在職時に『現代官僚論』を担当し、のち『週刊文春』『文藝春秋』各編集長として、『西海道談綺』などの取材旅行に同行した。森史朗は、同社在職時、1970年から『文豪』『古代探求』など3年間清張を担当、のち『空の城』で再び清張を担当した。高橋一清は、同社在職時、『強き蟻』『西海道談綺』を担当した。 光文社からは、『点と線』の刊行以降、多数の作品が刊行され、同時代読者にとっての「松本清張=推理小説」のイメージを広めることにつながった。清張担当は、『点と線』以来の松本恭子と、カッパ・ノベルスの初代編集長を務めた伊賀弘三良が中心となった。また、櫻井秀勲は、同社在職時、『波の塔』で清張を担当した。のちに伊賀・櫻井が同社を退社し祥伝社を設立した際、清張は『人間水域』を「ノン・ブック」の創刊ラインナップに与えた。 新潮社とは、長編小説の連載や短編の発表など、晩年まで多くの作品の発表舞台となった。須賀契子は、同社入社後、『わるいやつら』『けものみち』『夜光の階段』などで清張を担当、30年以上の間、清張との関わりが続いた。王子博夫は、同社入社後、『禁忌の連歌』シリーズで清張を担当。結婚式の主賓を清張が務めるなど付き合いを深めたが、『黒革の手帖』完結の1年後に東名高速道路上で事故死した。また同社は、文庫の刊行歴において文藝春秋や光文社などの他社に先行していたため、多くの代表作が同社の文庫に収録されることになった。 中央公論社(現:中央公論新社)とは、文藝春秋の藤井康栄の妹にあたる宮田毬栄が『黒い福音』で清張を担当するなどの関わりがあり、当初『松本清張全集』は同社から刊行される計画も持たれていた。しかし同社の『日本の文学』シリーズ企画の際、清張との関係が悪化し(三島由紀夫の節を参照)、その後は『眩人』など少数の作品との関わりに止まり、ひとり宮田が清張関連の窓口的存在となった。 このほか、朝日新聞社では、重金敦之が同社在職時、『黒の様式』『歌のない歌集』各シリーズなど、『週刊朝日』掲載作品を中心に清張を担当した。 創作活動の初期から晩年まで、清張が間接的なものも含めて作品のモチーフとして取り挙げ続けた作家であり(『或る『小倉日記』伝』『鷗外の婢』『削除の復元』など)、評伝的作品『両像・森鴎外』も執筆されている。鷗外の作品中、清張が特に重点を置いて言及しているものは、『渋江抽斎』『伊沢蘭軒』『北条霞亭』といった史伝物である。清張は鷗外が夏目漱石よりも大人であると述べており、国文学者三好行雄との対談の中で、清張は「私は鷗外にそんなに影響を受けたとか、あるいは鷗外に私淑して、一生懸命文体なり、あるいはテーマの取り方なんかを学んだとは思いませんね。鷗外と漱石というのを比べてみますと、大人という言葉を使えば、鷗外が漱石よりはるかに大人です。」と語っている。対して、夏目漱石に対する清張の言及は、「批評家が『こころ』を漱石晩年の傑作のように言っているのが私には不可解です。要するに漱石の作品は、実生活の経験がなく、書斎に閉じこもって頭で書いたものだからです」といっている。清張が鷗外に終生関心を持ち続けた動機・背景に関しては、現在でも議論が続いている。 清張自身が影響を受けたことをしばしば表明していた。菊池は文藝春秋の創設者であるが、清張は16・17歳から20歳過ぎまでかなり菊池の考え方に影響されたと述べ、『大島ができる話』『啓吉の誘惑』『妻の非難』『R』など、菊池寛の「啓吉もの」が自分の読書歴の古典であり、今でも文章の一部を暗記しているくらいであると清張は述べている。その作品を生活経験に裏付けられたものとして高く評価した。 清張が共鳴した菊池寛の考え方を示すものとして、「小説家たらんとする青年に与ふ」(『文芸倶楽部』1921年9月号掲載)がある。この中で菊池は「とにかく、小説を書くには、文章だとか、技巧だとか、そんなものよりも、ある程度に、生活を知るといふことと、ある程度に、人生に対する考へ、所謂人生観といふべきものを、きちんと持つといふことが必要である」と述べている。 文学史上における菊池寛を、清張は次のようにいっている。 清張の菊池作品に対する評価は、芥川龍之介や志賀直哉の作品に比べても高い。例えば「芥川を讃美するのはよいが、芥川作品の構成の脆弱よりも、寛の鉄骨で組み立てたような構造の見事さは、もっと再評価されてよいのではなかろうか」(『随筆 黒い手帖』)、「菊池だったら文章に効果的な省略はあっても、肝要なところは手抜きなどしないで、きっちり書くだろうと思われるのである。それは志賀と菊池の生活経験の違いから来る。『暗夜行路』の主人公は(中略)居所を転々とし、その間「放蕩」などするような自分の使う金に反省がないのみならず、社会的感覚がまったくなく、あるのは都合のいい自己だけである」など。 16 - 17歳の清張が強い感銘を受けた『小説研究十六講』について「その前から小説は好きで読んでいた。しかし、小説を本気で勉強したり、小説家になろうとは思っていなかった。だが、この本を読んだあと、急に小説を書いてみたい気になった。それほどこの本は私に強い感銘を与えた」といっている。清張のこのエッセイを読んだ木村は「私のながい文学生涯において、これほど私にうれしかった文章はめったにない(中略)、若き松本清張君の訪問は、私をよろこばせ、自信をつけ、再生の思いをさせた」。鶴見俊輔によれば、『小説研究十六講』は、「昭和初期まで相当の影響力を持っていた」はずだが、文学者の「最初に自分の眼をひらいてくれた本のことをあまり言いたがらない習慣」ゆえに、無視されるようになったという。 小倉から東京へ転居した際、清張は真っ先に木村の自宅を訪問し、その後も交流を続けた。「(清張は)会見後はいよいよ私の支持者となって、ただに『小説研究十六講』ばかりか、私の書くたくさん著作を飽きもせず渉猟して、埋没した明治史の発掘者として、文藝春秋社のどれかの雑誌に講演をして、長々と私をほめ、「えらい人」と言っている」。清張の『暗い血の旋舞』に先立ち、クーデンホーフ光子の伝記を残している。 木村の死去に際して清張は「葉脈探求の人-木村毅氏と私」(『オール讀物』1979年12月号掲載、エッセイ集『グルノーブルの吹奏』に収録)を書き、追悼した。同文中で清張は「それまで私は小説はよく読んでいるほうだったが、漫然とした読み方であった。小説を解剖し、整理し、理論づけ、多くの作品を博く引いて例証し、創作の方法や文章論を尽くしたこの本に、私を眼を洗われた心地となり、それからは小説の読み方が一変した。」「高遠な概念的文学理論も欠かせないが、必要なのは小説作法の技術的展開である。本書にはこれが十分に盛られていた。」「私は33歳のころまで乏しい蔵書を何度か古本屋に売ったことはあるが、この「小説研究十六講」だけは手放せず、敗色濃厚な戦局で兵隊にとられた時も、家の者にかたく保存を云いつけて、無事に還ったときの再会をたのしみにしたものだった」と述べている。 1952年以降文筆活動から遠ざかっていたが、清張の活動に刺激を受け、1959年に推理小説『霧と影』を発表、その後社会派推理作家として認められた。水上は清張から取材・執筆のアドバイスを与えられ、直木賞受賞作品『雁の寺』は激賞を受けたという。 『日本の黒い霧』掲載誌の文藝春秋には好意的な評価も寄せられる一方、作家の大岡昇平は「私はこの作者の性格と経歴に潜む或る不幸なものに同情を禁じ得なかったが、その現われ方において、これは甚だ危険な作家であるという印象を強めたのである。「小倉日記」「断碑」は、国文学や考古学の町の篤学者が、アカデミズムに反抗して倒れる物語である(中略)。学問的追及を記述するという点で、推理小説の趣きであるが、推理がモチーフではない。と言って感傷的な悲憤慷慨小説でもないので、学界、アカデミズムというものの非情さと共に、それに反抗して倒れて行く主人公の偏執も、冷たく突放して描いてある。後日社会的推理小説家になってから書いた「小説帝銀事件」「日本の黒い霧」は、朝鮮戦争前夜の日本に頻発した謎の事件を、アメリカ謀略機関の陰謀として捉えたものであり、栄えるものに対する反抗という気分は、初期の作品から一貫している。しかし松本の小説では、反逆者は結局これらの組織悪に拳を振り上げるだけである。振り上げた拳は別にそれら組織の破壊に向うわけでもなければ、眼には眼の復讐を目論むわけでもない。せいぜい相手の顔に泥をなすりつけるというような自己満足に終るのを常とする。初期の「菊枕」「断碑」に現われた無力な憎悪は一貫しているのである」「(『日本の黒い霧』が)政治の真実を書いたものと考えたことは一度もない」「無責任に摘発された「真相」は松本自身の感情によって歪められている」「彼(清張)の推理は、データに基づいて妥当な判断を下すというよりは、予め日本の黒い霧について意見があり、それに基づいて事実を組み合わせるというふうに働いている。」と批判した。 大岡の批判に対して、清張は以下のように反論している。「(真実を)描き出していないと断定する以上、大岡氏はその真実の実際を知っていなければならぬ」「大岡氏がどれだけ真実の実際を知っておられるか教示を乞いたいものである」「『日本の黒い霧』をどういう意図で書いたか、という質問を、これまで私はたびたび人から受けた。これは、小説家の仕事として、ちょっと奇異な感じを読者に与えたのかもしれない。だれもが一様にいうのは、松本は反米的な意図でこれを書いたのではないか、との言葉である。これは、占領中の不思議な事件は、何もかもアメリカ占領軍の謀略であるという一律の構成で片づけているような印象を持たれているためらしい。そのほか、こういう書き方が「固有の意味での文学でもなければ単なる報告や評論でもない、何かその中間めいた"ヌエ的"なしろもの」と非難する人(→歴史学者の成瀬治を指す。松本清張全集第30巻参照。)もあった。これも、私という人間が小説家であるということから疑問を持たれたのであろう。私はこのシリーズを書くのに、最初から反米的な意識で試みたのでは少しもない。また、当初から「占領軍の謀略」というコンパスを用いて、すべての事件を分割したのでもない。そういう印象になったのは、それぞれの事件を追及してみて、帰納的にそういう結果になったにすぎないのである。」「「松本清張批判」をよく読んでみると、これは単独に私に向けられた矢だけとは思えない。私への批判はその間に、伊藤整氏(→「「純」文学は存在しうるか」において、「プロレタリア文学理論やその党派的行きがかりに全く煩わされなかった松本清張」により「資本主義の社会悪をえぐって描き出す大きな作品」が実現されたと書き、清張を一時高く持ち上げた文芸評論家)、平野謙氏(→清張や水上勉を高く評価し、純文学論争の中心となった文芸評論家)という二枚のフィルターが嵌められていて、光線が水中で屈折するがごとく向かってくる」「(大岡の言う)個人の拳が組織の悪を散々に破壊する力を持たないことは明白であり、そのようなものを書こうとしたら、チャチな活劇映画も顔負けするような茶番になる」「大岡氏の一連の「常識的文学論」は、多分に実証的批評で大変面白かったが、こと「松本清張批判」に関する限り、蓋然たる気分でものを云っておられると思う」。 清張と同様に直木賞選考委員を務めた(第62回 - 第82回、清張は第45回 - 第82回)。清張との対談も行っており、両者の人間観・歴史観の差異をうかがうことができる。司馬が日本の歴史上しばしばとりあげた時代は、戦国・安土桃山時代や幕末・明治期であるが、清張が得意としたのは、江戸時代を思わせる時代小説を別にすれば、奈良時代以前の古代と昭和期であった(両者ともに例外多数)。また、終生森鴎外に関心を持っていた清張に対し、晩年の司馬は夏目漱石を評価している。なお、1994年文藝春秋の創刊1000号記念特集号にあたり、同誌への執筆回数を相撲の番付形式で紹介しているが、清張は東横綱、司馬は東大関とされており(なお西横綱は井上靖、司馬の死去は1996年)、昭和期の同誌における両者の存在感の大きさがわかる。 三島は1963年中央公論社が文学全集『日本の文学』を刊行する際、中央公論社側は清張をラインナップに加える意向を示したが、反対・拒否した。川端康成と谷崎潤一郎は清張を加えることに必ずしも反対せず、妥協案も示したが、三島は譲らなかった。『江戸川乱歩全集』(講談社・全15巻・1969 - 70年)出版の際は、清張と共に編集委員を務めた。清張の三島評として、1978年の国文学者三好行雄との対談や、『過ぎゆく日暦(カレンダー)』収録の日記などがある。三好行雄との対談で清張は「三島由紀夫があんなふうに最後に、右翼だとか、国家主義者だとか言われているのは、皮相な観察だと私は思う。彼は題材を求めてそこに流されていったと思うんです。(中略)そのことは大江健三郎でもある程度言えそうです。あの人はもともと左翼でもなければ、いわゆる進歩的文化人のタイプじゃないと思う。学生からすぐに作家生活に入った。だから「死者の奢り」のような感覚的文章が本来の大江健三郎だと思います。ところがたまたま反米的な材料をとるというようなことから、これは小説のために材料をとったと言っていいところがある。(芥川龍之介・三島・大江の)三者に共通しているのは、材料の(生活に根ざしていない)人工的な面ですね」。思想史家の仲正昌樹は、自らの実生活から作品の材料を掘り出していると自負する清張にとって、美の世界に自己を同化させようとしたり特殊な体験に基づき創作する芥川・三島・大江は異質の存在であったと述べている。もっとも清張も三島の才能そのものは高く評価しており、「芥川(龍之介)は三島の前にはあまりに小さすぎる」「才能は三島のほうがはるかに川端(康成)を凌いでいる」などと述べ、三島の豊かな天分は特に短編に発揮されたと評している。 江戸川乱歩 編集長を務めた雑誌『宝石』に、清張の『ゼロの焦点』(連載時の題『零の焦点』)を連載させており、その休載時に清張と対談を行った。また、推理小説の指南書『推理小説作法』(1959年、光文社、2005年、光文社文庫)を清張と共編している。清張は特に「二銭銅貨」以降続々と発表された乱歩の初期短編を愛読し、「大変な天才が現われた」「日本にも本格的な探偵小説作家が出たと驚嘆した」と絶大な評価を与えている。のちの通俗長編に対しては「独自性や野心的なものは、残念ながら影を潜め」「作品価値的には遂に長い空白時代が続く」など厳しい感想が多いが、一方では「面白さにかけてはそれなりに独自のものを持っている。爾後の模倣者の及ぶところではなく、乱歩の才能の非凡さを示している」と一定の評価も述べている。乱歩の死後清張は、三島由紀夫や中島河太郎と共に、『江戸川乱歩全集』(講談社・全15巻・1969 - 70年)の編集委員を務めた。 木々高太郎 推理小説家として初めて直木賞を受賞した作家であるが、清張の処女作「西郷札」を認め、編集委員を務めた雑誌『三田文学』に「記憶」「或る『小倉日記』伝」を発表する機会を与えるなど、清張を世に送り出す役割を果たしている。清張も「日本の探偵小説に知性を与えた最初の人」と木々の小説作品を高く評価し、『木々高太郎全集』(朝日新聞社・全6巻)の監修者を務めている。 横溝正史 江戸川乱歩らとの座談会(『別冊宝石』第109号収録)では、社会派推理小説の流行に関して「作家は(時流に)受けるものを書くのではなく、好きなものを書く」として、距離を置く発言をしている。ただし、後年には社会派の影響を受けた作品も執筆しており、「本格推理小説が復興するにしても、松本清張氏が築き上げたリアリズムの洗礼を受けたものでなくてはならないでしょう」とトーンを変化させている。なお、清張が横溝の作品を「お化け屋敷」と呼んだとされることがあるが、清張が横溝の作品を指してそのように呼んだ事例は、『随筆 黒い手帖』を含めて、実際には存在しない。にもかかわらず、この解釈が生じた背景の一つとしては、1957年に行われた荒正人と清張の論争があり、その中で荒は、清張の文章が名前を伏せた横溝批判に相当するのではないかと主張している。 森村誠一 最初の著作の出版以降、清張と数回会っているが、のちに清張の印象を以下のように総括している。「乱歩さんや(横溝)正史さんは、後進や新人に非常にあたたかい。松本清張さんは全く逆です。まず新人に対しては、疑惑と警戒の目を向ける。大切な自分の作品という卵を産む限界能力を犠牲にしてまで、どうして俺が新人の育成をしなきゃいけない、自分の作品を産むのに忙しい。いうなれば、自分の作品しか見つめていない方です。これは私自身も、清張さんの姿勢は作家として見習わなければいけないと思います」。 山村美紗 江戸川乱歩賞落選作を清張が推薦したことにより、最初の著作『マラッカの海に消えた』を出版することができた。初版本の帯には「トリックの豊富さと物語性を評価」と清張の言葉が記され、「G・K・チェスタトンに迫るトリック」と高い評価を与えている。 西村京太郎 山村美紗をモデルにした小説を書いているが、作中清張を思わせる作家が登場している。作中では、清張が山村に好感を持っており、西村と付き合うのを止めるよう告げる旨のセリフを言わせている。また「作家になったのは、清張の作品を読んで、これなら自分でも書けると錯覚したのがきっかけ」と述べている。 島田荘司 日本における本格推理復興の大きな契機を作った一人とされるが、清張に関しては「社会派の作家としては最もトリックが多い」「清張さんはトリック重視」として、一定の評価を与えている。ただし、最も印象深い清張作品に関しては、トリッキーな推理作品ではなく、『半生の記』「火の記憶」であると述べている。 宮部みゆき 初期短編から最晩年の作品まで清張作品を愛読しており、『松本清張傑作短編コレクション』(2004年、文春文庫・全3冊)の編者を務めた。また2009年の生誕100周年記念事業の際に大沢在昌や京極夏彦と共に記念講演会を開催し、清張をめぐって奥泉光や半藤一利、北村薫と対談も行っている。 森雅裕 作家デビュー前に出版社でアルバイトしていた頃、清張宅に新聞等の資料を届ける仕事をしていたがある日、原稿の催促に来た編集者と勘違いされて「締め切りはまだだろう!」と日本刀を持ち出されて追い返された経験を持つ。 美空ひばり 親しかった報知新聞社長からの勧誘を受け、コンサートを観ている。その後清張はひばりに歌を作詞する約束をし、「雑草の歌」というタイトルで資料集めを実施、内容を検討していたが、ひばりの死(1989年)により実現せずに終わった。 新珠三千代 『黒い画集 第二話 寒流』『風の視線』『霧の旗』など清張原作の映画に出演しているが、清張は新珠が大のお気に入りであったと言われる。『婦人公論』1962年10月号紙面には清張と2人で登場し、演出家の和田勉によれば、1980年代になっても、良い「若手女優」を清張に尋ねると、清張はすでに50歳となっていた新珠を推してきたという。 清張は現実の政治や社会問題にも関心を持ち、発言する作家であった。 若い現代史研究者の発表の場として『季刊現代史』を創刊した。 出版関係者のみならず、外務省などの省庁も、取材ルートとして活用した。日本共産党も認めていたが、全共闘運動に関しては、「何の意味もない」として全く評価しなかった。 1965年、日本社会党国会議員岡田春夫は防衛庁(当時)が作成した極秘文書「三矢研究」の存在を暴き、政府におけるシビリアンコントロールのあり方などを追求している。1987年に議員引退後の岡田は「三矢研究」文書資料の情報提供は清張から行われたことを告白している。岡田の告白からマスコミの反響にたいして清張は、経緯一切について明かさず沈黙を通した。 清張が初めて海外に出たのは1964年であり、すでに50歳を越えていたが、その後は精力的に海外に出かけるようになった。『黒の回廊』など取材成果を生かした海外トラベル・ミステリが書かれる一方、古代史関連の文化視察や、キューバ・ラオス等社会主義国家の現状取材も行われた。晩年はイギリス・フランス・西ドイツ(当時)など、西ヨーロッパ諸国への旅行が多く、『聖獣配列』『霧の会議』『赤い氷河期』等、その経験が反映された作品も多い。 法廷弁護士ペリー・メイスンシリーズで知られる、アメリカの推理作家E・S・ガードナーを、日本推理作家協会の理事長として招待、他の推理作家とともに食事会を催した。 清張原作の映画中、海外では特に『砂の器』の認知度が高く、監督の野村芳太郎と共に言及されることが多い。 清張は通訳をあまり必要としない程度に英語を解した。海外取材等で通訳が同行した場合も、遮って直接英語で対応することがしばしばであった。 英語訳。 『Points and Lines』(『点と線』、講談社インターナショナル)、『Inspector Imanishi Investigates』(『砂の器』、Soho Crimeなど)、『Pro Bono』(『霧の旗』、Vertical)、短編集『The Voice and Other Stories』(『声』『顔』『捜査圏外の条件』など6編、講談社インターナショナル)、他に『The face』『Just eighteen months』『Evidence』(『顔』『一年半待て』『証言』、いずれも作品集『Japan quarterly』に収録)、『The cooperative defendant』(『奇妙な被告』、オムニバス作品集『Japanese golden dozen』に収録)など多数。 フランス語翻訳。 『Le rapide de Tokyo』(『点と線』、Masque)、『Tōkyō express』(『点と線』、Philippe Picquier)、『Le vase de sable』(『砂の器』、Philippe Picquierなど)、『L'endroit dont elle ne lui avait pas parlé』(『聞かなかった場所』、Actes Sud)、他に『La voix』(『声』、Philippe Picquierなど)、『La Femme qui lisait le journal local』(『地方紙を買う女』、Futuropolis)など。 ドイツ語訳。 『Spiel mit dem Fahrplan』(『点と線』、Fischer-Taschenbuch-Verl)、他に『Mord am Amagi-Paß』(『天城越え』『紐』など収録、Fischer-Taschenbuch-Verl)など。 イタリア語訳。 『La morte è in orario』 (『点と線』)、『Come sabbia tra le dita』(『砂の器』)、『Il palazzo dei matrimoni』(『黒い空』)。3点ともIl Giallo Mondadori社からの刊行である。 中国語訳は近年増加している。『点与线』(点と線、南海出版公司など)、『零的焦点』(ゼロの焦点、Apex Pressなど)、『砂器』(砂の器、南海出版公司など)といった代表作は1980年代から繰り返し翻訳されているが、さらに『黑色笔記』(黒革の手帖、新世界出版社など) などの有名作品や、『彩色的河流』(彩り河、重慶出版社など)、『犯罪的回送』(犯罪の回送、北岳文芝出版社など)など晩年の長編まで翻訳されている。 この他、オランダ語・スペイン語・ポルトガル語・チェコ語・フィンランド語・エストニア語・リトアニア語・ブルガリア語・ギリシア語・ロシア語・アルメニア語・グルジア語・韓国語や台湾での翻訳もある。 『張込み』・『砂の器』・『鬼畜』・『疑惑』・『天城越え』など、清張原作による映画作品は知名度の高いものが多い。また、処女作『西郷札』から、晩年の長編『犯罪の回送』まで、テレビドラマ化された作品の幅は広い。テレビドラマ化された回数は、2018年現在、460回以上に及んでいる。 「土曜ドラマ」の「松本清張シリーズ」では、12作すべてに俳優としてカメオ出演している。 『黒地の絵』の映画化については映画監督の黒澤明とプロデューサーが清張のもとを訪れ、同作の映画化に賛成し握手をしたものの、その後は何の反応もなかったという。井手雅人によるシナリオも制作されたが、結局映画化は実現していない。他方橋本忍は、同作は映画化に向かないという見解を示している。 映画 白と黒(1963年、松竹) 風の視線(1963年、東宝) テレビ 土曜ドラマ(1975年10月18日 - 1978年10月28日中の計12回、NHK) 演じた役柄は以下の通り。 闇市の洋モク売り(『遠い接近』)、病院の雑役夫(『中央流沙』)、タクシードライバー(『愛の断層(原作『寒流』)』)、遊園地の整備員(『事故』)、経済評論家(『棲息分布』)、雑貨屋の主人(『最後の自画像(原作『駅路』)』)、花屋の主人(『依頼人(清張の覚え書きをドラマ化)』)、大物政治家(『たずね人(原作不明)』)、巡礼者(『天城越え』)、ファッション界の大物(『虚飾の花園(原作『獄衣のない女囚』)』)、裁判長(『一年半待て』)、ベテラン刑事(『火の記憶』) 戦後汚職の軌跡(1976年8月16日、NHK) 新日本史探訪「海人族 - 黒潮と日本人」(1976年9月28日、NHK) 散歩道(1977年5月17日、NHK) 人に歴史あり(1977年12月、東京12チャンネル) 古墳を推理する - "高松塚"以後(1977年9月23日、NHK教育) 放送に期待するもの(1978年5月23日、NHK) ルポルタージュにっぽん - 松本清張・明日香マルコ古墳を行く(1978年6月10日、NHK) ヤマタイ国幻想 - ヒミコはどんな女だったか(1979年2月11日、NHK) 歴史随想 - 清張歴史游記(1979年4月3日 - 9月4日、NHK教育、全5回) 清張古代史をゆく - ペルセポリスから飛鳥へ(1979年4月23日・30日、NHK、全2回) 謎の国宝・七支刀(1981年2月9日、NHK) 歴史への招待(1981年7月25日・1982年10月13日、NHK) 松本清張、密教に挑む - マンダラに宇宙を見た(1984年3月27日、テレビ朝日) ニュードキュメンタリードラマ昭和 松本清張事件にせまる(1984年4月12日 - 9月27日、テレビ朝日・朝日放送) 知られざる古代 - 日本海五千年(1984年11月5日、NHK) ミッドナイトジャーナル(1991年9月13日、NHK) 家に居るときは洋服でなく着物を普段着としていた。ヘビースモーカーで、身辺を構わない人物であった。 酒も食事もあまり興味はなく、唯一の趣味はパチンコであった。行きつけの店は西荻窪の駅前にあり、周囲に気づかれないよう変装してパチンコ店に入ったこともあったが、すぐに清張とわかってしまい困ったという。 カメラに凝っており、給料の少なかった戦争出征前、当時貴重なドイツ製のライカを購入していた。取材の時には、一眼レフを中心としたカメラを首から下げているのが常であった。海外に出掛ける場合は2台以上を持ち、モノクロとカラーを撮り分けていた。松本清張記念館には、愛用したニコンF3(特注品の「松本清張スペシャル」)が展示されているが、この特注品は、カメラの頭の部分に、外付けの液晶画面が付けられ、シャッタースピードやマニュアル露出が表示されている。これは晩年に視力が弱ったことに対応したものであり、材料費を抑えるため、時計用の液晶を利用したのをはじめ、様々な部品が代用されている。なお、『松本清張カメラ紀行』(1983年、新潮社)も出版されている。 菓子として特に好んだのはかるかんで、九州から取り寄せていた。アルコールは受け付けなかった。またコーヒー党で、1日に10杯は飲んでいた。下戸であったが、取材のために銀座のバーなどへは顔を出し、ホステスを質問攻めにして店を困らせた。 人見知りをするところもあり、人との付き合いが下手であったとされる。文壇との関係も薄かった。ただ、無口ではあったが、暗い性格ではなく、身内や馴染みの者に適度に茶目っ気を見せることもあった。 自らはアンチ巨人と語っていたが、「巨人はどうした」といつもその成績を気にしていた。 「ぼくのマドンナ」像を問う企画の際、以下のように述べている。「私のマドンナ像は、いくつかの条件がある。まず、その女性との交流はプラトニックなものでなくてはならない。肉欲を感じさせるものなどもってのほか、あくまでも清純で、処女性を備えている必要がある。次ぎに、その関係は私の側からの片思いでなくてはいけない。相思相愛では、神聖な域にまで高められたイメージも、たちまちにして卑近な現実の無禄と化す。この世では到底思いのかなわぬ高嶺の花 - この隔たりこそ、切ないまでのあこがれをかきたてる要因である。私にとってのマドンナはまた、絶世の美女ではなくてはならない。いやしくもマドンナというからには、普遍化された理想像であって、個性などというものの入り込む余地はないはずだ。美人ではないが気立てのいい女、というのでは、話にならないのである」。 小説中の女性の描写に関して、瀬戸内寂聴は以下のエピソードを伝えている。清張の執筆量が激増した頃、ある女性と縁ができた。この女性は結婚願望が強かったが、清張は夫人を大切にしていて、離婚は思いも及ばないことであった。しかしその女性はどうしても清張夫人の座が欲しく、あらゆる難題を吹きかけ、手を尽くして自分の欲望を遂げようとした。のちに瀬戸内がその女性を取材した際、女性は悪しざまに清張を罵倒したため、瀬戸内は書く気が失せ、その仕事を降りた。そののち、清張は瀬戸内が書かなかったことへのお礼を述べ、「悪縁でしたね」と言った瀬戸内に、「そうとも言えないんだ。彼女のおかげで、ぼくは悪女というものを初めて識った。あれ以来小説に悪女が書けるようになった。心の中では恩人と思ってるんだ」と答えたという。 作品を執筆する際に使うのは万年筆、それもモンブラン製と決めていた。「わたしは年来、万年筆としてはモンブランを専用にしている。万年筆はわれわれにとっては手の一部で、調子が悪いと仕事ができない。手に万年筆があるのを意識しないくらいにスムーズなのが理想的だが、モンブランはだいたいこれに応えてくれている。それで、わたしの机の中にはモンブランだけが十本ばかりある」。愛用したのは「マイスターシュテュック」。主に使っていたのは、「149」や「146」よりも、「クラシックシリーズ」と呼ばれた実用的なモデルだったという。 抽象的なタイトルの作品が少なからずあるが、これに関して清張は、連載を頼まれ、締切りが切迫してきたが、まだ筋ができていない時、連載予告上の必要に迫られ、抽象的な題名をまず出しておいた結果であると述べている。 初めて目を患ったのは小学生の頃、失明寸前だったとされているが、眼鏡をかけた少年清張の写真は発見されていない。眼鏡姿を確認できる最も古い写真は、20代の頃のスーツ姿の写真となっている。戦時中や朝日新聞社員時代には丸眼鏡をかけていた。丸味を帯びた長方形の眼鏡を愛用するようになったのは、1961年頃のこととされている。晩年には左目はほとんど見えなくなっており、愛用した眼鏡は右のレンズだけが分厚く飛び出している。左目の視力が衰えたため、右目で取材をし、資料を眺め、執筆をしていた。 清張との厳しい思い出を語る関係者は多い。「(清張のあからさまな門前払いに遭い)涙を流した」(森村誠一)、「(清張に自分の取材結果を一蹴され)一瞬、殺意を感じましたよ」(郷原宏)、など。他方、「(清張)先生はジェントルマンなんですよ」(藤井康栄)、「逆境にあったり、虐げられた立場にあったり、コツコツ努力する人間に対しては殊の外暖かい」(林悦子)、「陰口をたたいた者は一人もいなかった」清張邸のお手伝いなど、優しく他人を思いやる人だったと回想する関係者も多い。清張の専属速記者を務めた福岡隆は「嫌われた人間からすれば、これくらいイヤな恐ろしい人はなく、また好かれた人間からすれば、これくらい親切で頼れる人はない」、「実に好き嫌いの激しい人」と評している。 北ベトナム取材時、ハノイへの連絡機が相次いで欠航し、ラオスのビエンチャンに二週間近く待たされ、日程が大幅に狂う中、ホテルの部屋の机の引き出しに備えられたレター・ペーパーに線を引いて、臨時の原稿用紙とし、執筆を続けた。このとき、同行していた森本哲郎に、「作家の条件って、なんだと思う?」と問いかけ、森本が「才能でしょう」と答えると、「ちがう。原稿用紙を置いた机の前に、どれくらい長くすわっていられるかというその忍耐力さ」と述べている。 最後まで小説(フィクション)を作家活動の中心に考えていた。小説以外の活動が話題となった作家に対して、「彼が小説を書かないのは、才能が枯渇したから書けないのだ」と言い、俎上にあがった著名作家は、一人や二人ではなかったと言われている。新人作家が、斬新なトリックを使ったり、史料を違った角度から照射したりすると、大いに評価していたが、ひとたび彼らが人気作家になってしまえば、ライバルの一人としか考えなかった。このため、小説に対する意地と、同業作家たちと同じ土俵で勝負するという挑戦意欲が、筆を持たせたエネルギーだったとも評されている。 本人が評価していた映画作品は『張込み』『黒い画集 あるサラリーマンの証言』『砂の器』だけであったという(三作とも脚本は橋本忍)。 長男がポーカーゲーム賭博で逮捕された不祥事が報道された際、「腹を切って詫びなければならない」と言った。 長谷川町子の漫画『いじわるばあさん』に、婦人参政権不要論の論者を主人公が清張と誤解し(実際は石川達三)、清張宅の窓に大音量のラジオを近づけて執筆活動を妨害する描写がある。 能登金剛 - 石川県志賀町。『ゼロの焦点』にちなんだ歌碑。 湯野神社 - 島根県奥出雲町亀嵩駅近く。『砂の器』冒頭部を刻んだ記念碑。 白壁ふれあい広場 - 山口県柳井市。『花実のない森』の一節を刻んだ文学碑。 みもすそ川公園 - 山口県下関市。『半生の記』の一節を刻んだ文学碑。 和布刈神社 - 福岡県北九州市門司区。『時間の習俗』の一節を刻んだ文学碑。 安心院 - 大分県宇佐市。『陸行水行』冒頭部を刻んだ文学碑。 この他、鳥取県日南町に文学碑(本ページ末尾の外部リンクを参照)、新潟県佐渡市に句碑がある。 ^ a b c 公式記録とされるものの誕生日。実際の誕生日は異なると考えられる。後述 ^ 松本清張自身は広島で生まれたと話しているが、公式記録とされるものでは福岡県企救郡板櫃村(現・北九州市小倉北区)生まれ。後述。 ^ 清張の作品分野は多岐にわたるが、ここでは図録『松本清張記念館』(1998年、北九州市立松本清張記念館)の分類を参照して記述した。 ^ 江上波夫、直木孝次郎、森浩一らによる。後述 ^ 森史朗 『松本清張への召集令状』(2008年、文春新書、15-16頁)参照。 ^ 半藤一利らによる座談会「週刊誌創刊時代の松本清張」(『松本清張研究』第8号(2007年、北九州市立松本清張記念館)収録)参照。 ^ a b c d e 郷原宏『清張とその時代』(2009年、双葉社)、33-36、386頁 ^ 中国新聞、2009年4月2日、25頁 ^ a b c 『サライ』(2012年5月号、小学館)、109頁 ^ a b c d e f g ひろしま郷土資料館だより80号 平成22年(2010)11月 - 公益財団法人広島市文化財団 ^ 読売新聞、1990年11月12日夕刊、5面、同インタビューはのちに『文学の森・歴史の海』としてエッセイ集『グルノーブルの吹奏』(1992年、新日本出版社)に収録、『中央公論Adagio』2009年4月25日号「特集 松本清張と日比谷を歩く」、読売メディアセンター、4頁。 ^ a b c 『人物ゆかりの旧跡・文化施設事典』 日外アソシエーツ、2014年、421頁、ISBN 978-4-8169-2451-4 ^ a b 【天風録】清張と広島 - 中国新聞 ^ a b c 【天風録】清張の母の古里 - 中国新聞 ^ 藤井康栄『松本清張の残像』(2002年、文春新書)31-35頁。 ^ 『松本清張傑作選 戦い続けた男の素顔―宮部みゆきオリジナル セレクション』新潮社、306頁 ^ 『半生の記』 ^ [1] ^ 同新書 ^ 2009年12月10日29面 ^ 2009年5月28日11面 ^ 郷原宏『清張とその時代』、権田萬治『松本清張 時代の闇を見つめた作家』、鷲田小彌太『あの有名人101人にみる 理想の逝き方』PHP文庫、2012年、86頁、中央公論Adagio第14号『松本清張と日比谷を歩く』、『松本清張の黒の地図帖 昭和ミステリーの舞台を旅する』、『週刊朝日百科 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄JR33』2010年3月7日発行、朝日新聞出版、34頁、『サライ』小学館、2012年5月号、広島県・広島市 - 協同出版、松本清張傑作選 戦い続けた男の素顔―宮部みゆきオリジナルセレクション―、松本清張 アーティストページ - TSUTAYA online ^ 『松本清張研究』第12号(2011年、北九州市立松本清張記念館)巻末の「記念館だより」 ^ 『松本清張書誌研究文献目録』368-372頁。 ^ 『松本清張の残像』30頁参照 ^ 『清張とその時代』36頁。 ^ 特別展「松本清張展〜清張文学との新たな邂逅」2010年7月11日迄開催。朝日新聞広島版2010年5月8日。 ^ 峯太郎の松本家への養子入りは、田中雄三郎・とよ夫妻の離別が契機。しかし雄三郎ととよはのちに復縁し(のち峯太郎の弟に当たる嘉三郎を生む)、峯太郎を田中家に返してくれるよう松本米吉に交渉したが、米吉夫妻には子供がなく、峯太郎を離さなかった。『松本清張全集 第60巻』(1995年、文藝春秋)付属の月報を参照。 ^ 読売新聞、1990年11月12日夕刊、5面。同インタビューはのちに『文学の森・歴史の海』としてエッセイ集『グルノーブルの吹奏』(1992年、新日本出版社)に収録。 ^ a b カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス「松本清張」(1)2013年9月3日 大村彦次郎談 ^ 『松本清張の残像』31頁、34-35頁参照。「正式に出生届を出す前は、キヨハルは清張でなく、この字(清治)をあてていたらしい」。 ^ 『松本清張の残像』31-35頁、 『清張とその時代』33-36頁、「週刊 松本清張 1号 『点と線』」ディアゴスティーニ・ジャパン、2009年10月27日発行、28-30頁)参照。 ^ 『清張とその時代』、33-39頁。 ^ 『人間松本清張-専属速記者九年間の記録』256頁、『霧の中の巨人 回想・私の松本清張』84頁 ^ 『松本清張 その人生と文学』9頁 ^ 清張の家族が下関から小倉に転居したのは小学校5年生の時とする説が有力(『松本清張の残像』、35-37頁、郷原宏 『清張とその時代』、61、62、389頁) ^ 「松本清張、少年期の詩か 大正期、小倉の同人誌に名前 発行当時は地元の小学生」『西日本新聞』朝刊2018年6月14日(2018年7月11日閲覧)。 ^ エッセイ「雑草の実」参照。 ^ 『半生の記』参照。 ^ 『週刊 松本清張』第4号(2009年) 28頁参照。 ^ 『週刊 松本清張』第4号(2009年) 29頁参照。 ^ 『全集 第59巻』月報。 ^ 『西郷札』に関わるエピソードを自ら語ったものに「『西郷札』のころ」(『実感的人生論』(2004年、中公文庫)などに収録)、「運不運 わが小説」(エッセイ集『名札のない荷物』(1992年、新潮社)、また『松本清張全集 第65巻』(1996年、文藝春秋)に収録)がある。 ^ この時の選考委員の「選評」と清張の「感想」は、『松本清張の世界』(1992年、文藝春秋臨時増刊、2003年、文春文庫)に収録されている。 ^ 朝日新聞東京本社広告部長の矢野伊三見宛て手紙では、文学で成長するためにも早く東京に出たいと述べている。手紙は『全集 59巻』月報に掲載。 ^ 藤井 『松本清張の残像』末尾の年譜に加え、『松本清張全集 第60巻』(1995年、文藝春秋)付属の月報を参照。 ^ 小野芳美「古代史・考古学への目覚め-朝日新聞社時代の松本清張-」(『松本清張研究』第7号(2006年、北九州市立松本清張記念館)収録)参照。 ^ 清張『雑草の実』、または『文学の森・歴史の海』参照。 ^ (日本読書新聞1962年10月22日・11月12日掲載 ^ 筑摩書房「世界ノンフィクション全集」は1960年4月の刊行開始であるが、探検記・旅行記・戦記などが中心の内容であった。吉村昭のノンフィクション小説「戦艦大和」が刊行されたのは1966年であるが、ドキュメンタリーあるいはルポルタージュ的内容を持ったノンフィクションが広い支持を得て、専門のノンフィクションライターが職業として成立するのはさらに後の時代である。藤井淑禎「清張 闘う作家-「文学」を超えて」(2007年、ミネルヴァ書房)中の「小説とノンフィクション」、または藤井の論文「ノンフィクションの展開」(『岩波講座 日本文学史 第14巻 20世紀の文学3』(1997年、岩波書店)収録)も参照。 ^ 『なぜ「日本の黒い霧」を書いたか』(『朝日ジャーナル』1960年12月4日号))。 ^ 大岡昇平「文壇論争術」 (雪華社、1962) ^ 日本推理作家協会理事長に就任した経緯に関しては、山村正夫『続々・推理文壇戦後史』(1980年、双葉社)227-233頁を参照。会長に就任した経緯、また会長職が清張一代限りとなった経緯に関しては、佐野洋『ミステリーとの半世紀』(2009年、小学館)212-216頁を参照。それまでの探偵作家クラブが「社団法人・日本推理作家協会」に改組された際、清張は百万円を出資した。これは江戸川乱歩の信託預金と共に、個人としては最高額であった。佐野の同書140頁を参照。この他、協会内での清張の活動をめぐる話題も佐野の同書を参照。 ^ 『松本清張自選傑作短篇集』(1976年、読売新聞社)巻末自作解説「私の推理小説作法」。「怨霊のなぐさめ」(エッセイ集『名札のない荷物』、『全集 65巻』収録 ^ 藤井康栄 『松本清張の残像』、181-182頁参照。 ^ 「松本清張の時代に生きて」(『松本清張研究』第4号(2003年、北九州市立松本清張記念館)収録)参照。 ^ 『二・二六事件-研究資料』 ^ 『松本清張の残像』162-165頁。 ^ 半藤一利・加藤陽子・宮田毬栄・藤井康栄による対談「同年に生を享けて-一九〇九年生まれの作家たち」(『松本清張研究』第10号(2009年、北九州市立松本清張記念館)収録)参照。 ^ 2月25日 - 3月22日分の記録として「日記メモ」(エッセイ集『名札のない荷物』、『松本清張全集 第65巻』)がある。 ^ この前にキューバ政府主催の「世界文化会議」に出席、国家元首のカストロと会見しようとしたが実現しなかった。この経緯は、元文藝春秋編集長で当時清張に同行した、岡崎満義「ジャーナリスト松本清張さんの一面」(『松本清張研究』第8号(2007年、北九州市立松本清張記念館)収録)参照 ^ 『潮』1968年6月号にその内容が掲載された ^ 『古代史の謎-松本清張対談』などに収録 ^ 藤井康栄『松本清張の残像』(2002年、文春新書)の巻末年譜、適宜補注。 ^ 「論争」については『小説推理』1974年7・10月号(清張の指摘)、9・11月号(高木の反論)参照。経緯に関しては、佐野洋『ミステリーとの半世紀』277-281頁、郷原宏『物語 日本推理小説論争史』(2013年、双葉社)第三章も参照。 ^ 清張から見た創共協定の記録として、『「仲介」者の立場について-創価学会・共産党協定』(『東京新聞』1975年8月9日付掲載、『松本清張社会評論集』に収録)、『「創共協定」経過メモ』(『文藝春秋』1980年1月号掲載、『作家の手帖』(1981年、文藝春秋)に収録)がある。 ^ 『松本清張対談』の第2回「戦争と貧困はなくせるか」(単行本未収録) ^ 池田大作と清張の関係に言及したものとして、前原正之「池田大作 行動と軌跡」(2006年、中央公論新社) ^ 藤井らによる対談「同年に生を享けて-一九〇九年生まれの作家たち」(『松本清張研究』第10号(2009年、北九州市立松本清張記念館)収録)参照。 ^ アガサ・クリスティ研究家の数藤康雄に拠れば、クイーンとの対談に先立つ1973年、ロンドン・タイムズと朝日新聞社の共同企画として、イギリスの世界的な推理作家であるクリスティと清張の対談が企画されたが、クリスティが自身の高齢(当時82歳)を理由に辞退したため実現しなかったとされている。「清張の言うクリスティの「砂袋」とは」(『松本清張研究』第14号(2013年、北九州市立松本清張記念館)収録)参照。 ^ 詳細は『EQ』(光文社)1978年創刊号「対談:エラリー・クイーンvs松本清張」を参照 ^ 『清張日記』(『松本清張全集 第65巻』などに収録)中、「昭和五十七年・九月五日(日)」の項 ^ 山村『続々・推理文壇戦後史』(1980年、双葉社)202頁参照。 ^ 『国際推理作家会議で考えたこと』。 ^ 『「霧プロ」始末記』(『週刊朝日』1984年10月26日号掲載) ^ 『読売新聞』1978年7月28日付参照 ^ 清張の議論は『正倉院への道』(日本放送出版協会・編著) ^ 同誌元編集長の天野敬子による「幻の歴史小説」(『松本清張研究』第12号(2011年、北九州市立松本清張記念館)収録)参照。 ^ この時の取材記録は『松本清張のケルト紀行』(日本放送出版協会・共著)参照。 ^ 清張の議論は『吉野ケ里と邪馬台国―清張 古代游記』(日本放送出版協会)参照 ^ 新聞「ル・マタン(フランス語版、英語版)」紙では「Matsumoto, l'intellectuel fasciné par la laideur」の見出しで紹介された。すでに『砂の器』などがフランス語に翻訳され、『ル・モンド』『リベラシオン』などの各紙で紹介されていた。仏語版『砂の器』(Le Vase de Sable)の初版には、「LE SIMENON JAPONAIS」(日本のシムノン)と書かれた帯が付されていた。 講演内容の詳細は「グルノーブルの吹奏」、または「国際推理作家会議で考えたこと」も参照。 ^ 「グルノーブルの吹奏」(1988年)中の講演記録を参照。日本の作家のトリックは欧米よりもすぐれているものが多くある、とも述べている。 ^ 『国際推理作家会議で考えたこと』参照。 ^ 『国際推理作家会議で考えたこと』(文藝春秋1988年1月号掲載、『松本清張研究』第8号(2007年、北九州市立松本清張記念館)) ^ 「『日本の黒い霧』-私はこう読んだ」(『松本清張研究』第5号(2004年、北九州市立松本清張記念館)収録)。 ^ 宮田毬栄『追憶の作家たち』(2004年、文春新書)参照。 ^ 「『草の径』取材随行者座談会 あの旅行は楽しかったね」(『松本清張研究』第3号(2002年、北九州市立松本清張記念館)収録)参照 ^ 「清張作品 スパイ説に注釈」朝日新聞2013年5月27日夕刊 ^ 伊藤が官憲のスパイとされた根拠については、2013年現在、その信憑性がほぼ否定されている。詳細は伊藤の項目を参照。 ^ 松本清張資料室がオープン 父の出身地・日南町で 『日本海新聞』2014年11月14日 ^ 自身、短編の執筆を好んでいたことをはっきり言明していた。「短篇小説ほど作者の考えをはっきりとさせるものはない。(中略)エドガー・アラン・ポーや、アントン・チェーホフ、ギ・ド・モーパッサン、サマセット・モーム、上田秋成の諸短篇が、他の長篇小説に比べていささかも遜色がないばかりか、かえって、そのテーマの明快さのために力強い感銘を与えている。短篇小説はたった一つだけ焦点を設定し、それに向かって可能な限り直截な方法で効果を集中させてゆく。これは短篇の形式でなければ得られない妙味である」(『松本清張短篇総集』(1963年、講談社)巻末の「書いたころ」参照)。「わたしは、どちらかというと長篇よりも短篇が好きで、短篇の数が多い。短篇は、焦点が一つに絞られて、それへの集中が端的だからである。短篇小説が長篇小説ほどに迎えられないというのはふしぎだし、書き手が長篇を多く指向するのもわからない」(『着想ばなし(15)』(『松本清張全集 第56巻』(1984年、文藝春秋)付属の月報に掲載)参照)、など。 ^ 例えば、文芸評論家の平野謙は、「『或る「小倉日記」伝』から『菊枕』『断碑』などにいたる一連の作品群のなかに、松本清張の作家的真面目があるのではないか」(『平野謙 松本清張探求』(2003年、同時代社)参照)と評し、推理小説評論家の権田萬治は「むしろ短編のほうが上だという気がしてならない」(「『点と線』から『霧の会議』まで - 清張ミステリーの系譜」(『松本清張の世界』(1992年、文藝春秋臨時増刊、2003年、文春文庫)収録)参照。)と述べている。 ^ 前述の平野謙に拠る表現。平野は作者がこれらの作品の主人公へ共感を寄せると共に、その限界を客観的に洞察しているとして評価し、「私小説のように見えるが私小説ではない」「世のつねの被害者意識いっぱいの私小説をつきぬけたところがある変形私小説」(平野「純文学論争以後」(『群像』1971年10月号掲載)参照)などと評している。また、あわせてこれらの作品に後の作品の萌芽を見出し、「犯罪者への傾斜と、人間的社会的条件をひとつひとつ追求する名探偵の眼」と付け加えている。なお、芥川賞受賞時の選評において坂口安吾が、「この文章は実は殺人犯人をも追跡しうる自在な力があり」と評したことはよく知られている。 ^ エッセイ「日本の推理小説」(『随筆 黒い手帖』(1961年、中央公論社)収録)参照。 ^ 尾崎秀樹「『新青年』と松本清張」(『松本清張研究』第2号(1997年、砂書房)収録)参照 ^ 山村正夫『続・推理文壇戦後史』(1978年、双葉社)43頁を参照。 ^ 「むだのない殺しの美学」とも訳される ^ 江戸川乱歩自伝『探偵小説四十年』(1961年、桃源社、2006年、光文社文庫など)中、「甲賀・木々論争-昭和十一・二年度」を参照 ^ 乱歩の評論集『幻影城』(1951年、岩谷書店、2003年、光文社文庫など)中の「探偵小説純文学論を評す」を参照。清張『随筆 黒い手帖』、特に「推理小説の魅力」も参照。 ^ 『続・幻影城』(1954年、早川書房、2004年、光文社文庫 ^ 福岡隆 『人間松本清張-専属速記者九年間の記録』(1968年、大光社、1977年、本郷出版社)122-129頁 ^ 日本推理作家協会『推理小説研究』第7号(1969年)。 ^ 中島河太郎によれば、用語としての「社会派推理小説」の起源は荒正人によるものとされている。中島「推理小説における清張以前と以後」(『国文学 解釈と鑑賞』1978年6月号掲載)参照。 ^ 清張の推理小説を「社会派」の文脈ではなく、横溝正史などの古典的探偵小説と連続した系譜に位置付ける論考として、笠井潔「壊れた人間と平和な現在 - 松本清張論」(『探偵小説論I 氾濫の形式』(1998年、東京創元社)収録)など。 ^ 「日本の推理小説」参照。 ^ エッセイ「グルノーブルの吹奏」(『小説現代』1988年1月号掲載、『松本清張全集 第65巻』に収録)参照。 ^ 「調べ推理する楽しみ」(エッセイ集『グルノーブルの吹奏』に収録))。他に佐野洋との対談「清張ミステリーの奥義を探る」(『発想の原点-松本清張対談集』に収録))も参照。 ^ 権田萬治『松本清張 時代の闇を見つめた作家』(2009年、文藝春秋)。 ^ 「推理小説の周辺」(『随筆 黒い手帖』収録)参照。 ^ 森史朗 『松本清張への召集令状』、307頁参照。 ^ 晩年の清張に同行していた藤井康栄がノンフィクションは無理と判断した。「『草の径』取材随行者座談会 あの旅行は楽しかったね」(『松本清張研究』第3号(2002年、北九州市立松本清張記念館)収録)参照。 ^ 「事実・発掘・史料-いま再びの「昭和史発掘」」(『現代思想』2005年3月号(青土社)収録)参照。 ^ 『二・二六事件-研究資料』(1976年、文藝春秋)の「まえがき」参照。 ^ 「松本清張と歴史への欲望」(『現代思想』2005年3月号収録) ^ 『私を語る-思考と提出』(『國文學 松本清張と司馬遼太郎』(1973年第18巻7号、學燈社)収録)参照。 ^ 井上・上田・牧健二・佐原真「松本清張『古代史疑』を考証する」(『中央公論』1967年新年号掲載)。 ^ 『松本清張全集 第65巻』巻末の佐原による解説を参照 ^ 「清張古代史の現在を再検討する」(『松本清張研究』第6号(2005年、北九州市立松本清張記念館) ^ 森「清張古代史を語る」(『松本清張研究』第5号(1998年、砂書房)収録)。『火の路』(2009年、文春文庫)巻末の森による解説。 ^ 藤井康栄『松本清張の残像』参照。 ^ 『週刊 松本清張』第7号(2009年、デアゴスティーニ・ジャパン)25頁参照。 ^ 森史朗『松本清張への召集令状』、9-12頁参照。 ^ 新海均『カッパ・ブックスの時代』(2013年、河出書房新社)参照。 ^ 『週刊 松本清張』第7号 10頁参照。 ^ 野平健一「担当記者「東名」の死」(『松本清張全集 第42巻』(1983年、文藝春秋)付属の月報に掲載)参照。 ^ 宮田毬栄『追憶の作家たち』第1章参照。 ^ 担当した清張作品は、重金『編集者の食と酒と』(2011年、左右社)巻末参照。 ^ 「かのように」「魔唾」「佐橋甚五郎」など鷗外の作品を清張が推理小説と関連づけた文章として、「鷗外の暗示」(『森鷗外・松本清張集<文芸推理小説集I>』(1957年、文芸評論社)掲載、のちに『松本清張研究』第2号(1997年、砂書房)収録))がある。 ^ 「社会派推理小説への道程」(『国文学 解釈と鑑賞』1978年6月号掲載)参照 ^ 『菊池寛の文学』(『オール讀物』1988年2月号掲載、『松本清張研究』第2号(2001年、北九州市立松本清張記念館)再録)参照)。 ^ その一例として、赤塚正幸・藤井淑禎・山田有策「松本清張にとって鷗外とは」(『松本清張研究』創刊号(2000年、北九州市立松本清張記念館)収録)がある。 ^ 『随筆 黒い手帖』中の「推理小説の周辺」参照。詳細は『形影 菊池寛と佐佐木茂索』参照。 ^ 菊池を論じた作品として、文藝春秋での佐佐木茂索との関係を軸にした『形影 菊池寛と佐佐木茂索』がある。 ^ 『形影 菊池寛と佐佐木茂索』 ^ 「(思い出の一冊にとどまらず)いまでも私に役立っている」(「一冊の本」(朝日新聞企画のシリーズエッセイ)1960年11月3日参照) ^ 「『小説研究十六講』の縁」(『私の文学回顧録』(青蛙房、1979年)収録 ^ 鶴見による「解説-時分の花」(『松本清張全集』第34巻収録)参照)。 ^ 木村「『小説研究十六講』の縁」。 ^ 国文学者の石川巧による「「小説研究十六講」から「小説研究十六講」へ-菊池寛・木村毅・松本清張」(『松本清張研究』第2号(2001年、北九州市立松本清張記念館)収録)も参照。 ^ 水上と井上ひさしの対談「清張さん、ちょっといい話」(『松本清張の世界』(1992年、文藝春秋臨時増刊、2003年、文春文庫)収録)参照。 ^ 「松本清張批判」(「常識的文学論」(12)、『群像』1961年12月号掲載)参照 ^ 「大岡昇平氏のロマンチックな裁断」(『群像』1962年1月号掲載))。『日本の黒い霧』を歴史学的視点から検証したものとして、藤井忠俊「「日本の黒い霧」の時代認識と評価―「黒地の絵」と帝銀・下山・松川事件諸作品の資料検証」(『松本清張研究』第5号(2004年、北九州市立松本清張記念館)収録)がある。 ^ 清張と司馬の対談としては、『日本の文化と日本人』(別冊小説新潮1973年1月号掲載、『文学と社会-松本清張対談集』(1977年、新日本出版社)収録)、「天下を分けた大激戦の明暗」(『司馬遼太郎の日本史探訪』(1999年、角川文庫)収録)など。 ^ 清張が自らの歴史観を述べた一例として、以下のものがある。「ぼくの史観? それはイデオロギーとか、政治学ではなくて、やはり人間を、あるいは組織をですね、見下ろすんじゃなくて、底辺のところで見まわす、あるいは上を見上げるというか、そういうことだろうと思うんだ。ぼくは上から人間を描いたことがないと思いますけどね」(『文藝春秋』臨時増刊「日本の作家100人」1971年12月号)。他方、司馬は以下のように書いている。「俯瞰、上から見下ろす。そういう角度が、私という作家には適している」(司馬『歴史小説と私』(『歴史と小説』(1969年、集英社文庫など)収録))。半藤一利『清張さんと司馬さん-昭和の巨人を語る』(2002年、日本放送出版協会)も参照。 ^ 中央公論で清張を担当していた宮田毬栄による『追憶の作家たち』(2004年、文春新書)、あるいは「松本清張の仮想敵-全集「日本の文学」をめぐって」(『松本清張研究』第2号(2001年、北九州市立松本清張記念館)収録)を参照。三島側の視点からこの件を論じたものとして、橋本治『三島由紀夫とはなにものだったのか』(2005年、新潮文庫)中の「松本清張を拒絶する三島由紀夫-あるいは、私有される現実」など。 ^ 「社会派推理小説への道程」(『国文学 解釈と鑑賞』1978年6月号掲載))。山崎豊子との対談『小説ほど面白いものはない』(『小説新潮』1984年3月号掲載、山崎「小説ほど面白いものはない 山崎豊子 自作を語る3」(2009年、新潮社)に収録)中でも、三島・大江に関してほぼ同じ見解を述べている ^ 「松本清張と三島由紀夫」(『松本清張研究』第4号、1998年、砂書房に収録) ^ 『過ぎゆく日暦(カレンダー)』「昭和五十六年十一月十五日(日)」の項 ^ 乱歩と清張による、記録として残っている唯一の対談「これからの探偵小説」(『宝石』1958年7月号掲載、『江戸川乱歩と13の宝石 第2集』(2007年、光文社文庫)等に収録)参照。『零の焦点』は、横溝正史『悪魔の手毬唄』や高木彬光『成吉思汗の秘密』と同時期の連載。 ^ 乱歩による、清張作品に対する踏み込んだ評論は特に残されていない。乱歩は『幻影城』「探偵小説純文学論を評す」では、自身の見解を「文学的本格論」と称していた。乱歩の自伝『探偵小説四十年』中の、特に「「幻影城」出版と文士劇-昭和二十五・六・七年度」の「抜打座談会」、「英訳短篇集の出版-昭和三十一年度」の「探偵小説論争」なども参照。他方、国産の本格推理の昭和20年代の状況に関しては、横溝正史や高木彬光の活動にもかかわらず、悲観的な認識を持っていた。『探偵小説四十年』中の「涙香祭と還暦祝い-昭和二十八・九年度」の「翻訳ブームの曙光」などにそうした記述があるが、清張との対談『これからの探偵小説』中でも、清張に対して同様の見解を述べている。 ^ 『随筆 黒い手帖』、特に「推理小説の魅力」参照。 ^ 「江戸川乱歩論」(雑誌『幻影城』1975年7月増刊号掲載、エッセイ集『グルノーブルの吹奏』に収録)参照。 ^ 鮎川哲也は、乱歩が体調を崩したのち、清張が池袋の白雲閣に居た乱歩を訪問し、畳に手をついてお辞儀し、敬意を表現していたと伝えている。鮎川と島田荘司の対談「黄金時代の遺産を継ぐ」(鮎川・島田編集『都市の迷宮 (ミステリーの愉しみ4)』(1992年、立風書房)収録)参照。 最晩年の乱歩と清張の最後の会話(1965年6月30日)の様子については、山村正夫『続々・推理文壇戦後史』(1980年、双葉社)312-315頁を参照。清張の乱歩への弔辞は、同書322-323頁を参照。乱歩と清張の関係に触れた文献は多いが、ここでは上記注に挙げたもののほか、藤井淑禎『清張 闘う作家-「文学」を超えて』(2007年、ミネルヴァ書房)を参照した。 ^ 木々はのちにこの時のことを以下のように回顧している。「この作家(清張)はね、もしも養成すれば、たいへんにいいものが出るのではなかろうか、と思って返事を出しましてね。これ(西郷札)一つじゃ困る、これくらいのものを二・三編送ってくれ、そうすれば自分も『三田文学』に紹介するつもりでいる、という返事を出した」。座談会「松本清張を語る」(『宝石』1963年6月号収録)参照。 ^ 清張の木々論の一例として、『随筆 黒い手帖』(特に「推理小説の魅力」)、エッセイ「木々作品のロマン性」(日本推理作家協会編『マイ・ベスト・ミステリー(4)』(2007年、文春文庫)などに収録)など。また、木々の死去を受けて、清張は日本推理作家協会の機関誌『推理小説研究』第7号(1969年)巻頭に追悼文を掲載している。山村正夫『推理文壇戦後史・4』(1989年、双葉社)88頁も参照。 ^ その一例として、『横溝正史読本』(2008年、角川文庫)中の小林信彦と横溝の対談、また栗本薫と横溝の対談「探偵小説への見果てぬ夢」(『別冊幻影城 「横溝正史IV」』(1977年No.11、株式会社幻影城)収録)、森村誠一『人間の証明』(1977年、角川文庫)の横溝による解説など。 ^ その一例として、『真山仁が語る横溝正史 私のこだわり人物伝』(2010年、角川文庫)中に収録された対談での角川春樹による発言、また、真山仁による『火神被殺』(2012年、文春文庫新装版)解説など。 ^ この論争の詳細は、荒正人・中島河太郎編『推理小説への招待』(1959年、南北社)を参照。 ^ 森村誠一の清張観は、森村による『作家の条件』(2010年、講談社文庫)、座談会「松本清張の時代に生きて」(『松本清張研究』第4号(2003年、北九州市立松本清張記念館)収録)など参照。 ^ 山村美紗から見た清張の印象を述べたものとして、エッセイ『ミステリーに恋をして』(1992年、光文社文庫)がある。 ^ 西村京太郎『女流作家』『華の棺』(ともに朝日文庫)参照。 ^ 島田荘司『本格ミステリー宣言』(1993年、講談社文庫)など参照。その後島田は、清張の推理小説を、自然主義と結びつけて解釈する見解を示している。Global Mystery Fusion Watch 山村教室特別講演 前半その7、「やはり救済者、清張」(『松本清張研究』第14号(2013年、北九州市立松本清張記念館)収録)など。 ^ 『松本清張短編全集01 西郷札』(2008年、光文社文庫)の島田による解説を参照。島田はノンフィクション作品『秋好英明事件』を書いているが、島田を秋好支援に熱中させたのは、これら清張作品の潜在記憶であると回顧している。 ^ 宮部みゆき参加の座談会の一例として、「清張流「旅はひとりがいい」」(『松本清張研究』第3号(2002年、北九州市立松本清張記念館)収録)、「清張さんの魅力」(『文藝春秋』(2010年4月号)掲載)、「拝啓、清張先生-清張作品の魅力再発見」(『松本清張研究』第14号収録)など。 ^ 森雅裕『推理小説常習犯 - ミステリー作家への13階段+おまけ』(1996年、KKベストセラーズ、2003年、講談社+α文庫)参照。 ^ 林悦子 『松本清張映像の世界 霧にかけた夢』(2001年、ワイズ出版)中の「巨匠スケッチ」を参照。 ^ 和田勉「テレビドラマと清張さん」(『状況曲線』下巻(1992年、新潮文庫)巻末に掲載)参照。 ^ 藤井康栄『松本清張の残像』(2002年、文春新書)の巻末年譜、適宜補注。 ^ 岡崎満義「ジャーナリスト松本清張さんの一面」参照。文藝春秋の岡崎は「社会で機能する具体的な権力の1つとして(共産党の)効用を認めていたが、観念論の網にからめとられることはなかった」と回顧している。 ^ 「国会爆弾男 オカッパル一代記―反戦平和に賭けた議員生活40年」著岡田春夫 行研出版局 1987年2月刊行 ISBN 978-4905786610 ^ 防衛庁「三矢作戦」の追求ー松本清張氏から資料朝日新聞社1987年1月28日朝刊 ^ 場所は虎ノ門の中華料理店「晩翠軒」であった。この時も、他の推理作家に先んじ、ガードナーと直接英語で推理小説に関する議論を行っていた。『顔』(1995年、双葉文庫、日本推理作家協会賞受賞作全集第9巻)巻末の山村正夫による解説、または山村『続・推理文壇戦後史』(1978年、双葉社)48頁を参照。山村によれば、ガードナーは清張に「日本の推理作家はなぜ国内だけで作品を消化せず、海外マーケットの進出にもっと積極的にならないのか?」と反問したという。この件は同じく山村『続々・推理文壇戦後史』(1980年、双葉社)200頁を参照。 ^ 英語力に関しては、文藝春秋関係者、海外取材同行者、エラリー・クィーンとの対談時の同席編集者など、証言多数(一例として藤井康栄『松本清張の残像』、71-77頁)。キューバ国営テレビのインタビュー番組に出演した際(1968年)も、英語でスピーチを行った。最終学歴は高等小学校卒であったが、衛生兵として朝鮮に渡った戦時中には洋書を読み、朝日新聞社勤務時には英語力のある社員をつかまえて学び、通勤時間を英会話の練習に使った。作家になり多忙になって以降も、若い外国人女性(文藝春秋の岡崎満義による)を家庭教師として雇い、日曜日に自宅で英会話の個人レッスンを受けていた。 ^ 清張作品の中国での受容動向、中国人の清張観を知る資料の一例として、王成・林濤・王志松・李菁・王中忱「日本の探偵小説・推理小説と中国 その中国における受容と意味」(2006年、北九州市立松本清張記念館)、映像化作品の受容を含めて論じたものに、王成「清張ミステリーと中国-映像メディアの力」(『松本清張研究』第14号(2013年、北九州市立松本清張記念館)収録)、特に香港での受容に焦点をあてたものとして関詩珮「メディア、流行文学とテレビ・受容-香港一九八〇年代における松本清張翻訳ブーム」(『松本清張研究』第14号(2013年、北九州市立松本清張記念館)収録)。 ^ 1961年から2009年までの清張作品の韓国語への翻訳・翻案作品一覧は、「松本清張韓国語翻訳・翻案作品目録」(『松本清張研究』第12号(2011年、北九州市立松本清張記念館)収録)参照。 ^ 1980年代を中心に台湾での清張作品の受容に関して論じたものに、陳國偉「「歪んだ複写」:一九八〇年代台湾における松本清張の翻訳と受容」(『松本清張研究』第14号(2013年、北九州市立松本清張記念館)収録)。 ^ 『松本清張(新潮日本文学アルバム)』(1994年、新潮社)88頁、『松本清張全集』第66巻(1996年、文藝春秋)巻末の翻訳出版目録、および『Japanese Literature in Foreign Languages 1945-1995』(1997年、the Japan P.E.N. Club)を参照。 ^ 松本清張原作のテレビドラマ一覧を参照。 ^ 白井佳夫と川又昴による対談「松本清張の小説映画化の秘密」(『松本清張研究』第1号(1996年、砂書房)収録)、白井・大木実・西村雄一郎による対談「映画『張込み』撮影現場からの証言」(『松本清張研究』第2号(1997年、砂書房)収録)、白井・堀川弘通・西村による対談「証言・映画『黒い画集・あるサラリーマンの証言』」(『松本清張研究』第3号(1997年、砂書房)収録)、白井・橋本による対談「橋本忍が語る清張映画の魅力」(『松本清張研究』第5号(1998年、砂書房)収録)などを参照。 ^ 1975年以降の出典は、林 『松本清張映像の世界 霧にかけた夢』に拠った。 ^ 『松本清張全集 第61巻』(1995年、文藝春秋)付属の月報を参照。 ^ 全日本シティ銀行 ^ 「無念無想でパチンコに集中していると、ふっとアイデアが浮かんでくる」とも述べている。『松本清張全集 第61巻』付属の月報を参照。半藤一利は「(清張は)とにかくパチンコが好き」で「趣味は仕事とパチンコだったといっていい」と述べている。『週刊 松本清張』第7号 25頁参照。 ^ 半藤 『清張さんと司馬さん-昭和の巨人を語る』、林 『松本清張映像の世界 霧にかけた夢』など参照。清張が来店したとわかると、パチンコ店の店員が玉を持ってきたり、コーヒーを用意する店もあったが、本人はそのように気を遣われるのを嫌がっていた。『松本清張全集 第61巻』付属の月報を参照。周囲に無関心な人の多い場所を求めて、渋谷の店舗まで足を運んでいたとの証言もある。『松本清張全集 第60巻』(1995年、文藝春秋)巻末の解説を参照。朝日新聞社勤務時代に職場の同僚としていた麻雀や将棋に関しては下手で、家族にもコロコロ負けるほどであったという。『松本清張全集 第61巻』付属の月報を参照。 ^ 『十万分の一の偶然』(1981年、文春文庫2009年)巻末の、藤井康栄による解題を参照。夫人によれば、カメラの新製品が出るとチェックせずにはいられなかった、という。 ^ 知られざるニコンの歴史 F3松本清張スペシャル(アーカイブ) 改造の仕様・工程などを現物写真を交え詳述 ^ 『全集 57巻』月報。 ^ 『全集 58巻』月報。 ^ 以上、『全集 第62巻』(1995年、文藝春秋)付属の月報。清張の茶目っ気に関しては同文のほか、林 『松本清張映像の世界 霧にかけた夢』164頁の例など。 ^ 林 『松本清張映像の世界 霧にかけた夢』148頁参照。 ^ 『いまだ見ぬ花 - ぼくのマドンナ - 』(『日本経済新聞』1979年5月21・22日夕刊掲載、のちにエッセイ集『グルノーブルの吹奏』に収録)参照。 ^ 瀬戸内寂聴『奇縁まんだら』(2008年、日本経済新聞出版社)166-168頁参照。 ^ 広告「私の選んだベストブランド」(『文藝春秋』1974年12月号掲載)参照。 ^ 『週刊 松本清張』第2号(2009年)30頁参照。 ^ 講演『小説と取材』(『オール讀物』1971年7月号掲載、『松本清張の世界』(1992年、文藝春秋臨時増刊、2003年、文春文庫)収録)参照。「『波の塔』だとか、『水の炎』だとかいうような題を出しておけば、内容が推理小説であろうが、ロマン小説であろうがあるいは時代小説であろうが、あと一ヶ月のほんとうの締切りまで時間がかせげるわけであります」。 ^ 『半生の記』参照。 ^ 『週刊 松本清張』第12号(2010年)30頁参照。 ^ 座談会「松本清張の時代に生きて」(『松本清張研究』第4号(2003年、北九州市立松本清張記念館)収録)参照。 ^ 『点と線』以来、清張の原稿の遅さにやきもきする編集者の逸話は多いが、『オール讀物』編集部次長の中井勝は「ゲームセンターのモグラ叩きで、清張さんをモグラに見立てて叩きまくった」と述べている。『天窓の灯』(『松本清張全集 第49巻』(1983年、文藝春秋)付属の月報に掲載)参照。他に、清張担当編集者特有の熟練を述べた、講談社開発室長の名田屋昭二による『「名人芸」のころ』(『松本清張全集 第40巻』(1982年、文藝春秋)付属の月報に掲載)もある。 ^ 「『草の径』取材随行者座談会 あの旅行は楽しかったね」(『松本清張研究』第3号(2002年、北九州市立松本清張記念館)収録)参照。 ^ 林 『松本清張映像の世界 霧にかけた夢』中の「巨匠スケッチ」参照。 ^ 福岡隆 『人間松本清張-専属速記者九年間の記録』(1968年、大光社)114頁参照。 ^ 藤井康栄の上司でもあった半藤一利によれば、「相当手荒く扱われたという思い出だけを語る人もいるようです。が、それは清張さんの眼から見て、編集者として一種落第であったため、としか考えられないのです。とくに約束にたいしてズボラな者には厳しかった。清張さんの優しさにふれられなかった人は、自分で自分の胸に手をあてて考えてみたらよろしいのではないか」(半藤 『清張さんと司馬さん-昭和の巨人を語る』参照)。 ^ 福岡隆 『人間松本清張-専属速記者九年間の記録』110頁参照。 ^ 森本哲郎 「清張さんの秘密」(『松本清張全集 第34巻』(1974年、文藝春秋)付属の月報に掲載)参照。 ^ 重金敦之 『作家の食と酒と』(2010年、左右社)参照。 ^ 映画『砂の器』のラストに関して清張は、「小説じゃ書けないよ。映画でなけりゃできない、すごい」と褒めたという。また「映画化でいちばんいいのは『張込み』『黒い画集 あるサラリーマンの証言』だ。両方とも短編小説の映画化で、映画化っていうのは、短編を提供して、作る側がそこから得た発想で自由にやってくれるといいのができる。この2本は原作を超えてる。あれが映画だよ」と述べたという。白井佳夫と川又昴による対談「松本清張の小説映画化の秘密」(『松本清張研究』第1号(1996年、砂書房)収録)、白井佳夫・堀川弘通・西村雄一郎による対談「証言・映画『黒い画集・あるサラリーマンの証言』」(『松本清張研究』第3号(1997年、砂書房)収録)などを参照。 ^ 『全集 62巻』月報。林 『松本清張映像の世界 霧にかけた夢』89頁。 『松本清張研究』Vol.1-5(1996-1998年、砂書房、尾崎秀樹・藤井康栄編集協力) 第1号「松本清張と森鷗外」(1996年) 第2号「清張文学の〈宗教〉の意味」(1997年) 第3号「『日本の黒い霧』-戦後史の風景-」(1997年) 第4号「昭和30年代の清張文学」(1998年) 第5号「松本清張と九州」(1998年) 『松本清張研究』創刊準備号・創刊号-(1999年-、北九州市立松本清張記念館編集・発行) 2018年4月現在、創刊準備号から第19号まで20冊刊行。詳細は松本清張記念館公式ウェブサイト(外部リンク)参照。 創刊準備号(1999年) 創刊号「清張と鷗外」(2000年) 第2号「松本清張と菊池寛」(2001年) 第3号「清張文学と旅」(2002年) 第4号「清張ミステリーの〈現在〉」(2003年) 第5号「松本清張の敗戦前後」(2004年) 第6号「清張古代史の軌跡と現在」(2005年) 第7号「歴史・時代小説の醍醐味」(2006年) 第8号「清張とメディア-時代との遭遇」(2007年) 第9号「世界への視座-清張の海外取材」(2008年) 第10号「同年に生を享けて-一九〇九年生まれの作家たち」(2009年) 第11号「『神々の乱心』の背景―未完の遺作を解読する」(2010年) 第12号「清張と東アジア・東南アジア」(2011年) 第13号「清張作品の映像探索」(2012年) 第14号「初期短編小説」(2013年) 第15号「清張と故郷[北九州]」(2014年) 第16号「清張と新聞」(2015年) 第17号「清張と戦争」(2016年) 第18号「清張と鉄道」(2017年) 第19号「清張の多様性」(2018年) 事典類 岩見幸恵、文献目録・諸資料等研究会 『松本清張書誌研究文献目録』(2004年、勉誠出版) 郷原宏 『松本清張事典 決定版』(2005年、角川学芸出版) 歴史と文学の会編 『松本清張事典 増補版』(2008年、勉誠出版) 森信勝 『松本清張索引事典』(2015年、近代文藝社) 関係者による回想 福岡隆 『人間松本清張-専属速記者九年間の記録』(1968年、大光社、1977年、本郷出版社) 著者は1959年から1968年まで、清張専属の口述速記者を務めた。 吉田満 『朝日新聞社時代の松本清張』(1977年、九州人文化の会) 著者は朝日新聞西部支社(現・西部本社)勤務時代の清張の同僚。 林悦子 『松本清張映像の世界 霧にかけた夢』(2001年、ワイズ出版) 著者は元霧プロダクション事務員、元霧企画事務所取締役兼従業員。 半藤一利 『清張さんと司馬さん-昭和の巨人を語る』 (2002年、日本放送出版協会、2005年、文春文庫) 藤井康栄 『松本清張の残像』(2002年、文春新書) 梓林太郎 『霧の中の巨人 回想・私の松本清張』(2003年、祥伝社)『回想・松本清張 - 私だけが知る巨人の素顔』(2009年、祥伝社文庫) 著者は1960年から1980年まで、作品の素材を話し合うなど、断続的に清張と親交を持った。 宮田毬栄 『追憶の作家たち』(2004年、文春新書) 第1章で清張を取り上げている。 森史朗 『松本清張への召集令状』(2008年、文春新書) 重金敦之 『作家の食と酒と』(2010年、左右社) 雑誌 『宝石 「松本清張特集」』(1963年6月号No.220、宝石社) 『松本清張の世界』(1973年、文藝春秋臨時増刊) 井上ひさし、林茂、宮崎吉政、戸川猪佐武、樋口清之など。 『國文學 松本清張と司馬遼太郎』(1973年第18巻7号、學燈社) 清張のエッセイ『私を語る-思考と提出』、尾崎秀樹、多田道太郎、三好行雄、奈良本辰也、足立巻一、村松定孝など。 『別冊幻影城 「松本清張」』(1976年No.3、株式会社幻影城) 権田萬治による清張インタビュー『コーヒーと推理小説と古代史と』、二上隆一、安間隆次など。 『松本清張(現代文学読本)』(1978年、清山社) 清張と平野謙との対談『私小説と本格小説』、田村栄、権田萬治、中島河太郎、村松剛、松島栄一など。 『国文学 解釈と鑑賞 「松本清張〈社会と文学との接点〉」』(1978年6月号、至文堂) 清張と三好行雄の対談『社会派推理小説への道程』、中島河太郎、松本鶴雄、岡保生、中田耕治、柘植光彦など。 『國文學 松本清張・脱領域の眼』(1983年第28巻12号、學燈社) 清張と中西進らによる『「松本清張説」をめぐる共同討議 古代史を検証する』、紅野敏郎、関井光男、中島河太郎、上原和、桑田忠親、武田勝彦など。 『松本清張の世界』(1992年、文藝春秋臨時増刊、2003年、文春文庫) 清張と石川達三・川口松太郎・大佛次郎との各対談、藤井康栄、門脇禎二、井上ひさし、水上勉、宮部みゆきなど。 『大衆文学研究 追悼 松本清張』(1993年12月号、大衆文学研究会) 『国文学 解釈と鑑賞 「松本清張の世界」』(1995年2月号、至文堂) 『小説TRIPPER 「特集 松本清張再発見」』(2000年秋季号、朝日新聞社) 阿刀田高、保坂正康、今谷明、藤井康栄など。 『現代思想 「特集 松本清張の思想」』(2005年Vol33 3月号、青土社) 成田龍一、小森陽一、有馬学、原武史、常石敬一、佐藤泉など。 『東京人 「特集 松本清張の東京」』(2006年5月号、都市出版) 半藤一利、宮田毬栄、大村彦次郎、川本三郎、山本一力、有栖川有栖など。 『別冊太陽 日本のこころ No141 松本清張』(2006年、平凡社) 『小説新潮 「特集 松本清張 生誕100年」』(2009年5月号、新潮社) 清張と山崎豊子の対談『小説ほど面白いものはない』(1984年)、講演『私の発想法』(1981年)再録、北村薫、宮部みゆきなど。 『松本清張の世界-清張文学の真髄に迫る徹底考察(別冊宝島1638)』(2009年、宝島社) 『本の窓 「特集 やっぱり、松本清張」』(2009年11月号、小学館) 藤井康栄、佐野洋、橋本忍、岩下志麻、佐高信など。 『週刊「松本清張」』全13冊(2009-2010年、デアゴスティーニ・ジャパン) 『松本清張地図帖 地図にみる懐かしの昭和三十年代』(2010年、帝国書院) 『松本清張の黒の地図帖 昭和ミステリーの舞台を旅する』(2010年、平凡社) 『小説新潮 「特集 松本清張再読」』(2015年6月号、新潮社) みうらじゅん、岩井志麻子、阿刀田高、森村誠一など。 『ケトル VOL.27「特集 松本清張が大好き!」』(2015年10月、太田出版) みうらじゅん、速水健朗、西村京太郎、壇蜜など。 評論・研究 田村栄 『松本清張 その人生と文学』(1976年、啓隆閣新社) 田村栄 『松本清張 続・その人生と文学』(1977年、清山社) 齋藤道一 『名探偵松本清張氏』(1981年、東京白川書院) 安間隆次 『清張ミステリーの本質』(1984年、光文社、1990年、光文社文庫) 田村栄 『松本清張の世界』(1993年、光和堂)1976年版の改題 田村栄 『続・松本清張の世界』(1993年、光和堂)1977年版の改題 『松本清張(新潮日本文学アルバム)』(1994年、新潮社) 阿井景子『わが心の師清張、魯山人』(1995年、文藝春秋、2001年、中公文庫) 阿刀田高 『松本清張あらかると』(1997年、中央公論社、2008年、光文社知恵の森文庫) 藤井淑禎 『清張ミステリーと昭和三十年代』(1999年、文春新書) 佐藤友之 『松本清張 清張と戦後民主主義』(1999年、三一書房) 中島誠 『松本清張の時代小説』(2003年、現代書館) 平野謙 『松本清張探求 1960年代平野謙の松本清張論・推理小説評論』(2003年、同時代社) 渡部昇一 『昭和史 松本清張と私』(2005年、ビジネス社) 細谷正充 『松本清張を読む-「張込み」から「砂の器」まで』(2005年、ベストセラーズ) 仲正昌樹 『松本清張の現実と虚構 あなたは清張の意図にどこまで気づいているか』(2006年、ビジネス社) 佐藤一 『松本清張の陰謀 「日本の黒い霧」に仕組まれたもの』(2006年、草思社) 保阪正康 『松本清張と昭和史』(2006年、平凡社新書) 藤井忠俊 『「黒い霧」は晴れたか - 松本清張の歴史眼』(2006年、窓社) 藤井淑禎 『清張 闘う作家-「文学」を超えて』(2007年、ミネルヴァ書房) 加納重文 『松本清張作品研究』(2008年、和泉書院) 加納重文 『砂漠の海 - 清張文学の世界』(2008年、和泉書院) 森本穫 『松本清張 歴史小説のたのしみ』(2008年、洋々社) 阿刀田高 『松本清張を推理する』(2009年、朝日新書) 原武史 『松本清張の「遺言」 - 「神々の乱心」を読み解く』(2009年、文春新書) 権田萬治 『松本清張 時代の闇を見つめた作家』(2009年、文藝春秋) 佐藤泰正編 『松本清張を読む(梅光学院大学公開講座論集)』(2009年、笠間書院) 郷原宏 『清張とその時代』(2009年、双葉社) 岡村直樹 『「清張」を乗る-昭和30年代の鉄道シーンを探して』(2009年、交通新聞社新書) 辻井喬 『私の松本清張論-タブーに挑んだ国民作家』(2010年、新日本出版社) 綾目広治 『松本清張 戦後社会・世界・天皇制』(2014年、御茶の水書房) 牧俊太郎 『松本清張「明治」の発掘 - その推理と史眼』(2015年、風詠社) 衛藤吉則 『松本清張にみるノンフィクションとフィクションのはざま−「哲学館事件」(『小説東京帝国大学』)を読み解く』(2015年、御茶の水書房) 南富鎭 『松本清張の葉脈』(2017年、春風社) 赤塚隆二 『清張鉄道1万3500キロ』(2017年、文藝春秋) 高橋敏夫 『松本清張 「隠蔽と暴露」の作家」』(2018年、集英社新書) 推理作家一覧 清張通り 黒い霧事件 純文学論争 松本清張賞 松本清張記念館公式ウェブサイト 松本清張文学碑(鳥取県日南町) 八王子 富士見台霊園-清張の墓は西8区に所在。 松本清張 - NHK人物録
松本清張
宮尾登美子
宮尾 登美子(みやお とみこ、1926年4月13日 - 2014年12月30日)は、日本の小説家。高知県高知市生まれ。高坂高等女学校卒業。 高知の遊郭で芸妓紹介業(女衒)を営む岸田猛吾の子として生まれる。実母は女義太夫。この遊廓のことは『櫂』に描かれている。12歳で父母が離婚し父に引き取られ、義母・喜世に育てられる。1943年に高坂高等女学校を卒業し、吾川郡池川町(現仁淀川町)の安居国民学校の代用教員となる。1944年、同僚の前田薫と結婚。心臓神経症を発症し、長く悩まされる。 1944年満蒙開拓団の一員として家族で満洲に渡る。長女を出産するが、敗戦のため辛酸をなめ、1946年夫の実家がある高知へ引き揚げ、農業に従事。この満洲体験は『朱夏』に描かれる。1947年肺結核で病臥する中、『小説新潮』などを読む。1948年初めての小説「村芝居」を『文藝首都』に投稿。1949年に次女を生み、母を失くす。1951年に父を失う。1951年から1958年まで村立保育所の保母として勤務。1958年高知県社会福祉協議会に保育係として勤務。1962年、神戸で取材して書いたラジオドラマ「真珠の家」がNHK高知放送局のラジオドラマ脚本募集で佳作一席となり、仕事を辞め文筆生活に入る。 1962年前田とみ子の名で書いた『連』で婦人公論女流新人賞を受賞、1963年同作で直木賞候補となる。協議離婚。1964年「湿地帯」を『高知新聞』に連載(前田とみ子名義)。高知新聞社学芸部記者・宮尾雅夫と再婚。1966年夫とともに上京。婦人誌、女性誌のライターをし、赤ちゃんとママ社に就職。1968年第一生命住宅に転じる。 1972年、それまで劣等感を感じていた生家のことを書く決心をし、『櫂』を自費出版、1973年同作で太宰治賞を受賞し、出世作となる。1977年1月、『陽暉楼』で第76回直木賞候補。同年、『寒椿』で第16回女流文学賞受賞。1979年1月、『一絃の琴』で第80回直木賞を受賞、53歳であった。1983年、『序の舞』で第17回吉川英治文学賞受賞。 作品のテーマは一貫して女性であり、自伝ものから出発して、さまざまな分野に新境地を開いている。 『東福門院和子の涙』など、歴史の中で弄ばれるはかない女性を描いた歴史小説が有名。一方で、『クレオパトラ』では、悪女や悲劇のヒロインとしてつくりあげられてきたこれまでのクレオパトラ像を否定して、新たな解釈で浮かび上がらせている。また一方で歴史的事実からは逸脱した解釈による創作も見られる[要出典]。 2005年の大河ドラマ『義経』は、『宮尾本 平家物語』と『義経』が原作。2008年には『天璋院篤姫』が『篤姫』として大河ドラマ化されたほか、2009年から放送の『坂の上の雲』には外部諮問委員として参加している。 心臓神経症の持病もあって飛行機に乗れなかったが、1984年、クイーン・エリザベス2世号で夫とともにシンガポールへ行ったのが初の海外旅行となり、1985年にはハワイ旅行に行き、以後はアメリカ、エジプトなどへ行っている。 2014年12月30日、老衰のため死去。88歳没。 1962年 『連』で婦人公論女流新人賞 1973年 『櫂』で第9回太宰治賞 1977年 『寒椿』で第16回女流文学賞 1979年 『一絃の琴』で第80回直木三十五賞 1982年 『序の舞』で第17回吉川英治文学賞 1989年 『松風の家』で第51回文藝春秋読者賞/紫綬褒章 1995年 『藏』でエランドール賞特別賞 1996年 第12回日本酒大賞 2008年 第56回菊池寛賞 2009年 文化功労者 2010年 『錦』で第6回親鸞賞   『櫂』私家版、1972 筑摩書房 1973 のち中公文庫、ちくま文庫、新潮文庫 『陽暉楼』筑摩書房 1976 のち中公文庫、ちくま文庫、文春文庫 『寒椿』中央公論社 1977 のち文庫、新潮文庫 『岩伍覚え書』筑摩書房 1977 のち文庫(改題『夜汽車・岩伍覚え書』)1986/集英社文庫、角川文庫 『一絃の琴』講談社 1978 - のち文庫 『影絵』筑摩書房 1978 - のち集英社文庫 『鬼龍院花子の生涯』文藝春秋 1980 - のち文庫、中公文庫 『母のたもと』筑摩書房 1980 のち文春文庫 『伽羅の香』中央公論社 1981 - のち文庫 『女のあしおと』講談社 1981 のち文庫 『美しきものへの巡礼』文藝春秋 1981 - のち文庫 つむぎの糸 高知新聞社 1981 のち新潮文庫 『序の舞』朝日新聞社 1982 のち中公文庫 『もう一つの出会い』海竜社 1982 のち新潮文庫 『楊梅(やまもも)の熟れる頃』文化出版局 1982 のち新潮文庫 『花のきもの』講談社 1983 のち文庫 『手とぼしの記』朝日新聞社 1984 のち文庫、新潮文庫 『天璋院篤姫』講談社 1984 のち文庫 大人の味 辻嘉一対談 文化出版局 1985 のち新潮文庫、「土佐の味京の味」と改題、中公文庫 『地に伏して花咲く』シーズ 1984.11 『朱夏』集英社 1985 のち文庫、新潮文庫 対談集『小さな花にも蝶』(吉行淳之介/水上勉/神津善行/五社英雄/常盤新平/綱淵謙錠/小松伸六/緒形拳/加賀乙彦/富山清琴)中央公論社 1986 のち文庫 1989 『女のこよみ』講談社 1987 のち角川文庫 『春燈』新潮社 1988 - のち文庫 『わたしの四季暦』中央公論社 1988 のち文庫 『くらしのうた』(共著:大原富枝/篠田桃紅/馬場あき子/十返千鶴子)朝日新聞社 1988 - のち文庫 1997 『私の四季暦』中央公論社 1988 - のち文庫 1994 『松風の家』文藝春秋 1989-90 - のち文庫 1993 『きのね-柝の音』朝日新聞社 1990 - のち文庫、新潮文庫 『菊亭八百善の人びと』新潮社 1991 - のち文庫、中公文庫 宮尾登美子全集 全15巻 朝日新聞社 1992-1994 『藏』毎日新聞社 1993 - のち中公文庫 1995/角川文庫 『東福門院和子の涙』講談社 1993 のち文庫 『菊籬』文藝春秋 1995 のち文庫 『クレオパトラ』朝日新聞社 1996 のち文庫、新潮文庫 『記憶の断片』飛鳥新社 1996 「お針道具」「成城のとんかつやさん」新潮文庫 『天涯の花』集英社 1998 - のち文庫 『はずれの記』角川書店 1998 のち文庫 『きものがたり』世界文化社 1999 のち文春文庫 『仁淀川』新潮社 2000 のち文庫 『宮尾本 平家物語』全4巻、朝日新聞社 2001-2004 のち文庫 『めぐる季節を生きて』講談社 2002 『平家物語の女たち』朝日新聞社 2004 『義経』日本放送出版協会、2004 のち新潮文庫 『湿地帯』新潮社 2007 のち文庫 『篤姫の生涯』日本放送出版協会、2007 『錦』中央公論新社、2008 『生きてゆく力』(発売前仮題「人生のあしあと」)海竜社、2009 『一絃琴』(2011、如果出版) 『天璋院篤姬』全2巻(2010、如果出版) 『宮尾本平家物語』全4巻(2007、遠流出版) 『陽暉樓』(2006、遠流出版) 『有緣無緣』(『櫂』)(1996、實學社) 『鬼龍院花子的一生』(1996、實學社) 『藏』全2巻(1996、實學社) 『寒樁』(1993、麥田出版) 一弦琴 (刊行予定、吉林出版集团有限责任公司) 天璋院笃姬 (2011、吉林出版集团有限责任公司) 映画 『鬼龍院花子の生涯』 (1982) 『陽暉楼』 (1983) 『序の舞』 (1984) 『櫂』 (1985)……陽暉楼の女将役で出演もしている。 『夜汽車』 (1987) 『寒椿』 (1992) 『藏』 (1995) テレビドラマ 『櫂』 (1975) 『序の舞・新春ドラマスペシャル』 (1984) 『鬼龍院花子の生涯』 (1984) 『藏』 (1995) 『春燈』 (1997) 『櫂』 (1999) 『一絃の琴』 (2000) 『菊亭八百善の人びと』 (2004) 『義経』 (2005) 『篤姫』 (2008) 『鬼龍院花子の生涯』 (2010) 高知県立文学館 - 高知県高知市にある文学館。多くの宮尾資料を収蔵している。 宮尾登美子文学記念館 - 北海道伊達市にある文学館 ^ 以上、『宮尾登美子の世界』朝日新聞社、「宮尾登美子の軌跡」 ^ 加賀乙彦「宮尾さんのこと」『宮尾登美子の世界』朝日新聞社 ^ “作家の宮尾登美子さん死去 「序の舞」「藏」”. 朝日新聞. (2015年1月7日). http://www.asahi.com/articles/ASH174R2LH17UCLV00G.html 2015年1月7日閲覧。  ^ a b 明治・大正・昭和にかけて活躍した、初代 龍村平藏をモデルにした長編小説。初代龍村平藏について 宮尾登美子文学記念館 宮尾登美子 - NHK人物録
宮尾登美子
横溝正史
横溝 正史(よこみぞ せいし、1902年(明治35年)5月24日 - 1981年(昭和56年)12月28日)は、日本の小説家、推理作家である。本名は同字で「よこみぞ まさし」。当初は筆名も同じ読みであったが、誤読した作家仲間にヨコセイと渾名されているうちに、セイシをそのまま筆名とした。兵庫県神戸市東川崎(現在の中央区、神戸ハーバーランド界隈)生まれ。 金田一耕助を探偵役とする一連の探偵小説で有名。また、薬剤師免許を持っていた。 1902年(明治35年)5月24日、兵庫県神戸市東川崎(現・中央区東川崎町)に父・宜一郎、母・波摩の三男として生まれる。父親は岡山県浅口郡船穂町(現・倉敷市)柳井原出身。翌日の旧暦5月25日が楠木正成の命日にあたることから、「まさし」まで取って命名された。 1920年(大正9年)3月、神戸二中(現・兵庫県立兵庫高等学校)を卒業、第一銀行神戸支店に勤務。 1921年、雑誌『新青年』の懸賞に応募した『恐ろしき四月馬鹿(エイプリル・フール)』が入選作となる。これが処女作とみなされている。 1924年、大阪薬学専門学校(大阪大学薬学部の前身校)卒業後、一旦薬剤師として実家の生薬屋「春秋堂」に従事していたが、1926年に江戸川乱歩の招きに応じて上京、博文館に入社する。1927年に『新青年』の編集長に就任、その後も『文芸倶楽部』、『探偵小説』等の編集長を務めながら創作や翻訳活動を継続したが、1932年に同誌が廃刊となったことにより同社を退社し、専業作家となる。 1934年(昭和9年)7月、肺結核の悪化により、長野県八ヶ岳山麓の富士見高原療養所での療養生活を余儀なくされ、執筆もままならない状態が続く。1日あたり3 - 4枚というペースで書き進めた渾身の1作『鬼火』も当局の検閲により一部削除を命じられる。また、戦時中は探偵小説の発表自体が制限されたことにより、時代劇(捕物帳シリーズ)等の執筆に重点を移さざるを得ないなど、不遇な時代が続いた。太平洋戦争の開戦前後(1941年6~12月)には横溝唯一の長編家庭小説とされる『雪割草』を地方紙(新潟毎日新聞、途中から新潟日日新聞に変更)に連載したことが2017年末に明らかになっている。推理作家としての活動が制限されたため経済的にも困窮し、一時は本人も死を覚悟するほど病状が悪化したが、終戦後、治療薬ストレプトマイシンの急激な値崩れにより快方に向かう。 1945年(昭和20年)4月より3年間、岡山県吉備郡真備町岡田(現・倉敷市真備町)に疎開。第二次世界大戦終戦後、推理小説が自由に発表できるようになると本領を発揮し、本格推理小説を続々と発表する。1948年、『本陣殺人事件』により第1回探偵作家クラブ賞(後の日本推理作家協会賞)長編賞を受賞。同作はデビュー後25年目、長編としても8作目にあたるが、自選ベストテンとされるものも含め、代表作と呼ばれるものはほとんどこれ以降(特にこの後数年間)に発表されており、同一ジャンルで書き続けてきた作家としては異例の遅咲き現象である。やや地味なベテランから一挙に乱歩に替わる日本探偵小説界のエース的存在となった。 人気が高まる中、骨太な本格探偵小説以外にも、やや通俗性の強い長編も多く執筆。4誌同時連載を抱えるほどの売れっぷりだったが、1960年代に入り松本清張などによる社会派ミステリーが台頭すると執筆量は急速に減っていった。1964年に『蝙蝠男』を発表後、探偵小説の執筆を停止し、一時は数点の再版や『人形佐七捕物帳』のみが書店に残る存在となっていた。 1968年、講談社の『週刊少年マガジン』誌上で『八つ墓村』が漫画化(作画:影丸穣也)・連載されたことを契機として注目が集まる。同時に、江戸川乱歩、夢野久作らが異端の文学としてブームを呼んだこともあり、最初の全集が講談社より1970年から(1976年まで)刊行された。また、1971年から、『八つ墓村』をはじめととした作品が、角川文庫から刊行され、圧倒的な売れ行きを示し、角川文庫は次々と横溝作品を刊行することになる。少し遅れてオカルト・ブームもあり、横溝の人気復活もミステリーとホラーを融合させた際物的な側面があったが(実際には横溝は超常現象的な内容はほとんど書かない)、映画産業への参入を狙っていた角川春樹はこのインパクトの強さを強調、自ら陣頭指揮をとって角川映画の柱とする。 1974年、角川文庫版の著作が、300万部突破。1975年、角川文庫の横溝作品が500万部突破。1976年、角川文庫の横溝作品が1,000万部を突破。1979年、角川文庫横溝作品4,000万部突破。 1975年にATGが映画化した『本陣殺人事件』がヒットし、翌年の『犬神家の一族』を皮切りとした石坂浩二主演による映画化(「石坂浩二の金田一耕助シリーズ」参照)、古谷一行主演による毎日放送でのドラマ化(「古谷一行の金田一耕助シリーズ」参照)により、推理小説ファン以外にも広く知られるようになる。作品のほとんどを文庫化した角川はブームに満足はせず、さらなる横溝ワールドの発展を目指す。70歳の坂を越した横溝も、その要請に応えて驚異的な仕事量をこなしていたとされる。1976年1月16日の朝日新聞夕刊文化欄に寄稿したエッセイ「クリスティと私」の中で、前年に「田中先生(平櫛田中のこと。別のインタビュー記事では「田中さん」となっている。)には及びもないが、せめてなりたやクリスティ(アガサ・クリスティ)」という戯れ歌を作ったと記している。田中が100歳の誕生日に30年分の木工材料を買い込んだというエピソードを聞いてのものであった。 実際に、この後期の執筆活動により、中絶していた『仮面舞踏会』を完成させ、続いて短編を基にした『迷路荘の惨劇』、金田一耕助最後の事件『病院坂の首縊りの家』、エラリー・クイーンの「村物」に対抗した『悪霊島』と、70代にして4作の大長編を発表している。『仮面舞踏会』は、社会派の影響を受けてか抑制されたリアルなタッチ、続く2作はブームの動向に応えて怪奇色を強調、『悪霊島』は若干の現代色も加えるなど晩年期ですら作風の変換に余念がなかった。また、小林信彦の『横溝正史読本』などのミステリー研究の対象となったのもブームとは無縁ではない。 1976年(昭和51年)勲三等瑞宝章受章。 1981年(昭和56年)12月28日、結腸ガンのため国立病院医療センターで死去した。戒名は清浄心院正覚文道栄達居士。 横溝は閉所恐怖症で、大の電車嫌いであった。電車に乗る際は必ず酒の入った水筒を首からさげ、それを飲みながら電車を乗り継いだ。時には妻とともに乗ることもあったが、その際には妻が横溝の手をずっと握っていないとダメだったという。 執筆に行き詰まった際には編み物をして気分転換をしていた。また、プロ野球・近鉄バファローズの大ファンであった。 温厚で誰に対しても偉ぶることのない人柄はブームの中でも好感を持って迎えられ、また膨大な再刊、映画化が(角川春樹事務所が管理していたとはいえ)ほとんどスルーで実現する現象につながった。多忙期に乱作したような作品も含め片っ端から文庫に収録されるので、心配した友人の西田政治らから忠告を受け、また自身もおいおい気恥ずかしくなって、「ええ加減にしてくださいよ。これ以上出すとおたく(角川文庫)のコケンにかかわりますよ。」と尻込みしたが、角川春樹に押し切られ、その結果、自身が最低と決めつけている作品でも出ると売れたことから、最高と最低を自身で決めることは僭上の沙汰ではないか、読者諸賢の審判を待つべきであると割り切ることにした。 また、晩年も酒を欠かさず、時折乱れて妻を困惑させるさまは公刊日記にそのまま記されている。 近年復刊した小林信彦の『横溝正史読本』でも触れているように、横溝は雑誌『新青年』の編集長であった。月刊誌であり、文芸誌でもあった『新青年』はこの時期の文壇を含めた文化人(たとえば茂田井武も『新青年』へ寄稿している)とクロス・オーバーする存在であり、横溝はその中心人物の1人でもあった。 戦前派作家の唯一の現役生き残りであった(しかも晩年に突如空前のブームを迎えた)こともあり、困窮し病に伏した往年の作家仲間に援助したり、再刊の口利きをしつこく頼んでくる遺族に辛抱強く応対したりする様子も、公刊日記に控えめに記されている。 昭和モダニストのたしなみ程度であるがクラシック音楽を好んだ。一般に土俗的な舞台が多いとされる横溝作品の中にも、『悪魔が来りて笛を吹く』『仮面舞踏会』『蝶々殺人事件』『迷路荘の惨劇』など、クラシック音楽がらみの長編も複数ある。その影響か、長男の横溝亮一は東京新聞記者を経て音楽評論家として重きをなしている。急逝直前のバス歌手・大橋国一との対談(新版全集収録)は亮一がセットした。 東京都世田谷区成城にあった横溝の書斎(1955年(昭和30年)頃建築)は、山梨県山梨市に移築され、2007年(平成19年)3月25日より「横溝正史館」として公開されている。 金田一耕助が登場する作品は、長短編あわせて77作(中絶作品・ジュブナイル作品等を除く)が確認されている。探偵・金田一耕助は主に東京周辺を舞台とする事件と、作者の疎開先であった岡山など地方を舞台にした事件で活躍した(岡山県以外では、作者が戦前に転地療養生活を送り、戦後は別荘を所有していた長野県や、静岡県の事件が多い)。前者には戦後都会の退廃や倒錯的な性、後者には田舎の因習や血縁の因縁を軸としたものが多い。一般的には後者の作品群の方が評価が高いようである(前者は倶楽部雑誌と呼ばれる大衆誌に連載されたものが多く、発表誌の性格上どうしても扇情性が強調されがちである)。外見的には怪奇色が強いが、骨格としてはすべて論理とトリックを重んじた本格推理で、一部作品で装飾的に用いられるケースを除いて超常現象やオカルティズムは排されている。このような特徴は、彼が敬愛する作家ジョン・ディクスン・カーの影響であるとのこと。また、薬剤師出身であるにもかかわらず、理化学的トリックは意外に少なく、毒殺の比率は高いものの薬名があっさり記述される程度である。 一旦発表した作品を改稿して発表するケースも多かった。通常このような原型作品は忘れられるものであるが、『金田一耕助』シリーズについてはそれらの発掘・刊行も進んでおり、人気の高さが窺える。創作した探偵役は他に、由利麟太郎と三津木俊助、捕物帖には人形佐七、お役者文七を主役とするシリーズがある。 金田一もの以外で重要なのは、戦前に発表された『鬼火』『蔵の中』『かいやぐら物語』などの耽美的中短編、江戸川乱歩に「横溝探偵小説の一つの頂点を為すものかも知れない」との賛辞を寄せられた戦前の長編『真珠郎』(探偵役は由利麟太郎)、坂口安吾に世界的レベルの傑作と激賞された終戦直後の純謎解き長編『蝶々殺人事件』(探偵役は由利麟太郎)、『探偵小説』『かめれおん』ほか戦後初期短編など。また、昭和初期に書かれた、洒落た中に一抹の哀愁を湛えた都会派コントの数々は、『新青年』編集長として昭和モダニズムの旗手であった横溝の一面をよく伝えている。ユーモアのセンスは後年の長編にも金田一のキャラクターをはじめ残されているが、戦後にも今日のバカミスの遠祖ともいうべき『びっくり箱殺人事件』という全編ドタバタに終始する異色長編がある。 1980年から角川書店の主催による長編推理小説新人賞、横溝正史ミステリ大賞が開始されている。 2006年6月、東京・世田谷の横溝邸から未発表の短編『霧の夜の出来事』、『犬神家の一族』などの生原稿をはじめ、横溝が小説執筆の資料に使っていたと思われる文献など、貴重な所蔵品が発見された。これらの所蔵品や資料は二松学舎大学が保管し、一般公開されることになっており、前述の『雪割草』の掲載媒体や文面を再発見したのも二松学舎大学である。 真珠郎(『新青年』1936年10月号 - 1937年2月号) 夜光虫(『日の出』1936年11月号 - 1937年6月号) 白蝋変化(『講談雑誌』1936年4月号 - 12月号) 幻の女(『富士』1937年1月号 - 4月号) 双仮面(『キング』1938年7月号 - 12月号) 仮面劇場(『サンデー毎日』1938年10月 - 11月) 蝶々殺人事件(『ロック』1946年5月号 - 1947年4月号) 憑かれた女(『大衆倶楽部』1933年10月号 - 12月号) 獣人(『講談雑誌』1935年9月号) 石膏美人(『講談倶楽部』1936年5月増刊号 - 6月号) 蜘蛛と百合(『モダン日本』1936年7月号 - 8月号) 猫と蝋人形(『キング』1936年8月号) 首吊船(『富士』1936年10月増刊号 - 11月号) 薔薇と鬱金香(『週刊朝日』1936年11月) 焙烙の刑(『サンデー毎日』1937年1月号) 鸚鵡を飼う女(『キング』1937年4月増刊号) 花髑髏(『富士』1937年6月号 - 7月号) 迷路の三人(『キング』1937年8月増刊号) 猿と死美人(『キング』1938年2月号) 木乃伊の花嫁(『富士』1938年2月増刊号) 白蝋少年(『キング』1938年4月号) 悪魔の家(『富士』1938年5月号) 悪魔の設計図(『富士』1938年6月増刊号 - 7月号) 銀色の舞踏靴(『日の出』1939年3月号) 黒衣の人(『婦人倶楽部』1939年4月号) 盲目の犬(『キング』1939年4月号) 血蝙蝠(『現代』1939年10月号) 嵐の道化師(『富士』1939年10月号) 神の矢(『ロック』1949年2月号 - 5月号) カルメンの死(『講談倶楽部』1950年1月号 - 3月号) 模造殺人事件(『スタイル読物版』1950年5月号) 本陣殺人事件(『宝石』1946年4月号 - 12月号) 獄門島(『宝石』1947年1月号 - 1948年10月号) 夜歩く(『男女』1948年2月号 - 1949年12月号) 八つ墓村(『新青年』1949年3月号 - 1950年3月号、中絶後、『宝石』1950年11月号 - 1951年1月号) 死仮面(『物語』1949年5月号 - 12月号) 犬神家の一族(『キング』1950年1月号 - 1951年5月号) 女王蜂(『キング』1951年6月号 - 1952年5月号) 悪魔が来りて笛を吹く(『宝石』1951年11月号 - 1953年11月号) 不死蝶(『平凡』1953年6月号 - 11月号) 幽霊男(『講談倶楽部』1954年1月号 - 10月号) 三つ首塔(『小説倶楽部』1955年1月号 - 12月号) 吸血蛾(『講談倶楽部』1955年1月号 - 12月号) 毒の矢(『オール讀物』1956年1月号) 死神の矢(『面白倶楽部』1956年3月号) 魔女の暦(『小説倶楽部』1956年5月号) 迷路荘の惨劇(『オール讀物』1956年8月号) 悪魔の手毬唄(『宝石』1957年8月号 - 1959年1月号) 壺中美人(『週刊東京』1957年9月号) 支那扇の女(『太陽』1957年12月号) 扉の影の女(『週刊東京』1957年12月号) 悪魔の降誕祭(『オール讀物』1958年1月号) スペードの女王(『大衆読物』1958年6月号) 悪魔の寵児(『面白倶楽部』1958年7月号 - 1959年7月号) 白と黒(『日刊スポーツ』1960年11月 - 1961年12月) 悪魔の百唇譜(『推理ストーリー』1962年1月号) 夜の黒豹(『推理ストーリー』1963年3月号) 仮面舞踏会(『宝石』1962年7月号 - 1963年2月号、中絶後、1974年『新版横溝正史全集 17』(講談社)に書き下ろし) 病院坂の首縊りの家(『野性時代』1975年12月号 - 1977年9月号) 悪霊島(『野性時代』1979年1月号 - 1980年5月号) 殺人鬼(『りべらる』1947年11月号 - 1948年2月号) 黒猫亭事件(『小説3号』1947年12月号) 黒蘭姫(『読物時事』1948年1月号 - 3月号) 車井戸はなぜ軋る(『読物春秋』1949年1月増刊号) 女怪(『オール讀物』1950年9月号) 百日紅の下にて(『改造』1951年11月号) 幽霊座(『面白倶楽部』1952年11月号 - 12月号) 花園の悪魔(『オール讀物』1954年2月号) 蜃気楼島の情熱(『オール讀物』1954年9月号) 首(『宝石』1955年5月号) 廃園の鬼(『オール讀物』1955年6月号) 七つの仮面(『講談倶楽部』1956年8月号) 華やかな野獣(『面白倶楽部』1956年12月号) トランプ台上の首(『オール讀物』1957年1月号) 泥の中の女 - (『週刊東京』1957年2月23日号 - 3月2日号) 傘の中の女 - (『週刊東京』1957年6月29日号 - 7月6日号) 貸しボート十三号(『別冊週刊朝日』1957年8月) 赤の中の女 - (『週刊東京』1958年5月3日号 - 5月10日号) 恐ろしき四月馬鹿(『新青年』1921年4月号) 山名耕作の不思議な生活(『大衆文芸』1927年1月号) 赤い水泳着(『アサヒグラフ』 1929年4月号) 芙蓉屋敷の秘密(『新青年』1930年5月号 - 8月号) ある女装冒険家の物語(『文学時代』新潮社 - 1930年5月号) 殺人暦(『講談雑誌』1931年2月号) 塙侯爵一家(『新青年』1932年7月号 - 12月号) 呪いの塔(1932年8月、新潮社) 黄色い手袋(『日曜報知』1932年8月号) 鬼火(『新青年』1935年2月号 - 3月号) 蔵の中(『新青年』1935年8月号) 薔薇王(『新青年』1936年4月号 - 5月号) 青い外套を着た女(『サンデー毎日』1937年7月) 誘蛾燈(『オール讀物』1937年12月号) 血蝙蝠(『現代』1939年10月号) 八百八十八番目の護謨の木(『キング』1941年3月号) 刺青された男(『ロック』1946年4月号) ペルシャ猫を抱く女(『キング』1946年12月号) びっくり箱殺人事件(『月刊読売』1948年1月号 - 9月号) 女が見ていた(『時事新報』1949年5月 - 10月) 不知火捕物双紙 からくり御殿(『講談雑誌』1937年4月号) 清姫の帯(『講談雑誌』1937年12月号) 人形佐七捕物帳 羽子板娘(『講談雑誌』1938年1月号) 振袖幻之丞(『講談雑誌』1940年6月号) お高祖頭巾の女(『講談雑誌』1949年1月号) 舟幽霊(『京都新聞』1953年2月号) 神隠しにあった女(『読切小説集』1953年3月号) 三人色若衆(『別冊講談倶楽部』1955年11月号) 左一平捕物帳 髑髏検校(『奇譚』1939年1月号 - 2月号) 京人形の怪(『少年少女奇譚』1939年4月号) 左近捕物帳 まぼろし小町(『日の出』1940年6月号) 左門捕物帳 水芸三姉妹(『日光』1949年8月号) 十二匹の狐(『日光』1949年11月号) 春姿七福神(『日光』1950年2月号) お役者文七捕物暦 蜘蛛の巣屋敷(『講談雑誌』1957年11月号 - 1958年8月号) 恐怖の雪だるま(『週刊漫画Times』1960年1月6日号 - 1960年1月27日号) 菊水兵談(『講談雑誌』1941年1月号) 矢柄頓兵衛戦場噺(『講談雑誌』1943年1月号) 雪割草(『新潟毎日新聞』→『新潟日日新聞』1941年6~12月) 幽霊鉄仮面(『新少年』1937年4月号 - 1938年3月号) 真珠塔(『新少年』1938年8月号 - 1939年1月号) 怪獣男爵(1948年11月、偕成社) 夜光怪人(『譚海』1949年5月号 - 1950年5月号) 大迷宮(『少年倶楽部』1951年1月号 - 12月号) 黄金の指紋(『譚海』1951年6月号 - 1952年8月号) 金色の魔術師(『少年倶楽部』1952年1月号 - 12月号) 仮面城(『小学五年生』1952年4月号 - 1953年3月号) 青髪鬼(『少年倶楽部』1953年1月号 - 12月号) 白蝋仮面(『野球少年』1953年2月号) 獣人魔島(『冒険王』1954年9月号 - 1955年6月号) 蝋面博士(1954年12月、偕成社) 風船魔人(『小学五年生』1956年4月号 - 1957年3月号) 黄金魔人(『おもしろブック』1957年1月号 - 8月号) まぼろしの怪人(『中一コース』1958年1月号 - 1959年3月号) 迷宮の扉(『中学生の友』1958年1月号 - 12月号) 姿なき怪人(『中一コース』1959年4月号 - 1960年4月号) 怪盗X・Y・Z(『中二コース』1960年5月号 - 1961年4月号) 香川照之 - 『RAMPO』(松竹) 小日向文世 - 『犬神家の一族』『八つ墓村』『女王蜂』『悪魔が来りて笛を吹く』『悪魔の手毬唄』(いずれもフジテレビドラマ) 横溝正史(本人) - 『病院坂の首縊りの家』(東宝)、『金田一耕助の冒険』(東映) 小林信彦編 『横溝正史読本』(角川文庫、1979年、2008年改版) 『横溝正史研究』(2017年に第6号発行、戎光祥出版) 中川右介 『江戸川乱歩と横溝正史』(集英社、2017年) 『血まみれ観音』 絵:高階良子 原題『夜光虫』の漫画化。1973年11月 - 1974年2月号の『なかよし』に連載。1999年に講談社漫画文庫で復刻した。 『真珠色の仮面』 絵:高階良子 原題『仮面劇場』の漫画化、1972年11月 - 12月号の『なかよし』に連載。1999年講談社漫画文庫において『血まみれ観音』に収録。 影丸譲也『八つ墓村』『悪魔が来りて笛を吹く』『霧の別荘の惨劇』 『八つ墓村』は1968 - 1969年『週刊少年マガジン』誌に連載され大ヒット。横溝ブームの先駆け的役割を果たした。単行本は何種類も発行されている。 『悪魔が来りて笛を吹く』は1979年の東映映画公開のタイアップとして、映画シナリオを元に漫画化した作品。 玄太郎『鬼火』『蔵の中』『カルメンの死』『蜘蛛と百合』 ささやななえ『獄門島』『百日紅の下にて』 つのだじろう『八つ墓村』『犬神家の一族』『悪魔の手毬唄』 岩川ひろみ『女王蜂』 いけうち誠一『犬神家の一族』『獄門島』『悪魔の手毬唄』 鳳英洋『黒猫亭事件』 掛布しげを『湖泥』『八つ墓村』『女王蜂』 JET『獄門島』『本陣殺人事件』『黒猫亭事件』『睡れる花嫁』『車井戸はなぜ軋る』『八つ墓村』『悪魔の手毬唄』『女怪』『犬神家の一族』『蝙蝠と蛞蝓』『雌蛭』『悪魔が来りて笛を吹く』『花園の悪魔』『鴉』『悪魔の寵児』『悪霊島』『面影双紙』『真珠郎』『蜘蛛と百合』『薔薇と鬱金香』 たまいまきこ『悪霊島』『女王蜂』『トランプ台上の首』 長尾文子『迷路荘の怪人』『睡れる花嫁』『不死蝶』『犬神家の一族』『本陣殺人事件』『獄門島』『悪魔の手毬唄』『八つ墓村』『鴉』 小山田いく『犬神家の一族』 田中つかさ『人形佐七捕物帳』 犬神家の一族 (那須ホテルの主人として出演、1976年) 病院坂の首縊りの家 (老推理作家として出演、1979年) 金田一耕助の冒険 (横溝先生として出演、1979年) 角川書店 角川文庫ミステリーフェア GUILTY篇(高木彬光、森村誠一と出演、1978年) ^ 大阪薬専は3年制で専攻科もなかったので、薬学得業士の称号は有さないと思われる。 ^ 世界社『富士』第5号 (1952) より。なお、該当記事には誕生日を1日ずらして5月25日としている。 ^ 清張と正史のお互いに対する考えは、松本清張#推理作家 横溝正史の項を参照。 ^ 封切り初日に、プロデューサーの葛井欣士郎から作者に「先生、ヒットです、ヒットです。あまりの観客にドアがしまらないくらいです。」と電話があり、京都でもヒットしていると監督の高林陽一から電話があった。 ^ この4作は、長野・静岡・東京・岡山と、横溝が好んで舞台にした4つの都県を一巡している。 ^ 『横溝正史読本』によれば一種のアル中だと自己診断している。 ^ 横溝正史邸から生原稿など発見される ^ 原題「迷路の花嫁」。 ^ 冒頭の2章のみで未完。 ^ 「金田一耕助シリーズ」の第1作。 ^ 「青蜥蜴」の別題あり。 ^ 「金田一耕助最後の事件」として知られる。 ^ 横溝正史による最後の長編。 ^ 横溝正史の処女作の短編。 ^ 横溝正史の最初の長編。 ^ 実写ではニューハーフ・松原留美子が姉を演じて話題になった。 ^ 主人公は不知火甚左。横溝正史の捕物帳シリーズ最初の作品。 ^ 横溝の書いた初捕物帳。西洋人が黒幕で江戸城大奥にも絡む、大掛かりな新興宗教の本山が敵というスケールの大きな作品となっている。 ^ 島抜けの直次郎(御家人くずれ)は後の「人形佐七」にも登場。 ^ 「三人羽子板娘」の別題あり。 ^ 『人形佐七捕物帳1 嘆きの遊女』嶋中文庫(2005年)収録 ^ 「振袖幻之嬢」の別題あり。 ^ 振袖を着た女装美少年・幻之丞(実は大身直参の正室(江戸御前)の息子)登場。直参の隠し子で女装の美男という設定は、のちの女装の女狂言師「お美乃(舞台で男役の時は坂東蓑次)」として敵の屋敷に潜入する「お役者文七」に引き継がれている。 ^ 『横溝正史時代小説コレクション-捕物篇2』出版芸術社(2004年)収録 ^ 『人形佐七捕物帳全集8(新装版)』春陽文庫(1984年)収録 ^ 謎の怪人・髑髏検校(ドラキュラの翻案とも)が登場する怪異時代長編。 ^ 『髑髏検校』角川文庫 緑304-19(1975年)収録 ^ 花吹雪左近が難事件に挑む。 ^ 旗本・服部左門を主人公にした捕物帳。 ^ - 性別を問わず変装できる美男・お役者文七(正体は大身直参のご落胤)を中心に、だるま親分・その妻でお吉・女装姿の文七に惚れるお小夜などが活躍する推理群像劇。 ^ 第一長編。中村錦之介主演で映画化(東映『お役者文七捕物暦 蜘蛛の巣屋敷』1959年)。 ^ “昭和随一の流行作家は超遅咲き 横溝正史”. 本の話WEB (2011年7月11日). 2016年6月12日閲覧。 ^ a b 『横溝正史読本』(小林信彦・編、角川文庫、2008年改版) 「年譜」参照。 ^ 横溝正史、幻の長編小説「雪割草」見つかる…金田一耕助の“モデル”も登場『産経新聞』朝刊2017年12月22日 ^ 『真説 金田一耕助』(横溝正史著、角川文庫、1979年) 「小説と映画 I」参照。 ^ 『真説 金田一耕助』(横溝正史著、角川文庫、1979年) 「勲章を貰う話」参照。 ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)351頁 ^ 『真説 金田一耕助』(横溝正史著、角川文庫、1979年) 「最高と最低」参照。 ^ 『真説 金田一耕助』ハードカバー版参照。 ^ 戎光祥出版から2018年3月8日に刊行。 ^ 横溝正史研究 6戎光祥出版(2017年12月22日閲覧) ^ 『ACC CM年鑑'79』(全日本CM協議会編集、誠文堂新光社、1979年 44頁) 神戸文学館 日本における検閲 真備町 - 戦時中の疎開先。「倉敷市横溝正史疎開宅」として当時の家が残されている。 金田一耕助 船穂町 - 父親の出身地 梁場山城 横溝武夫 - 異母弟、兄の正史と同じく『新青年』の編集長をつとめた。 岩田準一 - 交流があった。 横溝正史館(山梨市) 橫溝正史エンクロサイペディア 横溝正史 - NHK人物録
横溝正史
西村望
西村 望(にしむら ぼう、1926年(大正15年)1月10日 - )は、日本の小説家。名前の本名での読みは「のぞむ」。弟は小説家の西村寿行である。 1926年(大正15年)1月10日、香川県香川郡雌雄島村大字男木(男木島、現・香川県高松市男木町)にて出生。 大連市乙種工業高等学校を卒業後、南満州鉄道で社員として勤務した。多方面でマスコミ関係を活躍、四国の観光ガイドなどの著書を出した後、1978年に『鬼畜』で52歳にして小説家として遅咲きデビューを果たした。1980年『薄化粧』、1981年『丑三つの村』、1988年『刃差しの街』で3度直木賞候補になるも受賞にはならなかったが、『丑三つの村』はヒット作となった。 1986年に『犬死にせしもの』が井筒和幸により映画化された。 また1992年には『火の蛾』を元にした「死んでもいい」が石井隆監督で映画化されている。 当初は現代ものの犯罪小説を書いていたが、のち時代ものの捕物を書くようになった。 『四国 観光百科』(山と溪谷社(アルパインガイド) 1966年 - ) 『山陽・瀬戸内海 列車とマイカー 気まぐれ途中下車』(一水社(かもめ新書) 1967年) 『カラー四国』(山と溪谷社(山溪カラーガイド 1968年) 『四国遍路 八十八カ所霊場めぐり』(保育社(カラーブックス) 1968年) 『四国・小豆島・淡路島』(山と溪谷社(アルパインガイド) 1970年 - ) 『霊の国家 二二六事件遺墨集』(編著、日本国憂会 1970年2月) 『私の野鳥記』(山と溪谷社・新書 1972年) 『瀬戸内海と山陽』(山と溪谷社(山溪カラーガイド) 1972年) 『鬼畜 阿弥陀仏よや、おいおい』(立風書房 1978年5月 のち徳間文庫) 『水の縄』(立風書房 1978年10月 のち徳間文庫) 『蜃気楼』(立風書房 1979年5月 のち徳間文庫) 『火の蛾』(立風書房 1980年3月 のち徳間文庫) 『薄化粧』(立風書房 1980年8月 のち文春文庫、徳間文庫) 『丑三つの村』(毎日新聞社 1981年7月 のち徳間文庫) 『無宿人の墨縄』(講談社 1981年11月 のち講談社文庫) 『誰かが裁く』(トクマ・ノベルズ 1981年10月 のち徳間文庫) 『いちろべが憎い』(立風書房 1982年8月 のち徳間文庫) 『犬死にせしものの墓碑銘』(トクマ・ノベルズ 1982年9月 のち『犬死にせしもの』に改題、徳間文庫) 『消えない焔』(毎日新聞社 1983年11月 のち徳間文庫) 『野性との訣れ』(東京ブレインズ 1983年10月 のち徳間文庫) 『地鳴りの家』(講談社ノベルス 1983年2月 のち講談社文庫) 『風の辻』(講談社 1983年5月 のち『風の墓』に改題、講談社文庫) 『潜める蠍』(トクマ・ノベルズ 1983年6月 のち徳間文庫) 『幻の指』(立風書房 1984年6月 のち徳間文庫) 『もう日は暮れた』(立風書房 1984年10月 のち徳間文庫) 『弦のない弓』(徳間書店 1984年1月 のち徳間文庫) 『獣よ業火に吼えろ』(広済堂出版(blue books) 1985年3月 のち広済堂文庫) 『邪悪の華』(広済堂文庫 1985年7月) 『風の墓』(徳間書店 1985年5月 のち徳間文庫) 『虫の記』(立風書房 1985年8月 のち徳間文庫) 『夜の陽炎』(広済堂文庫 1986年5月) 『爪』(毎日新聞社 1986年7月 のち徳間文庫) 『幻灯』(徳間書店 1986年8月 のち文庫) 『流亡』(サンケイ出版 1987年1月 のち光文社文庫) 『柳絮の村』(広済堂出版 1987年7月 のち天山文庫、徳間文庫) 『夜の記憶』(広済堂文庫 1987年9月) 『西村望の四国遍路の旅』(徳間書店 1987年10月) 『風の別れ』(光文社文庫 1988年12月) 『死者からの年賀状』(立風ノベルス 1988年9月 のち『供述書』に改題、天山文庫) 『闇の風』(天山文庫 1988年11月) 『風分けて時次郎』(徳間書店 1988年1月 のち徳間文庫) 『奈落の華』(天山文庫 1988年2月) 『刃差しの街』(立風書房 1988年4月 のち光文社文庫) 『終着駅』(光文社文庫 1988年4月) 『遥かなる風煙』(実業之日本社 1988年4月 のち徳間文庫) 『火食鳥は飛んだ』(扶桑社 1988年3月 のち『密謀』に改題、光文社文庫) 『風よ迷路を吹き抜けよ』(光文社文庫 1988年9月) 『砂嵐』(徳間書店 1989年1月 のち徳間文庫) 『無人駅』(光文社文庫 1989年9月) 『狐の嫁入り』(広済堂文庫 1989年6月) 『海の凧』(光文社 1990年4月 のち『密航船』に改題、光文社文庫) 『悪行 犯罪ドキュメンタリー・ノベル』(祥伝社(ノン・ポシェット) 1990年2月) 『狐火』(徳間書店 1990年7月 のち徳間文庫) 『犯』(飯干晃一と共著 天山出版 1990年8月) 『標灯』(広済堂出版(blue books) 1990年1月 のち広済堂文庫) 『闇の河』(天山文庫 1990年11月 のち『毒牙』に改題、祥伝社(ノン・ポシェット)) 『最終列車』(光文社文庫 1991年8月) 『冬の蛍烏賊』(勁文社 1991年8月 のちケイブンシャ文庫) 『夏の虫』(立風書房 1991年2月 のちケイブンシャ文庫) 『北に向く風』(広済堂出版(blue books) のち『逃亡』に改題、広済堂文庫) 『一椀の水のゆえに 妻敵討ち綺談』(徳間書店 1991年11月 のち『妻敵討ち綺談』に改題、徳間文庫) 『蟻地獄 犯罪ドキュメンタリー・ノベル』(祥伝社(ノン・ポシェット) 1992年3月) 『煉獄無宿 明治悪党伝』(広済堂出版 1992年5月 のち『風吹き鴉』に改題、広済堂文庫) 『密猟船』(光文社文庫 1992年6月) 『風待草』(立風書房 1993年7月) 『還らぬ鴉 直心影流孤殺剣』(講談社 1993年2月) 『目明し文吉』(徳間文庫 1993年9月) 『修羅の孤島』(広済堂出版(blue books) 1993年4月) 『夜に哭く風』(コスモノベルス 1993年10月) 『人斬り新兵衛』(徳間書店 1993年4月 のち徳間文庫) 『外道』(祥伝社(ノン・ポシェット) 1993年4月) 『壊れた筏』(勁文社ノベルス 1994年10月) 『おんな経』(徳間書店 1994年1月 のち『女の電車』に改題、徳間文庫) 『事情ありき』(徳間文庫 1994年3月) 『鬼行』(祥伝社(ノン・ポシェット) 1994年6月) 『元禄十五年の亡霊』(徳間書店 1994年12月 のち『元禄四谷怪談』に改題、徳間文庫) 『義士の群れ』(忠臣蔵銘々伝 巻の1、2) (広済堂出版 1995年 - 1997年 のち広済堂文庫) 『猟色』(祥伝社(ノン・ポシェット) 1995年3月) 『黄泉の国は比良坂まで (徳間文庫 1995年9月) 『悪食』(祥伝社(ノン・ポシェット) 1995年7月) 『裏稼ぎ 莨屋文蔵御用帳』(光文社文庫 1996年11月) 『後家鞘 莨屋文蔵御用帳』(光文社文庫 1997年8月) 『贋妻敵 莨屋文蔵御用帳』(光文社文庫 1999年1月) 『蜥蜴市 莨屋文蔵御用帳』(光文社文庫 2001年6月) 『茶立虫 莨屋文蔵御用帳』(光文社文庫 2002年11月) 『魔戯』(祥伝社(ノン・ポシェット) 1996年12月) 『性悪』(祥伝社(ノン・ポシェット) 1996年2月) 『御用銀隠密』(徳間書店 1996年1月 のち『隠密鴉』に改題、徳間文庫) 『永らうべきや』(徳間文庫 1997年9月) 『崖っぷち』(祥伝社(ノン・ポシェット) 1998年6月) 『密通不義 江戸犯姦録』(祥伝社文庫 1999年9月) 『姦にて候 妻敵討ち綺談』(徳間文庫 1999年10月) 『溺色』(徳間文庫 2000年6月) 『血戦! 遺恨・鍵屋ノ辻』(徳間文庫 2000年9月) 『姦計』(祥伝社文庫 2000年3月) 『八州廻り御用録』(祥伝社文庫 2001年3月) 『草の根分けても』(徳間文庫 2002年10月) 『風の宿 川ばた同心御用扣』(光文社文庫 2003年4月) 『置いてけ堀 川ばた同心御用扣 2』(光文社文庫 2004年9月) 『左文字の馬 川ばた同心御用扣 3』(光文社文庫 2005年4月) 『梟の宿 川ばた同心御用扣 4』(光文社文庫 2006年1月) 『江戸の黒椿 川ばた同心御用扣 5』(光文社文庫 2008年1月) 『唐人笛 川ばた同心御用扣 6』(光文社文庫 2009年12月) 『辻の宿 川ばた同心御用扣 7』光文社文庫 2011 『逃げた以蔵』(祥伝社文庫 2003年4月) 『風の大菩薩峠 文政わけあり道中』(学研M文庫 2003年9月) 直木賞候補作(西村望)
西村望
大谷羊太郎
大谷 羊太郎(おおたに ようたろう、1931年2月16日 - )は、日本の小説家、推理作家。本名、大谷一夫。東大阪市生れ、埼玉県浦和市(現:さいたま市浦和区)出身。埼玉県立浦和高等学校卒、慶應義塾大学国文科中退。 大学在学中にプロミュージシャンとしてデビュー。後、「秀和プランニング」で克美しげるのマネージャー。1966年、『四つのギター』が第12回江戸川乱歩賞候補(本名で投稿)。1968年、第15回乱歩賞候補の『死を運ぶギター』(『美談の報酬』改題)でデビュー。翌年には『虚妄の残影』で再び乱歩賞候補、その翌年に『殺意の演奏』で第16回乱歩賞を受賞。 芸能界での生活を活かし、芸能界を舞台とした密室もので広く読者を獲得。八木沢警部補という名探偵を創り出した。共同覆面作家・鷹見緋沙子の一員(ほかは草野唯雄、天藤真)。代表作に、『真夜中の殺意』『悪人は三度死ぬ』など。 小説家に憧れていた母親によって、子供のころから新聞小説を読まされていたが、当初は小説家になる気は起きなかったという。大学時代は純文学に傾倒。終戦後、アメリカ音楽に心酔し、スチールギターを弾くようになる。父の破産後はバンドマンとなり、芸能界入り。 だが、「浮草稼業」から脱却するため、江戸川乱歩賞に応募するようになる。三回落選の後、『殺意の演奏』でようやく受賞。社会派ミステリーが全盛で、トリック主体のものが冷遇されていた中で、森村誠一、斎藤栄らとともに謎解き中心の作品群を発表した。その後、サスペンスに転じ、現在は旅情ミステリーものを主に書いている。 現在、さいたま文藝家協会賞選考委員を務める。また、さいたま市スポーツ文学賞(旧「浦和スポーツ文学賞」)では1994年の賞創設当時から選考委員を続けている。 殺意の演奏 講談社 1970 のち文庫 虹色の陥穽 講談社 1971 のち文庫 死を運ぶギター 青樹社 1972 「死を奏でるギター」新潮文庫 モーニングショー殺人事件 サンケイノベルス 1972 旋律の証言 講談社 1972 のち集英社文庫  虚妄の残影 毎日新聞社 1972 のち徳間文庫 死の部屋でギターが鳴った 弘済出版社 1973 のち徳間文庫  殺人変奏曲 光文社 1973 (カッパ・ノベルス) のち文庫  殺人航路 サンケイノベルス 1973 のち講談社文庫 ひかり号で消えた 青樹社 1973 スキャンダル殺人事件 桃園書房 1974 殺人予告状 青樹社 1975 のち徳間文庫 御神火殺人事件 ベストブック社 1975 深夜の訪問者 光文社 1975 (カッパ・ノベルス) のち文庫 予告自殺 ベストブック社 1976 華麗なる惨劇 集英社 1977 のち文庫  花園の捜索者 集英社 1977 盗まれた完全犯罪 講談社 1977 のち文庫 偽装他殺 トクマ・ノベルズ 1978 青春の仮免許 祥伝社 1979 (ノン・ノベル) 「5秒間の空白」 複合誘拐 光文社 1980 (カッパ・ノベルス) のち文庫  青春の免許証 祥伝社 1980 (ノン・ノベル) コンサート殺人事件 トクマ・ノベルズ 1981 悪の協奏曲 講談社 1981 二千万人が見ていた もう一つの密室殺人事件 祥伝社 1982 (Non novel) 「120秒の死角」 三角形殺人事件 トクマ・ノベルズ 1982 ダブル・フェイス 光文社文庫 1984 早坂家の崩壊 講談社ノベルス 1984 偽装スキャンダル カラオケパーティ殺人事件 講談社ノベルス 1985 真夜中の殺意 新潮文庫 1985 セクシー・ギャル殺人事件 犯人当てミステリー 山村正夫共著 サンケイノベルス 1985 狙われた夜警たち 桃園文庫 1986 玉虫色の殺意 フタバノベルス 1986 のち文庫  殺意の集う夜 光文社文庫 1987 悪人は三度死ぬ 光文社 1987 (カッパ・ノベルス) のち文庫  スタジオの怪事件 徳間文庫 1988 連鎖殺人0秒の暗合 トクマ・ノベルズ 1988 殺意の誘い 光文社文庫 1988 邪魔な男 光文社文庫 1988 その夜の三人 鏡文字9の謎 祥伝社 1988 (ノン・ポシェット) 大密室殺人事件 光文社 1989 (カッパ・ノベルス) 「幻の女」殺人事件 トクマ・ノベルズ 1989 目撃者は二人いた 佐和子の推理メモ 扶桑社 1989 見えない探偵 広済堂出版 1989 真面目すぎた男 光文社文庫 1989 伊豆-猪苗代W殺人 大陸書房 1989 のち文庫  生れ変った男 光文社文庫 1989 殺人の二重罠 立風書房 1989 (Rippu novels) 北の聖夜殺人事件 大陸書房 1989 濡衣を着る男 光文社文庫 1990 完全密室殺人事件 大陸書房 1990 尾瀬草紅葉殺人事件 中央公論社 1990 (C★NOVELS) 悲鳴 光文社文庫 1990 越後七浦殺人海岸 入れかわった死体 光文社 1990 (カッパ・ノベルス) のち文庫  脅迫状はレモンの香り トクマ・ノベルズ 1990 西麻布紅の殺人 光文社 1990 (カッパ・ノベルス) のち文庫 伊豆高原殺人事件 大陸書房 1990 鳥羽・葛西水族館殺人事件 中央公論社 1991 (C★NOVELS) ラベンダーの殺意 大陸書房 1991 やまびこ129号逆転の不在証明 立風書房 1991 (Rippu novels) 死者の誘拐 大陸書房 1991 東京青森夜行高速バス殺人事件 札幌大通公園80秒の謎 光文社 1991 (カッパ・ノベルス) 年齢差殺人事件 光文社文庫 1991 「秩父山景」三層の死角 フタバノベルス 1991 のち文庫  瀬田の唐橋殺人事件 フタバノベルス 1992 のち文庫  恋愛迷宮殺人事件 トクマ・ノベルズ 1992 横浜・佐世保港灯り殺人事件 中央公論社 1992 (C★NOVELS) 神戸異人館恋の殺人 中央公論社 1992 (C★NOVELS) 奥州平泉殺人事件 フタバノベルス 1992 のち文庫 午前三時の殺人者 広済堂出版 1992 大密室殺人事件 光文社文庫 1992 泥棒貴族裏金を狙え 立風書房 1993 (Rippu novels) 宮崎竜宮伝説の殺人 フタバノベルス 1993 花文字の憎悪 祥伝社 1993 (Non novel) 悪の相続人 角川ノベルス 1993 狙われた女 広済堂出版 1993 幽霊殺人事件 日本文芸社 1994 (日文ノベルス) 二重アリバイ三重奏 光文社文庫 1994 失踪殺人事件 日本文芸社 1994 (日文ノベルス) 佐渡金山死文字の謎 フタバノベルス 1995 六十歳革命 光文社文庫 1995 「生涯現役のすすめ」ふたばらいふ新書 伊豆修善寺魔王の謎 フタバノベルス 1996 大いなる錯覚殺人事件 日本文芸社 1996 (日文ノベルス) 年齢とともに幸せになる生き方 人生は右肩あがりで行こう PHP研究所 1997 姫路・龍野殺意の詩 フタバノベルス 1997 のち文庫 殺人予告状は三度くる 光文社文庫 1997 浅間嬬恋殺人迷路 青樹社 1997 成功術殺人事件 双葉社 1998 牡丹灯籠殺人事件 勁文社文庫 1998 信州安曇野殺意の絆 フタバノベルス 1998 のち文庫 完全犯罪学講義 青樹社 1998 (Big books) 関越自動車道殺意の逆転 青樹社 1999 (Big books) 加賀金沢殺意の刻 フタバノベルス 1999 のち文庫  奈良・斑鳩の里殺意の径 フタバノベルス 1999 のち文庫  大谷羊太郎集 リブリオ出版 1999 (げんだいミステリーワールド 第2巻) 奥琵琶湖羽衣殺人事件 フタバノベルス 2000 東伊豆殺人事件 ハルキ文庫 2000 安芸の宮島殺意の杜 フタバノベルス 2000 のち文庫 伊勢・鳥羽殺人事件 フタバノベルス 2001 京都三年坂殺人事件 フタバノベルス 2001 南軽井沢殺意の館 双葉文庫 2002 伊豆恋人岬殺意の砂 フタバノベルス 2002 尾州白帝城殺意の旅情 フタバノベルス 2002 信州千曲川殺意の旅情 フタバノベルス 2002 瀬戸尾道殺意の迷路 フタバノベルス 2003 信州諏訪湖殺人事件 コスミック出版 2003 (コスミック・ミステリー文庫) 信濃黒姫殺人事件 コスミック出版 2003 (コスモノベルス) 京都橋姫殺人事件 コスミック出版 2003 (コスモノベルス) 三河伊良湖殺意の岬 フタバノベルス 2004 甲府昇仙峡殺人事件 有楽出版社 2004 (Joy novels) 信州高遠殺人事件 有楽出版社 2004 (Joy novels) 下関仙崎・愛と殺意の港 有楽出版社 2005 (Joy novels) 奥久慈・愛と殺意の滝 有楽出版社 2005 (Joy novels) 月夜野殺人事件 有楽出版社 2006 (Joy novels) 浜名湖オルゴール殺人事件 有楽出版社 2006 (Joy novels) 杜の都マジック殺人事件 有楽出版社 2007 (Joy novels) 名古屋ベネチアングラス殺人事件 有楽出版社 2007 (Joy novels) 出雲松江白兎神話殺人事件 有楽出版社 2007 (Joy novels) 神戸ステンドグラス殺人事件 有楽出版社 2007 (Joy novels) 岡山桃太郎伝説殺人事件 有楽出版社 2008 (Joy novels) 三保の松原天女伝説殺人事件 有楽出版社 2008 (Joy novels) ^ [1]
大谷羊太郎
高木彬光
高木 彬光(たかぎ あきみつ、1920年9月25日 - 1995年9月9日)は日本の推理小説作家。本名は高木 誠一。津軽方言詩人・医師の高木恭造の甥に当たる。 青森県青森市生まれ。4代続いた医者の家系だった。幼少時に母親と死別。 旧制青森中学校(現青森県立青森高等学校)から四修で第一高等学校理科乙類に入学。東京帝国大学理学部化学科の受験に失敗し、京都帝国大学薬学部に進んだが1年で中退、京都帝国大学工学部冶金学科卒。 非嫡出子として生まれ、一高入学の年に父親が亡くなり、家は破産して一家は離散し、親族からの援助で学業を続けた。その暗い生い立ちのせいもあってか「出身地・青森」には生涯思い入れを見せなかった。 京大卒業後、中島飛行機に就職したが太平洋戦争終結に伴い職を失う。1947年、骨相師の勧めにより小説家を志し、出来上がった長編『刺青殺人事件』が江戸川乱歩に認められて、翌1948年に出版の運びとなり、推理作家としてデビュー。 他、代表作に『能面殺人事件』(1950年、第3回探偵作家クラブ賞受賞)、『わが一高時代の犯罪』(1951年)、『人形はなぜ殺される』(1955年)、『成吉思汗の秘密』(1958年)、『白昼の死角』(1960年)、『破戒裁判』(1961年)など。主要作品に登場する探偵は神津恭介(かみづきょうすけ)。そのほか百谷泉一郎弁護士・霧島三郎検事など、魅力的な探偵キャラクターの創造で知られる。推理小説だけでなく、時代小説・SF小説(架空戦記を含む)・少女向け小説も執筆している。 易、占いに通じていたことでも知られ、易に関する著作もある。また大学時代に学んだ冶金学の知識を生かし、秋田県で鉱山の発掘に熱中したこともあった。将棋も趣味であり、文壇名人戦の常連であった。 晩年は脳梗塞を幾度も発症し、その後遺症に苦しみ、闘病記『甦える』も執筆している。 「謎の美人易者」として一世を風靡した黄小娥の大ファンであった。手相にも詳しく、昭和56年には角川文庫より「手相占い」が出版された。 『成吉思汗の秘密』 、『邪馬台国の秘密』および『古代天皇の秘密』は、いずれも神津恭介が入院中の退屈しのぎに歴史上の謎に挑むという長編小説であり、これらの作品は、ジョセフィン・テイの『時の娘』(1951年)に端を発した病院のベッドで動けない探偵が極めて限られた情報から推理する「ベッド・ディティクティヴ」という形式をとっている。 『成吉思汗の秘密』において、義経=ジンギスカン説とする論理の弱さや矛盾点を海音寺潮五郎に批判される。高木は表立った反論は行わず、作品を改訂した際に神津恭介が「ある歴史小説家」への回答を行うくだりを追加した。 坂口安吾の未完成の推理小説『復員殺人事件』を、安吾の死後『樹のごときもの歩く』と改題して書き継ぎ、1957年(昭和32年)12月から翌1958年(昭和33年)4月に『宝石』に連載して完結させた。 山田風太郎とは年齢・境遇が近かったこともあって親しく、高木がアイディアを出して山田が執筆した合作『悪霊の群』がある。互いの死去時の葬儀委員長を約束していたが、高木の死去時に山田も大病を患っており、果たせなかった。 作品の参考にするため刑法・刑事訴訟法にはかなり通じており、丸正事件で被疑者以外の人物を真犯人として名指しし名誉毀損で訴えられた弁護士正木ひろしの特別弁護人を引き受けたこともある。 刺青殺人事件 岩谷書店 1951 のち角川文庫、光文社文庫、ハルキ文庫、「白雪姫」角川文庫 呪縛の家 和同出版社 1954 のち角川文庫、光文社文庫 魔弾の射手 東方社 1955 のち角川文庫 地獄の舞姫 - 未完の作品。 わが一高時代の犯罪 岩谷書店 1951 のち角川文庫、光文社文庫、ハルキ文庫 - 神津恭介の最初の事件 白妖鬼 東方社 1955 のち角川文庫 悪魔の嘲笑 東京文芸社 1957 のち角川文庫 人形はなぜ殺される 大日本雄弁会講談社 1955 のち角川文庫、光文社文庫、ハルキ文庫 死を開く扉 東京文芸社 1957 のち角川文庫 成吉思汗の秘密 光文社 1958 のち角川文庫、光文社文庫、ハルキ文庫 白魔の歌 光風社 1961 のち角川文庫 火車と死者 講談社 1959 のち角川文庫 死神の座 講談社 1960 のち角川文庫、光文社文庫 邪馬台国の秘密 光文社 1973 (カッパ・ノベルス) 狐の密室 徳間ノベルス 1977.7 のち角川文庫 - 大前田英策との共演 古代天皇の秘密 神津恭介シリーズ 角川ノベルズ 1986.10 のち文庫 七福神殺人事件 角川ノベルズ 1987.11 のち文庫 神津恭介への挑戦 出版芸術社 1991.7 - 平成三部作 神津恭介の復活 出版芸術社 1993.9 神津恭介の予言 出版芸術社 1994.9 - 平成三部作の三作目。 妖婦の宿 東方社  1955 のち角川文庫、春陽文庫 死美人劇場 東方社 1955 のち角川文庫、春陽文庫 血ぬられた薔薇 東方社 1955 のち角川文庫、春陽文庫 邪教の神 東方社 1956 のち角川文庫、「私は殺される」春陽文庫 眠れる美女 和同出版社 1956 蛇の環 東京文芸社 1957 目撃者 東京文芸社 1959 影なき女 神津恭介事件簿 アサヒ芸能出版 1964 (平和新書) のち角川文庫 - 中編の代表作。 出獄 神津恭助推理ノート 桃源社 1965 (ポピュラー・ブックス) これが法律だ 神津恭介推理ノート 桃源社 1965 (ポピュラー・ブックス) 盲目の奇蹟 神津恭介推理ノート 桃源社 1966 (ポピュラー・ブックス) 殺人シーン本番 神津恭介推理ノート 桃源社 1967 (ポピュラー・ブックス)のち春陽文庫 紫の恐怖 桃源社 1969 (ポピュラー・ブックス) 幽霊の顔 桃源社 1969 (ポピュラー・ブックス) 幽霊の血 桃源社 1977.5 (ポピュラー・ブックス) 首を買う女 神津恭介シリーズ 角川ノベルズ 1986.11 のち文庫 神津恭介の回想 出版芸術社 1996.6 初稿・刺青殺人事件 扶桑社文庫 2002.11 悪魔の山 神月堂, 2004.12 (神津恭介シリーズ未収録短編集 1) 浮気な死神 東方文芸社 1957 お前の番だ 東京文芸社 1958 三尺の墓 東京文芸社 1958 幽霊復活 東京文芸社 1959 「二十三歳の赤ん坊」角川文庫 悪魔の火祭 桃源社 1958 のち角川文庫 黒魔王 東京文芸社 1959 大前田探偵局事件簿 同光社出版 1959 断層 桃源社 1959 のち角川文庫 暗黒街の鬼 東京文芸社 1960 東京秘密探偵局 章書房 1960 秘密探偵局捜査メモ 第1-2 雄山閣出版 1961 秘密探偵局捜査メモ 第3 青樹社 1965 暗黒街の帝王 大前田英策推理ノート 桃源社 1966 (ポピュラー・ブックス) 魔炎 大前田英策推理ノート 桃源社 1966 (ポピュラー・ブックス) 恐怖の蜜月 大前田英策推理ノート 桃源社 1967 (ポピュラー・ブックス) のち角川文庫 暗黒街の密使 日本文華社、1975 「魔の首飾」角川文庫 恋は魔術師 角川文庫 1986.6 姿なき女 大前田英策シリーズ 角川ノベルズ 1987.3 のち文庫 人蟻 森脇文庫 1960 のち角川文庫、光文社文庫 破戒裁判 東都書房 1961 のち角川文庫、光文社文庫 誘拐 光文社 1961 (カッパ・ノベルス) のち角川文庫、光文社文庫 追跡 光文社 1962 (カッパ・ノベルス) のち角川文庫 遺言書 1962 - 百谷夫妻もの唯一の短編。 失踪 講談社 1964 のち角川文庫 法廷の魔女 講談社 1965 のち角川文庫 脅迫 双葉新書 1967 のち角川文庫 黒白の虹 光文社 1963 (カッパブックス) のち角川文庫 捜査検事 光文社 1964 (カッパ・ノベルス) のち角川文庫 - 高橋英樹主演で「捜査検事・近松茂道」としてテレビドラマ化。 波止場の捜査検事 光文社 1966 (カッパ・ノベルス) のち角川文庫 偽装工作 光文社 1966 (カッパ・ノベルス) のち角川文庫 黒白の囮 読売新聞社 1967 のち角川文庫、光文社文庫 最後の自白 近松検事シリーズ 光文社 1967 (カッパ・ノベルス) のち角川文庫 霧の罠 光文社 1968 (カッパ・ノベルス) のち角川文庫、光文社文庫 追われる刑事 光文社 1969 (カッパ・ノベルス) のち角川文庫、光文社文庫 検事霧島三郎 光文社 1964 (カッパ・ノベルス) のち角川文庫、光文社文庫 密告者 光文社 1965(カッパ・ノベルス) のち角川文庫、光文社文庫 ゼロの蜜月 光文社 1965 (カッパ・ノベルス) のち角川文庫、光文社文庫 都会の狼 光文社 1966 (カッパ・ノベルス) のち角川文庫、光文社文庫 炎の女 光文社 1967 (カッパ・ノベルス) のち角川文庫、光文社文庫 復讐保険 桃源社 1970 (ポピュラー・ブックス) 検事霧島三郎の記録 双葉新書 1970 灰の女 光文社 1970 (カッパ・ノベルス) のち角川文庫、光文社文庫 幻の悪魔 光文社カッパノベルス、1975 のち角川文庫、光文社文庫 二幕半の殺人 角川文庫 1976 花の賭 双葉新書 1970 のち角川文庫 被害者を探せ 検事霧島三郎 双葉社 1996.7 裂けた視覚 光文社 1969 (カッパ ノベルス) のち角川文庫 女か虎か 双葉新書 1970 のち角川文庫 - リチャード・ストックトンのリドル・ストーリー「女か虎か」に因む。 黄金の鍵 光文社 1970 (カッパ・ブックス) のち角川文庫、光文社文庫 - 名探偵待望論に応えたシリーズ。 一.二.三-死 光文社 1974 (カッパ・ノベルス) のち角川文庫、光文社文庫 - 鬼の数え歌による見立て殺人。他に類を見ない殺人の動機。 大東京四谷怪談 立風書房 1976 のち角川文庫、光文社文庫 現代夜討曽我 光文社 1987.6 (カッパ・ノベルス)のち文庫 仮面よ、さらば 墨野隴人シリーズ 角川ノベルズ 1988.5 のち文庫、光文社文庫 - 1988年に本作を発表し、引退を宣言。 能面殺人事件 岩谷書店 1951 のち春陽文庫、角川文庫、双葉文庫 高木の第二長編。 第3回探偵作家クラブ長編賞受賞 復讐鬼 東京文芸社 1955 ※『神秘の扉』と改題して、浪速書房 1960 のち角川文庫 幽霊西へ行く 東方社 1955 のち角川文庫 1986 五つの連作 東方社 1955 のち角川文庫 1986 - 雑誌「週刊朝日別冊」の企画で、5回にわたって犯人当て作品を載せて解答を募り、正解者各1名に抽選でスポンサーから賞品が提供される企画。 殺人パラドックス 死人は筆を選ぶ 時計はウソ発見機 苦労性な犯人 自動車収集狂 ボルヂア家の毒薬 東方社 1956 「猟奇の都」角川文庫 私の殺した男 和同出版社 1958 のち角川文庫 白昼の死角 光文社 1960 (カッパ・ノベルス) のち角川文庫、光文社文庫 - 1979年に映画化、テレビドラマ化されて話題となった。夏木勲など。 展覧会の絵 東京文芸社 1962 肌色の仮面 光文社 1962 (カッパ・ノベルス) のち角川文庫 占い推理帖 文藝春秋新社 1963 (ポケット文春) 羽衣の女 東京文芸社 1966 のち角川文庫 脱獄死刑囚 桃源社 1966 (ポピュラー・ブックス) 犯罪の環 桃源社 1966 (ポピュラー・ブックス) 占い推理帖 人相篇 文藝春秋 1966 (ポケット文春) 青銅の顔の女 桃源社 1967 (ポピュラー・ブックス) 帝国の死角 上下 角川文庫 1978 天皇の密使 帝国の死角 第1部  光文社 1971 (カッパ・ノベルス) 神々の黄昏 帝国の死角 第2部  光文社 1972 (カッパ・ノベルス) 神曲地獄篇 光文社 1973 (カッパ・ノベルス) のち角川文庫 ミイラ志願 光文社 1973 (カッパ・ノベルス) のち角川文庫 巨城の破片・万華の断片 角川書店 1979.1 のち文庫 殺意 角川文庫 1979.4 刺青物語 角川文庫 1983.4 妖術師 角川文庫 1987.6 幽霊の血-わが愛しき探偵たち- 新芸術社、1989 「五人の探偵たち」 光文社文庫 1991.4 朱の奇跡-わが愛しき探偵たち (2)- 出版芸術社、1991 「帰ってきた探偵たち」光文社文庫 1992.4 真犯人 天山文庫 1992.1 骸骨島 復刻版 神月堂 2002.7 夜の皇帝・深夜の魔王 神月堂 2003.8 素浪人奉行 東京文芸社 1953 のち春陽文庫 紅地獄絵巻 東京文芸社 1954 蛇神様 東京文芸社 1954 のち角川文庫、春陽文庫 怪盗白面鬼 東京文芸社 1954 どくろ観音 千両文七捕物帳 同光社 1954 のち春陽文庫 新選組 偕成社 1955 (実録時代小説) あばれ振袖 正続 東京文芸社 1955-56 のち春陽文庫 - 中村錦之助主演で映画化。 千両文七 東方社 1956 「刺青の女」春陽文庫 血髑髏組 東京文芸社 1956 「血どくろ組」春陽文庫 折鶴秘帖 同光社 1956 のち春陽文庫 振袖剣光録 東京文芸社 1956 のち春陽文庫 妖説地獄谷 東京文芸社 1956 のち春陽文庫 振袖夜叉 東京文芸社 1957 のち春陽文庫 御用盗変化 東京文芸社 1957 のち春陽文庫 あばれ千両肌 同光社出版 1957 鼠六匹二万両 和同出版社 1957 刺青一代女 東京文芸社 1957 無想剣進上 和同出版社 1957 のち春陽文庫 鬼来也 正続 東京文芸社 1958 のち春陽文庫 青貝進之丞人斬控 東京文芸社 1958 小太郎の旗 東京文芸社 1958 白鬼屋敷 桃源社 1958 修羅王参上 東京文芸社 1958 隠密独眼竜 東京文芸社 1958 のち春陽文庫 謎の唐人屋敷 東京文芸社 1958 隠密愛染帖 東京文芸社 1959 のち春陽文庫 人肌変化 桃源社 1959 のち春陽文庫 長脇差大名 和同出版社 1959 のち春陽文庫 蛇神魔殿 浪速書房 1959 隠密飛竜剣 東京文芸社 1959 「柳生旅日記」 怪傑修羅王 同光社出版 1959 のち春陽文庫 魔剣青貝流 東京文芸社 1960 花の千両肌 朝日書房 1960 竜巻街道 正続 東京文芸社 1961 「たつまき街道」春陽文庫 まぼろし姫 東京文芸社 1961 のち春陽文庫 振袖変化 東京文芸社 1961 のち春陽文庫 江戸の夜叉王 桃源社 1962 のち春陽文庫 青竜の剣 東京文芸社 1962 大江戸悪魔祭 東京文芸社 1962 「江戸悪魔祭」春陽文庫 隠密月影帖 東都書房 1963 のち春陽文庫 雪姫絵図 東都書房 1965 のち春陽文庫 風来浪人 桃源社 1967 (ポピュラー・ブックス) のち春陽文庫 風雲の旗 桃源社 1971 (ポピュラー・ブックス) のち春陽文庫 なりひら盗賊 日本文華社、1973 のち春陽文庫 大予言者の秘密 易聖・高島嘉右衛門の生涯 光文社 1979.7 (カッパ・ブックス) のち角川文庫、「「横浜」をつくった男」光文社文庫 人斬り魔剣 春陽文庫 1984.7 蛇性の女 春陽文庫 1988.12 宇宙戦争 偕成社 1954 ハスキル人 東方社 1958 のち角川文庫 SF短編集 連合艦隊ついに勝つ ミッドウェー海戦からレイテ海戦まで ベストセラーズ 1971 のち角川文庫、光文社文庫 妖鬼の塔 偕成社 1949 蝙蝠館の秘宝 ポプラ社 1950 のち ポプラポケット文庫 2006 死神博士 偕成社 1951 のちソノラマ文庫 幽霊馬車 偕成社 1951 黒衣の魔女 偕成社 1952 悪魔の口笛 ポプラ社 1953 のち文庫 白蝋の鬼 ポプラ社 1953 のちソノラマ文庫 吸血魔 ポプラ社 1954.6 消えた魔人 ポプラ社 1967 (名探偵シリーズ) 易の効用 運命開拓法 講談社 1963 高木彬光人相教室 あなたの人相はどのタイプ? 双葉新書 1969 易占入門 あなたにもできる易 講談社 1971 方位学入門 知らないと危ない方角の吉・凶 光文社 1971 (カッパ・ブックス) 昭和47年度幸運の暦 ベストセラーズ 1971 ノストラダムス 大予言の秘密 1999年7月はたして人類は滅亡するか! 日本文華社 1974 のち角川文庫 人相学入門 人を見る眼を養うために 講談社 1976 手相学入門 転ばぬ先の杖として 講談社 1976 「手相占い」角川文庫 相性判断 この人があなたの幸運を招く 光文社文庫 1985.2 あなたの運命はこうなる! 易占がズバリ予知!! 日本文芸社 1985.9 高木彬光易占集 1-4 東洋書院 2005-06 随筆探偵小説 鱒書房 1956 占い人生論 巌松堂出版 1961 ぼくのヨーロッパ飛びある記 日本文華社 1966 (文華新書) 吸血の祭典 世界の神秘と怪奇 日本文華社 1967 (文華新書) 、「吸血の祭典」 出版芸術社 1996.1 (ふしぎ文学館) 邪馬台国推理行 角川書店 1975 邪馬壱国の陰謀 日本文華社 1978.4 (文華新書) 甦える 脳梗塞・右半身麻痺と闘った900日 光文社 1982.9 わが闘病記 脳梗塞・死からの脱出 曜曜社出版 1987.5 神津恭介探偵小説全集 全10巻 和同出版社 1957-58 高木彬光妖奇長篇選集 第1-4 東京文芸社 1965 世界怪奇犯罪小説集 桃源社 1970 高木彬光長編推理小説全集 全16巻 光文社 1972-74 高木彬光名探偵全集 1-11 立風書房 1975-76 高木彬光集 リブリオ出版 1997.10 (ポピュラーミステリーワールド第3巻) 白薔薇殺人事件  「モダン日本」1948年11月号 - 戦後すぐに、その頃デビューした作家6名によって書かれた連作。香山滋・島田一男・山田風太郎(第3話を担当)・楠田匡介・岩田賛が1話づづ担当し、完結編「薔薇未だ崩れず」を高木彬光で締める。(「香山滋全集・別館」三一書房 1997) 十三の階段 1953 - 山田風太郎・島田一男・岡田鯱彦・高木彬光によるリレー作品。 悪霊の群 東京文芸社、1955 - 山田風太郎との合作。神津恭介シリーズ。 雄鷲雌鷲 城昌幸,陣出達朗連作 和同出版社 1955 樹のごときもの歩く 坂口安吾共著 東京創元社 1958 - 坂口安吾の未完長編「復員殺人事件」を補筆完成させたもの 乱歩・正史・風太郎 山前譲編 出版芸術社 2009.11 風さん、高木さんの痛快ヨーロッパ紀行  出版芸術社 2011 - 山田風太郎・高木彬光(著) 巨匠2人のヨーロッパ旅行記を再刊行し、未公開の旅日記を初公開。 金田一耕助の冒険 (床屋の客として出演、1979年) 角川書店 角川文庫ミステリーフェア GUILTY篇(横溝正史、森村誠一と出演、1978年) ^ 「解題」(『坂口安吾全集8』)(筑摩書房、1998年) ^ 権田萬治「解説」(文庫版『復員殺人事件』)(角川文庫、1977年。再版1978年) ^ 『ACC CM年鑑'79』(全日本CM協議会編集、誠文堂新光社、1979年 44頁) 抜打座談会事件 魔童子論争 高木晶子 『想い出大事箱 父・高木彬光と高木家の物語』 出版芸術社、2008年5月。ISBN 978-4-88293-345-8。 高木彬光 とは - コトバンク 高木彬光 - Yahoo!百科事典
高木彬光
江戸川乱歩
江戸川 乱歩(えどがわ らんぽ、旧字体:江戶川 亂步、男性、1894年(明治27年)10月21日 - 1965年(昭和40年)7月28日)は、大正から昭和期にかけて主に推理小説を得意とした小説家・推理作家である。また、戦後は推理小説専門の評論家としても健筆を揮った。実際に探偵として、岩井三郎探偵事務所(ミリオン資料サービス)に勤務していた経歴を持つ。 本名は平井 太郎(ひらい たろう)。日本推理作家協会初代理事長。位階は正五位。勲等は勲三等。 ペンネーム(江戸川乱歩)は小説家の、エドガー・アラン・ポーに由来する。 1894年(明治27年)三重県名賀郡名張町(現・名張市)に名賀郡役所書記の平井繁男・きくの長男として生まれる(本籍地は津市)。平井家は武士の家柄で、祖先は伊豆伊東(静岡県)の郷士だった。のちに津藩(三重県)の藤堂家に仕え、乱歩の祖父の代まで藤堂家の藩士として勤めつづけた。 2歳の頃父の転勤に伴い鈴鹿郡亀山町(現・亀山市)、翌年名古屋市に移る。(以降、大人になっても点々と引越しを繰り返し、生涯引っ越した数は46件にも及ぶ)小学生のころに母に読み聞かされた菊池幽芳訳『秘中の秘』が、探偵小説に接した最初であった。中学では、押川春浪や黒岩涙香の小説を耽読した。旧制愛知県立第五中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)卒業後早稲田大学政治経済学部に入学した。卒業後、貿易会社社員や古本屋、支那ソバ屋など多くの仕事を経る。 1923年(大正12年)、森下雨村、小酒井不木に激賞され、『新青年』に掲載された「二銭銅貨」でデビュー。初期は欧米の探偵小説に強い影響を受けた本格探偵小説を送り出し、黎明期の日本探偵小説界に大きな足跡を残した。特筆すべきことに、衆道の少年愛・少女愛、男装・女装、人形愛、草双紙、サディズムやグロテスク、残虐趣味などの嗜好の強さがある。これらは岩田準一とともに研究していたという。これらを活かした通俗探偵小説は昭和初期から一般大衆に歓迎された。 乱歩は海外作品に通じ、翻案性の高い作品として『緑衣の鬼』、『三角館の恐怖』、『幽鬼の塔』などを残している。また、少年向けとして、明智小五郎と小林少年や少年探偵団が活躍する『怪人二十面相』などがある。このほか、探偵小説に関する評論(『幻影城』など)を残している。 戦後も乱歩は主に評論家、プロデューサーとして活動するかたわら、探偵小説誌『宝石』の編集・経営に携わった。また、日本探偵作家クラブの創立と財団法人化に尽力した。同クラブに寄付した私財100万円の使途として江戸川乱歩賞が制定され、同賞は第3回より長編推理小説の公募賞となる。 晩年の乱歩は高血圧、動脈硬化、副鼻腔炎(蓄膿症)を患い、さらにパーキンソン病を患ったが、それでも家族に口述筆記させて評論・著作を行った。 1965年(昭和40年)7月28日、乱歩はクモ膜下出血のため東京都豊島区池袋の自宅で70歳で没した。戒名・智勝院幻城乱歩居士。31日、正五位勲三等瑞宝章を追贈される。8月1日、推理作家協会葬が行われた。 創作活動初期は、「D坂の殺人事件」、「心理試験」など、いわゆる本格派と呼称される短編を執筆し、日本人の創作による探偵小説(推理小説の意。1955年(昭和30年)頃まではこの呼称が一般的であった)の基礎を築いた。トリックや題材に欧米の諸作からの影響を感じさせるが、単なる模倣でなく乱歩の独創性が活かされている。 乱歩は探偵小説の本道というべき本格派を志向していたが、それらの作品は大衆からあまり評価されなかった。大衆は幻想・怪奇小説、犯罪小説に分類できる変格ものと称される作品を好んだ。「赤い部屋」「人間椅子」「鏡地獄」などが代表的な変格ものといえる。 1926年(大正15年)12月より1927年(昭和2年)2月までの約3ヶ月間、朝日新聞に『一寸法師』を連載する。病欠の山本有三の代役だった。作品は評判がよく、映画化された。しかし乱歩は小説の出来に満足できず休筆宣言をし、各地を放浪したという(以後、戦前の乱歩は「休筆中に放浪」というパターンが多くなる)。 1928年(昭和3年)8月、14ヶ月の休筆のあと、乱歩は自己の総決算的中篇「陰獣」を発表する。これは変態性欲を題材にした作品で、不健康とみなされた一方、横溝正史(当時の探偵小説の雑誌「新青年」の編集者)により「前代未聞のトリックを用いた探偵小説」と絶賛された。戦前の本格探偵小説の新時代を築いたといえる。「新青年」は「陰獣」を前後2回に渡り掲載したが、雑誌は増刷するほどで、当時の世評の高さがうかがえる。 通俗長編「蜘蛛男」を、かねてより執筆依頼のあった「講談倶楽部」に連載する。この作品は自身の趣向であった「エロ・グロ・猟奇・残虐趣味」を前面に押し出したものだった。作品は大好評で、これを契機として乱歩は続けざまにヒット作を連発させる。単行本は数十版を重ねた。これは探偵小説をポピュラーな地位に押し上げたといえる(通俗長編について乱歩は、黒岩涙香やモーリス・ルブラン、ポーなどから着想をえたと言っており、事実、そのような作品が多い)。 乱歩の通俗長編が大衆に歓迎された理由は、作品自体の面白さ以外に、時代的背景が影響していたといえる。金融恐慌の影響で、世間にはいわゆる「エロ・グロ・ナンセンス」といわれる退廃的気風が満ちていたのだ。これらの通俗長編は、初期作品に比べると破綻があり(乱歩自身認めている)、これがミステリの低俗化を招いたとする批判がある。評論家の権田萬治は、著書「日本探偵作家論」において、乱歩の長編は翻案など一部を除きほとんどがプロットに破綻をきたしていると述べ、作品としての完成度を批判している。一方、乱歩と長年親交のあった評論家中島河太郎は、1974年刊の小学館万有百科事典(ジャンルジャポニカ)において、低俗性を認める一方で、市場拡大の貢献を言及している。 1931年(昭和6年)5月、乱歩初の「江戸川乱歩全集」全13巻が平凡社より刊行開始された。総計約24万部の売り上げを記録し、経営の行き詰まっていた平凡社を建て直すきっかけになったという。 乱歩は執筆に関して、長編小説のプロットをまとめることが苦手だったという。多くの長編連載を場当たりで執筆し、筋の展開に行き詰まってしまうことがあった。ストーリー展開の行き詰まりから休筆を繰り返すこととなった。また、長編を作り上げるにあたり、程度の低いものを書いているという意識に苛まれていた。これも休筆の要因といえる。 とりわけ、探偵小説の本舞台である「新青年」に本格ものを書こうとして行き詰まった経緯がある。「悪霊」は1934年(昭和9年)1月号までに3回中断し、探偵文壇の不評をこうむった。これ以外に、木々高太郎、小栗虫太郎らの台頭により、乱歩は自分の時代が過ぎ去ったと感じ始める。 1935年(昭和10年)頃より、乱歩は評論家として広く活躍し始める。評論集「鬼の言葉」は、その最初の成果である。その一方で、1936年(昭和11年)初めての少年ものを執筆する。のちにシリーズ化される「怪人二十面相」を雑誌少年倶楽部に連載したのだ。この作品は少年読者の圧倒的支持を受け、乱歩のもとに多数のファンレターが来たという。以後、乱歩は創作レパートリーに少年ものを定期的に加わえるようになった。 日本が戦争体制を強化していくにしたがい芸術への検閲が強まっていったが、1937年(昭和12年)頃より、その度合いは強くなった。探偵小説は内務省図書検閲室によって検閲され、表現の自由を制限された。一説では、内務省のブラックリストに乱歩の名が載っていたという。 1939年(昭和14年)以降は検閲が激化し、無茶な削除訂正が頻発し、「芋虫」が発禁になっている。 1941年(昭和16年)に入ってからは原稿依頼が途絶え、旧著がほぼ絶版になった。 太平洋戦争に突入すると、探偵小説は少年ものですら執筆不可能となり、乱歩は小松竜之介の名で子供向きの作品(科学読み物「知恵の一太郎」など)や内務省の検閲対象とならない海軍省の会報に論評を載せるなどしていた。 太平洋戦争中、抹殺されていた探偵文壇は、戦後、GHQの占領政策終了のもと復興し始める。 戦後は、創作以外に活動の幅を広げ、評論や講演を行う。また、1946年からはじめた愛好家の集まり「土曜会」を発展させ、1947年に探偵作家クラブ(後の日本推理作家協会)の結成を行う。1949年(昭和24年)1月号より「青銅の魔人」(雑誌「少年」に連載)で少年ものを再開する。 1947年(昭和22年)評論の分野では、「随筆探偵小説」が上梓された。このほか1951年(昭和26年)に「幻影城」、1954年(昭和29年)に「続・幻影城」、1958年(昭和33年)に「海外探偵小説作家と作品」が上梓される。これらの評論集は、乱歩の優れた批評眼と洞察力がうかがえる探偵小説論・探偵作家論といえる。 一方、乱歩の旧著に関して、大衆は「本格もの」の探偵小説よりも「変格もの」の通俗スリラーを支持した。乱歩の本意である本格ものはあまり反響がなかった。同時期に多数発表された長編探偵小説の中で、戦後継続して再刊されたのは乱歩の作品だけである(空前のリバイバルとなった横溝正史ですら、戦前長編は1,2作を除けば一時的に再刊されただけ)。また、ミステリの枠に留まらず、怪奇・幻想文学において存在意義がある。猟奇・異常性愛を描いた作品は後年の官能小説に多大な影響を残した。 また、戦後に再開した少年探偵団シリーズは子どもたちから絶大な支持を受け、昭和30年代ごろから映像化された。戦後は雑誌「少年」の発行元だった光文社から「少年探偵江戸川乱歩全集」として全23巻が刊行された。乱歩最晩年の昭和39年頃から光文社は絶版となり、版権はポプラ社へ移動する。ポプラ社では、「少年探偵江戸川乱歩全集」として乱歩が児童向けとして書いた作品を全26巻で刊行し、更に乱歩の大人向けの作品を代作者が児童向けに書き直したものを続けて20巻刊行し合計全46巻の大全集となった。シリーズのほとんどで敵役となっている怪人二十面相は、推理小説に登場する架空キャラクターとしては、シャーロック・ホームズ、アルセーヌ・ルパン、明智小五郎、金田一耕助らと並んで、広く親しまれている。なお、戦後に発表されたものについては、戦前に大人向けに書かれた推理小説・怪奇小説を子供向けに翻案したものがあり他者によって翻案なされた影響で、明智小五郎など登場人物の性格が、乱歩自身の設定と異なっていることがあった。 戦後は、新人発掘にも熱心で、高木彬光、筒井康隆、大薮春彦など、乱歩に才能を見出された作家は少なくない。「宝石」編集長時代には、多くの一般作家に推理小説発表の場を与えている。代表的な作家に、歌舞伎評論家の戸板康二がいる。また、小林信彦を宝石社にスカウトし、『ヒッチコック・マガジン』の編集長に推薦している。 日本国外の推理作家との交流にも積極的で、エラリー・クイーンと文通してアメリカ探偵作家クラブ (MWA) の会員にもなったほか、フランスのイゴール・B・マスロフスキー、オランダのロバート・ファン・ヒューリック、W・G・キエルドルフ (nl) 、ソビエト連邦のロマン・キム (ru) 、韓国の金来成らと文通し、彼らを介して各国の推理小説事情を日本に紹介した。 晩年には、空想科学小説に興味を持ち、筒井康隆、矢野徹など、黎明期の日本のSF関係者に助力を与え、その商業出版に援助を惜しまなかった。1959年のインタビューでは、「推理物は一作目にいいものが多く、クリスティを例外に、一般的に年を取るにつれ筆が鈍る。自分にはすでに創意がない。60歳の誕生日会のとき再び筆を取ると宣言したが、書いてみたら納得がいかなかった。代わりに今後は探偵小説史のようなものをまとめたい」と語ったが、その夢は実現されなかった。 「全集」は、没後刊行が一般的な時代に、生前・没後に各4度にわたり、全集刊行した作家は分野を問わず他には存在しない。 内外から尊敬を込め大乱歩とも呼ばれた。山田風太郎は、「『大乱歩』という言葉もある。ほかにも一世を風靡した作家や、大衆から敬意を表された作家や、芸術的にもっと高いものを書いた作家は多いのに、大の字を冠してこれほどおかしくない人も珍らしい」と書いている。 1961年 - 紫綬褒章受章 1965年 - 勲三等瑞宝章受章 1965年 - 正五位 1919年に鳥羽造船所勤務時代に知り合った村山隆子と結婚。一人息子の平井隆太郎は心理学者で立教大学名誉教授。「少年探偵」シリーズの著作権継承者でもある。孫の平井憲太郎は鉄道研究家で『とれいん』の編集者。 江戸川乱歩の小説は色々の形で出版され、かつ作品集の類も戦前から現在まで何度も刊行されている。文庫で多数の作品を収録しているものとして、光文社文庫の「江戸川乱歩全集」(全30巻)、創元推理文庫(全20巻)、春陽文庫「江戸川乱歩文庫」(改訂版)、ポプラ社文庫(児童向け)などがある。没後半世紀を経て著作権が失効したことを受け、角川文庫(改訂版)、岩波文庫、文春文庫でも刊行されている。 『一寸法師』(『朝日新聞』1926年12月〜1927年2月) 『蜘蛛男』(『講談倶楽部』1929年8月〜1930年6月) 『猟奇の果』(『文芸倶楽部』1930年1月〜12月) 『魔術師』(『講談倶楽部』1930年7月〜1931年5月) 『黄金仮面』(『キング』1930年9月〜1931年10月) 『吸血鬼』(『報知新聞』1930年9月〜1931年3月) 『黒蜥蜴』(『日の出』1934年1月〜11月) 『人間豹』(『講談倶楽部』1934年1月〜1935年5月) 『悪魔の紋章』(『日の出』1937年9月〜38年10月) 『暗黒星』(『講談倶楽部』1939年1月〜12月) 『地獄の道化師』(『富士』1939年1月〜12月) 『化人幻戯』(『別冊宝石』〜『宝石』1954年11月〜55年10月) - 乱歩晩年の「本格」ものに挑戦した作品と言われる。 『影男』(『面白倶楽部』1955年1月〜12月) 「D坂の殺人事件」(『新青年』1925年1月) 「黒手組」(『新青年』1925年3月) 「心理試験」(『新青年』1925年2月) 「幽霊」(『新青年』1925年5月) 「屋根裏の散歩者」(『新青年』1925年8月) 「何者」(『時事新報』1929年11月〜12月) 『兇器』(『大阪産業経済新聞』1954年6月) 『月と手袋』(『オール讀物』1955年4月〜) 「二銭銅貨」(『新青年』1923年4月) 「一枚の切符」(『新青年』1923年7月) 「恐ろしき錯誤」(『新青年』1923年11月) 「二癈人」(『新青年』1924年6月) 「双生児」(『新青年』1924年10月) 「赤い部屋」(『新青年』1925年4月) 「日記帳」(『写真報知』1925年4月) 「算盤が恋を語る話」(『写真報知』1925年4月) 「盗難」(『写真報知』1925年5月) 「白昼夢」(『新青年』1925年7月) 「指環」(『新青年』1925年7月) 「夢遊病者の死」(『苦楽』1925年7月) 「百面相役者」(『写真報知』1925年7月) 「一人二役」(『新小説』1925年9月) 「疑惑」(『写真報知』1925年9月) 「人間椅子」(『苦楽』1925年10月) 「接吻」(『映画と探偵』1925年12月) 『闇に蠢く』(『苦楽』1926年1月〜11月で連載中絶)1927年に完結 『湖畔亭事件』(『サンデー毎日』1926年1月〜5月) 『空気男』(原題:二人の探偵小説家)(『写真報知』1926年1月〜2月で連載中絶) (未完) 「踊る一寸法師」(『新青年』1926年1月) 「毒草」(『探偵文芸』1926年1月) 「覆面の舞踏者」(『婦人之国』1926年1月〜2月) 「灰神楽」(『大衆文芸』1926年3月) 「火星の運河」(『新青年』1926年4月) 「モノグラム」(『新小説』1926年7月) 「お勢登場」(『大衆文芸』1926年7月) 「人でなしの恋」(『サンデー毎日』1926年10月) 『パノラマ島奇談』(別表記:パノラマ島綺譚)(『新青年』1926年10月〜1927年4月) 「鏡地獄」(『大衆文芸』1926年10月) 「木馬は廻る」(『探偵趣味』1926年10月) 『陰獣』(『新青年』1928年8月〜10月) 「芋虫」(原題:悪夢)(『新青年』1929年1月) 『孤島の鬼』(『朝日』1929年1月〜1930年2月) 「押絵と旅する男」(『新青年』1929年6月) 「蟲」(『改造』1929年9月〜10月) 『盲獣』(『朝日』1931年2月〜1932年3月) 「目羅博士」(原題:目羅博士の不思議な犯罪)(『文芸倶楽部』1931年4月) 「地獄風景」(『平凡社版江戸川乱歩全集』1931年5月〜1932年4月) 全集付録冊子への連載 『恐怖王』(『講談倶楽部』1931年6月〜1932年5月) 『鬼』(『キング』1931年11月〜1932年2月) 「火縄銃」(『平凡社版江戸川乱歩全集』1932年4月) 学生時代(1916年以前)の習作 『悪霊』(『新青年』1933年11月〜1934年1月で連載中絶) (未完) 『妖虫』(『キング』1933年12月〜1934年10月) 「石榴」(『中央公論』1934年9月) 『大暗室』(『キング』1936年12月〜39年6月) 『偉大なる夢』(『日の出』1943年11月〜44年12月)米国相手の戦意高揚小説 『断崖』(『報知新聞』1950年3月) 『悪霊物語』(『講談倶楽部』1954年8月〜) 「防空壕」(『文芸』1955年7月) 『十字路』(講談社、1955年11月、書き下ろし) 渡辺剣次による第一稿をリライト。トリック、プロットも渡辺剣次の案出。 「堀越捜査一課長殿」(『オール讀物』1956年4月) 「妻に失恋した男」(『産経時事』1957年10月〜11月) 『ぺてん師と空気男』(桃源社、1959年11月、書き下ろし) 「指」(『ヒッチコック・マガジン』1960年1月) 「薔薇夫人」(未収録作品) 『白髪鬼』(『富士』1931年4月〜1932年4月」) - マリー・コレリ(英語版)作『ヴェンデッタ』(Vendetta, A Story of One Forgotten)の黒岩涙香による翻案小説『白髪鬼』をリライトしたもの。 『緑衣の鬼』(『講談倶楽部』1936年1月〜12月)- イーデン・フィルポッツ作『赤毛のレドメイン家』(The Red Redmaynes)の翻案小説。 『幽霊塔』(『講談倶楽部』1936年12月〜37年4月) - アリス・マリエル・ウィリアムソン作『灰色の女』(A Woman in Grey)の黒岩涙香による翻案小説『幽霊塔』をリライトしたもの。 『鉄仮面』(1938年) - フォルチュネ・デュ・ボアゴベイ作『サン・マール氏の二羽のつぐみ』(Les Deux Merles de M. de Saint-Mars)の黒岩涙香による翻案小説『鉄仮面』を小中学生向けにリライトしたもの。 『幽鬼の塔』(『日の出』1936年4月〜40年3月) - ジョルジュ・シムノン作『聖フォリアン寺院の首吊男』(Le Pendu de Sant-Phollien)の翻案小説。 『三角館の恐怖』(『面白倶楽部』1951年1月〜12月) - ロジャー・スカーレット作『エンジェル家の殺人』(Murder Among the Angells)の翻案小説。 「五階の窓」(『新青年』1926年5月) リレー連作小説の第1回目を担当 『空中紳士』(原題:飛機睥睨)(『新青年』1928年2月〜9月) 乱歩を含む5人の作家による合作 「江川蘭子」(『新青年』1930年9月) リレー連作小説の第1回目を担当 「殺人迷路」(『探偵倶楽部』1932年10月) 全集の付録冊子に連載されたリレー連作小説の第5回目を担当 「黒い虹」(『婦人公論』1934年1月) リレー連作小説の第1回目を担当 『畸形の天女』(『宝石』1953年10月) 『女妖』(『探偵実話』1954年1月) 『大江戸怪物団』(『面白倶楽部』1955年7月) 一部明智小五郎や二十面相が登場しない作品もある。 『怪人二十面相』(『少年倶楽部』1936年1月〜12月) 『少年探偵団』(『少年倶楽部』1937年1月〜12月) 『妖怪博士』(『少年倶楽部』1938年1月〜12月) 『大金塊』(『少年倶楽部』1939年1月〜1940年2月) 『青銅の魔人』(『少年』1949年1月〜12月) 『虎の牙』(『少年』1950年1月〜12月)、※ポプラ社版では「地底の魔術王」 『透明怪人』(『少年』1951年1月〜12月) 『怪奇四十面相』(『少年』1952年1月〜12月) 『宇宙怪人』(『少年』1953年1月〜12月) 『鉄塔の怪人』(『少年』1954年1月〜12月)、※ポプラ社版では「鉄塔王国の恐怖」 『灰色の巨人』(『少年クラブ』1955年1月〜12月) 『海底の魔術師』(『少年』1955年1月〜12月) 「黄金の虎」(「探偵少年」改題 『読売新聞』1955年1月〜12月) 「天空の魔人」(『少年クラブ増刊』1956年1月15日) 『黄金豹』(『少年クラブ』1956年1月〜12月) 『魔法博士』(『少年』1956年1月〜12月) 『サーカスの怪人』(『少年クラブ』1957年1月〜12月) 『妖人ゴング』(『少年』1957年1月〜12月)、※ポプラ社版では「魔人ゴング」 『魔法人形』(『少女クラブ』1957年1月〜12月)、※ポプラ社版では「悪魔人形」 『まほうやしき』(『たのしい三年生』1957年1月〜3月) 『赤いカブトムシ』(『たのしい三年生』1957年4月〜1958年3月) 『奇面城の秘密』(『少年クラブ』1958年1月〜12月) 『夜光人間』(『少年』1958年1月〜12月) 『塔上の奇術師』(『少女クラブ』1958年1月〜12月) 『鉄人Q』(『小学四年生』1958年4月〜1959年3月、『小学五年生』1959年4月〜1960年3月) 『ふしぎな人』(「ふしぎな人」、『たのしい二年生』1958年8月〜1959年3月、続けて「名たんていと二十めんそう」、『たのしい三年生』1959年4月〜12月) 『仮面の恐怖王』(『少年』1959年1月〜12月) 『かいじん二十めんそう』(『たのしい二年生』1959年10月〜1960年3月) 『かいじん二十めんそう』(『たのしい一年生』1959年11月〜1960年3月、続けて『たのしい二年生』1960年4月〜12月) 『電人M』(『少年』1960年1月〜12月) 『おれは二十面相だ』(『小学六年生』1960年4月〜1961年3月)、※ポプラ社版では「二十面相の呪い」 『怪人と少年探偵』(『こども家の光』1960年9月〜1961年9月) 『妖星人R』(『少年』1961年1月〜12月)、※ポプラ社版では「空飛ぶ二十面相」 『超人ニコラ』(『少年』1962年1月〜12月)、※ポプラ社版では「黄金の怪獣」 『新宝島』(『少年倶楽部』1940年4月〜1941年3月) 『智恵の一太郎』(『少年倶楽部』1942年1月〜43年4月) 『悪人志願』博文館(1929年) 『鬼の言葉』春秋社(1936年) 『幻影の城主』かもめ書房(1947年) 『随筆探偵小説』清流社(1947年) 『幻影城』岩谷書店(1951年)、評論集 『続・幻影城』早川書房(1954年)、評論集。類別トリック集成を含む 『探偵小説三十年』岩谷書店(1954年) 『探偵小説の「謎」』社会思想研究会出版部 現代教養文庫(1956年) 『海外探偵小説作家と作品』早川書房(1957年)評論集 『わが夢と真実』東京創元社(1957年)。それまでの随筆のうち、乱歩自身にかかわるものを収録したもの 『乱歩随筆』青蛙房(1960年) 『探偵小説四十年』桃源社(1961年)。自伝的回想録で、乱歩の目を通し描かれた初期日本探偵文壇史とでも称すべきもので、貴重な文献資料でもある 『彼・幻影の城』東都書房(1963年) 多数あり。「明智小五郎」も参照のこと。以下はその一部である。 一寸法師(1927年) パレットナイフの殺人(1946年) 一寸法師(1948年) 氷柱の美女(1950年) 怪人二十面相(1954年) 青銅の魔人 (1955年) 一寸法師 (江戸川乱歩の一寸法師)(1955年) 少年探偵団/妖怪博士(1956年) 少年探偵団/二十面相の悪魔(1956年) 死の十字路(1956年) 少年探偵団/かぶと虫の妖奇(1957年) 少年探偵団/鉄塔の怪人(1957年) 少年探偵団/二十面相の復讐(1957年) 少年探偵団/夜光の魔人(1957年) 少年探偵団/透明怪人(1958年) 少年探偵団/首なし男(1958年) 少年探偵団/敵は原子潜航艇(1959年) 蜘蛛男(1958年) 黒蜥蜴(1962年) 黒蜥蜴(1968年) 盲獣(1969年) 江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間(1969年) 屋根裏の散歩者(1970年) 江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者(1976年) 江戸川乱歩の陰獣(1977年) 押繪と旅する男(1994年) 屋根裏の散歩者(1994年) RAMPO(1994年) 人でなしの恋(1995年) 人間椅子(1997年) D坂の殺人事件(1998年) 双生児 -GEMINI-(1999年) 盲獣vs一寸法師(2001年、公開は2004年) 乱歩地獄(2005年) 人間椅子(2006年) 屋根裏の散歩者(2007年) 陰獣(フランス映画 2009年) 失恋殺人(2010年) キャタピラー(2010年)※当初、乱歩の『芋虫』原作と言われていたが、その後製作者側は公式には乱歩原作という表記を撤回している。 乱歩作品の漫画化は、藤子不二雄による子供向けの『少年探偵団』ものが1959年(昭和34年)に発表されている。初の成人向け作品の漫画化としては、昭和45年に少年誌『週刊少年キング』が「江戸川乱歩恐怖シリーズ」と銘打ち、エロ・グロ物を含む乱歩作品を横山光輝、桑田次郎、古賀新一、石川球太の四者に競作させている。 怪人二十面相(藤子不二雄 1959年) 白髪鬼(横山光輝 1970年) 地獄風景(桑田次郎 1970年) 屋根裏の散歩者(古賀新一 1970年) 人間椅子、芋虫、白昼夢、お勢地獄(お勢登場)(石川球太 1970年) 黒とかげ(高階良子 1971年4月〜8月 原題『黒蜥蜴』) 血とばらの悪魔(高階良子 1971年11月〜1972年2月 原題『パノラマ島奇談』) 巡礼萬華鏡(真崎守 1973年) ドクターGの島(高階良子 1974年4月〜1974年8月 原題『孤島の鬼』) 陰獣(古賀新一 1984年) 江戸川乱歩 屋根裏の散歩者(長田ノオト 1994年) お勢登場(池上遼一 1996年) 大暗室(山田貴敏 1997年) 妖怪博士(山田貴敏 1997年) 人間椅子(有沢遼 1997年) 江戸川乱歩のパノラマ島奇談(長田ノオト 1999年) パノラマ島綺譚(丸尾末広 2007年) 百面相役者(東元 2007年) 双生児(東元 2007年) 人間椅子(東元 2007年) 鏡地獄(東元 2008年) 人でなしの恋(東元 2008年) 赤い部屋(東元 2008年) 怪人二十面相(山田貴敏) 大金塊(山田貴敏) 江戸川乱歩の押絵と旅する男(長田ノオト) 江戸川乱歩の孤島の鬼(長田ノオト) 芋虫(丸尾末広) 江戸川乱歩異人館 (山口譲司 2010~2015年) 漫画 屋根裏の散歩者(泉こうてん 2018年 電子書籍のみ) 江戸川乱歩シリーズ 明智小五郎(東京12チャンネル 1970年) 江戸川乱歩の美女シリーズ(テレビ朝日系 1977年〜1985年) 乱歩〜妖しき女たち〜(1994年) 乱歩R(日本テレビ系 2004年) わんぱく探偵団(フジテレビ系、1968年2月1日から同年9月26日まで全35話、制作:虫プロダクション)。 乱歩奇譚 Game of Laplace(フジテレビ系、2015年7月から9月まで) TRICKSTER -江戸川乱歩「少年探偵団」より-(TOKYO MXほか、2016年10月から3月まで) 超・少年探偵団NEO(TOKYO MXほか、2017年1月) 『目羅博士』など、一部の作品は「私が聞いたり見たりした話を元に書いた」という体裁を取っており、聞き手として乱歩が出てくる。 陰獣:乱歩作。自身をパロディした作家「大江春泥」が登場。春泥の本名「平田一郎」も乱歩の本名「平井太郎」をもじっている。 横溝正史「呪いの塔」。上記「陰獣」をさらに捻った推理パロディ長編。意外性を狙っているため、乱歩に相当する人物は、親友の横溝以外には困難だったであろう遠慮会釈のない造形となっている。 斎藤栄「乱歩幻想譜」1974年。乱歩を主人公にして、作品世界と関連した事件に次々と遭遇する連作短編。 加納一朗 「浅草ロック殺人事件」1985年 - 乱歩をモデルとした探偵作家「香川幻夢」が登場。 久世光彦 「一九三四年冬-乱歩」創元推理文庫、2013年(新版) - 山本周五郎賞受賞。 映画「RAMPO」1994年 - 乱歩役は竹中直人。 映画「まぼろし探偵 地底人襲来」1960年 - 乱歩のパロディである作家「江戸山散歩」がキャラクターとして登場。 映画「シルバー假面」2006年 - 作家になる前の「平井太郎」として登場。 映画「ゴーストライターホテル」2012年 - 著名な作家たちが執筆のために宿泊したというホテル「本天堂」に現れる作家の霊のひとつとして。乱歩役はカンニング竹山。 舞台「サンタクロースが歌ってくれた」(演劇集団キャラメルボックス) - 作家になる前の「平井太郎」として劇中映画「ハイカラ探偵物語」に芥川龍之介と共に黒蜥蜴を追い詰める探偵役として登場し、スクリーンから飛び出した黒蜥蜴を追って芥川と共にスクリーンから飛び出す。太郎役は上川隆也と岡田達也(2010年10日限定公演のみ)。 住んでいた屋敷は、立教大学と隣接していた。その縁で現在は立教大学によって「旧江戸川乱歩邸」として保存されている。一般公開に関しては常時という訳ではなく、不定期(近年は概ね年に数日~一週間程度)。公開の際には立教大学サイトの「旧江戸川乱歩邸」ページ(#外部リンク参照)で告知される。 ファンにサインを求められると必ず色紙に「うつし(現)世はゆめ よるの夢こそまこと」あるいは「昼〔ひる〕は夢 夜〔よ〕ぞ現〔うつつ〕」と書き添えた。 昭和55年(1980年)1月になって、大正13年(1924年)9月から東京へ転居する大正15年(1926年)1月まで2階を書斎にしていた、当時「守口町外島694番地」であった大阪府守口市八島町の家が今も残っていることが判明した。この家は一時期一般開放されていたが、平成22年(2010年)に解体された。「江戸川乱歩寓居の跡」と書かれた看板が掲げられていた。 稚児趣味があり、若い歌舞伎役者を可愛がり、ただのファンを超えた関係があった。 2015年、未発表手記が発見された。日付は1936年で原稿用紙38枚。 ^ 2001年に発見された「二銭銅貨」の草稿には、「江戸川藍峯」(えどがわ らんぽう)と署名されていた。 ^ 『全集』は刊行順に、生前刊は平凡社全13巻(戦前)、春陽堂全16巻、光文社全23巻、桃源社全18巻(近年沖積舎で復刻)、没後刊は講談社で全15巻(新版・全25巻)、他に「文庫版全集」で刊行、昭和末期に講談社文庫全66巻、平成(21世紀に入り)に光文社文庫全30巻 ^ 途中で話が続けられなくなり中断した。乱歩本人が掲載誌にお詫びとして読者へ謝罪し、中断を発表している。 ^ これは古典推理小説ではよくあることで、同時期の横溝正史作品などにもよく見られる。 ^ 「心理試験」や「人間椅子」「屋根裏の散歩者」などの初期の作品を含む21作品がこの家で執筆されており、そのほとんどが大正14年(1925年)に創作された。明智小五郎が初登場する「D坂の殺人事件」もこの家で創作された。また乱歩はこの家に住んでいた当時、床の間の天井板を外して踏み台に載り、首だけを出して屋根裏を覗いてみて、その捨てがたい眺めに陶然とした。その経験を元に「屋根裏の散歩者」が書かれた。 ^ “江戸川乱歩 (上) [なにわ人物伝 -光彩を放つ-]”. 大阪日日新聞. 2011年12月28日閲覧。 ^ “Yomiuri On-Line/社会 - 乱歩の名作「二銭銅貨」、最初期の草稿見つかる”. 読売新聞社. 2001年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年7月10日閲覧。 ^ “江戸川乱歩 (下) [なにわ人物伝 -光彩を放つ-]”. 大阪日日新聞. 2011年12月28日閲覧。 ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)54頁 ^ 言論統制下も執筆続ける 乱歩ら、海軍関連の会報で (写真=共同) :日本経済新聞 ^ 1959年7月31日の対談「文壇よもやま話」より。カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス「江戸川乱歩」(3) ^ 山田風太郎『風眼抄』p.152(六興出版、1979年) ^ 江戸川乱歩の世界 ^ 中島河太郎 『江戸川乱歩 評論と研究』(講談社)など ^ 発表当時は「小松龍之介」名義 ^ カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス「江戸川乱歩」(3) 元編集者大村彦次郎談 ^ 読売新聞 2015年10月17日 1面掲載。 ※代表的な書目の一部で、品切・絶版も含んでいる。 入門書・図版本・小著 鈴木貞美編 『江戸川乱歩』 新潮社<新潮日本文学アルバム41>、1993年 太陽編集部編 『江戸川乱歩』 平凡社<コロナ・ブックス46>、 1998年 『怪人江戸川乱歩のコレクション』 新潮社<とんぼの本>、2017年。平井憲太郎(孫)ほか4名 『KAWADE夢ムック 江戸川乱歩 誰もが憧れた少年探偵団』 河出書房新社、2003年 堀江あき子編 『江戸川乱歩と少年探偵団』 河出書房新社<らんぷの本>、2003年 小林信彦 『回想の江戸川乱歩』 メタローグ 1994年。のち文春文庫、光文社文庫で再刊 伝記研究 中島河太郎 『江戸川乱歩 評論と研究』 講談社 1980年 - 乱歩研究の代表作 中島河太郎責任編集 平井隆太郎ほか 『江戸川乱歩ワンダーランド』 沖積舎 2003年 平井隆太郎 『うつし世の乱歩 父江戸川乱歩の憶い出』 河出書房新社 2006年 平井隆太郎 『乱歩の軌跡 父の貼雑帖から』 東京創元社 2008年 - 自作の年代記『貼雑年譜』(講談社、新版2004年ほか)を読み込んだ評伝。 新保博久 山前譲編 『江戸川乱歩 日本探偵小説事典』 河出書房新社 1996年 平井隆太郎・新保博久編 『江戸川乱歩アルバム』 河出書房新社 1994年 作品研究 『別冊文藝 江戸川乱歩』 河出書房新社 2003年 『新文芸読本 江戸川乱歩』 河出書房新社 1992年 『江戸川乱歩と大衆の二十世紀』 藤井淑禎編、「国文学解釈と鑑賞」別冊:至文堂 2003年 『幻想文学42号 RAMPOMANIA』(幻想文学出版局、1994年) 『江戸川乱歩徹底追跡』(志村有弘編、勉誠出版、2009年) 書誌研究 平井隆太郎監修・中相作編『江戸川乱歩著書目録』【江戸川乱歩リファレンスブック3】、名張市立図書館、2003年3月 [1](1は『乱歩文献データブック』、2は『江戸川乱歩執筆年譜』)。 新保博久 山前譲編 『幻影の蔵 江戸川乱歩探偵小説蔵書目録』 東京書籍 CD-ROM1枚付 2002年 平山雄一、新保・山前編 『江戸川乱歩小説キーワード辞典』 東京書籍 CD-ROM1枚付 2007年 光石介太郎 - 一時期、乱歩の弟子のような立場にあった小説家。『新青年』に乱歩の文体模写小説「類人鬼」を発表している。 J・B・ハリス - 乱歩の最初の英訳単行本の翻訳を担当。 美輪明宏 - 三島由紀夫脚色の舞台黒蜥蜴はライフワーク。 杉原千畝 - 第二次大戦中、ユダヤ人を大勢救った外交官。乱歩とは高校、大学ともに同窓。 岩田準一 - 竹久夢二の弟子。乱歩の風俗研究における同好の友だったとされている。乱歩が鳥羽造船所に勤めていた時代に親交を深めた。 江戸川乱歩賞 FC鈴鹿ランポーレ - 鈴鹿市を本拠地とするサッカークラブ。前身は名張市を本拠地にした三重FCランポーレ。同市出身の乱歩の名前にちなんで命名。 乱歩 (小惑星) ワセダミステリクラブ - 乱歩が初代顧問を務めた。 岡戸武平 - 昭和7年刊の乱歩名義作品『蠢く触手』(新潮社『新作探偵小説全集』所収)を代作した。 渡辺温 - 兄の渡辺啓助とともに江戸川乱歩の代りに、改造社世界大衆文学全集第30巻の『ポー、ホフマン集』(1929年刊)のポーの部門を翻訳する。 江戸川 乱歩:作家別作品リスト - 青空文庫 早稲田と文学(江戸川乱歩) - 早稲田大学 旧江戸川乱歩邸 | 立教大学 江戸川乱歩 - 名張市役所 江戸川乱歩館【公式ホームページ】~鳥羽みなとまち文学館~ 江戸川乱歩を歩く- 東京紅団 - 名張編・亀山・津編・名古屋編・東京編 -1・2-・大阪編・鳥羽編・東京編 -3-・東京編 -4-・東京編 -5-・江戸川乱歩と団子坂(文京区千駄木) 江戸川乱歩 - インターネット・ムービー・データベース(英語) 江戸川乱歩 - 文化庁日本映画情報システム 江戸川乱歩 - allcinema 江戸川乱歩 - 日本映画製作者連盟 江戸川乱歩 - KINENOTE 江戸川乱歩 - 日本映画データベース
江戸川乱歩
島田一男
島田 一男(しまだ かずお、1907年5月15日 - 1996年6月16日)は日本の小説家、脚本家。 京都府京都市出身。明治大学中退。1931年に「満洲日報」に入社し新聞記者となり、敗戦までの約15年間をほぼ従軍記者として過ごす。終戦後は同社の社員たちと「大陸情報通信社」を設立、在満邦人の引揚げ運動に尽力する傍ら執筆活動を続けた。 1946年に短編「殺人演出」が雑誌「宝石」の第1回短編懸賞に入選し、翌年掲載される。 デビュー当初は『古墳殺人事件』や『錦絵殺人事件』のような衒学的な本格推理を得意としていたが、1949年からは自身の経験を生かした新聞記者ものの推理小説を書き始め、1951年に短編「社会部記者」(別題「午前零時の出獄」)「遊軍記者」、「新聞記者」、「風船魔」で第4回探偵作家クラブ賞を受賞する。 1958年から約8年間、NHKのTVドラマ「事件記者」の脚本を担当する。 1971年に松本清張の後を受けて、日本推理作家協会理事長に就任した。 推理小説を中心に非常に多くの小説を執筆した。推理小説以外にも時代小説、怪奇小説の作品がある。 『古墳殺人事件』 1948年 扶桑社 - 社会派の島田も、デビュー当初は「本格推理」色が強い。 『錦絵殺人事件』 1949年 扶桑社 - 本格推理の第二弾。 『銀座殺人事件』 1962年(短編集) 春陽堂書店 『死者の紋章』 1978年 ポピュラー・ブックス 『紅の走査線』 1979年 東京文芸社 1979年、光風社文庫 1996年 『信号は赤だ』 1981年(短編集) 春陽堂書店 『捜査日誌』 1981年(短編集) 青樹社 - 庄司部長刑事がまだ所轄に勤務していた若き日の事件。 『社会部記者』1951年(短編集) - 「事件もの」最初期の作品集。 「社会部記者(午前零時の出獄)」1951年 - 事件もの第一短編。「事件記者シリーズ」ならびに島田の社会派ミステリの原点。 『事件記者』 春陽堂書店 1962年、 徳間文庫 1986年 『女事件記者』 春陽文庫 1962年 『朝刊記者』 春陽文庫 1982年 『警察記者』 春陽文庫 1982年 『湖底の囚人』 徳間文庫 1986年 『妖精の指』 徳間文庫 1986年 『拳銃を磨く男』 徳間文庫 1981年 - 公安調査官・加下千里の第一長編。仮名・加下がニセ札偽造団に潜入し、次々に密輸ルートをあばいていく。 『夜を生きる男』 1981年 『白い十三階段』 桃源社 1981年 - 「白い十三階段」は、麻薬組織の第一段階・ケシなどの密栽培から、末端の売人に麻薬が渡るまでの複雑な流通ルートを指す。 『青い手の女』(中編集) 『広域調査官』 - シリーズだが、登場人物の所属する部署が、特殊かつ毎作かわる調査官ものの第一弾。 『国際調査官』 『科学調査官』 『継続調査官』 『女調査官』 東京中央鉄道公安室の捜査班長・海堂次郎を主人公としたシリーズ。 『鉄道公安官』 警視庁鉄道警察隊の清村公三巡査部長を主人公とした全3作のシリーズ。 『走る捜査線』 『新宿発殺人特急』 『東京ハイウェー』 春陽文庫 1981年 『0時間の男』(中編集) 講談社 1955年 - 一般人に成りすまして暮らしているICPOの刈谷が、極秘任務を受け活躍する連作。 「人狩り特急」 「深海魚作戦」 「金髪特攻隊」 『上を見るな』 講談社「書き下ろし長編探偵小説全集 第5巻」として刊行 1955年 『その灯を消すな』  初出1957年 「宝石」、初刊行 1957年 桃源社 『事件弁護士』  初出1957年「宝石」、初刊行『屍蝋の市場』 1957年 光文社 『冥土の顔役』  初出1957年「面白倶楽部」、初刊行1958年 光文社 『悪魔の系図』  初出1958年「面白倶楽部」、初刊行1958年 光文社 『去来氏曰く』  1960年 桃源社「書き下ろし推理小説全集 第8巻」として刊行、1968年に『夜の指揮者』に改題 『黒い花束』  初出1959年「美しい十代」、初刊行1961年 光風社 『ふざけるな』  1970年 東京文藝社 『赤い影の女』 春陽文庫 1962年 - 赤いビニールのレインコートの美女が絡むファッション業界の殺人事件。 『赤い影の男』(中・短編集) 徳間文庫 1962年 『青衣の魔女』(中編集) 春陽堂書店 1976年 『冥土の顔役』 春陽文庫 1977年、光文社文庫 1988年 - 雨の中、赤いレインコートの女が行方不明になる。ゴム関連事件との繋がりを主人公は懸命に追う。 「梅雨夫人」 1977年 『有耶無耶岬殺人事件』 光文社  1984年 - 出羽の三崎関所に三本足のカラスが住んでいて、近くに手長足長がいるときは「ウヤ」と鳴き、いないときは「ムヤ」と鳴いたという伝説に因むふるさとミステリ第一弾。 『卑弥呼塚殺人事件』 光文社  1985年 『流しびな殺人事件』 光文社  1985年 - 山陰地方に伝わる流しびなに因む殺人事件。 『熱海伊豆山殺人事件』 光文社  1987年 『金色夜叉殺人事件』 光文社  1994年 『「好色一代男」殺人事件』 光文社  1999年 「山荘の絞刑吏」 1962年 - パット・マガーの『探偵を探せ』を連想させる倒叙ものと思わせて、ミスディレクションを仕掛けた異色中編。 『夜の火花』 桃源社  1977年 『人喰いの夜』 文華新書 1978年 - 大都会の裏側で乱舞する若者達を描く。 『赤い密室』 広済堂文庫  1991年 - TVドラマの撮影中、作り物のはずのダイナマイトが爆発、主演女優の重傷事件を捜査する刑事もの。 『炎の地図』 - バー放火事件を追う警視庁刑事と保険調査員。 (このほか、警察医もの、監察医もの等、社会派作品が多数。) 『菊太郎事件控』 春陽文庫 1983年 『お腹拝見』 『お添い寝比べ』 『夢屋敷の女』 『同心部屋御用帳』 徳間文庫 2007年 『紅の小指』 春陽文庫 『位牌間男』 『恋道丁半』 『影姫参上』 コスミック・時代文庫 2011年 『風姫八天狗』 春陽文庫 『山姫道中記』 春陽文庫 『月姫血笑記』 春陽文庫 『月姫八賢伝』 徳間文庫 - 「水金火木土天地人」の鏡を持つ八人の女たちが、運命に導かれ出会い仲間を増やしていく。 『お耳役檜十三郎捕物帖』 光文社時代小説文庫 『お耳役秘帳』 春陽文庫 『竜巻街道』 春陽文庫 『黒雲街道』 春陽文庫 『天明むざん絵図』 春陽文庫 『闇の顔役』 春陽文庫 『競艶八剣伝』 春陽文庫 『十手を磨く男』 春陽文庫 『開化探偵帳』 春陽文庫 『東国竜虎伝』 春陽文庫 『刃影青葉城』 春陽文庫 『江戸巌窟王』 春陽文庫 『素浪人無惨帖』 春陽文庫 『江戸上方 同心双六』 春陽文庫 「なぞの暗号」 1948年 小学館 (『小学五年生』1948/7月号掲載ほか) 『黄金孔雀』 (『少女』掲載ほか) 「カラサワ・コレクション 4. 島田一男『黄金孔雀』」 2004年 ^ NHKでドラマ化。島田もドラマ脚本に参画した。 ^ 日本テレビ系で。『プロファイター』としてドラマ化。 ^ テレビ東京系で『鉄道警察官・清村公三郎』としてドラマ化。 ^ タイトルは春陽堂書店のもの。「ハイウェイ」の場合あり。 ^ 『江戸の旋風』(えどのかぜ)としてフジテレビ系列でドラマ化。 事件記者 プロファイター 江戸の旋風 鉄道警察官・清村公三郎
島田一男
志水辰夫
志水 辰夫(しみず たつお、本名・川村 光暁(かわむら みつあき)、1936年12月17日 - )は日本の作家。高知県出身。 叙情的な文体で冒険アクションから恋愛小説、時代小説まで手がけ、その腕は「このミステリーがすごい!」などでも高く評価されている。特に初期はクライマックスを散文詩のように謳いあげ、シミタツ節の異名を取った。一方で悪ふざけに近いほどのドタバタに徹したコメディも手がけるなど、作風の幅は広い。 70歳を過ぎて、初の時代小説『青に候』(2007年) を上梓、「今後は時代小説に専念するつもり」との表明をしている。 高知商卒業後、公務員等の職を経て、出版社勤務。のちに雑誌のフリーライターとなり、40代で本格的に小説を書き始める。1981年8月に『飢えて狼』(講談社刊)でデビュー。 自他共に認める「永久初版作家」だった志水だが、1990年の日本冒険小説協会大賞受賞作にして「このミステリーがすごい!」で1992年度第1位に選出された『行きずりの街』が、2006年ごろから全国で18万部を売り上げるベストセラーになった。「このミス」1位作品であることをPRした帯がヒットの要因であるといわれている。著作は2年に一度新版が出るかどうかであったために志水自身も驚いているという。 1983年 - 『裂けて海峡』で第2回日本冒険小説協会賞優秀賞。 1985年 - 『背いて故郷』で第4回日本冒険小説協会大賞、第39回日本推理作家協会賞長篇部門。 1990年 - 『行きずりの街』で第9回日本冒険小説協会大賞。 1994年 - 『いまひとたびの』で第13回日本冒険小説協会大賞短編部門大賞。 2001年 - 『きのうの空』で第14回柴田錬三郎賞。 『飢えて狼』講談社、1981年 のち文庫、新潮文庫:長編) 『裂けて海峡』講談社ノベルス、1983年 のち文庫、新潮文庫:長編) 『あっちが上海』文藝春秋、1984年 のち文庫、集英社文庫:長編) 『尋ねて雪か』トクマ・ノベルズ、1984年 のち文庫:長編) 『散る花もあり』講談社ノベルス、1984年 のち文庫:長編) 『背いて故郷』講談社、1985年 のち文庫、双葉文庫、新潮文庫:長編) 『狼でもなく』徳間書店、1986年 のち文庫:長編) 『オンリィ・イエスタデイ』講談社、1987年 のち文庫、新潮文庫:長編) 『こっちは渤海』集英社、1988年 のち文庫:長編) 『深夜ふたたび』(1989年 徳間文庫:長編) 『カサブランカ物語』集英社、1989年 のち文庫:オムニバス) 『行きずりの街』新潮社、1990年 のち文庫:長編) 『帰りなん、いざ』講談社、1990年 のち文庫、新潮文庫:長編) 『花ならアザミ』講談社、1991年 のち文庫:長編) 『夜の分水嶺』徳間書店、1991年 のち文庫:長編…原著は「RVマガジン」連載) 『滅びし者へ』集英社、1992年 のち文庫:長編) 『冬の巡礼』角川書店、1994年 のち文庫:長編) 『いまひとたびの』新潮社、1994年 のち文庫:短編集) …「赤いバス」「七年のち」「夏の終わりに」「トンネルの向こうで」「忘れ水の記」「海の沈黙」「ゆうあかり」「嘘」「いまひとたびの」収録 『虹物語』集英社、1995年 『いつか浦島』と改題して集英社文庫:短編集) …「いつか浦島」「きみにかぐや姫」「身ぐるみシンデレラ」「プレーオフ」「虹物語」収録 『きみ去りしのち』光文社、1995年 のち文庫:短編集) …「きみ去りしのち」「TOO YOUNG」「センチメンタル・ジャーニー」「煙が眼にしみる」収録 『あした蜉蝣の旅』毎日新聞社、1996年 のち新潮文庫、集英社文庫:長編) 『情事』新潮社、1997年 のち文庫:長編) 『志水辰夫の十五少年漂流記』講談社、1997:再話) 『暗夜』マガジンハウス、2000年 のち新潮文庫:長編) 『きのうの空』新潮社、2001年 のち文庫:短編集) …「旅立ち」「短夜」「イーッ!」「家族」「かげろう」「息子」「高い高い」「夜汽車」「男親」「里の秋」収録 『道草ばかりしてきた』(2001年 毎日新聞社:エッセイ24編) 『負け犬』講談社、2002年 のち文庫:短編集) … 「ダチ」「柏」「二十年」「ボチャン!」「はたはた」「その先」「雪舞い」「旅のあとさき」収録 『生きいそぎ』集英社、2003年 のち文庫:短編集) …「人形の家」「五十回忌」「こういう話」「うつせみなれば」「燐火」「逃げ水」「曼珠沙華」「赤い記憶」収録 『男坂』文藝春秋、2003年 のち文庫:短編集) …「扇風機」「再会」「サウスポー」「パイプ」「長くもない日」「あかねの客」「岬」収録 『ラストドリーム』毎日新聞社、2004年 のち新潮文庫:毎日新聞連載長編) 『約束の地』双葉社、2004年 のち文庫:長編) 『うしろ姿』文藝春秋、2005年 のち文庫:短編集) …「トマト」「香典」「むらさきの花」「もう来ない」「ひょーっ!」「雪景色」「もどり道」収録 『青に候』(2007年 新潮社、のち文庫:長編) 『みのたけの春』(2008年 集英社:長編) 『つばくろ越え』(2009年 新潮社:短編集) 『引かれ者でござい 蓬莱屋帳外控』 新潮社 2010.8 『夜去り川』(2011年 文藝春秋:長編) 『待ち伏せ街道 蓬莱屋帳外控』(2011年 新潮社) 『疾れ、新蔵』(2016年 徳間書店) 「マイ・ベスト・ミステリー 1」(日本推理作家協会編) 「もっとも好きな自作」・・・・『ダチ』(『負け犬』に収録) 「もっとも好きな他人の作品」・・・・『入れ札』(菊池寛) 「頭の隅から」 「日本推理作家協会賞受賞作全集-51」:『背いて故郷』収録(双葉文庫)ISBN 4-575-65850-2 エンパラ 大沢在昌対談集 志水辰夫公式ページ
志水辰夫
山崎豊子
山崎 豊子(やまざき とよこ、1924年(大正13年)1月2日 - 2013年(平成25年)9月29日)は、日本の小説家。本名、杉本 豊子(すぎもと とよこ)。 大阪府大阪市南区(現:中央区)船場出身。実家は老舗昆布屋の小倉屋山本。1936年(昭和11年)、旧制大阪市芦池尋常小学校(現:大阪市立南小学校)卒業。1941年(昭和16年)、旧制相愛高等女学校(現:相愛中学校・高等学校)卒業。1944年(昭和19年)、旧制京都女子専門学校(現:京都女子大学)国文学科卒業。 旧制女専を卒業後、毎日新聞社に入社した。大阪本社調査部を経て1945年(昭和20年)学芸部に勤務し、学芸副部長(当時)・井上靖のもとで記者としての訓練を受けた。勤務のかたわら小説を書きはじめ、1957年(昭和32年)に生家の昆布屋をモデルに、親子二代の船場商人を主人公とした『暖簾』を刊行して作家デビュー。出版後すぐに映画・ドラマ化され、人気を博した。翌年吉本興業を創業した吉本せいをモデルに大阪人の知恵と才覚を描いた『花のれん』により第39回直木賞受賞。新聞社を退職して作家生活に入った。 初期の作品は船場など大阪の風俗に密着した小説が多く、その頂点が足袋問屋の息子の放蕩・成長を通して商魂たくましく生き抜く大阪商人の典型を描いた『ぼんち』であり、市川雷蔵主演により映画化された。1961年(昭和36年)『女の勲章』取材中に元同僚と結婚。1963年(昭和38年)より連載を始めた『白い巨塔』は大学病院の現実を描いた鋭い社会性で話題を呼び、田宮二郎主演で映画化されたほか、数回に亘りテレビドラマ化された。これも大阪大学医学部がモデルとなっており、大阪の風俗が作品への味付けとなっている。神戸銀行(現:三井住友銀行)をモデルとした経済小説、『華麗なる一族』も佐分利信の主演で映画化され、さらに2度に亘りテレビドラマ化された。 その後、テーマ設定を大阪から離し、戦争の非人間性など社会問題一般に広げていった。『不毛地帯』、『二つの祖国』、『大地の子』の戦争3部作の後、日本航空社内の腐敗や日本航空123便墜落事故を扱った、『沈まぬ太陽』を発表した。 1991年(平成3年)、菊池寛賞受賞。1993年(平成5年)大地の子などの印税を基に「山崎豊子文化財団」を設立し、日本に帰国した中国残留孤児の子供の学資を援助した。21世紀に入ってからは、『文藝春秋』2005年(平成17年)1月号から2009年(平成21年)2月号まで西山事件をモデルとした『運命の人』を連載した。新潮社で『沈まぬ太陽』までの作品を収めた『山崎豊子全集』全23巻が刊行され、2005年(平成17年)に完結。2009年(平成21年)『運命の人』で毎日出版文化賞特別賞受賞。 『大地の子』で引退を考えたが、「芸能人には引退があるが、芸術家にはない、書きながら柩に入るのが作家だ」と新潮社の斎藤十一に言われ、執筆活動を継続した。 2013年8月より週刊新潮にて新作「約束の海」の連載を開始していたが、第1部(20話)を書き上げた後に体調不良となり堺市内の病院に緊急入院し、2013年9月29日に呼吸不全のため死去。89歳没。葬儀は10月1日、堺市内の自宅で営まれた。故人の遺志により密葬形式が取られ、親族と出版社の関係者ら約40人が参列。著名人の姿はなかった。戒名は「松壽院慈簾翠豊大姉」。 2015年に、旧宅で1945年1月から3月にかけて書かれた日記が見つかった。また、生年月日について1924年11月3日であるとされていたが、山崎豊子文化財団から戸籍上は同年1月2日であると発表された。 2015年9月25日より追悼展「追悼 山崎豊子展 〜不屈の取材、情熱の作家人生〜」が東京・日本橋髙島屋( - 10月5日まで)を皮切りに、横浜・京都・大阪の髙島屋各店で2016年2月まで開催された。 2016年7月に、墓所は藤次寺(大阪市天王寺区生玉町)である事が公表された。また、没後3年となるこの年から山崎豊子文化財団が命日(9月29日)を「豊子忌」(とよこき)と名付け、ファンへの恩返しのために墓所が同年10月2日まで一般公開された。 1958年 - 『花のれん』にて第39回直木三十五賞 1959年 - 『ぼんち』にて大阪府芸術賞 1963年 - 「花紋」にて第2回婦人公論読者賞 1968年 - 「花宴」にて第6回婦人公論読者賞(後に、盗作問題で賞を返上) 1990年 - 『大地の子』にて第52回文藝春秋読者賞 1991年 - 第39回菊池寛賞 2009年 - 『運命の人』にて第63回毎日出版文化賞特別賞 「日本のバルザック」と呼ぶファン[誰?]がいる一方、参考とした資料をほとんど脚色せず作品に反映させたため、盗作との指摘を資料の執筆者から何度も受けている。 1968年(昭和43年)、『婦人公論』に連載中だった長篇小説『花宴』の一部分がレマルクの『凱旋門』に酷似していることを指摘されている。山崎は、秘書が資料を集めた際に起った手違いであると弁明したが、その後さらに芹沢光治良『巴里夫人』や中河与一『天の夕顔』からの盗用も判明したため日本文芸家協会から脱退した(1969年に再入会)。さらに、婦人公論の編集長が辞任。1973年には『サンデー毎日』連載中の『不毛地帯』において、今井源治『シベリアの歌』からの盗用があるとして問題となった。1987年から文藝春秋で連載された『大地の子』をめぐっては、遠藤誉(当時筑波大学教授)から自著『卡子(チャーズ)―出口なき大地―』に酷似しているとして訴訟にまで発展した(裁判では遠藤の主張は認められなかった)。 『大地の子』の編集者によると、山崎は「長編に6〜7年かかるが、失敗したら6〜7年がパー(ゼロ)や。」と大阪弁で言ったが、長編に取り掛かると短編も書かない。エッセイも『大地の子』関連しかしない。対談も講演もしない。前作を超えるものを自分に課していた。そのために取材し、イマジネーションと(取材した)事実を往復する事で、イマジネーションを超える事実に行き着いた。 山崎豊子全集(全23巻、2003年12月 - 2005年11月/第II期全4巻、2014年9月 - 12月、いずれも新潮社) 主要作品の大半が映画化およびドラマ化されている。現時点で一度も映像化されていないのは、中・短編小説では『死亡記事』、『ムッシュ・クラタ』、『へんねし』、『醜男』、『晴着』、長編小説では『仮装集団』、『約束の海』である。 『大地の子』と私(1996年、文藝春秋/1999年、文春文庫) ISBN 4167556057 山崎豊子 自作を語る 単行本 1 作家の使命 私の戦後(2009年、新潮社) ISBN 4103228202 2 大阪づくし 私の産声(2009年、新潮社) ISBN 4103228210 3 小説ほど面白いものはない(2009年、新潮社) ISBN 4103228229。対談本 文庫 作家の使命 私の戦後 作品論(2011年、新潮社) ISBN 4101104492 大阪づくし 私の産声 人生編(2011年、新潮社) ISBN 4101104506 鵜飼清 『山崎豊子 問題小説の研究』(社会評論社、2002年) 『山崎豊子 全小説を読み解く』(洋泉社ムック、2009年) 『山崎豊子スペシャル・ガイドブック』(新潮社、2015年) 野上孝子 『山崎豊子先生の素顔』(文藝春秋、2015年/文春文庫、2018年9月) ISBN 4163903054 大澤真幸 『山崎豊子と〈男〉たち』(新潮社〈新潮選書〉、2017年5月) ISBN 4106038072 『山崎豊子読本』(新潮文庫、2018年8月)。同編集部編 ^ 『船場育ち』楠本憲吉、PHP研究所, 1976 ^ 『編集者斎藤十一』斎藤美和編(冬花社、2006年)参照 ^ 山崎豊子さん死去:文化財団があいさつ文 毎日新聞 2013年10月3日 ^ 山崎豊子さん、約40人が密葬 ^ 「この無惨、惨状、戦争は絶対いけない」 山崎豊子さん戦時下の日記東京新聞夕刊 2015年7月13日 ^ 追悼 山崎豊子展 ~不屈の取材、情熱の作家人生~ 髙島屋公式サイト ^ 山崎豊子さん墓所、初の一般公開 大阪・藤次寺毎日新聞、2016年9月29日 ^ 大村彦次郎『文壇うたかた物語』(筑摩書房、1995年)p.132 ^ "小説に命を刻んだ 〜山崎豊子 最期の日々〜". クローズアップ現代. NHK. 2013年11月19日放送. クローズアップ現代 小説に命を刻んで~山崎豊子 最期の日々~ 山崎豊子 - NHK人物録
山崎豊子
生島治郎
生島 治郎(いくしま じろう、1933年1月25日 - 2003年3月2日)は、日本の小説家。本名、小泉 太郎(こいずみ たろう)。筆名は結城昌治が考えた。 上海生まれ。敗戦後、1945年に長崎に引き揚げ、母の郷里金沢に移る。その後、父が横浜で職を持ったため横浜に転居した。 中学3年から神奈川県立横浜翠嵐高等学校にかけての同期に青木雨彦と宮原昭夫がいた(ただし宮原は高校在学中に胸を患って数年間休学している)。高校時代から小説を書き始め、早稲田大学第一文学部英文学科在学中は青木雨彦や高井有一や富島健夫と同じ同人誌(早稲田大学現代文学会)に所属。傍ら、港湾関係のアルバイトで肉体労働を経験する。早稲田大学英文学科の同級に小林信彦がいた。1955年卒業。卒論のテーマはジョナサン・スウィフト。 空前の就職難に苦しんだが、大学の友人の紹介で美術評論家植村鷹千代の主宰するデザイン事務所に就職。ここで知り合った画家勝呂忠の紹介により、約1年後に早川書房入社。当時の上司(編集部長)に田村隆一がいた。早川書房時代については『浪漫疾風録』に詳しい。 初代編集長田中潤司のもとで、江戸川乱歩監修による日本語版『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』の編集に従事。のち、田中の辞職に伴って新編集長都筑道夫を迎えた。 田村の下訳でロアルド・ダールの日本語初訳(『あなたに似た人』)を手がけた後、常盤新平とともに、開高健訳『キス・キス』の下訳を行う。早川書房の俸給の安さに苦しみ、密かに内職として社外の原稿を執筆しなければならなかったことから文筆家の道に入った。 26歳のとき、都筑の退社に伴って『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』の編集長に就任。約7年間の在社を経て、1963年、小説執筆を目的に早川書房を退社し、半年を費やして『傷痕の街』を完成。この作品が1964年3月、佐野洋の口利きにより講談社から刊行され、作家としてデビューした。1967年、『追いつめる』で第57回直木賞。 最初の妻小泉喜美子(旧姓杉山)とは26歳の時に結婚した。離婚後に川崎の堀之内のソープランドで知り合った韓国籍のソープ嬢と再婚し、その体験を自ら小説化(片翼シリーズ)して話題となったが、後に離婚した。 江戸川乱歩賞の選考委員を務めたときの選評には必ず「古い枠にとらわれることなく、自分が書きたいと思ったことを推理小説に仕立て上げてほしい」などと述べている。そのためか本格推理小説が応募されてくるとその作品についての評は辛くなっている。 1989 - 93年、日本推理作家協会の理事長を務めた。 2003年3月2日、肺炎のため、逝去。70歳没。葬儀委員長は作家の大沢在昌が務めた。 高城高、大藪春彦、河野典生らに引き続き日本のハードボイルド小説の基礎を築いた。他の代表作に『黄土の奔流』『片翼だけの天使』など。天知茂主演のテレビドラマ『非情のライセンス』は、生島治郎の兇悪シリーズが原作である。 死者だけが血を流す 講談社 1965 のち文庫、徳間文庫   東京2065 早川書房 1966 (ハヤカワ・SF・シリーズ) 悪人専用 講談社 1966 のち集英社文庫  愛さずにはいられない 三一書房 1967 のち旺文社文庫  鉄の棺 文藝春秋 1967 (ポケット文春) のちケイブンシャ文庫  死者たちの祭り 東京文芸社 1968 のち旺文社文庫  淋しがりやのキング 徳間書店 1968 熱い風、乾いた恋 講談社 1968 のち旺文社文庫  影が動く 桃源社 1969 (ポピュラー・ブックス) 死ぬときは独り 文藝春秋 1969 (ポケット文春) のち集英社文庫、講談社文庫   ふりかえらずに、走れ! 集英社 1969 (コバルト・ブックス) 雄の時代 読売新聞社 1969 (新事件小説全集) のち講談社文庫  脱落 東京文芸社 1970 (Tokyo books) 狙われる男 桃源社 1970 (ポピュラー・ブックス) のち春陽文庫  男たちのブルース 文藝春秋 1970(ポケット文春) のち中公文庫、集英社文庫  日本ユダヤ教 東京文芸社 1971 (Tokyo books) 薄倖の街 中央公論社 1971 のち集英社文庫  運命を蹴る 毎日新聞社 1971 のち集英社文庫 止めの一撃 桃源社 1971 (ポピュラー・ブックス) 殺しの前に口笛を 双葉社 1971 のち集英社文庫   さすらいの狼 竜を狙った罠 実業之日本社 1972 のち春陽文庫、集英社文庫  さすらいの狼 さすらいの旅は終った 実業之日本社 1972 さすらいの狼 十文字の竜 実業之日本社 1972 闇に生きる 双葉社 1972 (双葉推理小説シリーズ) 汗血流るる果てに ベストセラーズ 1972 のち集英社文庫、徳間文庫   裏切りの街角 桃源社 1973 (ポピュラー・ブックス) のち旺文社文庫  脅喝者 双葉ノベルス 1973 のち徳間文庫  あなたに悪夢を 桃源社 1974 のち講談社文庫  火中の栗を拾え 東京文芸社 1974 (Tokyo books) 背をむける男たち 平安書店 1974 (Marine books) 報酬か死か 桃源社 1975 (ポピュラー・ブックス)のち春陽文庫、徳間文庫  燃えつきる男たち 桃源社 1976 (ポピュラー・ブックス) 白いパスポート 実業之日本社 1976 (ジョイ・ノベルス) のち集英社文庫  危険な女に背を向けろ 桃源社 1977 のち旺文社文庫  砕かれる 集英社 1979.4 のち文庫  対決 桃源社 1979.6 ダイヤモンドはわが墓石 トクマ・ノベルズ 1980 のち文庫  悪意のきれっぱし 講談社 1980.7 のち文庫、ケイブンシャ文庫   ザ・シャドウ刑事 徳間文庫 1980 銀座迷宮クラブ 徳間文庫 1981 暗殺をしてみますか? 集英社 1981 のち文庫  犯罪ラブコール のんびり刑事未解決事件簿 実業之日本社 1982 (ジョイ・ノベルス) のち集英社文庫  夜明け前に撃て 集英社 1982.8 のち文庫、ケイブンシャ文庫  透明な牙 講談社ノベルス 1982 のち文庫 冷たいのがお好き 旺文社文庫 1983 殺人現場へもう一度 光風社出版 1983.1 明日を殺せ 光文社文庫 1984 のちケイブンシャ文庫  死は花の匂い 旺文社文庫 1984 地獄からの脱走 三推社 1985 のち講談社文庫  ぎゃんぶるハンター 講談社ノベルス 1985 のち文庫、集英社文庫   もっとも安易なスパイ 光風社出版 1985 のちケイブンシャ文庫  犯罪ハネムーン 新婚刑事事件簿 実業之日本社 1985 (ジョイ・ノベルス) のち集英社文庫  ザ・格闘者 徳間文庫 1986 「腐ったヒーロー」双葉文庫  ブラック・マネー 集英社 1986 のち文庫  異端の英雄 サンケイ出版 1987 のち集英社文庫、角川文庫   君は殺し屋 集英社 1987 のち文庫、双葉文庫   非紳士協定 5番アイアン殺人ショット 光文社 1987 (カッパ・ノベルス) のち文庫  犯罪スイートホーム タフガイ・ベイビイ事件簿 実業之日本社 1987(ジョイ・ノベルス) のち集英社文庫 死んでたまるか 徳間文庫 1987 死にぞこないの街 徳間文庫 1988 オペレーション・O 実業之日本社 1989.4 のち集英社文庫  腹中の敵 徳間文庫 1989  幕末ガンマン 講談社 1990.12 のち文庫 乱の王女 1932愛と哀しみの魔都・上海 集英社 1991.6 のち文庫、中公文庫   女・恐怖物語 集英社 1991 「七つの愛・七つの恐怖」文庫 裏切りへの花束 実業之日本社 1992.1 のち集英社文庫  最も危険な刑事 女極道警部秋吉真美 学習研究社 1993 のち双葉文庫  28のショック 出版芸術社 1993 (ふしぎ文学館) のち双葉文庫  浪漫疾風録 講談社 1993.10 のち文庫(自伝小説)   星になれるか 浪漫疾風録第2部 講談社 1994 のち文庫 暗黒街道 実業之日本社 1994.10 (ジョイ・ノベルス) 上海無宿 中央公論社 1995.1 のち文庫  血と絆 角川書店 1996.10 のち文庫  しんどすぎる殺人 小学館 1996.6 兇人 光文社 1996 (カッパ・ノベルス) のち文庫  暴犬 祥伝社 1996 (Non novel) のち文庫  明日なき者たち A private detective Shanghai 1939 中央公論社 1997.6 のち文庫  女首領 チャイニーズ・ゴッドマザー 実業之日本社 1998 (ジョイ・ノベルス) 鬼 光文社 1999 (カッパ・ノベルス) 老いぼれ刑事 実業之日本社 2001 (ジョイ・ノベルス) 傷痕の街 講談社、1964 のち文庫、集英社文庫、角川文庫    死はひそやかに歩く 東京文芸社 1969 のち春陽文庫、徳間文庫、ケイブンシャ文庫  黄土の奔流 光文社(カッパ・ノベルス) 1965 のち講談社文庫、中公文庫、光文社文庫、双葉文庫、角川文庫    夢なきものの掟 光文社 1976 (カッパ・ノベルス) のち講談社文庫、光文社文庫、角川文庫    総統奪取 講談社、1990 のち文庫、角川文庫   上海カサブランカ 双葉社、2001  追いつめる 光文社(カッパ・ノベルス) 1967 のち講談社文庫、中公文庫、集英社文庫、光文社文庫、徳間文庫     あの墓を掘れ 桃源社 1971 (ポピュラー・ブックス) のち春陽文庫、集英社文庫   友よ、背を向けるな 実業之日本社 1979 のち集英社文庫  密室演技 徳間文庫、1985  ヤクザ刑事 トクマ・ノベルズ、1988 のち文庫  殺人者は夜明けに来る トクマ・ノベルズ、1989 のち文庫  死に金稼業 トクマ・ノベルズ、1990 のち文庫  人生最後の殺人事件 光文社文庫、1991 のち徳間文庫   世紀末の殺人 (1992年、スコラ)のち講談社文庫 修羅の向う側 (1999年、徳間書店) 兇悪の門 (1973年、講談社)のち文庫、徳間文庫   兇悪の眼 (1974年、講談社)のち文庫、「兇悪の紋章」徳間文庫   兇悪の炎 (1977年、講談社)のち文庫、「兇悪のゴールド」徳間文庫、 兇悪の拳銃 (1983年、講談社ノベルス)のち文庫  兇悪の警察 (1988年、講談社ノベルス)のち文庫  賭けるものなし (1979年、徳間書店)のち文庫  暗黒指令 (1979年、徳間書店)のち文庫、双葉文庫   抹殺指令 賭けるものなしpart3 (1981年、徳間書店)のち文庫、双葉文庫   国際誘拐 (1996年、双葉社)のち文庫  片翼だけの天使 (1984年、集英社)のち文庫、講談社文庫、小学館文庫 1986年映画化 続・片翼だけの天使 集英社、1985 「片翼だけの恋人」文庫   片翼だけの青春 (1985年、集英社)のち文庫  片翼だけの結婚 (1985年、文藝春秋)のち集英社文庫  片翼だけの女房どの (1988年、集英社)のち文庫  ホームシック・ベイビー 片翼だけの韓国 (1992年、集英社)のち文庫  暗雲 さようならそしてこんにちは「片翼だけの天使」 (1999年、小学館)「天使と悪魔のあいだ」角川文庫 眠れる意識を狙撃せよ 双葉社 1974 反逆の心をとり戻せ 双葉社 1974 ハードボイルド風に生きてみないか ベストセラーズ 1979 (ワニの本) のち文庫  女の寸法男の寸法 サンケイ出版 1981 のち徳間文庫 名探偵ただいま逃亡中 集英社 1990 のち文庫  ゴルフ快楽理論 ダブルボギー・マンに捧ぐ 読売新聞社 1993.11 生島治郎のトラブル・ショット 実業之日本社 1995.9 ※以下の他にも、本名名義でミステリー・SFの短編、中編、ショートショートを訳出しており、一部はアンソロジーに収録されている。 時の風 チャド・オリヴァー 早川書房 1960 本名名義で ザ・ファイト / ノーマン・メイラー 集英社 1976 みどりの瞳 / エドナ・オブライエン 集英社 1966 のち文庫 ^ a b 『私の父、私の母』中央公論社、1994年、26-31頁 いずれも生島が原作のテレビドラマ ブラックチェンバー 特命捜査室 ゴールドアイ 非情のライセンス
生島治郎
藤原審爾
藤原 審爾(ふじわら しんじ、1921年(大正10年)3月7日 - 1984年(昭和59年)12月20日)は、日本の小説家。純文学から中間小説、エンターテイメントまで幅広い作品を手がけ、「小説の名人」の異名を取った。 初期の代表作『秋津温泉』や『泥だらけの純情』『新宿警察』など映画、ドラマ化された作品も数多い。 東京市本郷に生まれる。3歳で母と生別、6歳で父と死別し、父の郷里である岡山県片上町(現在の備前市・法鏡寺がある場所)で祖母に育てられた。閑谷中学校を経て、青山学院高等商業部に進むが、肺結核のため中退する。療養生活を続けながら雑誌社で編集を手伝う傍ら、外村繁に投書雑誌の選者をしていた縁で師事して創作活動を行い、同人誌『曙』を発行。1945年の岡山空襲で吉備津に疎開、戦後は倉敷市に移り、同人誌『文学祭』を発行する。これに掲載した「煉獄の曲」が河盛好蔵に認められた。 1946年に外村の雑誌『素直』に「破倫」、また河盛の推薦で『新潮』に「永夜」、『新生』に「初花」を発表する。この頃は骨董屋になろうとしていたが、翌年奥津温泉を舞台にした美しい文章の恋愛小説「秋津温泉」を発表し、文壇での評価を得て1948年に上京して外村の家に下宿しながら本格的に作家活動に入る。新宿で焼け跡闇市派作家として酒と麻雀の放蕩無頼の生活をしつつ、話題作「魔子を待つ間」などを発表するが肺結核が再発して入院する。1950年に2度の大手術で肋骨8本を切除した。藤原はこの1952年までの入院期期間中にも入院費の捻出と妻子への仕送りのために小説を書き続け、中間小説誌ブームに乗って社会派風俗小説の書き手となった。 1952年、「罪な女」「斧の定九郎」「白い百足虫」で第27回直木賞を受賞、この頃親友の戸石泰一のつながりで日ソ図書館の文学学校や中央労働学院の講師、また雑誌『文学の友』(旧『人民文学』)の編集委員も勤めた。占領軍による暴行、陵辱事件を扱った「裏切られた女達」を1955年に『小説公園』に連載(後に『みんなが見ている前で』として出版)。また『赤い殺意』『恐喝こそわが人生』などのサスペンス小説、犯罪小説を量産した。1962年、「殿様と口紅」で小説新潮賞を受賞する。 1970年頃から『赤い標的』『薄毛の女』などのスパイ小説、『総長への道』『昭和水滸伝』などの仁侠ものを発表する。1972年「狼よ、はなやかに翔べ」に始まる、『熊鷹-青空の美しき狩人』などの動物小説などを発表。1977年以降『死にたがる子』『落ちこぼれ家庭』『結婚の資格』など、家庭の問題をテーマとした、社会性の強い作品を手がける。『みんなが見ている前で』『不良外人白書』などのドキュメンタリー風作品、『ろくでなしはろくでなし』、短編集『拳銃の詩』などのハードボイルド小説、『さきに愛ありて』などの教養小説、恋愛小説、『三行人生』『わが国おんな三割安』などのユーモア小説、『天才投手』などのスポーツ小説、『武士道地獄』などの歴史・時代小説、『藤十郎狸武勇伝』『妖怪の人間狩り』などの幻想的な作品もある。「庭にひともと白木蓮」は山田洋次により『馬鹿まるだし』として映画化されて「馬鹿シリーズ」に続き、本作でのエピソードを積み重ねる手法は『男はつらいよ』シリーズにも踏襲された。『わが国おんな三割安』中の作品は、松竹の「喜劇・女シリーズ」として3作が映画化されている。 また藤原は1950年代から「藤原学校」と呼ばれる勉強会を自宅で開き、三好京三、山田洋次、江國滋、色川武大、高橋治らの後進を育てた。 ライフワークとして『宮本武蔵』の執筆を進める中、1984年に癌で入院し4ヶ月の入院生活の後に死去した。藤原の娘の真理は女優の藤真利子である。 1947年に発表して、作家としての地位を得るきっかけとなるとともに藤原の初期の代表作として挙げられる。戦時中の21歳頃から書き進めていて、1947年に前半を『人間別冊』に、後半を『別冊文藝春秋』に掲載。1948年、講談社の新鋭文学選書として刊行された。加筆したものを1949年に新潮社より刊行。1988年に集英社文庫刊。 藤原自身にも重なる境遇の、両親のない17歳の少年が伯母に連れられて山奥の秋津の温泉宿を訪れ3年後、その5年後、また8年後と繰り返し秋津を訪れながらそこで出会った女性と妻子を持つ身となっていく主人公の関わりを叙情的に描いている。井伏鱒二も藤原について「底抜けに詩情ゆたかな筆致」「戦後の混乱した世相と対蹠的で特に引きたった」と評している。舞台の秋津温泉は、岡山県の奥津温泉がモデルの架空の地名で、また藤原が伯母に連れられて湯治に訪れていた紀州の温泉もモデルの一つ。この伯母と思われる人物を描く短編「紅顔」(1948)もある。 1962年、松竹にて岡田茉莉子の企画・主演、吉田喜重監督で映画化された。 本作や「愛撫」、新宿の飲み屋の魔子を愛する経緯を描いた連作「魔子シリーズ」など私小説的な初期作品は、心理主義、文体と情感で読ませる作風と言われる。「魔子シリーズ」は妻子を岡山の実家に帰して東京で執筆を続ける作家である「私」が、屋台にいる若い女魔子と愛し合うようになり、一時帰郷した岡山から魔子に手紙を書く「魔子への手紙」、屋台で酒を飲みながら魔子に耽溺していく自分をみつめている「魔子を待つ間」、魔子の家族にも二人の関係が知れて「私」は別離の予感も覚えながら仕事のために転居するが、その宿へ魔子が訪れて来る「初夜」の3作、また昭和29年までについての自伝的作品として『愛の夜 孤独の夜』がある。 『秋津温泉』講談社 1948(加筆版 新潮社, 1949) 『初花』桜井書店 1947(短編集) 『浮寝』改造社 1948 『藤の実の落ちる季節』改造社 1949 『魔子』世界社 1950 (「魔子への手紙」「魔子を待つ間」「初夜」) 新宿にある架空の警察署「新宿警察」を舞台に、根来刑事を初めとする刑事たちの活躍を描く警察小説。エド・マクベインの87分署シリーズのように複数の刑事達の行動が並行して描かれるスタイルで、「日本の87分署」とも言われる。1975年に「新宿警察」としてテレビドラマ化された。執筆当初は実際には新宿の警察署は淀橋警察署という名前で、新宿警察署というのは実在しない架空の警察署だった。自身では「ある時会った所轄の刑事たちが〜燃えるような情熱をもっていることを知って、わたしはそれにうたれた」のを契機に書き始めたと述べている。 『新宿警察』 報知新聞社 1968年(短編集) 『新宿警察 新宿広場』 報知新聞社 1969年(短編集) 『マリファナ』 双葉社 1972(短編集) 『新宿真夜中ソング』 桃園書房 1974年 (短編集) 『新宿警察』双葉社 1975年(短編集) 『夜だけの恋』双葉社 1975年 のち角川文庫(『漫画サンデー』1970/1/7・15合併号-8/8号に連載、連載時題は「新宿その暗黒の恋」) 『続新宿警察』双葉社 1975年(短編集) 『愛しながら殺せ』グリーンアロー出版社 1975年(短編集) 『マリファナ殺人事件』 実業之日本社 1977年(短編集) 『新宿心中』 実業之日本社 1978年 『真夜中の狩人』 実業之日本社 1978年 のち角川文庫(短編集) 『あたしにも殺させて』 双葉社 1984年 「新宿西口ビル街殺人事件」(『ろくでなしはろくでなし』に併録) 『新宿警察』『慈悲の報酬』『所轄刑事』『新宿生餌』双葉社 2009年(短編集、1975年『新宿警察』『続新宿警察』を分冊化したもの) (各出版社の短編集には重複して収録されている作品がある。) また『よるべなき男の仕事・殺し』 『女の性の精』『わが国おんな三割安』の舞台も「新宿署」の管轄で、シリーズ中の刑事が登場する。 『恋愛神話』矢代書店, 1950 『湖上の薔薇』新潮社, 1950 『新版好色一代男』新潮社, 1950 『花びらの肖像』東京文庫, 1951 『伊豆物語』東京文庫, 1951 『青春の肖像』小説朝日社 1952(「罪な女」所収) 『安五郎出世』小説朝日社, 1952 『藤十郎狸武勇伝』三啓社, 1953 『好色五人女』紫書房 1953 『海の囁き』山田書店, 1955 『みんなが見ている前で 占領下日本女性受難の記録』正続 鱒書房(コバルト新書) 1955 『ぼくらの恋人たち』河出書房 1955 『三行人生』東方社 1956 のち徳間文庫 『裏切られた女達』大日本雄弁会講談社(ロマン・ブックス) 1956 『東京のサラリーガール』東洋書館, 1956 『辱しめられても』虎書房, 1957 『みんなが知っている 百万支那派遣軍による中国婦女子の受難』春陽堂書店 1957 『この女に手を出すな』東方社, 1957 『人斬り稼業』講談社 1957年 『夜ひとり哭く』光風社 1958 『悪魔と天使の季節』大日本雄弁会講談社, 1958 『青い夢の夜』光風社, 1958 『盗賊説法』和同出版, 1958 『愛染天使』小壷天書房, 1958 『果しなき欲望』光風社, 1958 『恋がノックをする時』和同出版社, 1959 『愛のかたち』平凡出版 1959 『赤い殺意』光文社 1959 のち集英社文庫 『千姫』中央公論社 1959 『太陽は狂ってる』(原題「ちんぴら」),1960頃,オール読物所載 『静かな脱獄者』アサヒ芸能出版 1960年 『若い刑事』彌生書房 1960年 『花と風とギャング達』昭和書館, 1961(『生きる女性』1960年連載) 『可愛いめんどりが歌った』東方社, 1962 (『週刊平凡』1960年連載) 『金と女と死』東方社, 1961 のち角川文庫 『恐喝こそわが人生』『共同通信』1962年連載(のち報知新聞社 1968年、角川文庫) 『泥だらけの純情』七曜社 1962年(短編集) 『結婚までを』講談社, 1963 のち集英社文庫 『殿様と口紅』新潮社, 1963年(短編集) 『ぐれん隊純情派』七曜社, 1963 『三尺高い空の上-鼠小僧異聞-』双葉社 1964(『サンケイ新聞』1962年連載) 『黄金の女』光風社, 1964 『好色七人女』双葉社 1965年(短編集) 『逃亡者』久保書店 1965年 『わたしの事情』講談社 1965年 『赤い関係』双葉社, 1966年 (『週刊大衆』1965年連載) 『愛と孤独と昼と夜』講談社, 1966 『愛しながらの別れ』春陽文庫 1966 『悪魔からの勲章』双葉社, 1967 『赤い標的』双葉社, 1968 のち角川文庫 『武士道地獄』報知新聞社, 1968 のち角川文庫 『孤狼のバラード』日本文華社 1968年 『不良外人白書』講談社, 1969 『贅沢な殺人』文藝春秋 1969 のち角川文庫 『赤い殺し屋』日本文華社, 1969 『殺しの手順』秋田書店 1969年 『女類妻族』報知新聞社 1969年 『女の性の精』講談社, 1970 『わが国おんな三割安』徳間書店 1970 のち文庫 『赤い愛の生活』双葉社, 1970 『新宿その暗黒の恋』実業之日本社, 1970 『青春売ります』青樹社 1970 『散歩のように恋を』桃園書房 1971 『総長への道』(シリーズ) 双葉社, 1971年(『週刊大衆』1970-71年連載)のち角川文庫 『昭和おんな仁義』実業之日本社, 1971 『夜は回転する』日本文華社, 1972 『東京下町しあわせ人間』世紀出版, 1972 『天才投手』KKベストセラーズ, 1972年(『報知新聞』1971年連載)のち徳間文庫 『旅鴉でござんす』日本文華社, 1972 『おそい愛』東邦出版社, 1972 のち講談社文庫 『藤原審爾の奇妙種族』KKベストセラーズ, 1972(「わが国おんな三割安」「今日駄目人間」) 『総長への道・番外編』双葉社 1972年 『狼よ、はなやかに翔べ』講談社 1973 のち角川文庫(「山犬たちが吠える夜」「赤い人食い熊」「黒豹よ、魔人のごとく襲え」) 『愛すること死ぬこと』東邦出版社 1973 『藤原審爾の極楽亭主』KKベストセラーズ, 1973(「東京どまんなか」「わが国女房五割安」) 『ろくでなしはろくでなし』いんなあとりっぷ社 1974年(『小説新潮』1973年連載)のち角川文庫 『さきに愛ありて』第1-6部 新潮社, 1973-77年(『赤旗 日曜版』1973-76年連載)(新潮文庫 1985年) 『へそまがり』中央公論社, 1974(『地上』1973年連載)(徳間文庫『われらが国のへそまがり』1985年) 『シャム猫ロマンの放浪』新潮社, 1974 『妖怪の人間狩り』ベストセラーズ, 1974 『花氷』いんなあとりっぷ社, 1974年(『京都新聞』1972年連載)(講談社文庫 1978) 『あこがれの関係』講談社, 1974年(『週刊現代』1973年連載)(角川文庫 1982年) 『鴉五千羽夕陽に向う』読売新聞社 1975 のち角川文庫 (『小説現代』1974年連載『今、鴉五千羽、夕陽に向う』改題) 『昭和水滸伝』双葉社 1974-76年(『週刊大衆』1973-74年連載)のち角川文庫 、小学館文庫 『黒幕』新評社 1975、角川文庫 1978(『新評』1973年連載) 『女王陛下は御満悦』ベストセラーズ, 1975 のち徳間文庫 『野球賭博』ワールドフォトプレス, 1975 『よるべなき男の仕事・殺し』双葉社, 1975 のち角川文庫 『三人姉妹』東邦出版社, 1975 『女の頭男の頭 ぎょっとする17個所』青春出版社 1975 『鏡の間』講談社 1976 『私は、ヒモです』実業之日本社, 1976 のち徳間文庫(「庭にひともと白木蓮」所収) 『薄毛は悪女』双葉社 1976(のち『暗号名は赤い蛇』に改題、角川文庫) 『エンタープライズ爆破計画』双葉社 1976 のち角川文庫 『薔薇の人』文藝春秋 1976 『寝息』光風社 1976年 『愛すべき人物』双葉社, 1977年(『週刊読売』1967年連載)のち徳間文庫 『怒りて猿よ山を揺すれ』光文社, 1977 のち角川文庫 『天の花と実』新潮社, 1977 『スパイ・その苦い歳月』双葉社, 1978 のち角川文庫 『死にたがる子』新日本出版社 1978 のち新潮文庫 『大妖怪』文藝春秋, 1978 のち文庫、集英社文庫 『東京の真赤な雲雀』双葉社, 1978(1981年角川文庫化時に『国際大謀略作戦』に改題) 『天空拳勝負録』双葉社 1978 のち角川文庫 『恐喝その死の匂い』双葉社 1979 『落ちこぼれ家庭』新日本出版社, 1979 のち新潮文庫 『誰でも愛してあげる』双葉社, 1979 のち徳間文庫 『愛の夜 孤独の夜』講談社、1980年 『これがビッグドライブだ』ごま書房(ゴマブックス) 1980 『絵本の騎士』実業之日本社, 1981 『結婚の資格』新日本出版社, 1981 のち新潮文庫 『熊鷹青空の美しき狩人』文藝春秋, 1982 『風と夢・オンザロード』三推社, 1983 のち角川文庫 『まだ愛を知らない』新日本出版社, 1984-85(未完) 『涙ながして、また夜』新潮社, 1984 ほか。作品の正確な書誌は作成できておらず、特に量産期に未単行本化の不明作品があると見られている。 『孤独のために感傷のために わが闘病の記録』春陽堂書店 1958年 『日本やきもの旅行5』 平凡社 1976年(共著) 『昨日の頭 明日の頭』青春出版社 1977年 『この「落ちこぼし」教育 教師・父母への提言』現代史出版会 1979年(槙枝元文と共著) 『一人はうまからず』毎日新聞社 1985年 『遺す言葉』新潮社 1985年 『藤原審爾作品集』(全7巻)森脇文庫 1957-58年 『藤原審爾 その華麗な世界』双葉社 1975-79年 『永夜 ひたむきな女たちの物語』徳間書店 1978年(自選作品集) 『講談社大衆文学館 赤い殺意・罪な女』講談社 1997年 『藤原審爾 昭和の短篇一人一冊集成』結城信孝編 未知谷 2008年 藤原は若い頃の肺結核の後も胆嚢の切除、心臓病、腎臓病、肝硬変、糖尿病など数々の持病に悩まされた。 多彩な趣味も有名で、陶芸、釣り、ビリヤードなどの他、野球ではチーム「藤原」を結成して東京都代表として1969年長崎国体出場、建築設計では自宅の他に知人の屋敷や民芸館を設計、麻雀では色川武大からも「旦那芸としては、玄人に近いレベル」と評された。バイク小説『風と夢・オンザロード』連載中には自動二輪免許も取得した。尊敬する作家は広津和郎で、自宅にその書を飾っていた。 『獣の宿』松竹、黒澤明脚本、大曽根辰夫監督、1951年、鶴田浩二、岸恵子(原作「湖上の薔薇」) 『伊豆物語』東宝、渡辺邦男監督、1951年、若原雅夫、花柳小菊 『安五郎出世』東宝、滝沢英輔監督、1953年、森繁久彌、越路吹雪 『この女に手を出すな』松竹、酒井辰雄監督、1956年、高橋貞二、竜崎一郎 『悪魔と天使の季節』日活、堀池清監督、1958年、中原早苗、葉山良二、小林旭 『果しなき欲望』日活、今村昌平監督、1958年、長門裕之、渡辺美佐子 『地獄の曲り角』日活、蔵原惟繕監督、1959年(原作「金と女と死」) 『真紅の男』東宝、本多猪四郎監督、1961年、佐藤允、久保明、白川由美 『地平線がぎらぎらっ』新東宝、土居通芳監督、1961年、ジェリー藤尾、多々良純 『花と嵐とギャング』ニュー東映、石井輝男監督、1961年、高倉健、鶴田浩二 『可愛いめんどりが歌った』大映、富本壮吉監督、1961年、大空真弓、菅原謙二、田宮二郎 『太陽は狂ってる』日活、舛田利雄監督、1961年、浜田光夫、川地民夫、吉永小百合 『恋と太陽とギャング』東映、石井輝男監督、1962年、高倉健、丹波哲郎 『秋津温泉』松竹、吉田喜重監督、1962年、長門裕之、岡田茉莉子 『泥だらけの純情』日活、中平康監督、1963年、吉永小百合、浜田光夫 『わが恐喝の人生』東映、佐伯清監督、1963年、梅宮辰夫、千葉真一(原作「恐喝こそわが人生」) 『赤い殺意』日活、今村昌平監督、1964年、春川ますみ、西村晃 『馬鹿まるだし』松竹、山田洋次監督、1964年(原作「庭にひともと白木蓮」) 『愛しながらの別れ』日活、江崎実生監督、1965年、浜田光夫、和泉雅子 『ある殺し屋』大映京都、森一生監督、 増村保造・石松愛弘脚本、1967年、市川雷蔵、野川由美子(原作「前夜」) 『ある殺し屋の鍵』大映京都、森一生監督、 1967年、市川雷蔵、佐藤友美(原作「消される男」) 『恐喝こそわが人生』松竹、深作欣二監督、1968年、松方弘樹、佐藤友美 『喜劇・一発大必勝』松竹、山田洋次監督、1969年、ハナ肇、倍賞千恵子 『新兄弟仁義』東映、佐伯清監督、1970年、北島三郎、菅原文太 『日本やくざ伝 総長への道』東映、マキノ雅弘監督、1971年、高倉健、鶴田浩二、若山富三郎、松方弘樹 『喜劇 女は男のふるさとヨ』松竹、森崎東監督、1971年、森繁久彌、中村メイ子 『喜劇 女生きてます』松竹、森崎東監督、1971年、森繁久彌、左幸子 『喜劇 女売り出します』松竹、森崎東監督、1972年、森繁久彌、市原悦子 『昭和女博徒』東映、加藤泰監督、1972年、江波杏子、松方弘樹(原作「昭和おんな仁義」) 『日陰者』東映、山下耕作監督、1972年、鶴田浩二、池部良 『女生きてます』松竹、森崎東監督、1972年、森繁久彌、中村メイコ 『反逆の旅』松竹、渡辺祐介監督、1976年、原田芳雄(原作「よるべなき男の仕事・殺し」) 『泥だらけの純情』東宝、富本壮吉監督、1977年、山口百恵、三浦友和 『よるべなき男の仕事・殺し』アルゴプロジェクト、村川透監督、1991年、加藤雅也 ^ 生日は戸籍では3月30日となっている。(神原孝史「年譜」(『花氷(下)』講談社文庫 1988年) ^ 直木賞候補には過去に、第21回「秋津温泉」、第24回「犬を飼っている夫妻」、第26回「藤十郎狸武勇伝」の3度挙がっている。 ^ 井伏鱒二「藤原君のこと」(『藤原審爾選集』森脇文庫)) ^ 『真夜中の狩人』作者のことば 神原孝史「年譜」(『花氷(下)』講談社文庫 1978年) 「藤原審爾「新宿警察」は全部で何篇書かれたのだろうか?」(本の雑誌編集部『活字探偵団 増補版』本の雑誌社 1994年) 宮城谷昌光「春夏秋冬」(『藤原審爾氏のこと』『月と肉』)新潮社 2015年)
藤原審爾
島田荘司
島田 荘司(しまだ そうじ、1948年10月12日 - )は、日本の小説家、推理作家。ロサンゼルスと吉祥寺に居を構えていたが、現在は日本にほぼ在住している。 広島県福山市に生まれる。広島県立福山誠之館高校、武蔵野美術大学商業美術デザイン科を卒業。ライター、ミュージシャンなどを経て、1981年に名探偵御手洗潔が登場する『占星術殺人事件』(投稿時の題名は『占星術のマジック』)が江戸川乱歩賞最終候補作品となり小説家としてデビューする。本作は2014年1月、イギリスの有力紙『ガーディアン』で「世界の密室ミステリーベスト10」の第2位に選ばれた。 主な作品には、この御手洗潔シリーズの他に、吉敷竹史シリーズがある。吉敷竹史シリーズはTBS系で『警視庁三係・吉敷竹史シリーズ』としてドラマ化されている。その他死刑、冤罪、日本人論、文明論を扱った作品も執筆している。2015年12月現在、御手洗潔シリーズの国内累計総部数は532万5千部に到達している(海外翻訳版、コミカライズ、角川書店分はノーカウント)。 近年は本格ミステリーにおける新人の推薦にも力を入れている。松本清張などの社会派推理小説が優勢だった当時のミステリー界に「新本格」推理のジャンルを切り拓き、綾辻行人、歌野晶午らを世に出すなど、1980年代後半から現在のミステリー隆盛に繋がる流れを創った。このことから「新本格」ミステリーの祖とされ、稀に「新本格のゴッドファーザー」「ゴッド・オブ・ミステリー」として称される機会もある[要出典]。2007年からは、出身地である広島県福山市が開催する「島田荘司選 ばらのまち福山ミステリー文学新人賞」の選考委員を務め、本格推理小説の書き手を発掘している。 また近年では、日本のみならずアジア全体に視野を広げ、本格推理小説の発展を支えている。2008年からは台湾の出版社皇冠文化出版と、日本の文藝春秋、中国、タイの出版社がタッグを組んで開催する「島田荘司推理小説賞」の募集が開始され、その最終選考を本人自ら行っている。2009年には、講談社より刊行される「島田荘司選 アジア本格リーグ」の選者となり、アジア各地域の良質な本格推理小説を紹介している。また日本国内でも2011年3月スタートの南雲堂の本格ミステリー・ワールド・スペシャルというシリーズにおいては二階堂黎人と共に日本国内の新人作家の推理小説を多数編纂・監修、講談社発「本格ミステリー『ベテラン新人』発掘プロジェクト」では講師として60歳以上のベテラン新人を発掘。 2015年3月には御手洗潔シリーズ初の映像化となる『傘を折る女』が単発ものとしてフジテレビ系で放送された。さらに翌2016年6月には、出身地である福山市制100周年を記念して地元福山を舞台に映画化の為に書き下ろした『星籠の海』が全国公開された。このように還暦を過ぎても今尚旺盛な作家活動を展開しており、現在日本の本格ミステリー界を代表する巨匠であり、重鎮的存在でもある。 『KAWADE夢ムック 総力特集伊坂幸太郎』によると、伊坂の島田の著作のベスト5は『北の夕鶴2/3の殺人』『奇想、天を動かす』『暗闇坂の人喰いの木』『水晶のピラミッド』『アトポス』だそうである。2013年5月発売『本の雑誌』「伊坂幸太郎が選ぶ島田荘司の10冊」は前述の5冊に加え、『夏、19歳の肖像』『御手洗潔のダンス』『ロシア幽霊軍艦事件』『涙流れるままに』『アルカトラズ幻想』をセレクト。また、一般的に島田の代表作とされる『占星術殺人事件』『斜め屋敷の犯罪』については、ミステリーマニアなら喜ぶかもしれないがミステリー初心者に薦めるには適さない小説かもしれないと評している。 週刊文春に『金田一少年の事件簿』で『占星術殺人事件』のトリックが流用されたことについての本人の見解を掲載した(この文章は『21世紀本格宣言』に後に掲載)。それによると、「読者が色々と言っているのは耳に入っているが、自分としては今のところ行動を起こすつもりはない。ただし、『占星術―』に関しては、類例のないトリックであると自負しており、トリックの価値を護るために映像化などの二次使用はこれまでお断りしてきた。ゆえにトリックを流用するテレビ企画があるなら絶対にやめて欲しい」とコメント。以降、『金田一少年の事件簿』の該当話は、原作漫画の文庫本や公式ガイドブックにはトリック流用の旨が明記され、テレビドラマ版に関しては収録したビデオよりその後欠番になった。ちなみに金田一少年の事件簿に対しては後に他のエピソードで自作のトリックの流用を許可している。 2006年より南雲堂より『島田荘司全集』の刊行がスタートしたが、本の背表紙のタイトルで『斜め屋敷の犯罪』が『斜屋敷の犯罪』と誤植されていた。 2009年5月に刊行された『島田荘司全集 III』での綾辻との対談にて、綾辻より本格ミステリ作家クラブに入会を勧誘されたが島田がそれを拒否したという事実が明らかにされている。しかし後述する本格ミステリクラブ主催の本格ミステリ大賞の自作のノミネートは受諾している。 BS-TBSの番組『巨匠たちの輝き〜歴史を創った芸術家たち〜』第3回「名探偵の推理」(2013年10月16日)にゲスト出演した。 『占星術殺人事件』に続いて出版された『斜め屋敷の犯罪』『死者が飲む水』も実は江戸川乱歩賞に応募された作品である(講談社文庫の江戸川乱歩賞全集の巻末にある予選通過作品一覧にその名を見つけることができる)。しかし両作品とも最終候補にも残らず予選通過のみで落選、という憂き目に遭っている。 1984年、『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』で、1985年、『夏、19歳の肖像』で直木賞候補にあがるが、落選。以降の作品では直木賞にノミネートされていない。 1985年は吉川英治文学新人賞に『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』が候補としてノミネートされるが、落選。 日本推理作家協会賞には8年連続で8回候補としてノミネートされたが、これは選考前に本人から辞退している。 上記の日本推理作家協会賞ノミネート拒否の経緯により賞レースに消極的な姿勢を貫いていたかに見えたが、2005年に発表した『摩天楼の怪人』が本格ミステリ大賞にノミネートされた際、拒否することなく候補を受諾した。しかし結果は東野圭吾の『容疑者Xの献身』が大賞を受賞、『摩天楼の怪人』は2票差で次点に甘んじることとなった。 以上のように、デビュー以来本格推理をリードしてきた島田だったが賞とは無縁であり、「無冠の帝王」と称されることもあった。しかし2008年10月22日、第12回日本ミステリー文学大賞を受賞、無冠を返上した。 その後2010年に発表の『写楽、閉じた国の幻』で第11回本格ミステリ大賞にノミネートされるも受賞ならず(大賞は麻耶雄嵩『隻眼の少女』)。 (年代は初出) 島田荘司全集I(2006年9月 南雲堂) 収録作品:占星術殺人事件 / 斜め屋敷の犯罪 / 死者が飲む水 島田荘司全集II(2008年1月 南雲堂) 収録作品:寝台特急「はやぶさ」1/60秒の壁 / 噓でもいいから殺人事件 / 出雲伝説7/8の殺人 / 漱石と倫敦ミイラ殺人事件 島田荘司全集III(2009年5月 南雲堂) 収録作品:北の夕鶴2/3の殺人 / 高山殺人行1/2の女 / 殺人ダイヤルを捜せ / 消える「水晶特急」 島田荘司全集IV(2010年12月 南雲堂) 収録作品:確率2/2の死 / サテンのマーメイド / 夏、19歳の肖像 / 火刑都市 島田荘司全集V(2012年6月 南雲堂) 収録作品:消える上海レディ / Yの構図 / 網走発遙かなり / 展望塔の殺人 島田荘司全集VI(2014年6月 南雲堂) 収録作品:御手洗潔の挨拶 / ひらけ!勝鬨橋 / 灰の迷宮 / 毒を売る女 島田荘司全集VII(2016年11月 南雲堂) 収録作品:異邦の騎士 / 切り裂きジャック・百年の孤独 / 嘘でもいいから誘拐事件 / 夜は千の鈴を鳴らす 占星術殺人事件(1981年12月 講談社) 【改訂完全版】占星術殺人事件(2008年1月 講談社) 斜め屋敷の犯罪(1982年11月 講談社) 【改訂完全版】斜め屋敷の犯罪(2008年2月 講談社) 御手洗潔の挨拶(1987年10月 講談社) 収録作品:数字錠 / 疾走する死者 / 紫電改研究保存会 / ギリシャの犬 異邦の騎士(1988年4月 講談社) 【改訂完全版】異邦の騎士(1997年10月 原書房) 御手洗潔のダンス(1990年7月 講談社) 収録作品:山高帽のイカロス / ある騎士の物語 / 舞踏病 / 近況報告 暗闇坂の人喰いの木(1990年10月 講談社) 水晶のピラミッド(1991年9月 講談社) 眩暈(1992年9月 講談社) アトポス(1993年10月 講談社) 龍臥亭事件(1996年1月 光文社) 御手洗潔のメロディ(1998年10月 講談社) 収録作品:IgE / SIVAD SELIM / ボストン幽霊絵画事件 / さらば遠い輝き Pの密室(1999年10月 講談社) 収録作品:鈴蘭事件 / Pの密室 最後のディナー(1999年11月 原書房) 収録作品:里美上京 / 大根奇聞 / 最後のディナー ハリウッド・サーティフィケイト(2001年8月 角川書店) ロシア幽霊軍艦事件(2001年10月 原書房) 魔神の遊戯(2002年8月 文藝春秋) セント・ニコラスの、ダイヤモンドの靴(2002年12月 原書房) 上高地の切り裂きジャック(2003年3月 原書房) 収録作品:上高地の切り裂きジャック / 山手の幽霊 ネジ式ザゼツキー(2003年10月 講談社) 龍臥亭幻想(2004年10月 光文社) 摩天楼の怪人(2005年10月 東京創元社) 溺れる人魚(2006年6月 原書房) 収録作品:溺れる人魚 / 人魚兵器 / 耳の光る児 / 海と毒薬 UFO大通り(2006年8月 講談社) 収録作品:UFO大通り / 傘を折る女 犬坊里美の冒険(2006年10月 光文社) 最後の一球(2006年11月 原書房) リベルタスの寓話(2007年10月 講談社) 収録作品:リベルタスの寓話 / クロアチア人の手 進々堂世界一周 追憶のカシュガル(2011年 新潮社) 【改題】御手洗潔と進々堂珈琲(2015年 新潮文庫) 収録作品:進々堂ブレンド1974 / シェフィールドの奇跡 / 戻り橋と悲願花 / 追憶のカシュガル 星籠の海(2013年10月 講談社) 屋上の道化たち(2016年4月 講談社) 御手洗潔の追憶(2016年5月 新潮文庫) 収録作品:御手洗潔、その時代の幻 / 天使の名前 / 石岡先生の執筆メモから。 / 石岡氏への手紙 / 石岡先生、ロング・ロング・インタヴュー / シアルヴィ / ミタライ・カフェ 鳥居の密室 世界にただ一人のサンタクロース(2018年 新潮社) 寝台特急「はやぶさ」1/60秒の壁(1984年2月 光文社) 出雲伝説7/8の殺人(1984年6月 光文社) 北の夕鶴2/3の殺人(1985年1月 光文社) 消える「水晶特急」(1985年5月 角川書店) 確率2/2の死(1985年9月 光文社) Yの構図(1986年12月 光文社) 灰の迷宮(1987年12月 光文社) 夜は千の鈴を鳴らす(1988年11月 光文社) 幽体離脱殺人事件(1989年5月 光文社) 奇想、天を動かす(1989年9月 光文社) 羽衣伝説の記憶(1990年2月 光文社) ら抜き言葉殺人事件(1991年2月 光文社) 飛鳥のガラスの靴(1991年12月 光文社) 涙流れるままに(1999年6月 光文社) 吉敷竹史の肖像(2002年11月 光文社) 【改題】光る鶴(2006年9月 光文社文庫) 収録作品:光る鶴 / 吉敷竹史、十八歳の肖像 / 電車最中 1980年代 死体が飲んだ水(1983年6月 講談社) 【改題】死者が飲む水(1987年5月 光文社文庫) 【改訂完全版】死者が飲む水(2008年3月 講談社) 嘘でもいいから殺人事件(1984年4月 集英社) 漱石と倫敦ミイラ殺人事件(1984年9月 集英社) 【完全改訂総ルビ版】漱石と倫敦ミイラ殺人事件(2009年3月 光文社) 高山殺人行1/2の女(1985年3月 光文社) 殺人ダイヤルを捜せ(1985年5月 講談社) サテンのマーメイド(1985年9月 集英社) 夏、19歳の肖像(1985年10月 文藝春秋) 火刑都市(1986年4月 講談社) 消える上海レディ(1986年4月 角川書店) 網走発遥かなり(1987年4月 講談社) 収録作品:丘の上 / 化石の街 / 乱歩の幻影 / 網走発遥かなり 展望塔の殺人(1987年8月 光文社) 収録作品:緑色の死 / 都市の声 / 発狂する重役 / 展望塔の殺人 / 死聴率 / D坂の密室殺人 ひらけ!勝鬨橋(1987年11月 角川書店) 毒を売る女(1988年3月 光文社) - 「糸ノコとジグザグ」は御手洗潔シリーズ 収録作品:毒を売る女 / 渇いた都市 / 糸ノコとジグザグ / ガラスケース / バイクの舞姫 / ダイエット・コーラ / 土の殺意 / 数字のある風景 切り裂きジャック・百年の孤独(1988年8月 集英社) 嘘でもいいから誘拐事件(1988年11月 集英社) 収録作品:嘘でもいいから誘拐事件 / 嘘でもいいから温泉ツアー 見えない女(1989年9月 光文社) 【改題】インドネシアの恋唄(1995年6月 南雲堂) 収録作品:インドネシアの恋唄 / 見えない女 / 一人で食事をする女 1990年代 踊る手なが猿(1990年8月 光文社) 収録作品:踊る手なが猿 / Y字路 / 赤と白の殺意 / 暗闇団子 都市のトパーズ(1990年9月 集英社) 【改訂愛蔵版】都市のトパーズ(1999年6月 原書房) 【改題】都市のトパーズ2007(2007年6月 講談社) 天国からの銃弾(1992年12月 光文社) 収録作品:ドアX / 首都高速の亡霊 / 天国からの銃弾 天に昇った男(1994年10月 光文社) 2000年代 透明人間の納屋(2003年7月 講談社) 天に還る舟(2005年7月 南雲堂)- 共著:小島正樹 エデンの命題(2005年11月 光文社) 帝都衛星軌道(2006年5月 講談社) 島田荘司 very BEST10 Reader's Selection(2007年12月 講談社) 収録作品:数字錠 / 糸ノコとジグザグ / 疾走する死者 / ある騎士の物語 / 最後のディナー 島田荘司 very BEST10 Author's Selection(2007年12月 講談社) 収録作品:大根奇聞 / 暗闇団子 / 耳の光る児 / 傘を折る女 / 山手の幽霊 Classical Fantasy Within(既刊8巻、講談社BOX) 第一話 ロケット戦闘機「秋水」(2008年1月) 第二話 怪力光線砲(2008年2月) 第三話 火を噴く龍(2008年3月) 第四話 アル・ヴァジャイヴ戦記 決死の千騎行(2008年10月) 第五話 アル・ヴァジャイヴ戦記 ヒュッレム姫の救出(2008年11月) 第六話 アル・ヴァジャイヴ戦記 ポルタトーリの壺(2008年12月) 第七話 アル・ヴァジャイヴ戦記 再生の女神、アイラ(2009年1月) 第八話 ハロゥウイン・ダンサー(2010年5月) 写楽 閉じた国の幻(2010年6月 新潮社) ゴーグル男の怪(2011年10月 新潮社) アルカトラズ幻想(2012年9月 文藝春秋) 幻肢(2014年8月 文藝春秋) 新しい十五匹のネズミのフライ ジョン・H・ワトソンの冒険(2015年9月 新潮社) 金獅子(『季刊 島田荘司02』2000年 原書房)※歴史小説の連載として第1回目が掲載されるも、以降連載途絶になり未完 痴漢をゆるさない! 犬坊里美の冒険 検察修習編(2010年11月『ジャーロ』No.40) ゴーグル男の怪(『探偵Xからの挑戦状!3』 小学館文庫 2012年5月13日)※NHK総合テレビ2011年8月5日放送の『探偵Xからの挑戦状! 真夏のミステリースペシャル ゴーグル男の怪』の原作中編であり、同題の新潮社版長編の原形作品である 秋好事件(1994年10月 講談社) 【改訂・改題】秋好英明事件(2005年1月 南雲堂) 三浦和義事件(1997年11月 角川書店) 砂の海の航海 パリ・ダカール・ラリー(1987年6月 新潮社) ポルシェ911の誘惑(1989年2月 講談社) 異邦人の夢(1989年11月 PHP研究所) 【改題】新・異邦人の夢(1998年10月 徳間書店) 本格ミステリー宣言(1989年12月 講談社) エンゼル・ハイ スポーツカー王国日本の誕生(1990年3月 PHP研究所) 島田荘司の名車交遊録(1990年5月 立風書房) 【改題】名車交遊録(2005年8月 原書房) パリダカ漂流 1991死闘 砂漠への挑戦(1991年4月 芸文社) 自動車社会学のすすめ(1991年8月 講談社) 世紀末日本紀行(1994年7月 講談社) 本格ミステリー宣言II ハイブリッド・ヴィーナス論(1995年6月 講談社) 島田荘司読本(1997年6月 原書房) アメリカからのEV報告(1997年8月 南雲堂) 聖林輪舞 セルロイドのアメリカ近代史(2000年6月 徳間書店) ミタライカフェ(2002年3月 原書房) 21世紀本格宣言(2003年6月 講談社) 異邦の扉に還る時(2004年3月 原書房) 島田荘司のミステリー教室(2007年1月 南雲堂) ミステリーの愉しみ(1992年 立風書房 鮎川哲也と共同編集) 奇想の森 密室遊戯 パズルの王国 都市の迷宮 奇想の復活 御手洗さんと石岡君が行く(1998年 原書房 コミックアンソロジー) 石岡和己の事件簿(1998年 原書房 コミックアンソロジー) ちっぱーみたらいくん(1998年 原書房 コミックアンソロジー) 御手洗パロディ・サイト事件(上・下)(2000年 南雲堂 アンソロジー) 御手洗潔攻略本(2000年 原書房 アンソロジー) 石岡和己攻略本(2001年 原書房 アンソロジー) パロサイ・ホテル(2001年 南雲堂 アンソロジー) 21世紀本格(2001年 光文社 責任編集アンソロジー) 牧逸馬の世界怪奇実話(2003年 光文社 責任編集アンソロジー) 島田荘司選アジア本格リーグ 錯誤配置(2009年 講談社) 二つの時計の謎(2009年 講談社) 美術館の鼠(2009年 講談社) 蝶の夢(2009年 講談社) 殺意の架け橋(2010年 講談社) 第三面の殺人(2010年 講談社) 本格ミステリー館にて(1992年 南雲堂 「本格ミステリー館」に改題 綾辻行人との対談集) 日本型悪平等起源論(1994年 光文社 笠井潔との対談集) 死刑囚・秋好英明との書簡集(1996年 南雲堂 秋好英明との書簡集) 奇想の源流 島田荘司対談集(1996年 有朋書院 対談集) 死刑の遺伝子(1998年 南雲堂 対談集) 御手洗くんの冒険1 ブローフィッシュ教殺人事件(1999年 南雲堂、作画・ 源一実) 御手洗くんの冒険2・3 マンモス館殺人事件(上・下)(2003年 南雲堂) ミタライ 探偵御手洗潔の事件記録(1)(2013年 講談社、作画・ 原点火) ミタライ 探偵御手洗潔の事件記録(2)(2013年 講談社) ミタライ 探偵御手洗潔の事件記録(3)(2014年 講談社) 季刊 島田荘司01(2000年 原書房) 季刊 島田荘司02(2000年 原書房) 季刊 島田荘司03(2000年 原書房) 季刊 島田荘司04(2005年 原書房) 本格ミステリー・ワールド2007(2007年 南雲堂) 本格ミステリー・ワールド2008(2007年 南雲堂) 本格ミステリー・ワールド2009(2008年 南雲堂) 本格ミステリー・ワールド2010(2009年 南雲堂) 本格ミステリー・ワールド2011(2010年 南雲堂) 本格ミステリー・ワールド2012(2011年 南雲堂) 本格ミステリー・ワールド2013(2012年 南雲堂) 本格ミステリー・ワールド2014(2013年 南雲堂) 本格ミステリー・ワールド2015(2014年 南雲堂) 本格ミステリー・ワールド2016(2015年 南雲堂) 本格ミステリー・ワールド2017(2016年 南雲堂) 日本テレビ系 火曜サスペンス劇場 電話魔(1984年5月8日、主演:沢田亜矢子、原作:都市の声『展望塔の殺人』所収) たった独りのあなたのために(1985年12月24日、主演:岸本加世子、原作:糸ノコとジグザグ『毒を売る女』所収) 火刑都市(1989年4月18日、主演:樋口可南子) フジテレビ系 金曜女のドラマスペシャル 高山殺人行1/2の女(1984年7月26日、主演:中井貴恵) 土曜プレミアム 天才探偵ミタライ〜難解事件ファイル「傘を折る女」〜(2015年3月7日、主演:玉木宏、原作:傘を折る女『UFO大通り』所収) TBS系 サスペンススペシャル 寝台特急「はやぶさ」1/60の壁(1986年1月3日、主演:三浦友和) 月曜ゴールデン 警視庁三係・吉敷竹史シリーズ(主演:鹿賀丈史) 寝台特急「はやぶさ」1/60秒の壁(2004年12月6日) 灰の迷宮(2006年1月16日) 北の夕鶴〜2/3の殺人(2008年1月21日) 幽体離脱殺人事件(2008年10月6日) テレビ朝日系 土曜ワイド劇場 殺人ダイヤルを廻した女(1986年5月24日、主演:中田喜子、原作:殺人ダイヤルを捜せ) NHK総合 探偵Xからの挑戦状! ゴーグル男の怪(2011年8月5日、主演:田中圭) 幻肢(2014年9月27日公開、配給:ディーライツ、監督:藤井道人、主演:吉木遼) 探偵ミタライの事件簿 星籠の海(2016年6月4日公開、監督:和泉聖治、主演:玉木宏) 夏、19歳の肖像(2017年5月27日中国で公開、監督:チャン・ロンジー、主演:ファン・ズータオ) 御手洗潔・石岡和己 - 御手洗潔シリーズの主人公。 ^ a b 島田荘司(しまだ そうじ)とは - コトバンク ^ 小説の魅力「後輩」へ発信/社会問題への洞察 創作の源 - 中国新聞 ^ 山陽小野田市立図書館 - 詳細情報 ^ 島田荘司(しまだ そうじ) | 作家紹介 | 翻訳作品紹介 | JLPP ^ 島田荘司公式Twitter2015年12月16日の発言 ^ 地方自治体が、長編ミステリーを公募するのは全国初の試みである。毎年長編受賞作を選び順次講談社、光文社、原書房より刊行される。2009年度の第1回受賞作には松本寛大『玻璃の家(はりのいえ)』が選ばれた。 ^ “「華文ミステリー」が新時代を切り開く!島田荘司が語るその可能性”. 本の話WEB. 文藝春秋 (2015年7月6日). 2015年12月23日閲覧。 ^ 島田荘司『奇想の源流 島田荘司対談集』より。 ^ a b “島田荘司さん「無冠」返上 : 出版トピック : 本よみうり堂”. YOMIURI ONLINE(読売新聞) (2009年5月7日). 2009年5月8日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2013年4月13日閲覧。 ^ “日本ミステリー文学大賞に島田荘司さん”. MSN産経ニュース (2008年10月22日). 2009年6月17日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2013年4月13日閲覧。 ^ “韓流EXO出身のタオ、島田荘司氏原作の映画「夏、19歳の肖像」いよいよ公開へ―中国”. Record China (2017年5月11日). 2017年10月25日閲覧。 Global Mystery Fusion Watch - 島田荘司公式サイト 季刊 島田荘司 on line - 島田荘司公式サイト(2007年4月以降 更新停止中) 島田荘司選 ばらのまち福山ミステリー文学新人賞 第2回島田荘司推理小説賞 (中国語、英語、日本語、タイ語) 死刑制度の廃止を求める著名人メッセージ・島田荘司さん・作家 島田荘司 (@S_S_Kingdom) - Twitter
島田荘司
筒井康隆
筒井 康隆(つつい やすたか、1934年(昭和9年)9月24日 - )は、日本の小説家・劇作家・俳優である。ホリプロ所属。身長166cm。小松左京、星新一と並んで「SF御三家」とも称される。パロディやスラップスティックな笑いを得意とし、初期にはナンセンスなSF作品を多数発表。1970年代よりメタフィクションの手法を用いた前衛的な作品が増え、エンターテインメントや純文学といった境界を越える実験作を多数発表している。 戦国時代の武将筒井順慶と同姓であり、その子孫であるとの設定で小説「筒井順慶」を書いている。先祖は筒井順慶家の足軽だったらしい、と筒井は述べている。父は草分け期の日本の動物生態学者で、大阪市立自然史博物館の初代館長筒井嘉隆。息子は画家筒井伸輔。 1934年(昭和9年)、父・筒井嘉隆と母・八重の長男として、父方の実家である大阪府大阪市北堀江に出生。生家は住吉区山坂町(現在の東住吉区山坂)。筒井は初期に自筆年譜を書き、船場生まれとしていたが、これは複数の勘違いが重なった事によるもので、その後修正されている。後に弟が3人(正隆、俊隆、之隆)生まれ、男ばかりの兄弟で育つ。1941年(昭和16年)、南田辺国民学校に入学。幼少期から漫画と映画に没頭し、小学生時代は『のらくろ』、エノケンに熱中。自分でも漫画を描いて他の子供に売りつけるなどしていた。また父が蔵書家であったことから読書好きとなり、小学生の頃は江戸川乱歩を愛読した。1944年(昭和19年)、吹田市千里山に学童疎開し、千里第二国民学校に転校。地元の農家の子供から苛烈ないじめを受ける。終戦後の1946年(昭和21年)、息子の成績不振を心配した父の計らいで大阪市立中大江小学校に転校。まもなく実施された知能検査で市内トップのIQ178であることが判明し、終戦後、当時大阪市によって設置されていた特別教室(政府設置の特別科学学級とは異なる)に在籍した。 1947年(昭和22年)、大阪市立東第一中学校(現在は統合で大阪市立東中学校)に入学。この頃から不良少年となり、授業をさぼって映画館に通い詰める。父親の金をくすねたり、父親の蔵書や母親の着物を勝手に持ち出して古書店や質屋に売り映画代を捻出していた。その一方で手塚治虫に熱中し、赤塚不二夫や藤子不二雄などとともに『漫画少年』誌の投稿欄の常連でもあった。1948年(昭和23年)、児童劇団「子熊座」に入団、演劇への興味が芽生える。1950年(昭和25年)、大阪府立春日丘高等学校に入学。演劇部の部長を務めるが学業は不振であった。春日丘高校はもともと女学校であったため女生徒の数が多く、筒井はここで女生徒からいじめを受けて女性への恐怖心を植え付けられたとしている。また、自宅の蔵書だったアルトゥル・ショーペンハウエルの『随想録』も愛読していたという。この頃マルクス兄弟の映画に傾倒。受験勉強への反発から新潮社版世界文学全集を読破し、サルトルやトーマス・マンの作品に影響を受ける。 1952年(昭和27年)2月、関西芸術アカデミー研究科に研究生として入学。同年4月、同志社大学文学部文化学科心理学専攻(現在は心理学部)に入学し、同志社小劇場に所属する。この頃カフカ、アルツィバーシェフ、ヘミングウェイ等を愛読し影響を受けた。また潜在意識について興味を持ち、吹田市の実家から京都市までの電車での通学時間を利用して、日本教文社版のフロイト全集を読破。その後美学及び芸術学専攻(現在は美学芸術学科)に転じシュルレアリスムに興味を持つ。1954年(昭和29年)、関西芸術アカデミーを卒業して青年劇団「青猫座」に入団。初舞台は飯沢匡の『北京の幽霊』。同年日活のニューフェイスに応募するも、面接のみの二次試験で落選している。しかし「青猫座」での演技は高評価を受け、1955年(昭和30年)、大阪毎日会館で『二十日鼠と人間』主役を演じた際には、「東の仲代達矢、西の筒井康隆」と新聞に報じられた。1957年(昭和32年)、大学を卒業。卒論は「心的自動法を主とするシュール・リアリズムにおける創作心理の精神分析的批判」。 同1957年、『シナリオ新人』創刊号に、「会長夫人萬蔵」を発表する。卒業後、展示装飾などを手がける乃村工藝社に入社し営業部に勤務。サラリーマン劇団「明日」に入団し演劇活動を継続する。 1959年(昭和34年)12月に創刊された雑誌『SFマガジン』を読み衝撃を受け、1960年(昭和35年)6月、ボーナスをつぎ込んでSF同人誌『NULL』を創刊。父と三人の弟が同人であり、康隆、正隆、俊隆がSF短編を、父嘉隆が家族の紹介文を、四男の之隆がカットを担当、活動初期は「澱口襄」など複数のペンネームで執筆。同人誌を出したのは当時SF小説を受け入れられるような新人賞がなかったためであるが、うまくマスコミに取り上げられ、「筒井一家」紹介記事がたびたび新聞に掲載、また毎日放送のテレビ番組に家族総出で出演したりもしている。さらに『NULL』創刊号は江戸川乱歩の目に留まり、弟の作品や父による紹介文とともに、短編「お助け」が乱歩主催の雑誌『宝石』1960年8月号に転載。これが実質的なデビュー作となった。以降注文を受けてショート・ショートを各誌に発表しながら『NULL』にナンセンスなSF短編を発表していく。 1961年(昭和36年)、4年間務めた乃村工藝社を退社、同志社大美学及び芸術学専攻時代の先輩の後を継ぐ形で大阪市北区にデザイン事務所「ヌル・スタジオ」を立ち上げる。事務所の向かいの煉瓦会社で働いていた眉村卓と知り合い、後に小松左京らも加わり、「ヌル・スタジオ」はSF作家、SFファンのたまり場となっていった。 また、雑誌『NULL』も筒井家以外のSFファンにも門戸を開き、小松左京、眉村卓、平井和正らのプロデビューしている作家らも参加。創刊翌年の1961年(昭和36年)には、高校2年生の堀晃も参加した(『NULL』はのち、筒井が主宰した第三回日本SF大会「DAICON」(1964年(昭和39年))のレポートを兼ねた11号で終刊した)。 1962年(昭和37年)、『SFマガジン』のハヤカワ・SFコンテストで「無機世界へ」(後の「幻想の未来」の原形)が選外佳作となる。入選三席には小松左京、半村良がいた。翌年『SFマガジン』増刊号に「ブルドッグ」を発表し『SFマガジン』に初登場。1964年(昭和39年)、第3回日本SF大会・大阪大会(DAICON)を主催、前年に創立されていた「日本SF作家クラブ」に参加し、SF作家たちとの交流を深める。1965年(昭和40年)、前年に脚本スタッフとして参加していたテレビアニメ『スーパージェッター』の商品化権料を多額に得て、作家専業のめどが立つ。 同1965年(昭和40年)、小松左京夫妻の仲人で光子夫人と見合い結婚。直後に東京へ行き専業作家となる。同年10月、初作品集『東海道戦争』出版。しかし、しばらくは生活が苦しく、1967年(昭和42年)頃、心配した小林信彦より『小説現代』などの中間小説誌を紹介され、以後中間小説誌での発表が増えていった。 なお、1966年2月から、平井和正、豊田有恒、伊藤典夫、大伴昌司と共同で、SFプロ作家の評論を掲載する同人誌『SF新聞』を刊行したが、数号で休刊となった。 筒井はそれまでのナンセンス、ブラックユーモアの作風に加え、1970年代から様々な文体を用いた実験的な作品を発表していき、次第に熱狂的なファンを獲得していった。初期のよく知られている作品には、PTAによる悪書追放運動を批判した『くたばれPTA』(1966年)、社会風刺からナンセンスな笑いを引き出した『ベトナム観光公社』(1967年)、痴漢冤罪の恐怖を描いた『懲戒の部屋』(1968年)、SF長編としての総決算的作品『脱走と追跡のサンバ』、高度経済成長期に勃興したウーマンリブ運動やフェミニズムを揶揄した『女権国家の繁栄と崩壊』(ともに1970年)、エスパー七瀬を通して家族の裏側を書く『家族八景』、俗物的な人間を徹底的に風刺した『俗物図鑑』(ともに1972年)、小松左京『日本沈没』のパロディ「日本以外全部沈没」(1974年)など。1970年(昭和45年)の第1回星雲賞を長編部門、短編部門で独占してから計8度同賞を受賞した。また1968年(昭和43年)から直木賞に3度候補として挙げられたが(1967年『ベトナム観光公社』、1968年『アフリカの爆弾』、1972年『家族八景』)落選。筒井は後にこの経験から、作家志願者が文学賞選考委員を次々に殺していく(単行本の表紙には「張め。殺す。」「この源」「やいやい川〜郎め。死ね。」などの記述が断片的にみられる)スラップスティック作品『大いなる助走』(1979年)を執筆している。 1970年(昭和45年)の『脱走と追跡のサンバ』の発表を境に自身の作品からは徐々に純SF的な作品が減っていきながらも、1971年(昭和46年)にはジュニア向けながら「SF入門の定番」として長年知られた『SF教室』を編集・執筆。また、1975年(昭和50年)から1976年(昭和51年)にかけては、各年度のベスト短編をあつめたアンソロジー『日本SFベスト集成』シリーズを編集した。 1972年(昭和47年)4月には東京から、妻の実家に近い神戸市垂水区に転居。筒井は両親と不仲であり、妻の親族たちとさかんに交際した。 1973年(昭和48年)8月には、SFファングループ「ネオ・ヌル」を山本義弘、小笠原成彦、岡本俊弥、大野万紀、水鏡子らと結成(実際のところは、1975年の日本SF大会「SHINCON」の開催の考えが先行しており、その母体となるためSFファングループを結成したのであった)。1974年(昭和49年)の1月に『NULL』復刊第1号が発行。以降、この雑誌は、スポンサーが筒井、岡本俊弥を実質編集長として刊行されることとなる。第2期「NULL」の特色は、「会員から応募されたショート・ショートすべてに、筒井が的確な『寸評』を書いた」ことにあった。また、筒井が当時編集していた年刊傑作選『日本SFベスト集成』に、筒井は「NULL」掲載作から作品を選んでいる。 この「ネオ・ヌル」グループをスタッフとして、筒井は大会名誉委員長として1975年(昭和50年)8月に、日本SF大会「SHINCON」を神戸で開催。この大会のテーマは後に有名になる「SFの浸透と拡散」であり、山下洋輔によるピアノ演奏、舞台『スタア』(劇団欅)の上演、桂米朝による落語「地獄八景亡者戯」など、企画の大半は筒井の人脈によるものであった。なお、「ネオ・ヌル」出身の作家には、夢枕獏、山本弘、牧野修(亜羅叉の沙名義)、西秋生、高井信、水見稜(井沢昭夫名義)、児島冬樹、林巧らがいる。また、すでに「SFマガジン」でデビューしていたかんべむさしや、第1期「NULL」に参加していた堀晃も「ネオ・ヌル」には参加していた。「NULL」は1977年4月発行の号で終刊。 また、1980年(昭和55年)には日本SF作家クラブの事務局長として、徳間書店を後援とした日本SF大賞の創設に尽力。 一方で、1971年(昭和46年)より純文学雑誌『海』に作品の掲載をはじめ、純文学の分野にも進出。また同誌の海外作家特集を愛読し、ガルシア・マルケス、バルガス・リョサなど中南米の作家への興味を持った。1978年(昭和53年)には大江健三郎の紹介から『海』編集長塙嘉彦の訪問を受け、中南米の文学について教示を受けるなどして大きな影響を受けた。同年、登場人物が自身を虚構内の存在だと意識しているという設定を持つ『虚人たち』で泉鏡花文学賞を受賞。これを皮切りに、擬人化した文房具が乗り込む宇宙船団の混乱した群像・鼬の惑星の歴史・双方の戦乱とその末路を描き「純文学作品として」刊行した『虚航船団』(1984年)、夢と蓋然性をモチーフに独自の文学空間を切り開いた『夢の木坂分岐点』(1987年、谷崎潤一郎賞)、使用できる文字が1章ごとに1つずつ減っていくウリポ的な『残像に口紅を』(1989年)など、メタフィクションの技法を用いた言語実験的な作品を多数執筆。なお、『残像に口紅を』の執筆のためにワープロを導入し、これ以降の作品はコンピュータを使用して書かれている。 1990年代にも、文芸批評と大学機構をシニカルに下敷きにした学問小説『文学部唯野教授』、パソコン通信を使って読者の意見をインタラクティヴに取り入れながら、十八番の虚実錯綜の手法を使って連載された『朝のガスパール』(1992年日本SF大賞)など話題作を発表した。『残像に口紅を』『文学部唯野教授』2作連載時にはストレスで胃穿孔を起こし入院、入院中にハイデガーを読んで影響を受け、以後死や別れをモチーフにした作品も増えていった。 1993年(平成5年)、角川書店発行の高校国語の教科書に収録されることになった『無人警察』内のてんかんの記述が差別的であるとして、日本てんかん協会から抗議を受け、数度交渉を行ったのちに決裂(後、筒井個人と団体間で解決)。『無人警察』では近未来の管理社会を皮肉る舞台になっており、速度検査機・アルコール摂取量探知機・てんかんなどを検知する脳波測定器が付いている巡査ロボットが運転手を取り締まっているとして登場したために、てんかんをもつ人々への差別的な表現があるとして日本てんかん協会に抗議された。このとき、筒井の自宅には嫌がらせの電話や手紙が殺到したという。さらに抗議の声に阿って筒井の言い分をまったく取り上げないマスコミに憤り、月刊誌『噂の眞相』に連載していたマスコミ日記「笑犬樓よりの眺望」上で断筆を宣言。その動機について、内田春菊との対談で「いままで、いろんないやなことがあって、自主規制の問題なんかでも担当者にいやな思いをさせたけど、いちばんいやだったのは僕だったし、家族にまではそれは及ばなかった。でも、今度の場合は、家族や親戚にまで波及した」「今回は家族や親戚を守るためなんです」と語っている。また、瀬戸内寂聴との対談では「断筆宣言以前から、一方的に新聞にてんかん協会の抗議文が載りましたんで、文芸誌とかミニコミ誌とか読まない近所の人たちの中には、私の家族を犯罪者の家族を見るような目で見る人もいた」と語っている。同じ時期に筒井の母が急性心筋梗塞で死去したため、「(てんかん協会の抗議に関わる心労が)亡くなったのにもいささか関係があったんじゃないかと思いますけれども」とも述べている。 断筆宣言は業界内でも賛否両論を起こし、友人である大江健三郎(息子の大江光は癲癇の症状を持っている)からは、読売新聞紙上で「社会に言葉の制限があるのならば、新しい表現を作り、使っていくのが作家ではないか」との批判を受けている。また大江は、自らを炭坑内の有毒ガスにいち早く反応して危険を知らせるカナリアになぞらえた筒井を「太ったカナリア」と揶揄している。この他、吉本隆明、金井美恵子、浅田彰、絓秀実、柄谷行人、渡部直己、村上龍、三田誠広、島田雅彦、田中康夫、志茂田景樹、中野翠などから批判を受けたため、筒井は「断筆して以後、『文壇』というものがある、とよくわかった。去って行く者に追い打ちをかけたり、つばを吐きかけたり、反感がすごい」「ぼくを中傷することによって自分が浮上することだけを考えている。今までぼくを認めるようなこと言っていたやつまでですよ」と慨嘆した。特に絓秀実は『文学部唯野教授』の中にエイズ患者への差別描写があると部落解放同盟に注進し、筒井への糾弾を促した(ただし糾弾には至っていない)。一方、筒井を擁護した側には、曾野綾子、瀬戸内寂聴、安岡章太郎、柳瀬尚紀、平井和正、マッド・アマノ、小林よしのり、石堂淑朗、井上ひさし、内田春菊、柘植光彦、清水良典、井沢元彦、夢枕獏、大岡玲たちがいた。しかし「筒井の尻馬に乗って表現の自由をうんぬんしている作家たち」という岡庭昇や、みなみあめん坊(部落解放同盟大阪連合会池田支部代表の南健司)の発言が出てきたため、小林よしのり以外はみな沈黙してしまったという。 同年10月、断筆に至る経緯を記した『断筆宣言への軌跡』を刊行。同年10月14日にはテレビ朝日「朝まで生テレビ」特集「激論!表現の自由と差別」にゲストパネラーとして出演し、『無人警察』問題について自らの立場を主張すると共に、かつて『週刊文春』1985年5月9日号のコラム「ぴーぷる欄」における「"士農工商SF屋"というカーストがあるくらいで、SF作家が晴れの舞台を踏むことはまだ稀ですからね」との発言をめぐり部落解放同盟から糾弾されかけたことを明らかにした。これは日本文壇におけるSF作家への差別を自虐的に語った言い回しだが、そもそも「士農工商穢多非人」という熟語は知らなかったので部落を揶揄する意図はなかったと、このとき筒井は小森龍邦に釈明している。筒井は以前「士農工商提灯屋」という表現に接したことがあり、洒落た表現なのでいつか使ってみようと思っていたとも、この番組で語っている。断筆宣言の直接な原因は団体の抗議では無く、事勿れで言い換えや削除を行う出版の現状と、同じ作家(文壇)でも安易な批判や騒ぎに便乗する者など、援護や擁護する動きが全く見られなかった事に業を煮やし、1993年9月、「私、ぷっつんしちゃいました」と断筆宣言に至った。 1994年(平成6年)4月1日、中野サンプラザにて山下洋輔らのジャズ演奏からなる「筒井康隆断筆祭」を開催。自身も演奏者として参加した。 1994年(平成6年)8月30日、岡山で開かれた部落解放西日本夏期講座(主催・部落解放研究所)のシンポジウム「差別問題と『表現の自由』」に基調講演者として出席。小林健治によると「これまで、多くの作家がその著作のなかで差別表現を指摘され、抗議を受けたが、抗議された作家が、みずから被差別運動団体の集会に出席して自分の意見をのべるというのは、初めての出来事だった」という。シンポジウムの冒頭の自己紹介で筒井は「差別者の筒井です」と言い放ち、2000人の出席者から万雷の拍手を受けたとされる。 1994年11月7日、日本てんかん協会との間で書簡の往復による「合意」にこぎつけ、記者会見で内容を発表。内容の骨子は 筒井氏が、角川書店に対し『無人警察』を次の版の教科書から取り除くよう申し入れる代わりに、 将来の作品で問題があれば、協会は物理的な圧力を含まない公開の言論活動で「批判」をする。 その場合、要求は削除や書き直しでなく「新たな表現による弁明」とし、結論は筒井氏の判断にまかせる。 以上のことは筒井氏だけでなく、すべての表現者に適用される。 というものであった。「差別表現」に対する従来の対処は、被差別者側が気の済むまで糾弾を続け、差別者とされた側がひたすら謝罪し要求を受け入れるという硬直したやり方しかなかったところ、筒井と日本てんかん協会が双方の見解の相違を残しつつ合意と妥協に知恵をしぼった点は高く評価されたが、旧来の部落解放同盟的な糾弾路線を支持する人々からは反発を買った。日本てんかん協会との和解について、朝日新聞社社会部の本田雅和や作家の塩見鮮一郎から『朝日新聞』紙上で激しく糾弾された筒井は、「どんな作品書いたのか誰も知らないような塩見鮮一郎なんて作家」「(日本てんかん協会との間の)往復書簡ろくに読まないでコメントしてる。解放同盟やてんかん協会が『よし』としてることにまで反対して、自社の自主規制を正当化しようとして、被差別団体以上の激しさでぼくを糾弾してくる」と批判している。 断筆中の1995年(平成7年)に阪神・淡路大震災で神戸市垂水区の自宅が被災する事態に見舞われる。断筆中は演劇活動に力を入れ、またウェブサイトを開設し未発表作品の公開などを行なった。 1995年11月から新潮社が断筆解除に向けて筒井にアプローチを開始。1996年12月16日、新潮社、文藝春秋社、角川書店と 出版社は従前どおり筒井氏の意に反した用語の改変は行わない。 作品の用語に関し抗議があった場合、これに対処する権利と責任は著述者(筒井氏)にあり、出版社にも責任がある。したがって、出版社が用語に関し抗議を受けた場合、著述者と協議し、その意志を充分尊重して対処する。 筒井氏が抗議に対処する上で、文書の往復や直接討論が必要になった場合には、出版社が責任をもって仲介し、その内容を発表する。 との「覚書」を交わし、1996年12月19日、3年3ヶ月ぶりに断筆を解除すると発表(これと同じ覚書を後に中央公論社や噂の真相とも交わしている)。1997年に『邪眼鳥』で小説家復帰を果たした。執筆再開後はこれまでの作風に加えて、『わたしのグランパ』(1998年、読売文学賞)や『愛のひだりがわ』など、『時をかける少女』以来のジュブナイル小説を発表。還暦を過ぎたこともあり、『敵』『銀齢の果て』といった老いをテーマにした作品も発表している。断筆解除後はトレードマークであった眼鏡やサングラスをかけるのを止め、口ひげを蓄えている。さらに2000年代に入ってからは公の場では和服を着ることが多くなり、古典的な文士然とした身なりがトレードマークとなった。東浩紀との交流からライトノベルに興味を持ち、2008年(平成20年)『ファウスト』にてライトノベル『ビアンカ・オーバースタディ』を掲載、宗田理に次ぐ高齢のライトノベル執筆者となった。 断筆解除後も、筒井は各新聞社との間で覚書を取り交わせずにいたが、2009年(平成21年)3月、以前『朝のガスパール』を連載していた朝日新聞社と覚書を取り交わし、同月30日より同新聞読書欄にてエッセイ『漂流―本から本へ』が連載(日曜日のみ)された。 2012年(平成24年)7月13日から2013年(平成25年)3月13日まで、朝日新聞に小説「聖痕」が連載された。 2013年、他のベテラン作家らとともに、日本SF作家クラブの名誉会員になった。 愛煙家であることから、近年の「禁煙ファシズム」を批判し、愛煙家団体「Go smoking[リンク切れ]」に参加している。1987年(昭和62年)には『健康ファシズム(当時の呼び名)』を揶揄する短編SF小説『最後の喫煙者』を執筆し、1995年に「世にも奇妙な物語」でドラマ化された際には、台詞ありのカメオ出演をしている。2004年(平成16年)には泉麻人、ダンカンほかが寄稿した本『喫煙者のユーウツ - 煙草をめぐる冒言』を共著として刊行している。 エッセイ等における筆鋒は鋭く、批判の際には相手の知性や品性を端的に攻撃し、愚者として印象づけているため、敵も多い。この戦闘性は小説にも及び、2007年に発表した『巨船ベラス・レトラス』でも、実名で海賊行為を糾弾された出版社以上に、誰にでもそれとわかるような大手情報企業が手痛い描かれ方をされている。さらに、かつて『堕地獄仏法』で公明党を擬した政党が支配する恐怖の未来を描き、創価学会の猛烈な攻撃を受けるや、『末世法華経』で応酬するという騒ぎを起こした。しかし、井上ひさし、大江健三郎といった政治的発言の多い友人を持ちながら、自らは政治と距離を置いている。この立場を戯画的に描いた『旗色不鮮明』などでも明らかだが、これは意識した上でのことである。ただし1982年(昭和57年)の反核文学者声明に名を連ねたこともある。この際に揶揄的な批判に対しては反駁を加えている。 東京での活動が多くなったことから、神戸市垂水区の他に(以前の東京居住時と同じ)原宿にも自宅を構えている。 元衆議院議員筒井信隆、俳優の筒井道隆とは名前が似ているが、縁戚関係はない。 俳優としての活動 1981年(昭和56年)8月9日、東京日比谷野外音楽堂にて、交友のあった山下洋輔らとともに、クラリネット奏者として『ジャズ大名セッション ザ・ウチアゲ コンサート』に出演。このとき観客に混じっていた、アート・プロデュサーの鶴本正三(雑誌「スターログ」発行人でもあった)に原宿ラフォーレでのイベントを依頼され、これをきっかけに劇団「筒井康隆大一座」を立ち上げる。翌年3月に自作『ジーザス・クライスト・トリックスター』を上演、筒井自身が主役を演じ、14日間の全日程すべて満席となった。翌年、名古屋、京都、神戸、大阪を巡業、以降も「大一座」は筒井の作品『スイートホームズ探偵』『人間狩り』などを上演し、1989年(平成元年)まで活動が続いた。 1993年(平成5年)の断筆宣言以降は、執筆による収入が無くなることもあって俳優業に力を入れ、久世光彦演出の単発ドラマやCM出演など、それ以前よりも頻繁に映画、テレビに出演するようになった。断筆解除後の1997年(平成9年)にはタレントとしてホリプロと契約、執筆活動の傍ら映画やテレビドラマにたびたび出演している。1999年(平成11年)には蜷川幸雄の依頼でチェーホフの『かもめ』にトリゴーリン役で出演、2000年(平成12年)・2001年(平成13年)にも蜷川演出の三島由紀夫『弱法師』(『近代能楽集』)に主人公の義父役で藤原竜也と共演した。原作者である『文学賞殺人事件 大いなる助走』にもゲスト出演し、SF作家を演じた。 シナリオについて 『文藝時評』のなかで筒井ともみを批評したさい、「戯曲=文学、シナリオ=非文学という線引きはもう無意味なのではないか」と書いたことがある。 自作の映画化作品『時をかける少女』のパロディ・シナリオ(シナリオ・時をかける少女『串刺し教授』所収)を書いたが、これは映画化されることを目的としたわけではない。また、映画化されていないシナリオに『大魔神』もあるが、これは企画が頓挫したため、出版のみに終わったと言われている。 ウィキペディアについて ウィキペディア日本語版の「筒井康隆」の項目は間違いだらけだと、2010年(平成22年)11月23日に開催された『筒井康隆作家生活五十周年記念〜現代語裏辞典ライブ』において、多数の観衆の見る中、ウィキペディアの「筒井康隆」の項目を開き、自身の身長から断筆宣言の経緯に至るまで本項目の間違いを指摘し内容を修正した(あまりに間違いが多いので修正は、後日、改めて行うことになった)。 慰安婦像に対する発言 2017年4月7日に、帰国していた駐韓大使の長峰が韓国に帰任することにふれ、慰安婦像の少女を「可愛い」と述べたあとに性的な表現を含む内容をブログで発信した。公式ツイッターにも同様の内容を発信したがその日のうちに削除されている。インターネットでは賛否の声があがり、韓国朝鮮日報日本語版は「衝撃的な妄言」と批判している。これについて、筒井は「あんなものは昔から書いています。ぼくの小説を読んでいない連中が言っているんでしょう。本当はちょっと『炎上』狙いというところもあったんです」と明かす一方、「ぼくは戦争前から生きている人間だから、韓国の人たちをどれだけ日本人がひどいめに遭わせたかよく知っています。韓国の人たちにどうこういう気持ちは何もない」とも話している。 1970年(昭和45年) - 『霊長類南へ』で第1回星雲賞(日本長編部門)、『フル・ネルソン』で同賞(日本短編部門)受賞。 1971年(昭和46年) - 『ビタミン』で第2回星雲賞(日本短編部門)受賞。 1974年(昭和49年) - 『日本以外全部沈没』で第5回星雲賞(日本短編部門)受賞。 1975年(昭和50年) - 『おれの血は他人の血』で第6回星雲賞(日本長編部門)受賞。 1976年(昭和51年) - 『七瀬ふたたび』で第7回星雲賞(日本長編部門)、『スタア』で同賞(映画演劇部門)受賞。 1977年(昭和52年) - 『メタモルフォセス群島』で第8回星雲賞(日本短編部門)受賞。 1981年(昭和56年) - 『虚人たち』で第9回泉鏡花文学賞受賞。 1987年(昭和62年) - 『夢の木坂分岐点』で第23回谷崎潤一郎賞受賞。 1989年(平成元年) - 『ヨッパ谷への降下』で第16回川端康成文学賞受賞。 1990年(平成2年) - ダイヤモンド・パーソナリティー賞受賞。 1991年(平成3年) - 日本文化デザイン賞受賞。 1992年(平成4年) - 『朝のガスパール』で第12回日本SF大賞受賞。 1997年(平成9年) - 神戸市名誉市民勲章受章。フランス・芸術文化勲章シュバリエ章叙勲。フランス・パゾリーニ賞を受賞。 1999年(平成11年) - 『わたしのグランパ』で第51回読売文学賞受賞。 2002年(平成14年) - 紫綬褒章受章。 2010年(平成22年) - 第58回菊池寛賞受賞。 2017年(平成29年) - 毎日芸術賞受賞。 ※『スタア』は演出:福田恆存・荒川哲生による。 『新宿祭 初期作品集』(1972年、立風書房) 『デマ 実験小説集』(1974年、番町書房) 『村井長庵 歴史・時代小説集』(1975年、番町書房) 『笑うな ショート・ショート集』(1975年、徳間書店→新潮文庫 ISBN 978-4101171111) 『くたばれPTA』(1986年、新潮社→新潮文庫 ISBN 978-4101171197) 『鍵―自選短編集』(1994年、角川ホラー文庫 ISBN 978-4041305201) 『懲戒の部屋 自選ホラー傑作集1』(2002年、新潮文庫 ISBN 978-4101171418) 『驚愕の曠野 自選ホラー傑作集2』(2002年、新潮文庫 ISBN 978-4101171425) 『最後の喫煙者 自選ドタバタ傑作集1』(2002年、新潮文庫 ISBN 978-4-10-117143-2) 『傾いた世界 自選ドタバタ傑作集2』(2002年、新潮文庫 ISBN 978-4101171449) 『近所迷惑 自選短篇集1 ドタバタ篇』(2002年、徳間文庫 ISBN 978-4198917050) 『怪物たちの夜 自選短篇集2 ショート・ショート篇』(2002年、徳間文庫 ISBN 978-4198917401) 『日本以外全部沈没 自選短篇集3 パロディ篇』(2002年、徳間文庫 ISBN 978-4198917654) 『睡魔のいる夏 自選短篇集4 ロマンチック篇』(2002年、徳間文庫 ISBN 978-4198917944) 『カメロイド文部省 自選短篇集5 ブラック・ユーモア未来篇』(2003年、徳間文庫 ISBN 978-4198918248) 『わが愛の税務署 自選短篇集6 ブラック・ユーモア現代篇』(2003年、徳間文庫 ISBN 978-4198918590) 『ポルノ惑星のサルモネラ人間 自選グロテスク傑作集』(2005年、新潮文庫 ISBN 978-4101171470) 『ヨッパ谷への降下 自選ファンタジー傑作集』(2005年、新潮文庫 ISBN 978-4101171487) 『日本以外全部沈没 パニック短篇集』(2006年、角川文庫 ISBN 978-4041305225) 『陰悩録 リビドー短篇集』(2006年、角川文庫 ISBN 978-4041305256) 『如菩薩団 ピカレスク短篇集』(2006年、角川文庫 ISBN 978-4041305232) 『夜を走る トラブル短篇集』(2006年、角川文庫 ISBN 978-4041305249) 『佇むひと リリカル短篇集』(2006年、角川文庫 ISBN 978-4041305263) 『くさり ホラー短篇集』(2006年、角川文庫 ISBN 978-4041305270) 『出世の首 ヴァーチャル短篇集』(2007年、角川文庫 ISBN 978-4041305287) 『スタア』(1973年、新潮社) 『筒井康隆劇場 12人の浮かれる男』(1979年、新潮社→新潮文庫 ISBN 978-4101171180) 『ジーザス・クライスト・トリックスター』(1982年、新潮社→新潮文庫 ISBN 978-4101171203) 『筒井歌舞伎 影武者騒動』(1986年、角川書店 ISBN 978-4048760133→新潮文庫 ISBN 978-4101171265) 『スイート・ホームズ探偵』(1989年、新潮社 ISBN 978-4103145189→新潮文庫 ISBN 978-4101171302) 『大魔神』(2001年、徳間書店 ISBN 978-4198613488)※シナリオ 『創作S・Fどうわ かいじゅうゴミイ』(1967年、盛光社) 『創作SFえほん 地球はおおさわぎ』(1969年、盛光社)イラスト:横山隆一 『三丁目が戦争です』(1971年、講談社)イラスト:永井豪 1969年発表『心狸学・社怪学』所収「優越感」の、視点を入れ替えた作品。 三丁目が戦争です(洋泉社 ISBN 978-4896918021)イラスト:永井豪 三丁目が戦争です(青い鳥文庫)イラスト:熊倉隆敏 『筒井康隆全童話』(1976年、角川文庫 ISBN 978-4041305126) 『ジャングルめがね』(1977年、小学館)イラスト:長尾みのる 『イチ、ニのサン!』(1986年、河出書房新社 ISBN 978-4309723556)イラスト:ミハエル・リューバ 『筒井康隆漫画全集』(2004年、実業之日本社)ISBN 978-4408612393 『乱調文学大辞典』(1972年、講談社→講談社文庫→角川文庫 ISBN 978-4041305171) 『狂気の沙汰も金次第』(1973年、サンケイ新聞社出版局→新潮文庫 ISBN 978-4101171036)イラスト:山藤章二 イラストの山藤は、筒井の顔を「あまりに男前なので表現出来ない」の注釈と共にのっぺらぼうに描き、以降定着する。 『やつあたり文化論』(1975年、河出書房新社→新潮文庫 ISBN 978-4101171098) 『私説博物誌』(1976年、毎日新聞社→新潮文庫 ISBN 978-4101171104)イラスト:大竹雄介 『不良少年の映画史 PART1・2』(1979-81年、文藝春秋→文春文庫 ISBN 978-4167181055)。※単行本は2巻本、文庫本は全1巻。 『腹立半分日記』(1979年、実業之日本社→文春文庫→角川文庫 ISBN 978-4041305157) 『みだれ撃ち涜書ノート』(1979年、集英社→集英社文庫 ISBN 978-4087505221) 『着想の技術』(1983年、新潮社→新潮文庫 ISBN 978-4101171234) 『言語姦覚』(1983年、中央公論社→中公文庫 ISBN 978-4122013216) 『虚航船団の逆襲』(1984年、中央公論社→中公文庫 ISBN 978-4122014978) 『玄笑地帯』(1985年、新潮社→新潮文庫 ISBN 978-4101171210) 『日日不穏』(1987年、中央公論社→中公文庫 ISBN 978-4122018181) 『ベティ・ブープ伝 女優としての象徴 象徴としての女優』(1988年、中央公論社→中公文庫 ISBN 978-4122019522) 『ダンヌンツィオに夢中』(1989年、中央公論社→中公文庫 ISBN 978-4122025752) 『短篇小説講義』(1990年、岩波新書 ISBN 978-4004301288) 『文学部唯野教授のサブ・テキスト』(1990年、文藝春秋→文春文庫 ISBN 978-4167181093) 『幾たびもDIARY』(1991年、中央公論社→中公文庫 ISBN 978-4122029583) 『電脳筒井線 朝のガスパールセッション』(全3巻、1992年、朝日新聞社) 『文学部唯野教授の女性問答』(1992年、中央公論社→中公文庫 ISBN 978-4122028890) 『本の森の狩人』(1993年、岩波新書 ISBN 978-4004302759) 『断筆宣言への軌跡』(1993年、光文社 ISBN 978-4334052096) 『筒井康隆の文藝時評』(1994年、河出書房新社→河出文庫 ISBN 978-4309404752) 『笑犬樓よりの眺望』(1994年、新潮社→新潮文庫 ISBN 978-4101171364) 『悪と異端者』(1995年、中央公論社→中公文庫 ISBN 978-4122032576) 『脳ミソを哲学する』(1995年、講談社→講談社+α文庫 ISBN 978-4062564441) 『筒井康隆スピーキング 対談・インタビュー集成』(1996年、出帆新社 ISBN 978-4915497209) 『筒井康隆かく語りき』(1997年、文芸社 ISBN 978-4887370197) 『わかもとの知恵』(2001年、金の星社 ISBN 978-4323070209)画:きたやまようこ 『文学外への飛翔 俳優としての日日』(2001年、小学館→小学館文庫) 『笑犬楼の知恵 筒井康隆トークエッセー』(2002年、金の星社 ISBN 978-4323070292) 『小説のゆくえ』(2003年、中央公論新社→中公文庫) 『筒井康隆の現代語裏辞典「あ〜き」』(2003年、文源庫) 『筒井康隆の現代語裏辞典「き〜こ」』(2004年、文源庫) 『笑犬樓の逆襲』(2004年、新潮社 ISBN 978-4103145271→新潮文庫 ISBN 978-4101171500) 「噂の眞相」連載時の『狂犬樓の逆襲』を改題。 『アホの壁』(2010年、新潮新書 ISBN 978-4106103506) 『現代語裏辞典』(2010年、文藝春秋 ISBN 978-4163727905→文春文庫) 『漂流 本から本へ』(2011年、朝日新聞出版 ISBN 978-4022508331) 『偽文士日碌』(2013年、角川書店 ISBN 978-4041104736→角川文庫) 『創作の極意と掟』(2014年、講談社 ISBN 978-4062188043→講談社文庫) 『SF教室』(1971年、ポプラ社)- 編著 日本SFの歴史、作家、作品紹介を筒井、海外を伊藤典夫、映像、漫画、用語解説を豊田有恒が担当。 『SF作家オモロ大放談』(1976年、いんなあとりっぷ社) 共著:小松左京・筒井康隆・星新一・大伴昌司・平井和正・矢野徹・石川喬司・豊田有恒 おもろ放談(1981年、角川文庫) 『空飛ぶ冷し中華』(1977年、住宅新報社)全日本冷し中華愛好会:編 『空飛ぶ冷し中華〈part2〉』(1978年、住宅新報社)全日本冷し中華愛好会:編 共著:山下洋輔、筒井康隆、奥成達、平岡正明、坂田明、日比野孝二、河野典生、上杉清文、山口泰、伊達政保、舎人栄一、岡崎英生、瀬里なずな、小山彰太、池上比沙之、堀晃、黒鉄ヒロシ、赤瀬川原平、高信太郎、長谷邦夫、南伸坊、末井昭、長谷川法世、タモリ、吉峯英虎、赤塚不二夫、高平哲郎、朝倉喬司 『定本ハナモゲラの研究』(1979年、講談社) 共著:赤瀬川原平・赤塚不二夫・朝倉喬司・糸井重里・上杉清文・及川正通・岡崎英生・奥成達・鏡明・加藤芳一・高信太郎・小山彰太・坂田明・高平哲郎・タモリ・中原仁・中村誠一・山口泰・山下洋輔・湯村輝彦・横田順彌 『トーク8 筒井康隆対談集』(1980年、徳間書店→徳間文庫) 山下洋輔トリオ(山下洋輔、森山威男、中村誠一)、河野典生、吉行淳之介、荒巻義雄、中島梓、相倉久人+山下洋輔、岸田秀、山下洋輔 『日本語の世界10 日本語を生きる』(1985年、中央公論社) 共著:井上ひさし、中村雄二郎、佐藤信夫 『ユートピア探し 物語探し』(1988年、岩波書店) 共著:大江健三郎、井上ひさし 『突然変異幻語対談 汎フィクション講義』(1988年、朝日出版社→河出文庫)、共著:柳瀬尚紀 『サイバー大魔王の襲撃―パソコン通信症候群のカルテ』(1993年、中央公論社) 電子掲示板『電脳筒井線』に参加した早川玄との共著 『脳みそを哲学する』(1995年、講談社) 共著:村上陽一郎・養老孟司・中村桂子・日高敏隆・森毅・根本順吉・軽部征夫・佐藤文隆・奥谷喬司・立花隆 『筒井漫画涜本』(1995年、実業之日本社) 『笑いの力』(2005年、岩波書店) 共著:河合隼雄、養老孟司 『対談 笑いの世界』(2005年、朝日新聞社) 共著:桂米朝 『筒井漫画涜本ふたたび』(2010年、実業之日本社) 『夢からの脱走』(1969年、新風出版) 『異形の白昼 現代恐怖小説集』(1969年、立風書房→集英社文庫→ちくま文庫) 『12のアップルパイ』(1970年、立風書房→集英社文庫) '71日本SFベスト集成(1975年、徳間書店→徳間文庫→ちくま文庫) '74日本SFベスト集成(1975年、徳間書店→徳間文庫→ちくま文庫) '73日本SFベスト集成(1975年、徳間書店→徳間文庫→ちくま文庫) '72日本SFベスト集成(1976年、徳間書店→徳間文庫→ちくま文庫) '60年代日本SFベスト集成(1976年、徳間書店→徳間文庫→ちくま文庫) '75日本SFベスト集成(1976年、徳間書店→徳間文庫) 『実験小説名作選』(1980年、集英社文庫) 『いかにして眠るか』(1980年、光文社→光文社文庫) 『ネオ・ヌルの時代』PART1-3(1985年、中公文庫) 『日本の名随筆41 嘘』(1986年、作品社) 『夢探偵「光る話」の花束』(1989年、光文社) 『人間みな病気』(1991年、福武文庫) 『パスカルへの道』(1994年、中公文庫) 『21世紀文学の創造1 現代世界への問い』(2001年、岩波書店) 『21世紀文学の創造3 方法の冒険』(2001年、岩波書店) 写真小説 男たちのかいた絵(1996年、徳間書店)原作・監修。文章:花田秀次郎(※花田秀次郎は本作執筆の際、筒井康隆が名乗った筆名。徳間書店よりノベライズの依頼を受けたが、断筆中であったため筆名を用い、映画を見て筒井本人が書き上げた。本人曰く「おれ自分のゴーストライターしたことあるねん」とのこと。) 科学の終焉(おわり)(1997年、徳間書店)監修。著:ジョン・ホーガン 訳:竹内薫 続・科学の終焉(おわり) 未知なる心(2000年、徳間書店)監修。著:ジョン・ホーガン 訳:竹内薫 筒井版 悪魔の辞典〈完全補注〉(2002年、講談社→講談社+α文庫)アンブローズ・ビアス著。意訳。 眠気をあやつる本(2003年、PHP研究所)監修。編著:造事務所、横田美奈子 哲学の冒険(2004年、集英社インターナショナル)監修。著:マーク・ローランズ 訳:石塚あおい 『筒井康隆全集』(全24巻:1983年 - 1985年、新潮社) 『筒井康隆コレクション』(日下三蔵・編、全7巻、出版芸術社) コレクションI 48億の妄想(2014年) コレクションII 霊長類 南へ(2015年) コレクションIII 欠陥大百科(2015年) コレクションIⅤ おれの血は他人の血(2016年) コレクションⅤ フェミニズム殺人事件(2016年) コレクションⅤI 美藝公(2017年) コレクションⅤII 朝のガスパール(2017年) 『筒井康隆全戯曲』(日下三蔵・編、全4巻、復刊ドットコム、2016‐2017年) The Girl Who Leapt Through Time(時をかける少女) David Karashima The Maid (家族八景)アダム・カバット訳 1989(What the Maid Saw) Salmonera Men on Planet Porno(ポルノ惑星のサルモネラ人間)Andrew Driver 2008 Paprika(パプリカ)Andrew Driver 2009 Hell(ヘル) Evan Emswiler 2010 La traversée du temps(時をかける少女)Jean-Christian Bouvier 1991 Les Cours particuliers du professeur Tadano(文学部唯野教授)Jeanne Cotinet 1996 Le censeur des rêves (夢の検閲官)Jean-Christian Bouvier Mein Blut ist das Blut eines anderen(俺の血は他人の血) Otto Putz 2006 Professor Tadano an der philosophischen Fakultaet(文学部唯野教授) Stefan Wundt 『穿越时空的少女』丁丁虫 上海译文出版社 2007 『文学部唯野教授』何晓毅 人民文学出版社 2007 『梦侦探』(パプリカ)丁丁虫 上海译文出版社 2010 『爱的左边』(愛のひだりがわ) 伏怡琳 人民文学出版社 2009 Otto scene di famiglia(家族八景、伊語) M. C. Migliore Hombres salmonera en el planeta porno(ポルノ惑星のサルモネラ人間、西語)Jesús Carlos Álvarez Crespo Estoy desnudo 西語 Jesús Carlos Álvarez Crespo Paprika(パプリカ、西語) Jesús Carlos Álvarez Crespo デマ(1973年) 家(1976年) 筒井康隆文明(1978年) THE INNER SPACE OF YASUTAKA TSUTSUI(1985年) A面:活動写真、I Surrender Dear、Everyone Says I Love You、ジャズ大名 B面:昔はよかったなあ(朗読:筒井康隆)、Smoke Rings 1983 - 1985年発売 新潮社「筒井康隆全集」全巻購入者特典のLPレコード 非売品(「筒井康隆全集」の全巻購入者が応募券を全巻分揃えて応募すると送られる)。後に、CD化され市販。 ジャズ大名 活動写真 銀色の真昼 筒井康隆大一座 ジーザス・クライスト・トリックスター(1984年 中央公論社)ISBN 4-12-001272-7 ジーザス・クライスト・トリックスター ――山にのぼりて笑え―― 昭和58(1983)年8月11日、12日 東京・日本都市センターホール公演より。 昔はよかったなあ,おもての行列,なんじゃいな,狸,顔面崩壊―筒井康隆大一座朗読会ライブ(1987年1月 新潮社「新潮カセットブック」T-1-1)ISBN 978-4108201057 A面:昔はよかったなあ(朗読:筒井康隆)、おもての行列なんじゃいな(朗読:筒井康隆) B面:狸(朗読:納谷六郎)、顔面崩壊(朗読:納谷六郎) 1986年11月13日 東京・新宿安田生命ホールでのライブ収録 カラス エロチック街道(1987年2月 新潮社「新潮カセットブック」T-1-2)ISBN 978-4108201071 A面:カラス(朗読:納谷六郎)、エロチック街道(1)(朗読:筒井康隆) B面:エロチック街道(2)(朗読:筒井康隆) 急流 関節話法(1987年3月 新潮社「新潮カセットブック」T-1-3)ISBN 978-4108201125 A面:急流(朗読:角野卓造)、関節話法(1)(朗読:角野卓造) B面:関節話法(2)(朗読:角野卓造) 泣き語り性教育 一について(1987年4月 中央公論社「カセット劇場」) ショートショート・フェスティバル(1987年6月 新潮社「新潮カセットブック」Y-4-1)ISBN 978-4108201217 A面:また何かそして別の聴くもの(リレー朗読:筒井康隆 納谷六郎 伊沢弘 上山克彦)、きつね(朗読:納谷六郎)、客(朗読:伊沢弘)、鏡よ鏡(朗読:上山克彦)、池猫(朗読:納谷六郎)、到着(朗読:伊沢弘)、猛烈社員無頼控(朗読:納谷六郎) B面:自動ピアノ(朗読:伊沢弘)、逆流(朗読:上山克彦)、傾斜(朗読:伊沢弘)、見学(朗読:上山克彦)、早口言葉(リレー朗読:筒井康隆 納谷六郎 伊沢弘 上山克彦)、原始人(朗読:筒井康隆) 1987年4月28日 兵庫県尼崎市つかしんホールでの「筒井康隆大一座」朗読会のライブ収録。(カセット収録の作品の一部分、又は、作品の全部は、何らかの理由によってライブ収録された音声は使われず、後でスタジオで録音された音声が編集により挿入されているものもある。) 横車の大八 最初の混戦 (1987年12月 新潮社「新潮カセットブック」T-1-5)ISBN 978-4108201361 A面:歓待(朗読:納谷六郎)、最初の混線(納谷六郎 奥村公延)、横車の大八(1)(筒井康隆 奥村公延) B面:横車の大八(2)(筒井康隆 奥村公延)、超能力(朗読:納谷六郎) 機械(1988年)横光利一作品の朗読 筒井康隆ショートミステリー(1988年4月 TBSブリタニカ (阪急コミュニケーションズ)「TBSブリタニカSOUNDミステリー」)ISBN 978-4484886220 A面: B面: ミステリーゾーン(1986年、TBSラジオ)よりのカセットブック化。*収録作品は「佇むひと」「ジャップ鳥」「その情報は暗号」「さなぎ」「生きている脳」 誰にもわかるハイデガー(1990年10月 新潮社「新潮カセット講演」)ISBN 978-4108029019 筒井康隆の21600秒(199*年**月**日発売 JICビデオ) 1997年4月6日 12:00 - 18:00放送 PerfecTV! 278ch ドキュメンタリーチャンネル“地球の声”で放送された、長時間のドキュメント番組のビデオ化。(筒井康隆のインタビューや、筒井康隆との対談(鼎談)等や、イベントで披露された、筒井康隆による朗読での「乖離」、「エンガッツィオ司令塔」を収録。劇団BIG FACEによる「筒井ワールド4」の公演より、「最高級有機質肥料」の舞台放送、など) エンガッツィオ司令塔 LIVE!!!(1997年11月27日発売 EMIミュージック・ジャパン 収録時間:90分) 1997年3月2日 東京・渋谷ビデオスタジオ第3スタジオから、「筒井康隆・衛星インターネットライブ」として、インターネット生中継放送された、筒井康隆などが「エンガッツィオ司令塔」を朗読した模様などを収録。(テレビ番組「筒井康隆の21600秒」よりからのビデオ化) 乖離 LIVE!!!(1997年12月27日発売 EMIミュージック・ジャパン 収録時間:47分) 1997年1月24日 兵庫県・新神戸オリエンタル劇場で行われた「The Hurly-Burly Show 〜星降る夜の神戸〜」で、筒井康隆が自作の「乖離」の朗読などを収録。(テレビ番組「筒井康隆の21600秒」よりからのビデオ化) 筒井康隆四千字劇場(1994年) PC-9800専用 小松左京『骨』(1977年)小松左京直々の依頼により 日本以外全部沈没・問題外科・時をかける少女・最後の喫煙者・平行世界・文学部唯野教授・緑魔の町(いずれも2010年1月1日リリース) 東海道戦争(1969年) 漫画:長谷邦夫 アフリカの爆弾(1975年) 漫画:山上たつひこ 混乱列島(1977年) 漫画:永井豪 ハウスジャックナナちゃん(1977年) 漫画:赤塚不二夫 アクション クライマックス 霊長類 南へ(1979年) 漫画:古城武司 筒井康隆大一座公演全記録 写真漫画 ジーザス・クライスト・トリックスター 山にのぼりて笑え(1982年) 漫画:ひさうちみちお 富豪刑事(1985年) 漫画:関口シュン 薬菜飯店(1994年) 漫画:萩原玲二 パプリカ(1995年 - 1996年) 漫画:萩原玲二 筒井漫画涜本(1995年) 漫画:相原コージ・とり・みき等 表紙:ナンシー関 NANASE(2001年 - 2003年) 漫画:山崎さやか パプリカ(2003年) 漫画:萩原玲二(1995年-1996年に描いたものに加筆) 時をかける少女(2004年) 漫画:ツガノガク 時をかける少女 TOKIKAKE(2006年) 漫画:琴音らんまる ベトナム観光公社(2006年) 漫画:石ノ森章太郎(少年マガジン:1971年) 家族八景(2007年 - 2008年) 漫画:清原なつの 東京のたそがれ(不明) 漫画:深井国 タイム・トラベラー(1972年、NHK) 中学生日記「廃塾令」(1978年、NHK) 芝生は緑(1979年、毎日放送) 七瀬ふたたび(1979年、NHK) おとぎの部屋「ジャングルめがね」(1980年、NHK教育) 時をかける少女(1985年、フジテレビ) 家族八景(1986年、フジテレビ) 筒井康隆の三人娘(1986年、日本テレビ) さんまの「おれは裸だ」(1988年、よみうりテレビ) カラダ記念日(1989年、TBS) 世にも奇妙な物語(1991年 - 、フジテレビ) 「ユリコちゃん」(1991年) 「おれに関する噂」(1991年) 「時の女神」(1994年) 「最後の喫煙者」(1995年) 「熊の木本線」(1996年) 「自殺悲願」(1997年) 「鍵」(2003年) 「夢の検閲官」(2009年) 「走る取的」(2014年) 「通いの軍隊」(2016年) 月曜・女のサスペンス「フェミニズム殺人事件」(1991年、テレビ東京) 時をかける少女(1994年、フジテレビ) 七瀬ふたたび(1995年 - 1996年、フジテレビ)木曜の怪談 怪物たちの夜(1997年、テレビ朝日)「幻想ミッドナイト」第二夜。 七瀬ふたたび(1998年、テレビ東京) フードファイト 香港死闘篇 (2001年4月1日 日本テレビ)香港マフィアのドン役 時をかける少女(2002年、TBS)「モーニング娘。新春!LOVEストーリーズ」第3話 富豪刑事(2005年、テレビ朝日) 富豪刑事デラックス(2006年、テレビ朝日) 七瀬ふたたび(2008年、NHKドラマ8) 家族八景 Nanase, Telepathy Girl's Ballad(2012年、毎日放送) 時をかける少女(2016年、日本テレビ) 文芸劇場(197*年 - 、NHKラジオ第1放送 毎週土曜日 21:05 - 22:00 他) 「幻想の未来」(1973年7月14日)(再放送 1973年10月7日 **:** - **:**「文芸劇場」NHKラジオ第1放送、1988年9月25日 **:** - **:**「ラジオ名作劇場」NHKラジオ第2放送) 脚色:山元清多 琵琶:押田旭窈 出演:伊藤牧子 梅野泰靖 里見京子 三宅康夫 他 「ヒストレスヴィラからの脱出」(1978年7月28日)(再放送 1978年11月5日 17:05 - 18:00) 脚色:石堂淑朗 出演:山本紀彦 他 音の本棚(1976年 - 1979年、FM東京 毎週月曜日 - 金曜日 21:25 - 21:40) *放送時期により、番組の放送時間(放送される時間も)が変動していた可能性あり。 「筒井康隆短編集」(1978年4月17日 - 21日) 脚色:田沼雄一 出演:**** 第1話「バブリング創世記」(1978年4月17日) 第2話「マグロマル」(1978年4月18日) 第3話「アフリカの爆弾」(1978年4月19日) 第4話「わが愛の税務署」(1978年4月20日) 第5話「ヒノマル酒場」(1978年4月21日) 「富豪刑事」(1979年6月13日 - 6月15日) 脚色:小野勝也 出演:小池朝雄 仲谷昇 他 ラジオSFコーナー(19**年 - 、NHKラジオ第1放送 月曜日 - 金曜日 21:05 - 21:20)*放送時期により、番組の放送時間(放送される時間も)が変動していた可能性あり。 怪物たちの夜/あるいは酒でいっぱいの海(1979年7月20日) ラジオ劇場(198*年 - 、NHKラジオ 毎週*曜日 **:** - **:**) 「ジャズ大名」(1982年1月9日 **:** - **:**)(再放送 1982年8月15日 **:** - **:**「ラジオ劇場」NHKラジオ第1放送、1990年9月10日 **:** - **:**「ラジオ名作劇場」NHKラジオ第1放送、2008年8月31日(土)23:15-00:15 「ラジオドラマ・アーカイブス」 NHKラジオ第1放送) 脚色:竹内銃一郎 演出:大沼悠哉 音楽:山下洋輔 音楽演奏:筒井康隆 山下洋輔 他 出演:立川光貴 由利徹 石田太郎 佐藤B作 他 ふたりの部屋(198*年 - 1985年、NHK-FM 月曜日 - 金曜日 22:45 - 23:00) 「近未来物語」(1983年12月19日 - 23日)(再放送:1984年12月17日 - 21日(再放送時の番組冒頭に、初回放送日が紹介された)) 脚色:能勢紘也 出演:ケーシー高峰 岡江久美子 及川ヒロヲ 第1回「ゲゼルシャフト」(1983年12月19日)(再放送:1984年12月17日) 第2回「サディズム」(1983年12月20日)(再放送:1984年12月18日) 第3回「条件反射」(1983年12月21日)(再放送:1984年12月19日) 第4回「未来都市」(1983年12月22日)(再放送:1984年12月20日) *オランダ国際放送協会主催 1984年度 ゴールデン・ウィンドミル賞 ラジオ番組コンクール シルバー賞受賞作品(再放送時、番組冒頭で紹介された) 第5回「ワースト・コンタクト」(1983年12月23日)(再放送:1984年12月21日) ラジオ図書館(1981年 - 1996年、TBSラジオ 毎週月曜日 20:00 - 21:00 等 ※放送時期により放送曜日、時間は変動) * 55分番組 「筒井康隆の日本の歴史〜竹中直人一人芝居」(1983年9月26日) 脚色:宮沢明夫 演出:戸田郁夫 出演:竹中尚人 「五郎八航空」(1984年7月2日) 脚色:山元清多 演出:北山雄一郎 出演:草野大吾 朝比奈尚行 斉藤晴彦 小篠一成 村松克己 野村昭子 吉田重幸 「筒井康隆特集」(1986年4月、5月) 第1回「経理課長の放送」(1986年4月13日) 脚色:山元清多 演出:岩沢聡 出演:朝比奈尚行 斉藤晴彦 岸田清子 劇団 時々自動 五味陸仁(当時:TBSアナウンサー) 第2回「ワイド仇討ち」(1986年4月20日) 脚色:桃原弘 演出:川戸貞吉 出演:近石真介 矢野宣 今福將雄 大塚道子 原田清人 藤麻美 草野大悟 五味陸仁(当時:TBSアナウンサー) 第3回「短編3話」第1話「YAH!」 第2話「童話 地球はおおさわぎ」 第3話「俺に関する噂」(1986年4月27日) 脚色:津川泉 演出:清水昌男 出演:秋野太作 大竹宏 中平良夫 藤田淑子 唐沢潤 八奈見乗児 青野武 浪川大輔 藤枝成子 五味陸仁(当時:TBSアナウンサー) 第4回「走る取的」(1986年5月4日) 脚色:佐久間隆 演出:杉浦利重 出演:佐々木敏 丸岡奨詞 柳川慶子 高間智子 「筒井康隆短編集」(1991年6月2日) 第1話「信仰性遅感症」 第2話「わが家の戦士」 脚色:吉田桃子 演出:佐藤つかさ 出演:青野武 戸田恵子 古川登志夫 鈴木富子 遠藤晴 緑川光 「筒井康隆作品集」(1993年5月2日) 第1話「最後の伝令」 第2話「瀕死の舞台」 脚色:山元清多 演出:北山雄一郎 出演:斉藤晴彦 村松克己 服部吉次 長谷透 福原一臣 新井純小篠一成 田村義明 岩井ひとみ 内沢雅彦 木野本啓 桐谷夏子 横田桂子 「筒井康隆作品集」(1993年8月15日) 第1話「老境のターザン」 第2話「通いの軍隊」 脚色:山元清多 演出:北山雄一郎 出演:斉藤晴彦 村松克己 小篠一成 新井純 服部吉次 長谷透 木野本啓 横田桂子 花崎攝 田村義明 内沢雅彦 岩井ひとみ ミステリーゾーン(1986年 - 、TBSラジオ 毎週月曜日 - 金曜日 **:** - **:**) *15分番組(当時の、夜のワイド番組内のコーナーなどで放送) 「講談社文庫ミステリー傑作選」 筒井康隆 作「ウィークエンド・シャッフル」より (1986年**月**日 - **日放送) 脚色:山元清多 音楽:沢田信男 出演:佐藤慶 樋浦勉 新井純  (※1988年4月「TBSブリタニカSOUNDミステリー 筒井康隆ショートミステリー」として市販された。) 「佇む人」(1986年**月**日) 「ジャップ鳥(1986年**月**日) 「その情報は暗号」(1986年**月**日) 「さなぎ」(1986年**月**日) 「生きている脳」(1986年**月**日) 俺の血は他人の血(1974年)監督:舛田利雄 二人でお茶を(1979年)監督:早川光 素敵なあなた(1980年)監督:早川光 スターダストライジング(1980年)監督:早川光 歪み-SCREW(1980年)監督:藤森潤 ウィークエンド・シャッフル(1982年)監督:中村幻児 俗物図鑑(1982年)監督:内藤誠 時をかける少女(1983年)監督:大林宣彦 家族八景(1984年)監督:内藤誠 ジャズ大名(1986年)監督:岡本喜八 スタア(1986年)監督:内藤誠 文学賞殺人事件 大いなる助走(1989年)監督:鈴木則文 男達の描いた絵(1990年)監督:友松直之 怖がる人々(1994年)監督:和田誠、オムニバス映画。第3話「乗越駅の刑罰」、第5話「五郎八航空」 男たちのかいた絵(1996年)監督:伊藤秀裕 時をかける少女(1997年)監督:角川春樹 わたしのグランパ(2003年)監督:東陽一 時をかける少女(2006年)監督:細田守 日本以外全部沈没(2006年) 監督:河崎実 パプリカ(2006年)監督:今敏 七瀬ふたたび(2010年)監督:小中和哉 筒井康隆劇場「エロティックな総理」(2006年、GyaO) 「信仰性遅感症」「だばだば杉」「おれは裸だ」「活性アポロイド」 出演:筒井康隆 さとう珠緒 伊藤あい 森下千里 小野真弓 高樹マリア 「筒井ワールド」 BIG FACE 1995年1月20日 - 22日 新宿シアター・モリエール 「言葉と〈ずれ〉」「陰脳録」「うるさがた」「団欒の危機」 脚本、演出:伊沢弘 監修:川和孝 出演:伊沢弘 上山克彦 桜山優 斉藤勝 渡辺真砂子 他 「筒井ワールド 2」 BIG FACE 1995年10月13日 - 17日 渋谷ジァン・ジァン 「信仰性遅感症」「熊の木本線」「通いの軍隊」 脚本、演出:伊沢弘 監修:川和孝 出演:石原澄雄 村井理恵 勝田治美 桜岡あつこ 工藤順矢 他 「筒井ワールド 3」 BIG FACE 1996年7月12日 - 13日 アメリカ・ロサンゼルス全米日系人博物館 1996年8月1日 - 5日 新宿シアター・モリエール 「ジス・イズ・ジャパン」「走る男」「最悪の接触(ワースト・コンタクト)」 脚本、演出:伊沢弘 監修:川和孝 出演:藤田みどり 松尾智昭 二反田雅澄 伊藤結加 小山剛志 他 「筒井ワールド 4」 BIG FACE 1997年2月5日 - 11日 両国シアターX 「座敷ぼっこ」「こぶ天才」「懲戒の部屋」「最高級有機質肥料」 脚本、演出:伊沢弘 監修:川和孝 出演:千田隼生 佐藤昇 吉宮君子 名倉右喬 津川友美 他 「筒井ワールド 5」 BIG FACE 1997年8月18日 - 24日 両国シアターX 「ブルドッグ」「改札口」「発明後のパターン/姉弟/傷ついたのは誰の心」「断末魔酔狂地獄」 脚本、演出:伊沢弘 監修:川和孝 出演:吉見絹 小池浩司 山崎カカト 小松さとる 他 「筒井ワールド コマーシャル・サーカス'98」 BIG FACE 1998年1月13日,15日 新宿シアター・モリエール 「最悪の接触(ワースト・コンタクト)」 脚本、演出:伊沢弘 監修:川和孝 出演:伊沢弘 上山克彦 鈴木歩己 坂下しのふ 鹿嶋優子 他 「筒井ワールド 6」 BIG FACE 1998年2月4日 - 10日 両国シアターX 「さなぎ」「おれは裸だ」「ウィークエンド・シャッフル」 脚本、演出:伊沢弘 監修:川和孝 出演:倉田知美 並木愛枝 角田文 星野史帆 野原・S・ひろみ 他 「筒井ワールド 7」 BIG FACE 1999年2月24日 - 3月2日 両国シアターX 「エンガッツィオ司令塔」「天の一角」「風」 脚本、演出:伊沢弘 監修:川和孝 出演:納谷悟朗 白石奈緒美 朝本紗ゆり つきよな照世 上世博及 他 「筒井ワールド 8」 BIG FACE 1999年8月25日 - 31日 両国シアターX 「おれに関する噂」「かゆみの限界」「ヒノマル酒場」 出演:藍ひとみ 松尾智昭 光岡湧太郎 妹尾青洸 花村宗冶 他 「筒井ワールド 9」 BIG FACE 2000年2月23日 - 29日 両国シアターX 「走る取的」「老境のターザン」「妻四態」「間接話法」 脚本、演出:伊沢弘 監修:川和孝 出演:桜山優 谷田川さほ 吉見絹 風間竜一 並木秀介 他 「筒井ワールド FINAL」 BIG FACE 「第1ラウンド」 2000年8月2日 - 6日 両国シアターX 「人間狩り」「おれは裸だ」「夢の検閲官」 「第2ラウンド」 2000年8月9日 - 13日 両国シアターX 「座敷ぼっこ」「最悪の接触(ワースト・コンタクト)」「熊の木本線」 「第3ラウンド」 2000年8月16日 - 20日 両国シアターX 「信仰性遅感症」「ショート・ショート」「ウィークエンド・シャッフル」 「第4ラウンド」 2000年8月23日 - 27日 両国シアターX 「通いの軍隊」「陰脳録」「ヒノマル酒場」 「大阪公演」 2000年9月8日 - 10日 大阪HEPHALL 「陰脳録」「通いの軍隊」「ヒノマル酒場」 脚本、演出:伊沢弘 監修:川和孝 出演:筒井康隆 納谷悟朗 永井一郎 紅萬子 片岡貴弘 亀山忍 高田祐司 他 総勢90名 四八(仮) - 一部シナリオ書き下ろし。自身も俳優としてゲーム出演。ファミ通ロングインタビュー掲載。 『筒井康隆のケンタウルスの殺人』CSK、1984年、PC8801シリーズ。 iTunes Store 等の音楽ダウンロードサイトで、いくつかの朗読作品等が、有料でダウンロードできる。 ビーバップ!ハイヒール(2005年 - 、朝日放送テレビ)主に関西地区で放送 23時ショー(1971年、NETテレビ)加賀まりことともに司会 部長刑事 「もうひとつの動機」(1979年、朝日放送) すばらしき仲間(1980年、中部日本放送)山下洋輔、タモリとともに出演 部長刑事 「刑事たちのロンド」(1983年、朝日放送) 朝まで生テレビ(テレビ朝日 1993年10月14日放送「激論!表現の自由と差別」ゲストパネラー 夢の帰る場所(1994年、関西テレビ) 時をかける少女(1994年、フジテレビ)寺の住職 役 ソリトン 野望山馳参寺!(1994年 - 1995年、NHK教育)- 司会 世にも奇妙な物語 「最後の喫煙者」(1995年、フジテレビ) - 日下部安隆 「日の出通り商店街いきいきデー」(2008年)医師 役 涙たたえて微笑せよ-明治の息子・島田清次郎(1995年、NHK) 十津川警部シリーズ8 伊豆海岸殺人ルート(1995年、TBS)水野久明 役 小石川の家(1995年、テレビ東京) 木曜の怪談 七瀬ふたたび(1995年 - 1996年、フジテレビ) 響子(1996年、TBS) ドラマ新銀河 結婚はいかが?(1996年、NHK) 女優X─伊沢蘭奢の生涯(1996年、TBS)森鴎外 役 ゆまにて・筒井康隆の21600秒(1997年4月6日 12:00 - 18:00、PerfecTV! 278ch ドキュメンタリーチャンネル“地球の声”)(1997年6月14日 2:00 - 8:00 リピート放送) 構成・演出:牛山真一 製作:地球の声 小椋事ム所 JIC ※パーフェクTV '97パーフェク大賞 企画制作賞受賞。(後に、「筒井康隆の21600秒」は、ビデオ化され市販(JICビデオ)。別に朗読部分は、1997年に「エンガッツィオ司令塔 LIVE!!!」(1997年11月27日発売 EMIミュージック・ジャパン 収録時間:90分)、「乖離 LIVE!!!」(1997年12月27日発売 EMIミュージック・ジャパン 収録時間:47分)としてビデオ化され市販。) 6時間のドキュメンタリー番組。(途中CM等が入り(「PerfecTV!」、「ドキュメンタリーチャンネル“地球の声”」)、実質は約5時間半) 神戸の自宅でのインタビュー。(冒頭、画面下に、経歴等を字幕でスクロール表示)(執筆について、パソコン、インターネットの導入、自身のホームページの事等(書斎にて)。) (私蔵のビデオテープより榎本健一主演の「孫悟空」の一部音声のみ(テレビ画面は権利関係等により映されていなかった)(テレビ、ビデオデッキが置かれている和室にて)。)(約9分強) 番組タイトル「筒井康隆の21600秒」 題字:筒井康隆 1997年1月24日 兵庫県・新神戸オリエンタル劇場での「The Hurly-Burly Show 〜星降る夜の神戸〜」より「筒井康隆&小曽根実トリオ」によるクラリネット演奏、曲目「Rose Room」の一部、自作「乖離」の筒井本人による朗読。(リハーサル、バンド演奏部分は、約5分強 朗読部分は、約34分)(合計約40分) 筒井康隆の略歴。(誕生から子供時代〜社会人時代の写真数枚。「NULL」創刊号の表紙や目次の画像、初期出版物の表紙の画像数点、家族との写真、自筆原稿の一部の映像、筒井康隆大一座の写真、白石加代子との写真等。)(約4分半) 柳美里、大岡玲との「筒井康隆対談」。(実質は「鼎談」)(約43分) 筒井本人も観に行った、1997年2月5日収録の両国シアターXでの劇団BIG FACEによる「筒井ワールド4」の公演より(公演は同年2月5日〜11日)、「座敷ぼっこ」「こぶ天才」「懲戒の部屋」の一部の模様、同公演の構成・演出の伊沢弘のインタビュー、公演前のロビーでのサイン即売会の模様。(約9分弱) 「最高級有機質肥料」の舞台放送(約29分)。(上演後 出演者全員の舞台挨拶後、「断筆を解き、執筆を再開します。筒井康隆」の垂れ幕が降ろされる)(合計約35分) 1997年2月5日 東京・六本木 Berホワイトにて 断筆宣言解禁を祝って親しい友人、出版関係者らとの集まりの模様。(山下洋輔の挨拶、筒井のクラリネットの公開練習の模様(山下作の楽曲)の一部等)(約5分) 山下洋輔との「筒井康隆対談」。(約33分半) 1997年3月2日 東京・渋谷ビデオスタジオ第3スタジオからの、衛星回線なども使用してのインターネットを使った生ライブ放送、「PerfecTV! Presents! 筒井康隆・衛星インターネットライブ」(演出:手塚眞 主催:PerfecTV! Presents! 制作:JIC「地球の声」 神戸セントラル開発 小椋事ム所)(インターネットを使っての生ライブ放送「衛星インターネットライブ」と同時に録画もされる 開場:15:30 開演:16:00)での「エンガッツィオ司令塔」を自身で朗読し(相手役:麻生えりか)生中継した時の模様(衛星アンテナの設置やインターネットでの送信の準備、リハーサル等の模様、約5分強。朗読、約53分)。映画「俗物図鑑」(手塚眞の出演部分)、映画「スタア」(筒井康隆の出演部分)の一部映像(約2分半)。同「衛星インターネットライブ」での内藤誠、手塚眞との「インターネットライブ 筒井康隆対談」。(前半(25分強)は、内藤誠と、後半(31分強)は手塚眞を交えての鼎談。(約57分))(合計約118分)(当日のインターネットライブには、海外も含め約2万人がアクセスしたとのこと(番組中のインポーズの文字情報より。)) 中村雄二郎との「筒井康隆対談」。(約38分) 京都夜の祇園殺人事件(1997年、フジテレビ) 怪物たちの夜(1997年、テレビ朝日)「幻想ミッドナイト」第二夜。 町(1997年、フジテレビ) ニュースの女(1998年、フジテレビ) めぐり逢い(1998年、TBS)中田道夫 役 ガラスの仮面(1998年、テレビ朝日) 七瀬ふたたび(1998年、テレビ東京)漁連平 役 勇気をだして(1998年、TBS) 昼下がり・社宅奥様探偵団(1998年、フジテレビ) 別れたら好きな人(1999年、テレビ東京) 蘇える金狼(1999年、日本テレビ)宝竜会会長 田島一彦 役 同窓会へようこそ(1999年、TBS)20年前のクラスの担任教師 役 作家 小日向鋭介の推理日記(1999年、テレビ朝日)文学賞の選考委員長 役 イマジン(2000年、フジテレビ) 学校の怪談 春の呪いスペシャル 第1話「恐怖心理学入門」(2000年、フジテレビ)田中教授 役 ママまっしぐら!(2000年、TBS)渡辺一途 役 ここだけの話し「思い出せない!」(2001年、テレビ朝日) フードファイト スペシャル 香港死闘編(2001年、日本テレビ)香港マフィアの親玉 王富城(ワン・フーシン)役 百萬男(2001年、フジテレビ)謎の人物 百萬男 役 社宅奥様探偵団2(2001年、TBS) 北条時宗(2001年、NHK大河ドラマ)円覚寺開祖 無学祖元 役 ママまっしぐら!2(2001年、TBS)渡辺一途 役 グズ茂検事の犯罪捜査(2002年、テレビ東京) 陰陽師☆安倍晴明〜王都妖奇譚〜(2002年、フジテレビ)賀茂忠行 役 血脈(2003年、テレビ東京) 海猿2〜炎の海に挑む海上保安官物語(2003年、NHK) 世にも奇妙な物語 「遠すぎた男」(2003年、フジテレビ) トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜(2003年 - 、フジテレビ)荒俣宏の代わりに数回出演 てるてる家族(2003年 - 2004年、NHK)宝塚音楽学校講師 役 火曜サスペンス劇場・箱根湯河原温泉交番(2004年、日本テレビ)小説家・今出川龍之介 役 新しい風(2004年、TBS)東都新聞会長 藤森信介 役 富豪刑事(2005年、テレビ朝日)瀬崎龍平 役 赤い運命(2005年、TBS)河野総一郎 役 新・京都迷宮案内3 第2話「出来すぎたアリバイ! 消えた殺人犯」(2006年、テレビ朝日)筒井康隆 役 芋たこなんきん(2006年、NHK)千葉龍太郎 役 慶次郎縁側日記 第3シリーズ 第4話「蜩(ひぐらし)」(2006年、NHK) 堂々現役〜巨匠からのメッセージ 第18回 (2009年9月5日 20:00 - 20:55、BSフジ)インタビュー番組 ※同年9月、10月に数回、2010年にもリピート放送あり 世界を変える100人の日本人! JAPAN☆ALLSTARS (2008年 -2010年, テレビ東京) この日本人がスゴイらしい。Brand New Japan(2010年 - 2011年、テレビ東京) 筒井康隆劇場「エロティックな総理」(2006年、GyaO) 千夜一夜物語(1966年、監督:山本暎一)女奴隷市の野次馬 役(声の出演) スタア(1986年、監督:内藤誠)地震研究所長 犬神博士 役 文学賞殺人事件 大いなる助走(1989年、監督:鈴木則文)文壇バーで怒鳴り散らすSF作家 役 怖がる人々 第2話「吉備津の釜」(1994年、監督:和田誠)会社の男A 役 樹の上の草魚(1997年、監督:石川淳志)池貝伸一 役 双生児 GEMINI(1999年、監督:塚本晋也)大徳寺茂文 役 白痴(1999年、監督:手塚眞)メディアステーション編成部長 役 金髪の草原(2000年、監督:犬童一心)(声の出演) 死者の学園祭(2000年、監督:篠原哲雄)手塚和彦 役 ひっとべ(2001年、監督:福田哲也)石井さん 役 STACY(2001年、監督:友松直之)犬神博士 役 Jam Films 第3話「コールドスリープ」(2002年、監督:飯田譲治) 欲望(2004年)監督:篠原哲雄 エリ・エリ・レマ・サバクタニ(2005年、監督:青山真治)ミヤギ 役 メゾン・ド・ヒミコ(2005年、監督:犬童一心)(声の出演) 日本以外全部沈没(2006年、監督:河崎実)酒場の男 役 親父(2007年、監督:千葉真一・井出良英)山城組長 役 筒井康隆大一座・旗揚げ公演『ジーザス・クライスト・トリックスター』(1982年)主演 同『ジーザス・クライスト・トリックスター』全国巡演(1983年) 同『人間狩り』(1984年) 同『スタア』(1985年) 同『スタア』新神戸オリエンタル劇場2周年記念公演(1990年) 劇書房『白石加代子・筒井康隆二人芝居』全国巡演(1995年) 『かもめ』蜷川幸雄演出 スタジオコクーン(1999年)トリゴーリン 役 ストラビンスキー『兵士の物語』紀伊国屋パフォーマンス(1999年) 『そして誰もいなくなった』山田和也演出 アートソフィア(2000年)主演 筒井ワールドファイナル「ヒノマル酒場」シアターX(2000年) 『近代能楽集』蜷川幸雄演出 さいたま芸術劇場ほか(2000年) 同『近代能楽集』再演 ロンドン公演/シアターコクーンほか(2001年) 向田邦子名作劇場『冬の運動会』久世光彦演出 中島丈博脚本 新橋演舞場(2001年) 『検察側の証人』山田和也演出 ル・テアトル銀座、大阪・近鉄劇場(2002年) パプリカ(2006年) アップルコンピュータ(Macintosh)(1995年)「マック夏目」役。 カタログハウス「通販生活」(1996年) 天下一品(1996年)ナレーションは中山千夏。 サントリー・モルツ(1999年)当初、筒井は声のみの出演。『モルツ裁判編』で唐沢寿明・鈴木京香と共演。筒井は裁判官役。このCMに出た頃あたりから眼鏡をかけるのを止める。 みずほインベスターズ証券(2000年) サントリー・なっちゃん(2008年)堀北真希と共演。 みずほ銀行・宝くじ・ナンバーズ(2012年)香取慎吾と共演。 日本ハム・美ノ国(2014年)天海祐希と共演。 ロジャー・パルバース - 筒井を「ユダヤ人以上にユダヤ的」と評する。 山藤章二 - 筒井の作品の表紙絵や挿絵を多く手掛けるイラストレーター。表紙絵や挿絵などで筒井の似顔絵を描く場合(例・『笑犬樓よりの眺望』の表紙カバー)、美男子過ぎて描けないという理由で(また表情がないほうが筒井の毒や悪意を表現できる、という理由で)目・鼻・口を省略し「のっぺらぼう」にしている。夕刊フジに筒井が連載していたエッセイ「狂気の沙汰も金次第」のイラストを山藤が担当した時より続いている。 真鍋博 - 山藤同様に筒井の作品の挿絵や表紙絵を手掛けたイラストレーター。『富豪刑事』の挿絵や、『朝のガスパール』の挿絵・表紙絵等を手掛けた。 柳原良平 - イラストレーター。『あるいは酒でいっぱいの海』や『巨船 ベラス・レトラス』の表紙絵を手掛けた。 しりあがり寿 - 漫画家。短編集『傾いた世界』と『最後の喫煙者』(いずれも新潮文庫)のカバーイラストを手掛けた。 小松左京 - 長年の友人のSF作家。筒井の結婚の仲人でもある。 大江健三郎 - 長年の友人の作家の一人。筒井は1989年に、「全作品を読んでいる同時代の作家5人」の1人としてあげている。 井上ひさし - 長年の友人の作家の一人。筒井が1989年に、「全作品を読んでいる同時代の作家5人」の1人としてあげている。 中上健次 - 長年の友人の作家の一人。 星新一 - 長年の友人のSF作家。SF作家たちの飲み会で星が放つ、奇想天外な馬鹿話は、筒井に大きな影響を与えた。また、『日本沈没』のヒットを祝うSF作家たちの集まりで、星新一は「『日本以外全部沈没』なんて題名もいいんじゃない?」と題名を考案。小松左京の許可を得て筒井康隆は『日本以外全部沈没』を執筆した。なお最相葉月による評伝「星新一」によると、星は、自分のブラック・ジョークに影響されて、自分より文学的に評価されていく筒井のことを、嫉妬していたという。 平井和正、豊田有恒 - 筒井より4歳年下のSF作家。二人とも筒井より先に「SFマガジン」に登場し、筒井を悔しがらせた。筒井が上京して原宿に住んだばかりの頃は、3日とあけず、3人で会うほど親密だった。 河野典生 - ハードボイルド、SF作家。ジャズ愛好、山下トリオのファンという共通点があり、一時は親密な関係だった。 堀晃 - ハードSF作家。関西在住で筒井も目をかけ、山下トリオにも筒井が紹介し、交流がある。また、1973年の筒井の傑作短編「熊の木本線」に登場する架空の民謡「熊の木節」について、作曲し振り付けを考えて、筒井ファンの前で披露した。下記「JALInet」の発起人の一人。 かんべむさし -過激なギャグSFを書く作家として、「筒井の後継者」とみなされたこともある作家。上記堀晃とも仲がよく、やはり筒井が山下トリオに紹介している。 小林恭二 -第一回三島由紀夫賞選考会で、筒井は小林の作品を高く評価しておした(受賞は高橋源一郎)。その後、筒井、小林、堀、薄井ゆうじ、佐藤亜紀の5名で、「JALInet」(JAPAN LITERATURE net)を、発起人として立ち上げた。 小林信彦 -筒井同様にマルクス兄弟を愛好する作家。互いの作品をリスペクトしていた。小林のパロディ小説『唐獅子株式会社』の文庫版解説に、筒井は詳細な元ネタの注を書いた。筒井は1989年に、「全作品を読んでいる同時代の作家5人」の1人としてあげている。また、小林は筒井の短編「五郎八航空」を「ギャグだけで出来ている小説」として高く評価している。 色川武大 -小林同様に、笑芸愛好、映画愛好と共通の趣味を持ち、互いの作品をリスペクトしていた。色川は「SF作家にならなくてよかった。なったら筒井康隆の亜流になっただろう」と、発言している。小林も含めた3人で、フィルムセンターにて、戦前のエノケン映画などを一緒に見たこともある。また、色川の膨大なビデオ・コレクションから、借り出しもうけた。また『不良少年の映画史』の解説も色川が担当。筒井は色川への追悼文で、「全作品を読んでいる同時代の作家5人」の1人だとし、その中でも特に色川が、「不良少年期、映画、ジャズ、狂気への傾斜、夢へのこだわり」と、もっとも共通点が多い作家であり、「5歳上の兄貴のような存在だった」と書いている。 長部日出雄 - 長部が「週刊読売」に勤務していた時代からのつきあい。筒井は1989年に、「全作品を読んでいる同時代の作家5人」の1人としてあげている。 山下洋輔 - 過激なフリー・ジャズのピアニストにてエッセイスト。筒井とは互いの作品のファンであり、長年の親交。筒井関係のイベントや筒井作品の映画化時などで、音楽を担当している。また、山下が結成した「全日本冷し中華愛好会」の二代目会長の座を、筒井に譲った。 タモリ - テレビ司会者・タレント。山下洋輔を通じて、親交を深める。 ハイヒールリンゴ・ハイヒールモモコ - 漫才コンビ。筒井の出演番組『ビーバップ!ハイヒール』の司会者。 江川達也 - 漫画家。筒井同様『ホリプロ』の所属。『ビーバップ!ハイヒール』で共演。 たむらけんじ - 焼肉店『炭火焼肉たむら』を経営しているピン芸人。『ビーバップ!ハイヒール』で共演。 ブラックマヨネーズ・チュートリアル - 漫才コンビ。『ビーバップ!ハイヒール』で共演。たむらと異なり、週代わりでの出演。 平岡正明 - 筒井康隆論を多数執筆。親交も厚い。 内藤誠 - 映画監督及び評論家。筒井ファンで、筒井作品を何作も映画化している。ただし、筒井ファンゆえのせいか、筒井の原作の台詞をそのまま使用している場合が多いが、筒井作品内のセリフは多くが、筒井が芝居青年だった時代の「新劇」のノリを踏襲しており、映画としては「わざとくさく感じてしまう」もので、いずれも成功作とはいえなかった。また、映画評論家の佐藤重臣が伝説の上映会「黙壷子(もっこす)フィルムアーカイブ」で使用していたと思われる、映画「フリークス」のフィルムと16ミリの映写機を、内藤の紹介で筒井は買い取り、現在も保有している。 渡部直己 - 文芸評論家。かつては熱狂的な筒井ファンであったが、『虚航船団』に失望して批判したところ、筒井に反撃され、以降、犬猿の仲となった(著書『HELLO GOOD-BY 筒井康隆』に、誉貶、双方の文章が収録されている)。 高橋留美子 - 漫画家。若い頃からの筒井ファン。高橋の『うる星やつら』の1シーンに、本棚に収められた筒井の作品群が描かれている。また、1984年公開のアニメ映画『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』のパンフレットには、『あるいは夢でいっぱいの海』(『あるいは酒でいっぱいの海』)、『時をかけるあたる』(『時をかける少女』)等の筒井作品のパロディが掲載されている。 岡留安則 - 『噂の眞相』編集長。筒井に熱心に連載を持ちかけ、原稿料は筒井の言い値を呑んだ。『笑犬樓よりの眺望』連載第1回目で、筒井に「秘密の暴露をたくらむ者は常にわが身に及ぶ災害を覚悟せよ」との考えで、原稿料は原稿用紙1枚1万円(連載開始当時)と暴露された。筒井から「(噂眞での)連載はいつまで続けたらよいのか?」と訊かれた際、岡留は「お前(筒井)が死ぬか、『噂眞』が休・廃刊になるまでかのどちらかだ。それまではがんばれ。そのために破格の原稿料を払っているのだ」と答えている。また、岡留は『笑犬樓よりの眺望』文庫版巻末の解説で(1996年当時)断筆を続けている筒井に対し「『噂眞』での連載再開はいつでもOK。金額の問題ではないが原稿用紙1枚あたり20,000〜30,000円の原稿料を出してもいい」と連載再開の秋波を送っている。 堀威夫 - ホリプロ会長。筒井にマネジメント契約を持ちかけた。当初、堀は筒井と文化人部門での契約の方針だったが、筒井の強い要望でタレント部門でのマネジメント契約となった。これはホリプロの文化人部門に栗本慎一郎がおり、筒井が栗本の下に入るのを快く思っていなかったためである。 ベティ・ブープ - 彼女を「わが最愛の女優」と評し、評伝を書いている。筒井は彼女のファンでもあり、劇場用アニメフィルムを、ほぼコンプリートでコレクションしている。 評伝 筒井康隆(八橋一郎、1985年、新潮社) 『ユリイカ』1988年5月号「特集・筒井康隆の逆襲」(青土社) 筒井康隆「断筆」めぐる大論争(1995年、創出版) ^ 2010年11月23日の!『筒井康隆作家生活五十周年記念〜現代語裏辞典ライブ』でWikipediaの内容を修正するコーナーでは「166.5cm」だと発言している。 ^ 八橋一郎・堀晃らにより、詳細が確認されている(マッドサイエンティスト日記 2015年10月8日) ^ 両親が「船場の近く」と言わずに「船場」と言っていたことと、出生地が川の近くだったことから船場生まれだと完全に思い込んでいた。1976年頃に香村菊雄の「船場ものがたり」を読んでいて間違いに気づいた。(国文学 解釈と鑑賞1981年8月号) ^ 『筒井康隆作家生活五十周年記念~現代語裏辞典ライブ』2010.11.23 18:00~20:20 東京カルチャーカルチャー ^ この時期については筒井『不良少年の映画史』に詳しい。また、出演している朝日放送『ビーバップ!ハイヒール』2014年9月25日放送分でもこのエピソードが取り上げられた。 ^ 筒井『笑犬樓よりの眺望』より『女が逆セク・ハラに走るとき』(初出:『噂の眞相』1990年2月号) ^ 筒井『漂流 本から本へ』P74〜76 ^ 遠藤瓔子『青山「ロブロイ」物語』p.114(世界文化社、1987年)によると、筒井は「ぼくは心理学にいましたよ。途中で美学に移ったけど」と発言したことになっている。同志社大学心理学専攻の教授だった遠藤の父も「筒井は確かに最初心理にいた」と確認したという。 ^ 日本近代演劇史研究会編『20世紀の戯曲Ⅱ』(社会評論社)P.456 ^ 筒井康隆コレクションII 編者解説 日下三蔵 「霊長類 南へ」の登場人物名に使用。 ^ 八橋『評伝 筒井康隆』89頁-90頁 ^ 当時の『SFマガジン』の編集長の福島正実は筒井の作風をあまり評価しておらず、そのため『SFマガジン』への登場は他の作家たちと比べて遅れることとなった。『60年代日本SFベスト集成』(徳間書店)の解説より。 ^ 『THE 筒井康隆』(有楽出版社)P.60 ^ 『柴野拓美SF評論集』(東京創元社)巻末の牧眞司の解説P.572 ^ 「SHINCON」開催前座談会 ^ のちに刊行されたベスト集『ネオ・ヌルの時代』2巻の解説で、堀晃は、「新NULL最大の作品は、量質ともに(筒井の)『応募作寸評』だった」と書いている。 ^ ツツイ流小説作法とITの関係 ^ 「無人警察」 筒井康隆、角川文庫 1972年 ^ 『筒井康隆スピーキング』p.365(出帆新社、1996年) ^ 『筒井康隆スピーキング』p.338-339(出帆新社、1996年) ^ a b 『筒井康隆スピーキング』p.364-365(出帆新社、1996年) ^ a b 『筒井康隆スピーキング』p.346(出帆新社、1996年) ^ 『新潮』1994年1月号掲載の池澤夏樹との対談「救いとしての文学」における大江の発言。 ^ 『筒井康隆スピーキング』p.408(出帆新社、1996年) ^ a b c d e 『筒井康隆「断筆」めぐる大論争』220ページ ^ 『諸君!』1994年7月号「筒井康隆氏はやはり間違っている」 ^ a b c d e f g h 筒井康隆『エンガッツィオ司令塔』(文春文庫)261-262頁 ^ 『筒井康隆スピーキング』p.412(出帆新社、1996年) ^ 『筒井康隆スピーキング』p.416(出帆新社、1996年) ^ 『週刊文春』1985年5月9日号、p.141。 ^ 江上茂『差別用語を見直す』p.92 ^ この時の様子を、筒井と共演した漫画家・小林よしのりが「ゴーマニズム宣言」に描いている(小林『ゴーマニズム宣言(扶桑社のち幻冬舎文庫)』第4巻78章『マスコミと筒井康隆に告ぐ!』)。 ^ 差別用語の基礎知識〈'99〉―何が差別語・差別表現か? [単行本]高木 正幸 (著) 土曜美術社出版販売; 全面改訂版 (1999/07)ISBN-10: 4812011876 ^ a b 小林健治『部落解放同盟「糾弾」史』p.161 ^ a b c d e 江上茂『差別用語を見直す』p.232-236 ^ 『筒井康隆スピーキング』p.416(出帆新社、1996年) ^ 筒井は1995年4月25日付読売新聞夕刊掲載のインタビューで『今回の震災で五千五百もの人が死に、自分がその一人ではないという不思議さを感じる時、もう小説なんてどうでもよくなった。』と答えている。 ^ 筒井ブログ『笑犬楼大通り』より『偽文士日碌』2009年3月1日 ^ 『日本SF短篇50(1)』早川書房 ^ それ以前は『新神戸オリエンタル劇場』にマネジメントを任せていた(筒井『笑犬樓の逆襲』より『家を買う話は沙汰やみとなってしまった』)。 ^ 超貴重!筒井康隆生朗読ライブに超満ツツイスト全員が酔いしれた!ここだけ本人本音トーク続出にハラハラドキドキ!『筒井康隆作家生活五十周年記念~現代語裏辞典ライブ』ライブレポート(10.11/23開催) ^ ブログ偽文士日録 1037ページ ^ ブログ偽文士日録 1039ページ ^ a b 筒井康隆氏、慰安婦像への侮辱促す? 「炎上狙った」 朝日新聞 2017年4月7日 ^ 改題は久生十蘭に同名の作品があったため。 ^ a b 文庫版は『馬は土曜に蒼ざめる』(ISBN 978-4087501599)と『国境線は遠かった』(ISBN 978-4087501773)に分冊。 ^ 1960年代に発表された5つの短編「細菌人間」「10万光年の追跡者」「四枚のジャック」「W世界の少年」「闇につげる声」が収録されている。「闇につげる声」が新潮社からの全集4に収録されている以外は初収録。 ^ 『笑犬樓の逆襲』収録「昔『噂の真相』という雑誌があった」によれば、書名に『狂』の字を使うと各新聞から広告の掲載を拒否される可能性があったため、筒井はやむなく改題することにしたという(初出:『噂の眞相休刊記念別冊 追悼!噂の眞相』2004年4月)。 ^ 「ビーバップ!ハイヒール:ゴーストライター 〜それ、実は私が書きました〜」(朝日放送、2015年8月27日放送回) ^ 役作りのため、髪を短く切った。 ^ 自身の原作で、役も作家役である。 ^ 出演時に口ひげを剃り落とした。 ^ 画面上での筒井は、2頭身にデフォルメされたアニメーション、本に載っている写真、コースターに描かれた似顔絵で描写されていた。(筒井『笑犬樓の逆襲』より『サントリー・モルツのCF一年契約これほど難しい(初出・『噂の眞相』1999年3月号)』) ^ 但し、のっぺらぼうの顔にサングラスをかけている『最後の伝令』の表紙絵や、顔に『筒』の文字が書かれている『筒井康隆かく語りき』の表紙のような例外もある。 ^ a b c d e 別冊・話の特集『色川武大・阿佐田哲也の特集』(1989年)P.83「弟分からの弔辞」 ^ 筒井『笑犬樓よりの眺望』より『文芸書が冷遇されている』(初出:『噂の眞相』1987年5月号) ^ 筒井『笑犬樓の逆襲』より『家を買う話は沙汰やみとなってしまった』(初出:『噂の眞相』1998年9月号) 筒井康隆 - 公式サイト 筒井康隆 (@TsutsuiYasutaka) - Twitter JAPAN LITERATURE Net 笑犬楼大通り 2008年(平成20年)6月24日オープン[1]。 笑犬楼大通り 偽文士日碌 - 筒井の"ブログ" Go smoking[リンク切れ] - 筒井が喫煙に対して「特別寄稿」を寄せている。 特別インタビュー筒井康隆の紫福談 ま、今日も笑って一服 - 愛煙家通信Web版・喫煙文化研究会 日本ポータル 大阪府ポータル 文学ポータル 書物ポータル スペキュレイティブ・フィクションポータル 舞台芸術ポータル 人物伝ポータル
筒井康隆
トキ
トキ(朱鷺、鴇、Nipponia nippon)は、ペリカン目トキ科トキ属に分類される鳥類。 2010年12月上旬の時点で中国・日本・韓国を合わせた個体数は1,814羽。学名は Nipponia nippon(ニッポニア・ニッポン)で、しばしば「日本を象徴する鳥」などと呼ばれるが、日本の国鳥はキジである。新潟県の「県の鳥」、佐渡市と輪島市の「市の鳥」である。 全長75センチメートル。翼開長は約130センチメートル。顔は赤い皮膚が裸出する。嘴は黒く、先端は赤い。後頭には房状に羽毛(冠羽)が伸長する。全身は白っぽいが、春から夏にかけての翼の下面は朱色がかった濃いピンク色をしており、日本ではこれを「とき色」(朱鷺色)という。脚も頭と同様に朱色で、虹彩は橙色。幼鳥は全身灰色で、頭部が黄色である。 繁殖期は頸部の皮膚が内分泌により黒くなり、ここから剥がれ落ちた皮膚を上半身に塗り付けるため黒灰色になる。水浴びなどの後にその擦り付けを行うため、水浴び直後は特に濃く、ほとんど黒に近い。 サギ類が飛翔時に首を折り曲げるのに対し、トキは首を伸ばしたまま飛ぶ。また、クロトキなどとは異なり、飛翔時に脚の先が尾羽から出ない。 雌雄ともにほぼ同形であるが、以下のような特徴から判別できるとされる。ただしこれは飼育係が経験的に用いているものであって、学術的に研究されたものではない。また、野生個体や交尾行動にない個体についても適用できるか不明である。 中華人民共和国。ロシアでは絶滅したと考えられ、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国、日本、台湾では絶滅した。 かつては北海道・本州・伊豆諸島・佐渡島・隠岐諸島・四国・九州・琉球諸島といった日本各地のほか、ロシア極東(アムール川・ウスリー川流域)、朝鮮半島、台湾、中華人民共和国(北は吉林省、南は福建省、西は甘粛省まで)と東アジアの広い範囲にわたって生息しており、18世紀・19世紀前半まではごくありふれた鳥であった。日本では東北地方や日本海側に多く、太平洋側や九州ではあまり見られなかったようである。 しかし、いずれの国でも乱獲や開発によって19世紀から20世紀にかけて激減し、朝鮮半島では1978年の板門店、ロシアでは1981年のウスリー川を最後に観察されておらず、日本では2003年に最後の日本産トキ「キン」が死亡したことにより、生き残っているのは中国産の子孫のみとなった。 野生では中華人民共和国(陝西省など)に997羽(2010年12月現在) が生息しているほか、日本の佐渡島において2008年秋から2012年秋までに人工繁殖のトキ計107羽が放鳥されている。飼育下では中国に620羽(2010年12月現在)、日本に211羽(2013年8月現在)、韓国に13羽(2011年7月現在)がおり人工繁殖が進められている。 現在中国に生息している、またかつて日本に生息していたトキは留鳥(ただし、日本海側や北日本から、冬は太平洋側へと移動する漂鳥もいた)であるが、ロシアや中国北部、朝鮮半島など寒冷地に生息していたトキは渡りを行っていた。また、日本にいた個体も一部は渡りを行っていた可能性が指摘されている。 現在のトキの生息地 中国 陝西省 洋県、西郷県、城固県、寧陝県、周至県など 日本 新潟県佐渡市など 現在トキが飼育されている施設 中国 トキ保護センター(陝西省洋県、153羽 - 2009年末) 楼観台トキ繁殖センター(陝西省周至県、255羽 - 2011年末) トキ野生復帰センター(陝西省寧陝県、30羽 - 2009年末) 北京動物園(北京市西城区、33羽 - 2009年末) 董寨国家級自然保護区(河南省羅山県、80羽 - 2011年末) 下渚湖湿地(浙江省徳清県、71羽 - 2011年末) 日本(189羽 - 2015年12月7日) 佐渡トキ保護センター(新潟県佐渡市、104羽) 佐渡トキ野生復帰ステーション(新潟県佐渡市、33羽) 佐渡市トキふれあい施設(新潟県佐渡市、6羽) 長岡市トキ分散飼育センター(新潟県長岡市、8羽) 多摩動物公園(東京都日野市、18羽) いしかわ動物園(石川県能美市、14羽) 出雲市トキ分散飼育センター(島根県出雲市、6羽) 韓国(19羽 - 2012年5月) 牛浦トキ復元センター(慶尚南道昌寧郡、19羽) トキ亜科の他種と同じくクチバシの触覚が発達しており、それを湿地、田圃などの泥中にさしこみ、ドジョウ、サワガニ、カエル、昆虫などを捕食する。稀にだが、植物質のものを口にすることもある。鳴き声は「ターア」「グァー」「カッ カッ」などカラスに似た濁った声で、小野蘭山の『本草綱目啓蒙』によると、群れて鳴くと非常にうるさかったようである。この鼻声のような鳴き声については、秋田県にある民話が伝わっている(後述)。サギは首を曲げて飛ぶが、トキの場合は、コウノトリやツルと同様に首を伸ばしたまま飛ぶ。羽ばたき方はサギよりもやや小刻みで、直線的に飛行する。 トキを特異的に宿主としているダニにトキウモウダニ Compressalges nipponiae がおり、日本におけるトキの野生絶滅とともに、環境省版レッドリストにて野生絶滅と評価された。このダニも宿主同様1属1種であり、科のレベルで独立した種であるという説もある。なお、このダニは吸血性ではなく羽毛くずを餌とするようである。 通常は数羽から十数羽程度の群を作って行動するが、繁殖期にはつがいか単独で行動する。しかし近年の中国での野生個体の観察 や、過去の研究資料 から、「本来トキは集団で繁殖する習性を持っていたが、個体数の減少や環境の変化により集団繁殖が困難になった。最近の中国ではその本来の習性が回復している」と考えられるようになった。日本ではマツやコナラなど、中国(陝西省)ではクヌギやバビショウなどの木に、直径60センチメートルほどの巣を作り、4月上旬頃に3個から4個の淡青緑色の卵を産む。抱卵は雌雄交替で期間は約1ヶ月。繁殖期のトキは非常に神経質で、巣に人間や天敵が近付くとすぐに営巣を放棄してしまうが、一方で幼鳥の頃に親鳥とはぐれるなどした個体はよく人に慣れ、『キン』などは素手で捕獲されたほどである。 トキは繁殖期の前、1月下旬頃から粉末状の物質を分泌し、これを水浴びの後などに体に擦りつけ、自ら「繁殖羽」の黒色に着色する。着色は2月下旬から3月中旬頃に完了するが、こすりつける行動は8月に入る頃まで続けられる。それをやめると、羽の色も次第に元の白色に戻る。このようなトキの羽色の変色方法は極めて珍しく、これまでに確認されていた羽色変化(換羽、磨耗、退色、脂肪分による着色など)のいずれとも異なる。この原理が解明されるのは20世紀も後半に入ってからのことであり、詳細については未だに分かっていないことも多い。 トキの羽色には白色のものと灰色のものがあること自体は、古くから知られていた。江戸時代後期の『啓蒙禽譜』では、「トキ」の横に「脊黒トキ」の名で繁殖期の背面が黒い姿を描いている。1835年にテミンクによって学名が付されたが、その後1872年にデビットによって中国で見られた灰色のトキが別種の "Ibis sinensis" と命名されている。デビットはその5年後の1877年に、M・E・オウスタレとの共著の中で、オウスタレの見解に従って「灰色型」のトキは変種であるとし、"Ibis nippon var. sinensis" と改めたが、いずれにせよ19世紀後半から20世紀半ばまでは「白色型」と「灰色型」が存在するという見方が主流であった。1920年にはハータートにより、中国秦嶺・朝鮮半島・日本のトキが「白色型」で、ロシアのウスリー地方のトキが「灰色型」との学説が提唱され、ラ・タウチェ、黒田長礼、水野馨、山階芳麿なども同様の報告を出した。トキの羽色が変わるという説は、佐藤春雄が1957年に発表した仮説、内田康夫の1970年の研究などが発表されるに至って、ようやく学会から認められるようになった。実は1891年にM・ベレゾフスキーによって繁殖羽の変色であるという説が既に発表されていたが、それまでは注目されることもなかったようである。 中国国家林業局の依頼により、日本政府が出資する国際協力機構を通じた「人とトキが共生できる地域環境づくりプロジェクト」が2010年9月から2015年9月までの5カ年計画で中国陝西省洋県及び寧陝県、河南省羅山県で実施されている。ODA活動による日本側からの専門家派遣及び国別研修・トキの生息環境の整備に必要な施設や機材の供与等と中国現地の協力体制により、現地の生態環境調査等が行われ、トキを含む自然環境の整備、トキの野生復帰を目指した体制構築等の取組み、また関係者によるトキ野生復帰現場への視察等により自然環境保全意識の向上等の効果がもたらされている。また、中国側では、生物多様性の保護と農業生産を両立させるプロジェクトの規範としている。 過去には繁殖期の灰色の個体が別種・変種とみなされたこともあったが、現在では亜種などはなく、日本・中国・朝鮮半島・ロシアのいずれのトキも完全に同一の種と考えられている。日本にいたトキと中国のトキのミトコンドリアDNAの差は 0.06% 程度であり、亜種といえるほどではなく個体間の変異程度にとどまる。トキのミトコンドリアDNAには今のところ5つの系統が確認されており、日本で最後まで生き残っていたキン、ミドリ、アオ、アカ、フク、ノリはタイプ1、中国で生き残っていたトキの子孫である友友、洋洋、美美はタイプ2である。しかし日本にも以前はタイプ2の(現在飼育・放鳥されているものと同系統の)個体がいたこと、さらに別の系統の存在も判明している。 学名「ニッポニア・ニッポン」 "Nipponia nippon " の属名と種小名は共にローマ字表記の「日本」に由来するが、最初からそのように命名されたわけではない。シーボルトが1828年にオランダへ送った標本により、テミンクが1835年 "Ibis nippon " と命名し、シュレーゲルも論文執筆の際にはそれを用いた。しかし1852年にライヒェンバッハが "Nipponia temmincki" と全く新しい学名を命名した。 学名の命名は先取権の原則により最初につけられた方が有効となるので、ライヒェンバッハの命名は種の名称としては無効だが、属の命名としては新属を提唱したと見なされうる。ライヒェンバッハの属名とテミンクの種小名をあわせた "Nipponia nippon " は、1871年にグレイによって初めて用いられた。1922年には日本鳥学会の『日本鳥類目録』で採用されたこともあり、現在ではこの学名が一般に用いられるようになった。 トキは日本では古くから知られていた。奈良時代の文献には「ツキ」「ツク」などの名で現れており、『日本書紀』『万葉集』では漢字で「桃花鳥」と記されている。平安時代に入ると「鴾」や「鵇」の字が当てられるようになり、この頃は「タウ」「ツキ」と呼ばれていた。「トキ」という名前が出てくるのは江戸時代だが、「ツキ」「タウノトリ」などとも呼ばれていたようである。 トキの肉は古くから食用とされ、『本朝食鑑』(1695年)にも美味と記されている。しかし「味はうまいのだが腥(なまぐさ)い」とあり、決して日常的に食されていたのではなく、冷え症の薬や、産後の滋養としてのものであったとされる。「トキ汁」として、豆腐あるいはネギ・ゴボウ・サトイモと一緒に鍋で煮るなどされていたようである。しかし、生臭い上に、肉に含まれる色素が汁に溶出して赤くなり、また赤い脂が表面に浮くため、灯りのもとでは気味が悪くてとても食べられなかったため「闇夜汁」と呼ばれた。また、羽は須賀利御太刀(伊勢神宮の神宮式年遷宮のたびに調整する神宝の一つ。柄の装飾としてトキの羽を2枚使用)などの工芸品や、羽箒、楊弓の矢羽根、布団、カツオ漁の疑似餌などに用いられていた。 なお、トキは田畑を踏み荒らす害鳥であった。穢れ意識の影響で肉食が禁じられ鳥獣類が保護されていた江戸時代においても、あまりにトキが多く困っていたため、幕府にトキ駆除の申請を出した地域もあったほどである。 江戸時代までトキは日本国内に広く分布したが、明治に入り、日本で肉食の習慣が広まり、また経済活動の活発化により軍民問わず羽毛の需要が急増したため、肉や羽根を取る目的で乱獲されるようになった。 日本では明治時代以降は乱獲、農薬による獲物の減少、山間部の水田の消失などにより大正時代末期には絶滅したと考えられていた。1926年には『新潟県天産誌』に「濫獲の為め ダイサギ等と共に 其跡を絶てり」と記され、翌1927年(昭和2年)には佐渡支庁がトキ発見を懸賞で呼びかけた。その後、昭和に入って1930年(昭和5年)から1932年(昭和7年)にかけて佐渡島で目撃例が報告され、1932年(昭和7年)5月には加茂村(→両津市、現佐渡市)の和木集落で、翌1933年(昭和8年)には新穂村(現佐渡市)の新穂山で営巣が確認されたことから、1934年(昭和9年)12月28日に天然記念物に指定された。当時はまだ佐渡島全域に生息しており、生息数は100羽前後と推定されていた。 終戦後は、1950年(昭和25年)を最後に隠岐諸島に生息していたトキの消息は途絶え、佐渡での生息数も24羽 と激減していたことから、1952年(昭和27年)3月29日に特別天然記念物に指定され、1954年(昭和29年)には佐渡で、1956年(昭和31年)とその翌年には石川県で禁猟区が設定された。しかし、禁猟区には指定されたものの生息地周辺での開発などは制限されなかった。民間の佐渡朱鷺愛護会や愛好家の手でも小規模な保護活動が行われるようになったが、1958年(昭和33年)には11羽(佐渡に6羽、能登に5羽)にまで減少した。1971年(昭和46年)には、能登半島で捕獲された『能里(ノリ)』が死亡し、佐渡島以外では絶滅した。トキの減少の一因として農薬(による身体の汚染・餌の減少)が取り上げられることが多いが、日本で化学農薬が使用されるようになったのは1950年代以降 であり、その頃にはすでに20羽ほどにまで個体数を減らしていた。 1965年(昭和40年)、幼鳥2羽(『カズ』と『フク』)を保護したことから人工飼育が試みられるが翌年、カズが死亡。解剖の結果、体内から有機水銀が大量に検出されたため、安全な餌を供給できる保護センターの建設が進められる。1967年(昭和42年)トキ保護センター開設。フクと、1967年(昭和42年)に保護された『ヒロ』『フミ』の計3羽がセンターに移された。翌1968年(昭和43年)『トキ子』(のちに『キン』と命名される)を保護。1970年(昭和45年)には能登の最後の1羽『能里(ノリ)』を保護し、トキ保護センターに移送する。キンがメス、能里がオスだったことや盛んに巣作りを行っていたことから、繁殖に期待が持たれたが、1971年(昭和46年)に能里が死亡。人工飼育下のトキはキン1羽となった。(フク、ヒロおよびフミは1968年(昭和43年)に死亡) 1968年(昭和43年)にNHKがトキの営巣地である黒滝山上空にヘリコプターを飛ばし空撮を行ったが、1969年(昭和44年)にトキが黒滝山の営巣地を放棄し人里近い両津市へ移動したのは、そのためだという指摘がある。番組の放送があるまで空撮があったことに気付いていた者はいなかったが、空撮は通年にわたって行われた(はずだ)と批判する声もある。しかし、番組の責任者によるとヘリコプターを飛ばしたのは一度だけで、それも営巣期を避け、空撮以外の取材も慎重に行ったという。 1981年(昭和56年)1月11日から1月23日にかけて、佐渡島に残された最後の野生のトキ5羽すべてが捕獲され、佐渡トキ保護センターにおいて、人工飼育下に移された。これにより、日本のトキは野生絶滅したとされる。 1993年(平成5年)4月1日に国内希少野生動植物種となり、同年11月26日に保護増殖事業計画が定められた。 1999年(平成11年)9月15日に鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律により、保護繁殖を特に図る必要がある鳥獣に指定され、2003年(平成15年)4月15日に鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律を全部改正した鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律により、希少鳥獣に指定される。 2013年9月29日現在。 孵化後まもなく死亡したものも含む。 1981年に捕獲され、佐渡トキ保護センターにおいて人工飼育下に移されたトキは足輪の色から『アカ』『シロ』『ミドリ』『キイロ』『アオ』と命名された。この時点において、1981年以前に捕獲されたトキのうち、生き残っていたのは『キン』のみであり、日本産トキはわずか6羽、うちオス個体は『ミドリ』の1羽のみとなっていた。また、年内のうちに『アカ』『キイロ』が死亡。その後、人工繁殖が試みられ、『シロ』と『ミドリ』のカップリングに成功したものの、産卵時に卵が卵管に詰まり『シロ』が死亡したため、繁殖には失敗している。1995年に『ミドリ』が死亡し、2003年10月10日朝には『キン』の死亡が確認され、日本産のトキはすべて死亡した。 ただし、生物学的にはまったく同一種である中国産のトキを用いて人工繁殖を行っているため、日本におけるトキの扱いは「絶滅」ではなく「野生絶滅」のままである。なお、「中国産」と「日本産」の差異は個体間程度のものにとどまるため、中国産のトキは外来種ではない。また、昭和初期の佐渡島や韓国には、現在日本で繁殖・放鳥が進められている「中国産」トキと同じ、ミトコンドリアDNAのハプロタイプがタイプ2にあたる個体がいたことも判明しており、日本と大陸の間でも遺伝的交流があったとみられる。『ミドリ』や『キン』の組織は冷凍保存されており、この2羽の皮膚細胞から人工多能性幹細胞(iPS細胞)を作り、日本産の遺伝子を受け継ぐ個体を復活させる取り組みを、国立環境研究所が2012年から開始している。 日本産トキと中国産トキの間の人工繁殖の試みとしては、まず1985年、中国産トキのオス個体『ホアホア』と『キン』との間の繁殖が試みられている。これは1989年まで4期に渡って行われたが成功していない。続いて、1990年には『キン』を中国に移し、3期に渡って北京動物園で飼育されていたオス個体『ヤオヤオ』との間の繁殖が試みられたが、これも失敗に終わっている。中国産トキ同士の人工繁殖の試みは、1994年9月、オス個体『ロンロン』とメス個体『フォンフォン』が中国から佐渡に移され、ペアリングが行われた。しかし、同年12月『ロンロン』が急死したため、人工繁殖を中止し、1995年6月に『フォンフォン』は中国に返還された。さらに、これと前後し1995年4月に『ミドリ』が死亡したため、数年間に渡って日本で飼育されているトキは『キン』のみとなり、人工繁殖は不可能になった。 1998年、中国の国家主席であった江沢民が中国産トキのつがいを日本に贈呈することを表明し、翌1999年1月30日にオス個体『ヨウヨウ(友友)』メス個体『ヤンヤン(洋洋)』が日本に寄贈された。2羽は新潟県新穂村(現佐渡市)の佐渡トキ保護センターで飼育されることとなり、人工繁殖が順調に進められた。日本に「譲渡」されたのはこの『ヨウヨウ』と『ヤンヤン』が初めてで、2011年現在でもこの2羽のみである。『ヨウヨウ』と『ヤンヤン』のほかに3羽が日本に送られているが、いずれも中国から借りているもので、その個体と日本の個体との間に生まれた子供は、半数を中国に返還することになっている。1999年5月21日には、『ヨウヨウ』と『ヤンヤン』に間にオスのヒナが誕生し『ユウユウ(優優)』と名付けられた。これが日本初の人工繁殖例である。 2000年、日本における人工繁殖の成功を受け『ユウユウ』のペアリング相手としてメス個体『メイメイ(美美)』を中国から借り受けた。また、『ヨウヨウ』『ヤンヤン』のつがいからは、2000年に2羽、2001年に3羽のヒナが誕生している。2002年からは『ヨウヨウ』と『ヤンヤン』、『ユウユウ』と『メイメイ』のつがいを中心に人工繁殖が続けられ、この年から2003年にはさらにその子孫のペアで人工繁殖が行われていたほか、2004年には自然育雛にも成功している。以後、つがいが増えたこともあり、順調に人工飼育数は増加している。 こうした飼育センターで繁殖されたトキのヒナの名前は当初、日本全国の小学生から募集した案の中から環境庁(現環境省)が命名していた。2001年7月に、環境省は個体名称による管理を廃止することを決めたが、2001年生まれの個体にも名前を付けたいと新穂村から要望があり、環境省の許可のもと、新穂村が新穂小学校・行谷小学校の児童が出した案をもとに、優優と美美の間に生まれた子には行谷小学校児童による「つばさ」「げんき」「みらい」「くう」「にいぼ」、友友と洋洋の間に生まれた子には新穂小学校児童による「さくら」「たろう」「じろう」「かえで」「ひかる」「わたる」と命名した。なお、2002年以降に日本で生まれた個体はすべて番号のみで管理されるようになっており、これらの2001年生まれの個体の名前も現在では使われなくなっている。 飼育数の増加に伴い鳥インフルエンザなどの感染症が発生した場合に一度にすべてが死亡することを避けるため、環境省によりトキの分散飼育が計画され、これに対して新潟県長岡市、島根県出雲市、石川県が受け入れ先として立候補、それぞれトキ亜科の近隣種を導入して飼育・繁殖の訓練を行った。2007年12月に4羽(2つがい)が多摩動物公園に移送され非公開の下で分散飼育が開始された。その後も、2010年1月にいしかわ動物園で、2011年1月に出雲市トキ分散飼育センターで、2011年10月に長岡市トキ分散飼育センターで、それぞれ分散飼育が開始された。 こうしたトキの飼育や繁殖は野生のトキを日本に復活させることを最終目標としており、2007年6月末から「順化ケージ」での野生復帰訓練が始められ、第1回として2008年9月25日に、佐渡市小佐渡山地の西麓地域にて10羽が試験放鳥された。この放鳥により1981年の全鳥捕獲以来、27年ぶりに日本の空にトキが舞ったことになる。放鳥されたトキには個体識別番号(飼育下の個体番号とは別のもの)が付されており、翼のアニマルマーカー(羽の一部に色をつけたもの)や、脚のカラーリング、金属脚環などで個体を識別できるようになっている。うち6羽にはGPS発信器も付けられている。 2009年以降も放鳥は続けられたが、第1回の試験放鳥の際、1羽ずつを小箱に入れて放鳥したためにパニックを起こし散り散りになったことを踏まえ、放鳥場所に設置された仮設ケージで約1か月間に20羽を飼育し、放鳥時はケージを開放してトキが自然に出て行くのを待つ「ソフトリリース方式」を採るようになっている。本来ならば2010年から春の放鳥も行われる予定であったが、2010年3月10日に佐渡トキ飼育センターの順化ケージがテンに襲われ、9羽が死亡する事故があったため、テンの対策工事が終わるまで延期されることになり、2011年から春と秋の年2回実施するようになっている。 第6回までに放鳥された91羽のうち、2012年9月17日の時点で4羽が既に「死亡」、26羽が1年以上に渡って確認が取れていない「死亡扱い」となっており、他にも5羽が6か月以上確認がとれない「行方不明扱い」、過去6か月間に生存が確認されている「生存」個体は54羽となっている。また、2012年1月には、猛禽類による負傷で2羽が相次いで保護されている。これらの放鳥は全て佐渡島で行われたものであるが、放鳥後に数羽(特にメス)が佐渡島から離れ、新潟県の本州側や、長野、富山、石川、福井、山形、秋田、宮城、福島の各県にも飛来している。複数の個体が佐渡島を離れ生息していることについて、佐渡市市長の髙野宏一郎は「佐渡島に野生のトキを復活させるという当初の目的から外れており、好ましいことではない」と不快感を表明している。 佐渡市の地元住民の多くはトキの野生復帰に肯定的であるが、反対派や「どちらとも言えない」としている住民も少なからずいる。理由として、高齢化が進む農村においては農作業に必要な除草剤・殺虫剤の使用が制限されること、稲が踏まれて荒らされることなどが挙げられており、これは反対派だけでなく賛成派からも懸念されている。 2012年には放鳥された個体同士による野生下での繁殖が確認された。翌23日には同じつがいの卵から更に2羽が孵化していたことが判明した。その後確認されたひなも含めると、3組のつがいから計8羽のひなが孵化している。この8羽のひなに対し佐渡市は愛称を命名することを発表し、全国から案を募集したうえで5月23日に愛称を発表した。第4回放鳥のペア(3歳オスと2歳メス)のひなが「みらい」「ゆめ」「きぼう」、第3回放鳥のペア(5歳オスと3歳メス)のひなが「きずな」「ぎん」「きせき」、第2回放鳥のペア(4歳オスと4歳メス)のひなが「そら」「美羽(みう)」となっている。野生下でのひなの孵化を受け、環境省がレッドリストにおけるトキの位置づけを「野生絶滅」から「絶滅危惧IA類」へ引き下げることを検討していると一部で報じられたが、まだ基準をまだ5年間満たしていないこと、再導入個体については「生存できる子孫」を生産できていることが条件であるため、2012年の改訂ではカテゴリー(ランク)の変更は見送られた。2012年に野生下で産まれた個体も、2014年に繁殖に成功した かつては中国においてもトキは非常に広い範囲(北は吉林省、南は福建省、西は甘粛省まで)に生息していたが、20世紀前半に個体数が激減し、1964年甘粛省康県岸門口での目撃報告を最後に見られなくなったため、中国科学院動物研究所が「絶滅」の最終確認として生息数調査を行ったところ、1981年5月に陝西省洋県の姚家溝と金家河で野生のトキ7羽を発見した(秦嶺1号トキ個体群)。その後生息地の保護と並行して人工繁殖を行った結果、中国のトキは2008年8月現在で1100羽まで数を増やしている。2012年現在は野生個体1,044羽、飼育個体665羽が確認されている。最初の10年ほどは、毎年数羽が巣立っていたにもかかわらず個体数は横ばい程度であった。しかし1989年に北京動物園のトキ飼養繁殖センターが世界初の人工繁殖に成功し、その頃から野生トキの個体数も順調に増加している。北京動物園が確立したトキの人工繁殖技術は、中国国家発明賞の二等賞を受賞した。トキの繁殖地は洋県、西郷県、城固県の3県に跨り、行動範囲はさらに南鄭県、佛坪県、勉県、略陽県、石泉県、漢中市漢台区にも及ぶ。人工飼育の拠点としては北京動物園のほか、陝西トキ救護飼養センター(洋県)と陝西省珍希野生動物救護飼育研究センター(周至県)がある。 中国での保護活動が成功した背景として、開発の手があまり入っていなかったことや、1990年に37,549ヘクタールにわたる陝西省トキ自然保護区が制定されるなどの政府主体の強力な保護活動が行われ、早期に生息環境が整備されたことが挙げられる。洋県では化学肥料・農薬の使用や森林の伐採が禁じられ、また開発も大幅に制限されており、これにより洋県で年間2000万元(約3億円)の減収となっている。しかしトキの生息域内にはひどく貧しい地域が多く、電気も通っていない集落もあるような状態であったため、生息地の保護と同時に現地住民への援助・負担の軽減も幅広く行われ、また地元住民からトキ保護職員を採用するなどの制度も設けられている。このように、政府と住民が協力してトキを保護していく関係を形成することに成功したことも、中国におけるトキの個体数回復の大きな要因である。 2003年に陝西省人民政府は、当時は省級 であったトキ自然保護区を国家級自然保護区へ昇格させるよう中央政府国務院に申請し、2005年に「陝西漢中朱鷺国家級自然保護区」として国家級に昇格した。 2012年の野生トキの繁殖結果をみると、営巣総数が183巣、巣立ち個体数が276羽となっている。これは、野生下の1年分だけでも日本のトキの総数を上回る数のひなが巣立っていることになる。 中国は2003年から国鳥制定に向けて準備を行っており、タンチョウが人気1位、トキが2位となっている。 かつては朝鮮半島にも多数のトキが生息したとされ、20世紀初頭には数千羽を超える大群が観察されたこともある。また山階芳麿によると、1936年の時点では京城(現在のソウル)の動物園でも飼育されていたが、他の鳥と一緒にされ、来園者からもほとんど注目されていなかったという。捕獲記録は今泉吉貞による1937年・咸鏡南道咸興のものが最後で、その後は1965年(平安南道師川)、1966年(板門店)、1978年(板門店)と3例の観察記録があるのみ。朝鮮半島では絶滅したものと考えられている。 2008年8月25日、中国の胡錦濤国家主席が韓国にトキを1つがい寄贈することを表明し、同年10月中旬に空路で移送された。これに備えて慶尚南道昌寧郡に牛浦トキ復元センターが建設された。贈られたのは洋洲(オス)と龍亭(メス)で、2009年にはこのつがいの卵から4羽のひなが孵化したが、そのうち2羽は既に死亡している。2010年には3羽が孵化し、1羽が死亡した。2012年5月現在、韓国のトキは洋洲と龍亭、2009年生まれの タル(따루)とタミ(다미)、2010年生まれの ポロニ(포롱이)とタソミ(다소미)、2011年生まれの個体が7羽、2012年生まれのひなが6羽、計19羽となっている。人工繁殖が順調に進めば、2018年に近くの牛浦沼に放鳥する予定。 ロシアではアムール川・ウスリー川流域やハンカ湖、イマン湖、シンカイ湖、ウラジオストク周辺などで見られたが、19世紀後半から個体数が減少しはじめ、1949年・ハバロフスク、1962年・ハンカ湖、1963年・ハサ湖の観察記録を最後に姿が見られなくなった。 秋田県大館市には以下のような話が伝わっている。 諸国を回っていた左甚五郎という男がおり、大館の地に神社を建てることになった。その途中、腹が減ったので地元の農民に握り飯を乞うたものの、「お前のような下手糞な大工にはやれねぇ」と断られてしまったため、怒って杉のくず材で鳥をかたどり、それに田畑を荒らさせた。その鳥がトキであるが、彼は怒りのために鼻を開けるのを忘れてしまい、そのため鳴き声が鼻声になってしまった。 秋田県では他にもダオ(トキのこと)を用いる慣用句が多数伝えられている。また新潟県に伝わる鳥追歌では、スズメやサギと並んでトキが「一番憎き鳥」として挙げられている。 数は多くないが詩歌などに詠われることもあり、かつてはトキが一般的で人間の生活の近くにいた様子が窺える。鳥類学者で、俳人でもあった中西悟堂も、トキを題材とした短歌を詠んでいる。 近年のトキを題材にした作品として、小説では、芥川賞候補・三島賞候補となった阿部和重「ニッポニアニッポン」(2001年)や、篠田節子の「神鳥(イビス)」(1993年)がある。「ニッポニアニッポン」はトキの殺害を計画する少年を描いたもので、「神鳥(イビス)」は獰猛なトキが人間を襲い食らうホラー小説である(なお、実際のトキは決して攻撃的ではなく、人間を恐れすぐ逃げる)。音楽作品では吉松隆の管弦楽曲「朱鷺によせる哀歌」(1980年)や鈴木輝昭の女声合唱とピアノのための組曲「朱鷺」(1995年)などが挙げられる。 日本以外では、日本の統治下にあった朝鮮半島において、独立を願って「トキ」と題した童謡が制作された。 1960年(昭和35年)、東京で開かれた第12回国際鳥類保護会議において国際保護鳥に指定され、会議を記念してトキをあしらった記念切手も同年5月24日から発行された。その後、自然公園50年として1981年(昭和56年)7月27日から、1999年(平成11年)7月16日と2009年(平成21年)には新潟県のふるさと切手として、それぞれトキの切手が発行されている。また2000年(平成12年)8月1日以降発行のはがきにもトキが描かれている。2015年には普通切手のデザイン変更に伴って10円切手に採用されている。 トキが佐渡の自然の中で繁殖・生育するには化学肥料・農薬を減らしトキの餌となる蛙やドジョウをはじめとする多様な生物が共存できる水田が欠かせないと考えられる。このことからエコファーマーの認定を受けた生産者によって作られる佐渡産コシヒカリを「朱鷺と暮らす郷」と命名し売り上げの一部をトキ保護募金に寄付する仕組みを作った。 ^ Appendices I, II and III<http://www.cites.org/>(accessed[リンク切れ] November 13, 2016) ^ a b c BirdLife International. 2013. 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トキ
インドクジャク
インドクジャク(印度孔雀、学名:Pavo cristatus)は、キジ目キジ科クジャク属に分類される鳥類。クジャク属の模式種。 インド、スリランカ、ネパール南部、パキスタン東部、バングラデシュ西部に自然分布。 オーストラリア、日本(南西諸島の一部)、ニュージーランドなどへ移入。 最大全長230cm。メスは全長86-90cm。翼長オス44-50cm、メス40-42cm。体重オス4-6kg、メス2.8-4kg。頭頂には扇状に羽毛が伸長する(冠羽)。種小名cristatusは、「トサカ状の」の意。 虹彩は褐色。 長径7cm、短径4.5cmで、卵を覆う殻は淡黄色。 オスの成鳥は尾羽基部の上面を被う100-150枚の羽毛(上尾筒)が発達する。頭部や頸部は濃青色、体側面は青緑色、腹部は黒緑色の羽毛で被われる。冠羽の先端は青緑色。翼は青い光沢のある黒で、初列風切の色彩は赤褐色。嘴の色彩は灰黄色、後肢の色彩は灰褐色。メスの成鳥は全身が褐色、顔や腹部が淡褐色みを帯びた白い羽毛で被われる。冠羽の先端は褐色。嘴や後肢の色彩は黄褐色。 標高1,500m以下にある落葉樹林やその周辺、農耕地などに生息する。地表棲で飛翔することは苦手だが、危険を感じると飛翔することもある。オス1羽とメス数羽からなる小規模な群れを形成し生活する。昼行性で、夜間は樹上で休む。 食性は雑食で、昆虫、節足動物、小型爬虫類、両生類、植物の葉、果実、種子などを食べる。 繁殖形態は卵生。繁殖期になるとオスは単独で生活し、大声で鳴きメスに求愛する。茂みの中に窪みを掘った巣に、インドでは1-4月に1回に3-8個の卵を産む。抱卵期間は27-29日。メスのみが育雛を行う。 生息地では神聖な鳥として保護されている。 ヨーロッパでは食用とされたこともある。羽毛は装飾品とされることもある。 ペットとして飼育されることもあり、動物園などの施設では放し飼いされることもある。白化個体も累代飼育により固定されている。 観賞用に飼育されていた個体が遺棄、あるいは脱走し世界各地に帰化している。日本でも沖縄県の先島諸島(宮古列島の宮古島、伊良部島。八重山列島の石垣島、小浜島、黒島、新城島、与那国島)に定着しており、トカゲ等の小型固有種を捕食し問題となっているため、要注意外来生物に指定され駆除が進められている。 八重山列島では、最初に新城島に導入され、1979年に小浜島のリゾートホテルに持ち込まれたものが観賞用として各地に寄贈されて広まった。黒島では、1980年代に観賞用として持ち込まれたものが脱走し、天敵がいないために異常繁殖して、2013年現在では数千羽以上が生息すると推定されている。 新城島では、2006年から2009年にかけて集中的に駆除が行われ、累計で116羽が捕獲されてほぼ完全に排除された。2013年には、黒島で箱わなにより1,479羽が、また、小浜島で銃器により160羽がそれぞれ駆除されており、その後も黒島や小浜島で銃器による駆除や探索犬による繁殖卵の駆除が続けられている。 メス 上尾筒を広げたオス オスの白化個体 オスの白化個体 Museum specimen - ^ a b 沖縄諸島の外来種 (PDF) 環境省那覇自然環境事務所 ^ 黒島に定着したインドクジャクについて 黒島研究所 ^ “新城のインドクジャク 計116羽を駆除”. 八重山毎日新聞. (2009年7月17日). http://www.y-mainichi.co.jp/news/14033/ 2018年8月10日閲覧。  ^ “外来生物次々と侵入 広がる生態系への影響”. 八重山毎日新聞. (2010年1月2日). http://www.y-mainichi.co.jp/news/15157/ 2018年8月10日閲覧。  ^ “クジャク1639羽を駆除 黒島、小浜で防除対策事業”. 八重山毎日新聞. (2013年3月23日). http://www.y-mainichi.co.jp/news/22123/ 2018年8月10日閲覧。  ^ “クジャクなど293羽駆除 竹富町”. 八重山毎日新聞. (2015年12月16日). http://www.y-mainichi.co.jp/news/28971/ 2018年8月10日閲覧。  ^ “クジャク卵駆除スタート 黒島、小浜で240個余”. 八重山毎日新聞. (2016年5月11日). http://www.y-mainichi.co.jp/news/29790/ 2018年8月10日閲覧。  クジャク属 黒田長久監修 C.M.ペリンズ、A.L.A.ミドルトン編 『動物大百科7 鳥類I』、平凡社、1986年、154、156-157頁。 黒田長久、森岡弘之監修 『世界の動物 分類と飼育10-I (キジ目)』、東京動物園協会、1987年、124-125、178頁。 『小学館の図鑑NEO 鳥』、小学館、2002年、134頁。 多紀保彦監修 財団法人自然環境研究センター編著『日本の外来生物』、平凡社、2008年 The IUCN Red List of Threatened Species BirdLife International 2009. Pavo cristatus. In: IUCN 2009. IUCN Red List of Threatened Species. Version 2009.2. 環境省 要注意外来生物リスト:哺乳類・鳥類(一覧)
インドクジャク
マナヅル
マナヅル(真鶴、真名鶴、Grus vipio)は、ツル目ツル科ツル属に分類される鳥類。 大韓民国、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国、日本、モンゴル、ロシア南東部 夏季に中華人民共和国北東部・モンゴル北東部・アムール川およびウスリー川流域・ハンカ湖で繁殖し、冬季になると日本・朝鮮半島中部の鉄原および板門店(東部個体群)、長江下流域・洞庭湖・鄱陽湖(西部個体群)ヘ南下し越冬する。日本では主に出水平野に越冬のため飛来(冬鳥)する。 BirdLife Internationalでは2012年現在、本種をAntigone属に分類している。 全長120 - 153センチメートル。全身は灰色や暗灰色。頭頂から後頸、頸部基部にかけて白い。嘴基部は黒い剛毛で被われる個体もいる。耳孔を被う羽毛(耳羽)は暗灰色。耳孔後方から側頸、前頸、下面にかけての羽衣は暗灰色や濃灰色。雨覆は灰白色。初列風切や次列風切の羽先は黒い。三列風切は長く、色彩は白。 眼の周囲から嘴基部にかけて羽毛が無く、赤い皮膚が裸出する。虹彩は橙色や橙黄色。嘴は黄緑色や暗黄緑色。後肢は淡赤色や暗赤色。気管は胸骨(竜骨突起)の間を曲がりくねる。 幼鳥は頭部や頸部が褐色で、雨覆も褐色みをおびる。 湖や河川の周辺にある開けた湿原や低地の草原などで繁殖し、渡りの途中や越冬地では河川や河口・干潟・農耕地にも飛来する。日本では10月に飛来し、翌2月まで越冬する。 田んぼに住み魚類、昆虫、カエル、スゲ類や水生植物の地下茎や根、植物の種子などを食べる。農耕地では穀物や種子を食べる。 繁殖形態は卵生。湿原にスゲ・アシなどを組み合わせた巣を作る。5月に卵を産む。産卵数は2個。雌雄交代で抱卵し、飼育下での抱卵日数は30 - 33日。生後2 - 3年で性成熟する。 食用とされたこともあり、和名の「な」は食用を意味する古語とされる。和名の「ま」は「標準的な」の意。 農作物を食害する害鳥とみなされることもある。日本の出水平野では政府により土地の買収や被害補償などの対策がとられている。一方で農業被害による地元住民との軋轢もある。 繁殖地のロシアでは野火、中華人民共和国では開発による生息地の乾燥化などによる影響が懸念されている。電線による事故死や、渡りの途中にある大韓民国では農薬を用いた密猟により死亡した例もある。越冬地の出水平野では水田の乾田化やビニールハウスの設置による採食地の変化・交通量増加や道路建設などによる影響が懸念されている。他種も含め多数の個体が飛来し過密状態になっていることから伝染病の感染による大量死、食物の不足も懸念されている。2010年12月には出水平野で高病原性トリインフルエンザにより7羽が死亡した。出水平野では2001年に3,555羽・2007年に1,059羽と変動はあるが、近年は飛来数は漸増傾向にあるもののこれは他の地域での越冬群が合流している可能性もあるとされる。鄱陽湖は三峡ダム建設に伴う水位変化によって生息数の減少が懸念されている。 出水平野では小麦や魚類を給餌している。出水平野は1952年に「鹿児島県のツルおよびその渡来地」として国の特別天然記念物に、1987年には出水・高尾野鳥獣保護区として国の自然保護区に指定されている。1996年には高尾野町(現:出水市)に人工的なねぐらが増設された。 絶滅危惧II類 (VU)(環境省レッドリスト) 頭部 翼を広げた本種 ^ Appendices I, II and III<http://www.cites.org/>(accessed[リンク切れ] June 14, 2016) ^ a b c d BirdLife International. 2012. Antigone vipio. The IUCN Red List of Threatened Species 2012: e.T22692073A38429154. doi:10.2305/IUCN.UK.2012-1.RLTS.T22692073A38429154.en, Downloaded on 14 June 2016. ^ a b 「マナヅル」『日本鳥類目録 改訂第7版』日本鳥学会(目録編集委員会)編、日本鳥学会、2012年、91頁 ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 尾崎清明 「マナヅル」『レッドデータブック2014 -日本の絶滅のおそれのある野生動物-2 鳥類』環境省自然環境局野生生物課希少種保全推進室編、株式会社ぎょうせい、2014年、166-167頁。 ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 百瀬邦和 「マナヅル」『動物世界遺産 レッド・データ・アニマルズ1 ユーラシア、北アメリカ』小原秀雄・浦本昌紀・太田英利・松井正文編著、講談社、2000年、192-193頁。 ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 森岡弘之 「ツル科の分類」『世界の動物 分類と飼育10-II (ツル目)』黒田長久、森岡弘之監修、東京動物園協会、1989年、26-38、159頁。 ^ a b c 安部直哉 「マナヅル」『山渓名前図鑑 野鳥の名前』、山と渓谷社、2008年、300-301頁。 ツル科 ツル属 鳥類レッドリスト (環境省)
マナヅル
モモイロペリカン
モモイロペリカン(学名:Pelecanus onocrotalus)は、ペリカン目ペリカン科に分類される鳥類の一種である。 名前の由来は、繁殖期に体色が桃色になることより。通常はほぼ白色である。英語では White pelican という。 ヨーロッパ南東部から中央アジア(黒海、カスピ海、アラル海沿岸等)とアフリカで繁殖するが、繁殖地はやや局地的である。冬季は、アフリカ中部から南部、パキスタン、インド、ベトナム南部等に渡り越冬する。 日本では、迷鳥として沖縄県で数例の観察記録がある。この他、各地において飼育されていた施設から逃亡した個体が観察されている。 体長は160cmほどで、羽を広げると280cmほどになる。体全体はややピンク色がかった白色で、眼の周囲は皮膚が裸出してピンク色に見える。繁殖期には全身が橙色がかったピンク色になる。翼の初列風切と次列風切は黒い。足もピンク色である。 湿地や湖沼に群れで生息する。獲物の魚を捕る時は5-10羽程度の群れで魚の群れを追い込み、逃げ道を塞いだ上で一斉に喉の袋で掬い上げると言う行動が見られる。30cm以下の魚ならば海・淡水の別を問わず餌にする。稀にエビ等の甲殻類も捕らえるという。鳥を食べるという報告もあり、BBCの番組"Life"によると、南アフリカ沖のダッセン島のモモイロペリカンは、繁殖期になるとケープシロカツオドリの雛を丸飲みして捕らえ、自分の雛に与えるという(『アガラスバンク』の記事も参照)。また鳩を生きたまま飲み込む動画がYouTubeなどに複数投稿されている。 繁殖形態は卵生。コロニーを形成し、地上に営巣する。 モモイロペリカン 松江フォーゲルパーク(島根県) 桐原政志 『日本の鳥550 水辺の鳥』、文一総合出版、2000年 真木広造他 『日本の野鳥590』、平凡社、2000年 カッタくん 日本の野鳥一覧
モモイロペリカン
タンチョウ
タンチョウ(丹頂、Grus japonensis)は、鳥綱ツル目ツル科ツル属に分類される鳥類。 その美しさから、日本や中国では古来深く親しまれてきた鳥である。 折鶴、千円札、昔話などで身近なことから、鶴(タンチョウ)は日本を象徴する鳥になっている。 日本(北海道東部)、ロシア南東部、中華人民共和国、大韓民国北部、朝鮮民主主義人民共和国 種小名japonensisは「日本産の」の意。 アムール川流域で繁殖し、冬季になると江蘇省沿岸部や朝鮮半島ヘ南下し越冬する。 日本では北海道東部に周年生息(留鳥)し、襟裳岬以東の太平洋岸・根室海峡沿岸部・オホーツク地区・1982年以降は国後島や歯舞諸島・2004年以降は宗谷地区でも繁殖している。越冬地は主に釧路湿原周辺だったが、近年は十勝平野西部や根室地区での越冬例が確認・増加している。 日本で最も有名な生息地は釧路湿原一帯であるが極稀に石狩平野の上空を飛来することがあり、鳴き声が聞かれる。2015年5月31日に札幌上空で飛来が確認された。 全長102 - 147センチメートル。翼長64 - 67センチメートル。翼開長240センチメートル。体重4 - 10.5キログラム。全身の羽衣は白い。眼先から喉、頸部にかけての羽衣は黒い。 頭頂には羽毛がなく、赤い皮膚が裸出する。タン(丹)は「赤い」の意で、頭頂に裸出した皮膚に由来する。虹彩は黒や暗褐色。嘴は長く、色彩は黄色や黄褐色。後肢は黒い。次列風切や三列風切は黒い。気管は胸骨(竜骨突起)の間を曲がりくねる。 湿原、湖沼、河川などに生息する。冬季には家族群もしくは家族群が合流した群れを形成する。日本の個体群と大陸産の個体群は鳴き交わしに差異がある。 食性は雑食で、昆虫やその幼虫、エビ類・カニ類などの甲殻類、カタツムリ類・タニシ類などの貝類、ドジョウ類・コイ・ヤチウグイ・ヌマガレイなどの魚類、エゾアカガエルなどのカエル、アオジ・コヨシキリなどの鳥類の雛、ヤチネズミ類などの哺乳類、セリ・ハコベなどの葉、アシ・スゲ・フキなどの芽、スギナの茎、フトモモ・ミズナラなどの果実などを食べる。 繁殖様式は卵生。繁殖期に1 - 7平方キロメートルの縄張りを形成する。湿原(北海道の個体群は塩性湿原で繁殖した例もあり)や浅瀬に草や木の枝などを積み上げた直径150センチメートル、高さ30センチメートルに達する皿状の巣を作り、日本では2月下旬から4月下旬に1 - 2個の卵を産む。日本では大規模な湿原の減少に伴い、河川改修によってできた三日月湖や河川上流域にある小規模な湿地での繁殖例が増加している。雌雄交代で抱卵し、抱卵期間は31 - 36日。雛は孵化してから約100日で飛翔できるようになる。 日本では1133年の詩序集が丹頂という名称の初出と推定されている。 奈良時代以降は他種と区別されず単に「たづ・つる」とされ、主に「しらたづ・しろつる」といえば本種を差していたがソデグロヅルも含んでいたと推定されている。江戸時代には白鶴は主にソデグロヅルを指すようになったが、本種が白鶴とされる例もあった。 江戸時代の草本学でも、現代と同様に鶴といえば本種を指す例が多かった。1666年の訓蒙図彙では鶴(くわく)の別名として「つる、たづ、仙禽」が挙げられ仙禽は本種の漢名であること、不審な点はあるものの図から鶴といえば主に本種を差していたと推定されている。一方で1695年の頭書増補訓蒙図彙では図は変わらないものの、本種ではなくソデグロヅルかマナヅルを差したと思われる本草網目からの引用・訳文と推定される解説(頬や後肢が赤い)が付け加えられている。1789年の頭書増補訓蒙図彙大成では解説は変わらないものの図が新たに描きおこされ、たんてう(丹頂)の別名も追加された。本朝食鑑では、「鶴は和名類聚抄にある葦鶴(あしたづ)で、俗称は丹頂である」と紹介している。古くはより広域に分布し一般的であったか、後述するように縁起物や芸術作品といった造形物を目にする機会が多かったことから鶴といえば本種という認識が定着していったと考えられている。一方で古くは現代よりも広域に分布していたとはいえ日本全体では本種を見ることはまれであり、実際には鶴はマナヅルを差していたという反論もある。地域差もあり備後国(福山志料1809年)・周防国(周防産物名寄1737年)・長門国(舟木産物名寄帳1739年)の文献では鶴の別名を「マナツル」としており、これらの地域では鶴はマナヅルを指していたと推定されている。紀州国(紀伊国続風土記1839年)では特徴(頭頂が白く頬が赤い)から鶴(白鶴)はソデグロヅルを指していたと推定され、紀産禽類尋問誌(年代不明)では丹頂は飛来しないとする記述がある。 1708年の大和本草には頭頂が赤く後肢が黒い松前(北海道)に分布する「丹鳥」という鳥類の記述があるが、色は黒いとされている。小野蘭山による1801年の大和本草批正では「丹頂」と「丹鳥」を区別し、「丹鳥」は「玄鶴」であるとしている。玄鶴に関しては定義が不明瞭なため同定は困難でオグロヅル・カナダヅル・クロヅル・ナベヅル・ナベコウ・セイケイ(玄鶴の別名を青鶏とする文献があるため)を指すなど複数の説がある。「丹鳥」を本種とする考えもあり「丹鳥」を「丹頂」に書き換える例も多く見られるが、古くは「丹鳥」は複数の定義をもつ語であったと考えられ大戴礼記・あい嚢鈔・和爾雅ではホタルの別名、本草網目目録啓蒙ではキンケイを指す語であったと推定されている。観文禽譜では本種に朝鮮鶴の名称をあてた例もあるが、これは単に朝鮮半島に由来する鶴の意と推定されている。 アイヌ語では「サロルンカムイ」と呼ばれ、これは「葦原の神」の意がある。縁起物や芸術作品のモチーフとされることもあった。1964年に北海道の道鳥に指定されている。 アムール川流域では野火による植生の変化や巣材の減少により、中華人民共和国では農地開発による繁殖地の破壊などにより生息数は減少している。1975年のワシントン条約発効時からワシントン条約附属書Iに掲載されている。 日本 日本では1924年に釧路湿原で再発見されるまでは絶滅したと考えられていた。 北海道では地方自治体や自然保護団体による土地の買い上げ(ナショナルトラスト運動)や、冬季に穀物を給餌している。初期にもセリの移植・ドジョウの放流やソバの散布・1940年には餌を奪う他の鳥類の駆除などの保護対策が行われたが、冬季の食糧不足から生息数はほとんど上昇しなかった。1952年に大雪に伴い人里に近づいた個体に対し、阿寒村・鶴居村で餌付けに成功した。1960年代までは増加傾向にあったが、1960年代前半以降は主に電線との衝突による事故死(1964・1965・1972・1973年は生息数の約10 %が事故死し、以降は年あたり約10羽が事故死)により生息数が減少した。原因は不明だが1970年代後半から再び生息数が増加した。生息数が増加する一方で人間への依存度が高くなり、生息数増加に伴う繁殖地の不足が問題となっている。生息環境の悪化、他種の鳥類も含む過密化による感染症などのおそれ、電柱による死亡事故・車両や列車との交通事故・牛用の屎尿溜めへの落下事故の増加などの問題も発生している。餌づけの餌目当てに集まるキタキツネ・エゾシカ・オジロワシ・オオワシなどと接する機会が増えるが、これらのうち捕食者に対しては餌付け場で捕食されることはないものの見慣れることで警戒心がなくなってしまうこと・イヌやシカについては湿原の奥地まで侵入し繁殖への影響が懸念されている。 日本では北海道庁では1889年に狩猟が禁止され、1890年に千歳市周辺が禁猟区に指定、1892年に日本国内でのツル類の狩猟が禁止、1925年に再発見された地域が禁猟区に指定された。1935年に繁殖地も含めて国の天然記念物、1952年に「釧路のタンチョウ」として繁殖地も含めて特別天然記念物、1967年に地域を定めず種として特別天然記念物に指定されている。1921年に出水ツル渡来地が「鹿児島県のツルおよびその渡来地」として越冬地(本種が飛来することはまれ)が国の特別天然記念物に指定されている。1993年に種の保存法施行に伴い国内希少野生動植物種に指定されている。 北海道での1952 - 1953年における生息数は33羽。1962年における生息数は172羽、1988年における生息数は424羽。2004年における生息数は1,000羽以上、2012年における確認数は1,470羽で生息数は1,500羽以上と推定されている。2008年の繁殖ペア数は285ペア、2010年の繁殖ペア数は345ペアが確認されている。 絶滅危惧II類 (VU)(環境省レッドリスト) 生息数が順調に増加していることを受け、2016年7月、給餌などの保護増殖事業を行っている環境省がこれらの事業を将来的に終了する方針を示している 。 飛翔 頭部 雛 群れ 鳴き声を上げている個体 メディアを再生する 採食 江戸時代には、江戸近郊の三河島村(現在の荒川区荒川近辺)にタンチョウの飛来地があり、手厚く保護されていた。タンチョウは毎年10月から3月にかけて見られたという。幕府は一帯を竹矢来で囲み、「鳥見名主」、給餌係、野犬を見張る「犬番」を置いた。 給餌の際はささらを鳴らしてタンチョウを呼んだが、タンチョウが来ないときは荒川の向こうや西新井方面にまで探しに行ったという。タンチョウは午後6時頃から朝6時頃まではどこかへ飛び去るので、その間は矢来内に入ることを許された。近郷の根岸、金杉あたりではタンチョウを驚かさないように凧揚げも禁止されていたという。 こうした“鶴御飼附場”では将軍が鷹狩によって鶴を捕らえる行事も行われた。これについては鶴御成を参照されたい。 東アジアにおいては古くから、タンチョウはその清楚な体色と気品のある体つきにより特に神聖視され、瑞鳥とされ、ひいては縁起のよい意匠として、文学や美術のモチーフに多用されてきた。 また、「皇太子の乗る車」を指して「鶴駕(かくが)」と呼ぶように、高貴の象徴ともされた。 道教的世界観の中ではとくに仙人、仙道と結びつけられ、タンチョウ自体がたいへんな長寿であると考えられたほか、寿星老人が仙鶴に乗って飛来するとか、周の霊王の太子晋が仙人となって白鶴に乗って去ったといった説話が伝えられている。 舞楽の曲に『崑崙八仙』(ころばせ)と呼ばれるものがあり、奈良国立博物館には同名の舞楽面が伝わっているが、この舞は崑崙山に住む八人の仙人“崑崙八仙”(こんろんはっせん)が鶴の姿になって舞い踊る様を表すという。 なお、古来の日本で「花」といえば梅を指したのと同じように、伝統的には、中国や日本で単に「鶴」と言えばタンチョウを指しているのが通常である。 また古くは鶴を指して「たづ」とも呼んだ。 難波潟 潮満ちくらし 雨衣 たみのの島に たづ鳴き渡る (詠み人知らず、古今和歌集 ⑰雑上 #913) 8世紀の皇族・長屋王の邸宅跡地からはタンチョウらしき鶴の描かれた土器が出土しており、これが現在知られている中で最古のタンチョウを描いた文物である。平安時代から室町時代にかけては鏡の装飾に鶴文(つるもん)が多く使われた。 鶴ほど広範囲にさまざまな意匠に用いられているモチーフは他に例がなく、鎌倉時代の太刀や笈(おい)、紀貫之の用いた和歌料紙、厳島神社の蒔絵小唐櫃、日光東照宮陽明門の丸柱、仁阿弥の陶器、海の長者の大漁祝い着、沖縄の紅型染め、久留米の絵絣、修学院離宮の茶室に見られる羽子板形の七宝引手、光琳の群鶴文蒔絵硯箱、江戸の釜師・名越善正の鋳た鶴に亀甲菊文蓋の茶釜など、その実例を挙げるにおよんでは枚挙にいとまがないという。 室町時代に入る前後から宋・元時代の中国から花鳥画の習俗が日本へ入ってくると、優美な姿のタンチョウは好んで描かれるモチーフのひとつとなり、伊藤若冲のような画風の異なるものも含め、多くの画家によって現在まで多数の作品が描かれている。 通俗的には、「亀は万年の齢を経、鶴は千代をや重ぬらん」と能曲『鶴亀』や地唄にも謡われるように、鶴と亀はいずれも長寿のシンボルとされ、往々にしてセットで描かれてきたほか、また花鳥画以来の伝統として松竹梅などとあわせて描かれることも多い。花札の役札「松に鶴」などもこうした流れのものであるということができる。 アイヌ民族の間にはタンチョウの舞をモチーフにした舞踊なども伝えられている。 近年の文化上の事例としては、1964年(昭和39年)、北海道の道鳥に指定されているほか、1984年(昭和59年)に発行された千円紙幣は裏面にタンチョウの意匠を用いている。 日本航空のシンボルマークはいわゆる「鶴丸」だが、これはタンチョウのイメージに乗せて用いられている。 渡辺秀石『双鶴図』(17世紀)。中国風の、いわゆる花鳥画の作風。 熊代熊斐『双鶴図』(18世紀)。 大友月湖『双鶴図』(18世紀)。 伊藤若冲『双鶴図』(18世紀、右隻)。若冲はタンチョウをモチーフに多数描いているが、この絵では創意により嘴に歯を描き加えている。 北斎の門人・魚屋北渓による木版画、初日に鶴図。 横山華山『松鶴図』、19世紀。 狩野養信筆(19世紀)。モチーフとしては非常によく描かれた定番的なものである。 江戸末期の鍔。なお、裏面にはタンチョウの脚部が大きく描かれている。 富士に鶴をあしらった印籠と、亀にかたどった根付。19世紀。 赤塚自得による蒔絵の料紙箱。明治時代。 明治初期に制作された山車の四方幕。千葉県佐倉市。 様式化を前提として生まれた派生デザインで、家紋のひとつ「梅鶴」。類例として、菊鶴、沢瀉鶴、銀杏鶴、稲鶴、柏鶴などの紋もあった。 中国で最も初期の鶴を象った文物といえば春秋戦国時代の青銅器「蓮鶴方壺(中国語版)」がよく知られているが、さらに古い殷商時代にも墳墓から鶴を象った彫刻が出土しているという。 道教では、前述のとおり、タンチョウは仙人の象徴、不老長寿の象徴とされ珍重された。 いっぽう俗信としては、タンチョウの頭頂部からは猛毒の物質が採れるとされ、「鶴頂紅」「丹毒」などと呼ばれることがあった。 2007年に中華人民共和国国家林業局が、同国の国鳥にタンチョウの選定を提案し、国務院も受け入れたが、タンチョウの学名、英名ともに「日本の鶴」を意味することから、後に議論を呼ぶこととなった。 中国では先述のとおり、古くからタンチョウが親しまれ愛されてきた経緯がある。選定の際にはインターネットでのアンケートを参考にしており、全510万票のうち65%を獲得するという圧倒的な得票率であったという。 鶴と蓮をモチーフに象った“蓮鶴方壺”(春秋戦国時代)。河南博物院(中国語版)蔵。故宮博物院にも同様のものがある。 1112(政和2)年のある日、皇宮の上に忽然と祥雲生じ、群鶴が舞い、衆人みなこれを目撃したという。この作品は、文人として知られる皇帝・徽宗が、これを記念して描き、詩を添えたもの。 辺景昭(英語版)『竹鶴図』、15世紀。 沈銓『松梅双鶴図』、18世紀。 虚谷(中国語版)『松鶴延年図』、19世紀。頸の折り曲がり具合などやや実際と異なるようにも見える。 頤和園・楽寿堂の鶴像 ^ Appendices I, II and III<https://cites.org/eng>(Accessed 08/01/2018) ^ a b UNEP (2018). 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タンチョウ
チリーフラミンゴ
チリーフラミンゴ(Phoenicopterus chilensis)は、フラミンゴ目フラミンゴ科に分類される鳥類の一種。種小名chilensisは「チリ産の」の意で、和名や英名と同義。 アルゼンチン、ウルグアイ、チリ、ブラジル南部、ペルー南部、ボリビア 全長105cm。全身は淡いピンク色の羽毛で覆われる。 後肢の色彩は灰色がかった黄色で、踵のみ赤い。 高山帯の湖沼(塩湖)や海岸などに生息する。アンデス山中の海抜4500mの高地にも生息する。数百から数千羽にもなる大規模な群れを形成し生活する。 食性は雑食で、水生昆虫、甲殻類、藻類、植物の種子などを食べる。泥ごと食物を口に含み、嘴と舌を使い食物のみ濾しとって食べる。 繁殖形態は卵生。コロニーを形成して繁殖するが、他種の鳥類と混合コロニーを作ることもある。雌雄共同で、水辺に泥を積み上げた塚状の巣に1回に1個の卵を産む。抱卵期間は約30日である。抱卵、育雛ともに雌雄共同で行う。雛は孵化後約100日で飛べるようになる。 フラミンゴ科 中村登流監修 『原色ワイド図鑑4 鳥』、学習研究社、1984年、128頁。 『小学館の図鑑NEO 鳥』、小学館、2002年、168頁。 『世界の動物|分類と飼育 コウノトリ目+フラミンゴ目』、財団法人東京動物園協会、1985年、136頁 CITES homepage Appendices I, II and III IUCN Red List - Home Page - BirdLife International 2008. Phoenicopterus chilensis. In: IUCN 2009. 2009 IUCN Red List of Threatened Species.
チリーフラミンゴ
オオサイチョウ
オオサイチョウ(大犀鳥、学名:Buceros bicornis)は、ブッポウソウ目サイチョウ科サイチョウ属に分類される鳥類の一種。東南アジアに生息しており、地元の民族はオオサイチョウの嘴や羽を装飾品として使用することがある。 全長90~125cm程度、羽を広げると152cmにもなる大型の鳥。同属のサイチョウよりは少々小柄であるが、体重ではオオサイチョウの方が勝る。大きな嘴の上に、黄色と黒で彩られたカブト状の突起を持つ。羽の色は、首周りが薄い黄色である他はほとんど黒色である。体色は雌雄同色だが、オスは虹彩が赤く、メスは虹彩が青い。 主に果実を餌とするが、小型の哺乳類や昆虫類などを捕食することもある。 大木の洞に巣をつくる。他のサイチョウ同様、メスの巣篭もりの際にはオスが巣の入り口を糞便などで塗り固め、子育てを行うメスが危険にさらされないように閉じ込める。その際巣の入り口には小さな隙間を開けておき、オスがメスに餌を運ぶ。卵が孵化するにはおよそ40日かかる。 東南アジアの幾つかの民族では、鎮魂に効果があるとしてオオサイチョウの雛の血を使用したり、オオサイチョウの羽や嘴を、婚前の祝いの衣装に使用することがある。そのためオオサイチョウが捕獲されることを危惧する保護団体は、剥製の羽などを地元民に提供するよう試みている。 また、ウィリアムと名づけられたオオサイチョウが、ボンベイ自然史協会のシンボルとなっている。
オオサイチョウ
クロアシアホウドリ
クロアシアホウドリ(黒足阿呆鳥、黒足信天翁、Diomedea nigripes)は、ミズナギドリ目アホウドリ科アホウドリ属に分類される鳥類。 主に北太平洋に生息。 夏季はベーリング海やアラスカ湾、アリューシャン列島周辺に渡り、冬季になるとハワイ諸島、マーシャル諸島などで繁殖する。日本では聟島列島、鳥島、尖閣諸島北小島で繁殖する。 2013年4月、伊豆諸島の八丈小島(無人島)において約30羽が営巣を開始したことが市民団体によって確認された。南方の鳥島および小笠原諸島から飛来したとみられる。2017年には8ペアの産卵と3羽の孵化、ヒナ2羽の巣立ちにより世界最北の繁殖地となった。 全長68-74cm。翼開張193-213cm。体重2.2-4.1kg。全身は黒褐色の羽毛で被われる。嘴基部周辺や眼下部は白い羽毛で被われる。尾羽基部を被う羽毛(上尾筒、下尾筒)の色彩が白い個体もいる。翼の色彩は黒褐色で、初列風切の羽軸は白い。 嘴の色彩は暗灰色。後肢の色彩は黒い。種小名nigripesは「黒い足の」の意で、和名や英名(black-footed)と同義。 幼鳥は額が白い羽毛で被われ、嘴の色彩が淡褐色の個体もいる。 海洋に生息する。 食性は動物食で、魚類、甲殻類、軟体動物などを食べる。 繁殖形態は卵生。集団繁殖地(コロニー)を形成する。1回に1個の卵を産む。雌雄交代で抱卵する。孵化した雛は日中は巣から離れて日陰に入る。 雛 八丈小島の個体(2017年11月撮影) アホウドリ科 ^ “八丈小島におけるクロアシアホウドリに関する報告と今後の保全対策”. 日本野鳥の会東京支部研究部. 2014年3月21日閲覧。 ^ 絶滅危惧種クロアシアホウドリ、八丈小島に生息 2013年4月26日付(読売新聞) ^ “クロアシアホウドリ 八丈島近くで繁殖成功 初確認、絶滅危惧種の近縁”. 日本経済新聞朝刊. (2017年5月2日). http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG02H0C_S7A500C1000000/  安部直哉 『山渓名前図鑑 野鳥の名前』、山と渓谷社、2008年、37頁。 桐原政志 『日本の鳥550 水辺の鳥』、文一総合出版、2000年、31頁。 黒田長久監修 C.M.ペリンズ、A.L.A.ミドルトン編 『動物大百科7 鳥類I』、平凡社、1986年、52-53、176頁。 高野伸二 『フィールドガイド 日本の野鳥 増補改訂版』、日本野鳥の会、2007年、68-69頁。 中村登流監修 『原色ワイド図鑑4 鳥』、学習研究社、1984年、139、190頁。 真木広造、大西敏一 『日本の野鳥590』、平凡社、2000年、23頁。 IUCN Red List - Home Page - BirdLife International 2008. Phoebastria nigripes. In: IUCN 2009. IUCN Red List of Threatened Species. Version 2009.1.
クロアシアホウドリ
クマタカ
クマタカ(角鷹、熊鷹、鵰、Nisaetus nipalensis)は、鳥綱タカ目タカ科クマタカ属に分類される鳥。遺伝的背景に基づき、かつてクマタカが含まれていたSpizaetus属は中南米の2種のみを含む属となり、本種を含む残り7種はNisaetus属として独立した。 ユーラシア大陸南東部、インドネシア、スリランカ、台湾 亜種 クマタカ N. n. orientalis 日本 全長オス約75cm、メス約80cm。翼開長は約160cmから170cm。日本に分布するタカ科の構成種では大型であることが和名の由来(熊=大きく強い)。胸部から腹部にかけての羽毛は白く咽頭部から胸部にかけて縦縞や斑点、腹部には横斑がある。尾羽は長く幅があり、黒い横縞が入る。翼は幅広く、日本に生息するタカ科の大型種に比べると相対的に短い。これは障害物の多い森林内での飛翔に適している。翼の上部は灰褐色で、下部は白く黒い横縞が目立つ。 頭部の羽毛は黒い。後頭部には白い羽毛が混じる冠羽をもつ。この冠羽が角のように見えることも和名の由来とされる。幼鳥の虹彩は褐色だが、成長に伴い黄色くなる。 森林に生息する。飛翔の際にあまり羽ばたかず、大きく幅広い翼を生かして風を捕らえ旋回する(ソアリング)こともある。基本的には樹上で獲物が通りかかるのを待ち襲いかかる。獲物を捕らえる際には翼を畳み、目標をめがけて加速を付けて飛び込む。日本がクマタカの最北の分布域であり北海道から九州に留鳥として生息し、森林生態系の頂点に位置している。そのため「森の王者」とも呼ばれる。高木に木の枝を組み合わせた皿状の巣を作る。 食性は動物食で森林内に生息する多種類の中・小動物を獲物とし、あまり特定の餌動物に依存していない。また森林に適応した短めの翼の機動力を生かした飛翔で、森林内でも狩りを行う。 繁殖は1年あるいは隔年に1回で、通常1回につき1卵を産むが極稀に2卵産む。抱卵は主にメスが行い、オスは狩りを行う。従来、つがいはどちらかが死亡しない限り、一夫一妻が維持され続けると考えられてきたが、2009年に津軽ダムの工事に伴い設置された猛禽類検討委員会の観察により、それぞれ前年と別な個体と繁殖したつがいが確認され、離婚が生じることが知られるようになった。 クマタカは森林性の猛禽類で調査が容易でないため、生態の詳細な報告は少ない。近年繁殖に成功するつがいの割合が急激に低下しており、絶滅の危機に瀕している。 大型で攻撃性が強いため、かつて東北地方では飼いならして鷹狩りに用いられていた。 クマタカは、「角鷹」と「熊鷹」と2通りの漢字表記事例がある。歴史的・文学上では双方が使われてきており、近年では、「熊鷹」と表記される辞書が多い。これは「角鷹」をそのままクマタカと読める人が少なくなったからであろう。なお、鳥名辞典等学術目的で編集された文献では「角鷹」の表記のみである。 LEAST CONCERN (IUCN Red List Ver. 3.1 (2001)) ワシントン条約附属書II 絶滅危惧IB類 (EN)(環境省レッドリスト) 国内希少野生動植物種(種の保存法) - 1993年 クマタカの親子(撮影地:秋田県仁別) クマタカ幼鳥(撮影地:秋田県仁別) ^ http://www.jazga.or.jp/tennoji/nakigoe/2010/07/report01.html ^ 森岡照明他 『図鑑日本のワシタカ類』 文一総合出版、1995年、191-192頁。 ^ 2010年1月29日東奥日報朝刊 『原色ワイド図鑑4 鳥』 学習研究社、1984年、108頁。 『小学館の図鑑NEO 鳥』 小学館、2002年、40頁。 クマタカ属 クマタカと広島クマタカ生態研究会 Yachoo!オンライン野鳥図鑑クマタカ 2006 IUCN Red List of Threatened Species BirdLife International 2004. Spizaetus nipalensis. In:IUCN 2006. 2006 IUCN Red List of Threatened Species. CITES homepage 釧路市動物園クマタカのページ(2008年に人工孵化と育雛に成功している) ワシントン条約記載種、タクサリスト 環境省 自然環境局 生物多様性センター 生物多様性情報システム:RDB種情報検索
クマタカ
コブハクチョウ
コブハクチョウ(瘤白鳥、学名:Cygnus olor)は、カモ目カモ科ハクチョウ属に分類される鳥類で、白鳥の一種。日本には本来分布していない外来種。 ヨーロッパ、中央アジアを中心に生息する。繁殖のため渡りをする。中国東部や朝鮮半島で越冬するものもあり、1933年11月には八丈島で迷鳥としての記録がある。福岡市中央区の大濠公園にもいる。 日本では北海道から九州まで各地で記録があり、定着している地域もある。他にも北アメリカ東部、南アフリカ、オーストラリア、ニュージーランドなど世界各地に移入されている。 全長約150cm。雌雄同色であり、全身白色の大型の水鳥である。扁平なくちばしはオレンジ色。くちばし上部の付け根に黒いコブのような裸出部があり、名前の由来になっている。ヒナの羽毛(幼綿羽とその後に生える幼羽)は灰色のことが多いが、白色の個体もいる。この羽色の変異は、一部に信じられているように性別による羽色の差異ではなく、遺伝的多型で、雌雄にかかわらず、同じ親から白色型も灰色型も生まれる可能性がある。原産地のヨーロッパでは、東に行くほど白色型の頻度が高くなることが知られ、このため白色型をポーリッシュ(Polish varietyポーランドの色変わり)と呼ぶ。 マコモなどの植物を食べる。餌付けされている個体もいる。 水辺にヨシや水草を積み重ねて大きな巣を作る。産卵数は5~7個程度で、メスが抱卵する。 日本では1952年に飼い鳥として、ヨーロッパから移入したものが公園や動物園などで飼育された。しかし、飼育個体の一部が野生化し、各地に定着している。1975年に北海道の大沼国定公園につがいが観賞用に導入され、生まれたひなのうち7羽が1977年からウトナイ湖に定着し、1978年から繁殖を始めた。ウトナイ湖の個体は茨城県霞ヶ浦に渡り越冬していることが確認されている。鹿児島県の藺牟田池では約50羽、山梨県の山中湖では約20羽が周年生息している。 オーストラリアでは、1886年から1920年代までの間に移入された。現在でも、多数の繁殖コロニーが存在している。 現在のところ、重大な悪影響は報告されていない。しかし、他の鳥類や植物に影響を与える可能性が指摘されており、例えばオオヒシクイとの生息地をめぐる競争が挙げられる。営巣期には強い縄張り行動をみせ、ウトナイ湖では1988年からアカエリカイツブリが繁殖期に見られなくなった原因に、コブハクチョウの増加による影響が懸念されている。霞ヶ浦ではレンコンや在来植生を食害することが問題になりつつある。愛知県は「自然環境の保全及び緑化の推進に関する条例」によって本種の放逐を禁止している。 LEAST CONCERN (IUCN Red List Ver. 3.1 (2001)) ある程度の距離まで人間が近づくと鳥に「攻撃」されることがあるが、このような鳥の行動は、育雛中の親鳥によることが間間ある。 コブハクチョウも例外ではなく、親鳥は雛を守るために人間に「攻撃」することがあるが、このような行動は親鳥の立場から見れば雛を守るための「防衛」である。ハクチョウは巨体を飛行させるために翼の力が大変に強い上に水辺をテリトリーとするため、翼で殴って昏倒させた人間の頭を上から水中に抑え付けて殺害してしまった例すら記録されている。 コブハクチョウの大きさでこのような行動を受けた人間は驚くため、二次的な被害が発生することもある。 北海道ウトナイ湖では地元のバードウォッチャーがコブハクチョウから「攻撃」されて骨折する事故が発生したことがある。 ハクチョウの中でも優雅な姿が好まれ、古代ローマの頃から飼育が始まっていた。中世では「王の鳥」と讃えられた。西洋では古来より「ハクチョウが鳴き声を上げるのは死期が迫った時だけ」と言う俗信があり(スワン・ソング (伝承)(英語版))、本種はそれに因んでMute(無音)と名付けられた。最も実際には全く啼かないと言う事は無く、必要に応じて様々な鳴き声を上げる事が知られている。 イギリスでは伝統的に、高級料理としてハクチョウの肉が供されていた。12世紀にはイングランドに生息するハクチョウは全て王家の財産とする法律が成立し、ハクチョウを傷つけた者は反逆罪に問われた。この法律は現在でもイギリス王室に引き継がれており、イギリス国内のコブハクチョウを含む野生のハクチョウは、すべて王室の所有物とされている。 デンマークでは国鳥に指定されている。 日本では5円普通切手の意匠になった。 1971年(昭和46年)11月10日発売 2010年(平成22年)11月29日書体変更の発表 松田道生 『カラスはなぜ東京が好きなのか』 平凡社、2006年10月18日 初版第1刷発行。ISBN 978-4582527315。 ^ 日本鳥学会(目録編集委員会) 編集,『日本鳥類目録 改訂第7版』、日本鳥学会、2012年、ISBN 978-4-930975-00-3 ^ a b c 山岸哲(監修)(財)山階鳥類研究所(編著) 『保全鳥類学』 京都大学学術出版会、2007年3月25日。ISBN 978-4-87698-703-0。 ^ Munro, R. E., Smith, L. T., and Kupa, J. J. 1968. The genetic basis of color differences observed in the Mute Swan (Cygnus olor). Auk, 85: 504-505. ^ a b c 北海道ブルーリスト A3 コブハクチョウ ^ Michael Morcombe,Field Guide to Australian Birds, Steve Panish Publishing, 2004, ISBN 9781740215596 ^ 国立環境研究所 侵入生物DB コブハクチョウ ^ 報道発表資料 「生態系に著しく悪影響を及ぼすおそれのある移入種を決定しました」2011年3月30日発表 ^ BirdLife International (2004). Cygnus olor. 2006. IUCN Red List of Threatened Species. IUCN 2006. www.iucnredlist.org. Retrieved on 09 May 2006. Database entry includes justification for why this species is of least concern ^ 1938年の英国で幼児が、1972年の米国で成人男性が殺されている ^ 『カラスはなぜ東京が好きなのか』(p172)より。 ^ “「英女王のハクチョウ」でバーベキューか、英警察が捜査”. AFPBB News. (2013年8月23日). http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2963446/11234595 2013年8月23日閲覧。
コブハクチョウ
クマゲラ
クマゲラ (熊啄木鳥、Dryocopus martius)は、キツツキ目キツツキ科クマゲラ属に分類される鳥類。 ヨーロッパ、イラン北部、中華人民共和国北東部および南西部、トルコの一部、日本(北海道、東北地方北部)、モンゴル北部、ロシア 全長45 - 57センチメートル。体重0.2 - 0.4キログラム。日本に分布するキツツキ科の構成種では最大種で、和名のクマ(「特大の」の意)の由来になっている。後頭の羽毛は伸長(冠羽)する。全身は黒い羽毛で被われ、英名(black woodpecker = 黒いキツツキ)の由来になっている。種小名martiusは「軍人の」の意で、黒い羽毛が軍服を連想させることに由来する。 虹彩は黄白色。嘴の色彩は黄白色で、先端が黒い。後肢の色彩は灰色や黒。 オスは頭頂から後頭にかけて赤い羽毛で被われる。メスは後頭のみ赤い羽毛で被われる。 以下の分類・分布はClements Checklist v2016・IOC World Bird List ver.7.1に、和名は日本鳥類目録 改訂第7版に従う。 Dryocopus martius martius (Linnaeus, 1758) クマゲラ ヨーロッパからカムチヤツカ半島にかけて、日本 Dryocopus martius khamensis (Buturlin, 1908) 中華人民共和国南西部(チベット含む) 日本では北海道では常緑針葉樹林・落葉広葉樹林・混交林などの様々な森林、東北地方では主にブナ林に生息する。 主にアリを食べる(1日あたり最高1,000匹)がその他の昆虫(キクイムシ類の幼虫で1日あたり最高900匹)、果実も食べる。主に枯れ木や切り株の内部にいる獲物を捕食する。冬季には生木内にいる獲物を食べる。雪中の切り株まで雪を掻き分け中にいるアリを捕食した例もある。 繁殖形態は卵生。大木や枯れ木に穴を空けた巣を作る。毎年同じ巣を利用することもあり、最大で同じ巣を6年利用した例がある。5月に1回に2 - 4個(主に3個)の卵を産む。雌雄交代で抱卵し、抱卵期間は12-14日。抱卵・育雛も雌雄ともに行うが、雛が孵化した直後や夜間はオスだけが抱卵・抱雛を行う。雛は孵化してから24-30日(6-7月)で巣立つ。 アイヌの間では「チプ・タ・チカップ」と(丸木舟を彫る鳥)と呼ばれ、ヒグマの居場所を教えたり道案内をする神として崇められていた。 D. m. martius クマゲラ 日本では森林伐採による営巣木・採食地の破壊、繁殖期の人の侵入による攪乱が懸念されている。日本では1965年に国の天然記念物に指定されている。 絶滅危惧II類 (VU)(環境省レッドリスト) クマゲラの形を模する「クマゲラマーク」は日本パークゴルフ協会の商標として登録されており、パークゴルフの発祥の地である北海道幕別町のカントリーサインにも描かれている。また、黒松内町のカントリーサインにはブナ林に生息するクマゲラが描かれている。 分布 イラスト(オス) 成鳥(木の外側)と巣から顔を出す雛 ^ a b c BirdLife International. 2016. Dryocopus martius. The IUCN Red List of Threatened Species 2016: e.T22681382A87301348. doi:10.2305/IUCN.UK.2016-3.RLTS.T22681382A87301348.en. Downloaded on 28 February 2017. ^ a b c 日本鳥学会「クマゲラ」『日本鳥類目録 改訂第7版』日本鳥学会(目録編集委員会)編、日本鳥学会、2012年、231頁 ^ a b c d e f 安部直哉 『山渓名前図鑑 野鳥の名前』、山と渓谷社、2008年、136頁。 ^ a b c d e 五百沢日丸 『日本の鳥550 山野の鳥 増補改訂版』、文一総合出版、2004年、118頁。 ^ a b c d e 加藤陸奥雄、沼田眞、渡辺景隆、畑正憲監修 『日本の天然記念物』、講談社、1995年、660-662頁。 ^ a b c d e f g h i 黒田長久監修 C.M.ペリンズ、A.L.A.ミドルトン編 『動物大百科8 鳥類II』、平凡社、1986年、148、150-151、154、162頁。 ^ a b c d 高野伸二 『フィールドガイド 日本の野鳥 増補改訂版』、日本野鳥の会、2007年、210-211頁。 ^ a b c d e 中村登流監修 『原色ワイド図鑑4 鳥』、学習研究社、1984年、50、190頁。 ^ a b c d e f g h 真木広造、大西敏一 『日本の野鳥590』、平凡社、2000年、493頁。 ^ 『小学館の図鑑NEO 鳥』、小学館、2002年、79頁。 ^ Clements, J. F., T. S. Schulenberg, M. J. Iliff, D. Roberson, T. A. Fredericks, B. L. Sullivan, and C. L. Wood. 2016. The eBird/Clements checklist of birds of the world: v2016. Downloaded from http://www.birds.cornell.edu/clementschecklist/download/. (Retrieved 28 February 2017). ^ Woodpeckers, Gill F & D Donsker (Eds). 2017. IOC World Bird List (v 7.1). doi:10.14344/IOC.ML.7.1. (Retrieved 28 February 2017) ^ a b c d e f 藤巻裕蔵 「クマゲラ」『レッドデータブック2014 -日本の絶滅のおそれのある野生動物-2 鳥類』環境省自然環境局野生生物課希少種保全推進室編、株式会社ぎょうせい、2014年、206-207頁。 ^ 高野伸二編 『山渓カラー名鑑 日本の野鳥 特装版』、山と渓谷社、1985年、372頁。 ^ キャラクター・ロゴマーク 公益社団法人日本パークゴルフ協会公式ページ。 クマゲラ属 鳥類天然記念物一覧 鳥類レッドリスト (環境省)
クマゲラ
カンムリワシ
カンムリワシ(冠鷲、Spilornis cheela)は、鳥綱タカ目タカ科カンムリワシ属に分類される鳥。 インド、インドネシア、スリランカ、タイ、中国南部(福建、広東、雲南など)、日本(八重山列島: 石垣島、西表島、与那国島)、ベトナム 全長55cm。全身の羽毛は褐色で、翼や腹面には白い斑点が入る。尾羽は白く、先端部の羽毛は黒い。後頭部に白い羽毛の混じる冠羽が生えることが和名や英名の由来。 幼鳥では、胸から腹にかけての羽毛、肩羽、雨覆羽が白から黄褐色で、生後第 2暦年頃から成羽への換羽が行われる。 湿地、水田、マングローブ林等に生息する。 食性は動物食で、両生類、爬虫類、甲殻類、昆虫類等を捕食する。特にヘビを好み、英名のCrested Serpent Eagle(カンムリヘビワシ、ただしヘビクイワシ科は別科)はこの食性に因む命名。南西諸島にはトビが生息しないため、トビと同じような生態的地位を占め、時には自動車に轢かれた小動物の死骸を食べることもある。樹上や電柱から獲物が通りかかるのを待ち、獲物を見つけると襲いかかる。通常のタカ類は空中から獲物に直接爪を立てる事が多いが、本種は一度獲物の傍に降り立って地上で攻撃することが多く、そのため狩りに失敗することも多い。 3-4月に樹上に木の枝を組み合わせた皿状の巣を作り、1個の卵を産む。抱卵日数は35日で、雌雄ともに抱卵する。雛は孵化してから60数日で巣立ちを終え、翌年の春に独立する。 従来、日本では繁殖が確認されていなかったが、1981年に写真家の宮崎学によって3巣の営巣が西表島で見つかり、八重山諸島での繁殖が確定された。 LEAST CONCERN (IUCN Red List Ver. 3.1 (2001)) ワシントン条約附属書II 絶滅危惧IA類 (CR)(環境省レッドリスト) 特別天然記念物 国内希少野生動植物種(種の保存法) - 1993年 第14循環(2002年2月-2009年3月)の時期には石垣島が大きく開発されたため、環境の変化がどのような影響を及ぼすか懸念されている。さらに人為的に持ちこまれた外来種である、オオヒキガエルやインドクジャクの増加による影響も同様に懸念されている。また、車の増加により、交通事故も多発している。 環境省では、1988年以来、数年に一度、特定の期日に石垣島及び西表島に生息しているカンムリワシの数をカウントする「カンムリワシ一斉カウント調査」を行っている。この調査では、2006年には石垣島で78羽、西表島で58羽、2012年には石垣島で110羽、西表島で78羽が確認されているが、確認個体数は天候等の条件によって異なるため、環境省那覇自然環境事務所は過去の調査結果と比べても生息個体数に大きな変化はないと推測している。ただし、石垣島・西表島ともに網羅的な生息数調査が行われたことがなく、生息数が減少しているのかも含めて、正確な実態は不明であるため、総数を把握するための生息数調査を望む声がある。 沖縄県石垣市の石垣やいま村や沖縄市の沖縄こどもの国では、保護され野生復帰が困難と判断されたカンムリワシが一般公開されている。 八重山民謡の「鷲ぬ鳥節」で歌われている。 八重山方言ではカンムリワシ(特に幼鳥)の美しい羽を「あやぱに」(綾羽)と呼び、カンムリワシ(特に幼鳥)のことも「あやぱに」と呼ぶ。「鷲ぬ鳥節」の歌詞で歌われるほか、「あやぱに」に因んで名付けられた事物に以下のものがある。 あやぱに - 石垣島で高校生が発見した小惑星。 株式会社あやぱに - 沖縄県石垣市にある石垣やいま村を運営する企業。 あやぱに - 八重山観光フェリーが運航する双胴の高速旅客船。 あやぱにモール - 沖縄県石垣市中心部にあるユーグレナモールの旧称。 石垣あやぱにボウル - 沖縄県石垣市にあるボウリング場。 石垣市大浜で行われる豊年祭の旗頭に書かれている。 沖縄県石垣島出身の元プロボクサー・具志堅用高の異名でもある。 1977年にプロ野球選手・王貞治が国民栄誉賞第1号を受賞した際、副賞として、カンムリワシの剥製が贈呈された。 『小学館の図鑑NEO 鳥』、小学館、2002年、41頁。 日高敏隆監修 樋口広芳、森岡弘之、山岸哲編 『日本動物大百科 第3巻 鳥類Ⅰ』 平凡社、1996年、163-164、166頁。 宮崎学著『鷲鷹ひとり旅』平凡社、1987年、93-100頁。 ^ 八重山列島での主な生息地は石垣島及び西表島であり、与那国島での記録は数例にとどまる。 ^ 佐野清貴「石垣島におけるカンムリワシの繁殖生態 (PDF) 」 、『Strix』第21巻、2003年、 141-150頁。 ^ 菊地正太郎、佐野清貴「竹富島におけるカンムリワシの観察記録」、『Bird Research』第3巻、2007年、 S7-S10、 doi:10.11211/birdresearch.3.S7、 NAID 130000060987。 ^ “カンムリワシ:交通事故で犠牲、増加”. 毎日新聞. (2012年5月11日). オリジナルの2012年5月10日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120510175925/http://mainichi.jp/select/news/20120511k0000m040125000c.html  ^ “カンムリワシ受難 交通事故か、今年3羽死ぬ”. 八重山毎日新聞. (2017年3月21日). http://www.y-mainichi.co.jp/news/31354/  ^ カンムリワシ一斉カウント調査について (PDF) 環境省 那覇自然環境事務所、2012年1月23日 ^ カンムリワシ一斉調査 過去最多の110羽確認、生息個体数に変化なし 八重山毎日新聞、2012年1月23日 ^ カンムリワシ生息数(総数)調査の要望 日本野鳥の会西表支部、2012年4月5日 ^ “カンムリワシ一般公開 環境省“飼育個体”は八重山初”. 八重山毎日新聞. (2008年5月10日). http://www.y-mainichi.co.jp/news/11027/  ^ a b “高校生が見つけた小惑星に「あやぱに」が命名される”. 石垣島天文台 (2015年6月5日). 2018年9月14日閲覧。 ^ 衆議院公害対策並びに環境保全特別委員会議事録 第84回国会議事録 1978年5月18日付参照 ^ 華僑華人與奧林匹克:日本“棒球之神”王貞治 - 華僑華人 人民網 カンムリワシ属 鳥類天然記念物一覧 カンムリワシ・リサーチ - カンムリワシを調査・救護している石垣・西表島の市民団体。 2006 IUCN Red List of Threatened Species BirdLife International 2004. Spilornis cheela. In: IUCN 2006. 2006 IUCN Red List of Threatened Species. CITES homepage ワシントン条約記載種、タクサリスト
カンムリワシ
シマフクロウ
シマフクロウ(島梟、Ketupa blakistoni)は、フクロウ目フクロウ科シマフクロウ属(ワシミミズク属に含める説もあり)に分類される鳥類。 K. b. blakistoni シマフクロウ 日本(北海道中部および東部)、ロシア(サハリン、千島列島南部) K. b. doerriesi 中華人民共和国北東部、朝鮮民主主義人民共和国、ロシア南東部 和名の「シマ」は北海道に分布(隔絶された地方)する事に由来する。 全長63-71cm。翼開長175-190cm。体重3.4-4.1キログラム。頭部には耳介状の長くて幅広い羽毛(羽角)が伸長する。尾羽は短い。踵から趾基部にかけて(ふ蹠)は羽毛で被われるが、趾は羽毛で被われない。全身の羽衣は灰褐色で、黒褐色の縦縞と細い横縞が入る。顔を縁取る羽毛(顔盤)は小型で黒い。翼は幅広い。 虹彩は黄色。嘴や後肢は灰黒色。 Ketupa blakistoni blakistoni (Seebohm, 1884) シマフクロウ Ketupa blakistoni doerriesi  海岸や河川、湖沼の周囲にある広葉樹林、混交林に生息する。ペアで縄張りを形成し生活する事が多い。 食性は動物食で、主に魚類(ウグイ、カレイ、サケなど)を食べるが両生類、甲殻類、鳥類、哺乳類(ウサギ、コウモリ、ネズミ、リスなど)なども食べる。魚類は主に浅瀬で捕食する。 繁殖形態は卵生。大木の樹洞や断崖の岩棚に巣を作り、2-3月に1-2個(主に2個)の卵を産む。メスのみが抱卵し、抱卵期間は約35日。雛は孵化してから約50日で巣立つ。幼鳥は巣立ってから1-2年は親の縄張り内で生活し独立する。生後3-4年で性成熟する。 種小名blakistoniはトーマス・ブラキストン(Thomas Wright Blakiston)への献名で、英名と同義。アイヌ語では、コタン・コロ・カムイ (kotan kor kamuy, コタン(集落)を護るカムイ) などと呼ばれる(呼び方は複数ある)。 開発による生息地の破壊および針葉樹の植林、水質汚染、漁業との競合、交通事故、生息地への人間による繁殖の妨害などにより生息数は激減している。日本では1971年に国の天然記念物、1993年に種の保存法施行に伴い国内希少野生動植物種に指定されている。 また1980年代から巣箱の設置、冬季の生簀による給餌、生息地を保護区や保護林に指定するなどの保護対策が進められている。繁殖成功数は増加しているものの、生息地が消失しているため生息数は上昇傾向にはない。 K. b. blakistoni シマフクロウ 絶滅危惧IA類 (CR)(環境省レッドリスト) 釧路市動物園の飼育個体 サッカーJリーグ、北海道コンサドーレ札幌のエンブレムは、シマフクロウをモチーフにしている。また、マスコットキャラクター、ドーレくんのモチーフもシマフクロウである。 ^ a b c 安部直哉 『山溪名前図鑑 野鳥の名前』、山と溪谷社、2008年、186-187頁。 ^ a b c d e 五百沢日丸 『日本の鳥550 山野の鳥 増補改訂版』、文一総合出版、2004年、88頁。 ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 小原秀雄・浦本昌紀・太田英利・松井正文編著 『動物世界遺産 レッド・データ・アニマルズ1 ユーラシア、北アメリカ』、講談社、2000年、100、199頁。 ^ a b c d e 真木広造、大西敏一 『日本の野鳥590』、平凡社、2000年、2000年、365頁。 シマフクロウ属 鳥類レッドリスト (環境省) ^ CITES homepage Appendices I, II and III ^ The IUCN Red List of Threatened Species BirdLife International 2008. Ketupa blakistoni. In: IUCN 2010. IUCN Red List of Threatened Species. Version 2010.3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 環境省 自然環境局 生物多様性センター ^ 文化庁 国指定文化財等データベース ^ 環境省 国内希少野生動植物種
シマフクロウ
ホオジロカンムリヅル
ホオジロカンムリヅル(頬白冠鶴、Balearica regulorum)は、鳥綱ツル目ツル科カンムリヅル属に分類される鳥。 アフリカ大陸南部 全長100cm。額の部分にビロード状の密生した羽毛、頭頂に麦わらを束ねたような冠羽を持つ(これが名前の由来)。頚部の羽毛は明るい灰色で、英名の由来になっていると思われる。 和名の通り、頬の部分は白い。しかし繁殖期になるとこの白い部分も赤く染まる。 カンムルヅル属の別種カンムリヅルとは、あまり形態に差が無いことから亜種とする説もある。 本属は従来の分類とSibley-Ahlquist鳥類分類において分類上の位置に変化はない。 池沼、湿地等に生息する。昼行性で、夜間は樹上で休む。草を積み上げた塚状の巣を作る。 食性は雑食で、昆虫類、節足動物、小型哺乳類、果実、種子等を食べる。地面を叩き驚いて飛び出した獲物を捕食する。 『原色ワイド図鑑4 鳥』、学習研究社、1984年、93項 ウガンダの国旗 ウガンダの国鳥。国旗の中央にホオジロカンムリヅル。 2006 IUCN Red List of Threatened Species BirdLife International 2004. Balearica regulorum. In: IUCN 2006. 2006 IUCN Red List of Threatened Species. CITES homepage ワシントン条約記載種、タクサリスト
ホオジロカンムリヅル
ヤンバルクイナ
ヤンバルクイナ(山原水鶏、Gallirallus okinawae)は、ツル目クイナ科ヤンバルクイナ属に分類される鳥類。 日本(沖縄島北部の大宜味村・国頭村・東村)固有種。 模式標本の産地はフエンチヂ岳。和名ヤンバルは沖縄島北部を指す呼称である山原に由来する。 1981年の数年前から山階鳥類研究所の研究者らは沖縄本島北部に位置する山原(やんばる)地域で種不明のクイナ類を目撃していた。1981年の調査で2羽を捕獲し(これらはいずれも形態の検討等の後放鳥された)、同時に入手された1羽の死骸(剥製標本)とあわせて検討された結果、学界に未知の新種であることが判明し、同年末に和名をヤンバルクイナ、学名をRallus okinawaeとして新種の記載論文が発表された。この剥製標本がホロタイプ標本とされた。これは玉城長正(国頭村鳥獣保護員)が与那の道路際で発見した死骸が、玉城に新種らしき鳥の死骸確保を頼んでいた高校教諭の友利哲夫により剥製化され、山階鳥類研究所に寄贈されたものである。 この「発見」の後になって、本種が以前から、地元の人々にアガチ、アガチャ(「慌て者」の意)、ヤマドゥイ(「山の鳥」の意)等の名で知られていたことが明らかになった。友利は「やんばるの森に(沖縄本島に生息しないはずの)キジがいるらしい」という噂も耳にしたと回想している。また、鳥声録音家、野鳥愛好家、写真家ほかによって録音、羽毛の拾得、生態写真の撮影等がなされていたことも判明した。 全長35センチメートル。翼長15 - 16センチメートル。翼開長48 - 50センチメートル。体重340 - 430グラム。上面の羽衣は暗オリーブ褐色、顔や喉の羽衣は黒い。耳孔を被う羽毛(耳羽)から頸部にかけて白い筋模様が入り、眼先に白い斑点が入る。頸部から腹部にかけての下面の羽衣は黒く、白い横縞が入る。尾羽基部の下面を被う羽毛(下尾筒)は黒褐色で、下尾筒の羽先は黄褐色がかった白色。体重と比較して翼の面積は小型で、翼を動かす筋肉も貧弱。初列風切内では第10初列風切が最も短い。 虹彩は赤い。眼瞼は赤橙色。嘴は太い。嘴の色彩は赤く、先端が白い。後肢は発達し太い。後肢の色彩は赤い。 卵は長径5センチメートル、短径3.5センチメートル。幼鳥は虹彩や嘴が褐色で、後肢は黄褐色。 1978年に与那覇岳で山階鳥類研究所員に発見されてから複数の目撃例があり、1981年に特別調査チームが編成され6月に幼鳥・7月に成鳥が捕獲された。発見後には現地での死骸の拾得例・写真撮影例・鳴き声の録音例・後述するように方言名が存在することなども判明した。 BirdLife Internationalでは2016年現在、本種をHypotaenidia属に分類している。 ムナオビクイナ、カラヤンクイナと近縁であると考えられている。 平地から標高500メートル以下にある主に下生えが繁茂した常緑広葉樹林に生息する。リュウキュウマツ林や採草地・海岸付近の民家周辺などで見られることもある。夜間になると樹上で休むが、これはヘビを避けるためだと考えられている。ほとんど飛翔することはできず、樹上6メートルの高さにいた個体がほぼ羽ばたかず約45度の角度で滑空した観察例がある。薄明薄暮時に鳴き声を挙げ、縄張りが隣接する個体同士で鳴き声を挙げ縄張りを主張する。 2016年に発表された主に交通事故死(16羽)した31羽の胃の内容物調査では、昆虫、腹足綱、ミミズ、果実、種子などが確認されている。この調査では81 %の個体でバンダナマイマイBradybaena circulus(21個)・オキナワヤマタニシCyclophorus turgidus(14個)などの腹足綱(計59個)が発見された。大型の腹足綱(巻貝類)は殻を割って軟体部のみを食べ、小型の巻貝類や殻が硬いヤマタニシ類は丸飲みにする(そのため胃の内容物調査では軟体部のみで消化されやすい大型腹足綱やミミズ類の割合が小さくなっている可能性が示唆されている)。アカメガシワやキキョウラン・ゴンズイ・ホウロクイチゴRubus sieboldii・ヤマモモ・イヌビワ類などの植物質では果皮があまり消化されていなかったため、本種が種子散布者となっている可能性が示唆されている。この調査対象となった交通事故死した個体では、アシジロヒラフシアリTechnomyrmex brunneusやオキナワハンミョウCicindela okinawana・アカメガシワなどのような道路などの開けた林縁に生息・自生する食物・ハナアブ類の幼虫のように有機汚濁の進んだ人為的な水場に生息する獲物を多く採食していたことが示唆されている。別の胃の内容物調査ではシロアゴガエルやヒメアマガエルが発見された例もある。本種の全長よりも長い全長58センチメートルのリュウキュウアオヘビを飲みこんだ個体の撮影・報告例がある。林床で採食を行うが、浅い水中で採食を行うこともある。 外部寄生虫として2005年に西銘岳で幼鳥2羽からシラミバエ科の一種Ornithoica exilisが採取された報告例がある。 繁殖様式は卵生。シダ植物や低木・草本が繁茂した地表に、枯れ葉などを組み合わせた皿状の巣を作る。3 - 5個の卵を産む。 方言名としてアガチー(せかせか歩くの意)・ヤマドゥイ(山鳥の意)・シジャドウイがある。 森林伐採・農地開発・林道やダム建設による生息地の破壊や分断、交通事故、側溝への雛の滑落による衰弱死、人為的に移入されたイヌやノネコ・フイリマングースなどによる捕食などにより生息数は減少している。増加したハシブトガラス、新たに移入されたタイワンスジオなどによる影響も懸念されている。1996 - 2001年に本種の生態を利用し録音した鳴き声を再生して反応の有無により生息状況を確認する方法(プレイバック法)を用いた調査では、1985 - 1986年の調査と比較して分布の南限が10キロメートル北上し分布域が約25 %減少しているという結果が得られた。特にマングースについては沖縄本島南部から分布が北上するのとヤンバルクイナの分布の南限が北上するのがきわめてよく一致していることから、本種の減少の主因であると考えられている。2000年に大宜味村・2005年に東村ではほぼ見られなくなり、連続的に分布するのは国頭村に限られた。1998年6月 - 2003年6月にかけて22羽の死亡報告例があり、そのうち16羽(年あたり平均3.4羽、死亡報告例の72.7 %)は交通事故が死因とされる。5 - 6月に交通事故による死亡が多い傾向にあり、これは繁殖期と重複することから雛に餌を与えるために活発に活動している・側溝に落下した雛の周囲で警戒している親鳥が交通事故に逢う可能性が高いことが示唆されている。2017年現在沖縄県のレッドデータでは絶滅危惧IA類と判定されている。5-6月に轢死による死亡例(ロードキル)が多いことも大きな問題で、巣立つ前の幼鳥に餌を与えるため親鳥が活発化することが原因だと考えられている。1995-2014年までに、交通事故確認件数が312件(うち278件死亡)されており、そのうち5月が75件(うち死亡69件)、6月が63件(うち死亡55件)と44%がこの時期に集中している。また、特に近年交通事故認知件数は増加傾向にあり、1998-2004年は年間1-6件だったものが、2014年は47件(うち死亡43件)発生している。 2000年度から沖縄県(2001年度には環境省も)による罠を用いたマングースやネコの駆除・捕獲が進められているが、完全駆除の目途はたっていない。マングースについては環境省や沖縄県によって専門の作業員による捕獲・北上を防止するための柵の設置・探索犬の導入などの対策が進められている。2005-2006年にかけては、マングースの北上を食い止めるために、沖縄本島の東西を横断するフェンス(北上防止柵)が、大宜味村塩屋湾から東村福地ダムを結ぶラインに設置された。ネコについては地方自治体によって適正飼育条例が制定されたり、獣医師が中心となりマイクロチップを埋め込むなどの対策が進められている。1999年には「やんばる野生生物保護センター」が設置された。2005年にNPOどうぶつたちの病院によって「ヤンバルクイナ救急救命センター」の運営が開始された。日本では1982年に国指定の天然記念物に指定されている。1993年に種の保存法施行に伴い国内希少野生動植物種に指定されている。 1985 - 6年の生息数は約1800羽と推定されている。2005年の生息数は720羽と推定されている。2005年には717羽。2010年の生息数は845 - 1,350羽と推定されている。2014年における生息数は1,500羽と推定されている。マングース防除事業等の進展に伴って、2011年以降、分布域及び生息数は回復傾向にあり、2013-4年の推定生息数は1,500羽前後と推定。近年生息が確認できなかった大宜味村北部山中や東村高江での生息が確認されてきている。ただし、分布域も不連続で未だ安定生息とは言えない状況にある。 2004年からは環境省で「ヤンバルクイナ保護増殖事業計画」が策定され、生態調査の実施や飼育下繁殖施設の建設が進められている。2009年からは飼育下繁殖法を確立させる試みが進められている。2015年現在の飼育個体数は68羽。繁殖については、1998年に沖縄県名護市のネオパークオキナワにて、野外から保護された卵からはじめて孵化に成功した他、2007年にNPO法人どうぶつたちの病院沖縄の施設にて卵の救護による育成個体同士による自然孵化及び人工孵化、また、環境省がヤンバルクイナ飼育・繁殖施設にて、2012年に4羽の自然孵化に成功。また、2014-5年には、ヤンバルクイナ救命救急センター(NPO法人どうぶつたちの病院沖縄所有)にて飼育下繁殖個体同士からの第2世代のヒナ3羽の孵化に成功している。 絶滅危惧IA類 (CR)(環境省レッドリスト) 和名は沖縄本島北部をヤンバル(山原)と呼ぶことに由来する。新種の記載に先立って、1981年に現地で捕獲調査を実施した山階鳥類研究所の調査チームの間では、和名として「ヤンバルクイナ」か「ヤンバルフミル(フミルはバンの地方名)」にしようという話し合いがなされていた。当時は「ヤンバル」という名前は一般的でない名称であったため、山階鳥類研究所の内部では「オキナワクイナ」という名称が相応しいという意見もあったが、「鳥の保護には地元の理解と協力が不可欠なので、それにはより具体的なヤンバルを名前に入れるのがよい」という判断から、最終的に「ヤンバルクイナ」という和名がつけられた。これ以前にも「ヤンバル」を冠した生物名称はあったが、全国的に広く知られるようになったのは本種の命名以来のことである。 ヤンバルクイナの発見は、沖縄においても大きく取り上げられ、その目立つ姿も手伝って話題となった。1987年の沖縄・海邦国体ではマスコットキャラクターのクィクィとして用いられた。また、これに前後してヤンバルテナガコガネが発見されたこともあり、沖縄はいわば新種ブームのようなものが起こるに至った。当時全日本ライトフライ級のプロボクサーであった渡嘉敷勝男は所属ジムの会長から「ヤンバルクイナ」の通称をつけられるなど、多くの場所で本種の名前が使用された。本種があまりに有名になったので、沖縄の県鳥だと思っている人も多いが、それはノグチゲラである。 沖縄県国頭郡国頭村安田にあるヤンバルクイナ生態展示学習施設 クイナの森において、野生では目にすることさえ難しいヤンバルクイナを目の前で観察する事ができる。 国頭村安田の学習施設で飼育されているヤンバルクイナは、卵で保護され人が身近にいる環境で育ったので人に対する警戒心が少なく、「キョンキョン」と命名された。 ^ a b BirdLife International. 2016. Hypotaenidia okinawae. The IUCN Red List of Threatened Species 2016: e.T22692412A93352408. doi:10.2305/IUCN.UK.2016-3.RLTS.T22692412A93352408.en. Downloaded on 02 September 2017. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag 原戸鉄二郎・小高信彦 「ヤンバルクイナ」『改訂・沖縄県の絶滅のおそれのある野生生物(レッドデータおきなわ)第3版-動物編-』、沖縄県文化環境部自然保護課編 、2017年、118-120頁。 ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 尾崎清明 「ヤンバルクイナ」『レッドデータブック2014 -日本の絶滅のおそれのある野生動物-2 鳥類』環境省自然環境局野生生物課希少種保全推進室編、株式会社ぎょうせい、2014年、44-45頁 ^ a b c d e f g h i j k l 山階芳麿・真野徹 「沖縄島で発見されたクイナ類の1新種」『山階鳥類研究所研究報告』第13巻 3号、財団法人山階鳥類研究所、1981年、147-152_3頁。 ^ a b c d e f g h i j 福田道雄 「ヤンバルクイナ」『世界の動物 分類と飼育10-II (ツル目)』黒田長久・森岡弘之監修、東京動物園協会、1989年、56、161頁。 ^ a b c d e f g h i j k l m 百瀬邦和 「ヤンバルクイナ」『動物世界遺産 レッド・データ・アニマルズ4 インド、インドシナ』小原秀雄・浦本昌紀・太田英利・松井正文編著、講談社、2000年、176頁。 ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 尾崎清明 「ヤンバルクイナ」『日本動物大百科 3 鳥類I』日高敏隆監修、平凡社、1996年、137-138、140頁。 ^ 無記名, 2004. ヤンバルクイナ 発見から現在まで. 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(山階鳥類研究所, 平成16年山階芳麿賞贈賞式・受賞記念講演とシンポジウム「?沖縄山原に生きる?ヤンバルクイナに明日はあるか」.山階鳥類研究所. p. 14.) ヤンバルクイナの減少(山階鳥類研究所ウェブサイト「ヤンバルクイナ その命名・生態・危機」)に同内容で転載。 ^ a b c d 小高信彦・澤志泰正 「ヤンバルクイナのロードキル」『山階鳥類学雑誌』第35巻 2号、財団法人山階鳥類研究所、2004年、134-143頁。 ^ 小高信彦, 2004. ヤンバルクイナの交通事故死. (山階鳥類研究所, 平成16年山階芳麿賞贈賞式・受賞記念講演とシンポジウム「?沖縄山原に生きる?ヤンバルクイナに明日はあるか」.山階鳥類研究所. p. 11.) ^ やんばる野生生物保護センターウフギー自然館 自己確認状況データ ^ 嘉数浩, 2006. ストップ・ザ・マングース ?沖縄本島北部地域生態系保全事業 マングース北上防止柵について?. しまたてい, 39: 28-31.[リンク切れ] ^ 国頭村ネコの愛護および管理に関する条例 ^ ねこの適正な飼養管理を推進するために(環境省, 2005)-「5.沖縄県やんばる地域でのモデル事業」の章がある。 ^ 国内希少野生動植物種一覧(環境省・2017年9月2日に利用) ^ 花輪伸一・森下恵美子, 1986. ヤンバルクイナの分布域と個体数の推定について. 昭和60年度環境庁特殊鳥類調査. pp. 43-61. ^ 尾崎清明・馬場孝雄・米田重玄・広居忠量・原戸鉄二郎・渡久地豊・金城道男, 2006. ヤンバルクイナの生息域と生息数の減少. 日本鳥学会2006年度大会講演要旨. ^ 平成27年1月ヤンバルクイナの概要1-環境省 ^ やんばる野生生物保護センター ウフギー自然館 ^ 那覇自然環境事務所-環境省 ^ NPO法人どうぶつたちの病院沖縄 ^ 那覇自然環境事務所-環境省-報道記者発表2015.4.10 ^ 無記名, 2004. “ヤンバルクイナ”名前の由来. (山階鳥類研究所, 平成16年山階芳麿賞贈賞式・受賞記念講演とシンポジウム「?沖縄山原に生きる?ヤンバルクイナに明日はあるか」.山階鳥類研究所. p. 14.) “ヤンバルクイナ”名前の由来(山階鳥類研究所ウェブサイト「ヤンバルクイナ その命名・生態・危機」)に同内容で転載。 ^ 「ヤンバルクイナの発見」絶滅の危機にある動植物たち - TBS Archived 2009年8月17日, at the Wayback Machine. ^ 沖縄・海邦国体マスコット「クィクィ」製作 - Bin企画(マスコット作成元) ^ 1981年(昭和56年)沖縄県内十大ニュース)1981年12月28日 琉球新報 ^ Yahoo!ニュース - クイズ - 沖縄の県鳥は?[リンク切れ] ヤンバルクイナその命名・生態・危機(山階鳥類研究所) シンポジウム 沖縄山原に生きる ヤンバルクイナに明日はあるか(山階鳥類研究所) おきなわカエル商会 ヤンバルクイナなどやんばるの森に生息する動植物の写真。ヤンバルクイナの鳴き声など 環境省やんばる野生生物保護センター(ウフギー自然館) ヤンバルクイナ生態展示学習施設 クイナの森 ネオパークオキナワ - ヤンバルクイナが展示飼育されている動物園 ヤンバルクイナたちを守る獣医師の会 沖縄・やんばる地区現地調査報告書(第二東京弁護士会環境保全委員会, 2004)- 沖縄やんばる地区での外来生物問題の現状把握のための現地調査報告書。 沖縄コカ・コーラなど、自販機を使ってヤンバルクイナの生態を調査 - 日経デザイン - 日経BP社 どうぶつたちの病院 - 沖縄県うるま市に本拠を置くNPO法人。ヤンバルクイナをはじめ、西表島(イリオモテヤマネコ)、小笠原諸島、対馬(ツシマヤマネコ)などの野生動物保護活動に取り組んでいる。
ヤンバルクイナ
ベニイロフラミンゴ
ベニイロフラミンゴ (Phoenicopterus ruber) は、オオフラミンゴやチリーフラミンゴと密接に関連するフラミンゴの1種である。以前はオオフラミンゴと同種であると考えられていたが、証拠の不足により不正確であるとして、現在は別種として広く扱われている (例えばアメリカおよびイギリスの鳥学会)。また、カリブフラミンゴ (Caribbean Flamingo) の名でも知られるが、ガラパゴス諸島に本種が生息することから、その名前には問題がある。ベニイロフラミンゴは北アメリカに自然生息する唯一のフラミンゴである。 ベニイロフラミンゴは、ガラパゴス諸島、コロンビア沿岸、ベネズエラおよび付近の島々、さらにガイアナやブラジルのオレンジ岬 (Cape Orange) で繁殖する。またメキシコのユカタン半島や、バハマ、イスパニョーラ島、キューバ、タークス・カイコス諸島がある西インド諸島(カリブ海)北部でも繁殖する。フロリダ州南部のほとんどの観察例は、通常かご抜け鳥と考えられるが、少なくともユカタン半島で足環をつけた1羽の幼鳥がエバーグレーズ国立公園で見つかっており、他はキューバからの迷鳥であることも考えられる。遠くからでは、慣れていないとベニヘラサギと混同することもある。 好む生息域は近縁種と似ており、塩性ラグーン、干潟、浅い塩性沿岸もしくは内陸の湖である。特有な生息地としては例えば、ユカタン半島の Petenes マングローブ生態地域などがある。 すべてのフラミンゴと同様、5-8月に、泥の堤に灰白色の卵を1つ産む。28-32日に孵化するまで抱卵し、性成熟期に達するまでの6年間、雌雄ともに若鳥を保護する。平均寿命は40年で、鳥類のうち最も長く生きるものの一つである。 全長120-140cm、体重は雄2.8kg、雌2.2kg。羽毛はほとんど桃紅色で、以前には Rosy Flamingo とも名付けられ、成鳥でははるかに淡色なオオフラミンゴと見分けられる。雨覆羽は赤色で、初列および次列風切羽は黒い。くちばしは桃紅色と白色で先が黒色で、足はすべて桃紅色。鳴き声はガチョウのように聞こえる。 ^ University of Florida, Florida's Wading Birds: "Flamingos may be confused with the Roseate Spoonbill for a variety of reasons. Both species have relatively long legs, long necks, and pinkish plumage. Both also sift through the water with their bills when feeding. Despite these similarities, the two species are unrelated. The easiest ways to tell the two species apart are by the dark outer wing feathers (primaries) on the flamingo and both species' distinctive bill shapes." ^ Smithsonian Marine Station: "From a distance, [the roseate spoonbill] can be confused with the [flamingo], due to the similarity of body color in both species. However, the roseate spoonbill is generally smaller than the flamingo, with a shorter neck, and a longer, spoon-shaped bill." ^ World Wildlife Fund. 2010. Petenes mangroves. eds. Mark McGinley, C.Michael Hogan & C. Cleveland. Encyclopedia of Earth. National Council for Science and the Environment. Washington DC BirdLife International (2008年). "Phoenicopterus ruber". IUCN Red List of Threatened Species. Version 2008. International Union for Conservation of Nature. 2008年5月12日閲覧.  Check date values in: |access-date=, |date= (help)CS1 maint: Uses authors parameter Database entry includes justification for why this species is of least concern Studer-Thiersch, A. 1975. Die Flamingos. pp. 239–245 in: B. Grzimek (editor): Grzimeks Tierleben. Vol. 7/1 Vögel. DTV (1980) München, nach Kindler Verlag AG Zurich 1975-1977. Caribbean Flamingo from the IUCN/Wetlands International Flamingo Specialist Group Flamingo Resource Centre - a collection of resources and information related to flamingos 3D computed tomographic animations showing the anatomy of the head of the Caribbean Flamingo
ベニイロフラミンゴ
ゾロアスター教
ゾロアスター教(ゾロアスターきょう、ペルシア語: دین زردشت‎ Dîn-e Zardošt、ドイツ語: die Lehre des Zoroaster/Zarathustra、英語: Zoroastrianism、中国語:祆教(けんきょう・シェンジャオ/xiān jiào))は、古代ペルシアを起源の地とする善悪二元論的な宗教である。『アヴェスター』を根本経典とする。 イラン高原にいた古代アーリア人の宗教は、神官・戦士・農民などの階級制度を持ち、ミスラやヴァーユなど様々な神を信仰する多神教であった。このアーリア人の宗教を基に、ザラスシュトラ(ゾロアスター、ツァラトゥストラ)がアフラ・マズダーのみを信仰の対象として創設したのがゾロアスター教である。紀元前6世紀にアケメネス朝ペルシアが成立したときには、すでに王家と王国の中枢をなすペルシア人のほとんどが信奉する宗教であったといわれている。これに対して、3世紀にササン朝ペルシアが成立するまで、長らくアーリア人の宗教の一派に過ぎなかったとする見方もある。このため21世紀初頭のゾロアスター研究では、古代アーリア人の諸宗教を記述することでアーリア人の民族宗教研究に奥行きを持たせようとする傾向がある。 紀元前3世紀に成立したアルサケス朝のパルティアでもヘレニズムの影響を強く受けつつアフラ・マズダーへの信仰は守られ、3世紀初頭に成立した、後続するサーサーン朝でも国教とされて王権支配の正当性を支える重要な柱とみなされた。サーサーン朝時代には経典『アヴェスター』が整備された。 ゾロアスター教は、活発なペルシア商人の交易活動によって中央アジアや中国へも伝播していった。 7世紀後半以降、イスラム帝国の軍事侵攻とペルシア人のムスリム化によってペルシアのゾロアスター教は衰退し、その活動の中心はインドに移った。17世紀以降のイギリスのアジア進出のなかで、イギリス東インド会社とインドのゾロアスター教徒とのあいだで関係が深まり、現在もきわめて少数派ながらインド社会で少なからぬ影響力を保持している。 ゾロアスター教は光(善)の象徴としての純粋な「火」(アータル、アヴェスタ語: ātar‎)を尊ぶため、拝火教(はいかきょう)とも呼ばれる。ゾロアスター教の全寺院には、ザラスシュトラが点火したといわれる火が絶えることなく燃え続けており、寺院内には偶像はなく、信者は炎に向かって礼拝する。中国では祆教(けんきょう)とも筆写され、唐代には「三夷教」の一つとして隆盛した。他称としてはさらに、アフラ・マズダーを信仰するところからマズダー教の呼称がある。ただし、アケメネス朝の宗教を「ゾロアスター教」とは呼べないという立場(たとえばエミール・バンヴェニスト)からすると、ゾロアスター教はマズダー教の一種である。また、この宗教がペルシア起源であることから、インド亜大陸では「ペルシア」を意味する「パーシー(パースィー、パールシー)」の語を用いて、パーシー教ないしパールシー教とも称される。 今日、世界におけるゾロアスター教の信者は約10万人と推計されている。インドやイラン、その他、欧米圏にも信者が存在するが、それぞれの地域で少数派の地位にとどまっている。 ゾロアスター教の教義は、善と悪の二元論を特徴とするが、善の勝利と優位が確定されている宗教である。一般に「世界最古の一神教」と言われている。 世界最古の預言者といわれるザラスシュトラ(ゾロアスター、ツァラトストラ)は、紀元前1600年頃から紀元前600年頃にかけて生きた人といわれるが、その生涯の詳細についてはよくわかっていない。しばしば、ゾロアスター教の創始者といわれ、「ゾロアスター教」の呼称も彼の名に由来するが、その活動には今なお不明なところが多い。 ゾロアスター教発祥の地と信じられているのが、古代バルフ(Balkh、ダリー語・ペルシア語:بلخ Balkh)の地である。バルフは現在のアフガニスタン北部に所在し、ゾロアスター教の信徒にとっては、ザラスシュトラが埋葬された地として神聖視されてきた。 ゾロアスター教で最重要の儀式とされるのがジャシャンである。これは、「感謝の儀式」とも呼ばれ、物質的ないし精神的世界に平和と秩序をもたらすものと考えられている。ゾロアスター教徒は、この儀式に参加することによって生きていることの感謝の意を表し、儀式のなかでも感謝の念を捧げる。ゾロアスター教の祭司は、白衣をまとい、伝統的な帽子をかぶり聖火を汚さぬよう白いマスクをして儀式に臨む。ここでは清浄さがあくまでも求められるのである。 また、ゾロアスター教への入信の儀式がナオジョテ(ナヴヨテ)である。ナオジョテがおこなわるのは7歳から12歳ころまでにかけてで、儀式では、入信者は純潔と新生の象徴である白い糸(クスティ)と神聖な肌着(スドラ)を身につけ、教義と道徳とを守ることを誓願する。 ゾロアスター教の守護霊は、「プラヴァシ」と呼ばれている。プラヴァシは善をあらわし、また、この世の森羅万象に宿り、あらゆる自然現象を起こす霊的存在として、ゾロアスター教における神の神髄をあらわしていると考えられており、善のために働き、助けを求めている人を救うであろうと信じられている。 ゾロアスター教の礼拝は、「火の寺院」と称される礼拝所でおこなわれる。寺院は信者以外は立入禁止となっており、信者は礼拝所に入る前、手と顔を清め、クスティと呼ばれる祈りの儀式をおこなう習わしとなっている。クスティののち履物を脱いで建物に入り聖火の前に進んで、その灰を自分の顔に塗って聖なる火に対して礼拝を捧げるのである。 ゾロアスター教の葬送は、鳥葬ないし風葬であり、今日ではあまり見られない風習のひとつである。この葬送は、遺体を棺などに埋納せずに野原などに放置し、風化ないし、鳥がついばむなど自然に任せるというもので、そのための施設が設けられることもある。この施設は一般に「沈黙の塔」(ダフマ)と呼ばれ、屋根を設けず、石板の上に死者の遺体を置き、上空から鳥が降下して死体をついばむことのできる構造の建物となっている。ゾロアスター教の教義によれば、人間はその肉体もアフラ・マズダーはじめとする善神群の守護のもとにあるのだから、清浄な創造物である遺体に対して不浄がもたらされることのないよう、鳥葬ないし風葬がなされると説明されている。 ゾロアスター教では、自分の親、子、兄弟姉妹と交わる最近親婚を「フヴァエトヴァダタ」と呼んで最大の善徳としており、聖典『アヴェスター』のウィーデーウ・ダート(英語版)(除魔の書)などでその教義が説かれる。アケメネス朝時代の伝承を綴った『アルダー・ウィーラーフの書(英語版)』では、ニーシャープールの聖職者ウィーラーフの高徳の中で、最も称賛されるのが七人の姉妹と近親婚を実行したこととされる。また、彼は冥界の旅の中で天国で光り輝く者達を見たが、その中に住まう者として近親婚を行った者の姿があった。反対に、近親婚を破算にした女が地獄で蛇に苛まれている記述があり、その苦痛は永遠に続くという。ゾロアスター教の影響下にあった古代ペルシャでは、王族、僧侶、一般の人々など階級の区別なく親子・兄弟姉妹間の近親婚が行われていた。 ゾロアスター教の教義の最大の特色は、善悪二元論と終末論である。経典『アヴェスター』によれば、世界は至高神であるアフラ・マズダー、およびそれに率いられる善神群(アムシャ・スプンタ)と大魔王アンラ・マンユ(アフリマン)および悪神群の両勢力が対峙し、互いに争う場であり、生命・光と死・闇との闘争であるとされる。なお、ゾロアスター教の影響を受けたマニ教は、やはり徹底した二元論的教義を有しており、宇宙は光と闇、善と悪、精神と物質のそれぞれ2つの原理の対立にもとづいており、光・善・精神と闇・悪・肉体の2項がそれぞれ画然と分けられていた始原の宇宙への回帰と、マニ教独自の救済とを教義の核心としている。 ザラスシュトラによれば、最初に2つの対立する霊があり、両者が相互の存在に気づいたとき、善の霊(知恵の主アフラ・マズダー)が生命、真理などを選び、それに対してもう一方の対立霊(アンラ・マンユ)は死や虚偽を選んだ。これにより、善悪2神の抗争の場である、この世界がかたちづくられた。 アフラ・マズダーは、ゾロアスター教の主神で、みずからの属性を7つのアムシャ・スプンタ(七大天使、不滅なる利益者たち)という神々として実体化させ、天空・水・大地・植物・動物・人・火の順番で創成した、世界の創造者である。 アフラ・マズダーを補佐する善神(アムシャ・スプンタ)としては、次の7神がある。 スプンタ・マンユ : 「聖霊」を意味する人類の守護神で、アフラ・マズダーと同一視されることもある。 ウォフ・マナフ : 「善なる意思」を意味し、動物界の統治者でアフラ・マズダーのことばを人類に伝達する役割をになっている。常に人間の行為を記録しており、やがて訪れる「最後の審判」でその記録を詠みあげるとされる。 アシャ・ワヒシュタ(アシャ) : 「宇宙を正しく秩序づける正義」に由来し、天体の運行や季節の移り変わりをつかさどる。「聖なる火」の守護神。虚偽の悪魔ドゥルジに対峙する。 スプンタ・アールマティ : 代表的な女神(女性天使)。「献身」「敬虔」の名の通り、宗教的調和や信仰心の強さ、さらに信仰そのものを顕現する。大地の守護神となっており、「背教」と「推測」の悪魔タローマティと対立する。 クシャスラ(フシャスラ・ワルヤ) : 「理想的な領土ないし統治」に由来し、「天の王権」を象徴する。アフラ・マズダーによる「善の王国」建設のために尽力する。金属ないし鉱物の守護神。 ハルワタート : 「完璧」を意味する女性の大天使。アムルタートとは密接不可分とされる。水の守護神。 アムルタート : 主神アフラ・マズダーの子で、名は「不死」に由る。植物の守護天使で、ハルワタートと力を合わせて地上に降雨をもたらす。 また、善神の象徴は炎とされ、そこから火の崇拝が生まれている。 悪神アエーシュマの影響で成立したと考えられる。 善神と対峙する悪魔は、以下の通りである。 アンラ・マンユ 別名:アフリマン、アーリマン : ゾロアスター教における大魔王である。虚偽、狂気、凶暴、病気など、あらゆる悪や害毒を創造する。 アエーシュマ : 怒りと欲望を司り、人間を悪行にいざなう。天使スラオシャとは対立関係にある。 アジ・ダハーカ : 3頭3口を有し、口からは毒を吐き出す。残忍でずる賢く、地上にあっては人間の姿をして善人をそそのかす悪魔である。 ジャヒー : 女悪魔で売春婦の支配者。婦人に月経の苦しみをあたえたとされる。 タローマティ : アヴェスター語で「背教」を意味する。女性天使アールマティと対立関係にある。 ドゥルジ : 疫病をもたらす女の悪魔。天体運行をになうアシャとは対立関係にある。 バリガー : 女悪魔の総称。ドゥルズーヤー、クナンサティー、ムーシュは、そのなかでも「三大バリガー」として恐怖の対象となった。 ゾロアスター教の歴史観では、宇宙の始まりから終わりまでの期間は1万2千年とされ、3千年ずつ4つに区切られ、「(霊的+物質的)創造(ブンダヒシュン)」「混合(グメーズィシュン)」「分離(ウィザーリシュン)」の3期に分けられ、現在は「混合の時代」とされる。アフラ・マズダーによる「創造」によって始まった「創造の時代」は完璧な世界であったが、アンラ・マンユの攻撃後は「混合の時代」に入り、善悪が入り混じって互いに闘争する時代となる。 ゾロアスター教では、善神群と悪神たちとの闘争ののち、最後の審判で善の勢力が勝利すると考えられており、その後、新しい理想世界への転生が説かれている。そして、そのなかで人は、生涯において善思、善語、善行の3つの徳(三徳)の実践を求められている。人はその実践に応じて、臨終に裁きを受けて、死後は天国か地獄のいずれかへか旅立つと信じられた。この来世観は、のちの後期ユダヤ教やキリスト教、さらにはイスラームへも引き継がれた。 世界の終末には総審判(「最後の審判」)がなされる。そこでは、死者も生者も改めて選別され、すべての悪が滅したのちの新世界で、最後の救世主によって永遠の生命をあたえられる。こうした、最後の審判や救世主の登場などの教義もまた、数多くの宗教に引き継がれたのである。 ゾロアスター教は、古代のアーリア人が古くから信仰してきた自然崇拝の宗教を母体としていると考えられ、また、それを体系化していったのがザラスシュトラであると考えられる。古代アーリア人の天の神ヴァルナの信仰は、ザラスシュトラらによって道徳的意味を付与されアフラ・マズダーという宇宙創造の至高神の地位をあたえられた。ゾロアスター教においては、火のみならず、水、空気、土もまた神聖なものととらえられている ゾロアスター教の聖典とされるのが『アヴェスター』である。サーサーン朝期に編纂されたと考えられる『アヴェスター』は、ザラスシュトラの言葉と彼の死後に叙述された部分とによって構成され、全部で21巻あるとされ、約4分の1が現存している。この時代に『アヴェスター』が書かれたのは、キリスト教・仏教・マニ教など明確な教義と啓典を持った宗教が台頭し、それらと対抗する必要があったためである。また、この頃にはザラスシュトラの時代に使われていた古の呪術が、既に当時の知識人の知的好奇心を満たせるものではなくなっていたことも、聖典整備の一因となったとされている。 『アヴェスター』は、 「ヤスナ(英語版)」 : 大祭儀で読唱される神事書・祭儀書。全72章 「ウィスプ・ラト(英語版)」 : ヤスナの補遺。小祭儀書 「ウィーデーウ・ダート(英語版)」 : 除魔書 「ヤシュト(英語版)」 : 神頒歌 「クワルタク・アパスターク」 : 小賛歌・小祈祷書 その他逸文 のみが現存している。 以上のうち「ヤスナ」72章のうち17章は「ガーサー(英語版)」と呼ばれ、ザラスシュトラ自作の韻文と信じられており、現存する啓典のうち最古期の成立である。 『アヴェスター』は、アケメネス朝時代の古代ペルシア語とは異なる言語(ガーサー語・古代アヴェスター語)によって、1200枚の牛の皮に筆録されていたという。 大部分がアケメネス朝滅亡の際にいったん失われ、のちのパルティア時代とサーサーン朝時代に補修と復元が試みられた。3世紀のサーサーン朝時代、当時の中世ペルシア語(パフラヴィー語)への翻訳がなされ、以後、正典として『ゼンダ・アヴェスタ』と称された。古代アヴェスター語をパフラヴィー文字に書き換えるとき、表記できない音が合ったため、キリスト教パフラヴィー文字やギリシア文字を借用して、新たにアヴェスター文字が作られた。アヴェスター語の方が遥かに古いものの、表記用の文字が発明されたのはパフラヴィー語の後塵を拝した。 『アヴェスター』は、イスラーム時代にその約4分の3が失われたと伝えられ、教義の詳細や教団組織の全容を解明することはなかなかの難事である。ただし、「ガーサー」に示された「最後の審判」「天国と地獄」などの終末論的世界観が、後期ユダヤ教やキリスト教に影響を与え、死者にとって最後の結界の場である「チンワト橋(英語版)」を教義のなかで設定していることは、仏教における「転生」思想の形成プロセスを考慮するうえでも非常に示唆に富むできごとといえる。総じて、創造神であり最高の善神であるアフラ・マズダーへの信仰に基づく、究極の善悪二元論としての神義論の思想で一貫した啓典であるといえる。 また、古代メソポタミア・古代エジプト・古代ギリシャの信仰が失われた今日、ゾロアスター教はヒンドゥー教とともに現存する世界最古の体系的宗教、経典宗教とも言われる。ただし、聖典の確立と明確な教義の整備という点では、後発のキリスト教・仏教・マニ教などに数世紀の遅れをとった。 ザラスシュトラ以前のアーリア人(インド・イラン語派)の信仰においても、すでに「三大アフラ」として叡智の神アフラ・マズダー、火の神ミスラ、水の神ヴァルナが存在していた。そのため、単にアフラ・マズダーまたはミスラを信仰しているというだけでは、厳密にいえば、ゾロアスター教徒とはいえない。 「異教時代」と呼ばれる過去のイラン人と区別するための判断基準は、ゾロアスター教の信仰告白であるフラワラーネにあらわれている。そこでは5つの条件が挙げられている。すなわち、 アフラ・マズダーを礼拝すること。 ゾロアスターの信奉者であること。 好戦的で不道徳な神ダエーワと敵対すること。 アフラ・マズダーが創造した偉大な7つ(ないし6つ)の存在アムシャ・スプンタ(「聖なる不死者」)を礼拝すること。 すべての善をアフラ・マズダーに帰すること。 である。 この5つに加えてさらに、アフラ・マズダーを、創造主ととらえたことが、従来のインド・イランの信仰と著しく異なる点である。 ゾロアスター教の開祖ザラスシュトラ・スピターマの活動やゾロアスター教の成立に関しては、不明なところが少なくない。ザラスシュトラはイラン高原北東部のハエーチャスパ族の神官一家に生まれ、伝統的なインド・イラン語派の宗教に精通した知的エリートであったと思われる。しかし、ザラスシュトラは古代アーリア人の宗教に反旗を翻し、放浪の旅に出た。 ザラスシュトラは、アフラ・マズダーの使者であり、神の啓示を伝える預言者としてこの世に登場し、善悪二神の争いの場であるこの世界の真理を解き明かすことを使命としていることを主張した。上述のようにザラスシュトラは、最初に2つの対立する霊があり、両者がたがいの存在に気づいたとき、善の霊アフラ・マズダーは生命と真理を選び、対立霊アンラ・マンユは死や虚偽を選んだと説いた。 彼によれば、知恵の主アフラ・マズダーは、戦いが避けられないことを悟り、戦いの場とその担い手とするためにこの世界を創造した。その創造は天・水・大地・植物・動物・人間・火の7段階からなった。それぞれの被造物はアフラ・マズダーの7つの倫理的側面により、特別に守護された。それに対してアンラ・マンユは大地を砂漠に、大海を塩水にし、植物を枯らして人間や動物を殺し、火を汚すという物理的な攻撃を加えた。しかしアフラ・マズダーは世界を浄化し、動物や人間を増やすなど、不断の努力でアンラ・マンユのまき散らす衰亡・邪悪・汚染などの害悪を、善きものに変えていった。このように、ザラスシュトラは、歴史とは創造された「この世界」を舞台とした2つの勢力の戦いであるという理解を示しており、このような歴史把握は、初期キリスト教の神学者であるアウグスティヌスの唱えた「神の国論」に先がけた歴史観といえる。 善悪の抗争では最終的には善が勝利すると信じられる。上述のように、ゾロアスター教によれば歴史は「創造」「混合」「分離」の3期に分かれ、現在は「混合の時代」である。創造神アフラ・マズダーの「創造」によって始まった時代(「創造の時代」)は完璧な世界だったが、悪神たちの攻撃後「混合の時代」に入り、善悪が入り混じって互いに闘争する時代となる。ここにあって、全ての人間は人生においてこの戦いに否応なく参加することになり、アフラ・マズダーやアムシャ・スプンタを崇拝して悪徳を自らの中から追い出し、善が勝つように神々とともに悪に打ち克つ努力をしなければならない。死後、楽土へ向かう「チンワト橋(選別者の橋)」でミスラの審判を受けて善行を積んできたものは楽土(天国)へ渡ることができ、一方、悪を選んだものは橋から落ちて地獄に向かう。そして将来的には「治癒」(フラショー・クルティ、フラシェギルド)と呼ばれる善の勝利と歴史の終末が起こり、それ以後の「分離の時代」には悪と善は完全に分離し、アンラ・マンユと悪を選んだ者たちは消滅し、世界は再び完璧で理想的なものとなって、「分離の時代」は永遠に続くと考えられた。 しかし、ザラスシュトラ自身は従兄のマドヨーイモーンハしか信徒を獲得できずにいた。ところが42歳の時、ナオラタ族の王カウィ・ウィーシュタースパに登用され、宰相とも婚姻関係を結び世俗的権力基盤を手に入れた。この際、伝統的なアーリア人の宗教の神官たちは宮廷から追放されたとも言われている。周辺部族はナオラタ族が新興宗教に改宗したことに反発し、戦争が発生したと伝えられている。 後世の記録によればザラスシュトラは礼拝中に殺害された。既存の宗教・政治勢力を覆したため恨みを買う要素は大いにあったと思われる。ザラスシュトラの死後、娘婿のジャマースパが教団を引き継ぎ、ザラスシュトラの急進的な教義をより伝統的なアーリア人の宗教寄りに修正した。 その後、ナオラタ部族国家は歴史から姿を消した。ゾロアスター教団は世俗的基盤を失い、弱い立場に立たされたと見られている。歴史資料にザラスシュトラが登場するのは、紀元前5世紀のギリシア語文献に「偉人ゾロアストレス」として言及されるまで待たなければならない。 他宗教への影響と同様に、同時代の政治に対してゾロアスター教の影響がどれほどであったかについても、研究者によって意見が分かれている。古代にあっては一般に、政治と宗教はたがいに密接な関連性を有していたため、他宗教に対する影響が大きいと考える研究者ほど、その政治的影響も強かったと考える傾向にある。歴代王朝の下にあってゾロアスター教は常に「国教」のような役割をになったと考える研究者もいるが、見解は統一されていない。 アケメネス朝ペルシア(紀元前550年-紀元前330年)は史上初めてイラン高原とメソポタミア平原の両方を支配し、政治的な中央集権体制と文化的な地方分権を敷いた。アケメネス朝の大王たちはアーリア人の宗教を信仰していた形跡があるが、その一派であるザラスシュトラの教え(ゾロアスター教)に帰依していたかどうかには議論がある。青木健は、古代アーリア人の諸宗教とゾロアスター教の境界は曖昧であり、サーサーン朝の成立までは、そのどちらとも受け取れるような諸宗教が人びとに幅広く受容されていたとしか言えないと指摘している。 アケメネス朝の歴代の大王たちが、ザラスシュトラの教え(ゾロアスター教)に帰依していたとする根拠には以下のものがある。 アケメネス朝第3代の王ダレイオス1世は多くの碑文を残したが、自ら「アフラ・マズダーの恵みによって、王となりえた」と記し、神権授受を意味する告知がなされている。 ペルセポリスのダレイオスの宮殿には有翼のプラヴァシの姿やアフラ・マズダーのシンボルを刻んだ浮彫彫刻(レリーフ)が施されている。 「聖なる火」の祭壇の遺跡が多数存在する。 これらの根拠に対して、以下のような反論も提出されている。 多くのレリーフはダレイオス1世が「マズダー教徒」であった証拠にはなるが、「ゾロアスター教徒」であった証拠とはならない。すなわち、アケメネス朝時代の遺構や遺物はアフラ・マズダー信仰を示唆するものでしかない。 火の祭壇は、ザラスシュトラ以前からアーリア人の宗教で用いられる。 アケメネス朝の古代ペルシア語の碑文にはザラスシュトラの名が1度も現れない このようなことから、ゾロアスター教がアケメネス朝の「国教」であると断定することには慎重でなくてはならない。ただ、初代の王であるキュロス大王が「ユダヤ人のバビロン捕囚からの解放者」と見なされるように、アケメネス朝は、異民族の宗教に対して寛容な姿勢を示した。したがって、仮にゾロアスター教がアケメネス朝の「国教」であったとしても「支配者の宗教」という意味に限定される。アケメネス朝では、帝国に帰属する多様な諸民族の各宗教に対して一定の自由が保障され、アケメネス朝支配下のユダヤ人は独自の「シンクレティズム」的宗教思想を育むことが可能であったと考えられている。この流れはユダヤ教の一派エッセネ派の隆盛につながり、ユダヤ教を母体としたキリスト教もこれらを継承したといわれる。アケメネス朝時代のギリシャにおけるピタゴラス教団、オルフェウス教、さらに、ペルシャ高原東部では大乗仏教の伝播にともない弥勒菩薩への信仰と結びつき、マニ教もまたゾロアスター教の影響を強く受けた。イスラームもまたマニ教と並んで、ユダヤ教・キリスト教を通じてゾロアスター教の影響も受けており、イスラームの啓典『クルアーン』(コーラン)にもゾロアスター教徒の名が登場する。 なお、同時代のギリシャの歴史家ヘロドトスは、「ペルシア人はこどもに真実を言うように教える」「ペルシア人は偶像をはじめ、神殿や祭壇を建てるという風習をもたない」と記している。しかし、古代メソポタミアにおけるイシュタル信仰がペルシアにも影響してアナーヒター信仰へと同一視されるようになったのも、アケメネス朝の時代である。アケメネス朝期には、アナーヒターの偶像を置いた神殿が築かれる一方、それまで竈の火を日々の儀式に使い、祭礼では野外に集まっていたペルシャ人も、メソポタミアの偶像と神殿をともなう信仰に対抗して、火を燃やす常設の祭壇を設けた特別な建物を造るようになった。やがて、こうした火や建物が神聖視されるのである。 アケメネス朝はインド亜大陸にも勢力を広げ、この地域にもアーリア人の宗教が広まったと見られている。 アケメネス朝はマケドニア王国のアレクサンドロス3世(大王)によって滅ぼされ、大王のディアドコイ(後継者)、セレウコス1世によるギリシャ人王朝がシリアからメソポタミア、ペルシアにかけて、セレウコス朝(紀元前312年-紀元前63年)が成立した。パレスティナからメソポタミア、イランにかけて「ヘレニズム」の影響がおよんだ。後のグノーシス主義や洗礼教団の起源となる「救済者」(メシア)の教理が流布されたのである。ゾロアスター教は、元来は寺院や偶像崇拝を認めなかったが、ギリシア文明やインド文明の影響で受容するように変化した。 紀元前3世紀、セレウコス朝は大きく後退し、アルサケス朝によってイラン高原北東部にペルシア人帝国であるパルティア王国が建国された(紀元前247年-紀元後226年)。パルティアの王たちはアーリア人の宗教を信仰していた。しかしパルティアの宗教資料は乏しく、「ゾロアスター教」と称しうる宗教が信仰されていたかは、なおも見解が分かれる。 青木健は、隣国アルメニア王国の宗教とパルティアの宗教が非常に近いものであったと指摘している。青木はアルメニアの宗教を分析し、〈アラマズド=アフラ・マズダー〉が「すべての父」と称されて尊崇対象となっている点ではゾロアスター教のようにもみえると前置きしながらも、ヤシュトの段階でやっと復権した〈ヴァハグン=ウルスラグナ〉や〈ミフル=ミスラ〉が非常に重要な地位を占め、宗主国ローマの皇帝をミスラになぞらえている点は重要であるとしている。そのため、アルメニア的ゾロアスター教≒パルティア的ゾロアスター教の主神はむしろミスラであり、厳密には「ゾロアスター教」でなく「ミスラ教」と称すべき信仰であったと論じている。 この頃、ペルシア州でザラスシュトラの教えとイラン高原北西部のマゴス神官団の宗教思想が融合し、「ペルシア的ゾロアスター教」が成立した。 パルティアを倒したサーサーン朝(226年-651年)は、ペルシア州の拝火神殿の神官団出身で、ゾロアスター教団と密接な関連があった。サーサーン朝はゾロアスター教を正式に「国教」と定め、それ以外のアーリア人の宗教を邪教として弾圧した。そして従来の宗教政策を一変させ、ゾロアスター教の儀礼や教義を統一させた。その時、異端とされた資料は全て破棄された。他宗教も公式に禁止された。サーサーン朝は、その支配の正統性をアケメネス朝の後継者という地位とゾロアスター教に求めた。そして非イラン的な異邦人の王朝アルサケス朝を倒して伝統的信仰を復興したのだと主張した。実際にはパルティア時代の大貴族の多くがサーサーン朝時代にも大きな力を持ち続け、サーサーン朝の政治機構・文化・社会は多くの点でパルティア王国を継承したものであったが、このアケメネス朝-サーサーン朝を正統とする歴史観は後世のイラン世界にも大きな影響を残った。 サーサーン朝の建国者アルダシール1世に仕えた祭司長タンサールの元でゾロアスター教は体系化され、正典と統一的な教会組織が形成されたといわれている。サーサーン朝期においては、諸王が発行する貨幣の裏面に拝火壇が刻印されるようになり、ゾロアスター教が世俗支配のうえでも重要な役割をになうようになったものと推測される。 3世紀前葉に活躍した第2代シャープール1世は衰退期に入ったローマ帝国としばしば闘争し、サーサーン朝優位のもとで王権を盤石なものにしていった。シャープール1世以降3代の王のもとで権勢をふるった祭司長カルティール(キルディール)は、ゾロアスター教の国教化に重要な役割を果たし、諸州に多くの聖火をともしたが、同時に新興のマニ教を異端として退け、シャープール在世時代には重用された教祖のマニを処刑するとともに仏教・ユダヤ教・キリスト教を弾圧した。『アヴェスター』の文書化はサーサーン朝成立後、半世紀以上経過した3世紀半ばに完成している。ただし、サーサーン朝の諸王は、みずからの信仰を「マズダー信仰」ないし「よき信仰(ベフ・ディン)」と称し、少なくとも王碑文においてはザラスシュトラ(ゾロアスター)の名は記されない。 この時代、東方に対しては隊商などペルシア商人の活発な活動によって中央アジアや中国へのゾロアスター教の伝播がなされ、一方、西方に対してはローマなどをはじめとする地中海世界との交流や抗争によって教義などの面でたがいの影響を受けたと考えられる。 なお、この時代には使用される言語は「中世ペルシア語」に変質しており、「古代ペルシア語」で記述されている『アヴェスター』の「ガーサー」部分は当時すでに解読困難になっていたと考えられる。 サーサーン朝はホスロー1世の時代に絶頂を迎えるが、建国後約400年にして、アラビア半島のメッカの商人ムハンマドによるイスラームの開教を迎える。アラブ族の民族宗教として始まったイスラム教は、しかし瞬く間に周縁諸地域に布教され、アラブ帝国の成立と拡大によって世界宗教の偉容を備える。サーサーン朝はアラブ帝国の前に滅亡した。アラブ族はペルシアを軍事的に征服したが、古くから文明を発展させてきたペルシアは官僚や学者としてこれを支え、むしろイスラム帝国を内部から文化的に征服したとも評される。イスラム帝国のもと、ペルシアの文化は再度開花した。 イスラム帝国の歴史学者や知識人は、帝国の領域に含まれる土地の宗教や文化慣習を詳細な記録に残した。中世のメソポタミアやイランにおけるゾロアスター教、マニ教、ミトラス教などに関する情報は、ムスリム(イスラーム教徒)知識人たちの記録によるところが大きい。しかし、『デーンカルド』(宗教総覧)などのパフラヴィー語(中世ペルシア語)文献が伝えるゾロアスター教の姿は、『アヴェスター』の語るザラスシュトラの教えとは整合しない部分が多数あり、また、少数派となりながらも21世紀の今日まで生き延びているゾロアスター教信徒たちの「伝承の教え」と比較しても、齟齬が生じている。 サーサーン朝の国教となる以前のゾロアスター教は普遍的な世界宗教の性格を有した。それは近隣諸地域の文化に大きな影響を与え、信徒もまた広大な範囲に広がっていた。しかし、国教化とともに、そしてイスラム帝国の勃興とともに、ゾロアスター教は偏狭な一面を備える宗教とみなされるようになり、その故地であるイランがイスラーム化してからは、新しい世界宗教として台頭したイスラームにとって代わられた。 イスラム教徒の支配下でイランのゾロアスター教徒はズィンミーとされ、厳しい迫害を受けた。ジズヤの支払いは経済的圧迫となっただけでなく、精神的にも多大な屈辱を受けた。信仰の保持は認められたもののムスリムへの布教は死罪とされ、事実上不可能となった。このこともゾロアスター教が世界宗教から血縁にもとづく民族宗教へと転落する要因となった。さらに寺院の修復や新築には特別の許可を必要とし、その他にも数々のムスリムとの差別待遇が存在した。表立った強制改宗は稀だったが、多くのゾロアスター教徒は差別と迫害を逃れるためにムスリムへの改宗を余儀なくされたのである。 近代に至り、イラン社会も世俗化の流れの中でジズヤが廃止され、ようやくムスリムとは法的に対等の権利を得るようになった。 サーサーン朝の滅亡を機にイランのゾロアスター教徒のなかにはインド西海岸のグジャラート地方に退避する集団があった。Qissa-i Sanjanの伝承では、ホラーサーンのサンジャーン(英語版)から、4つあるいは5つの船に乗ってグジャラート州南部のサンジャーン(英語版)にたどり着き、現地を支配していたヒンドゥー教徒の王ジャーディ・ラーナーの保護を得て、周辺地域に定住することになったといわれる。グジャラートのサンジャーンに5年間定住した神官団は、使者を陸路イラン高原のホラーサーンに派遣し、同地のアータシュ・バフラーム級聖火をサンジャーンに移転させたといわれている。 インドに移住したゾロアスター教徒は、現地でパールシー(「ペルシア人」の意)と呼ばれる集団となって信仰を守り、以後、1000年後まで続く宗教共同体を築いた。かれらはイランでは多く農業を営んでいたといわれるが、移住を契機に商工業に進出するとともに、土地の風習を採り入れてインド化していった。 近代以前からゾロアスター教が信仰されていた地域は、以下の通りである。 イラン:かつてゾロアスター教を国教としたサーサーン朝ペルシア帝国の中心地。ヤズドを中心に信徒数3万ないし6万人。 インド:10世紀ごろにイランを脱出したゾロアスター教徒がグジャラート州に移住。ペルシア人を意味するパールシー(教徒)と呼ばれた。現在はパールシーの経済活動の中心地であるボンベイ(ムンバイ)を主たる拠点として、信徒数7万5千人。 パキスタン:英領インドがインド共和国とパキスタンに分離して独立国となった際、2,500人から6,000人のパールシーがパキスタンの領域に住んでおり、パキスタン国民となった。中心地はカラチである。 アゼルバイジャン・ジョージア国・イラク:若干名 近代以降、多くのパールシー教徒が英語圏の各地に、イラン本国のゾロアスター教徒がドイツに移民として移住したことにより、信者の分布地域は拡大していった。 イギリス:約5,000人。 北米大陸(アメリカ合衆国・カナダ):約10,000人。 オーストラリア:約2,500人。 シンガポール・香港・日本・ドイツ:若干名。 イランのゾロアスター教は、イスラム化の進展によって少数派に転落したが、今日でも小規模ではあるものの信徒の共同体が残存し、現代ペルシア語で「ゾロアスターの教え,ディーネ・ザルドゥシュト(دین زردشت)」と呼ばれている。イラン中央部のヤズド、南東部のケルマン地区を中心に数万人の信者が存在している。ヤズドでは人口(30万人)の約1割がゾロアスター教徒だとされる。ヤズド近郊にはゾロアスター教徒の村がいくつかあり、拝火寺院は信者以外にも開放され、1500年前から燃え続けているという「聖火」を見ることができる。 ダフメ(daχmah いわゆる「沈黙の塔」)による鳥葬は、1930年代にパフラヴィー朝のレザー・シャーにより禁止され、以後はイスラム教等と同様に土葬となった。現在では活用されておらず、観光施設として残されるにとどまる。 近代化の進展により、ムスリムと同等の法的権利を獲得したゾロアスター教徒であったが、イランイスラーム革命により再び隷属的地位におかれることとなった。 イランにおいては、ゾロアスター教の聖地に少数の共同体が存続し、21世紀の今日まで細々と教えの伝統を継承している。とはいえ、かつての世界宗教としてのゾロアスター教の姿はイスラームによる厳しい迫害を潜り抜けた今日の宗教共同体には見ることができず、ゾロアスター教は信徒資格を血縁に求める民族・部族宗教へと、逆に後退し衰退してしまった。現在、ゾロアスター教では、信徒を親に持たない者の入信を受け入れていない。 現在、インドはゾロアスター教信者の数の最も多い国となっている。今日では同じ西海岸のマハーラーシュトラ州のムンバイ(旧称ボンベイ)にゾロアスター教の中心地があり、開祖ザラスシュトラが点火したと伝えられる炎が消えることなく燃え続けている。ゾロアスター教は、インドでは、ペルシャ人を意味する「パールシー」と呼ばれ、パールシー同士だけで婚姻し、周囲とは異なるパールシー共同体を形成している。数としては少ないが商業や貿易、知的職業に就く人が多く、非常に裕福な層に属する人や政治的な影響力をもった人々の割合が多い。インド国内で少数派ながら富裕層が多く社会的に活躍する人が多い点は、シク教徒と類似しており、インドの二大財閥のひとつタタ・グループは、パールシーの財閥である。パールシーは同じ教徒同士の堅固な結合と相互扶助もあって、彼らの社会には生活において貧窮する者がいないといわれる。 寺院はマハラシュトラ州のムンバイとプネーにいくつかあり、ゾロアスター教徒のコミュニティを作っている。寺院にはゾロアスター教徒のみが入る事が出来、異教徒の立ち入りは禁じられている。神聖な炎は全ての寺院にあり、ペルシャから運ばれた炎から分けられたものである。寺院内には偶像はなく、炎に礼拝する。インド国内のゾロアスター教徒のほとんどはムンバイとプネーに在住している。またグジャラート州のアフマダーバードやスーラトにも寺院があり、周辺に住む信者により運営されている。 一方、パキスタン(人口1億3,000万人)のゾロアスター教徒は5,000人で、主にカラチ一帯に居住しており、イランからの信者流入により教徒数は増加傾向にある。 中国への伝来したのは、5世紀から6世紀にかけての頃とされている。交易活動のために多数のイラン人がトルキスタンから現在の甘粛省を経て中国へわたり、そのことにより、当時、東西に分裂していた華北の北周や北斉に広まったという。信者は相当数いたものと思われ、唐代には「祆教(けんきょう)」と称された。教団が存在し、その取締り役として「薩宝(さっぽう)」「薩甫(さっぽ)」ないし「薩保(さほ)」がいたというが、その意味の詳細は不明である。隋や唐の時代になると、ペルシア人やイラン系の西域出身者(ソグド人など)が薩宝(薩甫、薩保)は1つの官職と認められて官位が授けられ、ゾロアスター教寺院や礼拝所(祆祠)の管理を任された。首都の長安や洛陽、あるいは敦煌や涼州などといった都市に寺院や祠が設けられ、長安には5カ所、洛陽には3カ所の祆祠(けんし)があったといわれている。しかし、ゾロアスター教徒は中国においてはほとんど伝道活動をおこなわなかったといわれる。 唐においては、景教(ネストリウス派キリスト教)・マニ教とあわせて三夷教、その寺を三夷寺と呼び、国際都市長安を中心に多くの信者を有したが、武宗の廃仏(会昌の廃仏)のときに、仏教とともに三夷教も弾圧を受け、以後は衰退していった。 また、西北部に居住するトルコ族の国ウイグル(回鶻、現在の新疆ウイグル自治区)では、マニ教とともにゾロアスター教も広く信仰されたが、11世紀から13世紀にかけての西域はイスラーム化が進行した。 中国における祆教の信者は、多くの場合ペルシア人や西域出身者であったが、当初は隊商の商人が多数を占め、のちにはサーサーン朝からの亡命者などが加わったものと思われる。祆教は、14世紀ころまで開封や鎮江などに残っていたと記録されているが、その後の消息はつかめていない。なお、唐代から元代にかけて対外貿易港だった福建省泉州市の郊外には波斯荘という村があり、現在でもペルシア人の末裔が暮らしているという。彼らは現在、漢族に同化し、言語・形質面ではこれと変わらないがイスラームを奉じており、回族として認定されている。彼らの宗教儀式のなかはゾロアスター教の名残がみられるともいわれている[要出典]。 19世紀後半から20世紀前半にかけては上海や広州などにインド亜大陸から渡来したパールシーの商人が、租界を中心に独自のコミュニティを築いていた。現在でも香港には「白頭教徒」と呼ばれる数百人のパールシーが定住し、コーズウェイベイ(銅鑼灣)の商業ビル(善楽施大厦)の一角に拝火寺院が、ハッピーバレー(跑馬地)に専用墓地が存在する。マカオには現在パールシーは居住していないが、東洋望山に「白頭墳場」と呼ばれる墓地があり、香港が貿易拠点として発展する以前はパールシー商人が居留していたものと考えられる[要出典]。 古代日本へのゾロアスター教伝来は未確証であり、ゾロアスター教の信仰・教団・寺院が存在した事実を示すものも発見されていないが、ゾロアスター教は唐時代に中国へ来ており、また日本には吐火羅や舎衛などのペルシア人が来朝していることから、なんらかの形での伝来が考えられている。松本清張は古代史ミステリーの代表的長編『火の路』でゾロアスター教が日本に来ていたのではないかという仮説を取り入れている。イラン学者伊藤義教は、来朝ペルシア人の比定研究などをふまえて、新義真言宗の作法やお水取りの時に行われる達陀の行法は、ゾロアスター教の影響を受けているのではないかとする説を提出している。 近代の日本では、戦前からインド・ゾロアスター教徒により、神戸在住の貿易商として定住がはじまり、その子孫の人々は現在でも健在である。在日も3世代目ないし4世代目となり、日本生まれの日本育ちとしてすっかり日本文化にとけ込んでいるが、国籍はインドを維持し、祭祀の際などにはムンバイに帰ってゾロアスター教の儀礼に参加している。 1990年代後半にプロの霊感占い師幹野秀樹によって日本ゾロアスター教団が設立されたが、2017年現在その活動は確認することが出来なくなっている。 19世紀以降、インドからのパールシーの移住に伴い、北米には18,000-25,000人の南アジア・イラン系の信者、オーストラリア(主にシドニー)には3,500人の信者が在住している。 1990年、アリー・A・ジャファリーによって、ロサンゼルスにおいてゾロアスター教系新興教団ザラスシュトリアン・アッセンブリーが設立された。ガーサーのみを聖典とし、入信儀式を得れば民族・国籍問わずに誰でも会員となることができるとされている。 カイホスルー・シャプルジ・ソラブジ(イギリスの作曲家) フレディ・マーキュリー(ザンジバル生まれのイギリスの歌手) ズービン・メータ(インド人の指揮者) ジャムシェトジー・タタ(タタ・グループの創始者) ラタン・タタ(タタ・グループの会長) 日本では東芝が過去に使用した電球や真空管などのブランド名(ライセンス元のゼネラル・エレクトリックのブランド名でもある)「マツダ」の綴り Mazda は、アフラ・マズダーに由来する 日本の自動車メーカーのマツダは創業者の姓(松田)を冠していると共に、その綴り Mazda はゾロアスター教の主神アフラ・マズダーに由来する。 フリードリヒ・ニーチェの著作「ツァラトゥストラはこう語った」のツァラトゥストラとは、ザラスシュトラをドイツ語読みしたものである。リヒャルト・シュトラウス作曲の同名の交響詩についても同様である。 ^ アエーシュマは、『旧約聖書』に登場するアスモデウスの前身とも考えられている[要出典]。 ^ 青木健は、アフラ・マズダーをザラスシュトラが創案した神格であると述べている。 ^ ゾロアスター教の至高神アフラ・マズダーは、バラモン教の経典『リグ・ヴェーダ』では単に「アスラ(Asura)=主」として記された神であり、『リグ・ヴェーダ』のある詩句では、この二柱(火の神ミスラと水の神ヴァルナ)の下位の「主」は、次のような言葉で語りかけられている。「あなたたち二神は、アスラの超自然的力を通して空に雨を降らせる。…あなたたち二神は、アスラの超自然的力を通して、あなたたちの法を守る。リタ(=自然の法則)を通して宇宙を支配する」(『リグ・ヴェーダ』5:6,3:7)。 メアリー・ボイスによれば、アフラ・マズダー(アスラ)、ミスラ、ヴァルナの三柱の「主」は、いずれもきわめて倫理的な存在で、「自然法則」(イランではアシャ、インドではリタ、と称する)を擁護しつつ、自らもこれに従う。こういった高度な観念は、原インド・イラン語族が早くも石器時代に発展させたものと考えられ、その末裔の宗教に深く織り込まれていると考えられる。 ^ ヤスナに記されたフラワラーネは「私は自ら、マズダーの礼拝者であり、ゾロアスターの信奉者であり、ダエーワを拒否し、アフラの教義を受け入れることを告白します。アムシャ・スプンタを礼拝します。善にして宝にみちたアフラ・マズダーに、すべての良きものを帰させます」というものである。 ^ メアリー・ボイスによれば、ゾロアスター教徒の信仰告白においては、アフラ・マズダーは創造主として尊ばれているが、異教時代のイラン人にとって創造主とみなされていたとは考えられない、という。何となれば、もし異教時代のイラン人が、どれか1つの神に創造的な活動を担わせようとするならば、その神は、アフラ・マズダー、ミスラ、ヴァルナの3大アフラのなかでむしろ下位のアフラで、おそらくは最も遠く離れてある「叡智の主」の命令を実行する神ヴァルナであったろうというのがボイスの見解である。さらに、このことがゾロアスターの教義のなかでも際立った特徴のひとつであったとも指摘している。 ^ ゾロアスター教徒の信仰告白の一節に「マズダー教徒でありゾロアスター教徒である私は」という言い回しがある。アフラ・マズダーはザラスシュトラの活動以前からインド・イランのアーリア人に信仰されていた神なので、マズダーを信じるだけではゾロアスター教徒とは断定できない。また、P・R.ハーツは、著書『ゾロアスター教』で、ダレイオス1世がゾロアスター教徒であったと指摘しているが、訳者の奥西俊介は「訳者あとがき」の中で、現在のゾロアスター教徒がプラヴァシ像とし、自分たちの守護霊としている有翼円盤人物像も、多くの研究者がアフラ・マズダー像だとしており、この像はアケメネス朝の遺跡で多く確認されるとはいうものの、それだけでは、アケメネス朝の事実上の開祖ダレイオス1世がマズダー信者であったことは確かであったとしても、ゾロアスター教徒であったかどうかは明白ではない、としている。 ^ メアリー・ボイスは、ザラスシュトラ以前よりイラン人祭司は神々にむけて礼拝式を捧げたが、火と水に対しきまった供物を捧げる儀礼そのものは変わらなかったのではないかとしている。 ^ メアリー・ボイスによれば、キュロス2世が、ユダヤ教を含む他宗教に寛容な政策を採ったことで、「ユダヤ人はこの後もペルシア人に好感を持ち続け、ゾロアスター教の影響を一層受容しやすくなった」という。ただし、ボイスがその著書の中で前提としている条件として、次の点を挙げている。ゾロアスター出生が紀元前1500年 - 1200年の間であること、紀元前536年にユダヤ人を解放したキュロス王がゾロアスター教を信仰を有していたこと、そしてこの時点で既に救済主思想がゾロアスター教の中で成立していたことである。ただし、こうしたボイスの掲げる前提条件は、見解の相違するところでもある。 ^ こうした影響に関する最新の論文として Werner Sundermann, 2008, Zoroastrian Motifs in Non-Zoroastrian Traditions, Journal of the Royal Asiatic Society vol.18, Iss.2, pp. 155-165を参照。 ^ 19世紀から続く神官一族ジャーマースプ・アーサー家の第6代カイ・ホスロウによる入信式。 ^ 青木(2008)p.30-36 ^ 青木(2008)p.31-38 ^ a b c 山本(2004) [要ページ番号] ^ 青木(2008)p.70 ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj 渡辺(2005)pp.188-193 ^ a b c d e f g h i j k l m n 川瀬(2002)pp.58-59 ^ 岡田(1988)p.93 ^ 上岡(1988)pp.140-141 ^ 加藤(2004) [要ページ番号] ^ a b c d e 山本(2006) [要ページ番号] ^ a b c d e f g h i 岩村(1975)pp.131-1357 ^ a b c 青木(2008)p.107-109 ^ 青木(2008)p.41 ^ ボイス(1983)pp.14-15 ^ ボイス(1983)pp.50-52。原出典は『アヴェスター』「ヤスナ」12:1 ^ ボイス(1983)p.52 ^ a b c 青木(2008)p.38-40 ^ 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ゾロアスター教
ズルワーン教
ズルワーン教(ずるわーんきょう)とはゾロアスター教の滅びた分派で、ズルワーンを第一原理たる神(原初の創造者たる神)として奉ずる。ズルヴァーン主義、拝時教、ゾロアスター教ズルワーン派などと呼ばれることもある。 ズルワーン教においては、ズルワーンは無限なる時間(と空間)の神であり、アカ(一つの、唯一の)物質の神である。ズルワーンは互いに相反する、善の神アフラ・マズダと悪の神アンラ・マンユとの親である。ズルワーンは中立的な神とみなされる、というのは、性を持たず(中性で)、感情を持たず、善と悪のどちらにも傾いていない神だからである。ズルワーンは運命や光と闇の神でもある。ズルワーンは「Zurvan」とラテン文字表記されるがこれは標準化された発音を表記したものであって、中世ペルシア語でのこの語の発音をラテン文字表記すれば「Zurvān」、「Zruvān」あるいは「Zarvān」などとなる。中世ペルシア語での名称は「時間」や「老年」を意味するアヴェスター語「zruvan-」に由来する。 ズルワーン教徒あるいはズルヴァーン主義者はアフラ・マズダーあるいはスプンタ・マンユを、ズルワーンの卓越の下で二等分された神の一方だとみなしている。ズルワーン教の中枢的な教義においては、アフラ・マズダは中位の神に、アンラ・マンユは双子の兄弟のうちの堕落した方ということになってしまう。 マズダ主義者はアフラ・マズダを超越的な創造神とみなしていた。彼らの中枢的な教義ではアフラ・マズダが至高神であり、スプンタ・マンユとアンラ・マンユの二柱が双子なのである。 ズルワーン教の起源と発展の詳細は未だはっきりしないが(三つの相反する意見が存在するため。以下の勃興と受容の説を参照)、ズルワーン教は大ゾロアスター教の分枝であること、ズルワーン教の教義は聖典に認められる矛盾を解消するための聖職者たちの応答であったこと(以下の「双子の兄弟」の教義の発展を参照)、その教義はおそらくハカーマニシュ朝期後半に導入されたものであることに関しては広く受け入れられている。 ズルワーン教はサーサーン朝期(226年-651年)には国家の承認を受けたが、10世紀には滅亡していた。サーサーン朝期のズルワーン教は間違いなくヘレニズム哲学から影響を受けていたが、ゾロアスター教のズルワーンが、それ以前のペルシア人の宗教に存在した神を採用したものなのか、それとも異国の時間の神(ギリシアのクロノス)を採用したものなのかは、決定的に確証されてはいない。 ゾロアスター教が西方に到達した最初の痕跡として、ヨーロッパの学者がゾロアスター教は一元論的宗教だと断定している。これは学者たちの間でも、現代のゾロアスター教徒からも異論の多い言明ではあるが、ゾロアスター教の他のどの教派でもなくズルワーン教に対して非ゾロアスター教徒が評価を加えたのはこれが初めてである。 イランのズルワーンはサンスクリット単語の「サルヴァ」(sarva)と関係していて、どちらも一元論的な神を記述する上で同様の意味領域を持つ。 ズルワーン派の存在を示す最も古い証拠はロドスのエウデモス(370年頃-300年頃)に帰される『神学の歴史』に見いだされる。ダマスキオスの『第一の諸始原についてのアポリアと解』(6世紀頃)に引用されているが、空間・時間を、敵対関係にある光のオロマスデスと闇のアリマニウスの『父』とみなすペルシアのある教派についてエウデモスは記述している。 サーサーン朝時代のズルワーン教について知られていることの大部分は、同時代のキリスト教のアルメニア語およびシリア語の史料から得られている。「ゾロアスターのカアバ」にみられるカルティールによる碑文やミフル・ナルセの布告書だけがズルワーン教を詳らかにする同時代のペルシア語史料であり、特に後者は明らかにズルワーン主義者によるものとしては、唯一の同時代の史料である。他にはサーサーン朝時代の宗教に関する批評書はごくわずかしかなく、全てサーサーン朝滅亡後に書かれたものである。 アルメニア語およびシリア語の史料ではサーサーン朝期ペルシアの宗教を明らかにズルワーン主義的なものとして描いているが、後世のペルシア語の批評書では主にマズダ主義的なものが記述されており、一つの例外(10世紀の『デーンカルド』、9.30)を除けばズルワーン主義に関しては全く触れられていない。いわゆるパフラヴィー語史料のうち、『メーノーグ・イ・フラド』と『「ザートスプラム」選集』(どちらも9世紀頃)の二つだけがズルワーン派の傾向を詳らかにしている。この二つのうち後者はズルワーン派の存在を証言する最後のゾロアスター教文書とされる。ズルワーン派の双子の父の教義に関して外国人がする話はペルシア語文献の『ウラマー・イェ・イスラーム』(イスラームの博士、13世紀頃)のみによってその内容が実証される。『ウラマー・イェ・イスラーム』はこのような書名ではあるものの、明らかにゾロアスター教徒の手になるものである。 アヴェスター語文献からは、(その今日現存するものは)サーサーン朝期に編集を受けているにもかかわらず、ズルワーンに対する「信仰」についての何らの示唆も見いだせない。これは、個々のサーサーン朝の君主が必ずしもズルワーン派ではなく、聖典が最終的に編纂された決定的な時期にはちょうどマズダ派ゾロアスター教が優位に立っていたからだとゼーナーが主張している。サーサーン朝期以前に記された文献には、「ズルワーン」は二度登場するが、どちらも抽象概念としておよび目立たない神としての登場であって、教派を形成していたという証拠はない。『ヤスナ』(72.10)では大気と風(ワータ・ワユ)に対してとともにズルワーンに対して祈りがささげられている。『ヤシュト』(13.56)では時間がアフラ・マズダとアンラ・マンユの意思によって定まるのと同様にして植物が成長すると記されている。ズルワーンに対する二種類の異なる言及は『ヴェンディダード』にも現れるが、これらの記述は後から正典に付け足されたものであるのにやはりズルワーン派の存在を証言していない。ズルワーンがヤザタの一覧で名を挙げられることはない。 ズルワーン派の起源に関してはいまだ論争が続いている。ある考えでは、ズルワーン派はハカーマニシュ朝後期の信仰形式の自由化に対する応答としてゾロアスター教から分かれてきたとされる。他の説として、ズルワーンは、後にゾロアスター教に統合されるゾロアスター教以前の神の一柱であったと主張されている。第三の説では、ズルワーン主義はゾロアスター教とバビロニア・東ローマの宗教との接触の産物とみなされる。 しかしながら、サーサーン朝(226年-651年)までに「無限なる時間」の神がよく確立され、王室の保護を受けたということは確かである。ズルワーン主義が教派として発展したと考えられる時期はサーサーン朝皇帝シャープール1世(241年-272年)の治世であり、おそらくこの時期にギリシアとインドの思想がズルワーン派ゾロアスター教に導入された。 だが、サーサーン朝期のズルワーン主義とマズダ主義がそれぞれ独自の聖職者・組織を擁する別個の教派であったのか、それとも単に一つの統一体の中に二つの傾向があっただけなのかは知られていない。マズダ主義とズルワーン主義が教勢拡大のため競い合ったという話はキリスト教やマニ教の論述家の著作にみられるが、教義上の齟齬がさほど極端ではなかったので「帝国教会の幅広い後援の下で調停されることは不可能であった。 7世紀のサーサーン朝滅亡に伴って、ゾロアスター教は徐々に[要出典]イスラームに取って代わられていった。それでもゾロアスター教は存続したが、ゾロアスター教徒やますます減少していく国々はザラスシュトラがガーサーに定めたマズダ派の教義へ回帰していった(以下の影響を参照)。10世紀までに、ズルワーン主義は消滅し、マズダ主義だけが残った。 ズルワーン派が消滅した(のにマズダ主義は生き残った)理由も学者たちが論じる問題として残っている。ズルワーン主義がサーサーン朝の国家宗教だったという理論の主張者の一人アルトゥール・クリステンセンは、被征服後にズルワーン主義が否定されたのはイスラームの一神論という新しい権威に対する応答・反応だったと主張している。イスラームの一神論の侵入が引き金となって、正統派を強固なものにするべくゾロアスター教の計画的な改革が起こった。。対してゼーナーは、ズルワーン派の聖職者は「極端に厳密な正統派的慣行を有しており、ほとんどの人には耐え難い。さらに、彼らは預言者の言葉を二元論的に解釈するので彼らの考える神は全知全能からは程遠いものになってしまう。まったくの二元論が純粋に知的な考え方から生じるの同じだけ論理的に、それは真の一神論に対する訴求力を持たないし、その内的性を育成する神秘的要素も持たない。 もう一つの受け入れられる説明はメアリー・ボイスが提起したもので、それによれば、マズダ主義とズルワーン主義は地域によって分けられる、つまり、マズダ教は北部と東部(バクトリア、マルギアナ、その他のザラスシュトラの生地に近い州)で優勢で、一方ズルワーン主義は南部と西部(バビロニア付近やギリシアの影響力が強い地域)で顕著であるという。これはマニ教徒たちの史料に支持されており、それによれば、3世紀のマズダ派ゾロアスター教は根拠地を北東部のパルティアにおいていたという。ペルシア帝国の滅亡後、南部や西部は比較的早くイスラームの旗の下に同化され、対して北部や東部は吸収されるまでにしばらく時間がかかった。Boyceの提起によって、アルメニア語・シリア語の史料にみられるゾロアスター教が明らかにズルワーン派である理由も説明できるし、ギリシアとバビロニアがズルワーン主義に強い影響を与えたことも説明がつく(以下のズルワーン主義の種類を参照)。 「古典的ズルワーン主義」(英:Classical Zurvanism)はZaehner (1955, intro)が作った術語で、ザラスシュトラが『アヴェスター』(30.3-5、『ヤスナ』) に記した「双子の魂」の矛盾を解消しようとする運動を指す。ゼーナーによれば、この「本来のズルワーン主義」は「ゾロアスターが解決せずに残した双子の魂の謎を解明しようとしている点で真にイラン的・ゾロアスター的であった。 聖職者たちがそれを説明しようとしたように、悪しき霊(「アンラ・マンユ」)と善なる霊(スプンタ・マンユ、後にアフラ・マズダと同一視される)が双子ならば、彼らには「父」がいてその「父」が彼らより先だっていなければならない。聖職者たちは「ズルワーン」―(無限なる)時間の実体―を「そこから双子が生まれてくるありうる唯一の『絶対者』」に同定した。 ズルワーン派の「双子の兄弟」の教義はズルワーン主義の宇宙進化論的な創造神話からも知ることができる。その神話は「古典的な」形では、マズダ派による宇宙の起源・進化のモデルと矛盾しない。マズダ派のモデルはズルワーン派のモデルが終わるところで始まる。(キュモンとシュレーダーによれば)ズルワーン派宇宙進化論は先行するヘレニズムのクロノスの宇宙進化論を改造したものである。クロノスは「時間の父」としての無限なる時間として描かれる(ティターン神族の一人でゼウスの父のクロノスと混同しないよう注意)。ギリシア人を時間の神クロノスを「オロマスデス」つまりオフルムズド、アフラ・マズダと同一視した。 「古典的」ズルワーン派の創造のモデルは非ゾロアスター教徒による史料からのみ知られるものだが、次のようなものである:初めに、偉大なる神ズルワーンのみが存在していた。「その間に天国と地獄、全て」を創造する子供を望んで、ズルワーンは1000年を費やした。この期間が終わると、両性具有なるズルワーンは費やした時間が無駄だったのではないかと疑いはじめ、この疑っている間にオフルムズドとアーリマンが創造された。時間を費やすことでオフルムズドが、疑うことでアーリマンが創造されたのである。双子の誕生にあたって、ズルワーンは先に生まれたものに被造物の統治を認めることにした。オフルムズドはズルワーンの決定を受け、兄弟とコミュニケーションをとった。それに対してアーリマンは子宮を切り裂き先に生まれることでオフルムズドが統治権を得るのを阻止しようとした。アーリマンの統治を認めることをズルワーンはしぶしぶ認めたが、アーリマンの統治は9000年に限られ、その後は永遠にオフルムズドが統治することになった。 こういった神話が典型的なゾロアスター教だとキリスト教やマニ教の宣教師が思いなし、西洋に初めて紹介されたのもこれらやこれらに類似の文書であった。アブラアム・ヤサント・アンクティル・デュペロンによる『ヴェンディダード』(19.9)の「誤った翻訳」に確証され、こういった思いなしは18世紀後半に、無限なる時間がゾロアスター教の第一原理であり、オフルムズドは「派生的・二次的な存在」にすぎないという結論をもたらすことになった。皮肉にも、ズルワーンの誕生に関する教義を示唆するゾロアスター教神話がないことは本来の原理が後の時代に崩壊したことの証拠とみなされた。ゾロアスター教は強く二元論的であるから実際は二神論だとか、あるいは三神論であるという意見すら19世紀後半まで考えられていた。 ほとんどの神話ではズルワーンの母にして炎の女神アン・ナールの存在が信じられている。彼はヒンドゥー教の女神パルヴァティをも愛していた。ズルワーンの誕生後、アン・ナールは子供を生んだことが原因で死んだ。 ゼーナーによれば、ズルワーン派の教義は三つの学派に分かれていたようで、異教哲学に影響されている度合いはそれぞれ異なっていた。その三学派、「唯物論的」ズルワーン主義、「美学的」ズルワーン主義、「運命論的」ズルワーン主義はいずれも「古典的」ズルワーン主義を基礎としていた。 「美学的」ズルワーン主義は「唯物論的」ズルワーン主義に比して明らかに人気がなかった。ズルワーンは未分離な時間であり、欲望の影響下で理性(男性原理)と情欲(女性原理)に分けられると考えていた。 デュシェーヌ=ギユマンによれば、この分離は「グノーシス主義か―よりありそうなこととして―インド宇宙論のにおいがする」という。『リグ・ヴェーダ』(10.129)のプラジャパティとズルワーンとの類似は原インド・イランのズルワーンにまで遡るとヴィデングレンが証言しているが、こういった主張は後に放逐された。それにもかかわらず、ヴェーダの聖句の中にはズルワーン派の要素に類似したものがあり、ゼーナーが提起したように「インド人にとって時間は素材、あらゆる偶然的存在の「第一質料」である」。 唯物論的ズルワーン主義はアリストテレス及びエンペドクレスの「物質」観に影響を受けており、「非常に奇妙な形式」をとっている。 ザラスシュトラの言うオルムズドは自身の意志をもって宇宙を創世したが、唯物論的ズルワーン主義は、万物が無から創造されたという思想に挑戦する。これは明らかに異教的思想であり、(天国と地獄、賞罰を含む)霊的世界など存在しないという立場の方を好んでゾロアスター教の教理を放棄している。 物質的なものと霊的なものとの基本的な区別は『アヴェスター』と無関係というわけでは全くないが(「ゲティ」と「マンユ」、中世ペルシア語の「メーノーグ」はマズダ派で使われた術語であり、アフラ・マズダは世界を創造する際先に霊的な、後に物質的なものを作ったとされる)、唯物論的ズルワーン主義では「メーノーグ」が再定義され、(まだ)物質を持たないもの、あるいはまだ形を成していない原初の物質を指すようになり、アリストテレスの質料の概念と一致するようになった。ただ、これも必ずしも正統派ゾロアスター教に悖るというわけではない、というのは、「ワユ」神はオルムズドとアーリマンの中間に存在し、虚無が光と闇の両王国を分け隔てているからである。 (ズルワーンがアーリマンに割り当てた)有限な時間の教義は、物質的世界におけるこの定められた行程を変えることはできないこと、そして「天球」の星状体の運行はこの定められた行程を表していることを示している。これに伴って、人間の運命は、善(黄道十二星座の宮)と悪(惑星)に分けられる星座・恒星・惑星によって決まらなければいけないことになる。「オフルマズドは幸福を人間に割り当てたが、人間がそれを受け取らなければ、これらの惑星の強奪に遭うことになる」。運命論的ズルワーン主義は明らかにカルデア人の占星術から、おそらくアリストテレスの偶然と幸運の理論から影響を受けている。アルメニアとシリアの註釈家が「ズルワーン」を「運命」と訳したのは非常に示唆に富んでいる。 R・C・ゼーナーは著書『ズルワーン』の初版で、ミトラ教の獅子面の神をズルワーンのヴァリエーションとみなしているがこれは不正確である。後に彼は論証段階でこれは「疑いなく間違いだ」と認めている。獅子面の神は悪しき神アフレイマニウスつまりアーリマンのヴァリエーションである。しかし、それでもゼーナーがフランツ・キュモンに帰した、様々なウェブサイトで増殖している誤謬を止めることはできなかった。 ズルワーン派特有の儀式や慣習があった証拠は発見されておらず、この宗派の信者はマズダ派ゾロアスター教徒と同様の儀式・慣習を有していたと信じられている。同じ儀式・慣習が両教派に受け入れられる理由として、ズルワーン派にとって基本的な双子の教義は(ズルワーンとアーリマンを除く万物の)創造主としてのオフルムズドへの信仰を排除しないということがある。逆に、明らかにズルワーン派であるような要素は昨今のゾロアスター教に残存していない。 近年のゾロアスター教(これは今日ではマズダ主義と同じものを指す)から見れば、ズルワーン派は多くの人が存在してほしくないと思っているだろうディレンマである。ズルワーン派は他の手段では近年のゾロアスター教にまで伝わる影響を残さなかったが、ズルワーン主義の明確な二元論の強い力の残響は西洋の学問に見出せる。ズルワーン派の二元論と強く一神論的な近年のゾロアスター教徒の両立し難さは今日のゾロアスター教徒に、ズルワーン主義が未だ残存していることを無視するかそれともその教説が明らかに異端的であることを無視するかという選択の余地を残した。 ズルワーン派の『ヤスナ』(30.3-5)解釈によってズルワーン主義の(ズルワーンから生まれた)「双子」の教義がもたらされていることはそういった冒涜の一つである。この解釈によって、アフラ・マズダは自身は創造されることのない神(『ヤスナ』 45.2)であり、全知にして万物の創造主(『ヤスナ』 44.7)だという本来ザラスシュトラが行った特徴づけを廃することになる。創造されたのでない神というザラスシュトラの教義は『ヤスナ』(30.3)からも確かめられる。同じ部分が「双子の兄弟」の原理の外因説が示されてもいる。 ズルワーン派運命論にみられる明らかな悲観主義は本質的に楽天主義的なマズダ派と明らかに相容れず、また、ザラスシュトラが成したなかでも最大の宗教哲学的功績と思われているもの、自由意思の概念に反している。『ヤスナ』(45.9)において、アフラ・マズダは善行を成すか悪行を成すか選択することを「人間の意志に委ねた」 。運命の手に定めを委ねることで、ズルワーン派はゾロアスター教の教理で最も尊重されるべき部分、つまり善い思考、善い言葉、善い行いの効力という教理から距離を置くことになった。 ズルワーン派の創造論が中世のゾロアスター教徒にとっても背信であったということは10世紀の『デーンカルド』からも明らかである。『ヤスナ』(30.3-5)に対する注釈のなかで『デーンカルド』はズルワーン派が預言者の言葉とみなしたものから、「オフルムズドとアーリマンが両方とも一つの子宮の中にいたと嫉妬の悪魔が人間に宣言したこと」をゾロアスターが思い出していることへと転じている。。ゼーナーは『デーンカルド』のこの一節を『ヤスナ』(30)に対する独創的な誤解とみなしている。 だが、ズルワーン主義が専ら異端の最たるものだとみなされていることは注目すべきである、というのは、この教派にみられる厳密な二元論は、ハカーマニシュ朝末期にゾロアスター教がほぼ到達していた自然現象の多神論的合理化よりも、ザラスシュトラ自身のガーサーで言及されている二元論と一致する。他のやり方で理解されるものと一致するゾロアスター教の「双子の魂」の教義をもたらす「古典的ズルワーン主義」の根本的な目的は、極端なものであったが、(ゼーナーによれば)それは見当違いのものというわけでは全くなかった。サーサーン朝期に明らかに二元論的な教義が発生したわけではないことの中で、Zaehner(1961)は以下の主張を行っている。ゾロアスター教社会には、真と偽、聖なる霊と破壊的な霊という厳格な二元論を預言者の言葉の本質であるとみなす集団が存在した(に違いない)。他の方法では、ハカーマニシュ朝滅亡後6世紀ごろに厳密に二元論的な形のゾロアスター教が再生したことは簡単には説明できない。自分たちが預言者の真の言葉だとみなすものを定義することに専心する熱狂的なマイノリティーがいたに違いない(一方「教会」には正統派の集団がいたに違いない)。このマイノリティーは儀礼様式だけでなく神学も有していたと今日考えられており、マギの間に見いだされる。また、実際には、マギに対して、アリストテレスその他の初期のギリシアの著述家がオロマスデスとアレイマニオスという二つの独立した原理の完全に二元論的な教義を帰していた。さらに、今日では、マギの組織を創設したのはザラスシュトラ自身だとされている。だが、ハカーマニシュ朝の崩壊はゾロアスター教にとって破滅的なものであった。また、崩壊後600年程の間預言者の元々の言葉から極端には異ならない形式をマギ達が実践し、復興し、それと同じだけ保持した事実は、ザラスシュトラの記憶に彼らが傾倒していたことを示している。実際、サーサーン朝期の正統派ゾロアスター教は、大きく変容している『ヤシュト』の多神論よりも、ザラスシュトラの精神に近い。 そのため、―ゼーナーによれば―サーサーン朝がとった方針はガーサーの精神と全く異なるところがないが、遠く離れていて近づきがたい神に伴う極端な二元論は信仰にいざなうよりもむしろ信仰をもたらす。ズルワーン主義はゾロアスター教の訴求力を弱めたという意味でのみ本当に異端的である。 それにもかかわらず、帝国滅亡直前の激変期にズルワーン主義が有力な種類のゾロアスター教であったことは、デュシェーヌ=ギユマンによれば、(マズダ主義ではなく)ズルワーン主義がイランに根付いたシーア派イスラームに及ぼした影響の度合いから明らかであるという。史的現在を書き込んで、彼は「ホスロー2世(590年-628年)や彼の後継者の治下にはあらゆる種類の迷信がマズダ主義を席巻する勢いであり、マズダ主義は徐々に崩壊し、イスラームの大勝利の準備となった」と言及している。そのため、「ムスリムの支配下の一般的な道徳として生き残ったのはマズダ主義ではなかった。それがズルワーン派運命論だったことはペルシア語の史料がよく証言している」。これはゼーナーが表明した説でもある。彼は、フェルドウスィーが『シャー・ナーメ』で「一般的なズルワーン派の教義の縮図とみられるものを詳説した」ことに着目している。そのため、ゼーナーとDuchesne-Guilleminによれば、ズルワーン主義の悲観主義的運命論はペルシア人の精神を形成したと言っていいほどの影響を与え、いわばサファヴィー朝期のシーア派哲学への迅速な順応へと至る道を舗装したのであるという。 ゼーナーとシャーキーによれば、9世紀の中世ペルシア語文献の中で、「ダーリ」(from Ar.-Persian dahr, time, eternity)は世界が無限なる時間から生まれたというズルワーン派の教義の信奉者に対する呼称である。後代にはこの言葉は「無神論者」や「唯物論者」に対する蔑称となった。この言葉はさらに―懐疑主義者を指す他の言葉とともに―『デーンカルド』(3.225)や『Skand-gumanig wizar』に現れ、そのなかで「神などいないと言う者は『ダハリ』と呼ばれ、自身を宗教的鍛錬と有益な行いをするという労働に由来するものだとみなしていた ^ ズルヴァーン主義および拝時教という訳語が見られるのは:青木、2007年 ^ Boyce 1957:157-304 ^ Zaehner, 1955, intro ^ Henning, 1951; loc. Cit. Boyce 1957:157-304 ^ Dhalla, 1932:331-332 ^ Zaehner, 1955:48; Duchesne-Guillemin, 1956:108 ^ Dhalla, 1932 ^ Zaehner, 1939; Duchesne-Guillemin, 1956; Zaehner 1955, intro ^ Nyberg, 1931; Zaehner 1955, conclusion ^ Cumont and Schaeder; reiterated by Henning, 1951; Boyce 1957 ^ これら対立する意見の総評としては Boyce, 1957:304を参照。 ^ Boyce, 1957:308 ^ Boyce, 1957:305 ^ Zaehner, 1961 ^ Boyce, 1957:308-309 ^ Zaehner, 1961 ^ Zaehner, 1961 ^ Zaehner, 1955:419-428 ^ Dhalla, 1932:490-492; cf. Boyce, 2002:687 ^ Duchesne-Guillemin, 1956 ^ Zaehner, 1961 ^ 『Menog-i Khirad』 38.4-5 ^ Zaehner, 1972 ^ 『デーンカルド』, 9.30.4 ^ Duchesne-Guillemin, 1956:109 ^ Zaehner, 1955:241 ^ Shaki, 2002:587-588 Boyce, Mary (1957年). “Some reflections on Zurvanism”. Bulletin of the School of Oriental and African Studies (London: SOAS) 19/2: 304–316.  Duchesne-Guillemin, Jacques (1956年). “Notes on Zurvanism”. Journal of Near Eastern Studies (Chicago: UCP) 15/2 (2): 108–112. doi:10.1086/371319.  Frye, Richard (1959年). “Zurvanism Again”. 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(1977). The Divine Songs of Zarathushtra. New York: Ams. ISBN 0-404-12802-5.  The 'Ulema-i Islam. In Dhabhar, Bamanji Nasarvanji (trans.) (1932). The Persian rivayats of Hormazyar Framarz and others. Bombay: K. R. Cama Oriental Institute.  The Selections of 'Zadspram' as translated by Edward William West. In Müller, Friedrich Max (ed.) (1880). SBE, Vol. 5. Oxford: OUP.  Denkard 9.30 as translated by Edward William West. In Müller, Friedrich Max (ed.) (1892). SBE, Vol. 37. Oxford: OUP.  The Kartir Inscription as translated by David Niel MacKenzie. In Henning Memorial Volume. Lund Humphries. (1970). ISBN 0-85331-255-9.
ズルワーン教
シャクティ派
シャクティ派(性力派, シャークタ派)は、ヒンドゥー教における宗派の1つ。 「シャクティ」とは「エネルギー、力」とりわけ「性力」を意味する。 シヴァ派から派生した宗派で、シヴァ神の妃の性力(シャクティ)に対する崇拝を特徴とする。 ヨーガが依拠するチャクラ理論において、会陰(肛門と性器の狭間)にあるチャクラ「ムーラーダーラ」に眠るシャクティ(性力)のことを「クンダリニー」と呼ぶが、これは伝統的にはシヴァ神の妃と同一視され、「とぐろを巻いた蛇」として表現される。(そして、シヴァ神の座所である頭頂のチャクラ「サハスラーラ」へとその蛇を上昇させて行き、合一させることが目指される。) このように、シャクティ派は、ヨーガの実践やチャクラ理論との結び付きが強く、タントラ教(タントリズム)、特にその左道の主要な担い手となり、仏教の後期密教にも大きな影響を与えている。 ^ シャクティ派とは - コトバンク/世界大百科事典 ^ シャクティとは - コトバンク/世界大百科事典 ^ 左道とは、「邪道」の意。インドの宗教を語る文脈では、性的な傾倒を見せる態度を指す。 ヒンドゥー教
シャクティ派
ボン教
ボン教(ボンきょう、チベット文字:བོན་; ワイリー方式:bon; ラサ方言 IPA: [pʰø̃̀])はチベットの民族宗教である。ポン教(ポンきょう)とも表記・呼称される。 一般のチベット人にとってボン(チベット文字:བོན་; ワイリー方式:bon)とは、漠然とチベットの仏教伝来以前の土着の宗教を指す場合と、「ユンドゥン・ボン」(永遠のボン)を自称する宗教・宗派を指す場合とがある。文献資料は仏教伝来以後のものしか存在していないが、敦煌文献から8-10世紀のチベットの古代宗教についてある程度研究されている。それによると初期の文献においてボンとは組織的な宗教の呼称ではなく一種の祭司のことを指しており、古代チベット王国(吐蕃)ではボンとシェンという祭司が祭祀を執り行っていた。宗教はチュー(法、慣習)で、ラチュー(神の法)とミチュー(人の法)とが区別されていた。ラチューは時にはボン教、時には仏教のことを指し、後者のミチューが仏教伝来やボン教成立に先行する土着宗教であった。後世の人々はこの古代宗教をボンと呼んだが、仏教布教前のチベット人が古来の祭祀や神話をボンと呼んでいたとは考えにくく、成立宗教としてのボン教はチベットで仏教が復興する11世紀頃に姿を現し、組織されていったと考えられている。11世紀以降に出現した初期のボン教文献は、主としてテルトン(埋蔵教発掘者)によってもたらされたもので、それぞれテルマ(過去に埋蔵されたものをテルトンが再発見したとされる文献)やニェンギュー(口頭伝承を筆記したとされる文献)に分類される。 ボン教徒は、ボン教の中に取り込まれた古いアニミズム宗教である「原始的なボン」、ボン教徒がブッダと崇めるトンパ・シェンラプ・ミウォが創始した宗教伝統である「ユンドゥン・ボン」、儀礼面で仏教の影響を受けた「新しいボン」とを区別する。ユンドゥン・ポンも用語の面などで仏教の影響を受けているが、ボン教徒は仏教とは異なる独自の思想であることを自負している。 ユンドゥン・ボン(永遠のボン)は古代から続くとされるチベット人独特の総合宗教である。 その起源は相当古くに遡り、人類最古の文化のひとつに数えられている。一般にボン教はチベットの土着の宗教であると認識されることが多いが、ユンドゥン・ボンはその開祖であるシェンラプによってチベット西方のタジク(ペルシア方面のこと)やシャンシュンからもたらされた教えであるとボン教徒は信じている。ボン教とチベット仏教は相互に影響しながら発展してきた歴史があり、それぞれのなかに互いの影響を見てとることができる。ただし、ボン教には中央アジアにおける古代文明の痕跡がより色濃く見られることが指摘されている。 ボン教はその体系を構築する際にインドで発生した仏教の用語を用いたため、チベットの宗教としての独自性のない「剽窃者」の烙印を押されてきた。しかし、その経典の中身をよく見てみると、インド仏教思想の枠の中では収まらないことが明らかになりつつある。またチベット文化の源泉のひとつとして、仏教の中には見当たらない独特の要素をもっていることが指摘されている。こうした事情から今日、ボン教はチベット学や中央アジア史の最も先進的な研究対象のひとつと考えられている。ただし、一般にチベット仏教に由来しない民俗・信仰を「ボン教」としてひとくくりに認識しがちであるが、数ある民間宗教と厳密な意味でのボン教は区別するべきである。 ボン教教団の総本山はメンリ僧院(英語版)(སྨན་རི་、sman ri)。その他にチベット内に存在する主な僧院としては、ユンドゥリン僧院、ナルシ僧院がある。総本山のメンリ僧院は現在、北インドにその機能を移している。 チベット仏教のニンマ派(古派)との相互影響が指摘されている。ゾクチェンという瞑想が伝えられていることも、ニンマ派と共通する点である。両者のゾクチェンの用語は基本的に同じものであるが、その系譜や見解は異なる。 伝承では、チベットの西方にあるという神秘の国オルモルリンのシェンラプ・ミウォ(英語版)を始祖とする。 インド起源の仏教では「右繞」(うにょう)すなわち時計回りに巡って行くことを善しとするが、ボン教には「左繞」(さにょう)すなわち左廻りを善しとする。このようなささいな相違に加え、最も異なるのはその系譜である。ボン教とチベット仏教の関係は、いわば「仲の良い双子の兄弟」に例えることが可能である。 「それがチベット語で“チュー”と呼ばれようが、“ボン”と呼ばれようが、ダルマのことを特にボン教徒は宗派の派閥のことだとは思っていない。ダルマとは根源的な真実をそのまま表したもののことであり、時代と歴史を通じて何度も繰り返し述べられてきたもののことなのだ。根源的な真実のことばかりか、永遠の真実のことなのだ。ダルマとはただ単に特定の時代、つまり紀元前6世紀の北インドで生み出されたもののことだけを意味しない」 John Reynolds, Yungdrung Bon, The Eternal Tradition,7. ^ 三宅 2004, p. 230 ^ エリアーデ & 鶴岡 2000, p. 124. ^ Van Schaik 2011, p. 24. ^ エリアーデ & 鶴岡 2000, p. 125. ^ Van Schaik 2011, p. 99. ^ 森孝彦 2007, pp. 236-237. 三宅伸一郎 「第37章 仏教国で生き続けたマージナルな宗教―ボン教」『チベットを知るための50章』 石濱裕美子編著、明石書店、2004年。ISBN 4750318957。 デイヴィッド・スネルグローヴ(en)、ヒュー・リチャードソン(en) 『チベット文化史』 奥山直司訳、春秋社、2003年。ISBN 4393112326。 ミルチア・エリアーデ 「第三十九章 チベットの宗教」『世界宗教史6』 鶴岡賀雄訳、筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2000年。ISBN 4480085661。 Sam van Schaik (2011). Tibet: A History. Yale University Press.  シャルザ・タシ・ギャルツェン(en) 『智恵のエッセンス: ボン教のゾクチェンの教え』 ロポン・テンジン・ナムダク(en)解説、森孝彦訳、春秋社、2007年。ISBN 9784393135303。 Tenzin Namdak (2006). Bonpo Dzogchen teachings. Vajra Publications. ISBN 978-99946-720-5-9.  Samten Gyaltsen Karmay(en); Yoshihiko Nagano (長野泰彦) (2002). The Call of the Blue Cuckoo: An Anthology of Nine Bonpo Texts on Myths and Rituals. Senri ethnological reports 32. Bon studies 6. National Museum of Ethnology. ISBN 490190602X.  『チベット ポン教の神がみ』、国立民族学博物館編、千里文化財団、2009年。ISBN 9784915606618。 光嶌督 『ボン教学統の研究』 風響社、1992年。ISBN 4938718901。 九寨溝 - 多くの観光客が訪問するボン教地域 ボン教(ボンきょう)とは - コトバンク チベットのボン教とは 企画展「チベット ポン教の神がみ」
ボン教
アブラハムの宗教
アブラハムの宗教(アブラハムのしゅうきょう、英語:Abrahamic religions) とは、聖書の預言者アブラハムの宗教的伝統を受け継ぐと称するユダヤ教、キリスト教、イスラム教(イスラーム)の三宗教のことである。初期のイスラームはこの概念によって、先行するユダヤ教・キリスト教とイスラームは立場が同じであることを強調した。「セム族の啓示宗教」、あるいは単に「啓示宗教」と称されることがある。 比較宗教学の観点ではインド宗教(Dharmic、Indian religions)、東アジア宗教(Taoic、East Asian religions)と並ぶ三分類の一つに位置付けられる。 神の言葉をまとめたものであるとされる聖典(聖書やクルアーン(コーラン))に重きを置く。バハーイー教のような三宗教から派生した宗教を含める場合もある。2006年現在、アブラハムの宗教の信者数は約34億人と推計されている(うちキリスト教約21億人、イスラム教約13億人、ユダヤ教約1500万人)。 『創世記』によると、アブラハムには二人の息子、イシュマエルとイサクがいたという。イシュマエルはアブラハムの妻サラの奴隷ハガルが生んだ子、イサクはアブラハムの妻サラが生んだ子である。ユダヤ人はイサクの息子ヤコブの子孫であるといい、イスラム教のコーランはアラブ人をイシュマエルの子であるとする。『創世記』では、ヤコブのまたの名がイスラエルであることから、ユダヤ人は「イスラエルの民」と呼ばれる。ユダヤ教とはシナイ山でイスラエルの民の神と預言者モーセの率いるイスラエルの民との間に結ばれた契約モーセの十戒を元とする宗教である。イスラエルの民の神との契約を記した書がトーラー(律法『モーセ五書』)であり、キリスト教では旧約聖書と呼ばれる。 キリスト教はナザレのイエスを神の子としてメシアと認め、イエス以後の神との契約と歴史を記した新約聖書を旧約聖書とともに正典(啓典)とする。 イスラム教はイエスとモーゼらユダヤの預言者たちを神によって選び出され(召命され)神の言葉を伝える使命を帯びた者であると認め、ムハンマドを最高最後の預言者であるとした。イスラム教は、ムハンマドに下された啓示をまとめたコーラン(クルアーン)がもっとも忠実に神の言葉を伝える啓典であると考えることから『モーセ五書』、『詩篇』、インジール(福音書)を啓典と認めはしても、これに重きを置くことはない。また啓典と認めるといっても、現在キリスト教徒やユダヤ教徒が使っているそのままの形のものを認めているわけではなく、本来有った正しい形のものは失われ、現存しているそれらは書き換えられたものだとしているため、歴史上の参考資料などには利用しても、それらを啓典として用いることはない。また、キリスト教とユダヤ教は少なくとも旧約聖書の部分では世界観を共有しているが、イスラームの世界観はそれらとは独立して存在している。イスラームの預言者伝承では、聖書と共通の人物の話であっても、人物の親族名称や、舞台、活躍した年代などが異なる例が多い。イスラム教による伝統的な呼び方ではユダヤ教およびキリスト教徒を「啓典の民」と呼んだ。その他、マニ教やバハーイー教などの宗教もアブラハムの宗教に分類される。アブラハムの宗教はいずれも一神教であり偶像崇拝を禁じている。 「アブラハムの宗教」(アラビア語: ملة إبراهيم‎)という言葉は、『クルアーン』の中にしばしば登場する(「雌牛」130節ほか)。 ユダヤ教・キリスト教・イスラム教を、起源の係累や類似性から一つの宗教群として標識する試みは独自に幾度も行われている。そのため、これら三宗教は、「砂漠の一神教」、「聖書宗教」、「啓典宗教」など多くの「総称」を持ち、「アブラハムの宗教」もそのひとつである。 ユダヤ教 キリスト教 モルモン教 イスラム教 バーブ教 バハーイー教 マニ教 - ローマ帝国に広まった西方キリスト教を批判し、自らを独立した宗教ではなく正統なキリスト教であると自称した。現在は消滅。 アフマディー教団 ドゥルーズ派 ^ Preston Hunter, Major Religions of the World Ranked by Number of Adherents 藤本勝次『マホメット』中央公論新社<中公新書>、1971年6月。ISBN 4-12-100254-7 啓典の民 創造神話 宗教 天使 宗教一覧 唯一神教 ユダヤ教 キリスト教 イスラム教 キリスト教とイスラム教 ヴェーダの宗教…インド発祥の宗教に端を発する教えを指すものであり、現代ではヒンドゥー教・仏教などアブラハムの宗教では無い宗教として人口比で世界的に重要な地位にある。
アブラハムの宗教
タントラ教
タントラ教(タントラきょう、Tantrism、タントリズム)とは、バラモン教(ヒンドゥー教)・仏教(密教)を問わず、タントラと呼ばれる経典を奉じる、インドの神秘主義的教団の、欧米における総称。 この呼称は、ちょうど古代インドのヴェーダを奉じる集団を、バラモン教(Brahmanism, ブラフマニズム)と総称するのと同じ話で、類似した集団をひとまとめで分り易く呼び表すために欧米で作られた言葉であり、特定の教団を指す言葉ではない。もちろん、当人たちがこのような自称をしていたわけでもない。 また、「タントラ」自体も、紀元後のインドで徐々に広まった経典一般の新呼称であり、特定の経典を指した言葉ではない。 1~2世紀ごろ、北インド(いまでいうカシミール地方)のアーリア系のバラモン教から端を発している。7~8世紀以降に南インドで広がりはじめ、9~12世紀には、シヴァ派、ヴィシュヌ派、仏教の思想に大きな影響を与えた。後期インド仏教(密教)、そしてチベット仏教もタントラ哲学を基本的思想に取り入れている。 実際のところ、タントラ教という宗教集団がいたわけではなく、タントラ的な考え方(タントラ哲学、タントリック)をもつ人たちである。「大いなる意識」は「創造主」とも「宇宙」とも「神」とも解釈できるが、「自己」との繋がりは特定の人や階層によらず、すべての人に与えられた存在であり、恵みであるという考え方である。 この考えの根幹にあるのは、『あらゆる存在に、美があり、善があり、生きている存在そのものに繋がりからの恵みがある』というものである。 タントラ ヨーガ#アヌサラ・ヨガ 錬金術 チベット仏教 真言立川流
タントラ教
アージーヴィカ教
アージーヴィカ教(アージーヴィカきょう)(またはアージーヴァカ教とも)は、古代インドの宗教の一つである。マウリヤ朝のアショーカ王碑文に仏教、バラモン教、ジャイナ教と並んで「アージーヴィカ」の名前が出ている。仏教やジャイナ教と同時期に生まれた宗教である。一時期はバラモン教やジャイナ教、仏教などと並ぶ一大宗教であった。 マッカリ・ゴーサーラが主張した「運命がすべてを決定している」という運命決定論、運命論、宿命論を奉じていた。さらに意志に基づく行為や、修行による解脱をも否定した。エローラにあるローマス・リシ窟(前3世紀の石窟寺院)はアージーヴィカ教徒のためのものであったらしい。 南インドにおいて13世紀までアージヴィカ教の信徒がいたことが、碑文によって実証されているが、その後全く姿を消し現在信徒はいない。 宗教一覧 ^ a b 水野弘元『増補改訂パーリ語辞典』春秋社、2013年3月、増補改訂版第4刷、p.334 ^ a b DN 2 (Thanissaro, 1997; Walshe, 1995, pp. 91-109). ^ DN-a (Ñāṇamoli & Bodhi, 1995, pp. 1258-59, n. 585).
アージーヴィカ教
ヴィシュヌ派
ヴィシュヌ派(ヴァイシュナヴァ, Vaiṣṇava)は、ヒンドゥー教における有力な宗派の1つ。 ヴィシュヌ神、及びその多様な化身(アヴァターラ)を最高神として崇拝する。 『マハーバーラタ』『バガヴァッド・ギーター』などを主たる典拠とし、そこに登場するクリシュナはヴィシュヌ神の主たる化身(アヴァターラ)として崇拝される。「最高神に対する絶対的帰依」を意味する「バクティ」(信愛)の概念も、このヴィシュヌ派によって広められた。 ヴィシュヌ派に括られる主な派としては、以下のようなものがある。 バーガバタ派(Bhāgavata) 教義はバガヴァッド・ギーターに盛り込まれている マドバ派 ビシュヌスバーミン派 ニンバールカ派 バッラバ派 チャイタニヤ派 パンチャラートラ派(Pañcarātra) ナーラーヤナを崇拝し、タントリズムを基調とする ^ a b ヴィシュヌ派とは - コトバンク/世界大百科事典 『バガヴァッド・ギーター』 ヒンドゥー教
ヴィシュヌ派
バリ・ヒンドゥー
バリ・ヒンドゥーとは、バリ土着の信仰とインド仏教やヒンドゥー教が習合した信仰体系であり、バリの人びとの90%以上がこれにしたがった生活を送っている。 バリ島では、クディリ朝の支配下に入った11世紀初めごろからヒンドゥー・ジャワ文化の影響が及び始め、その後しばらくジャワの支配を離れるが、マジャパヒト(マジャパイト)王国がバリを征服した1343年以後、16世紀初めにジャワのイスラム化によって同王国が滅亡するまでにヒンドゥー化が広く浸透した。マジャパヒト王国滅亡時にジャワの貴族や僧侶が大挙してバリに亡命したためであり、現在のバリ人の大半はマジャパヒト王国民の末裔であると自負している。これ以降、20世紀初頭にオランダによって植民地化されるまで、バリは独自の歴史を歩み続け、バリ・ヒンドゥーの宇宙論を発展させた。 バリ・ヒンドゥーにはさまざまな神が存在するが、インドネシア共和国独立後は、建国五原則パンチャシラのひとつにある「唯一神の信仰」に従って、そうした神々は、唯一神サン・ヒャン・ウィディ(英語版)のさまざまな現われに過ぎないと公式解釈されるようになっている。 バリ・ヒンドゥーのカーストは、次の四つのワンサに分かれており、上から3つが「トリワンサ」(貴族)と呼ばれる。人口の90%以上はスードラに属する。バリの人びとの名の頭には、カーストによって以下の名称が付される。 ブラフマナ:イダ・バグス(男性)、イダ・アユ(女性) サトリア:チョコルダ、アナック・アグン、デワ ウェシア:グスティ スードラ:イ(男性)、ニ(女性) バリ・ヒンドゥーのカーストは、インド・ヒンドゥーのような厳しい戒律による差別はみられず非常に緩やかなシステムである。いわゆる不可触賤民も存在しない。 人びとの生活レベルでバリ・ヒンドゥーの信仰体系を作り、支えているのがデサ、バンジャールと呼ばれる地域組織である。 デサは、カヤンガン・ティガと呼ばれる三位一体の寺院を中心として形成される「村」である。カヤンガン・ティガを構成する寺院のうち、プラ・バレ・アグン(大会議堂寺院)とプラ・プセー(起源寺院)は村の山側(カジャ)に位置しており、プラ・ダルム(死者の寺院)は海側(クロッド)にあり、プラ・ダルムは多くの場合、墓地とともにある。バリの人びとにとって、カジャは聖なる場所であり、クロッドは穢れた場所であるから寺院の配置もそれに従ったものになっている。 デサは土地と密接に結びついた共同体であり、その成員は、供犠や寺院祭礼を通して、デサの領域を宇宙の安定のために清浄に保つ責任を負っている。 バンジャールは、デサ内での共同居住を原則とする地域単位である(バリ島南部ではひとつのデサが複数のバンジャールで構成される)。デサ単位のものを含むすべての儀礼(ヤドニャ)の準備はバンジャールの成員が共同労働で行うため、バンジャールのメンバーシップなしにはバリ人は生きていけない。 バリのカースト制はインドのように厳格なものとはいえないとはいえ、最高司祭プダンダはブラフマナ出身者に限られている。これに対して、非ブラフマナの宗教司祭はプマンクーと呼ばれ、その権威・権能も限られている。 観光客がしばしば目にする葬式や祭りなどの祭礼とは別に、プダンダが毎朝の義務として行なっているのがスーリヤ・セーヴァナ(太陽の崇拝)である。この太陽とは、シヴァの現われとしての太陽である。マントラとムドラーが中心となっており、その本質は、自分自身がシヴァと同一化することで自己浄化を行なうことにある。 またプダンダの儀礼は、聖水を創り出すという点で、プダンダ以外の人びとにとっても重要な意味を有している。葬式などの儀式では常にこの聖水が必要とされるからである。なお、プダンダは、これらの儀式の際には聖水を与えるだけで他の役割を果たすことはない。 プマンクーの儀式は、丸覚えのサンスクリットのマントラを唱えながら花などを神に捧げるという単純なものである。マントラの内容はおおよそ、 自己の浄化と聖水の醸成 太陽たるシヴァへの帰依 師たるシヴァへの帰依 最高神シヴァへの帰依 女神への帰依 現世的幸福への祈り 解脱への祈り の7つの要素から成り立っている。シヴァは同時に仏陀としても捉えられて、「南無仏陀・南無シヴァ」などといった要素が繰り返し現われるが、全体の構成は明白にシヴァ教のものである[要ページ番号]。 バリに見られるさまざまな儀礼は5つのカテゴリーに分類され、これをパンチャ・ヤドニャという。ただし実際にはこの区分はあいまいで、パンチャ・ヤドニャの分類は、儀式の焦点がどこに向けられているのかを示すものにすぎない。どの儀式においても、バリ・ヒンドゥーのコスモロジーの根底をなす二元性の維持にまなざしが注がれており、排他的にひとつの対象にだけに供犠がなされているわけではないからである。 第一のブタ・ヤドニャは、祓い・浄化の儀式である。ブタは悪霊を意味し、チャルと呼ばれる供物がこの地下世界の悪霊に捧げられ、土地の浄化が行なわれる。 第二のマヌサ・ヤドニャは、通過儀礼である。バリ暦(英語版)で、出生時、生後12日、42日、3ヶ月後や、210日後の最初の誕生日、また結婚前には削歯儀礼が行なわれる。 第三のピトラ・ヤドニャは、死に関する儀礼である。ただし、一般には葬儀のみで終わることも多い。 第四のデワ・ヤドニャは、神々に対してなされる儀礼である。ウク暦ないしバリ風に変化したサカ暦(en)の一年に一度、寺院祭礼が行なわれ、寺にまつられている神や祖霊神が降臨する。また、寺院祭礼の他にも、神々や祖霊神を祭る儀礼としてガルンガン、クニンガンがある。 第五のルシ・ヤドニャは、祭司になるための通過儀礼である。プダンダになるための儀礼をムディクサ、プマンクーになるための儀礼やその他の加入儀礼をムウンティンと呼ぶ。 バリ語 ブサキ寺院、バトゥル寺院、タナロット寺院、ティルタウンプル寺院 松下仁美 - インドネシア公認バリヒンドゥー聖職者 ^ 高島淳「ヒンドゥー文化としてのバリ」吉田監修、河野・中村編『神々の島バリ―バリ・ヒンドゥーの儀礼と芸能』(春秋社, 1994年)。 吉田禎吾監修、河野亮仙・中村潔編『神々の島バリ―バリ・ヒンドゥーの儀礼と芸能』(春秋社, 1994年)
バリ・ヒンドゥー
ミトラ教
ミトラ教またはミトラス教またはミスラス教(英語: Mithraism)は、古代ローマで隆盛した、太陽神ミトラス(ミスラス)を主神とする密儀宗教(英語版)である。 ミトラス教は古代のインド・イランに共通するミスラ神(ミトラ)の信仰であったものが、ヘレニズムの文化交流によって地中海世界に入った後に形を変えたものと考えられることが多い。 紀元前1世紀には牡牛を屠るミトラス神が地中海世界に現れ、紀元後2世紀までにはミトラ教としてよく知られる密儀宗教となった。ローマ帝国治下で1世紀より4世紀にかけて興隆したと考えられている。しかし、その起源や実体については不明な部分が多い。 近代になってフランツ・キュモン(英語版)が初めてミトラス教に関する総合的な研究を行い、ミトラス教の小アジア起源説を唱えたが、現在ではキュモンの学説は支持されていない。 ミトラス教は牡牛を屠るミトラス神を信仰する密儀宗教(英語版)である。信者は下級層で、一部の例外を除けば主に男性で構成された。信者組織は7つの位階を持つ(大烏、花嫁、兵士、獅子、ペルシア人、太陽の使者、父)。また、入信には試練をともなう入信式があった。 ミトラス教はプルタルコスの「ポンペイウス伝」によって紀元前60年ごろにキリキアの海賊の宗教として存在したことが知られているが、ローマ帝国で確認されるミトラス教遺跡はイランでは全く確認されていないため、2世紀頃までの発展史はほとんど明らかではない。しかしミトラス教は2世紀頃にローマ帝国内に現在知られているのとほぼ同じ姿で現れると、キリスト教の伸長にともなって衰退するまでの約300年間、その宗教形態をほとんど変化させることなく帝国の広範囲で信仰された。 キュモン以降、ミトラス教はインド・イランに起源するミトラス神や、7位階の1つペルシア人をはじめとするイラン的特徴や、初期に下級兵士を中心に信仰されたという軍事的性格から、ミトラス教は古代イランのミスラ信仰に起源を持つと考えられてきた。しかし両者の間には宗教形態の点で大きな相違点があり、古代イランにおけるミスラはイランを守護する民族の神であり、公的、国家的な神だったが、ローマ帝国におけるミトラス教は下級層を中心とした神秘的、秘儀的な密儀宗教の神であり、公的であるどころか信者以外には信仰の全容が全く秘密にされた宗教であったし、民族的性格を脱した世界的な救済宗教としての素質を備えていた。こうした宗教としての根本的なちがいは研究者にとって悩みの種であり、現在ではキュモンのようにイランのミスラ信仰から直接的に発展したと捉えることは困難とされている。しかしミトラス教のイラン起源を全く否定することもできず、ミトラス教の黎明期に教祖ないし宗教改革者が存在したことを想定する研究者もいる。 他方、エルネスト・ルナンの有名な1節によって、ミトラス教がキリスト教の有力なライバルであり、ローマ帝国の国教の地位を争ったほどの大宗教だったとする過度な評価は現在も根強い。さらにキリスト教との類似からキリスト教の諸特徴がミトラス教に由来するという説が論じられることも多い。他宗教との比較という点では、日本では以前から大乗仏教の弥勒信仰がインド・イランのミスラ信仰に由来することが論じられてきたが、宗教形態の違いから、むしろ近年ではミトラス教と比較されることがある。 元々、ミトラス神は、古代インド・イランのアーリア人が共通の地域に住んでいた時代までさかのぼる古い神ミスラ(ミトラ)であり、イラン、インドの両地域において重要な神であった。特に『リグ・ヴェーダ』においてはアーディティヤ神群の一柱であり、魔術的なヴァルナ神と対をなす、契約・約束の神だった。アーリア人におけるこの神の重要性をよく示しているのがヒッタイトとミタンニとの間で交わされた条約文であり、そこにはヴァルナ、インドラ、アシュヴィン双神といった神々とともにミスラの名前が挙げられている。 その後、インドにおいてはミスラの重要性は低下したが、イランでは高い人気を誇り、重要な役割を持ち、多数の神々のなかでも特殊な位置付けであった。ゾロアスターは宗教観の違いからアフラ・マズダーのみを崇拝すべきと考えてミスラをはじめとする多くの神々を排斥したが、後にゾロアスター教の中級神ヤザタとして取り入れられ、低く位置づけられはしたが、『アヴェスター』に讃歌(ヤシュト(英語版))を有した。ゾロアスター教が浸透していたアケメネス朝ペルシアでは、それまでアフラ・マズダーの信仰だけが認められていたが、紀元前5世紀頃のアルタクセルクセス2世はミスラを信仰することを公に許可した。さらにゾロアスター教がサーサーン朝ペルシア(226年-651年)の国教となると英雄神、太陽神として広く信仰された。 ミトラス教に関する最古の記録はプルタルコスの「ポンペイウス伝」である。これによるとポンペイウスの時代(紀元前106年~前48年)、ミトラス教はキリキアの海賊たちが信仰した密儀宗教の中でも特に重要なものだった。海賊たちはミトリダテス6世を支援し、広範囲にわたって海賊行為を働いたため、前67年、ポンペイウスによって掃討された。 プルタルコスと同時代の詩人スタティウスの91年頃の作品である『テーバイス』(1・719-720)にはミトラス教について言及している箇所があるが、その内容は後世のミトラス神の聖牛供儀と同一のものである。この点からミトラス神の聖牛供儀の神話がこの時代にすでに成立していたことがわかる。しかし79年にヴェスヴィオス火山の噴火で滅びたポンペイからはミトラス教の遺跡が発見されていないことから、この時点ではミトラス教はまだイタリアに伝わっていなかったという説がある。いずれにせよ、150年頃、ローマ帝国内に姿を現したミトラス教はまたたく間に全土へ広がり、やがてローマ皇帝たちも個人的ではあったが関心を示すようになった。 コンモドゥス帝(在位180年-192年)はローマ皇帝で初めてミトラス教に儀式に参加した皇帝とされ、コンモドゥス帝はオスティアの皇帝領の一部を寄進した。この時代、ミトラス教の考古学資料は増大し、中には属州でコンモドゥス帝のためにミトラスに奉納した旨を伝える碑文も発見されている。ルキウス・セプティミウス・セウェルス帝(在位193年-211年)の宮廷にはミトラス教の信者がいた。 しかし250年ごろからディオクレティアヌス帝の統治が始まる284年ごろまでの間はミトラス教遺跡は激減する。これはダキアにゲルマン民族が侵入して帝国の北方地域が荒廃したためである。ルキウス・ドミティウス・アウレリアヌス(在位270年-275年)は、ローマ帝国内の諸宗教を太陽神ソル・インヴィクトスのもとに統一しようとしたが、これはミトラス神ではない。太陽神殿跡からはミトラス教の碑文が発見されているが、それはコンモドゥス帝時代のものである。その後、ディオクレティアヌス帝(在位284年-305年)は他の共同統治者とともにローマ帝国の庇護者である不敗太陽神ミトラス(Dio Soli invicto Mithrae Fautor)に祭壇を築いた。 しかしこの時代が過ぎるとミトラス教は衰退に向かった。ディオクレティアヌスやガレリウスはキリスト教を迫害したが、続く大帝コンスタンティヌス1世(在位306年-337年)はキリスト教を公認し(313年)、325年のニカイア公会議を主導、死に際してはキリスト教の洗礼を受けた。この時代以降、ミトラス神殿がキリスト教徒によって襲撃されるようになり、実際にオスティアの神殿の1つやローマのサンタ・プリスカ教会の地下から発見された大神殿などには破壊の跡がみられる。各地で碑文も減少し、増長するキリスト教会の特権を廃して古代の神々の復権を図った皇帝ユリアヌス(在位361年-363年)の治下では増加するが、それは一代のわずかな期間にすぎず、5世紀頃には消滅してしまった。 ミトラス教の図像は主に牡牛を屠るミトラス、岩から生まれるミトラス、獅子頭神が知られている。またミトラス神の物語を描いたミトラス神一代記と呼ばれる一連の図像群がある。 この図像はミトラス神による聖牛供儀の場面を描いている。ミトラス神はペルシア風の衣装に身を包んでおり、牡牛の背中に乗りかかって左膝をつきながら、右足で牡牛の後ろ脚を押さえつけている。その左手は牡牛の鼻面をつかみ、右手は牡牛に剣を突き立てている。傷口からあふれる血には犬と蛇が、また牡牛の腹の下ではサソリが牡牛の生殖器に跳びかかっている。ミトラス神の両側には松明を持った2人の脇侍神カウテースとカウトパテースが侍り、またそれ以外にも太陽と月、四方の風、十二宮、カラスなどのシンボルを伴う。 この図像が聖牛の供儀によって生命力が解放されるさまを描いていることから、ミトラス教は豊穣崇拝と密接な関係があると考えられる。これはミトラス教の図像の中で最も重要なもので、ミトラス教神殿の至聖所中央に必ずこの図像が配置され、その前で儀礼が執り行われた。 犬と蛇は牡牛の血を飲もうとしている。 牡牛の睾丸を攻撃するサソリ。 この獅子頭と翼を持った異貌の神像はこれまでに約40体ほど発見されているが、それにもかかわらず神名や、ミトラス教においてどのような役割を持つのか、文献による証言をはじめミトラス教の碑文に全く現れていないために、今もってその正体は不明である。キュモンの説ではこの神は時間神クロノス=サトゥルヌスであり、イランの神ズルヴァーンに由来するという。 これに対してアンラ・マンユとする説もある。ミトラス教碑文にはわずか5例ながらアリマニウス(Arimanius)なる神名が現れているが、これはプルタルコスが『イシスとオシリス』においてオロマスデス(アフラ・マズダー)の敵対者として挙げている神アンラ・マンユである。しかしミトラス教碑文のアリマニウスが果たしてイランにおける悪神アンラ・マンユと同じ性格を持つのか、したがってミトラス教徒は悪魔崇拝をしたか、またゾロアスター教的な対立構造を持っていたのか疑問が残る。ミトラス神がイランのミスラとは異なっているように、アリマニウスもまたヘレニズム的な変化を遂げていたと考えられる。 碑文はいずれもアリマニウスを神として認めていることがうかがえ、特にローマ、ヨーク、アクインクムから出土したものはアリマニウスに誓願して神像を奉納した旨が記されている。この獅子頭神像が碑文のアリマニウスであるという明確な証拠はないが、ヨークから発見された碑文は頭部を欠いた神像を伴っており、首の部分には獅子のたてがみを思わせるものが残っている。 ミトラス教の信者層は概して下層の人間を中心としていた。初期の信者は下級兵士たちであり、そこから軍人たちや、商人、職人たちに信者を得ていった。後期には宮廷人の入信者が現れ、さらに皇帝たちからも関心を得た。女性の入信者が例外を除けばほとんど見られないことから、原則として女人禁制であったと考えられる。信者組織は神官職(アンティステス、サケルドス)と7つの位階(父、太陽の使者、ペルシア人、獅子、兵士、花嫁、大烏)に属する入信者たちで構成され、これ以外にも入信をしていない一般の信者たちがいた。入信希望者には目隠しのうえで厳しい試練的性格の入信儀式が課せられた。昇級の条件は不明である。信者たちは窓のない神殿で非公開の儀式や礼拝に参加したが、他の宗教に対しては排他的ではなく、他の宗教の祭礼や皇帝崇拝にも参加したらしい。積極的な布教活動をしなかったため、キリスト教が受けたような弾圧はミトラス教史を通じて受けることはなかった。 アンティステス ケサルテス ミトラス教徒の7位階はそれぞれ太陽系の星を守護神とした。またシンボリックな象徴物があり、たとえばオスティアの「フェリキッシムスのミトラス神殿」の床面のモザイクには7位階の象徴物が描かれている。以下に各位階について説明する。 父(パテル, pater) 守護神は土星(サートゥルヌス)。シンボルは錫杖、指輪。7位階のうち最上位に位置し、下位の信者たちの指導者的立場にある。父は神官職になることもできた。碑文では「父」位であり神官職アンティステスである者がいた。また「父」の中で最も上位にあたる「父の父」と呼ばれる者もいた。 太陽の使者(ヘリオドロモス, heliodromus) 守護神は太陽(ソール)。シンボルは 光背、ムチ。原義は「太陽の(helio)・走路(dromus)」。 ペルシア人(ペルセス, perses) 守護神は水星(メルクリウス)。シンボルは月、鋏、鎌。この位階名はミトラス教に存在するオリエント要素の1つである。 獅子(レオ, leo) 守護神は木星(ユーピテル)。シンボルは燃料用受け皿、シストルム(ガラガラ)、雷。獅子の仮面をつける。「獅子」位の入信のさいには「兵士」位の者によってハチミツが捧げられた。ポルピュリウスの『妖精たちの洞窟』(15)によると「兵士」の持つクラテールの中で少量のハチミツが水に溶かれ、それを「獅子」位の者の手に注ぐことで浄めとした。このため「獅子」位の者はメリクリスス(ハチミツを注がれた者)という戒名を持つ者がいたという。 兵士(ミリス, miles) 守護神は火星(マールス)。シンボルは背嚢、槍、兜。「兵士」位は7位階中、下位の召使い役を演じる3位階の最上位にあたり、上位の4位階に奉仕した。また「獅子」位の入信の際には浄めの儀式を行った。この位階名はキュモンによってミトラス教の軍事的性格を示すものとされたが、実際は豊饒女神の信仰に由来し、豊饒女神の戦神的側面を象徴するものであるらしい。 花嫁(ニュンフス, nymphus) 守護神は金星(ウェヌス)。シンボルは松明、輝く冠、ランプ。シリアのドゥラ・エウロポスのミトラス教資料では12人の「花嫁」位の隠者が知られている。ローマのサンタ・プリスカ教会(de:Santa Prisca)地下のミトラス神殿から発見された壁画には、花嫁用のヴェールをまとった「花嫁」位の信者がランプを持つ姿で描かれており、そこには「金星の守護を受ける花嫁たちに栄えあれ」という碑文が付されている。また4世紀前半のユリウス・フィルミクス・マテルヌス(英語版)の『異端誤謬論』(19・1)では「花嫁」位の者が行う儀式の典礼歌について述べられている。 大烏(コラクス, corax) 守護神は月(ルーナ)。シンボルは酒杯。 2013年に行われた英ロンドン考古学博物館の考古学チームが行ったロンドン中心部の金融街にあるビル建設予定地の発掘調査では、1954年にミトラ教寺院の遺跡が発掘され、1960年代に再建されていたが、これを解体して未発掘だった場所も発掘した。ミトラ教寺院はブルームバーグの新社屋が完成した時点で再建され、発掘で見つかった出土品も一般に展示された。 初期のキリスト教とミトラス教との関係性のアイデアは、キリスト教の「交わりの儀」を「悪魔的に模倣する」ミトラス教徒を非難した2世紀のキリスト教著述家ユスティノスの一時の感想を元にしている。これをもとにエルネスト・ルナンは1882年に、二つの宗教をライバルとして描写をした。「もしキリスト教の成長がいくつかの致命的な病によって遅らせられていたなら、世界はミトラス教化されていただろう」。エドウィン・M・ヤマウチ(英語版)はルナンの著作について「刊行されたのは150年近く前のこと、典拠たる価値は持ち得ない。彼(ルナン)はミトラス教についてほんの僅かしか知らない…」とコメントしている。 ミトラス教学者ではないジョセフ・キャンベルはミトラスの誕生をイエスのそれのような処女からの誕生であると記述した。彼はその主張に、古代の出典を与えていない。どの古代の原典においてもミトラスが処女から生まれたとは考えられていない。むしろ、洞窟の岩から自然に目覚めている。Mithraic Studies では、ミトラスは堅固な岩の中から大人の姿で生まれてきたと述べられている。「プリュギアの帽子を被り、岩の塊から生じた。今までのところではまだ彼の剥き出しの胴は見えない。めいめいの手で彼は灯された松明を高く掲げる。風変わりな細部として、ペトラ・ゲネトリクス(母なる岩)から彼の周りに赤い炎が吹き出る」。デイヴィッド・ウランジーはこれが鍾乳洞で生まれたとするペルセウス神話から着想された信仰であると推測する。 ローマ帝国時代、12月25日(冬至)にはナタリス・インウィクティと呼ばれる祭典があった。この祭典は、ソル・インウィクトゥス(不敗の太陽神)の誕生を祭るものである。このソル・インウィクトゥスとミトラスの関係をミトラス教徒がどう考えていたかは、当時の碑文から明白である。碑文には「ソル・インウィクトゥス・ミトラス」と記されており、ミトラス教徒にとってはミトラスがソル・インウィクトゥスであった。ミトラス教徒は太陽神ミトラスが冬至に「再び生まれる」という信仰をもち、冬至を祝った(短くなり続けていた昼の時間が冬至を境に長くなっていくことから)。 現代において、12月25日は一般にイエス・キリストの誕生日とされキリスト教の祭日「クリスマス」として認識されている。しかし、これはキリスト教が広がる過程で前述の祭を吸収した後付けの習慣である。『新約聖書』にイエス・キリストが生まれた日付や時季を示す記述はなく、キリスト教各宗派においてもクリスマスはあくまで「イエス・キリストの降誕を記念し祝う祭日」としており、この日をイエス・キリストの誕生日と認定しているわけではない。 ローマのサンタ・プリスカ教会にあるミトラス神殿遺跡の壁に書かれた文章、et nos servasti . . . sanguine fuso (そしてあなたは我らを救う……流された血によって)の意味ははっきりしていない。だけれども、他のいかなる出典でもミトラスの救済について言及はしておらず、おそらくミトラスによって殺された雄牛をさしている。 ロバート・ターカンによると、ミトラスの救済は個々の魂における他の世界的な運命にはほとんど関与しなかったが、邪悪な力に相対する、善き創造の宇宙的な闘争への人間の参加についてのゾロアスター教の様式には存在していた。 テルトゥリアヌスはミトラスの信奉者が彼らの額に様々な方法で印をつけていたと書いている。ここにはそれが十字か、烙印か、刺青か、他の不変な印であるのかというほのめかしは一切無い。 18世紀末から幾人かの著述家たちが、中世キリスト教美術の諸要素にミトラス教のモチーフの反映があると示唆した。 その中にはフランツ・キュモンもいた。しかし彼はいくつかの要素の組み合わせやそれらが様々な方法でキリスト教美術と結びつくかとは関係なく各々のモチーフを研究した。キュモンは異教に対する教会の大勝の後、芸術家たちが元来ミトラスから得られた蓄積されたイメージを『聖書』の馴染みの無い新しい物語にあてはめたのだと言った。「仕事場の締め付け」は初期キリスト教徒の美術が異教美術に甚だしく負っていたことと「服装と姿勢での少数の変更が異教の背景をキリスト教美術に変化させた」ことを意味した。 以来、一連の学者たちが中世ロマネスク美術にあるミトラス教モチーフの有意な類似性について議論している。フェルマースレン(ドイツ語版)は同様な影響の唯一つ確かな例は、炎のような馬に引かれた戦車に乗り、天に昇っていくエリヤのイメージであると述べた。デマンは孤立した要素を比較するのは無益であり、組み合わせが研究されるべきだと述べた。また彼はイメージの類似は、思想の影響であるか技法上の伝統であるかを我々に教えることは無いと指摘した。それから彼はミトラス教モチーフに類似する中世のモチーフのリストを与えたが、それらが主観的であることを理由に結論を引き出すことを拒否した。 仏教には、弥勒菩薩が存在し、「弥勒信仰」がある。この弥勒は、サンスクリット語ではマイトレーヤというが、マイトレーヤとは、ミスラの別名またはミスラから転用された神名である。[要出典]すなわち「マイトレーヤ」は、ミスラ神の名と語源を同じくする。「mitra/miθra」は本来「契約」というほどの意味だが、後には転じて契約によって結ばれた親密な関係にある「盟友」をも意味するようになった。マイトレーヤはその派生形容詞/名詞で「友好的な、友情に厚い、慈悲深い(者)」の意味となる。また、弥勒の字である阿逸多 Ajitaはミトラの母であるアーディティヤが変化したものと言われている。[要出典]ミスラはクシャーナ朝ではバクトリア語形のミイロ(Miiro)と呼ばれ、この語形が弥勒の語源になったと考えられ、クシャーナ朝での太陽神ミイロは、のちの未来仏弥勒の形成に影響を及ぼす。ミイロの神格は太陽神であるということ以外不明であるが、定方晟はマニ教の影響なども考慮して、救世主的側面があったのではないかと推測している。 松本文三郎の仮説では、このような比較神話学および比較言語学の系統分析によって、ミトラ教の神話体系が仏教では菩薩として受け入れられ、マイトレーヤを軸とした独特の終末論的な「弥勒信仰」が形成されたとする。マイトレーヤ信仰または弥勒信仰はのち中国など東アジアに伝わった。 なお仏教の弥勒信仰以外にも、インドではヴェーダにミトラ神(मित्र, mitra)が記されている。 中央アジア経由でソロアスター教から仏教に融合されて日本に至った神にミトラ神がある。ミトラ神はゾロアスター教では主神アフラ・マズダの下位の神である。このミトラ神が漢訳されて毘沙門天つまり多聞天となった。ミトラ神は、ソロアスター教の文献によれば千の耳を持つとされる。ゆえに多聞天と意訳された。(京都大学名誉教授、宮崎市定が推定)[要出典] ^ a b プルタルコス「ポンペイウス伝」24。 ^ M・P・ニルソン、E・ウィル、A・D・ノック、メルケルバッハ。 ^ a b Renan, E., Marc-Aurele et la fin du monde antique. Paris, 1882, p. 579: "On peut dire que, si le christianisme eût été arrêté dans sa croissance par quelque maladie mortelle, le monde eût été mithriaste." ^ 小川、リトン、p.62~63。 ^ ジョルジュ・デュメジル『神々の構造』、p.60-62、165。 ^ 岡田明憲『ゾロアスター教』、p.43、180-181。 ^ フェルマースレン、邦訳、p.32。 ^ 小川、リトン、p.175。 ^ 小川、中公新書のp.123。 ^ ヴィカンデル、邦訳、p.204。 ^ 小川、リトン、p.182。 ^ ヴィカンデル、邦訳、p.133によれば末期の数年間。 ^ 小川、リトン、p.36。 ^ a b 小川、リトン、p.231。 ^ 小川、リトン、p.229。 ^ 小川、リトン、p.230-231。 ^ 小川、リトン、p.229-230。 ^ 小川、リトンの図版p.5-6を参照。 ^ 小川、リトン、p.197。 ^ 小川、リトン、p.239。 ^ 小川、リトン、p.302、312。 ^ 小川、リトン、p.129。 ^ 小川、リトン、p.67。 ^ ロンドン金融街でローマ時代の遺物発見、工芸品など1万点 ^ Justin Martyr, First Apology, ch. 66: "For the apostles, in the memoirs composed by them, which are called Gospels, have thus delivered unto us what was enjoined upon them; that Jesus took bread, and when He had given thanks, said, "This do ye in remembrance of Me, this is My body; "and that, after the same manner, having taken the cup and given thanks, He said, "This is My blood; "and gave it to them alone. Which the wicked devils have imitated in the mysteries of Mithras, commanding the same thing to be done. For, that bread and a cup of water are placed with certain incantations in the mystic rites of one who is being initiated, you either know or can learn." ^ Edwin M. Yamauchi cited in Lee Strobel, The Case for the Real Jesus, Grand Rapids, MI: Zondervan, 2007, p.175 ^ Campbell, Joseph (1964). The Masks of God: Occidental Mythology. Viking Press.  pp. 260–61. ^ Professor Edwin Yamauchi cited in Reinventing Jesus Daniel Wallace, p. 242 ^ Mithraic Studies: Proceedings of the First International Congress of Mithraic Studies. Manchester U. Press, 1975, p. 173 ^ Ulansey, David. The Origins of the Mithraic Mysteries: Cosmology and Salvation in the Ancient World. New York: Oxford U. Press, 1989 ^ Turcan, Robert, "Salut Mithriaque et soteriologie neoplatonicienne," La soteriologiea dei culti orientali nell'impero romano,eds. U. Bianchia nd M. J. 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ミトラ教
シヴァ派
シヴァ派(シャイヴァ, Śaiva)は、ヒンドゥー教における有力な宗派の1つ。 2世紀のクシャーナ朝時代には、既に大きな勢力となっていた。 シヴァ神を最高神として崇拝する。シヴァ神には、「イーシュヴァラ」(自在天、主宰神/最高神)、「マヘーシュヴァラ」(大自在天)等の伝統的な絶対者概念が異名として取り込まれており、シヴァ派によるその「一者」概念の普及・探求は、ヨーガ学派や不二一元論などの哲学的発達にも寄与した。 サティー、パールヴァティー、ドゥルガー等のシヴァ神の妃も併せて崇拝され、またリンガと呼ばれる男性器(と女性器の交合)像をかたどった神体が用いられるのも特徴の1つ。 シヴァ派は仏典でも、「自在天(イーシュヴァラ)・大自在天(マヘーシュヴァラ)を崇拝し、体中に灰を塗りたくる外道」「人間の髑髏を連ねて首飾りにする外道」等として言及されている。 シヴァ派に括られる主な派としては、以下のようなものがある。 聖典シヴァ派 - アーガマを聖典とし、特に南インドのタミル地方で栄えた カシミール・シヴァ派 - カシミール地方を中心に栄えた。もともとはシバ派と同じ聖典を信奉していたようだが、9世紀から独自の神学が形成されていった パーシュパタ(獣主)派 シャクティ(性力)派 ラセーシュバラ(水銀)派 - 水銀はシバ神とその妃との結合から生じた不老不死の霊薬であり、これを服用し、ヨーガを行うことで、解脱できるとする リンガーヤタ派 - 特にカルナータカ地方に広まった。シバ神の象徴であるリンガを常に身につけ、カースト制度を否定し、偶像崇拝や巡礼など、外的な儀礼を廃止した カーパーリカ派 - 人間の髑髏を連ねて頭や首の飾りにするといった、独特の修行法を実践した エローラ石窟にヒンドゥー教の主神ともいえるシヴァ神が祭られている。エローラ石窟にアウランガバードという町の西北約30キロメートルのところにある。南北2キロメートルにわたって、仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の三つの宗教が石窟寺院に祭られている大石窟群である。巨大なエローラ石窟の中央に位置する第16石窟に、カイラーサナータ寺院がある。8世紀から9世紀にかけてつくられたものである。 ^ a b c シバ派とは - コトバンク/世界大百科事典 ^ イーシュバラとは - コトバンク/世界大百科事典 ^ アビナバグプタとは - コトバンク/世界大百科事典 ^ 世界文化遺産から読み解く世界史【第7回:官能的な神々――エローラ石窟群】 シヴァ神 ヒンドゥー教
シヴァ派
ヒンドゥー教
ヒンドゥー教(ヒンドゥーきょう、英: Hinduism、ヒンディー語: हिन्दू धर्म、サンスクリット語: सनातनधर्मः)、慣用表記でヒンズー教、ヒンヅー教、ヒンド教、ヒンドゥ教は、インドやネパールで多数派を占める民族宗教、またはインド的伝統を指す。西欧で作られた用語である。ヒンドゥー教徒の数はインド国内で8.3億人、その他の国の信者を合わせると約9億人とされ、キリスト教、イスラム教に続いて、人口の上で世界で第3番目の宗教である。 「ヒンドゥー」 Hindu の語源は、サンスクリットでインダス川を意味する sindhu に対応するペルシア語。「(ペルシアから見て)インダス川対岸に住む人々」の意味で用いられ、西欧に伝わり、インドに逆輸入され定着した。(同じ語がギリシアを経由して西欧に伝わって India となり、こちらもインドに逆輸入されて定着した。漢訳では玄奘による「印度」が定着している。)インド植民地時代に大英帝国側がインド土着の民族宗教を包括的に示す名称として採用したことから、この呼称が広まった。そのため、英語のHinduは、まずイスラム教徒との対比において用いられるのが現在では一般的で、イスラム教徒以外で小宗派を除いた、インドで5億人を超えるような多数派であるインド的な複数の有神教宗派の教徒の総称である。 同じくヒンドゥー教と訳される英語のHinduismは、最も広い意味・用法ではインドにあり、また、かつてあったもの一切が含まれていて、インドの歴史では先史文明のインダス文明まで遡るものであるが、一般的には、アーリア民族のインド定住以後、現代まで連続するインド的伝統を指す。西洋人は、このうち仏教以前に存在した宗教をバラモン教(Brahmanism)と名付け、特にヴェーダ時代の宗教思想をヴェーダの宗教(Vedic Religion)と呼んだ。これらは日本の漢訳仏典の婆羅門教(ばらもんきょう)に当たる[疑問点 – ノート]。 ヒンドゥー教の狭い意味での用法は、仏教興隆以後発達して有力になったもので、とくに中世・近世以後の大衆宗教運動としてのシヴァ教徒・ヴィシュヌ教徒などの有神的民衆宗教を意識しての呼び方であることが多い。 日本では慣用表記ではヒンズー教、ヒンド教、一般的にはヒンドゥー教と呼ばれるが、時にインド教と呼ばれることもある。中国、韓国でも「印度教」と呼ばれるが、現在のインドは世俗国家であり国教はなく、インドでこのように呼ばれたことはない。 狭い意味でのヒンドゥー教は、バラモン教から聖典やカースト制度を引き継ぎ、土着の神々や崇拝様式を吸収しながら徐々に形成されてきた多神教である。紀元前2000年頃にアーリア人がイランからインド北西部に侵入した。彼らは前1500年頃ヴェーダを成立させ、これに基づくバラモン教を信仰した。 紀元前5世紀ごろに政治的な変化や仏教の隆盛がありバラモン教は変貌を迫られた。その結果、バラモン教は民間の宗教を受け入れ同化してヒンドゥー教へと変化して行く。(バラモン教もヒンドゥー教に含む考えもある。)ヒンドゥー教は紀元前5 - 4世紀に顕在化し始め、紀元後4 - 5世紀に当時優勢であった仏教を凌ぐようになった。その後インドの民族宗教として民衆に信仰され続けてきた。 神々への信仰と同時に輪廻や解脱といった独特な概念を有し、四住期に代表される生活様式、身分(ヴァルナ)・職業(ジャーティ)までを含んだカースト制等を特徴とする宗教である。 三神一体(トリムルティ)とよばれる近世の教義では、中心となる3大神、すなわち ブラフマー:宇宙、世界に実存、実在の場を与える神 ヴィシュヌ:宇宙、世界の維持、平安を司る神 シヴァ:宇宙、世界を創造し、その寿命が尽きた時に破壊、破滅を司る神 は一体をなすとされている。 しかし現在では、ブラフマー神を信仰する人は減り、ヴィシュヌ神とシヴァ神が二大神として並び称され、多くの信者がいる。ヴィシュヌ神を信仰する派をヴィシュヌ教、またシヴァ神を信仰する派をシヴァ教と呼ぶ。 ヒンドゥー教の神や祭祀は一部形を変えながらも、日本の仏教に影響を与えている。以下にヒンドゥー教の特徴を解説する。 インド国内の広義の定義においては、「ヒンドゥー教」にはキリスト教やイスラム教などインド以外の地域で発祥した特定宗教以外のすべての宗教が相当する。一例として、インドにおいて仏教はヒンドゥー教の一派とされる。インド憲法25条では、(ヒンドゥー教から分派したと考えられる)シク教、ジャイナ教、仏教を信仰する人も広義のヒンドゥーとして扱われている。 ヒンドゥー教には極めて様々な信仰、霊性や風習が包括され、かつ体系化されている。一方でキリスト教に見られるような教会制度や宗教的権威は存在せず、また預言者も居なければ纏まった形の共通の聖書も存在しない。よってヒンドゥー教徒は多神教、汎神論、一神教、不可知論、無神論、ヒューマニズムを自身の思想として自由に選ぶことができる。ヒンドゥー教の包含する信仰、思想、真理は広範で、そのため「ヒンドゥー教」に包括的な定義を与えることは困難である。これまでにも、1つの宗教である、1つの風習である、信仰の集合である、生活様式である、と言った具合に様々に定義されてきた。西洋の言葉上の観点からはヒンドゥー教は、例えばキリスト教等と同様に1つの宗教であるとされているが、インドでは「ダルマ」(dharma)という語が好まれる。この語はいわゆる「宗教」よりも意味が広い。特にヒンドゥー教の伝統主義者はサナータナ・ダルマ(Sanatana Dharma、永遠の、あるいは古代のダルマの意)という語を好む。 インド、インドの文化、インドの宗教に関する研究、そしてヒンドゥー教の定義は、植民地主義の利益を目的とし、西洋の持つ「宗教」という概念の枠組みから行われてきた。1990年以降はこれら西洋のもたらした影響や、それによって生じた変化などがヒンドゥー教の研究者の間でも議題に挙がるようになり、それは西洋的視点に対する批判へと引き継がれている。 3大神はそれぞれ神妃をもち、夫婦共に多様な化身を有する。 ヴィシュヌ神 世界維持の神、慈愛の神、毘盧遮那、盧遮那。鳥神ガルーダに乗る。10大化身と呼ばれる多数の分身を有するが、それぞれの分身にはヴィシュヌ神としての自我は無く、それぞれの自我を持つ。例えば釈迦は釈迦であって釈迦ではなく、ヴィシュヌ神である。10大権現という概念の方が理解しやすい。 ラーマ ヴィシュヌ神の化身。叙事詩『ラーマーヤナ』で大活躍する。 クリシュナ ヴィシュヌ神の化身。叙事詩『マハーバーラタ』の英雄、民間に人気のある神。 釈迦 仏教の開祖である釈迦牟尼はヒンドゥー教ではヴィシュヌ神の9番目の化身とされている。 ラクシュミー ヴィシュヌ神の神妃、富と幸運の女神。北伝仏教では吉祥天。 カーマ ヴィシュヌ神の娘、恋愛、性愛、和合を司る神。 シヴァ神 創造と破壊の神、乗り物は牡牛のナンディン、トラの皮をまとい首にコブラを巻く。しばしば結跏趺坐し瞑想する姿で描かれる。北伝仏教では大自在天(降三世明王に降伏され仏教に改宗したとされる)。 マハーカーラ シヴァ神の化身。チベット仏教など仏教においても信仰される。北伝仏教では大黒天。 パールヴァティー シヴァ神の神妃、ヒマラヤ神の娘、穏やかで心優しい ドゥルガー パールヴァティーの化身の一つで美しい戦いの女神、虎に騎乗して水牛に化けた悪魔を倒す美しい神像が有名。 カーリー パールヴァティーの化身の一つで荒々し殺戮の神。しばしば多くの生首を首、腰に巻き付け殺戮に狂う荒神の像で現される。コルカタ(カルカッタ)の地名はカーリーから来ている。 ブラフマー神 形而上および現実に存在する全てに対して実存する為の縁起を与える神。神であれ、人であれ、実存しているのならばブラフマーの働きに依存している。神学的哲学の根元。擬人化され水鳥ハンサに乗った老人の姿で表される。北伝仏教では梵天。新義真言宗では大日如来。釈迦もしばしば言及したとされる。 サラスヴァティー ブラフマー神の神妃、北伝仏教では弁才天。 3大神は、信者個人の信仰においては並立しているわけではない。たとえば「シヴァ神」を最高神と崇める人にとって、「ヴィシュヌ神」は劣位ではあるが敬うべき神である。また神話の中で3大神の化身と共に活躍する神や、3大神の子神も信仰されている。 ガネーシャ シヴァ神の子供で象の頭を持つ神、鼠に乗る。富と繁栄、智恵と学問を司る。北伝仏教では歓喜天(聖天)。 ハヌマーン 外見が猿の神、叙事詩『ラーマーヤナ』でラーマ王子を助けて活躍する。身体の大きさを自由に変えられる。孫悟空の元になったと考えられる。 インドラ 雷神、天空神。『リグ・ヴェーダ』の中心的な神で、古くバラモン教の時代には盛んに信仰された。北伝仏教では帝釈天。 インドの国立博物館にヒンドゥー教の神々の多様な神像が収蔵・展示されている。 四住期(アーシュラマ)とはヒンドゥー教独特の概念で、最終目標の解脱に向かって人生を4つの住期に分け、それぞれの段階ごとに異なる目標と義務を設定したもの。なお四住期は、上位ヴァルナのバラモン、クシャトリア、ヴァイシャにのみ適用され、シュードラ及び女性には適用されない。四住期について概略を示す。 受胎から入門式(8 - 12歳)までは四住期に入らず、この間は一人前の人間とは見なされない。 学生期 - 本来の意味は、特定の師匠(グル)に弟子入りして聖典ヴェーダを学習する時期であったが、クシャトリアは武人としての技能の鍛錬や行政統治の実務の勉強も行い、ヴァイシャも世襲の職業に関する勉強も行った。現在では就学期間に相当。 家住期 - 学生期を終えると家業に務め結婚して家族を養う家住期に入る。男子をもうけて先祖の祭祀を絶やさないことが重要視される。このためインドでは中国のような一人っ子政策は受け入れられにくい。『カーマ・スートラ』は家住期を充実させるための経典である。家住期において家長は家業を繁栄させて大いに儲け、その金を喜捨することも重要と考えられている。 林住期 - 家住期を終えると解脱に向けた人生段階に入る。孫の誕生を見届けた家長は家を離れて荒野や林に住み、質素で禁欲的な生活を営む。 遊行期 - 林住期を終えると住まいを捨てて遍歴行者となって放浪し、解脱を目指す。 過去においても現在でも、全てのヒンドゥー教徒が四住期を全うするわけではない。ちなみに仏教の開祖釈迦も当時のバラモン教の教えに従い、四住期に則った人生を送っている。即ち男子をもうけた後、29歳で釈迦族の王族の地位を捨て林間で修行をし、その後悟りを開いて布教の旅に出ている。 業(カルマ) 業はサンスクリットで 本来は行為の意味。因果思想と結合し、業はその善悪に応じて果報を与え、死によっても失われず、輪廻転生に伴って、代々伝えられると考えられた。「ウパニシャッド」にもその思想は現れ、輪廻思想・業感縁起の基礎となる。宿業思想に発展し、一種の運命論となった。中国、日本の思想にも影響を与えている。 業はインドにおいて、古い時代から重要視された。ヴェーダ時代からウパニシャッド時代にかけて輪廻思想と結びついて展開し、紀元前10世紀から4世紀位までの間にしだいに固定化してきた。 輪廻(サンサーラ) ヒンドゥー教では、輪廻を教義の根幹とし、信心と業(カルマ、karman)によって次の輪廻(来世)の宿命が定まるとする。具体的には、カースト(ヴァルナ)の位階が定まるなどである。生き物は、行為を超越する段階に達しないかぎり、永遠に生まれ変わり、来世は前世の業(行為)によって決定される。これが、因果応報の法則(善因楽果・悪因苦果・自業自得)であり、輪廻の思想と結びついて高度に理論化されて一部のインド人の死生観・世界観を形成してきた。 ヒンドゥー教では河川崇拝が顕著であり、水を使った沐浴の儀式が重要視されている。特にガンジス川(ガンガー)は川の水そのものがシヴァ神の身体を伝って流れ出て来た聖水とされ、川自体も女神ガンガーであるため「母なる川ガンジス」として河川崇拝の中心となっている。ガンジス川添いには沐浴場(ガート)が設けられた聖地が点在する。ヒンドゥー教徒は、沐浴場に設けられた石の階段を下りて川の水に頭までつかって罪を清め、あるいは水を飲む。 ヒンドゥー教は不殺生を旨とし、そのため肉食を忌避するので菜食主義の人が多い。しかし、身分やしきたりによってその度合いが異なる。一般的な菜食は植物に加えて鶏卵も可とする人と、鶏卵を不可とする人がいる。また上位カースト階級には、収穫の際に地中の生物を殺す惧れのあるタマネギなどの根菜類を不可とする人もいる。いずれの場合も牛乳および乳製品は良く食べられる。ところが宗派によっては祭りに際し犠牲獣を供することがある。その際、宗教儀式にしたがって神に捧げられたヤギなどの犠牲獣の肉を「お下がり」として食べる場合もある。しかし、どのような場合においても牛、特に瘤牛は神話にも出てくる聖獣で絶対に食べない。一方、同じ牛でもスイギュウは次々と姿を変える悪魔マヒシャの化身の一つであることから、コブ牛との扱いには差があり、家畜として使役され、その肉は輸出品にされている。 ヒンドゥー社会において牛は崇拝の対象となっている。神話にもたびたび牛が登場し、たとえばシヴァ神の乗り物はナンディンという牡牛である。実社会でも牡牛は移動・運搬・農耕に用いられ、牝牛は乳を供し、乾燥させた牛糞は貴重な燃料(牛糞ケーキ)となる。ただし聖別されているのは主として瘤牛であり、水牛は崇拝の対象とはならない。 ヒンドゥー神学では、牛の神聖性は輪廻転生と結びついている。ヒンドゥー教の輪廻転生の考え方は上下87段の階梯構造となっているが、最上段の人間に転生する1つ前の段階が牛であり、牛を殺した者は輪廻の階梯の最下段からやり直さなくてはならなくなると言われる。また、ヒンドゥー神学者は牛には3億3千万の神々が宿るとし、牛に仕え、牛に祈ることはその後21世代に渡ってニルヴァーナをもたらすという。 リグ・ヴェーダの時代には牛は富裕な階層が蓄える富のひとつであり、祭礼や戦勝祝いなどの饗宴の際には、ブラフマン祭司の監督下のもとに行われる儀礼的な屠殺の後に振る舞われた。時代が下り、人口が増え戦乱の時代が続くようになると、牛は気前よく振る舞うにはコストが掛かり過ぎる貴重品となり、食材としては高位カーストの独占物となった。 紀元前5世紀ごろ、ジャイナ教と仏教が勢力を伸ばし始める。これらの宗教は不殺生を標榜し、動物供犠や屠殺を非難して低位カーストの支持を集めた。その後9世紀にわたってヒンドゥー教と不殺生宗教の抗争は続いたが、インドにおいてはヒンドゥー教が勝利した。抗争の過程でヒンドゥー教側も牛の保護者を標榜するように変質し、非殺生の教義を取り入れていた。 民衆の牛への崇拝はインド大反乱のきっかけとなったとも言われ、マハトマ・ガンディーが牛への帰依心を言及したことも、彼が民衆から聖人のような名声を得る理由のひとつとなっている。 ヒンドゥー教の修行としてヨーガが挙げられる。ヨーガは『心身の鍛錬によって肉体を制御し、精神を統一して人生究極の目的である「解脱」に至ろうとする伝統的宗教的行法のひとつである』。ヨーガはヒンドゥー教の専有物ではなく、インドの諸宗教で実践されており、仏教に取り入れられたヨーガの行法は中国・日本の禅などの修行法にもつながっている。 ヴェーダの権威を受け入れ、ブラーフマナ(バラモン、司祭)階級の社会的階層の優位を容認する諸学派は「正統バラモン教」と認められ、その6系統のうちヨーガ学派は、心身を鍛錬しヨーガの修行で精神統一を図ることで、解脱に達することを説いた。正統バラモン教の各学派も、その学派の教学を学ぶことと並行して、ヨーガの修行を行っている。ヨーガ学派に代表される古典ヨーガの沈思瞑想による修行法は、4-5世紀頃に編纂されたといわれるヨーガ学派の教典である『ヨーガ・スートラ』にも書かれている。また身体を鍛錬するヨーガは、13世紀に始まる「ハタ・ヨーガ」と呼ばれる流派がある。「現代ヨーガの父」と呼ばれるティルマライ・クリシュナマチャーリヤ(英語版)(1888年 - 1989年)によって、体操などの西洋身体文化をもとに作られたヨーガも、伝統的なハタ・ヨーガに倣って「ハタ・ヨーガ」と呼ばれるが、古典ヨーガとも元来のハタ・ヨーガとも関係は薄いという。現在日本で行われている「ヨーガ教室」等の多くはこの流派に入る。 ヒンドゥー教で重要な位置を占めているのが、グル(サンスクリット語で、重いもの、闇から光へ導くもの、木星、導師という意味)である。グルはヨーガの修行を成就するにあたって、必要不可欠なものとされ、尊敬と崇拝を集めている。インドで宗教スピリチュアリズムや高度な戒律が発達したのは、グルを崇拝しているから、重いかどうかを本物かそうでないかの判断基準にしているからだと考えられる。 ヴィシュヌ派 シヴァ派 シャクティ派 スマールタ派 ヒンドゥー教はキリスト教やイスラム教のような、特定の開祖によって開かれたものではなく、インダス文明の時代からインド及びその周辺に居住する住民の信仰が受け継がれ時代に従って変化したものと考えられている。したがってヒンドゥー教がいつ始まったかについては見解が分かれている。 インダス文明(紀元前2,300年 - 1,800年)のハラッパーから出土した印章には、現代のシヴァ神崇拝につながる結跏趺坐した行者の絵や、シヴァ神に豊穣を願うリンガ崇拝につながる直立した男性性器を示す絵が見られる。しかしインダス文明の文字は解読できていないので、後代との明確な関係は不明である。 ヴェーダは「知る」という意味のサンスクリット語に由来し、宗教的知識を意味する。さらには、その知識を集成した聖典類の総称となっている。最も古い『リグ・ヴェーダ』は紀元前1,200年から1,000年頃にインド北西部のパンジャブ地方でアーリヤ人によって成立したと考えられている。ヴェーダの内容は下記のように分類されるが、狭義にはサンヒターのみを指す。 サンヒター(本集) 『リグ・ヴェーダ』(賛歌) 『サーマ・ヴェーダ』(歌詠) 『ヤジュル・ヴェーダ』(祭詞) 『アタルヴァ・ヴェーダ』(呪詞) ブラーフマナ(祭儀書) アーラニヤカ(森林書) ウパニシャッド(奥義書) ヴェーダには登場する神々の多くは、自然界の構成要素や諸現象、その背後にあると思われた神秘的な力を神格化したものである。多数の神が登場するが、その中で重要なのは雷神インドラ(日本では帝釈天)、アグニ(火の神)、ヴァルナであった。現在では前述のヴィシュヌ神等に押されて影が薄い。 『リグ・ヴェーダ』に登場する神々は、各々が独立した個性を有しているわけではなく、属性や事績を共有することが多い。また狭義のヒンドゥー教で見られる人格神的な形態を取らず、神像や恒久的な寺院建造物の存在も確たる証拠は見つかっていない。バラモン教の祭祀は具体的な目的に対して行われ、バラモンが規定に則って空き地を清め、そこに目的に応じた特定の神を招き、供物や犠牲を祭壇の火炉に捧げる「供犠」が主体であった。 現在のヒンドゥー哲学の基本となる「因果応報」「霊魂不滅」「輪廻転生」などの諸観念の淵源は、ウパニシャッドが完成した頃まで遡ることができる。ウパニシャッドは紀元前800 - 500年頃にガンジス川流域で作られたインド古代哲学の総称である。なおヴェーダに登場するヴィシュヴァカルマン神(造物や工巧の神)は、現在でも物造りの神様として、インドの各工場で祀られている。現在この神の祭りは毎年9月17日に行われている。 バラモン教は、インドを支配するアーリア人の祭司階級バラモンによる祭儀を重要視する宗教を指す。紀元前5世紀頃に、バラモン教の祭儀重視に批判的な仏教とジャイナ教が成立した。 更にインド北西部は紀元前520年ころにはアケメネス朝ペルシア、前326年にはアレクサンダー大王に支配された。その後仏教はアショーカ王(在位紀元前268年頃 - 紀元前232年頃)の帰依などにより一時期バラモン教を凌ぐ隆盛を示した。この時期にヴェーダを基本とする宗教であるバラモン教は「支配者の宗教」からの変貌を迫られ、インド各地の先住民族の土着宗教を吸収・同化して形を変えながら民衆宗教へ変化していった。このため広義のヒンドゥー教にはバラモン教が含まれる。 ヒンドゥー教にはバラモン教の全てが含まれているが、ヒンドゥー教の成立に伴って、バラモン教では重要であったものがそうでなくなったり、その逆が起きたりなど大きく変化している。 紀元後4世紀頃、グプタ朝がガンジス川流域を支配した。グプタ朝はチャンドラグプタ2世(在位紀元385年 - 413年)に最盛期を迎えるが、このころに今もヒンドゥー教徒に愛されている叙事詩『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』がまとめられるなど、ヒンドゥー教の隆盛が始まった。また、5世紀には東南アジアの「インド化」が始まり、中国の史料に大乗仏教とともに、ヒンドゥー教が情報が見られるようになった。陸路でインドに渡り、海路で帰国した法顕は、東南アジアの島嶼部について「外道婆羅門が興盛し、仏法は言うに足らず」と述べている。島嶼部ではその後、古マタラム王国やマジャパヒト王国など、ヒンドゥー教国が興ったほか、大陸部でも扶南でヒンドゥー教が栄えた。アンコール朝では12世紀前半まではヒンドゥー教のシヴァ派とヴィシュヌ派が立国の思想となっていた バラモン教は上記のように具体的な目的に対して神に「供犠」を捧げる、いわば「ギヴ・アンド・テイク」の宗教であったのに対し、ヒンドゥー教ではヴィシュヌ神のような至高の神への絶対的帰依(「バクティ」と呼ぶ)に基づく信仰態度が多くの大衆に受け入れられ始めた。この時期に六派哲学と呼ばれるインドの古典哲学が確立し、互いに論争を繰り広げた。インドでは、宗教と哲学は区別する考えはなかった。 ヴァイシェーシカ学派 - 多数の実在を認め、物質を無数の原子からなるものと規定した。 ニヤーヤ学派 - 実在を認めつつ、主宰神「シヴァ神」の証明を試みた。 サーンキヤ学派 - 世界は精神と物質から成るとした「二元論」を展開した。純粋精神が物質から離れた時に「解脱」が達成されるとし、最高神の存在を認めない。 ヨーガ学派 - 教説のかなりの部分をサーンキヤ学派と共有するが、最高神の存在を信じる。「解脱」の手段としてのヨーガの行法を発達させた。 ミーマーンサー学派 - ヴェーダの「供犠」を受け継ぎ、正しい祭祀が(神を通さず)直接果報をもたらすものとした。 ヴェーダーンタ学派 - 根本聖典『ブラフマ・スートラ』に則り梵我一如を追求した。この学派がその後のヒンドゥー教の正統派の地位を継続している。 ヴェーダーンタ学派の思想の中で最も有名なものに不二一元論がある。これは、精神的実在であるブラフマン(梵)またはアートマン(我)以外に実在する物は無い、言い換えれば「今目の前にある世界は幻影に過ぎない」という思想。この思想を突き詰めてゆくと、シャンカラ(700年 - 750年頃)の説くように「ブラフマンは人格や属性を持たないもの」となり、無神論的一元論に達する。この教義は現在でもヒンドゥー教の正統派としてインドの5箇所の僧院で代々「シャンカラ師」の名を継承する学匠によって不二一元論の法灯が維持され続けている。シャンカラ後の不二一元論は、11世紀の神学者ラーマーヌジャによる被制限者不二一元論、13世紀の神学者マドヴァ(英語版)の二元論へと発展していった。 5世紀〜10世紀の南インドでは「至高の神への絶対的帰依」、「自己犠牲をいとわない神への奉仕」を信仰の柱とするバクティと呼ばれる信仰形態が顕在化し始めた。このバクティに関して、12世紀から13世紀にかけてヴェーダーンタ学派の学匠達によって「ヴィシュヌ神」を崇拝する信仰が理論化された。バクティーは一般庶民の信仰形態として現在まで広く行われている。不二一元論とバクティは正反対とも言える形態だが、現在のヒンドゥー教の中では問題なく同居している。 その後北インドではイスラム教徒の征服王朝が交代する時代に入る。タージ・マハルなど北インドの著名な文化財はイスラム教様式である。しかし庶民や南インドの王朝はヒンドゥー教を信奉した。ヒンドゥー教では ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァが3大神とされた。各神は多様な側面を持ち、その性格は一様ではない。その中でヴィシュヌやシヴァは民間宗教の神を取り込んでゆき、多様な神話を通じて多くの信徒を有している。ヒンドゥー教の複雑さ・分かりにくさの一例として、たくさんの神々を崇める多神教としての姿、シヴァまたはヴィシュヌを至高の神とする一神教的な姿、教理を哲学的に極めた不二一元論のような無神教としての姿のすべてを内在している点が挙げられる。 インドがイギリスの植民地となって久しい19世紀に、ベンガル州を中心に知的エリート層によってキリスト教とヒンドゥー教の知的交流が盛んになり、西欧的な合理主義に基づいて植民地化以前のヒンドゥー教を再興しようとする改革運動が起こった。のちに「ヒンドゥー・ルネサンス」と呼ばれる改革の創始者は「近代インドの父」とも呼ばれるラーム・モーハン・ローイである。バラモン階級出身でウパニシャッドの影響を受けていたローイは、ユニテリアン主義の影響も受け、神は超越的な存在であり聖像などで表現し得ないものと信じ、宗教は合理的で倫理的な体系であるべきであり、道徳法は理性によって理解されるべきと考えた。ローイはサティーや幼児婚といったヒンドゥー教の慣習を非道徳な儀式として非難し、1829年のサティー禁止法の発布に影響を与えた。また、聖像礼拝やカルマ、転生といった概念を迷信として、キリスト教の改革運動をモデルとしたブラフモ・サマージという宗教団体を設立した。 ローイは訪英中に客死してしまうが、その仕事はデヴェンドラナート・タゴール(英語版)やケーシャブ・チャンドラ・セーン(英語版)に引き継がれた。プラーナやタントラを否定するブラフモ・サマージの思想は知識層の関心を集めたが、大衆レベルではまったく人気が無かった。 1875年にローイの影響を受けたダヤーナンダ・サラスヴァティー(英語版)は、ブラフモ・サマージに内在する民族主義を発展させたアーリヤ・サマージ(アーリア協会)を発足させた。アーリヤ・サマージはヒンドゥー教を純粋なヴェーダの形態に戻すべきと主張し、ヴェーダ文化を振興させる活動を通じてインドの国民意識を喚起した。 一方で、19世紀の著名な聖者パラマハンサ・ラーマクリシュナは、厳しい修行の末にヒンドゥー教の奥義に達した後、イスラム教やキリスト教の神までも感得し、『世界の全ての宗教は神に至る道』と説いてインド社会に大きな影響を与えた。普遍主義と寛容を強調するラーマクリシュナの信奉者であるヴィヴェーカーナンダは、神性の本質は各個人の内にあり、ヒンドゥー教の実践を通じて理解できると主張し、宗教統一理論をもとにヒンドゥー教を再構築した。ヴィヴェーカーナンダは、1893年にシカゴで開かれた世界宗教会議に参加してヒンドゥー教を世界宗教のひとつに発展させることに貢献し、1895年には僧院ラーマクリシュナ・ミッションを創設した。 地域やカーストによって信仰形態が著しく異なる 一般のヒンドゥー教徒は、輪廻転生などの宗教観念を共有しながらも、長い歴史を経て生活に深く根付いた習慣や身分(カースト)に従って多様な生活を送っている。日々の礼拝・儀礼や年中行事や冠婚葬祭の習慣はカーストや土地や信仰する神によって著しく異なる場合が多い。カーストによる差別は1950年にインド憲法で禁止されているが、それでもまだ根強く残っている。 多数の言語を話す人々に信仰されている ヒンドゥー教の聖典「ヴェーダ」は古代の言語サンスクリット語で書かれている。しかし現在のインド人はサンスクリット語ではなく、各地の言語で生活しており、インドは多言語国家である。インド憲法で公式に認められた公用語は23言語、他に準公用語の英語がある。例えば世界遺産マハーバリプラムがあるタミル・ナードゥ州ではタミル語が使われ、隣のアーンドラ・プラデーシュ州(数多くの遺跡があるハイデラバードを州都とする)ではテルグ語が話されている。タミル語とテルグ語は言語も文字も違う。更にデリーの人はまた別の言葉ヒンディー語を話す。よってヒンドゥー教を「様々な言語を話す人々に信仰されている宗教である」ということも可能である。 アジア地域などにおける信仰の広がり インドでは人口の81.4%を占める8億2760万人、ネパールでは人口の過半数、バングラデシュでは人口の14%、スリランカは15%がヒンドゥー教徒である。インドネシアのバリ島では人口の約9割がバリ・ヒンドゥーと呼ばれる独自の習合宗教を奉じ、マレーシア、シンガポールにも相当数の信者が住んでいる。パキスタンでは1.6%程度であり、キリスト教に並んで多い。さらに、インド洋のモーリシャスや南太平洋のフィジー、南米のガイアナのように、インド系住民が多い国でも信者が多い。世界全体での信者数を比較してみるとヒンドゥー教徒は仏教徒よりも多くなる。信者が地域的に偏在していることもあって、日本では世界宗教ではなく民族宗教と考えられており、世界三大宗教の座を仏教に譲っている。 古代のヒンドゥー教の聖典はサンスクリット語で書かれている。そしてこれらはシュルティ(英語版)(天啓)とスムリティ(英語版)(聖伝)の2種類に大別される。ヒンドゥー教の聖典は何世紀にもわたり口承にて編纂され、記憶され、そして世代を超えて伝承され、後に文字に起こされた。何世紀にもわたりリシ(聖仙)たちは教義を磨き上げ、それをシュルティとスムリティに展開した。さらにはヒンドゥー哲学の6学派は認識論、形而上の理論をシャーストラと呼ばれる書物にまとめた。 シュルティ(聞かれた物の意)は通常ヴェーダのことを指す。ヴェーダはヒンドゥー教の聖典の中でも最も早い時期に記録されたもので、古代のリシ(聖仙)たちに明かされた永遠の真実が記されていると考えられている。ヴェーダにはリグ・ヴェーダ、サーマ・ヴェーダ、ヤジュル・ヴェーダ、アタルヴァ・ヴェーダの4つが存在し、それぞれのヴェーダはさらにサンヒター(賛歌、祈り)、アーラニヤカ(儀式、祭祀について)、ブラーフマナ(儀式、祭祀の解釈)、ウパニシャッド(瞑想、哲学について)の4つの部門に分けられる。最初の2つ(サンヒター、アーラニヤカ)はカルマカーンダ(Karmakāṇḍa、施祭部門)とよばれ、残りの2つがジュニャーナカーンダ(Jñānakāṇḍa、哲学的、宗教的思索部門)と呼ばれる。 ウパニシャッドはヒンドゥー哲学の基礎であり、シュルティの中でも特に優れた聖書であるとされ、その基本理念は後の時代のヒンドゥー教哲学や信仰にも継続的に影響を与え続けている。サルヴパッリー・ラーダークリシュナンは、ウパニシャッドは歴史に登場して以来ずっと支配的な役割を果たしていると語っている。ヒンドゥー教には108のムクティカー・ウパニシャッド(英語版)が存在し、学者よって幅があるがそのうちの10から13は特に重要なものとしてムキャ・ウパニシャッド(英語版)と呼ばれる。 最も重要なスムリティ(記憶されたものの意)はヒンドゥー叙事詩とプラーナ文献である。具体的にはマハーバーラタとラーマーヤナがヒンドゥー叙事詩であり、マハーバーラタにその一部として含まれているバガヴァッド・ギーターはもっとも一般的なヒンドゥー教の聖典の1つであり、ヒンドゥー教徒の信仰生活を実質的に規定してきた。バガヴァッド・ギーター(「神の歌」の意)は時にウパニシャッドとみなされギートパニシャッド(Gitopanishad)と呼ばれる。そのためシュルティに数えられることもある。またラーマーヤナはラーム・リーラー(英語版)、マハーバーラタはラース・リーラー(英語版)という名で歌舞劇にされており、各地で祝祭に合わせて上演される伝統がある。一方のプラーナ文献はおよそ西暦300年あたりから編纂されはじめ、広範な神話を含む。これらはヒンドゥー教の共通のテーマを、生き生きとした物語を通して人々に伝えるという役割を担い、布教の中心となっている。またヨーガについて記された古典、ヨーガ・スートラは20世紀になって再評価されている。 19世紀のヒンドゥー教現代主義者らはヒンドゥー教のアーリア人起原の要素を再評価し、タントリズム(密教)の影響をうけたヒンドゥー教を純化しようという試みのなかで埋もれていたヴェーダの要素を強調した。たとえばヴィヴェーカーナンダは、たとえそれが古代のリシ(聖仙)たちに明かされたものでないにしても、ヴェーダは精神世界の法律であるという立場をとった。タントリズムでは「アーガマ (ヒンドゥー教)(英語版)」という語が彼らにとって権威のある聖典全体を指す言葉であり、また同時にシヴァがシャクティに語った教えを意味する。一方で「ニガマ」(Nigama)という語はヴェーダを意味し、同時にシャクティがシヴァに語った教えを意味する。アーガマ派(聖典シヴァ派)ではアーガマをヴェーダと同等なものとして同様に重視している。 ヒンドゥー教の特徴のなかで、カースト制度の存在が大きい。カーストは歴史的に基本的な分類(ヴァルナ)が4つ成立し、その下に職業を世襲するジャーティ(生まれ・出生)と呼ばれる社会集団が形成されて、例えば「牛飼い」や「大工」や「床屋」などの職業が世襲されてきた。結果としてインドには非常に多くのカーストが存在する。カーストは親から受け継がれるだけで、生まれた後にカーストを変えることはできない。ただし、現在の人生の結果によって次の生などの生で高いカーストに上がることができるという。現在のカーストは過去の生の結果であるから、受け入れて人生のテーマを生きるべきだとされる。 基本的な4つのカースト(ヴァルナ)とカースト外の身分には、以下のものがある。 ブラフミン(サンスクリットでブラーフマナ、音写して婆羅門・バラモン) 神聖な職についたり、儀式を行うことができる。バラモンというのは「ブラフマン(梵)を有するもの」の意味で自然界を支配する能力を持つものとされている。「司祭」とも翻訳される。本来のバラモン層は下層集団が持たぬ知識、認識及び、その発見方法としての母(汎)知識(例えば数学)の存在を発見し、蓄積、独占した集団である。 クシャトリア(クシャトリヤ) 王や貴族など武力や政治力を持つ。「王族」、「戦士」とも翻訳される。釈迦がこの階層に生まれた ヴァイシャ 商業、農業、牧畜、工業及び製造業などの職業につくことができる。のちには主として「商人」を指すようになった。 シュードラ(スードラ) 古代では、一般的に人が忌避する職業のみにしか就くことしか出来なかったが、時代の変遷とともに、中世頃には、ヴァイシャおよびシュードラの両ヴァルナと職業の関係に変化が生じ、ヴァイシャは商売を、シュードラは農牧業や手工業など生産に従事する広汎な「大衆」を指すようになった。「労働者」とも翻訳される。 ヴァルナをもたない人びと ヴァルナに属さない人びと(アウト・カースト)もおりアチュートという。「不可触民(アンタッチャブル)」とも翻訳される。不可触賎民は「指定カースト」ともいわれる。1億人もの人々がアチュートとしてインド国内に暮らしている。彼ら自身は、自分たちのことを『ダリット』(Dalit) と呼ぶ。ダリットとは壊された民 (Broken People) という意味で、近年、ダリットの人権を求める動きが顕著となっている。カーストによる差別は1950年に憲法で禁止されている。 他宗教から改宗してヒンドゥー教徒になることは可能である。しかし、そこにはカースト制がある。カーストは親から受け継がれ、カーストを変えることが出来ない。カーストは職業や身分を定める。他の宗教から改宗した場合は最下位のカーストであるシュードラにしか入ることができない。生まれ変わりがその基本的な考えとして強くあり、次の生まれ変わりで上のカーストに生まれるしか方法はないと経典には記されているのが特徴である。そのため改宗による移動を行えないという点がある。 ヒンドゥー教からイスラム教や仏教へと改宗する場合は、下位のカーストの者が差別から抜け出すためであることが多い。しかし、皮肉にもイスラム教徒や、パキスタン人の間にも若干のカースト意識は有ると言われている。カーストはヒンドゥーに限らず、イスラム教徒や仏教徒なども含めた全インド文化に共通する意識であるとも言える。 ガンジス川添いには沐浴場(ガート)が設けられた聖地がある(以下は上流側から順に記載)。 ガンゴートリー バドリーナート リシケーシュ(リシケシ、リシュケシュ) - 沐浴場のほかヨガの道場(アーシュラム)も多く存在し、ビートルズのメンバーも一時滞在した。 ハリドワール(ハルドワール) アラーハーバード ワーラーナシー(バラナシ、バナーラス、ベナレス) - 北インド中央、ガンジス川左岸に位置するガンジス川最大の沐浴場。 4大巡礼地 プリー インド東部、ベンガル湾沿いに位置するヴィシュヌ神の町。ジャガンナート寺院がある。 バドリーナート・ケーダールナート 北インドにある。 ドワールカー(ドワーラカー) インド西部にある。 ラーメーシュワラム 南インドにある。 他には、神話の舞台や由緒ある寺などが聖地とされている。 アヨーディヤー - 『ラーマーヤナ』の主人公ラーマ王子の故郷。 ヤムノートリー マトゥラー - ヴィシュヌ神の化身クリシュナの生誕地。 カーンチープラム - インド南部の聖地、7世紀頃から栄えたため、古い寺院が多く残っている。 ウッジャイン プランバナン寺院群 - インドネシアのジャワ島にある。世界遺産の1つ。プランバナン寺院には、かつて約240もの祠堂が建てられていたそう。その後、地震やムラピ山の噴火などでそのほとんどが崩壊。現在は、大小合わせて18の祠堂が修復、再建されている。中心にそびえ立つのはヒンドゥー教の3大主神、ブラフマ(創造の神)、ヴィシュヌ(維持の神)、シヴァ(破壊の神)の3つの祠堂。 アンコール遺跡 - カンボジアにある。世界遺産の1つ。 ヒンドゥー教の祭りはウツァヴ(梵語: Utsava、「高く上げること」の意)と呼ばれ、個人と社会生活をダルマ(法)と結び付ける儀式とされている。年間に多くの祭りが開催され、日取りはヒンドゥー暦(太陰太陽暦)に従って定められる。これらは満月(ホーリー)か新月(ディワーリー)、または季節の変わり目を起点にして開催されるものが多くみられる。地域ごとに限定され彼らの伝統を祝う性質の祭りも存在するが、一方でホーリー祭や、ディワーリー祭は汎ヒンドゥー教的性格を持ち、国を越えたヒンドゥー教文化圏全土で祝われる。「色祭り」として知られるホーリー祭は、ヒンドゥー教の春の祭典。祭りの期間中、参加者たちは音楽に合わせて踊り、お互いに色粉を投げつけ合う。 ヒンドゥー教の祭りは通常宗教的なテーマや、例えばラクシャー・バンダンのような家族の絆を祝うといった側面を持っている。同じ祭りでも宗派によって違うストーリーを背景に持っている場合もあり、また、地域ごとのテーマ、伝統農業や地域の伝統芸能、家族の集まりや、 プージャ(英語版) (お祈り)、祝宴を取り込んでいる場合もある。 主な祭りを以下に紹介する。 ホーリー祭: 春の祭り、ヒンドゥー教3大祭りの一つ。 ラクシャー・バンダン: 女性が兄弟の右腕にお守り紐を巻きつけて加護を願う祭り。 ガネーシャ祭: 西インドで開催される象頭の神ガネーシャの祭。各家庭では、毎年新しく神像を購入して祭った後、像を川に流す。ムンバイなどの都会では巨大な神像が町を練り歩く ダシェラ祭: ヒンドゥー教3大祭りの一つ。ラーマ神が悪魔を倒したことを祝う。ガンジス川流域では悪魔を倒すドゥルガー女神像を祭る「ドゥルガー・プージャ」が盛大に行われる(左写真参照)。 ディワーリー祭: ヒンドゥー教3大祭りのひとつ。富と幸運の女神ラクシュミーを祭る。家業の繁栄を願い家の戸口に灯明を飾って祝う。ダシェラ祭やディワーリー祭には都会に働きに出ている人も実家に帰る事が多い。 マハー・シヴァラートリー: シヴァ神の祭り。シヴァとパールヴァティが結婚した日とされている。 オナム: ケララ州のお祭り。マハーバリを祝う。 ナヴラトリ: ドゥルガーのお祭り。 ^ Hinduism is variously defined as a "religion", "set of religious beliefs and practices", "religious tradition", "a way of life" (Sharma 2003, pp. 12–13) etc. For a discussion on the topic, see:"Establishing the boundaries" in Flood 2008, pp. 1–17 ^ ウィル・スイートマン(Will Sweetman)は以下を例として挙げている。 Wilhelm Halbfass (1988), India and Europe IXth European Conference on Modern Asian Studies in Heidelberg (1989), Hinduism Reconsidered Ronald Inden(英語版), Imagining India Carol Breckenridge(英語版) and Peter van der Veer(英語版), Orientalism and the Postcolonial Predicament Vasudha Dalmia and Heinrich von Stietencron(英語版), Representing Hinduism S.N. 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One may be polytheistic or monotheistic, monistic or pantheistic, even an agnostic, humanist or atheist, and still be considered a Hindu." ^ Lester Kurtz (Ed.), Encyclopedia of Violence, Peace and Conflict, ISBN 978-0123695031, Academic Press, 2008 ^ MK Gandhi, The Essence of Hinduism, Editor:VB Kher, Navajivan Publishing, see page 3;According to Gandhi, "a man may not believe in God and still call himself a Hindu." ^ Flood 1996, p. 6. ^ Knott, Kim (1998). Hinduism:A Very Short Introduction. Oxford: Oxford University press. p. 117. 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ヒンドゥー教
マンダ教
マンダ教あるいはマンダヤ教は、グノーシス主義のひとつとされる宗教である。 マンダ教徒の使うマンダ語(英語版)はセム系言語(東アラム語)で、「マンダ(manda)」とはその言語で「知識、認識」を意味する。日常的にはアラビア語を用いているが、宗教文書は全てマンダ語で書かれている。最大の教典は『ギンザー(財宝)・ラバ』と呼ばれるが『ヨハネの書』、典礼集『コラスター』というのも存在する。文書に描かれる象徴画は独特の印象を抱かせるものである。創始者はマンダ教の伝承ではザザイ(Zazai-d-Gawazta:一~二世紀頃)とされる。 イラクの南部に信者が現存し、またアメリカ合衆国やオーストラリアにもコミュニティが存在する。信者数は正確な統計がないが、総計5万から7万人と推定される。現地での信者はイスラム教徒に比べ少数で、報告された数では1977年に15,000人(K・ルドルフ)、1986年に5000人(C・コルベ)、1991年に2000人(上岡弘二)といわれ、厳しい状況下に置かれている。21世紀初頭前後の度重なる戦災により、隣国イラン・フーゼスターン州のカールーン川流域に5千人から1万人が集団移住し、信仰を維持している。マンダ教徒は今日もイラク南部の大湿地帯からアラブ系住民の多いイランのフーゼスターン地方にかけて分布する。現在のイラク情勢に関する文脈で登場するサービア教徒は、おおむねマンダ教徒のことである。 イエス・キリストの先達である洗礼者ヨハネを指導者と仰ぐことから、イエスが洗礼を受けたヨルダン川との繋がりが指摘され、キリスト教の起源に近接したものとして注目されるようになった。日曜日を安息日とする。 典型的なグノーシス的二元論で、光の世界の下等神プタヒルが自らを創造主であると錯覚し、闇の世界の助けにより地上と人間を創造したとされる。闇の世界の物質から作られた人間の肉体は闇に属しているが、それだけでは動かなかったため、光の世界に起源を持つ魂がプタヒルにより封入された。これらの所業により、プタヒルは光の世界の最高神から追放を受ける。 天界の水は地上では「活ける水」すなわち流水として流れている。流水による洗礼や信仰儀礼の遵守を生きているうちから行うことによって死後光の世界に帰りやすくなる。その意味で洗礼はキリスト教のように一回限りのものではなく、何度も行うものである。当初の教義では天界の水はヨルダン川に注ぐとされていたが、現代のマンダ教徒はユーフラテス川などをヨルダン川に見立てて洗礼を行う。 アブラハム、モーセ、イエス、ムハンマドを闇の世界から送られた偽の預言者とみなし、人類最初の人間であるアダムとエヴァは同時に誕生したとする。最高神の命を受けたアベル、セト、エノス、洗礼者ヨハネが真実を伝えようとしていたとする。またエジプトでモーセを迫害したファラオを正義の王とする。イスラーム支配下に置かれた後は、啓典の民としての体裁を整えるために、洗礼者ヨハネを教祖に位置付けている。マンダ教自身が安全保障上の理由でサービア教徒を自称したか、もしくはイスラーム側の誤解によっていつしかサービア教徒と見なされるにいたった。中世のビールーニーの著作のひとつではマンダ教徒をサービア教徒と見なしている。 死後の魂は、第3位の神アバトゥルの審判を受け、認められると光の世界に帰ることができる。世界の終末には、エノスがイエスと対決して打ち破り、地上と惑星は地獄に落ちて世界が浄化される。 ^ ラッセル(2017)p22 ^ ラッセル(2017)p34 大貫隆『グノーシスの神話』岩波書店 1999年 ISBN 400000445X 青木健『古代オリエントの宗教』講談社 2012年 ISBN 978-4062881593  ジェラード・ラッセル『失われた宗教を生きる人々-中東の秘教を求めて』亜紀書房 2017 ISBN 978-4750514444 サービア教徒 テンプル騎士団 - テンプル騎士団が中東にいた頃、マンダ教や、イスマーイール派分派ニザール派の暗殺教団と、接触・交流があったとする説がある。
マンダ教
バラモン教
バラモン教(ばらもんきょう、英: Brahmanism)は、近代のイギリス人がバラモン中心の宗教を呼ぶために作った造語である。実質的にヴェーダに説かれる祭祀を行う人々の宗教を指す意味で使われることが多い。 古代のヒンドゥー教と解釈してもよい。ヴェーダの宗教(ヴェーダ教、英: Vedic religion)とほぼ同一の意味である。言い換えることも可能であるが、ヴェーダの宗教(ヴェーダ教)という言葉はあまり用いられていない。バラモン教にインドの各種の民族宗教・民間信仰が加えられて、徐々に様々な人の手によって再構成されたのが現在のヒンドゥー教である。 バラモン教 (Brahmanism) という名前は後になってヨーロッパ人がつけた名前で、仏教以降に再編成されて出来たヒンドゥー教と区別するためにつけられた。(ただし、ヒンドゥー教という言葉には、バラモン教を含む考えもある。ヒンドゥー教は、広義ではインドにあり、また、かつてあったもの一切が含まれていて、インドの歴史では先史文明のインダス文明まで遡るものであるが、一般的には、アーリア民族のインド定住以後、現代まで連続するインド的伝統を指す)。イギリス人は、このうち仏教以前に存在したバラモン中心の宗教をバラモン教(Brahmanism、ブラフミンの宗教)、バラモン教のヴェーダ時代の宗教思想をヴェーダの宗教(ヴェーダ教)と呼んだ。なお、ヒンドゥー教(英: Hinduism)という名前もヨーロッパ人によって付けられた名前であり、インドには特にヒンドゥー教全体をまとめて呼ぶ名前もなかった。[要出典] バラモンとは司祭階級のこと。正しくはブラーフマナというが、音訳された漢語「婆羅門」の音読みから、日本ではバラモンということが多い。バラモンは祭祀を通じて神々と関わる特別な権限を持ち、宇宙の根本原理ブラフマンに近い存在とされ敬われる。 最高神は一定していない。儀式ごとにその崇拝の対象となる神を最高神の位置に置く。 階級制度である四姓制を持つ。司祭階級バラモンが最上位で、クシャトリヤ(戦士・王族階級)、ヴァイシャ(庶民階級)、シュードラ(奴隷階級)によりなる。また、これらのカーストに収まらない人々はそれ以下の階級パンチャマ(不可触賤民)とされた。カーストの移動は不可能で、異なるカースト間の結婚はできない。 『ヴェーダ』を聖典とし、天・地・太陽・風・火などの自然神を崇拝し、司祭階級が行う祭式を中心とする。そこでは人間がこの世で行った行為(業・カルマ)が原因となって、次の世の生まれ変わりの運命(輪廻)が決まる。人々は悲惨な状態に生まれ変わる事に不安を抱き、無限に続く輪廻の運命から抜け出す解脱の道を求める。転生輪廻(サンサーラ)は、インドのバラモン教の思想である。この教えによれば「人間はこの世の生を終えた後は一切が無になるのではなく、人間のカルマ(行為、業)が次の世に次々と受け継がれる。この世のカルマが“因”となり、次の世で“果”を結ぶ。善因は善果、悪因は悪果となる。そして、あらゆる生物が六道〔①地獄道、②餓鬼道、③畜生道、④修羅道(闘争の世界)、⑤人間道、⑥天上道〕を生まれ変わり、死に変わって、転生し輪廻する。これを六道輪廻の宿命観という。何者もこの輪廻から逃れることはできない。それは車が庭を巡るがごとし」と唱え、「その鍵はカルマ(行為、業)にある」という。 紀元前13世紀頃、アーリア人がインドに侵入し、先住民族であるドラヴィダ人を支配する過程でバラモン教が形作られたとされる。 紀元前10世紀頃、アーリア人とドラヴィダ人の混血が始まり、宗教の融合が始まる。 紀元前7世紀から紀元前4世紀にかけて、バラモン教の教えを理論的に深めたウパニシャッド哲学が形成される。 紀元前5世紀頃に、4大ヴェーダが現在の形で成立して宗教としての形がまとめられ、バラモンの特別性がはっきりと示される。しかしそれに反発して、多くの新しい宗教や思想が生まれることになる。現在も残っている仏教やジャイナ教もこの時期に成立した。 新思想が生まれてきた理由として、経済力が発展しバラモン以外の階級が豊かになってきた事などが考えられる。カースト、特にバラモンの特殊性を否定したこれらの教えは、特にバラモンの支配をよく思っていなかったクシャトリヤに支持されていく。 1世紀前後、地域の民族宗教・民間信仰を取り込んで行く形でシヴァ神やヴィシュヌ神の地位が高まっていく。 1世紀頃にはバラモン教の勢力は失われていった。 4世紀になり他のインドの民族宗教などを取り込み再構成され、ヒンドゥー教へと発展・継承された。 バラモン教は、必ずしもヒンドゥー教と等しいわけではない。たとえばバラモン教に於いては、中心となる神はインドラ、ヴァルナ、アグニなどであったが、ヒンドゥー教においては、バラモン教では脇役的な役割しかしていなかったヴィシュヌやシヴァが重要な神となった。 ヒンドゥー教でもヴェーダを聖典としているが、叙事詩(ギータ)『マハーバーラタ』、『ラーマーヤナ』、プラーナ文献などの神話が重要となっている。 ^ a b c 古宇田亮修「ヒンドゥー教における身の処し方 -âšrama‐説を中心に-」大正大学綜合佛教研究所公開講座 2002年12月4日 ^ a b c 川崎信定著 『インドの思想』 放送大学教育振興会、1997年 ^ なにゆえキリストの道なのか(95)輪廻がないとどうして知ることができるか 正木弥 ヴェーダ ヒンドゥー教 ウパニシャッド
バラモン教
サービア教徒
サービア教徒(サービアきょうと、アラビア語: صابئی‎、英語:Sabians)とは、イスラームの聖典クルアーン(コーラン)のなかで啓典の民として言及されるもののひとつ。または本来のサービア教徒ではないが、諸事情によってサービア教徒を自称したマイノリティー集団。あるいは現在慣習的にサービア教と呼ばれるローカルな宗教に属する人々。 サービア教徒はクルアーン中の三箇所で、以下のように啓典の民のひとつとして名を挙げられているが、クルアーンのいうところの「サービア教徒」が、いかなる宗教に属する人々を指した(意図していた)のかは謎とされる。なお、引用文中ではサービア教徒は「サバ人」と表記されている。 まことに、信仰ある人々、ユダヤ教を奉ずる人々、キリスト教徒、それにサバ人など、誰であれアッラーを信仰し、最後の日を信じ、正しいことを行なう者、そのような者はやがて主から御褒美を頂戴するであろう。彼らには何も恐ろしいことは起りはせぬ。決して悲しい目にも逢うことはない。 — 『クルアーン』カイロ版2章62節、フリューゲル版2章59節、井筒俊彦訳『コーラン』(上)、岩波書店、1957年、p.21。 まことに、信仰ある人々、ユダヤ教を奉ずる人々、サバ人、キリスト教徒、すべてアッラーと最後の日を信じて義しい行いをなす者、すべてこの人々は何の怖ろしい目にも遇いはせぬ、悲しい目にも遇いはせぬ。 — 『クルアーン』カイロ版5章69節、フリューゲル版5章73節、井筒俊彦訳『コーラン』(上)、岩波書店、1957年、p.159。 信仰する人々、ユダヤ教を奉ずる人々、サバ人、キリスト教徒、拝火教徒、多神教徒――復活の日が来れば、アッラーが必ずこれらの間にはっきりした区別をつけ給う。アッラーはあらゆることに立ち会って一切をみそなわし給う。 — 『クルアーン』カイロ版22章17節、フリューゲル版22章17節、井筒俊彦訳『コーラン』(中)、岩波書店、1958年、p.169。 古代南アラビアのサバア王国(Sheba)に関連づける説もあるが、より有力視されるのは、イスラーム成立当時のイラク南部に存在したと見られるグノーシス的なキリスト教の一分派、あるいはマンダ教徒をサービア教徒にあてる見解である。 いずれにせよ、アラビア語で「サービア教徒」(صابئی)という名詞を構成するص、ب、ع ( s - b - ' )という三つの語根の組み合わせが「水に漬ける」、「水に浸す」などの意味を持つため、クルアーンの指す「サービア教徒」は何らかの洗礼儀礼を持っていたと考えられる。古い文献にはサービア教徒を星辰崇拝者とする記述もあるが、これは後述するハッラーンの「偽サービア教徒」との混同によると思われる。 ヨルダン川流域に興り、3世紀頃にイラク南部に移住したマンダ教徒(マンダヤ教徒、マンデ人)をサービア教徒と呼ぶことがある。そもそもクルアーンがサービア教徒という名によって示していたのがマンダ教徒であり、この呼称は正当であるとする見解もあるが、確実な証拠はない。実際にはイスラームによるイラク征服以降に、後述するハッラーンの星辰崇拝者たちと同じく安全保障のためにサービア教徒を称したか、もしくはイスラーム側の誤解によっていつしかサービア教徒と見なされるにいたったものと考えられる。 マンダ教徒は洗礼儀礼を重視し、その教義はユダヤ教やミトラ教とも密接な関係を持つが、グノーシス的な世界観を持つ。地上や人間を創造したプタヒルは下等神であり、モーセ、イエス・キリストやムハンマドは偽預言者であるとされる。洗礼者ヨハネを崇敬するが、これはイスラーム支配下で啓典の民として信仰を認めてもらうために、ヨルダン川と洗礼との縁から付加されたものとされる。マンダ教徒は今日もイラク南部の大湿地帯からアラブ系住民の多いイランのフーゼスターン地方にかけて分布する。現在のイラク情勢に関する文脈で登場するサービア教徒は、おおむねマンダ教徒のことである。 イラク南部からイランにかけてスッバという少数派宗教集団が分布する。彼らもサービア教徒と呼ばれることがある。スッバの歴史や信仰について詳細は知られていないが、一種の洗礼儀礼を有し、「スッバ」という呼称自体がアラビア語で「洗礼の徒」を意味する。そのためユダヤ教ないしキリスト教の系列に属するという説が有力である。同様に洗礼儀礼を有するマンダ教徒をスッバと呼ぶこともあるため、両者を混同しないよう注意が必要である。 特異な星辰崇拝者であったシリアのハッラーンの住民は、アッバース朝中期に安全保障上の都合からサービア教徒を自称した。イスラーム史上でサービア教徒といった場合、このハッラーンの住民の子孫を指すことが多い。 830年、アッバース朝の第7代カリフ、マームーンはビザンツ帝国への遠征途上でシリア北部の町ハッラーン(ハラン)を通過したさいに、その住民が既知のいかなる宗教とも異なる独自の信仰を持つことを知った。マームーンはハッラーンの住民が一定期間内にイスラームないしクルアーンによって許容されたいずれかの宗教(いわゆる啓典の民)に改宗しなければ、彼らをジハードの対象とすることを宣言した。 ハッラーンの住民の多くはイスラームやキリスト教に改宗したが、一部の住民はサービア教徒を自称した。これはクルアーンに登場するサービア教徒の存在や実態がハッラーン周辺ではまったく知られておらず、ハッラーンの住民が旧来の慣習や信仰形態を変えることなくイスラームの体制内に入るのに好都合であったためである。 ハッラーンの自称サービア教徒の一部はやがてバグダードに移住し、独自のコミュニティーを築いた。彼らのなかには、さまざまな分野の学術研究を通じてイスラーム文化史上に大きな功績を残した者も多い。 ハッラーンのサービア教徒の存在はその後も長く伝えられたが、現在では消滅している。彼らの衰退と消滅の経緯についての詳細は不明であるが、時代を経るにつれて徐々に周辺のイスラーム社会に同化していったものと思われる。 一部にハッラーンのサービア教徒の信仰を、現在クルド人のあいだで信じられているヤズディ教の前身とする説もあるが、確かな証拠は存在しない。 ハッラーンはアッシリア時代から月神シンの崇拝の中心地であったうえ、古代末期からは後期ヘレニズム文化の一大中心地となっていた。そのためイスラーム時代のハッラーンでは新プラトン主義の影響を受けた独特の星辰崇拝が行なわれていた。ハッラーンのサービア教徒の家宅跡で発掘された扉の叩き金にはプラトンの対話編から引用された文言が刻まれていたという。 中世のイスラーム世界では、サービア教徒といえばもっぱらハッラーンの住民とその子孫を指した。そのため本来のクルアーンの記述とは関係なく、サービア教徒という名が星辰崇拝者の同義語として用いられることも多い。 ハッラーンのサービア教徒の子孫で、イスラーム文化史上に名を残した主要な人物。彼らはギリシャ語、シリア語、アラビア語に通じていたため、古代ギリシャの諸学問のアラビア語への翻訳に貢献し、イスラム科学の礎を築いた。ただしバッターニーやヒラール・サービーのようにイスラームに改宗した者も含む。 サービト・イブン=クッラ(翻訳者、医学者、数学者、天文学者) バッターニー(数学者、天文学者) イブン=ワッシーヤ(10世紀の農学者、『ナバテア人の農書』の著者) アブー・イスハーク・サービー(歴史家、書記術の大家) ヒラール・サービー(歴史家、アッバース朝の宮廷書記) 現代アメリカを中心とするニューエイジ運動では、エイドリアン・ギルバートの著作などによってサービア教徒の信仰がヘルメス思想やミトラ教と結びつけて解釈され、独特の秘教的なイメージで人気を博している。ニューエイジのグループにはサービア教徒を名乗るものも多い。 ^ Michel Tordieu,"Sābiens coraniques et “Sābiens” de Harran".1986 ニューエイジ的解釈によるミトラ教とサービア教の解説。(日本語) ミトレーアム・ジャパン(ミトラ教天使七星教会) ミトラ教. 神話学. サービア星教:ミトラ教のもう一つの顔
サービア教徒
スマールタ派
スマールタ派(梵: Smārta、スマールタ)は、ヒンドゥー教における宗派の1つ。 「スマールタ」とは「スムリティ」(伝承文献)を奉じるバラモン達であり、「スマールタ」達の伝統に則った信仰のあり方を指して、スマールタ派と呼ぶ。ゆえに、正統派のヒンドゥー諸学派はすべてスマールタ派でもある。 特徴としては、他の宗派と異なり、特定の神のみを奉じることはせず、代表的な5神、ヴィシュヌ、シヴァ、シャクティ、ガネーシャ、スーリヤ(あるいは、ここにスカンダを加えた6神)を、不可分一体的な最高神として平等に奉じる。 不二一元論を唱えたシャンカラによって確立されたとされる。 ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 - スマールタ派 ^ Namarupa Issue13 Volume04 (2011年4月号) ヒンドゥー教
スマールタ派
ペイガニズム
ペイガニズム(英: Paganism、仏: Paganisme:パガニスム、羅: Paganismus)とは、自然崇拝や多神教の信仰を広く包括して指し示す、印欧語圏における言葉であり、アブラハムの宗教(アブラハムの一神教)の視点から用いられている言葉である。侮蔑語や差別用語として使われることが多い。 一方、アメリカ合衆国では1960年代以降、ペイガンと自己規定する人々のさまざまな折衷主義的で個人主義的な無数の宗教運動が各地で発生しており、ペイガニズムという言葉を従来とは異なった価値観をもって使用する自称ペイガンないしネオペイガンが今日では数千人以上の規模で存在する。 民族学者が自然崇拝や多神教の信仰を示すのに"ペイガニズム"という語を用いることはない。自然崇拝と多神教は同じものを指してはいないし、ペイガニズムの語以外にもっと適切なカテゴリ名、例えばシャーマニズム、多神教、アニミズムといった名称があるからである。この「ペイガニズム」という語にはしばしば侮蔑の響きがあり、英語の「heathen」(野蛮人、異教徒)、「infidel」(不信心者)、イスラム圏での「كافر カーフィル」という語に相当する。 また、Paganはイスラムの用語「ムシュリク」つまり「アラー以外を崇拝する者」を英語へ翻訳する時に通常用いられる語でもある。 (訳注: paganismを「異教主義」、neo-paganismを「復興異教主義」と訳す場合があるが、本項目でも述べられているように、「異」なった、「異」常な宗教であるというのはあくまでもアブラハムの宗教からみたものにすぎない。ユダヤ教やキリスト教イスラム教といったアブラハムの宗教は、文化史的にはむしろ特殊な例である。そこで、本稿では英語読みカタカナを項目名とすることとする。また、音写"ペイガニズム"であれ漢語訳であれ、元の原語がすでに侮蔑語なので、この語の使用に当たっては注意が必要である。) 英語Paganの語源は、ラテン語の形容詞paganus(「田舎の」)である。名詞paganus(形容詞と同形) は「田舎の住民」「村人」を意味した。口語的には、誰かをbumpkin(無骨者)とか、山地住民を侮蔑してhillbilly(山猿)などと呼ぶようなものであったと思われる。Paganusはほとんど例外なく侮蔑語として用いられた。因みに、英語の villain(悪党) もPagan同様に"villager"(むらびと)という語から派生した語である。(膨張するキリスト教信者らが北欧やスカンジナビアの異教徒をvillainと呼んだ)。キリスト教信仰は極めて初期の時代から、田舎よりも都会において浸透が遥かに早かった(例えばアンティオキア、アレキサンドリア、コリント、ローマなど。実際、初期のキリスト教会はほとんど全て都会にある)。その結果じきに「田舎の住人」は「非キリスト教徒」を意味するようになり、"pagan" が現在の意味を持つ起こりとなった。このような浸透速度の差は主に、田舎の人々が保守的な性格で都市部に住む人々よりもキリスト教という新しい思想に対して抵抗したことに関係があったのかも知れないし、あるいは初期の宣教活動が、人口が拡散している田舎よりも集中している街中に力点を置いていた為かも知れない。 ラテン語 paganus の古典期以降の「非キリスト教、不信心者」としての意味論的な発展ははっきりしない。この意味がいつ発生したかは論争がある。だが、4世紀が最もそれらしいと思われる。初期の使用例はテルトゥリアヌスのDe Corona Militis xiにある: "Apud hunc [sc. Christum] tam miles est paganus fidelis quam paganus est miles infidelis"。だが、この paganus は「不信心者」より「市民」という意味で解釈すべきであろう。 この意味の発展については、主な説は3つある。 古典ラテン語 pāgānus は古くは「田舎風の」(名詞としても)という意味であった。ローマ帝国の都市部でキリスト教が受容された後も、田舎の村では偶像崇拝が引き続き行われていたため、意味の変容が起きたのだと考える。Orosius Histories 1. Prol. "Ex locorum agrestium compitis et pagis pagani vocantur." 参照のこと。 古典ラテン語 pāgānus のより一般的な意味は「(軍人ではない)一般市民」(形容詞、名詞)であった。キリスト教徒はローマカトリック教会の mīlitēs (応召兵)を自称していたため、自分たち以外を「(教会の)軍に参加していない」一般市民と呼んだ。 「野蛮な異教徒」という意味は、paganus の解釈の一つから生まれた。paganus は共同体やグループから外れたアウトサイダーを指すことがあった。そのため、「街の者ではない」すなわち「田舎者」となったのである。Orosius Histories 1. Prol. "ui alieni a civitate dei..pagani vocantur." C. Mohrmann, Vigiliae Christianae 6 (1952) 9ff. を参照。 フランス語"paysan"(小作農、小規模な農家)は、英語"Pagan"と同じラテン語を起源としており、古フランス語 paisent を経由したものである。 そもそも、ラテン語paganus(パガヌス)は、「田舎、地方」を意味するラテン語pagus(パグス) から派生したものであり、このpagusは、ギリシャ語の πάγος(パゴス=岩だらけの丘の意)と同系であり、更に遡ればランドマークとして「地面に打たれた何か」に行き当たる: 印欧祖語の語幹 pag- は「固定された」という意味で、"page"(ページ)、"pale"(柵)、"pole" (ポール)、"pact" (契約)、"peace"(平和)などの語源になっている。 比喩的な用法を通して、後に paganus は「田舎の地方、村」、「地方在住者」を意味するようになった。ローマ帝国が軍事独裁の傾向を強めていく中で、4世紀から5世紀にそれは「市民」を意味するようになった(英語でいう「地元住民」と類似した意味合いで)。この言葉に負のイメージが付き始めたのは、後期帝国が農奴制を導入し、農業従事者が法的に土地に縛り付けられるようになってからのことである(農奴参照)。同時にこの単語はウェルギリウスが農耕詩で尊敬の念とともに触れたような、地方に住む人たちの素朴な古くからの信仰を暗示するようになった。似た意味を持つ heathen(下記)と同様に、中英語を話すキリスト教信者によって、あまりに素朴であるためキリスト教を信仰しない人々を罵る言葉として採用された。加えて、ヨーロッパの田舎はキリスト教の押しつけに対して最も抵抗した土地柄であって、ヨーロッパのキリスト教世界に対し武力で抵抗し、頑固に自然信仰を守ったため、中世においてこの言葉の意味合いは再度強調されることになった。 前述のように、paganは保守的な信条を抱く田舎の人々に対する侮蔑語となり、口語化の進展とともに、主に「都会」の新興勢力であったキリスト教化されたローマ社会に対して前キリスト教/非キリスト教的な信条を指すようになっていった。 現代という信仰の大きな変革期に、西洋文化圏に属する田舎の人々は、保守的な「伝統的な」価値基準を持ち続けているのであるが(聖書地帯、en:red stateにみられるように)、これら地方の保守主義者たちは現在、世俗化されたアメリカ合衆国の都市部と対決している。pagan は今では「保守的な信条と価値を保つ田舎の人々」というより、前キリスト教的シャーマニズムを概念化した用語として確立している。21世紀の地方在住保守的キリスト教信者層は文化的に見て、第一及び第二千年紀における pagan の鏡像のような存在だということもできよう。 初期キリスト教会の新プラトン主義者たちは、洗練された pagen ら(例えばプラトン、ウェルギリウス)の価値をキリスト教化しようと熱心に試みた。このような努力はインテリ層に対しては多少の影響があったが、paganによって示されるもっと一般的な偏見を取り除くことには、ほとんど力がなかった。 pagan という言葉は14世紀から英語に確認できるが、paganismという言葉が17世紀より前に用いられた証拠はない。OEDはエドワード・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』(1776)にある "The divisions of Christianity suspended the ruin of paganism." を例示している。これはしかし新しい造語ではなく、アウグスティヌスが既に paganismus という言葉を用いている。 キリスト教の都会性はアウグスティヌスの著作から例示することができる。De Civitate Dei contra Paganos (paganに対抗する神の市)でアウグスティヌスは、ローマ滅亡に直面して困窮する都市生活キリスト教徒を励ましている。大いなる「人の都市」は滅びようと、キリスト教徒は「神の都市」における究極の市民であると指摘した。 スラヴ人、特に東スラヴ人は、pagan を侮蔑語として取り入れた。大略「陰険な野獣」と訳される。語源に関するこの説は、スラヴ人が西のキリスト教を押し付けられて以降、自分たちの中に残った非キリスト教について否定的であったという事実に因る。 Adam Gorightly の The Prankster and the Conspiracy によると、自然宗教の崇拝者を pagan と呼んだのは、en:Discordianismの提唱者のひとり、en:Kerry Thornley (Omar Khayyam Ravenhurst) であった。 Heathenは古英語 hæðen(キリスト教徒ではない、またはユダヤ人。古ノルド語の heiðinn と比較されたい)から来ている。歴史的に、この単語はおそらくゴート語の haiþi(荒野に住むもの)の影響をうけている。haiþiはen:Ulfilasの聖書(ギリシャ語からゴート語に翻訳された)の中に、haiþno(優しい女性、マルコ 7:26)として現れる。この翻訳はおそらくラテン語の paganus(田舎の住民)に影響されたか、ギリシャ語の ethne(民族、異教徒、異邦人)との類似性から選ばれたものだろう。ゴート語の haiþi は heath (荒地)とは関係なく、アルメニア語の hethanos (これ自体はギリシャ語の ethnos による)によるのではないかとも長らく示唆されてきた。 歴史的に "pagan" 及び "heathen" はユダヤ教、キリスト教、イスラム教といった一神教の信者によって自分たちの宗教を信じない者を指す軽蔑語として用いられてきた。スコットランド及びアイルランドでは、heathen が今もなおカトリック教徒によって非カトリックに対する軽蔑語として用いられている。Paganism もまた時として(受容されている一神教に対する)信仰の「欠如」として用いられ、よって時として無神論と本質的に同じものを意味することがある。Paganism はしばしば歴史的な古典時代の宗教、その中でも特記すべきはギリシア神話と古代ローマの信仰であるが、を指し、中立的な用語あるいは賞賛を秘めた用語として、これらの信仰を指す用途に用いることもできる。だが、西洋社会の中にロマン主義と信仰の自由が興るまでは、ほとんど常にpaganism はキリスト教会が確立した政治的な枠組みから取りこぼされた異端を罵るために用いられた。一神教信者をむしろ特殊な存在として、あるいは色眼鏡をかけずに扱うべきだと信じる人々によって、この言葉が賞賛を込めて用いられるようになったのは、ようやく19世紀に入ってからのことである。Pagan はまた、ヘブライ語の paganini (森の住人)にも由来する。 Pagan は、俗な、キリスト教的な意味での快楽主義者と同一視されるようになり、感覚的な、物質主義の、独りよがりの、将来に目を向けず洗練された宗教に関心を持たない人物だとレッテルを貼るために用いられるようになった。paganism の限界について注意を喚起したい人々は、通常この言葉を以上のような俗な意味合いで用いる。例えばG.K.チェスタトンは、次のように書いた: 「pagan は、良く言えば、自分を楽しもうと試みた。だが、文明化された時、彼は発見したのである。自分を楽しむ者は、他の何も楽しめなくなると。」 "Heathen" (古英語で hæðen)は paganus の訳である。この言葉は特にドイツの paganism ないしドイツの neopaganism について用いられる。ヤストルフ文化に源流を持つゲルマン民族は5世紀までに東欧および中欧に分布した。その時から、ゲルマン語の各方言は互いに意味が通じなくなっていった。ゲルマン人のキリスト教化は4世紀(ゴート族)から6世紀(アングロサクソン、en:Alamanni)にかけて、ないしは大陸では8世紀(サクソン)にかけて起こり、9から12世紀にはアイスランドとスカンジナビアもキリスト教化された。 en:Isaac Bonewits [1]は、paganを次のように分類した: 古Paganism (Paleo-Paganism) : ネオペイガニズムと対照して用いるレトロニムである。他の文化によって断絶されなかった paganism を指す。ヒンドゥー教、神道、タキトゥス描く所の民族大移動前のen:Germanic paganism、カエサル描くケルトの多神教、古代ギリシア及び古代ローマの宗教がこれに属する。 中Paganism (Meso-Paganism) : 一神教、二神教、無神的世界観の影響を受けたが独立した宗教的実践を維持している一群である。ネイティブ・アメリカン、オーストラジアのアボリジニ、ヴァイキング時代、ノルウェーのPaganismが属する。影響としてはフリーメイソン、薔薇十字団、神智学、心霊主義、シーク教、多くのアフリカの少数宗教(ハイチのヴードゥー教やサンテリアなど)を含む。 ネオペイガニズム (Neo-Paganism): 近現代人による、キリスト教以前の自然宗教ないし、自然を基盤にもつ精神世界を再び取り戻そうという試み。en:Ásatrú、新ドルイド教やウイッカなど、ニューエイジ時代の再構成や半ば再構成によるものを含む。 (英語版へのリンク) en:Ancient Greek religion 古代ギリシアの宗教 en:Ancient Near East Paganism 古代中近東の宗教 en:Ancient Paganism 古代のペイガニズム en:Celtic polytheism ケルトの多神教 en:Discordianism en:Estonian paganism エストニアのペイガニズム en:Finnish paganism フィンランドのペイガニズム en:Germanic paganism ゲルマンのペイガニズム en:Asatru en:Norse paganism(日本語版では北欧神話を見られたい) en:Paganism in the Eastern Alps en:Heathenry 別の用法として、現代の実践家は paganism を不信心に限らず、多神教や汎神教の意味で、しばしば、自然を基盤にした宗教行為を指して用いることがある。それらには復興主義者たちの en:Hellenic polytheism や en:Ásatrú、さらにはもっと近年になって(およそ1940年頃)成立したウイッカが含まれ、これらは通常ネオペイガニズム(neopaganism)と呼ばれる。ネオペイガニズムの信者 (neopagan) たちはしばしば自らを単に pagan と呼ぶが、本項目では pagan といった場合主に古代の宗教を指すことにする。 ネオペイガニズムに含まれる宗教はほかにも、 Forn Sed、ケルトのネオドルイド教(en:Neo-druidism)、ランゴバルドのオディン崇拝、リトアニアの en:Romuva、スラブの en:Rodoverieがあり、近年になって再構成されたものではなく、古代宗教の復活であると信者たちは主張しているが、その違いははっきりしない。これらリバイバル的宗教は、特にウイッカ、Ásatrú、ネオドルイド教において顕著だが、その起源を19世紀のロマン主義運動に負っており、当時流行していた神秘学ないしは神智学の名残を明瞭にとどめている。その点、歴史的な田舎 (paganus) で信じられていた民間宗教とは異なっている。en:Íslenska Ásatrúarfélagiðは注目すべき例外であり、これは多かれ少なかれ直接的に、生き残った田舎の民話から導かれたものである。 それでもなお、ある実践家たちは、統合を指向する場合であってすら、自分たちの信仰がネオペイガニズムという用語で呼ばれることに抵抗する傾向がある。というのも、彼らは自分たちのしていることが決して新しいことではないと考えているからである。また次の点も指摘しておきたい。現在のところ少数派ではあるが、1990年代以降、復興主義者の間でロマン主義的なあるいはオカルト的な要素を、キリスト教以前の要素とを分離しようと努力する動きが強まっているのである。 工業化された社会に住む現代の pagan は、自分たちの信条と実践の基盤を、大自然および生きとし生けるもの全てに宿る神性に結びつけている。だが、過去から現在に至る全ての paganism がそうだとはいえないだろう。数多くの神がいると信じる場合も、全ての生物に存在する意識下の精神(あるいは霊)が全宇宙的に統合してひと柱の神となると信じる場合もありうる。先史時代にさかのぼる paganism の起源はもはや歴史の彼方に失われてしまったが、近代的な一神教よりも古い。古代のpaganismはアテナイのアテナのように土地土地の神を崇拝する傾向が強かったが、古典時代を通してまたアレキサンダー大王の統治に従い神々が統合された後にはそれぞれの神はオリュンポスの神の様々な面が発露したものだと見られるようになり、女神ローマが都市ローマの人格化であったように、「クニの神々」が各地方に浸透していった。アンシャンレジームの面々は自分たちはこれらの神々の地上での代理人であると主張し、それは大なり小なり、国家を支える宗教者たちの官僚機構によって支えられたものであったと思われる。これは paganism と「主流派」のen:revealed religionがある程度共通に持っていた特徴で、カトリック及び英国国教会の歴史や、過去及び現在のイスラム教にも見いだされるものである。 一つの確立した用法として、paganism には一神教以外の何らかの宗教を信じることという意味がある。となると、古代ギリシアのピタゴラス教信者は pagan ではないことになる。なんとなれば、彼らはアブラハムの宗教の伝統とは異なる一神教を信じていたからである。否定的に極論すれば、宗教的に正統とされない一切の信条、儀式、楽しみ等は、それに手を染めると反対派から pagan と呼ばれうるものだということになる。例えばバーニングマン、ハロウィーン、果てはクリスマスに至るまで。 ^ マーゴット・アドラー 『月神降臨』 江口之隆訳、国書刊行会、2003年、1頁、21頁。 ^ ペイガニズムの一派であるウイッカのメンバーは、1990年代始め頃のアメリカで1万人いるとも30万人いるとも推測された(島薗進 『精神世界のゆくえ』 p.27)。 ^ Oxford English Dictionary, (online) 2nd Edition (1989) ^ Harry Thurston Peck, Harper's Dictionary of Classical Antiquity, 1897; "pagus" アブラハムの宗教 一神教 多神教 Gentile ヘイトクライム 外道 - 六師外道 (仏教用語) 伝統宗教 ペイガンメタル - ペイガニズム思想を主題とした音楽ジャンルの一つ。 James J. O'Donnell, "The Demise of Paganism," Traditio 35(1979), 45-88
ペイガニズム
ジャイナ教
ジャイナ教(ジャイナきょう、サンスクリット語: जैन、英: Jainism)は、マハーヴィーラ(ヴァルダマーナ、前6世紀-前5世紀)を祖師と仰ぎ、特にアヒンサー(不害)の禁戒を厳守するなど徹底した苦行・禁欲主義をもって知られるインドの宗教。「ジナ教」とも呼ばれる。仏教と異なりインド以外の地にはほとんど伝わらなかったが、その国内に深く根を下ろして、およそ2500年の長い期間にわたりインド文化の諸方面に影響を与え続け、今日もなおわずかだが無視できない信徒数を保っている。 「マハーヴィーラ」(Mahāvīra)は、本名「ヴァルダマーナ」(Vardhamāna、栄える者)。「マハーヴィーラ」(偉大な勇者)の尊称で広く知られた。 マハーヴィーラはマガダ(現ビハール州)のバイシャーリー市近郊のクンダ村に、クシャトリヤ(王族)出身として生まれた。父親の名はシッダールタで、ゴートラはカーシヤパだった。母親はトリシャラー。30歳で出家してニガンタ派の行者となり、12年の苦行ののち真理を悟り「ジナ」(Jina、勝利者)となった(ジャイナ教とは「ジナの教え」の意味。なお、ジャイナ教の考え方ではマハーヴィーラは最初にジャイナ教を唱えた人物ではなく永遠の真理であり、現在の世界の相において24人のティールタンカラが同じ教えを述べたと考えられている。マハーヴィーラは最後のティールタンカラとされている)。以後30年間遊行しながら教えを説き広め、信者を獲得し、72歳でパータリプトラ(現パトナ)市近郊で生涯を閉じた。 仏典ではニガンタ・ナータプッタ(nigaṇṭha nātaputta, निगण्ढ नातपुत्त)の名で釈迦在世時代の代表的な自由思想家たち(六師外道)の一人である。彼は「ナータ族の出身者」で、古くからの宗教上の一派ニガンタ(束縛を離れた者)派で修行したのでそう呼ばれた。 ヴァルダマーナは当時の自由思想家の一人としてバラモン教の供犠や祭祀を批判し、あわせてヴェーダの権威を否定して、合理主義的な立場から独自の教理・学説をうち立てた。サンジャヤ・ベーラッティプッタや釈迦と同様、彼は言語による真理表現の可能性を深く模索した。ヴァルダマーナは、真理は多様に言い表せると説き、一方的判断を避けて「相対的に考察」することを教えた。これがジャイナ教の「相対論」(アネーカーンタ・ヴァーダ、anekānta-vāda)である。 具体的な表現法としては、「これである」「これではない」という断定的表現をさけ、常に「ある点からすると(スヤート、syāt)」という限定を付すべきだとする、「スヤード論」(syād-vāda)を説いた。これによりジャイナ教徒を「スヤード・ヴァーディン」(syād-vādin)ともいう。ジャイナ教は、相対主義を思想的支柱とし、後世「ヴェーダーンタ学派」の不二一元論や「サーンキヤ学派」の二元論、また「仏教」の無我論などと対抗してインド思想史上重要な位置を占めた。 ジャイナ教では宗教生活の基本的心得を、「三つの宝」(トリ・ラトナ、tri-ratna)と称して重んじる。(1)正しい信仰、(2)正しい知識、(3)正しい行い、である。解脱を目的として行われる宗教生活上で重要なのは(3)の正しい行い、つまり戒律に従って正しい実践生活を送ることである。 修行生活に関する規定は多くあるが、基本は出家者のための五つの大禁戒(マハーヴラタ、mahāvrata)、(1)生きものを傷つけないこと(アヒンサー)、(2)虚偽のことばを口にしないこと、(3)他人のものを取らないこと、(4)性的行為をいっさい行わないこと、(5)何ものも所有しないこと(無所有)である。在家者は同項目の五つの小禁戒(アヌヴラタ、aṇuvrata)を守る。他宗教と比べて特徴的なのは(5)の無所有(アパリグラハ、aparigraha)であり、とくに裸行派の伝統に強く生きている。 (1)の禁戒、アヒンサーの厳守はもっとも重要である。ジャイナ教はあらゆるものに生命を見いだし、動物・植物はもちろんのこと、地・水・火・風・大気にまで霊魂(ジーヴァ)の存在を認めた。したがって、アヒンサーの禁戒のためにあらゆる機会に細心の注意を払う。宗派によっては空気中の小さな生物も殺さぬように白い小さな布きれで口をおおう(イエズス会の伝道師たちがジャイナ教徒に顕微鏡で普段飲んでいる水をみせたところ、それをみたジャイナ教徒は飲み水に微生物があふれていることを知り、飲むよりは衰弱死を選んだという報告書の存在がトマス・ブルフィンチの著書に記されている)。 また、「出家者は路上の生物を踏まぬようにほうきを手にする」という説明が各所にみられるが、実際には道を掃きながら歩くわけではなく、座る前にその場を払うための道具である。とはいえ、これはアヒンサーの徹底ぶりを象徴している。食生活はジャイナ教の生物の分類学上、できる限り下等なものを摂取すべきであり、球根類は植物の殺生に繋がるため厳格なジャイナ教徒は口にしない。 アヒンサーを守るための最良の方法は「断食」であり、もっとも理想的な死はサッレーカナー(sallekhanā)、「断食を続行して死にいたる」ことである。マハーヴィーラも断食の末に死んだとされ、古来、段階的な修行を終えたジャイナ出家者・信者のみがこの「断食死」を許された。 だが、ジャイナ教徒にとってのアヒンサー(不害)は、身体的行為のみならず、言語的行為、心理的行為の3つを合わせたものとして理解されなければならない。人を傷つけることばを発することや人には気づかれなくとも心の中で他者を傷つけるようなことを思うことさえもジャイナ教徒は罪と考えるのである。これこそがアヒンサーの厳しさである。 また、例えば動物に襲われたときにも自衛のために動物を傷付けてはいけない。つまり、アヒンサーを忠実に守るためには死をも覚悟しなければならない。これは現世の身体は不浄のものであるから肉体に執着してはならないという考えに裏打ちされている。 マハーヴィーラ在世時、マガダのセーニヤ(seṇiya、仏典中に見られるビンビサーラ)王やその王子クーニヤ(Kūṇiya、アジャータシャトル)などの帰依・保護を受けて、すでに強固な教団を形成していたと思われるが、彼の没後はその高弟(ガナダラ、「教団の統率者」)たちのなかで生き残ったスダルマン(sudharman、初代教団長)などにより順次受け継がれ、マウリヤ朝時代にはチャンドラグプタ王や宰相カウティリヤなどの庇護を得て教団はいっそうの拡大をみた。それ以降のジャイナ教教団史をみる上では、白衣(びゃくえ)派(シュヴェーターンバラ、śvetāmbara)と裸行派(or空衣派:くうえは、ディガンバラ、digambara)が分裂しながらも存続している。 両派の分裂は1世紀頃に起こったと伝えられる。相違点は、白衣派が僧尼の着衣を認めるのに対し、裸行派はそれを無所有の教えに反するとして裸行の遵守を説く。また、裸行派は裸行のできない女性の解脱を認めない。白衣派は行乞に際して鉢の携帯を認めるが、裸行派ではこれも認めない。 概して白衣派は寛容主義に立つ進歩的なグループ、裸行派は厳格主義に徹する保守的なグループであるといえる。ただし、両派の相違は実践上の問題が主で、教理上の大きな隔たりはみられない。 中世、イスラム教徒のインド侵入は仏教のみならずジャイナ教にも打撃を与えたが、それを契機として、ジナ尊像の礼拝を否定するローンカー(lonkā)派が新たに誕生するなど、伝統はとだえることはなかった。現在は白衣派・裸形派とも多くの分派が派生している。そのなかで最大の勢力は白衣派の尊像崇拝派(ムールティプージャカ)であり、さらに多くのガッチャと呼ばれる分派に分かれている。 現在、白衣派の多くみられるのはグジャラート、ラージャスターン両州、ムンバイ(ボンベイ)などである。寺院で尊像を礼拝するデーフラーバーシー派(dehrāvāsī)とこれを行わないスターナクヴァーシー派(sthānakvāsī)の2派がある。 裸行派はほとんど南インドに集中するが、マディヤ・プラデーシュ州にも多少みられる。テーラーパンティ(terāpanthi)とヴィスパンティ(vispanthi)の2派があるが、生活儀礼の上でわずかな相違がみられるのみである。 殺生を禁じられたジャイナ教徒の職業はカルナータカ州に例外的に知られているわずかな農民を除けばほとんどが商業関係の職業に従事し、商才にたけたジャイナ商人は有名である。現在ジャイナ教徒は2001年のインド国勢調査(Census 2001)によれば450万人ほどを数え、これは全人口の0.5%にも満たないが、インド社会において事実上の一カーストを形成している。ただし、ここでいうカーストとは職業的内婚集団と説明される「ジャーティ」の意味合いである。インド社会でのジャイナ教徒の結束はきわめて固く婚姻も多くがジャイナ教間だけでおこなわれることがそれを裏付けているといえる。 ジャイナ教の聖典はシッダーンタ(siddhānta)あるいはアーガマ(āgama)と呼ばれる。白衣派では、前3世紀ころパータリプトラで開かれた最初の聖典編纂会議で古聖典(14のプッバ (puvva)。聖典名は俗語形)に関する記憶が集められ12のアーンガ (āṅga)が編纂されたが、最終的に5世紀ころ西インドのバラビーにおける編纂会議でまとめられた。 白衣派聖典の言語は俗語アルダ・マーガディー語(半マガダ語)で、伝統的にはアールシャ(ārṣa、聖仙のことば)と呼ばれる。これに対し裸行派はいにしえの聖典はすべて散逸したとして俗語シャウラセーニー語(śaurasenī)で書かれた独自の文献を聖典とする。 サンスクリットで最初に書かれたのは有名なウマースヴァーティ(umāsvāti)の教理綱要書(タットヴァールターディガマ・スートラ)である。裸行派の学匠クンダクンダ(kundakunda(4-5世紀))は自派の聖典用語で(ニヤマサーラ、niyamasāra)など哲学書を書いた。また、白衣派のハリバドラ・スーリ(haribhadra sūri(8世紀ごろ))はジャイナ教聖典に対して初めてサンスクリット語で注釈を書き、『六派哲学集成』等の哲学書の他、文学作品、ヨーガに関する書物など、多彩な作品を残した。 白衣派のヘーマチャンドラ(12世紀)は諸学に通じ、すぐれた文法学者・文筆家として多くの作品を残した。 俗語文学は10世紀前後にはアパブランシャ語作品が流行し、ダナパーラ(dhanapāla)の叙事詩(バビサッタカハー、bhavisattakahā)などのすぐれた作品を生んだが、その後もジャイナ教徒はサンスクリットとともに、その時代の地方語・俗語を文学作品に用いた。中世裸行派の中心となった南インドでは、タミル語やカンナダ語で多くの文学作品が作られた。 聖地アーブ山のデルワーラ寺院 ハティーシング寺院グジャラート州アフマダーバード アーディナータ寺院ラジャスタン州ラーナクプル。 聖地シュラバナ・ベラゴラ山ゴマテーシュワラ像 聖地サンメッド・シカールジ サンメッド・シカールジ寺院 『思想の自由とジャイナ教 - 決定版中村元選集 第10巻』(春秋社、1991年)ISBN 978-4393312100 『ジャイナ認識論の研究』(長崎法潤著、平楽寺書店、1988年)ISBN 978-4831300553 『ジャイナ教 非所有・非暴力・非殺生 - その教義と実生活』(渡辺研二著、論創社、2005年)ISBN 978-4846003135 『ジャイナ教入門』(渡辺研二著、現代図書、2006年)ISBN 978-4434082078 CiNii>ジャイナ INBUDS>ジャイナ ^ 木村靖二, 岸本美緒, 小松久男 『詳説世界史 改訂版』 山川出版社、2017年、56頁。ISBN 978-4-634-70034-5。 ダルマ (ジャイナ教) マハーヴィーラ アヒンサー ジャイナ教のアヒンサー 菜食主義(ベジタリアニズム) ヴィーガニズム ジャイナ教の建築(神谷武夫)
ジャイナ教
コップ
コップ(オランダ語: kop、ポルトガル語: copo)は、ガラス、プラスチック、紙などでできた、取っ手のついていない小さな容器。また飲用に用いる容器を総称してコップとする場合がある。 通常、ガラス製でコップと呼ばれるものはシリンダー形のタンブラー(タンブラーグラス)を指す。このほかコップには紙製、プラスチック製、金属製のものなどがある。なお、素材に着目される場合、脚付きのものを含めてガラス製のものはグラス(glass)と呼ばれたり、陶器製で一般に取っ手付きのものはカップ(英語: cup、マグカップ、コーヒーカップなど)が用いられたりすることもあり種々の重複する呼び名がある。ワイングラスなど一定の形状を持ち特定の用途に用いられる容器を表すときはコップとは区別される。 一般にコップは、取っ手などがなく非常にシンプルな形状のため、汎用的に飲み物、特に水を飲む場合に利用される。これは、紙やガラスなどの素材と薄くシンプルな形状が、熱い飲み物を飲むことに向いていないためであり、お茶やコーヒーなどのホットドリンクを飲む場合には専用の茶碗湯飲みやコーヒーカップを用いることが多い。 また、飲み物を飲むための大型の容器は内容物が増えるのに伴い重量が増すため、取っ手のついたものが一般的である。それらの、より複雑な形状の容器はより狭義のコップと区別した場合、ジョッキなどと呼ばれ、生ビールを飲む場合によく使われる。 コップは調理の際の液体の計量にも用いられる。「コップ1杯」と書かれている場合、日本においては180ミリリットルか200ミリリットルを指していることが多い。他に100mL、125mL、150mLとする場合もある。 歴史的にコップが日本に伝わったのは、江戸時代で、ギヤマンやビードロなどのガラス製品とともに伝わったため、英語を語源とするカップではなくオランダ語を語源とするコップと表現される。古くから日本に伝わっていたため、江戸時代を経て外国との交流のあった長崎などを中心に各地の工芸品に見ることができる。 ガラス製の最も一般的なコップ。先述のように一般にガラス製のコップはシリンダー形のタンブラー(タンブラーグラス)のことを指す。決して廉価ではないが質感がよく、耐久性があるので何回も繰り返し使われる。一般に衝撃に弱く、割れやすい。なお、びん状の水差しの口の部分に蓋と兼用のコップをかぶせたものは冠水瓶という。 紙製のコップ。紙コップやペーパーカップともいい、廉価で製作できるが耐久性が低く、使い捨てのものとしてよく扱われる。ファーストフード店などでテイクアウトの容器としてもよく使われており、手付タイプ(取っ手を紙コップの本体に付けたもの)や蓋付タイプの製品もある。業務用に使われる場合には、紙コップを収納するためのカップディスペンサーやカップホルダーなどの器具に収められることが多い。なお、紙コップを装着して用いる取っ手付きホルダーもカップホルダーと呼ばれることがある。 かつて、国鉄設計の新幹線・寝台列車などの優等列車においては、洗面台の近くに冷水機があり、折りたたみ式の紙コップが備え付けられていたが、長距離列車自体の凋落、駅内外のコンビニエンスストアや飲料自動販売機(車内にも配置されている場合がある)などから容易に入手でき、キャップで蓋もできるペットボトル飲料(各種ミネラルウォーターなど)の普及により、列車内の設備としては風前の灯である。しかしながら近年、1回使い切りである衛生性・円筒形紙コップをはるかに凌ぐ収納性の高さなどの利点が見直された形となり、鉄道車両に備え付けられていた頃とほぼ同型のまま、教育機関や事業所の洗面所などにうがい薬と並べて配置されるなど、いわば「土壇場で生き残り」再度拡販されている。 薄手で透明(半透明)のカップはクリアカップまたはプラスチックカップ(英語版)といい、廉価で製作できるが耐久性が低く、紙コップ同様使い捨てのものとしてよく扱われる。蓋付タイプの製品もある。紙コップと同様に、業務用に使われる場合には収納用のカップディスペンサーやカップホルダーなどの器具に収められることが多い。厚手のものは陶製と比べて質感は劣るものの軽く割れにくく、耐久性もある。 使い捨てのものの中にはインサートカップと呼ばれるタイプのものもあり、これは専用のプラスチック製コップ(インサートカップ)に取っ手と脚の付いた本体部分(インサートカップホルダー)を装着して用いるようにしたもので、容器部分のみを取り替えることができるようにしたものである(このインサートカップ用のホルダーもカップホルダーと呼ばれることがある)。 フランスでは、地球温暖化対策の一環として、使い捨てのプラスチック製コップなどを規制する法律が2020年までに施行する予定となっている。また、欧州連合としてもゴミ対策の一環として規制案が議論されている。 金属製のカップ。煮沸消毒が可能、かつ衝撃に強い特徴から、ステンレス鋼のもの(ステンレスコップ)が歯科などの医療用やアウトドア用品として使われてきた。熱を伝えやすい性質から特に熱い飲み物には適していないが、2層構造を取り内部を空洞にすることで断熱効果を持たせ、この欠点をカバーした製品もある。 コップは身近な容器であるため、子供向けの即席実験などに用いられることが多い。例えば、複数のガラスコップ(またはグラス)と水を用いた楽器製作は大人が試みても興味深い。コップに入れる水量を調整することで音程を合わせた後、細い木の棒で軽く叩くと即席の楽器として利用できる。このとき、コップの肉厚が薄いほど良い音がする。さらに、コップのふちを指でこするように動かすと、叩いたときとは違う音色が響く。→グラス・ハープ 紙コップは糸電話の製作に欠かせない。コップの底が太鼓の皮のように振動することで、音波を効率よく糸の振動に変換できるからである。 コップは大気圧の存在を示す実験にも使われている。ガラス製のコップに水を満たし、はがきを載せ、そのまま逆さまにする。水はこぼれない。結果の意外性もあり、デモとして適している。大気圧が下方向だけでなく、あらゆる方向に対してかかっていることを示す実験としても優れている。 紙製やプラスチック製のものは尿検査などにも用いられる。 ^ a b 『料理食材大事典』主婦の友社 p.842 1996年 ^ 意匠分類定義カード(C5) 特許庁 ^ “フランス、プラスチック製の使い捨て食器を禁止へ”. CNN (2016年9月20日). 2018年6月4日閲覧。 ^ “ストローなど使い捨てプラスチック禁止=EUが規制案”. jiji.com (2018年6月2日). 2018年6月4日閲覧。 茶碗 氷コップ 角杯(en:Drinking horn) カップ コーヒーカップ ティーカップ マグカップ グアンパ グラス ワイングラス タンブラーグラス ビールジョッキ ビアグラス ビアマグ ビアタンブラー グラスウォッシャー スポーツスタッキング コップ座
コップ
ソーサー
ソーサーは、カップの下に置かれる受け皿のこと。洋食器では、マグを例外として、本来は全てのカップにソーサーが付属する。材質は陶器や磁器が多いが、ステンレス、鉄、銅、ピューター、真鍮、アルミなどの金属製や木製も存在する。 西欧にコーヒーや紅茶が入ってきた頃は、コーヒー用と紅茶用の区別は特にされておらず、カップと同様ソーサーも小型であった。これは、当時、紅茶やコーヒーが高価であったことが関係していたとされる。したがって、使用するポットも、カップやソーサーと同様に小型であったと言う。 また、カップの中身をソーサーに移してから飲むという習慣があったために、この頃のソーサーは、その口径の割に深さがあるという構造を持っているのが特徴であり、ソーサーに液体を溜めやすいようになっていた。 なお、ソーサーと類似のものとして、コースターがあるものの、こちらは液体を溜めるような使い方はしない。 後に、ソーサーに移してから飲むという習慣がなくなったために、ソーサーは、あまり深さを必要としなくなった。またカップの容量増大に伴い、大型化する。 元々、コーヒーカップとティーカップが区別されていなかったのは、先述の通りである。 ところで、紅茶は高温の水(熱湯)で抽出しないと良い味にはならないとされるため、紅茶は基本的に非常に熱い状態で出来上がるので、カップの口径を大きくし、紅茶の液面付近の温度が下がりやすいようにした。ただ、あまり重いカップを指で持ち上げるのは大変なので、カップの高さを低くすることで、容量を減らしたため、紅茶用のカップは、一般的にコーヒー用のカップよりも扁平になっていった。 対して、コーヒーは紅茶ほど高温の水で抽出しなくても味に変化がないとされるために、紅茶よりは低い温度(飲みやすい温度)で出来上がる飲み物なので、カップの口径を小さくし、コーヒーの液面付近の温度が下がりにくいようにし、コーヒー全体も冷めにくいようにした。あとはカップの高さを高くすることで、容量を増やしたため、コーヒー用のカップは、一般的に紅茶用のカップよりも背が高くなっていった。 また、コーヒーは基本的に濃い飲み物であるため、本来は大量に飲むべき飲料ではない。したがって、紅茶用のカップよりも、コーヒー用のカップの方が、容量が小さい傾向にある。 このような理由で、当初はコーヒー用と紅茶用の区別が特になかったものが、次第に区別されていった。 こうして、コーヒー用のカップ、すなわち、コーヒーカップには、それ用のソーサーがセットになっており、紅茶用のカップ、すなわち、ティーカップにも、それ用のソーサーがセットになったのである。 別売り用にソーサー単体で売っているものもあるが、セットと異なり、溝が入っていないことが多い。 南川 三冶郎、大平 雅己 『Coffe or Tea』 p.8 美術出版社 1992年9月30日発行 ISBN 4-568-50159-8 今井 秀紀 『洋食器を楽しむ本』 晶文社 1999年1月30日発行 茶托 - 茶碗の下に置かれる受け皿
ソーサー
ビールジョッキ
ビールジョッキは、ビール飲用に特化したジョッキ。別称、ビアジョッキ。厚手のガラス製が一般的だが、陶器のものも親しまれている。中には木製のものも存在する。ビールだけでなく、同類の発泡酒や第三のビールも喉越しが軽いため、ビールジョッキで飲まれる。 厚手の飲み口は味覚にも影響し、薄手のコップでは味わえない爽快な味となる。一般的に使用者が口を半開きにした(唇の力を抜いた)時と同じ厚さが好まれる傾向にあり、逆にワインのように繊細に味わいたい場合にはワイングラスのように薄手のグラスが好まれる。 英語でビアマグ(英: Beer mug)または、タンカード(英: Tankard)と呼ばれ、大きめの物は、ビアスタイン(英: Beer stein)と呼ばれている。 語源となったビアジャグ(Beer jug)は、1Lから4L入るピッチャーを意味する。 日本のラガー・ビールは、味わいがあり、なおかつ喉越しが良い事で世界的にも知られている。その日本のラガービールを飲む上で、ジョッキに注いで盛大に飲む事は、一般的なビールを飲む日本人が好む飲み方である。ジョッキは主に円筒形をしており、側面には大きな取っ手がついている。これを片手ないし両手で持って、大いに飲み合うのである。 夏には良く冷えた生ビールをなみなみと注いで、これを飲み干す事で涼を取る習慣も見られ、エアコンの普及する以前の1970年代頃までは、仕事帰りに屋上ビアホールなどでビール片手に涼を取る人もしばしば見られた。中には中ジョッキで2~3杯は立て続けに飲む人もいる。 中生 (ちゅうなま) ・生中(なまちゅう)は中サイズのジョッキに注がれた生ビールを指し、居酒屋などで最も一般的な飲み方である。小サイズは小生(生小)、大サイズは大生(生大)である。ビールジョッキは大きさの規定がなく、小ジョッキは 200~300ml 程度、中ジョッキは 350~500ml 程度、大ジョッキは 700~800ml 程度が一般的である。(大・中・小:七五三と例えると覚えやすい) 英国で好まれるジョッキは、パイント・グラス(英: pint glass)と呼ばれ、1パイント(568ml)の物と、その半分(ハーフパイント284ml)の物であるが、日本のラガービールより濃くて風味の強いラガーや、更に味の濃いビター、濃厚な風味が楽しめる黒ビールであるため、日本の「喉越し良く飲めるラガー」との事情の違いもみられる。英国では、パブでジョッキに注いだビールを片手にちびりちびりと飲みながら、談笑することが好まれる傾向もある。 英国では生ビールを英式計量で販売しなければならない。英国の法律では1パイント(568ml)のビールが実際に1パイントであることを保証するために一定の手順を規定している。これは所謂「計量ディスペンサー」(計量検定済ポンプ)を使用することで保証されるが、より一般的には認定された1パイント・グラスを使用することで保証されている。この他の計量検定された何らかの手段を使用せずに容量の決まっていないグラスでビールを販売することは違法である。ハーフパイント(284ml)のグラスもあり、同じ法律で規定されている。 最も一般的なガラス製ビールジョッキの場合、まずはジョッキを綺麗に洗浄し、泡立ちを妨げる埃の付着を防ぐために布で拭いたりせず自然乾燥させる。完全に水が切れたらこれを冷蔵庫に入れ、冷やす。厚手のジョッキは冷やすことで常温に置いても温まりにくくなり、注がれたビールの保冷効果を期待できる。飲食店では、あえて一定の水分を残したまま凍らせいっそう保冷効果を高めてビールを注いで出すところも多い。 コップ ジョッキ ビアグラス ビアタンブラー ビアマグ
ビールジョッキ
バターナイフ
バターナイフ(butter knife)とは、バターを取り分けたり塗るためのカトラリー。 テーブルウェアとしてバターを提供する際に用いる食器に、サービング用のバターナイフとバターディッシュがある(さらにバターディッシュの下に受け皿を置くこともある)。サービング用のバターナイフはバターディッシュからバターを取り分けるため各人が回して共用するもので先端が尖っているものが多い。サービング用のバターナイフはマスターバターナイフともいう。 一方、バターをパンに塗るためのカトラリーはバタースプレッダーともいい、テーブルセッティングでは各人に配置する。バタースプレッダーは先端は丸みを持っているものが多い。 なお、ジャムを提供する場合にはテーブルウェアとしてジャムポットとジャムスプーンを用いる。 ^ a b 多賀谷 洋子『アンティークシルバーのティータイム・テーブルセッティング』2015年(誠文堂新光社)31頁 ^ a b c 多賀谷 洋子『アンティークシルバーのティータイム・テーブルセッティング』2015年(誠文堂新光社)30頁
バターナイフ
ピッチャー (容器)
ピッチャー(英: pitcher)とは、耳型の取っ手と注ぎ口をもつ水差し、もしくは2つの取っ手を持つ陶器製の液体容器。認定や選択の象徴とされている。ジャグ(jug)とも呼ばれる。 食事の際に水、茶、コーヒー、牛乳、ジュース、ビールなどの飲み物を供するため、あるいは料理用の液体調味料を入れておくために用いられる容器。前者はドリンクピッチャー、後者はクッキングピッチャーなどとも呼ばれる。フランス語ではカラフェ(仏: Carafe)という。 ドリンクピッチャーは用途に応じて、それぞれ、水を入れるためのものはウォーターピッチャー、お茶を入れるためのものはティーピッチャー、コーヒーを入れるためのものはコーヒーピッチャー、牛乳を入れるためのものはミルクピッチャー、ジュースを入れるためのものはジュースピッチャー、居酒屋などでビールやカクテルなどの酒類を入れるためのものはビールピッチャーとも呼ばれる。このうちミルクピッチャーは、コーヒー茶碗および受け皿、コーヒーポット、砂糖入れとともに組物としてコーヒーセットを構成する。また、ミルクピッチャーは、紅茶碗及び受け皿、ティーポット、砂糖入れとともに組物として紅茶セットを構成する。 びん状の水差しの口の部分に蓋と兼用のコップをかぶせたものは冠水瓶という。 形状は様々なものがあるが、一般に注ぎ口がある。材質としては、陶器製、ガラス製、プラスチック製のものがある。また、ピッチャーには蓋付きのものと蓋のないものがあり、大型のものには取っ手が付いていることが多い。保温の機能をもつものや保冷の機能をもつものや、ビールピッチャーには泡止めがついているものもある。 ^ 大修館書店 『ジーニアス英和辞典(第4版)』 1463頁 ^ a b 大修館書店 『ジーニアス英和辞典(第4版)』 1464頁 ^ a b c 意匠分類定義カード(C5) 特許庁 ポット 醤油差し ビアマグ
ピッチャー (容器)
ボウル
ボウル (bowl) は、鉢(はち)や椀(わん)のこと。調理に使う深さのある容器や、同様の形態の食器を指す。底に緩やかに湾曲し、持ち運びを容易にし、縁の強度を向上させるため縁が飛び出て曲がっている。 調理器具としてのボウルは、粉を練ったり食材を混ぜるのに利用される。素材は琺瑯、ステンレス、鉄、銅、プラスチック、耐熱ガラスなど。片手ハンドルや注ぎ口が付随したものもある。 食器としてのボウルには、サラダボウル、シチューボウル、カフェオレボウルなどがあり、茶碗や丼状のものである。アメリカでは、牛丼 (beef bowl) など丼物のことをbowlと呼ぶことがある。また、球技場がすり鉢状になっていることをなぞらえて、スタジアムそのものをボウルと呼んだりそこで開かれる競技をボウルと称する場合がある。 また、飲食物の容器としての用途の他、水を入れて指先を洗うために用いるフィンガーボウルや水切り用のコランダーといったものもある。 他に、水洗便所の便器の鉢部もボウルと呼ばれる。 食の器の事典(柴田書店) Bowl cut
ボウル
ディッシャー
ディッシャー (デッシャー、英: disher)とは、食品を盛りつけるための器具のひとつ。アイスクリーム、マッシュポテトやポテトサラダなどの食品を、一定量、一定のかたちに盛りつけるのに使用される。アイスクリームに使用するものは、アイスクリームディッシャーまたは、アイスディッシャーとも呼ばれる。 通常はステンレス製で、食品をすくう半球形の金具にペンチのような握るための持ち手がついている。スプーンに似た半球形の部分で食品をすくい、持ち手を握ると、自動車用ワイパーの要領で半球の内側部分を金属片が通過し、こそぎ落とされた食品は半球形のかたちを保ったまま押し出される仕組みになっている。 ^ 意匠分類定義カード(C6) 特許庁
ディッシャー
ラメキン
ラメキン(Ramekin)、フランス圏ではラムカン(Ramequin)またはココット皿とは、オーブン料理に使う丸型の容器。 外面に縦筋の刻印が均等に刻まれた円柱状の容器。大きさは小型。スフレ、ココット、アスピックなどの料理に用いられる他、アイスクリームなどのデザートを載せることもある。 「食の器の事典」(柴田書店)
ラメキン
カクテル・ピン
カクテル・ピン(Cocktail Pin)とはオリーブやチェリーなどをカクテルにデコレーションする際に用いられるピンである。バーなどの酒類を提供する店で出される場合はデザイン性の高さから金属製のものを用いることが多いが、使い捨てにする観点からプラスチック製のものも存在する。デザインに優れるものが多いことから、バー・スプーンなどのバーツールとともにコレクターが存在する。 オリーブ - マティーニなど パールオニオン - ギブソンなど チェリー - マンハッタンなど ライム - ジン・ライムなど その他レモン、オレンジなど カクテル
カクテル・ピン
ストロー
ストロー(straw)は、飲み物などを飲む際に用いられる器具。コップなどの容器に入った飲料を吸う際に用いられる、両端に穴が空いた細い管状の道具である。飲料にストローを指し、逆側の先端を吸うことで、コップを持って傾けたり、口を直接コップに付けたりせずに飲料を口に運ぶ事が出来る。 ポリプロピレンなどのプラスチックで作られる場合が多く、紙製あるいはプラスチック製の袋に封入されている製品もある。市販されている小型の紙パック入りの飲料では、ストローがプラスチック製の袋に封入された上で商品に付属されている場合が多い。 元々、ストローの原材料は麦の穂を切り取った残りの麦稈(ばっかん)すなわち麦わら(straw)そのものが利用されていたため、この名前で呼ばれる。普通の麦わらと区別するには drinking straw と呼ぶ。 日本のストロー生産は、1901年(明治34年)頃に岡山県浅口郡寄島町(現・浅口市)で川崎三一が麦稈を使って始めたという。 日本でも1950年代後半頃までは喫茶店やカフェで麦わらが使われており、紙封入りの麦わらを、冷えた飲み物のコップに付着した水滴を利用して縦に貼り付け、ウエートレスが客席へ運ぶ姿が見られたものである。日本で、米の裏作として麦を栽培することが減り、原材料がより低価格で調達できる紙やプラスチックへと変遷してきた。麦わらを模した中空の形状や用法は変わっていない事から、現在でも変わらず「ストロー」の名で呼ばれ続けている。上記の浅口市には、国内生産の約半分を占めるストロー製造会社があるが、日本で使われるストローのうち8割~9割は中国や韓国などからの輸入品と見られる。 「ストローハット」の語も本来は麦藁帽子を指すが、現代では多種多様な素材が存在し、総じて形状からストローハットと呼ばれているように本来の意味が曖昧になっている。 なお、調理用語において「ストロー」とは麦わら程度の太さに切ることを指す(ストローポテトなど)。またストローの「吸い上げる」という意味合いから、交通機関の発達により人口が移動し偏る現象はストロー現象と呼ばれている。 ストローの形状は単に直線に細長い筒状のもの(ストレートストロー)が一般的である。このほかに、中間に特殊な蛇腹加工を施する事で折り曲げとその角度固定を自由とし仰向けの状態でも容易に使用可能な「曲がるストロー」(ステイストロー、フレックスストロー)や、中間をいくつかに分割しさらに入れ子式にする事で収納時にコンパクトになる「伸びるストロー」といった機能的に長けたデザインのものや、先が二つに分かれており二人で同時に吸わないと飲めない「アベックストロー」、中間を長くとり曲げ加工や膨張収縮させて意匠的デザインに長けたものなど、あるいはそれらの複合デザインのものなどが挙げられる。また、もっぱらかき氷に用いられるストローとして、先端をスプーン状に開いた「スプーンストロー」がある。 太さに関しては通常の太さ以外に、カクテルなど主にマドラーの代用としても使用されるより細く強いストローや、タピオカや果実などの固形物が入っている飲料に使用される太いストローなど、用途に合わせた内径の違いが存在する。またストローの太さは液体を汲み上げるために必要な吸引力の差を生む。 細ければ細いほど小さな吸引力で済むが、一度に汲み上げる量が減る。また太ければ太いほどより多くの吸引力が必要となるが、汲み上げられる量も多くなる。例えばマクドナルドのストローは通常よく使われるタイプの物より太い。これは飲む際に最もおいしいと感じさせるために必要な吸引力を独自研究した上での計算された太さであり、マーケティング戦略の一環であると言われている。 ストローの上方から空気を吸引することで液体を重力に逆らって持ち上げることができる。この作用原理には、大気圧の力が関係している。 液体をストロー上方へ運ぶ直接的な力は、コップ内の液体にかかっている空気の重さ、すなわち大気圧の力そのものである。ストローを吸う行為は直接的にはストロー内の空気を吸い出すという行為であり、外部の大気圧に対してストロー内部の気圧を低くするだけの行為である。これによりストロー内部に密着している液体表面だけが大気からの圧力より開放されるが、それ以外の液体表面には依然として大気圧の重みがかかっている状態になる。常に大気圧に押さえ付けられている液体はより低い気圧のほうへ押し出されざるを得ないが、結果的にそこはストロー内部の空間となる。 2018年、欧州連合は、海洋ごみの多くが使い捨てプラスチック製品であることに着目し、ストローなどの素材を代替品に切り替えるよう義務付ける規制案を発表。2019年を目途に、欧州議会と加盟国で議論されることとなった。 プラスチックから紙製ストローなどへの転換も試みられているが、耐久性に問題があり、試行錯誤が続けられている。これに関して、大手コーヒーチェーンのスターバックスが、2020年までに全世界の店舗でプラスチック製ストローを全廃する方針を表明。日本でも大手外食チェーンのすかいらーくが傘下のファミリーレストラン「ガスト」で2020年までに廃止する方針を打ち出している。 こうした規制の動きを受けて、様々な提案がなされている。代替素材としての紙、ステンレス鋼、ライ麦や大麦、竹(バンブー)、リサイクルガラス、食材でもあるパスタやちくわのほか、ストローを使わないようにすることも含まれる。2018年にはアキュラホームが間伐材を使った木製ストローの量産とホテルへの納入予定を発表した。 ^ a b 『料理食材大事典』主婦の友社 p.441 1996年 ^ ストローの豆知識 シバセ工業株式会社 (2018年10月24日閲覧。) ^ ストロー「問題は廃棄方法なのに…」国内シェアトップ、廃止機運に疑問/医療・工業向けに活路探る『朝日新聞』朝刊2018年10月25日(経済面)2018年12月9日閲覧。 ^ “ストローなど使い捨てプラスチック禁止=EUが規制案”. jiji.com (2018年6月2日). 2018年6月4日閲覧。 ^ “30分で柔らかく、吸えなくなる紙製ストロー”. 読売新聞 (2018年8月25日). 2018年8月25日閲覧。 ^ “プラ製ストロー廃止、なぜいま? 3つのポイント”. 日本経済新聞 (2018年8月17日). 2018年8月28日閲覧。 ^ 竹、パスタで代用?プラストローをなくしたらどうなるか(井出留美) - 個人 - Yahoo!ニュース ^ 【プラスチック危機】木の温かみ ストローに/アキュラホームが量産化成功『毎日新聞』朝刊2018年12月1日(総合・経済面)2018年12月17日閲覧。 ピペット ボンビーリャ
ストロー
バー・スプーン
バー・スプーン(Bar Spoon)は、カクテルや蒸留酒の水割りを作る際などに、主にバーで用いられる、柄の長いスプーンである。食品を移動することの他、攪拌棒や計量器として用いられる。 スプーンと呼ばれるものの、スプーンの反対側にフォークが付けられている。柄の中央付近が螺旋状にねじれているのが特徴で、これはステアしやすいように施されているものである。またカクテルのレシピにtspという単位が書かれている場合があるが、これはティー・スプーンの略語であり小匙に相当する。バー・スプーンは大きさがまちまちであるため、これで計量した場合は正確に1tspになるとは限らない。またフォーク部分はオリーブなどを瓶から出す際や果物の盛り付けの際などに用いられる。このように、攪拌棒、計量器、食品の移動という複数の用途を持つ。 素材はステンレス製が多いものの、銀など他の素材で作られたものも存在する。長さは約25cmから35cm程度だが、それより長いものも短いものもある。 バー・スプーンは計量スプーンなどと同じで、調理する用途として使われるが、飲食する為の道具としては使われない。このため、客にバー・スプーンがカクテルと供されることはない。非常に長く飲食用の道具としては使いにくく適さない。 なお、同じくバーなどで用いられ、ステアすることを目的とする食器にマドラーがあるが、飲食する為の道具として使われ、客にカクテルと共に供される。 マドラー カクテル 食器
バー・スプーン
瓶、壜(びん)は、ガラスや陶器を材料とした容器。英語で、ボトル(英: bottle)というと口の細い瓶を指し、ジャー (英: jar)というと広口瓶を指す。瓶に取っ手がある水差しに近い瓶は英語でジャグ(英: jug )である。 瓶は液体や固体(粉末など)の輸送と保存に適した容器の形態で、容器入り口には密閉用の機構を備えるものが多い。簡単なものでは入り口にはめ込む紙蓋(例として牛乳瓶)やコルク栓(例としてワインボトル)、ゴム栓など柔らかい素材でできた栓がされるが、王冠など金属製のキャップを利用するもの(例としてビール瓶)も少なくない。密閉性が高く、外気との遮断ができる点でも優れている。 円柱型のものが多いが、稀に角柱状の角瓶もある。角瓶は船積みして遠方に輸送する際に荷積みの便利さから工夫されたもの。またガラスが発明される以前に、ヒツジなどの胃袋を利用して飲み水を入れるための容器に仕立てられたものの形をガラスで再現したものもある(ボックボイテル-ドイツのフランケン地方のワインに特有の下膨れの瓶)。この「任意の形に加工しやすい」という性質は、意匠を凝らした様々な瓶も生んでいる。 こういった容器は人間とガラスなど加工しやすく硬い素材との付き合いが始まって以降に利用が進んだが、その形状や機能は研究され、保存食の容器として(瓶詰)や飲料の容器として広く利用されている。内容物に応じて口の広い瓶から狭くなった「首」を持つものまで様々だが、総じて食品の瓶は口が広く、飲料や調味料など液体の瓶は口が狭い。開口部が狭いほど液面の面積が狭くなるため、たとえ蓋をしていなくても保存性が高まるという面もあるため、液体の瓶は先細りとなっているものも少なくない。 瓶にはその用途に応じて様々なものが存在する。古く瓶の製造が大量生産では無かった時代には、瓶は貴重な容器で、洗って何度でも再使用することを前提とした容器だった。この方向性は現在でも一升瓶やビール瓶・牛乳瓶などに残っており、これら洗浄して再使用することを前提とした瓶は、リターナブル瓶とも呼ばれ循環型社会では飲料や食品・調味料の容器として注目を集める。 その一方で、産業革命以降には瓶の大量生産方法が確立され、使用した瓶を破砕してガラス原料としてリサイクルする場合がある。これはリターナブル瓶の対義語であるワンウェイ瓶とも呼ばれる。 こと洗浄して再使用するリターナブル瓶の場合では、内容物毎に意匠を凝らして製品種類をアピールすることは配慮されないため、規格化された大きさ(容積)・形・色をしている。例えば一升瓶でも日本酒などを入れるものは茶色の色つき瓶で、食用油などは内容物を見分けやすい淡い青色の透明瓶が使われるが、形状はどちらも尺貫法における一升(約1.8リットル)の細長い首を持った同じ形をしている。 古く吹きガラスで作った瓶が用いられたが、こういった瓶は大きさや容積がまちまちであることから、工業単位で製造された物品を収めることに向かず、次第に大きさが規格化されていったことがうかがわれる。 化学的に安定した物質(不活性)で内容物を汚染することもなく耐熱性がある。 ガスバリアー性が高く気体あるいは水蒸気の透過性が全く無いため味の変質を抑制できる。 ガラスにせよ上薬を掛けた陶器にせよ、その表面のガラス質は簡単には溶けず気密性もあるため、長期間液体を保存していても内容物が漏れたり蒸発することを防ぐことができる。また殺菌法の発達は雑菌の侵入を阻むガラス瓶の性質から保存食を従来の乾燥や塩漬けに加え密閉という形で完成させ、後の缶詰の原型ともなった。内容物に溶け出さず・腐食せずという性質から高い保存性を発揮する。ただ、密閉性を高めるために固く締められたガラス瓶の蓋は開けにくいという難点がある(そのため、てこの原理を応用して、ガラス瓶の蓋を容易に開ける道具も市販されている)。 透明で内容物がよく見え、また、表面には光沢があり質感も良い。ただし、光線の影響を受けやすい。 ガラス瓶の場合では内容物が透けて見えるという点からも利便性が高い。ラベルが剥がれていても、イチゴのジャムとマーマレードを取り違えなくて済む。しかし、この透明という性質は太陽光線で内容物が劣化し易い場合には欠点となる。このため光線を遮るために濃い色で着色している瓶も少なくない。 リサイクルが可能である。 今日、資源のリサイクルが重視されるようになったこともあり、リターナブル瓶の再使用やワンウェイ瓶のカレットの利用など、比較的に再利用の際のエネルギーコストが低廉であるというガラス瓶の利点が見直されつつある。 世界的に見て原料となる珪砂、ソーダ灰、石灰は豊富であり資源的に安定している。 紙容器などに比べて重たい。 衝撃や急激な温度変化に弱く割れやすい。 強度を高めるためには必然的に厚くしなければならず、さらに重量が増加する点で不利である。ただし、現在の瓶の一部では合成樹脂のフィルムを表面に接着するなどして強度を上げているものがあり、また形状を工夫することで必要な強度を最小限の厚さで実現できるようにもなっている。 密封・殺菌が容易でない。ただし、缶詰は一度開けると容器としては元に戻らなくなるが、ねじ蓋のガラス瓶は閉め直すことができ容器を反復して利用することができるという利点がある。 瓶はガラスや陶器、あるいはプラスチックなど加工時には可塑性を持ち加工後は硬質化する、安定した物性を持つ素材で作られるのが常である。ただし映画の撮影やコントなどでは、ガラス瓶の「強い衝撃を与えると割れ砕ける」という性質を安全に再現するために飴ガラスと呼ばれる、特別製の瓶が利用される。これは既存のビール瓶などに似せて作られるが、弱い力で割れ、また破片で怪我をし難い。この他ロジン(樹脂の一種)などでも同様の物品が作られる。ただしこれらは容器としての役には立たず、瓶の形をした壊れ易い物品に過ぎない。 ^ 日本国内では、広口の魔法瓶や保温装置付きのご飯のおひつをジャーという。いずれも保温用の機能を有する。これは日本独特の用法(カタカナ英語)である。英語のjarは、広口の瓶や壺を一般的にいう言葉である。 ^ 日本国内でジャグという語は、水筒や、アウトドア用の飲料水タンクを示す言葉として使われている。 ^ 坂田俊策 『NHKカタカナ英語うそ・ほんと』 日本放送出版協会、1988年5月20日、35頁。 ^ “ジャグの通販・ネットショッピング”. カカクコム. 2017年11月23日閲覧。 ^ a b c d e f g h i 日本食品保蔵科学会『食品保蔵・流通技術ハンドブック』建帛社 p.37 2006年 ^ a b c d 日本包装学会『包装の事典』朝倉書店 p.125 2001年 地球瓶 - 煎餅屋に良く見られる煎餅を入れるための丸型で上部にブリキの蓋のついた大型の瓶。形が丸いので「地球ビン」と呼ばれる。 ボトルシップ - 瓶の中に模型の帆船を入れたもの。 ボトルメール - 空き瓶に手紙を入れて海に流したもの。 火炎瓶 花瓶 - 花を生け、鑑賞するための瓶。 土瓶 鉄瓶(英: Tetsubin) ペットボトル 牛乳瓶 魔法瓶 水筒 実験器具の一覧#ガラス器具(である例が多いもの)
ビアタンブラー
ビアタンブラーは主にビア(ビール)を飲むために考案されたタンブラー。陶磁器製やガラス製、金属製、合成樹脂製など素材は問われない。形状も様々だが、開口部断面積より底面積が同じもしくはやや小さく、縦長のものが一般的である。内容積にも決まりは無く、一口サイズのものや350ccが充分入る大きさのものなど様々である。 ビールを楽しむための重要な要素である泡を考慮した工夫がなされていることもある。たとえば陶磁器製のものの場合、内側を無釉(釉薬をかけないこと)にしたものもある。これは、ビールとの接触面が素焼きであることにより、泡立ちが良くなり且つ泡を長持ちさせる効果が知られているためである。 ビールジョッキと比較してかさばらないため、冷凍庫などに入れて冷やしてからビールを注ぐのに適している。 ビアグラス ビールジョッキ
ビアタンブラー
落とし蓋
落とし蓋(おとしぶた)は、主に日本料理で煮物をする際に用いられる、材料の上にかぶせて使う蓋、あるいはそうした蓋の用途である。食材の下茹でに用いられることもある。 落とし蓋には沸騰した煮汁が蓋に当たり、少ない煮汁でもむらなく煮含める役割がある。また煮汁の急激な蒸発も抑えられ、熱効率の観点から経済的となる。さらに材料を軽く抑えることで煮崩れを防いだり、素材の匂いがこもったりするのを防ぐ効果もある。 落とし蓋の大きさは調理に使用する鍋の直径より一回り小さい(2,3センチほど)大きさが最適とされる。別の鍋の蓋や木製の蓋が用いられることが多いが、大きさを一定の範囲で変更可能な金属製のものやデザイン性・機能性を重視したシリコーン樹脂製のものなども考案され販売されている。食品の匂いの吸着や張り付きを防ぐため、特に木製の蓋の場合、使用前にはしばらく水で湿らせ、使用後にはよく洗って乾かす必要がある。 煮汁の蒸発を防ぎたい場合やゆっくり煮含めたい場合には落とし蓋の上からさらに蓋をすることがあり、これを「きせ蓋」と言う。 落とし蓋となる蓋がない場合にはアルミホイルや耐水性のあるキッチンペーパーや和紙、樹脂コーティングされたクッキングシートなどを使い捨てで代用することもできる。蒸気の出口として穴を開けることもある。食材によってはアルミホイルのひだやキッチンペーパーに灰汁が吸着され灰汁取りの役割を果たすため、代用の落とし蓋の方がかえって都合がいいこともある。また柑橘類や酢など酸性の強い食品の場合にはアルミホイルは腐食が起こりやすいため不向きであるケースもある。 東京ガス:食の生活110番Q&A: 落し蓋をする理由 「落とし蓋」は料理の名助手
落とし蓋
泡立て器
泡立て器(あわたてき、あわだてき)は、食材を泡立てたり混ぜ合わせるときに用いる調理器具である。ホイッパーやビーターともいう。卵白を泡立ててメレンゲを作ったり、クリームを泡立ててホイップクリームを作るなど、調理に使われる。また、小麦粉を水や溶き卵に混ぜ込む際などの攪拌にも使われる。手動のものと商用電源を用いる電動のものが存在する。 日本標準商品分類では、金属製調理用具における鉄・ステンレス製調理用具の一種に分類される。 手動のものの先端は、主に曲がった形状のステンレスや金属を数本組み合わせて茶筅形にされたものが多い。これは材料を細かく攪拌し、より多くの空気を混ぜ込むようにするためであり、手早く攪拌することで材料を泡立てる。中には先がスプリング状になっていて、泡立ちが早くなるよう工夫されたものもある。また、手動のものには写真にあるような形のほか、より効率よく泡立てるため、密閉できる丸い容器の中で櫛の形をした回転部を手動回転させるものもある。 電動のものは、手動のものに似た回転部を2本持ち、互いに重なり合い逆回転で高速回転する。 ルネサンス期のヨーロッパで、攪拌した卵を使うことでケーキを膨張させる調理法が発見されて以来、卵の攪拌が厨房の作業に加わった。初期の泡立て道具はアシや樹木の小枝を束ねたものやフォークが用いられたが、質の良いメレンゲを作ることは重労働だった。バルトロメオ・スカッピ(英語版)の『著作集』(1570)には、今日の泡立て器に近似したバルーン型泡立て器の図が載っているが、同様のものが一般に普及するのは18世紀後半になる。 18世紀末ごろから労働の軽減に人々の意識が向くようになり、19世紀には多様な泡立て器が登場した。なかでも、アルキメディアン・スクリューの原理を基礎とした、ハンドルを回すことで歯車で伝導し攪拌部を回転させるドーヴァー式泡立て器はアメリカでヒット商品となった。 ^ 日本商品分類中分類77-台所用品及び食卓用品(銀器、銀めっき品及び類似金属品を除く。) (PDF) 総務省統計局 ^ a b ビー・ウィルソン『キッチンの歴史:料理道具が変えた人類の食文化』真田真由子訳 河出書房新社 2014年 ISBN 9784309022604 pp.198-210. 茶筅 ハンドミキサー
泡立て器
ジェズヴェ
ジェズヴェ(トルコ語: cezve)は、トルココーヒーを淹れるために特別に設計されたコーヒーポット。日本語では英語名称からイブリック(英語: Ibrik)とも呼ばれる。 トルココーヒーとは、水とコーヒーの粉を一緒に煮立て、上澄みを小さなカップに入れて飲むコーヒーの飲み方のことである。トルコ以外には中東や北アフリカなどで好まれている。 1555年に初めてコーヒーがオスマン帝国のイスタンブールに持ち込まれ、16世紀に開店した「カヴェ・カーネス」は世界初のコーヒー・ハウスともいわれる。17世紀までには帝国内の宮廷などで飲まれるようになった。トルココーヒーは日本と同じようにアラビカ種の豆を用いるが、細かい粉状に挽かれる。 伝統的にジェズヴェは胴と柄は真鍮や銅などの金属で作られており、場合によっては銀製や金製のジェズヴェも存在する。近年ではステンレス鋼、アルミニウム、セラミックなどの素材でもジェズヴェが作られている。銅はとても効率的な熱伝導体であり、低温-中温程度の熱しか必要としない。一般的な銅製ジェズヴェの厚さは1ミリメートルであるが、より厚ければ熱の保持や耐久性に優れる。長い柄を有することで手がアッチッチとならない。口をつける縁はコーヒー用に設計されている。開口部が広すぎるとトルココーヒー特有の泡がうまく形成されず、容積が大きすぎると水の沸騰に支障をきたす恐れがある。 ニューヨーク・マンハッタン区アッパー・ウエスト・サイドにあるスーパー「ゼイバーズ」では、約4ドルでプラスチック製の柄と金属製の胴を持つジェズヴェを購入することができる。 トルココーヒーは以下のように飲まれる。コーヒーを飲み終わった後には、カップの底に残るコーヒー粉の形状から占う「トルココーヒー占い」が行われる。 ジェズヴェに約6-8グラムのコーヒー粉、角砂糖を1-2個、約60-100ミリリットルの水を入れてかき混ぜる。 ジェズヴェを火にかけて煮立たせ、泡を残した状態でカップに注ぎ入れる。 コーヒーの粉がカップの底に沈むのを待ってから飲む。 ジェズヴェ(cezve)という名称はアラビア語のجذوةからの借用語であり、それぞれ「長い柄を持つ小さなコーヒーポットを意味する。トルコ以外の地域ではjezveやčezveと綴られることもある。東スラブ語群のウクライナ語とロシア語ではджезва(IPA: [ˈturkə])と綴られる。ボスニア語、セルビア語、モンテネグロ語、クロアチア語、スロベニア語、スロバキア語、チェコ語などの南スラヴ語群では、長い柄付きのコーヒーポットがdžezvaと綴られる。日本語で呼ばれることがあるイブリックとはトルコ語で細い水差しのことを指す。 ジェズヴェとコーヒーカップ トルココーヒーのセット トルココーヒーに用いる食器 ジェズヴェを煮立たせているところ 2人分のトルココーヒー さまざまなジェズヴェ ^ a b 実は知らないトルコ・コーヒーの事実 Coffee Mecca、2016年8月20日 ^ a b イブリック コーヒー用語辞典 ^ a b c d トルココーヒー JP-TR / 日本-トルコ ^ 第11話「世界最初のコーヒーハウスはどこの国?」 倉敷珈琲物語 ^ イブリックの淹れ方 手焙煎珈琲専門店 BanCa ^ a b トルコ式コーヒー UCC ^ a b c Turkish Coffee Pots Turkish Coffee World ^ a b c d Basics Tamu ^ Turkish Coffee How To Brew Coffee ^ Names and etymology Tamu Cezve Tamu
ジェズヴェ
セルクル
セルクル(フランス語: cercle)は、ケーキ、タルト、クッキーなど、主に洋菓子を作るときに使用する型もしくは枠で底のないもの。洋菓子だけでなく、他の菓子や料理に使うこともある。調理用の型の総称は強いて言えばムール(フランス語: moule)。 洋菓子用の型には多種多様なものがあるが、セルクルと呼べるのは、枠だけで底のないもの。ホールケーキ用の型には、底が取り外せる家庭用の型もあるが、普通はセルクルと呼べない。 最も一般的なものは円形だが、正方形・長方形のものもある。また、クッキー用に生地から目的の形に抜き取るための小型のものもある。これは円形だけでなく、多彩な形状があり、星型・ハート型・六角形・葉形・各種動植物などである。 材質は、一般にオーブンの熱に耐える必要があることから、鉄に鍍金したものや、ステンレスなど、金属が多い。近年は耐熱シリコンで作られたものもある。いわゆるオーブンペーパー(クッキングペーパー)を使った紙製(厳密には樹脂製)のものもあるが、これは使い捨てで、複雑な形状もできないため多くは円形となる。 生菓子や氷菓だけに使える木製、竹製、プラスチック製のものもある。(セルクルではなく、底があるが、パウンドケーキに使うアルミ箔製で使い捨ての型もある。これは見た目も良く、ケーキが焼きあがった後も、アルミホイルをはがさなくてもよい) セルクルにケーキの生地を入れ、オーブンで焼く場合、セルクルの内部に(できればスプレーで)バターなどを薄く引くと、焼きあがった後に生地の表面を壊すことなく抜き取ることができる。バターではどうしても生地に微妙な味が付き、熱量(カロリー)も若干上がるが、それを避けたいときは代わりにオーブンペーパーを使うと良い。食用油を使うこともできるが、やはり、熱量は増える。なお、食品用の離型油が用いられることもある。 フランス語における、本来の意味は「円」。もちろん、複数の意味で使われる(旧フランス植民地における統治単位など)。 このような型は各国・各民族で独立に創作されていたと思われるが、1960年代~1970年代以降の日本の西洋料理・洋菓子の中心がフランス料理であるために、フランス語が使われていると思われる。
セルクル
紙コップ
紙コップ(かみコップ、英: Paper cup)は、飲料水などを入れるための、使い捨ての紙製コップ。円錐台を逆さにした形をしているものがほとんどで、スタッキング(積み重ね)が可能である。 耐水用にごく薄いポリエチレンが貼られているものもある。ポリエチレンは加熱によって110°C前後で溶け出すこともあり、電子レンジ・オーブン・オーブントースターなどでの使用は推奨されていない。 起源はアメリカ合衆国といわれる。それは1908年にヒュー・ムーアによって飲料水販売機用に作られたもので、後に「デキシー・カップ」という商品名で販売され普及していった。当時、結核菌蔓延防止のため、カンサス州で列車内をはじめとする公共の「ブリキ製共同コップ」の使用が禁止され、他の州でも共同コップ使用の禁止がされていったという背景もある。 日本製のものは、飲料用でなくアイスクリーム用から始まったといわれる。古いものでは、東洋製罐が1930年に、アイスクリーム用紙コップの原形ともいえる「紙製アイスクリーム容器製造機」を開発し、実用新案を公告した。 自動販売機、花見、ポップコーン、検尿、糸電話などにも用いられる。1970年のよど号ハイジャック事件では、メモ代わりとして機内外の情報連絡手段として活用された。 以下のようなものがある。 封筒型紙コップ(開通した1964年、東海道新幹線の車内冷水器に丸ノ内紙工が納入) 取っ手つき(コーヒーなどホットドリンク用) 発泡断熱紙コップ(凹凸加工で外面にもポリエチレンを使用) 小型サイズのもの 自販機 1 自販機 2 から揚げ(姫路ゆかたまつり) スイートコーン 糸電話 製造機械 1 製造機械 2 ^ よくいただくご質問|株式会社 日本デキシー ^ 1907年説もある。 (ステークホルダーとしての『責任ある消費者』と持続可能な消費|大和総研) ^ 柏木博『日用品の文化誌』 ^ 製品情報|東罐興業 ^ about|丸ノ内紙工株式会社 紙皿 消耗品
紙コップ
大宝律令
大宝律令(たいほうりつりょう)は、701年(大宝1年)に制定された日本の律令である。「律」6巻・「令」11巻の全17巻。唐の律令を参考にしたと考えられている。大宝律令は、日本史上初めて律と令が揃って成立した本格的な律令である。 大宝律令に至る律令編纂の起源は681年まで遡る。同年、天武天皇により律令制定を命ずる詔が発令され、天武没後の689年(持統3年6月)に飛鳥浄御原令が頒布・制定された。ただし、この令は先駆的な律令法であり、律を伴っておらず、また日本の国情に適合しない部分も多くあった。 その後も律令編纂の作業が続けられ、特に日本の国情へいかに適合させるかが大きな課題とされていた。そして、700年(文武4年)に令がほぼ完成し、残った律の条文作成が行われ、701年(大宝元年8月3日)、大宝律令として完成した。日本の律令制度で律と令が同時に、制定直後に実施されたのは大宝律令をおいて他に例がない。大宝令11巻と大宝律6巻の律令選定に携わったのは、刑部親王・藤原不比等・粟田真人・下毛野古麻呂らである。 大宝律令を全国一律に施行するため、同年(大宝元年8月8日)、朝廷は明法博士を西海道以外の6道に派遣して、新令を講義させた。翌702年(大宝2年2月1日)、文武天皇は大宝律を諸国へ頒布し、10月14日には大宝律令を諸国に頒布した。 大宝律令の施行は、660年代の百済復興戦争での敗戦以降、積み重ねられてきた古代国家建設事業が一つの到達点に至ったことを表す古代史上の画期的な事件であった。大宝律令において初めて日本の国号が定められたとする説もある。 また、成立17年後となる養老2年(718年)、元正天皇が藤原不比等に大宝律令の補足と再検を命じたことが養老律令成立へとつながった。しかし、養老律令はただちに施行されなかったため、天平宝字元年(757年)まで大宝律令は効力を保っていた。 7世紀後半以降、百済の滅亡など緊迫する東アジアの国際情勢の中で、倭国は中央集権化を進めることで、政権を安定させ、国家としての独立を保とうとした。そのため、近江令、飛鳥浄御原令を制定するなど、当時の政権は、唐の統治制度を参照しながら、王土王民思想に基づく国家づくりを進めていった。その集大成が大宝律令の完成であった。これにより、日本の律令制が成立したとされている。大宝律令による統治・支配は、当時の政権が支配していた領域(東北地方を除く本州、四国、九州の大部分)にほぼ一律的に及ぶこととなった。 大宝律令の意義として第一に挙げられるのは、中国(唐)の方式を基準とした制度への転換にある。前述の冠位十二階の制度は、当初は徳目をあらわす漢字で個々の官位を示していたが、数値で上下関係を示す中国式に代わっている。また、地方行政単位の「評」も、中国で地方行政組織の名称として使われてきた「郡」に用字を変えている。遣隋使の派遣以来、7世紀の間に100年ほどの歳月をかけて蓄積した中国文明への理解によって、朝鮮半島経由の中国文明ではない、同時代の中国に倣うための準備が可能になってきていたことを意味する。 大宝律令は、日本の国情に合致した律令政治の実現を目指して編纂された。刑法にあたる6巻の「律(りつ)」はほぼ唐律をそのまま導入しているが、現代の行政法および民法などにあたる11巻の「令(りょう)」は唐令に倣いつつも日本社会の実情に則して改変されている。 この律令の制定によって、天皇を中心とし、二官八省(神祇官、太政官 - 中務省・式部省・治部省・民部省・大蔵省・刑部省・宮内省・兵部省)の官僚機構を骨格に据えた本格的な中央集権統治体制が成立した。役所で取り扱う文書には元号を使うこと、印鑑を押すこと、定められた形式に従って作成された文書以外は受理しないこと等々の、文書と手続きの形式を重視した文書主義が導入された。 また地方官制については、国・郡・里などの単位が定められ(国郡里制)、中央政府から派遣される国司には多大な権限を与える一方、地方豪族がその職を占めていた郡司にも一定の権限が認められていた。 大宝律令の原文は現存しておらず、一部が逸文として、続日本紀、令集解古記などの他文献に残存している。757年に施行された養老律令はおおむね大宝律令を継承しているとされており、養老律令を元にして大宝律令の復元が行われている。 大宝令と養老令の編目の順序は異なっていたと考えられているが、大宝令の編目順序は明らかでない。以下は復元の一例である。 官位令 官員令(養老令では職員令) 後宮官員令(養老令では後宮職員令) 東宮家令官員令(養老令では東宮職員令・家令職員令) 神祇令 僧尼令 戸令 田令 賦役令 学令 選任令(養老令では選叙令) 継嗣令 考仕令(養老令では考課令) 禄令 軍防令(養老令では宮衛令・軍防令) 儀制令 衣服令 公式令 医疾令 営繕令 関市令 倉庫令 厩牧令 仮寧令 喪葬令 捕亡令 獄令 雑令 ※令名称の後ろのカッコ書きは、養老令とは異なっていたと考えられている編目名である。 ^ 日本歴史大辞典編集委員会編著 『日本歴史大辞典』 河出書房新社、1979年、大寶律令の項 ^ 吉田孝『日本の誕生』岩波書店1997年. 神野志隆光は『「日本」とは何か』(講談社現代新書、2005年)で、大宝令公式令詔書式において初めて日本国号が制定されたとしている。前野 みち子「国号に見る「日本」の自己意識」『言語文化叢書』、第5号、2006. ^ 鐘江宏之『律令国家と万葉びと (全集 日本の歴史 3)』83頁 ^ 渡辺晃宏 『日本の歴史04 平城京と木簡の世紀』 講談社、2001年、p45より作表。 律令 律令制 律令法 飛鳥浄御原令 養老律令
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